2026年3月13日金曜日

渡嘉敷議員の「選挙で国民が示した」発言に批判集中 ; 13日の衆院本会議で、渡嘉敷議員は坂本予算委員長の解任決議案に反対し、「2月8日の総選挙で国民の答えが出ている」と述べた。与党は選挙で316議席を獲得し、予算案を同日可決させたが、Xでは「数の力で押し切るのは民主主義を理解していない」との声が相次いだ。野党は審議時間の短さを問題視していたが、与党は「選挙結果が国会運営の基盤」と主張している。 / 「総選挙によって議席が大きく変動したにもかかわらず、野党が選挙前と同等、あるいはそれ以上の審議時間を求めるのは、いささか行きすぎではないでしょうか」        

「高市氏側、税控除のための書類を不正に発行の疑い」 赤旗が報道(朝日); 共産党の機関紙「しんぶん赤旗」日曜版の電子版は11日、高市早苗首相側が、政治資金パーティー券の購入者に対して、寄付を受けたことにして税控除のための書類を発行していた疑いがあると報じた。

トランプ「私は何も知らない」 / 女児175人死亡のイラン小学校空爆は米軍の誤爆、古い地図データ使用…米紙報道にトランプ大統領「知らない」(読売) / 米大統領、小学校攻撃「調査中」 イラン児童ら死亡、否定から修正(共同) / BBCニュース- 小学校攻撃は「イランがやった」、作戦初日の被害めぐりトランプ氏 米国防長官は「調査中」と / トランプに鋭く質問する記者「イランの小学校を爆撃して168名を殺したのは米軍だといわれています。でも大統領は『イランはなぜかトマホークを手に入れ、戦争の初日にいきなり自国に撃ちこんだ』と主張する。他にそんなこという人はいませんよ?」

 


驚くべきことに!トランプが自分が破壊したイランの学校をイランが爆撃したと虚偽の非難をした後、記者が勇敢にも彼の顔面に直接詰め寄った:「なぜあなただけがこんなことを言っているのですか?」

これこそがホワイトハウスの記者たちに必要なことそのものだ!

「映像によると、トマホーク・ミサイルがそのイラン人女子校を破壊した可能性が高い。では米国は何か責任を取るつもりですか?」と最初の記者が尋ねた。

「ええと、私はそれを見ていないし、トマホークは世界で最も強力な兵器の一つで、他の国々によって売買され使用されている、あなたも知っている通りだ。それがイランであれ、他の誰かであれ。イランもいくつかトマホークを持っているし、もっと欲しがっているが、うーん…。イランか他の誰かか。トマホークは非常に一般的なものだ。他の国々に売られている。だが、うーん、今それが調査中だ」とトランプは言った。

実際には、トマホーク・ミサイルの輸出は米国によって厳しく管理されている。現在、この兵器を使用しているのはアメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア、オランダのみだ。イランがそれらにアクセスできるという示唆は、あからさまにばかげている。

大統領の明らかな虚偽が、もう一人の記者からのノックアウト・パンチを誘発した—

「大統領、あなたは今、イランが何らかの方法でトマホークを手に入れ、戦争初日に自国の小学校を爆撃したと示唆しましたが、あなたの政府であなただけがそんなことを言っています」と記者は言った。「土曜日にあなたの飛行機で、あなたの肩越しに立って質問された時でさえ、あなたの国防長官もそれを言わなかった。なぜあなただけがこんなことを言っているのですか?」

「なぜなら、私はそれについて十分知らないからだ」とトランプは言った。「私は、それが調査中だと聞かされたと思うが、トマホークは他の人々によって使用されている、あなたも知っている通り…。多くの他の国々がトマホークを持っている。彼らは私たちから買うが、報告書が何を示そうと、私は確かにそれを受け入れるつもりだ。」

トランプは嘘をついている。なぜなら、彼はイスラエルのために自分が開始した選択的な戦争の一環として、米国ミサイルがイラン・ミナブの学校を攻撃し、少なくとも165人を殺害したという事実を認めたくないからだ。政権は慌てて、その恐ろしい事件はイラン製ロケットやミサイルの誤発射によるものだと主張したが、新しい映像が公開され、それがアメリカのトマホークだったことを証明している。

今や、米国があの学校の子供たちを殺害したことは、反論の余地がない。これは決して洗い流せない悪の類であり、トランプがどれだけ嘘をつこうと、これは彼の遺産を定義する柱となるだろう。彼は、無意味で違法な戦争で子供たちを殺害し、それさえも認めるのを拒否した大統領だ。


 

まもなく新年度予算案が可決へ “59時間”と異例の短さだった衆議院での審議 与党の賛成多数で可決、来週から参議院で審議の見通し 衆議院本会議(TBS) / 分科会なし、審議最短、代返答弁の“暴走列車” 高市1強国会の「異常事態」(毎日) / 異例の審議短縮、高市首相に党内沈黙 政権幹部「恐怖政治のよう」(朝日) / 過去20年で最短、37年ぶりの分科会見送り…異例ずくめの予算審議(朝日)

イラン情勢、自衛隊派遣を求められたら? 官邸筋「高市首相は可能な限り協力したい考え」(西日本新聞) / 高市首相、日米首脳会談で次世代ミサイル防衛参画表明へ 南鳥島レアアース連携も=関係者(ロイター) / 高市首相が描く戦後安保の再設計-改憲や日本版CIA創設、米国なき東アジアでの役割(Bloomberg); 戦後日本の土台を築いた米国、変革を再び強く後押し-19日首脳会談 日本、東アジア安定で重要な役割も-防衛と情報能力強化に成功なra

大杉栄とその時代年表(777) 1908(明治41)年4月22日~30日 鉄幹に失望する啄木 「四時すぎて新詩社につく。 お馴染の四畳半の書斎は、机も本箱も火鉢も坐布団も、三年前と変りはなかつたが、八尾七瀬と名づけられた当年二歳の双児の増えた事と、主人与謝野氏の余程年老つて居る事と、三人の女中の二人迄新しい顔であつたのが目についた。本箱には格別新しい本が無い。生活に余裕のない為だと気がつく。与謝野氏の着物は、亀甲形の、大嶋絣とかいふ、馬鹿にあらい模様で、且つ裾の下から襦袢が二寸も出て居た。同じく不似合な羽織と共に、古着屋の店に曝されたものらしい。 (略) 与謝野氏は既に老いたのか? 予は唯悲しかつた。」

 

与謝野鉄幹

大杉栄とその時代年表(776) 1908(明治41)年4月10日~20日 塩原事件の後始末 漱石「四月中旬(推定)、平塚定二郎宛、親展の手紙(現在はない)を出す。〝森田は今度の事件で、職を失った時あの男はものを書くよりほか生きる道をなくした。あの男を生かすために今度の事件を小説として書かせることを認めてほしい。貴下の体面を傷つけ、御迷惑をかけることを自分の責任においてさせないから曲げて承知をしてほしい〞との主旨であったが、両親は承知しない。」(荒正人) より続く

1908(明治41)年

4月22日

三菱(資)長崎造船所にて最初のタービン船天洋丸建造。13,454トン、18,958馬力、速力20.6ノット。

4月22日

栃木県那須郡山火事。2万余町焼失。

4月23日

林菫外相から元老山縣へ「無政府党員ノ消息二関スル報告送付ノ件」

18日にサンフランシスコの小池総領事からの情報として、幸徳が夏か秋に渡米と伝える(ガセネタ、幸徳への偏見助長)。


4月23日

(漱石)

