2009年12月12日土曜日

大正8年(1919)2月 朝鮮独立運動(日本、上海、朝鮮国内)活発化 神田で「2・8独立宣言」 与謝野晶子、普選運動に参画  ワイマール連合連立内閣成立 シベリアの日本軍の苦戦 建設者同盟結成 

神田歩きで韓国YMCA(旧在日本朝鮮基督教会館)のある「朝鮮独立記念碑」を訪れた。
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今回は、これらの活動があった大正8年(1919)2月の年表を繰ってみた。
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まず、この年、朝鮮では・・・
労働者のストライキが102件起り、参加者は1万1千。
労働者人口は約5万なので、5人に1人がこのストライキに参加した事になる。この年以前のストライキが年間4~5件。
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日本の状況は・・・。
・大戦後の狂乱景気、物価暴騰、生活難、労働争議、組合結成
この年の労働争議は2,388件、参加人員33万5、225人(第2次大戦前では群を抜く)。
内、ストライキ入りは497件6万3,137人。要求額は、上半期平均は3割弱、下半期は5割。
サラリーマンの増俸運動も100件を越え、ストライキは約10回。内訳は、学校教員22、官公吏43、会社負16などで、他に活動弁士・看護婦・産婆・俳優・神聯・力士など。官公吏には税務官吏・巡査もある。
労働者などの団結も進み、大正7年末に107だった労働組合は、8年末には187に激増。
労働組合の中からは、賃上げ要求だけでなく、労働者としての権利を政府に承認させ、専制政治に修正を加えようとする動きがおこる。
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3~4月頃、不況は底をつき、大戦中を上まわる熱狂的な戦後景気がおとずれる。
ヨーロッパの交戦諸国の消耗が予想以上に甚だしく、復興の為の物資需要が増大、アメリカの好況も続き、輸出も増加。
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7月、アメリカの金輪出解禁で戦時中に海外に蓄積された金の流入も予想される。
大正4~7年、日本は貿易収支で14億円、貿易外収支で14億円、計28億円の黒字。大戦前3億4千万円の保有正貨は、大正8年には20億円に増加。
戦時中は機械類輸入の困難から手控えていた生産設備の更新拡張も始まり、企業熱の中心は、戦時中の造船・機械・化学工業から電力・紡績・銀行・雑工業などに移り、大戦中の規模をはるに越える。原内閣の積極予算も景気を刺激。
日本も金輸出を解禁し、物価引下げを図れとの主張があるが、高橋蔵相は退ける。大戦景気に味をしめた人々は投機に狂奔し、投機は生糸・綿糸などの商品から株式・企業・土地に及ぶ。
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朝鮮独立運動に関しては・・・
1月からのパリ講和会議目指し、アメリカ在住朝鮮人団体上海の新韓青年党(呂運亨・金奎植)などは、朝鮮の民族自決を訴えるために代表派遣工作を進める。
国内では、前年末~この月、天道教やキリスト教団体を中心として海外亡命者と連絡しながら、民族自決の意思を国際的に表明するための運動計画を秘密裡に進める。
東京でも、前年末~この月、留学生団体である学友会の会長崔八鏞らが中心になって秘密会議を繰り返し、李光洙を上海に、来継白を国内にそれぞれ派遣して、東京留学生たちの決起計画を伝え、それへの呼応を訴える。
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この年1月は、
4日には、ドイツ共産党スパルタクス団蜂起
5日には、松井須磨子(33)の自殺。この日は、愛人島村抱月の命日。
18日から、パリ(ヴェルサイユ)講和会議開催
20日、・河上肇の個人雑誌「社会問題研究」創刊(~1930年10月)。
などなど、がありますが、今回は2月にフォーカスする為に割愛します。
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2月
・有島武郎「或る女」前編発表。6月、後編。
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・長谷川如是閑・大山郁夫、「我等」創刊。
長谷川如是閑「「大阪朝日」から「我等」へ」(巻頭)。前年7年10月「朝日」退社、大山郁夫ら「東西朝日」退社組30余人が拠り創刊。鳥居素川も支援。
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与謝野晶子、堺利彦から普通選挙運動を中心になって起せとの熱心な訴えの手紙を受取る。
返事を認めこれを公開。「堺枯川様に」(「太陽」)。らいてう、山田わかへの批判も込める。
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「私たち女のなかには、良妻賢母の美名のもとに、男性に寄生することを最上の理想としているひとがいます。一部少数の知識婦人の中にも、母性保護の口実によって、国家が支えてくれる遊民生活を願い、その国庫のお金が、実は自分の夫、他の女の夫の納税によって負担されていることや、そのことが男子に寄生しているということに思い至らない短見者がいます・・・」
