2009年5月21日木曜日

鎌倉 妙本寺 比企能員一族の墓 竹御前の墓 一幡・若狭局関連遺蹟

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本覚寺を通り抜けると夷堂橋がある。
(若宮大路を南へ、郵便局角を左折、直進すると本覚寺)
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橋を渡ると正面に総門が見える。
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総門と総門脇の比企能員屋敷跡の碑
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総門を抜けると、右側に幼稚園がありその先に、二天門に至る参道(昨日紹介済み)が続く。
参道入口左側に方丈門がある。
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二天門脇の石碑
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祖師堂
祖師堂右側に海棠があります。これを眺めながら中原中也と、彼の愛人を奪った「口惜しき男」小林秀雄が和解したという。
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一幡之君袖塚。
焼け落ちた比企館から一幡が脱出用に着ていた小袖の切れ端が見付かったという。これを祀ったもの。
但し、「愚管抄」では、一幡は義時に預けられ、頼家暗殺直前に義時に殺害されたとする。
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竹御前の墓への入口にある石碑と墓(石碑左側の階段を上がる)。
竹御前は、義仲の子、能員の子などの説があるそうですが、「吾妻鏡」では、14歳で実朝夫人の猶子となり、源家の血筋を継ぐ女子として大いに期待されたそうです。
将軍家の神事・仏事を管掌し、北条政子の49日仏事を主宰。
28歳で13歳の頼経(4代将軍)と結婚。その4年後に没する。
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蛇苦止堂。
若狭局は池に身を投じたといい、その場所に祠を建てて祀る。
(参道入口で左折し突き当りにある)
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妙本寺

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