「四月二十三日(木)、小宮豊隆来て泊る。

四月二十四日(金)、鈴木三重吉来る。小宮豊隆帰る。

(池田菊苗、「味の素」製法特許を申請する。)


最初は「精味」、後に 「味の素」と命名する。昭和四年七月に特許の満期となる。商標は会社の所有である。製造は、明治四十一年十二月から鈴木三郎助が逗子工場で始める。


四月二十五日(土)、午後(推定)、鏡、筆と共に小宮豊隆を訪ね、宝亭に行き夕食し、神田を散歩、十時頃帰る。小宮豊隆泊る。狩野亨吉宛手紙(小島武雄持参)に、愛媛県尋常中学校辞任した小島武雄を新設の第八高等学校(名古屋)に推薦するため、紹介して欲しいと頼む。


小島武雄は、明治四十一年四月、愛媛県尋常中学校での七年間の勤めをやめ、就職先を求めて上京する。新設の第八高等学校に就職を希望する。その時、愛媛県尋常中学校を辞任した時、同僚から贈られた寄せ書を持参し、漱石に見せる。漱石は懐しく思い、「逝く春やそゞろに捨てし草の庵」と書き添える。(四月二十五日(土)以前かとも想像される)


四月二十六日(日)、鏡、出産ひかえ気分悪い。」(荒正人、前掲書)


4月23日

独・露・スウェーデン・デンマーク、バルト海現状維持条約。英・独・仏・デンマーク・オランダ、北海現状維持条約。各国沿岸の現状維持を約束。

4月24日

啄木(22)、宮崎郁雨の厚意で家族を函館に残し、三河丸で海路上京(再々度の上京)。郁雨から更に10円借りる。節子・京子・カツは函館の郁雨家所有の借家に。


「二十四日。午前切符を買ひ、(3.50)大硯君を公友会本部に訪ふ。郁雨白村二君と共に豚汁をつついて晩餐。夜九時二君に送られて三河丸に乗込んだ。郁兄から十円。

 舷窓よりなつかしき函館の燈火を眺めて涙おのづから下る。

老母と妻と子と函館に帰つた! 友の厚き情は謝するに辞もない。自分が新たに築くべき創作的生活には希望がある。否、これ以外に自分の前途何事も無い! そして唯涙が下る。唯々涙が下る。噫、所詮自分、石川啄木は、如何に此世に処すべきかを知らぬのだ。

犬コロの如く丸くなつて三等室に寝た!」


「今度の上京は、小生の文学的運命を極度まで試験する決心に候」(向井永太郎宛5月5日書簡)


27日午後6時、船で横浜着。正金銀行前の長野屋に投宿。

翌28日、横浜正金銀行に小島烏水(預金課長)を訪ね、洋食店で会食。列車で新橋(午後3時着))に向い、4時過ぎ千駄ヶ谷の新詩支社に入り与謝野鉄幹・晶子夫妻と再会、暫く与謝野家に滞在する。

29日本郷菊坂の下宿屋赤心館に金田一京助を訪問。


「四月廿五日

・・・・・

終日船室に寝て現なく物思ふ。過ぎ去つた事、殊にも津軽の海を越えて以来、函館札幌小樽釧路と流れ歩いて暮した一ケ年間の事が、マザマザと目に浮ぶ。自分一人を頼りの老いたる母の心、若い妻の心、しみじみと思[ひ]やつて遣瀬もなく悲しい。目を瞑ると京子の可愛らしい顔が目に浮ぶ。

飄泊の一年間、モ一度東京へ行つて、自分の文学的運命を極度まで試験せねばならぬといふのが其最後の結論であつた。我を忘れむと酒に赴いた釧路の七旬の浅間しさ! 満足といふものは、所詮我自らの心に求むべきものだといふ悲しい覚醒は、創作的生活の外に自分のなすべき事が無いと覚悟せしめた。此覚悟を抱いて、自分は釧路を逃げ出した! さうだ、逃げ出した!

友は、自分が小樽へ行つて家族を引纏めて来るだけの旅費を呉れた。母と妻と子を、予が上京して生活の方法を得る迄養つてくれる事になつた。剰へ此度の上京の旅費まで出した。凡てが友の情である。今かうして此船に乗つて居るのも。と思つて思はず目をうるました。

・・・・・」


「四月廿八日

・・・・・

四時すぎて新詩社につく。

お馴染の四畳半の書斎は、机も本箱も火鉢も坐布団も、三年前と変りはなかつたが、八尾七瀬と名づけられた当年二歳の双児の増えた事と、主人与謝野氏の余程年老つて居る事と、三人の女中の二人迄新しい顔であつたのが目についた。本箱には格別新しい本が無い。生活に余裕のない為だと気がつく。与謝野氏の着物は、亀甲形の、大嶋絣とかいふ、馬鹿にあらい模様で、且つ裾の下から襦袢が二寸も出て居た。同じく不似合な羽織と共に、古着屋の店に曝されたものらしい

一つ少なからず驚かされのは、電燈のついて居る事だ。月一円で、却つて経済だからと主人は説明したが、然しこれは怎しても此四畳半中の人と物と趣味とに不調和であつた。此不調和は軈て此人の詩に現はれて居ると思つた。そして此二つの不調和は、此詩人の頭の新しく芽を吹く時が来るまでは、何日までも調和する期があるまいと感じた。

茅野君から葉書が来て、雅子夫人が女の児を生んだと書いてあつた。晶子女史がすぐ俥で見舞に行つた。九時頃に帰つて来て、俥夫の不親切を訴へると、寛氏は、今すぐ呼んで叱つてやらうと云つた。予はこの会話を常識で考へた。そして悲しくなつた。此詩人は老いて居る

与謝野氏は、其故恩師落合氏の遺著“言の泉”の増補を分担して居て、今夜も其校正に急がしかつた。“これなんか、御礼はモウ一昨年とつてあるんだからね。”印刷所から送つて来た明星の校正を見ると、第一頁から十二頁までだ。これでも一日の発刊に間に合ふかと聞くと、否、五六日延るであらう。原稿もまだ全部出来てないと答へた。そして“先月も今月も、九百五十部しか刷らないんだが、……印刷費が二割も上つたし、紙代も上つたし、それに此頃は怎しても原稿料を払はなければならぬ原稿もあるし、怎しても月に三十円以上の損になります。……外の人ならモウとうにやめて居るんですがねー。

小説の話が出た。予は殆んど何事をも語らなかつたが、氏は頻りに漱石を激賞して“先生”と呼んで居た。朝日新聞に連載されて居る藤村の“春”を、口を極めて罵倒する。“自然派などといふもの程愚劣なものは無い”と云つた。そして居て、小栗氏の作などは賞める。晶子夫人も小説に転ずると云ふて居ると話した。“僕も来年あたりから小説を書いて見ようと思つてるんだがね。”(来年からですか)と聞くと、“マア、君、嶋崎君なんかの失敗手本を見せて貰つてからにするサ。”――予はこれ以上聞く勇気がなかつた。世の中には、尋常鎖事の中に却つて血を流すよりも悲しい悲劇が隠れて居る事があるものだ。噫、この一語の如きもそれでは無いか! 氏にして若し真に藤村が失敗するといふ確信があるならば、何故其の失敗の手本を見る必要があるか? 予は、たとへ人間は年と共に圭角がなくなるものとしても、嘗て“日本を去るの歌”を作つた此詩人から、恁の如き自信のない語を聞かうと思つて居なかつた。

