1904(明治37)年
8月14日
蔚山沖海戦
午前5時23分、第2艦隊(上村彦之丞中将)第2戦隊「出雲」、ウラジオ艦隊「リューリク」を砲撃。戦闘開始。日本側優勢。ロシア艦火災。
午前6時35分頃、第4戦隊(瓜生少将)「浪速」も戦場到着。
午前10時30分「リューリク」沈没。乗員620を収容。「ロシア」「グロモボイ」は辛うじて戦場離脱。
16日ウラジオ帰港(両艦とも将校半数・下士官25%が死傷。上村は追撃せず)。
8月14日
遼東守備軍編成。天皇直属司令官西寛二郎大将。遼東以南の兵站、守備、軍政担当。
8月14日
『平民新聞』第40号発行
幸徳秋水「トルストイ翁の日露戦争論を評す」
社会主義の見地から批判、戦争防止策でのキリスト教との見解の相違点を示す。
(要旨)
この77翁の筆に成る「露国一億三千万人、日本四千五百万人の曽て言ふこと能はざるところを直言し、決して写す能はざるところを直写して寸毫の忌悍なき」勁健流麗の文、「……万丈の光彩陸離として……人をして起舞せしめずんは已まざるの概」を激賞している。
だが、『平民新聞』記者はトルストイ翁の所論に全幅的に同意するものではない。翁が戦争の罪悪、害毒、人心の頽廃、民生の悲惨を切言するのを読んで、もとより感歎崇敬を禁じないけれども、しかし将来この罪悪、害毒、頽廃、悲惨を救治防止する問題については翁と所見を異にした。翁の立言はキリスト教にもとづき、記者は社会主義の立場にあるからである。記者は評していう。
翁が戦争の起因を説き、その政治の方法を述ぶるや滔々数千言、議論の巧、措辞の妙を極めるが、要するに人間が真の宗教を失ったからで、自ら悔改めて神意に従い隣人を愛し己れの欲するところを他に施せというにある。だが、これはあたかも「いかにして富むべきか」という問題に対して「金を得るにあり」と答えるにひとしい。現時の問題を解決し得る答弁ではなくして、ただ問題に答えるだけである。「吾人はこの点において、翁が一関いまだ透し得ざるを惜む。」
人はパンのみで生くるものではないが、聖書のみで生くるものでもない。一飯にだも飽くこと能わざる者が、どうして道を聞くに遑(いとま)あろうや。単に「悔改めよ」と叫ぶこと幾千万年に及ぼうとも、もしその生活状態を変じて衣食を足らしめるのでなかったら、その同胞相搏(う)ち人類相食むの状は依然として今日のごとくであろう。吾人の所見によれば、今の国際戦争はトルストイ翁のいうように単に人々がヤソの教義を忘却したためではなく、実に列国の経済的競争が激甚なるためである。そして列国の経済的競争が激甚なのは、現時の社会組織が資本主義制度を以てその基礎となすがために外ならない(本紙第21号社説「列国紛争の真相」参照)。ゆえに将来国際間の戦争を絶滅してその惨害を避けようと思えば、現在の資本主義制度を変革して社会主義制度を以てこれに代えなければならぬ。
社会主義制度一たび確立して万民平等にその生を営むようになれば、人類は何を苦しんでか悲惨な戦争をおこす必要があろうや。トルストイ翁は戦争の原因を以て個人の堕落に帰するがゆえに、「爾曹(なんじら)悔改めよ」と教えてこれを救おうとするのである。吾人社会主義者は戦争の原因を以て経済的競争に帰するがゆえに、その競争を廃してこれを防遏(ぼうあつ)しようとするのである。
「吾人の翁と所見を異にする此の如し、しかも翁の言々実に肺腑に出で句々みな心血、直言忌まず党議悍からず、露国皇帝もまた一指を加ふる能はずして、その所論は直ちに電報を以て万国に報道せらる、翁もまた一代の偉人高士なる哉。」
英文欄「日本におけるトルストイの影響」
彼は初め大文学者として日本に紹介された。その最近作品の一なる「復活」の翻訳は、昨年わが国の新聞に掲載された。だが、文学者としての彼の影響は宗教的思想家たる、もっと偉大深遠な彼の影響に及ばない。
文学者もしくは宗教家としてのトルストイの使命は、しかし、恐らく彼の反軍国主義者としての使命ほどに顕著ではない。今や彼のイメージは日本人の眼に、時処を意に介せず大胆勇敢にその主義を声明する、無抵抗の権化として映っている。彼にとってはロシア人と日本人との区別なく、従って彼はこの残酷な戦争の責任に対して日露両国を非難糾弾するのである。
ロシアはトルストイのごとき偉人を有することを誇るであろう。ただし彼は一国家よりも、むしろ全世界の誇りとするところである。
ギリシャ教会は彼を迫害するを得ず、ツァーリ(霹国皇帝)もまた彼を国外に放逐するを得ない。彼はロシア社会の不安定な地層の上に不動の山岳のごとく立つ。ロシア人はトルストイがロシアから放逐されるよりも、むしろ満洲を失う方を選ぶであろう。ロシア政府がトルストイに、言論の比較的な自由を与えている事実は、絶えず戦争に抗議している日本の社会主義者に間接の影響を与える。もしロシアのごとき圧制的な政府にして、なおかつトルストイに爾(しか)く寛容であるとしたら、もっと文明で立憲的だと誇負している日本政府が、社会主義者に対して寛大な態度をとったとしても怪しむに足らぬであろう。トルストイは完全に無害な人間である、ゆえにもし彼がロシア社会にとって危険視されるならば、それは彼の罪ではなくしてその社会に固有の欠陥のためである。それと同じく、反軍国主義を抱懐する人々を迫害する政府はただ、それ自身に弱点を有することを立証するに過ぎぬ。