「こんなに貧弱な内部生命しかもっていない女たちが満ち満ちているいま、私はとても婦人参政権の主唱者となることはできない。その会員となる資格もそなえていない。私たち夫婦は、十人の子どもをかかえています。夫婦のどちらかが十日も働かなかったら、予どもの命がおびやかされます。大家族を擁して、きりつめた生活をやっと持ちこたえている、これが私たち無産階級の実情です。実際の政治運動は、私にはとてもできません」
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・布施辰治、「普通選挙運動の花の日会」主催。
大阪・名古屋他。与謝野晶子・江木欣々らの支持。「国民幸福の実を結ぶ選挙権の花」と印刷した短冊をつけた胸にとめる赤い薔薇の造花を街頭で販売。
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・帝国公道会主催、第1回同情融和大会。政府各大臣・両院議員など朝野の名士、三好伊平次・岡本弥・松井庄五郎ら部落改善運動家が発起人。
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・アメリカ、シアトルの造船所スト、全市ゼネストに発展。5月、西海岸一帯の沖仲士スト。9月、ボストン電話交換手・警察官ストライキ。12月、ピッツバーグ等で37万製鋼労働者ストライキ。
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・アメリカ、フィラデルフィア、アイルランド系米人、アイルランド民族大会開催。500人、アイルランド民族自決権を米ウィルソン大統領に要請決議。
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2月1日
・上海の新韓青年党、独立運動のため各国への代表派遣決定。金奎植をパリ、張徳秀を日本、金徹・徐丙浩・鮮于爀を朝鮮、呂運亨をロシアに。
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2月2日
・友愛会、労働者学生大演説会を神戸で開催。
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2月2日
・ウクライナ、ディレクトーリア政権、キエフからヴィンニツァに撤退。5日、ソヴィエト軍、キエフ入城。
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2月6日
・ワイマール連合連立内閣
ドイツ、ワイマールに国民議会召集。エーベルト大統領、シャイデマン首相、ワイマール連合(三派連合)連立内閣。社会民主党・カトリック中央党・民主党連合、国防相ノスケ、内相プロイス。
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この月のドイツ
・ベルリンで国際社会主義者大会。
・バイエルンでは労農評議会が権力掌握。
・ルール地方・中部ドイツでは、炭鉱労働者のゼネスト相次ぐ。
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2月8日
・2・8独立宣言
東京朝鮮人留学生600人、神田・基督教青年会館、白寛洙が朝鮮青年独立団の名で独立宣言・民族大会召集請願書を読上げる。
起草李光洙(早大)。60人逮捕。崔八鏞(早大、代表)・白寛洙(正則英語学校)・金尚徳・金度演(慶大)・尹昌錫(青学)・徐椿(東京高師)・李琮根(東洋大)・宋継白(早大、京城との連絡役)ら代表9人は裁判に廻され、4人禁固刑。花井卓蔵・布施辰治支援。李光洙は上海に派遣。
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「一、本団ハ、日韓併合ハ吾族ノ自由意思ニ出デザルノミナラズ・・・東洋ノ平和ヲ撹乱スル原因タルベシトノ理由ニヨリ、独立ヲ主張ス。
二、本団ハ日本議会及ビ政府ニ対シ、朝鮮民族大会ヲ召集シ、其ノ決議ニテ吾族ノ運命ヲ決スベキ機会ヲ与へラレンコトヲ、要求ス。
三、本団ハ、万国平和会譲ニ、民族自決主義ヲ吾族ニモ適用センコトヲ要求スベシ・・・。
四、前項ノ要求拒絶セラル時ハ、吾族ハ日本ニ対シ永遠ノ戦ヲ宣スベシ。此ヨリ生ズル惨禍ハ、吾族其ノ費ニ任ゼズ」
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2月8日
・吉野作造(41)、横浜・開港記念会館で開かれた基督教会連合主催の覚醒運動講演会で「国際連盟論」を講演。
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2月9日
'・大原孫三郎、大原社会問題研究所を大阪市に設立。1920年3月14日、高野岩三郎、所長に就任。
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2月9日
'・普通選挙期成大会開催。
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2月10日
・朝鮮独立運動。朝鮮で天道教の崔麟、キリスト教の二大中心地を独立宣言に同意させる工作を始め成功する。
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2月11日
・シベリア、革命派掃討日本軍(第12師団第14連隊第2大隊第6中隊米谷三雄大尉)、インノケンティエフカ手前のデミヤノフカで敗退。死者3、負傷10、不明1、凍傷26。12日、ザウィタヤ帰還。同日、第5中隊(末松三郎大尉)がザウィタヤを出てインノケンティエフスカに向う。同日、ブラゴウェシチェンスクからは第14連隊第1大隊(堀八郎少佐)がインノケンティエフスカに向う。