十時に枕についた。緑の都の第一夜の夢は、一時過ぐるまで結ばれなかつた。

与謝野氏は既に老いたのか? 予は唯悲しかつた。(千駄ヶ谷新詩社にて)」

「四月廿九日

八時半目をさます。晴がましい初夏の日に緑の色が眩しい。

十時頃、四谷大番町に小泉奇峰君を訪ねて、一緒に市中をブラついた。小川町のトある蕎麦屋で昼食して、歩いて歩いて須田町で別れる。・・・・・

・・・・・予は菊坂町の赤心館に金田一花明兄を訪ねた。髪を七三にわけて新調の洋服を着て居た。予が生れてから、此人と東京弁で話したのは此時に初まる。

豊国へ案内されて泡立つビールに牛鍋をつついた。帰りはまた一緒に赤心館に来て、口に云ひ難いなつかしさ、遂々二時すぐるまで語つて枕を並べた。」


「四月三十日

九時近く目をさます。金田一君の室。凡てに優しき此人の自然主義論は興をひいた。十二時千駄ヶ谷に帰る。

与謝野氏は“言の泉”の校正に忙殺されて居る。森博士から、来る二日の同氏宅歌会へ案内の葉書を貰つた

筆をとる心地がせぬので、せつ子と宮崎兄へ葉書かく。・・・・・

夏目漱石の“虞美人草”を読んで寝る。」

4月26日

第1回国際精神分析学大会。フロイト精神分析理論報告。オーストリア。

4月27日

(漱石)

「(四月二十七日(月)、大塚楠緒『空薫(そらだき)』連載始る。(『東京朝日新聞』五月三十一日(日)まで)中心人物の名前、輝一は『野分』の中野輝一と同じである。)

四月三十日(木)、小宮豊隆、論文を提出した帰りに立ち寄り、泊る。」(荒正人、前掲書)


4月27日

第4回夏季オリンピックがロンドンで開幕(〜10月31日)

4月27日

オランダ、海外領地および植民地に関する領事職務条約調印。8月7日公布。

4月28日

第1回ブラジル移民(783人)を乗せた笠戸丸が神戸港を出港(6月に到着)

4月28日

田添鉄二、『近代主義史』。

4月28日

門司の石炭仲仕1万、賃上げで同盟罷業。

30日、彦島の仲仕、同情罷業。

4月28日

ペテルブルグに北海条約成立。

4月29日

黄明堂ら、中国革命同盟会の指導下に、ベトナムより雲南省を攻撃。~5月25日。

26日、清軍に敗れ後退。

4月29日

清国河口事件起る。

4月30

韓国統監府、新聞紙規則公布。5月1日 施行。

4月30

軍艦「松島」澎湖島公港にて火災沈没。艦長以下200余死亡、大山巌長男高死亡

4月30

陸軍将校に露清独仏英の5ヶ国語(特に露語)学習奨励金を給与する旨公布。

4月30

神田錦町の工藤写真館で大杉栄・堺利彦・山川均、屋上演説秩序紊乱事件の出獄記念写真を撮る。

4月30

ムザッファルブルでテロリストの仕掛けた爆弾により英人女性2人死亡。この事件を口実として、インド政府は主な過激派民族主義者を投獄。


つづく

予算委員長のミッションを理解していない。行政と立法を理解していない。 後世に「恥」の記録を残した予算委員長。→ 今日の予算案採決を、委員長が職権で決定。
衆院本会議への上程も、議運委員長が 職権で決めました。 これでは、衆院での予算審議は
政府と与党の言いなりで進むことになります。
こんな国会運営を、私は見たことがありません。(逢坂誠二) / 「職責にふさわしくない!」中道ベテラン議員 坂本予算委員長に声張り上げ怒りあらわ…別の議員も「数の横暴」と指摘する自民大勝の“驕り”(女性自身) / 坂本予算委員長、13日予算採決を職権で決定 野党は解任決議案提出(朝日)

〈「高市か。高市さん、大っ嫌いなんだよ」 「最低だった、人として」〉 → 「若手時代は合コン好き」不倫報道の松本文科相 永田町での「厳しい評判」と「高市首相が切れないワケ」(女性自身) / 松本文科相、週刊文春報道認める 「議員会館に女性が来たのは事実」(朝日) / 《高市内閣に衝撃不倫スキャンダル》松本洋平文科大臣(52)「議員会館W不倫」と「高市大っ嫌い音声」 既婚女性と“W不倫”〈ラブホテルや議員会館の自室に彼女を…〉(週刊文春) / 松本文科相「内容見て判断」 文春、不倫疑惑を報道(時事)

 

この4日前、高市氏は総裁選に初めて挑戦することを表明していた。
A子さんは松本氏に「そろそろ女性とかいいかもね」と語りかけた。
これに対し、松本氏はこう吐き捨てたのだ。 
 「高市か。高市さん、大っ嫌いなんだよ」 
高市氏は18年に女性初の議院運営委員長に就任。
同委の理事だった松本氏は、この時の経験をこうぶちまけた。
 「上にはペコペコするし、自分にプラスになると思うと、役に立ちそうな人にはあれだけれども、下にはめちゃくちゃ厳しいというか。俺も『あんたみたいな人間が何言ってるんだよ』みたいな感じで言われたから」 
 そして、松本氏の高市評は、こう締め括られた。
「最低だった、人として」

 

2026年3月12日木曜日

「反政府デモの鎮圧」に「基本的人権の停止」…高市ブログから発掘された「憲法9条改正私案」のヤバい中身(プレジデント) / 「戦後最大の危機的状況」にある憲法を守りたい 改正に前のめりな高市首相に危機感を持つ市民たち(東京)

大杉栄とその時代年表(776) 1908(明治41)年4月10日~20日 塩原事件の後始末 漱石「四月中旬(推定)、平塚定二郎宛、親展の手紙(現在はない)を出す。〝森田は今度の事件で、職を失った時あの男はものを書くよりほか生きる道をなくした。あの男を生かすために今度の事件を小説として書かせることを認めてほしい。貴下の体面を傷つけ、御迷惑をかけることを自分の責任においてさせないから曲げて承知をしてほしい〞との主旨であったが、両親は承知しない。」(荒正人)

 

平塚定二郎

大杉栄とその時代年表(775) 1908(明治41)年4月3日~8日 「(四月八日(水)、午後十時頃から雪降る。桜花満開時で驚く。魯迅、仲間四人と共に本郷区西片町二十番地ろノ七号(現・文京区西片一丁目十二、十三番) に住む。) 魯迅の友人の許壽裳が探したものである。五人で住んでいたので、門灯に 「伍舎」と書く。魯迅は、漱石の『虞美人草』を愛読し、漱石の旧居に住むことを誇りにしていたと云う。魯迅は、階下南側の六畳に住む。当時、民報社に通う。民報社から孫文・炳麟・黄興らが『民報』を刊行し、中国革命を志していた。宮崎滔天の義姉前田卓子も手伝う。宮崎滔天は、『民報』の後援者でもある。魯迅は、この家に明治四十二年一月まで住む。家賃が余りに高かったので、西片町十番地はノ十九号(現・文京区西片一丁目) に移り、同年帰国する。」(荒正人) より着く

