2009年10月24日土曜日

東京 江戸城(6) 田安門 九段界隈 九段坂 中坂 冬青木坂 斎藤弥九郎道場跡 硯友社跡 滝沢馬琴の井戸

江戸城6回目は、江戸城北の端(北の丸の北側)にある田安門をくぐり、その前の九段辺りを徘徊します。
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田安門(重要文化財)
現存する江戸城城門の最古のもの。
下の写真は、内側の武道館側から外へ出る方向
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出た所で振り返ったところ
城壁そばには武道館コンサート待ちの列が。
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出たところ左側の千鳥ヶ淵
日本有数の桜の名所
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反対側は牛ヶ淵
昔、九段坂が細くて急な坂だった頃、
牛が引く荷車がたくさん落下したことからこの名が付いたと云う。
牛ヶ淵、千鳥ヶ淵ともに、
城壁は大半が自然の地形(土手)をそのまま生かし、
上部に僅かの石垣が築かれる形式。
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常灯明台
明治初年に造られた慰霊塔
靖国神社入口にあったものを移設
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大山巌像
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品川弥二郎像(ナンデ?)
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九段坂
余りに急坂のため、道に九つの段を設けて
沿道に屋敷を建てられるようにしたことから
この名が付いたと云う。
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歩道橋から九段坂を見る
渡ったところが靖国神社
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靖国神社にある大村益次郎像
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新道無念流斎藤弥九郎道場跡
高杉晋作、桂小五郎の世界です
場所は靖国神社本殿脇
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尚、神田お玉が池の千葉周作道場はコチラ
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九段坂より一つ内側にある中坂
昔はこちらがメインの道路であったそうだ
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硯友社跡
中坂上
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明治18年(1885)、尾崎紅葉は山田美妙らと共に日本初の文学結社硯友社を設立、
機関誌として日本初の純文芸雑誌「我楽多文庫」を発刊。
明治21年(1888)、東京帝国大学学生の紅葉は中坂上に引っ越し、
硯友社の事務所を住居とした。
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滝沢馬琴の井戸
中坂下
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中坂より更に一本奥にある冬青木(モチノキ)坂
この向いはフィリピン大使公邸
(もとの安田岩次郎邸、昭和10年築)
取り壊し計画があるという
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「九段」の纏め
東京にはこういう説明板がたくさん有り有難い
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大石学「坂の町・江戸東京を歩く」(PHP新書)より
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九段坂
『御府内備考』飯田坂の項に「今九段坂ともいへり。近き頃まで家居九段に作りなせしゆへなり。今はそれも名のみなり。むかし飯田喜兵衛が任し所なり」とある。古くは飯田坂と称していたが、坂に沿って九段の家並を設けたことから九段坂と名づけられたという。
九段の家並については、『麹町区史』に、宝永6年(1709)の将軍代替わりの頃、この坂に沿って九段の長屋を作り、御花畑路地方の役人を住まわせたとある。
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九段坂は険難な坂として知られていた。坂自体の急峻さもあるが、坂の南側に広がる深い堀(牛ヶ淵)との相乗効果のためである。その堀の由来は、「昔此處へ銭積たる牛車落て、その牛死せしよりの名といふ」(『江戸名勝志』)とある。
中坂下に住んでいた滝沢馬琴は、その著『燕石雑志』に「午淵は車牛の墜たれば名とすといふ。さる故にや。今も九段坂は車をひく事を禁ぜらる」と、この随筆を執筆した文化年間(1804~18)当時も、危険なため車の類を通行禁止にしていたと記す。
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「★東京インデックス」をご参照下さい
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坂の町・江戸東京を歩く (PHP新書)
坂の町・江戸東京を歩く (PHP新書)

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