8月14日
第2インターナショナル第6回大会(アムステルダム)。~20日。
片山潜出席、露社会民主党プレハーノフと交歓。共に副議長に選出。戦争反対決議。ヴェーラ・ザスリッチ、クララ・ツェトキン、ローザ・ルクセンブルク、インドのD・ナオロージー、参加(25ヶ国483人)。
委員は次の通り。
△イギリス ー ハインドマン、クエルチ
△北米合衆国 - へロン
△ドイツ ー アウエル、ジンゲル、カウツキー
△オーストリーー アドラー、スカレット
△ハンガリー ー ウェルトナー、ガラニ
△ベルギーー ヴァンダエルト、アンシール
△フラソス ー ヴァイヤン、プレッセン
△イタリー ー フェリ、チュラチ
△スイス -フュールホルツ
△ノルウェー ー クリンゲン、イェップセン
△スウェーデン ー プランチング、ウイックマン
△ポーランド - イエドルチェウスキー、ウォイナロウスカヤ(女性)
△フィンランド ー カリ
△ポへミヤ ー ネメーク、スークープ
△セルヴィア ー ストヤノリッチ
△アルゼンチン共和国 - カムビエー、ウガルテ
△スペイン ー イグレシア、クエジド
△日本 - 片山潜
△ロシア ー プレハーノフ、クリチェウスキー
△オランダ ー トロールストラ、ファン・コール
8月14日。会議は、ファン・コール議長(主催国オラソダの社会党首)の左右に副議長に選ばれたロシアのプレハーノフと日本の片山清が着席して始まる。組織委員会を代表するトルーストラの開会演説ののち、フアン・コールが、各国代表、なかんずく自国政府が戦争しているとき普遍的平和を主張する勇気をもつロシアと日本の代表に歓迎の言葉を送ると述べると、満堂の拍手の中で、片山潜とプレハーノフは立ち上ってかたく握手をかわした。
ファン・コールの演説のあと、片山は各国の出席者を前に、英語で演説し、クララ・ツェトキンがドイツ語に翻訳し、ローザ・ルクセンブルクがフランス語に翻訳した。
「私はここでロシアの社会主義者、勤労者を代表する人々と同席することがなによりもうれしい。行なわれている戦争は資本主義の最大の幸と最大の利益のために進められている恥ずべき戦争である」。
次いで、片山は1894年以来の日本の社会主義運動の発展を紹介。
これに対し、プレハーノフは、「日本のプロレタリアートに戦争をしかけているのはロシア人民ではなく、ロシア人民の最悪の敵、ロシア政府である。ロシアが勝てば、敗けるのはロシア人民だということであろう。・・・
ロシア政府は外見でのみ強そうなだけで、実は粘土足の巨人である。日本はいまこの巨人の片足を折っている。日本は圧迫された諸民族に代って復讐しているのであり、ロシア政府は自国人民の隷属によって敗北を償っているのだ。ロシア政府は文明の敵である。」と述べて拍手をうけた。
片山は、ここで日本社会主義者の反戦提案を紹介。
「日露戦争は畢竟両国における資本家政府の行動に過ぎずして、為に両国の労働社会は至大の損害を受けざる可らず、故に吾人日本の社会主義者は茲に来る八月アムステルダムに開かるべき万国社会主義大会の各員に向って、彼等が自国の政府を督励し、速かに日露戦争の終局を告げんが為めに、全力を尽すべき決議の通過せられんことを求む」
この提案にこたえ、フランス代議員の提議によって以下の決議案を満場一致で可決。
「万国の労働者と社会主義者の合意と連帯活動は国際平和の本質的な保証であることに注目しつつ、ツァーリズムを戦争と革命が同時に脅かしつつあるまさにこのときにあたり、大会は、資本主義と自国政府の犯罪により殺戮されている日本とロシアのプロレタリアに兄弟の挨拶を送る。大会は国際平和の守り手、万国の社会主義者と労働者に一切の戦争拡大に全力をあげて抵抗するようよびかけるものである。」
8月15日
午前6時50分、旅順要塞砲撃。
午前10時55分、第3軍第1旅団(山本少将)第15連隊(代理戸枝百十彦少佐)第2・第3中隊、164高地占領。
午前11時30分、後備第1旅団(友安治延少将)後備第15連隊(高木常之助中佐)、北大王山占領。
164高地は「高崎山」と命名(第15連隊・後備第15連隊の原駐地が高崎市)。
3ヶ日間の戦闘。死傷1,252。第3軍上陸以来死者1,303、負傷5,810。
16日午前10時前、第3軍参謀山岡熊治少佐、降伏勧告の軍使として水師営北方の陣地を出る。
翌17日、ロシア側、拒否回答。
8月15日
チベット、英に屈服。
8月15日
平民社演説会。西川光二郎、大垣。
16日岐阜。19日名古屋。22日浜松。25日静岡。26日興津。27日吉原。29日小田原。30日山北。
8月15日
木下尚江「良人の自白(上編」(「毎日新聞」~11月10日)。
翌年、中・下編を完成。~39年6月。
8月15日
(漱石)
「八月十五日(月)から二十七日(土)の間、自筆絵葉書を数多く描く。この間(日不詳)、高浜虚子に会う。」(荒正人、前掲書)
8月16日
源田実、誕生。
8月16日
英政府、中立国の商船の拿捕・撃沈に関して露に正式に抗議。
つづく

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