1908(明治41)年

4月10日

改正陸軍刑法、改正海軍刑法各公布。10月1日施行。

4月10日

ウラジオストック、ロシアと樺太島日露境界確定書調印。

8月6日、境界確定事業承認に関する外交文書を交換。9月10日、告示。

4月11日

井深大、誕生。

4月11日

与謝野鉄幹のこの日付け啄木宛手紙(上京を激励)

「御状拝見仕候

元気よき文字を見て甚だうれしく感じ申侯。

先日御選歌甚だ結構に存じ侯。御礼申上侯。

御東上の事何よりの好音に候。必ず御決行被下度侯。おなじく苦闘被遊侯ならば北海道のはてより東京がよろしく侯。堅実なる文学的生涯に入られむ事を希望此事に侯。下宿はどうにか考へておくべく侯。さしづめ拙宅へ御出被下度侯。

御地諸兄へよろしく御鳳声被下度侯。先日並木君上京せられ侯へども未だ来訪無之侯。草草拝復。

十一日夜                                       寛

啄木兄御侍史」

鉄幹は3月8日にも釧路新聞社気付で啄木に手紙を送り、「御近状如何」と彼の近況を尋ね、「東上の御計画はいまだ御著き被遊不申や万事お察し致し同情に不堪候。」と書いている。

釧路新聞社に満足せず、「東京に出て自らの文学的運命を極度まで試験せねば」と考えていた啄木にとって、鉄幹の手紙は誘い水となった。

4月12日

原敬、社会主義・風俗取締りで内訓。地方官会議秘密会議。

4月12日

大杉栄、午後2時、牛込区牛込赤城元町の貸席・清風亭で劉師培らが開いた第10回斉民会(社会主義講習会を改称、斉民会となって2回目)に出席。「フランス反乱の精神」を講演。潘快漢、汪公権らが参加。6時散会。

13日、大杉栄、この日から、徴兵を逃れるため早稲田大学高等予科に在籍。~6月24日。荒畑寒村が身代わりで聴講。

4月13日

東京主要銀行、預金協定金利を引上げ(定期5%→6%)。

4月13日

水利組合法公布。水利組合、法人となる。水利組合条例、廃止。10月1日公布。

4月13日

田山花袋「生」(『読売新聞』~7月19日連載)、11月刊行。

4月13日

肥料取締法改正公布。免許、検査の規定を厳密にし、取締を強化。

4月13日

啄木、小樽の家族を引き纏めて箱館に戻る。(小樽の6日間)


「十三日夕七時十分、郁雨兄から十五金を得て函館発。十四日朝八時小樽着。俥を走せて花園町畑十四星川方の我家に入る。感多少。京子が自由に歩き廻り、廻らぬ舌で物を云ふ。一時頃野口雨情君を開運町に訪ひ、共に散歩。明日立つて札幌にゆき、本月中に上京するとの事。・・・・・

十七日。郁雨兄より手紙。実際的常識の必要を説いてある。七円。其返事と、白村正二君へと、立花直太郎、釧路の上杉小南等へ手紙書く。夜、社会主義者塚原新人来る。

十八日。小樽日報今日より休刊、実は廃刊。不思議なるかな、自分は日報の生れる時小樽に来て、今はしなくも其死ぬのをも見た。・・・・・

十九日。古道具屋を招いで雑品を売る。夜、・・・・・八時十分、一家四人小樽駅から汽車に乗つた。切符は函館迄。」(啄木日記)


4月14日

清朝、盛宣懐、漢冶萍煤鉄公司設立。

直隷の井陘炭鉱、ドイツ、清国合弁となる。

4月14日

公証人法公布。公証人規則、廃止。公証人の権限、職務を拡大。私署証書の認証をも認める。

4月14日

片倉組、愛知県一ノ宮に愛知製糸所設置。300釜。長野県製糸業の東海地方進出の初め。

4月14日

満州における領事裁判に関する法律公布。

4月14日

(漱石)

「四月十四日(火)、鏡、小宮豊隆を誘い、歌舞伎座(京橋区木挽町三丁目、現・中央区銀座四丁目十二番)に行く。気が向けば後から行く積りだったがやめる。一緒に帰り、小宮豊隆泊る。

四月十五日(水)、午後、小宮豊隆帰る。

(田山花袋・小葉風葉編集『二十八人集』 (新潮社刊。一円三十銭)が刊行され、印税は国木田独歩に贈られる。夏目激石・森鴎外・幸田露伴・小杉天外・後藤宙外・泉鏡花・広津柳浪・江見水蔭らは除外する。)

四月中旬(推定)、平塚定二郎宛、親展の手紙(現在はない)を出す。〝森田は今度の事件で、職を失った時あの男はものを書くよりほか生きる道をなくした。あの男を生かすために今度の事件を小説として書かせることを認めてほしい。貴下の体面を傷つけ、御迷惑をかけることを自分の責任においてさせないから曲げて承知をしてほしい〞との主旨であったが、両親は承知しない。


(平塚定二郎)外国語学校中退後、会計検査院に勤め、大正十三年、六十六歳で引退するまで四十年間勤める。傍ら、第一高等学校で講師をする。漱石とは顔見知りではあったが、口をきいたことはなかった。」(荒正人、前掲書)


4月14日

田山花袋(36)、茅ケ崎南湖院に国木田独歩を見舞う。

4月14日

デンマーク議会、25歳以上に選挙権を与える普通選挙法可決

4月15日

「二十八人集」(新潮社)。花袋が独歩を援助するため企画。売れ行き良く、独歩の療養生活最後の2ヶ月を支える。

4月15日

「高等官平塚某氏娘明子(日本女子大学卒業)と森田某(帝国大学卒業)との活劇」(「教育時論」)。塩原事件が女子教育界に与えた衝撃。

4月16日

大日本精糖(株)、横浜精糖(株)、神戸精糖(株)の3社間に生産量協定成立。9月2日、共同販売協定成立。

4月16日

(漱石)

「四月十六日(木)、小宮豊隆泊る。

四月十七日(金)、安田秀次郎(青森県北津軽郡板柳村、現・青森県北津軽郡板柳町)宛手紙に、訪ねて来るのなら木曜日がよいけれども、遠方からわざわざの来訪なのだから、在宅していれば何日でもよいと返事出す。小宮豊隆帰る。

四月十八日(土)、午後四時、上野で第三回青楊会会合あり、森鴎外らと会う。(会費一円五十銭)


(*森鴎外と会う)青楊会で会ったのは、三回めである。森鴎外は、四月二十五日(土)、上田敏宛手紙に、「君を送りまつりし會より生れし青楊会の三度目に又々夏目君などと出逢候/穴のなき銭を袂に暮るゝ春 漱石行春を只べたべたと印を押す 鷗外」と書いている。「朝首相〔西園寺〕第に晩餐の禮に往く。緒方正規に書を寄せて都築甚之助を薦む。妻と茉莉と陸軍省に来しをつれて午餐に銀座に往く。歸途上野に立寄る。夜上野の青楊会に往く。夏目金之助等来會す。酒店の管理人某の為めに句を書す。/行春を只べたべたと印を押す/母と於菟と日在に往く。」 (「鷗外全集第三十五巻 日記」)


四月二十日(月)、安田秀次郎と面会する。」(荒正人、前掲書)


4月18日

大杉栄、堀保子と共に福田英子宅を訪問。

20日、「消息 大杉栄君より」(「日本平民新聞」)

4月20日

清国、英間に修訂蔵印通商章程成立。

4月20日

台湾縦貫鉄道全通。三又河~葫蘆墩間開業により、基隆~打狗間全通。

4月20日

台湾で刑事令、監獄令、民事令公布。

4月20日

坂本清馬「革命即愉快」(「熊本評論」)。この年1月17日の「金曜会屋上演説事件」、3月10日出獄の顛末。

4月20日

この日、啄木、家族を連れて小樽から帰る。宮崎家の厚意で準備された、市内栄町の鈴木弥吉方の二階8畳間の新居に入る。郁雨の計いで、当座の米や味噌が用意されていた。

彼は家族との生活を楽しむ間もなく、24日午後9時、横浜行三河丸に乗船する。


つづく


メキシコ大統領が警告:世界がトランプに団結して対抗しなければ、誰もが標的となり、破滅に追いやられる。 メキシコのクラウディア・シェインバウム大統領が世界に警告:各国がトランプの最新政策に団結して対抗しなければ、あらゆる国が危険にさらされる可能性がある。手遅れになる前に、グローバルな協力の呼びかけ。 道徳的教訓:私たちはあらゆる形態の暴力にノーと言う。

 


速報🚨

メキシコ大統領が警告:世界がトランプに団結して対抗しなければ、誰もが標的となり、破滅に追いやられる。

メキシコのクラウディア・シェインバウム大統領が世界に警告:各国がトランプの最新政策に団結して対抗しなければ、あらゆる国が危険にさらされる可能性がある。手遅れになる前に、グローバルな協力の呼びかけ。

道徳的教訓:私たちはあらゆる形態の暴力にノーと言う。



高市早苗には出来ないだろうけど、、、 → 伊メローニ氏、米国イスラエルのイラン攻撃を批判「国際法の範囲外」(朝日); イタリアのメローニ首相は11日、上院で演説し、米国とイスラエルによるイラン攻撃について、「国際法の範囲外」の介入だったと批判した。 / イタリアのメローニ首相「イランのミナブ小学校で起きた少女たちの虐殺に対し、強く非難の意を表明し、犠牲者のご家族に連帯を表明するとともに、この悲劇の責任を迅速に明らかにすることを求めます」 / ・「イタリアは米・イスラエルによるイラン攻撃には参加していないし、今後も参加しない」と議会で発言 ・軍事行動ではなく 外交的解決を目指す立場を強調(Italy Won’t Join US-Israeli Attacks on Iran, Meloni Says;Bloomberg)  

2026年3月11日水曜日

林芳正総務相の秘書がインサイダー取引で逮捕されていた!《ニデックめぐるTOBのウラで…》《「官房機密費も引っ張れる」》(週刊文春)

クラウディア・シェインバウム大統領は、メキシコの新自由主義時代に発行された五百万世帯を狙った強欲な住宅ローンの負担から解放することを約束した。 政府は、彼女が「少数のためのビジネス」と呼ぶこれらのローンを減額、再融資、または免除する。

トランプ氏は週末に動く 常識超える軍事行動、みえてきた法則性(日経); 週末に政治的に仕掛ければ”Meet the Press” ”Face the Nation”などのSunday morning talkshowsを独占でき、世論に影響、ということはアメリカ政治ではずっと言われてきました。トランプの場合には仕掛ける対象が軍事作戦。世論も分断で「支持者固めに影響」(前嶋和弘)

大杉栄とその時代年表(775) 1908(明治41)年4月3日~8日 「(四月八日(水)、午後十時頃から雪降る。桜花満開時で驚く。魯迅、仲間四人と共に本郷区西片町二十番地ろノ七号(現・文京区西片一丁目十二、十三番) に住む。) 魯迅の友人の許壽裳が探したものである。五人で住んでいたので、門灯に 「伍舎」と書く。魯迅は、漱石の『虞美人草』を愛読し、漱石の旧居に住むことを誇りにしていたと云う。魯迅は、階下南側の六畳に住む。当時、民報社に通う。民報社から孫文・炳麟・黄興らが『民報』を刊行し、中国革命を志していた。宮崎滔天の義姉前田卓子も手伝う。宮崎滔天は、『民報』の後援者でもある。魯迅は、この家に明治四十二年一月まで住む。家賃が余りに高かったので、西片町十番地はノ十九号(現・文京区西片一丁目) に移り、同年帰国する。」(荒正人)

 

魯迅

大杉栄とその時代年表(774) 1908(明治41)年4月1日~2日 塩原事件の後始末 「(四月初め(推定)(日不詳)、生田長江、平塚家を訪れ、漱石と馬場孤蝶に事件の処理を委ねたと語り、「森田がやったことに対しては、平塚家ならびにど両親に十分謝罪させる。その上で時期をみて、平塚家へ令嬢との結婚を申し込ませる。」(平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』)と伝言する。平塚明子も両親も意外に感じる。)」(荒正人) より続く

1908(明治41)年

4月3日

(漱石)

「四月三日(金)、朝、荒井某は漱石と論争して酒田の漁夫となるとかいって出る。松根東洋城と森巻吉来る。(「森巻吉日記」)」(荒正人、前掲書)



4月3日

第2回上毛同志会。栃木県佐野町(現、佐野市)相生町大雲寺。出獄直後の大杉栄・山川均・守田有秋・佐藤悟出席。田中正造翁も出席。

大杉は「フランス革命の教訓」を講演し、「仏国ナボンヌに於ける同盟罷業及軍隊の脱営に就いて」話をする。県立真岡中学校で校友会雑誌に社会主義的な論文を書いた生徒を退学させた件で、文部省への抗議文を採択。

その後、佐野町から群馬県邑樂郡高島村(現、邑樂町)の築比地仲助の家まで12キロの道を革命歌を歌いながら歩き、東京組4人は築比地宅に泊る。築比地は、大杉のことを「マンノド(満のど)ニスト」と呼んでいた。

翌4日、大杉栄、築比地の案内で高島村内の機械工女の実態視察にでかける。帰途、佐藤悟を楽長として「ゼイゼイ節」を歌って築比地宅に帰る。

大杉栄・山川均と連名で石川三四郎に葉書を出す。

4月3日

大隈重信、東西文明の調和を目的として大日本文明協会を設立。

10月1日、日本文明協会叢書第1期「欧米人の日本観」3冊などを刊行。

4月3日

武者小路実篤『荒野』。

4月4日

ベトナム、反仏運動活発化。

4月4日

ルネ・ジャネル、ルーアンの洞窟で有史以前の壁画の発見を発表。

4月5日

午前7時過ぎ、啄木(22)、2日間を酒田川丸船で過ごしたあと漸く釧路を出発。函館までは船で、小樽までは列車で移動。

啄木は、函館で上京の費用を得るため、再建された函館日日新聞(斎藤大硯の経営)で働こうとした。

彼は7日上陸後、東浜町の斎藤の家を訪れたが、留守中で面会できなかった。その日は岩崎白鯨の家に泊る。

翌8日、二人で旭町の宮崎郁雨の家を訪ね、夜は東小学校の宿直室で吉野白村を中心に、4人で祝盃をあげた。

その夜は郁雨の家に泊ることになり、啄木は、思わず自分の宿望を郁雨に伝えた。しかし、家族のことや上京の費用のことを考えると、早急に上京はできないので、函館で半年なり1年なり何かやって、旅費だけでも拵えてから東京に行きたいと思っているという風に話した。郁雨は、啄木の創作生活に対する烈しい熱情を知って心から同情し、彼の天才を生かすためにも、彼を一日も早く上京させようと心中深く決する所があった。

翌朝郁雨は父母の同意を得て、自分が家族の面倒をみるからと、啄木に早期の上京を促がす。郁雨に15円借金。小樽へ7円送って貰う。


「十時起床。湯に行つて来て、東京行の話が纏まる。自分は、初め東京行を相談しようと思つて函館へ来た。来て、そして云ひ出しかねて居た。今朝、それが却つて郁雨君の口から持出されたので、異議のあらう訳が無い。家族を函館へ置いて郁雨兄に頼んで、二三ケ月の間、自分は独身のつもりで都門に創作生活の基礎を築かうと云ふのだ。」(啄木日記4月9日)


「宮崎君宅で昼食。宮崎君も善い人である。父上も善い人である。母上も善い人である。姉なる人も善い人である。何故なれば斯う善い人許り揃ってるであらう。」(啄木日記4月10日)

4月5日

大杉栄、高島村での講演会に登壇。各国の礼を示しながら農民運動のあり方を講演。参加者70~80名。

「出獄広告(山川均、大杉栄、堺利彦)(「無題(本日無事出獄す)」)」(3月26日付)が『日本平民新聞』に掲載

6日、大杉栄、麹町区飯田町の劉師培・何震夫妻宅で在日中国人アナキストを対象としたエスペラント講習会を始め、開講の辞を述べる(毎週月、水、金の午後4時から5時半、5時半~6時半の2班に分かれて行われる)。劉・何夫妻のほか蘇曼殊、景梅九ら20名が参加。

7日、大杉栄、エスペラント雑誌「Internacia Socia Revno」に手紙(「Letero de Japanlando(Majo 1908)〈日本からの手紙〉」)を書く。

4月5日

指揮者カラヤン、誕生。

4月5日

ヘンリ・H・アスキス、健康上の理由で辞任したキャンベル・バナマンの後、首相に就任。自由党内閣成立。

4月6日

(漱石)

「四月六日(月)、鏡は、小宮豊隆が四月一日(水)から風邪で寝ているので、筆に乙女椿・蜜柑・林檎を持たせて見舞にやる。筆夕食を一緒に食べて帰る。『坑夫』連載終る。」(荒正人、前掲書)


4月6日

独、帝国結社法制定。

4月7日

島崎藤村「春」(「東京朝日」)、~8月18日、10月刊行。


「・・・・・。「春」今日結了。最後の五、六行は名文に候。作者は知らぬ事ながら小生一人が感心致候。序を以て大兄へ御通知に及び候。あの五、六行が百三十五回にひろがったら大したものなるべくと藤村先生のために惜しみ候。

(略)」(漱石の8月19日付虚子宛手紙)


4月7日

水野年方(43)、没。日本画家。

4月8日

株萍鉄道、国有化。

4月8日

逓信省、無線電報規制を公布。船舶の施設無線電信への対策。

4月8日

(漱石)

「(四月八日(水)、午後十時頃から雪降る。桜花満開時で驚く。魯迅、仲間四人と共に本郷区西片町二十番地ろノ七号(現・文京区西片一丁目十二、十三番) に住む。)


魯迅の友人の許壽裳が探したものである。五人で住んでいたので、門灯に 「伍舎」と書く。魯迅は、漱石の『虞美人草』を愛読し、漱石の旧居に住むことを誇りにしていたと云う。魯迅は、階下南側の六畳に住む。当時、民報社に通う。民報社から孫文・炳麟・黄興らが『民報』を刊行し、中国革命を志していた。宮崎滔天の義姉前田卓子も手伝う。宮崎滔天は、『民報』の後援者でもある。魯迅は、この家に明治四十二年一月まで住む。家賃が余りに高かったので、西片町十番地はノ十九号(現・文京区西片一丁目) に移り、同年帰国する。


四月九日(木)、大雪。降り続き四十センチほど積る。樹木の被害多い。電信・電話線障害。夜は停電する。満月だったので、雪月花を一度に楽しむ。(柴田宵曲)

(四月十日(金)、森田草平、牛込区筑土八幡町二十四番地、現・新宿区筑土八幡町二十八番地 植木屋方に下宿する。(高辻亮一法学士(明治生命社員)がもと下宿していた。高辻亮一と、森田草平は第一高等学校の寄宿舎にいた頃から懇意であった))

漱石は、事件後引きとって、森田草平の面倒をみていた。後に『煤煙』の執筆を勧める。春陽堂から出版するように交渉する。その後、東京朝日新聞社と交渉し、掲載されることになる。(夏目伸六)

四月十日(金)頃(推定)(日不詳)、大阪朝日新聞社の鳥居赫雄(素川)から大阪に遊びに来るよう勧められる。

四月十一日(土)、畔柳都太郎(芥舟)の許に行き、帰りに小宮豊隆を見舞う。

四月十二日(日)、雨。外出中、寺田寅彦来る。」(荒正人、前掲書)


つづく

高市早苗、福島原発事故での死者はいないと2013年に発言 → 「怒りを覚えたなら申し訳ない」「趣旨を取り違えて報道された」と往生際悪く渋々撤回 / 「東日本大震災は東北で、あっちの方だったからよかった」と発言してクビになった自民党の今村雅弘(復興大臣) / 「東日本大震災8周年記念式典」と言い間違えた菅義偉官房長官 / 3.11から15年 高市首相の大暴言「原発事故での死亡者はいない」を風化させるな! 追悼式も「行けたら行くわ」福島軽視の冷酷(日刊ゲンダイ) / 福島第一原発事故15年 2051年までの廃炉 実現の見通し立たず(NHK) / <東日本大震災15年>野生キノコから基準値超えセシウム NPO測定「原発事故 終わっていない」 昨年3割、茨城県内でも(東京) / 福島第1原発のデブリ回収、時期見通せず 「51年廃炉」は実現遠く(日経)    

2026年3月10日火曜日

横浜山手 「えの木てい」でアフターヌーンティー 2026-03-10

 3月10日(火)雨のち曇り

今日は寒い一日だった。

東京は雪だったとか。

横浜は、雪はなかったが、正午辺りでも5℃くらい。おまけに、北風ビュービュー。

そんな中で、今日は横浜山手の「えの木てい」でアフターヌーンティー。

1階のカフェはいつも長蛇の列(但し、今日は列はなかったが、、、)、2階の個室はなかなか(というよりも全然)予約がとれないお店。

旧外国人居留地にあり、建物は昭和2年の建築とのこと。

ひとつひとつ気合の入った洋菓子だった。








▼山手本通りに咲いていた花

①不詳 ②おかめ桜か? ③もくれん




がん患者団体 高額療養費制度引き上げに強く反対 / 「ペットボトル1本分の保険料削減効果と引き換えに、高額療養費のセーフティーネット機能を失ってもいいのか?」 衆院予算委員会で、全がん連の天野理事長が訴える(岩永直子) / 高額療養費見直しなどで社会保険料年2200円減 厚労相が見通し(毎日) ← 183円/月の削減と言うべき。「高額療養費見直し」は不要! / 高市政権の医療制度改悪「負担軽減」「機能強化」の詭弁 月額手取り増わずか“ペットボトル1本分”のお粗末実態(日刊ゲンダイ)

イラン攻撃後に馳氏の応援演説 高市首相「不適切だったと思わない」(朝日) / 自民、石川知事選でつまずき 高市首相現地入り、効果表れず(時事) / 応援演説の内容がヒドイ! どこかのオッサン政治家の発言みたい(思考回路がそうなんだろう)

 

大杉栄とその時代年表(774) 1908(明治41)年4月1日~2日 塩原事件の後始末 「(四月初め(推定)(日不詳)、生田長江、平塚家を訪れ、漱石と馬場孤蝶に事件の処理を委ねたと語り、「森田がやったことに対しては、平塚家ならびにど両親に十分謝罪させる。その上で時期をみて、平塚家へ令嬢との結婚を申し込ませる。」(平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』)と伝言する。平塚明子も両親も意外に感じる。)」(荒正人)

 

生田長江

大杉栄とその時代年表(773) 1908(明治41)年3月21日~31日 釧路訣別の辞「〝さらば″ 啄木、釧路に入りて僅かに七旬、誤りて壷中の趣味を解し、觴(*さかずき)を挙げて白眼にして世を望む。陶として独り得たりとなし、絃歌を聴いて天上の楽となす。既にして酔さめて痩躯病を得。枕上苦思を壇にして、人生茫たり、知る所なし焉。 啄木は林中の鳥なり。風に随って樹梢に移る。予はもと一個コスモポリタンの徒、乃ち風に乗じて天涯に去らむとす。白雲一片、自ら其行く所知らず。噫。 予の釧路に入れる時、沍寒骨に徹して然も雪甚だ浅かりき。予の釧路を去らむとする、春温一脈既に袂に入りて然も街上積雪深し。感慨又多少。これを訣別の辞となす。」(啄木日記) より続く

1908(明治41)年

4月

鈴木文治「想海の暗潮」(「新人」)。無政府主義否定

4月

岩野泡鳴「闇の盃盤」(「日高有倫堂」)

4月

漱石(41)、「創作家の態度」(「ホトトギス」)

4月

(漱石)

「四月(推定) (日不詳)、平塚光沢(つや)、夫平塚定二郎の意を受けて訪ねて来る。漱石は森田草平の事件を小説として発表することに対し、強いて許可を求め、平塚光沢の説得に努める。」(荒正人、前掲書)

4月

ロシアの文人ジャーナリスト、ネミロービッチ・ダンチェンコ(「ルスコエ・スローボ」主筆兼出資者)、来日。相手をした二葉亭四迷(東京朝日の接待役)にペテルブルク来遊をすすめ、東京朝日の池辺三山や村山龍平(社長)の賛成するところとなる。


「東京朝日の池辺三山は、それまで二葉亭が露文に通じていることは聞き知っていたが、実際にダンチェンコに接しているところを見て大いに感心した。話しかたは流暢というのではないが「何となくあやがあって」「いかにも対手に共鳴を起させる風が」あると思った。

あるとき観世舞台にダンチェンコを招いた。能は外国人には難しかろうが 『夜討曾我』ならましかも知れない、と二葉亭が選んだのである。池辺三山が客席に行くと、ダンチェンコは露文の原稿を十枚あまり手に持って、絶えず能と見較べている。そして時々そこに書き入れている。三山は二葉亭にその原稿はなにか、と質(ただ)してみた。

「あれはどうしたのだ、ときくと、いや、実は能ばかり見せてもダンチェンコがよく解るまいと思って、昨夜殆ど夜通しで『夜討曾我』を訳して見た。其為に今日は何だか頭がボンヤリして居るという話、今日の普通の散文ならば兎に角、能を一夜に訳了したときいで私も驚いた」

「『長谷川君、えらい勖(つと)めるね』と言うと『なアに、斯うして生捕って置くのだ。』と言って居た。案の条(ママ)露西亜行の話が持ち上って来た」 (「朝日新聞に於ける長谷川君」池辺三山、「太陽」明治四十二年六月)」(関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』)

ダンチェンコとの繋がりを利用して、朝日新聞社を退社してでもロシアに行きたいと熱望している。

4月

大石誠之助「聖書の一節」(「世界婦人」)


「(前略)私はすべての人類が経済の上に同胞とならねば決して霊魂の同胞となり能はず、すべての兄弟が精神的にも物質的にも相和らぐ時が来ねば、真に神に近づいて之を拝する事が出来ぬと思ひます。是れ則ち、我等が教会に入り神に祈祷を捧ぐるの前、先づ互に恨める兄弟を和らげんとて、社会的革命運動に身を委ぬる所以であります。」


誠之助は18歳のとき大阪で洗礼を受けている(兄余平・酉久、姉陸世も洗礼を受けている)。

この「世界婦人」に掲載した「聖書の一節」では、山上の垂訓「汝、若し供物を携へて祭壇に行きたる時、其処にて兄弟に恨まるゝ事あるを思い出さば、其供物を壇の前に置き、先づ往きて汝の兄弟と和らぎ、然る後来りて汝の供物を献げよ」の一節を読んで、「甚(いた)く我が平素の信念を強めた」という。

4月

借地権保護協会、設立。演説会を開いて借地人の権利を訴え、借地人大会を催し、借地権保護の立法化を図る

日露戦争後、地価高騰・地代引上げ・「地震売買」が横行。「地震売買」とは、地主が借地人の了解を得ないまま土地を売却し、それを理由に借地人に土地の明け渡しを迫り、「一卜動揺」で「地上のあらゆる建物を震い落とす」行為である(「東京毎日新聞」3月24日)。借地人たる旦那衆は、弁護士の力を借りながら行動を起こす。議会に「借地人の権利保護の請願」を出し、この月に借地権保護協会を組織。

4月

7世市川団蔵、歌舞伎座に出演。『加羅先代萩』仁木弾正を演じ、大当たり。

4月

大杉栄、『万物の同根一族』(ハワード・ムーア、有楽社)の「第六篇はしがき」を執筆

4月

東洋製紙淀川工場、開業。

4月

日本天文学会発足。4月、『天文月報』創刊。

4月

富士製紙加島工場、開業。

4月

有馬四郎助、横浜家庭学園を設立。女子感化院の初め。

4月

バルト海・北海会議、開催。沿岸各国が現状維持を確認。

4月

(漱石)

「(四月初め(推定)(日不詳)、生田長江、平塚家を訪れ、漱石と馬場孤蝶に事件の処理を委ねたと語り、「森田がやったことに対しては、平塚家ならびにど両親に十分謝罪させる。その上で時期をみて、平塚家へ令嬢との結婚を申し込ませる。」(平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』)と伝言する。平塚明子も両親も意外に感じる。)」(荒正人、前掲書)


4月上旬

警視庁の老車夫鑑札取上げに反対する東京老車夫救済会結成。

4月1日

滬寧鉄道開通。

4月1日

山形県鶴岡、藩校致道館跡に朝暘第1尋常小学校が創立

4月1日

官立の第八高等学校(名古屋大学の前身の1つ)、鹿児島高等農林学校(鹿児島大学の前身の1つ)、奈良女子高等師範学校(奈良女子大学の前身)を新設。奈良女子高等師範学校の新設に伴い、女子高等師範学校を東京女子高等師範学校と改称。

4月1日

農商務省、農会による農事統計に、耕地所有規模別、高知経営規模別の農家戸数を加えるべき旨公布。

4月2日

啄木、東京での文学活動をめざして釧路を去る。

啄木は、釧路を去る決心をして、小奴へこのことを知らせ、釧路新聞日景主筆へは、家族に関する用件でしばらく函館へ旅行すると書き送る。そして、あらかじめ準備してあった手廻り品を古カバンに詰め、簡単な旅装を整えた。

午後4時少し前、啄木の手紙を読んだ小奴が、文学的成功を祈り、別れを悲しむという便りと餞別金5円を使の者に持たせてよこした。彼は下宿の主婦にはしばらく函館へ行って来ると挨拶して、友人の横山、高橋の両人に見送られて安田廻漕店に行く。2等切符を買い、そば屋で会食して波止場へ来てみると、積荷の都合で、船の出帆は翌3日午前10時に延期されていた。仕方なく、二人に別れて旅館に投宿し3日10時半酒田川丸に乗船した。船は349tの汚ない船で、2等の船客は一人という無聊さで、しかも出帆は更に2日間延期され、啄木は2日間を酒田川丸の船室で過すことになる。

啄木は釧路を去るに当っては、家族に関する要件で函館に赴くと主筆に通知しているので、「釧路新聞」編集日誌でもそのように扱われていた。

○編輯日誌(3月27日)

「啄木子猶起たずと云ふ」

○編輯日誌(28日)

「啄木子今日も亦出社せず、病未だ癒えざる可し」

○編輯日誌(4月1日)

「啄木子猶起たず」

○編輯日誌(6日)

「啄木子酒田川丸にて二日湾内に籠込められ七日の帰りが七日に着函との報あり」

4月2日

国語調査委員会編、『仮名遣仮名字体沿革史料』。

4月2日

癌研究会、東京帝国大学医科大学で発会式。青山胤通、北里柴三郎、長与又郎、志賀潔らの発企。


つづく

高市暴走内閣 → 小泉大臣、自治体から苦言も出た駐屯地へのミサイル搬入で「公表できないものであったことをご理解いただきたい」(TBS) / 長射程ミサイル抜き打ち「搬入」 事前通知の約束果たされず、怒る住民に政府は「配備じゃないので対象外」と(東京) / 長射程ミサイルめぐり「何の連絡もなく大変残念」熊本県知事 (熊本ニュース KAB ONLINE) / 木原稔官房長官「報道については承知している。答えは差し控える」 / 知事『報道で知った』長射程ミサイル“発射装置”搬入に困惑の声(報ステ)

「GPTやめる」軍事利用でOpenAIに逆風 幹部離脱、アプリ削除4倍(日経); 人工知能(AI)の軍事利用について米国防総省と結んだ契約を巡り、米オープンAIに逆風が強まっている。同社のロボット部門の幹部が反発して退社し、社内には亀裂が生まれた。「QuitGPT(GPTをやめる)」と称する抗議活動が盛り上がり、3月上旬に一時アプリの削除数が前週比4倍に急増した。 / OpenAIロボ責任者、米国防総省契約に反発し辞任 ; カリノウスキー氏は、OpenAIが米国防総省と結んだAIモデル展開契約に対し、アメリカ人監視と自律兵器の懸念を理由に7日、Xで辞任を発表した。彼女は「司法監督なしの監視と人間の承認なしの致死性は一線を超える」と述べ、ガードレール未定義の急ぎ過ぎを批判。OpenAIは国内監視や自律兵器を禁止するポリシーを強調し、CEOのサム・アルトマン氏はプロセスを「雑だった」と認め修正を進めているが、業界では人材流出の懸念が高まっている。

 

カリノウスキー氏は、OpenAIが米国防総省と結んだAIモデル展開契約に対し、アメリカ人監視と自律兵器の懸念を理由に7日、Xで辞任を発表した。
彼女は「司法監督なしの監視と人間の承認なしの致死性は一線を超える」と述べ、ガードレール未定義の急ぎ過ぎを批判。
OpenAIは国内監視や自律兵器を禁止するポリシーを強調し、CEOのサム・アルトマン氏はプロセスを「雑だった」と認め修正を進めているが、業界では人材流出の懸念が高まっている。

 

2026年3月9日月曜日

タイム誌の報道:「アメリカによるイランの複数の燃料貯蔵施設への空爆により、テヘラン上空に大量の有毒炭化水素化合物、硫黄、窒素酸化物が放出されたとイランの赤新月社が警告」 この有毒な黒い雨雲が、今後北東方向へ移動し、中央アジアを経て中国西部へと向かう見込みとも。

 

木原官房長官、片山財務大臣、城内経済財政大臣がWBC現地観戦のため予算委員会を欠席 ; 木原官房長官、片山財務大臣、城内経済財政大臣がWBCの現地観戦に参加した。中道改革連合の小川淳也代表が国会でこれらの閣僚にWBC観戦の有無を挙手で確認した。閣僚3人は挙手した。 / 小川淳也 『財務大臣にも一言申し上げます なぜ自ら不在の予算審議を許すんですか』 『秩序が崩れつつあるんですよ 国際社会も国会も同じだ 力が全てですか 必要なのは原則でしょう』 / 「目に余るんですよ、委員長」中道・小川代表の非難連発に「そうだ!」の合唱…与党の遅刻・欠席・ゆるみを指摘(ABEMA TIMES)     

 

 

木原官房長官、片山財務大臣、城内経済財政大臣がWBCの現地観戦に参加した。
中道改革連合の小川淳也代表が国会でこれらの閣僚にWBC観戦の有無を挙手で確認した。
閣僚3人は挙手した。

 

中国の太陽光発電による発電電力量が、日本の総発電電力量を上回った。さらに言うと、中国の風力と太陽光は日本の総発電電力量の2倍以上を発電している。投入エネルギーで言うと、その2倍以上の化石燃料消費を削減している。

首相の国会答弁、4割超減 - 衆院選圧勝で自民が主導権(共同) / 委員長が別の大臣を指名したり、首相を庇うように呼ばれもしない大臣が答弁に立つことはこれまでにもあった。 高市氏が特異なのは、 ①「働いて働いて…」と言いながら他大臣に答弁を任せ ②そもそも出席回数を大幅に減らし ③いざ指名されると質問を聞いていなかった 国会をなんだと思っているのか。(山添拓) / 朝日新聞編集委員の高橋純子さん 「野党が反発と言いますけれども、これは野党が反発ではなくて、与党が憲政史上最悪のことをやっている、暴走しているというふうに言って差し支えないと思います。 高市さんは何か大いなる勘違いをされていると思うんですけれども、選挙で確かに自民党は圧勝しました。 でもそれは私たちが、有権者が白紙委任状を渡したわけでもなんでもないわけですね。 国権の最高機関である国会を軽視する、そこでの答弁を忌避する人は、政治家にも、ましてや首相にもなるべきではないと私は思います。」 / 国会は政府の下請け機関ではない 予算委員長の振る舞いは議会人として恥ずべき行為 / 予算審議で坂本委員長が3日連続の職権 野党結束「民主政治の破壊」 / 自民が予算委で“高市封印シフト” 首相が答弁から逃げ回るトンデモ事態にSNSで批判殺到