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13日、末松隊、インノケンティエフカ村虐殺。14日、第14連隊第2大隊高橋少佐、救援軍を率いインノケンティエフスカに向い、末松隊を指揮下に納め、堀隊との合流点シュミロフカに向う。15日、ロシア側情報により適を認め、高橋隊はイリインスコエ、堀隊はその西のラーザレフカ方面に向う。16日、堀隊はそのままラーザレフカ方面に向い、高橋隊は一旦ザウィタヤに帰還とする。ロシア側の不確定情報に翻弄される。
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17日、堀少佐隊(第14連隊第1大隊第4中隊・第47連隊第2大隊第7中隊計100と騎兵第3中隊の30騎・コサック騎兵50騎)、ラーザレフカよりアンドレーエフカに向い、ここで過激派を攻撃。堀少佐ら戦死14、負傷41。18日、第47連隊第7中隊長岩永清中尉が指揮をとり、18日、ブラゴウェシチェンスクに帰還。
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19日、騎兵第12連隊長宮内熊雄中佐、ハバロフスクの第14連隊第10中隊らを加え「宮内支隊」として出動。ザウィタヤの第14連隊長高橋直武大佐は期間中の高橋虎次少佐の第2大隊に反転を命令。20日、これにブラゴウェシチェンスクの第12旅団長山田四郎少将の出動を加え、「三方挟撃作戦」とする。22日、第12師団(大井中将)から浦塩軍司令部付となっていた第72連隊第3大隊(田中勝輔少佐)第10、11中隊がハバロフスクに到着し、大井中将はこれにエカテリノスラフカ進出を命じる。
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25日、ユフタ事件。第12師団歩兵第72連隊田中支隊(1個大隊規模、1個野砲中隊を随伴)、黒龍江州プリアムールのユフタ付近(スクラムレフスコエ村)で、ソビエト共産党員ドルゴセイエフスキー指揮下のパルチザンの猛攻撃を受け全滅。戦死350人。
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2月11日
・普通選挙促進同盟会全国学生同盟、普通選挙を求め日比谷公園~衆議院(二重橋?)までデモ行進。憲法発布30周年記念。3千人。
大阪では友愛会大阪連合会が街頭演説会・講演会。15、16日、京都・神戸の各連合会、尾崎行雄を迎えて普選期成労働者大会。
名古屋、静岡、高松、鹿児島、仙台、広島などでも集会・演説会が開催され、全国的な規模での運動となる。
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既に関西の友愛会各連合会は、労働組合の公認を要求する運動をおこしている。
公認の為には、少なくとも治安警察法第17条を改正して、同盟罷業の為の誘惑煽動を処罰するという部分を削除する必要があるが、代議士は一向に熱意を示さない。
従って、この要求貫徹の為には、普選を獲得して議会の民主化を図らねばならない。
友愛会の普選運動は、こうした労働者の団結権獲得運動と結びつく。
折から、講和条約に労働組合の自由などの国際労働9原則が織り込まれる事になったのも、大きな刺激となる。
労働組合以外からも、治安警察法を改正して労働組合を公認すべきだとの世論がおこる。
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2月16日
・ハンガリー、土地改革法成立。大土地所有制度解消、土地所有の上限・補償に不満強い。20日、ブダペシュト、大規模な失業者デモ。21日、カーロイ・ミハーイ大統領(44)、共産党指導者50人を逮捕・投獄。カーロイは政治犯と見做し獄中からの指導可能。結果、労働運動激化。
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2月16日
・オーストリア、制憲国民議会選挙。社会党第1党となるが過半数には達せず。
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2月18日
・清水金太郎・田谷力三・藤原義江らの七声歌劇団、浅草・金龍館で第1回公演。
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2月18日
・大山捨松(60)、没。
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2月20日
・朝鮮独立運動。朝鮮でキリスト教各派の独立運動統一。のち、既に計画中の天道教徒の協定成立。
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2月20日
・上海、南北両政府の和平会議、開始(北総代表朱啓鈐、南総代表唐紹儀)。26日、中断。4月9日、再開。5月13日、決裂。
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2月20日
・ポーランド国会、暫定小憲法を採択。
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2月21日
・早稲田大学で北沢新次郎・大山郁夫両教授指導下に高津正道・浅沼稲次郎・和田巌・稲村隆一ら、民人同盟会結成。
この頃、法政で扶信会、一高で社会思想研究会結成。10月18日、民人同盟会から分かれた浅沼稲次郎・平野力三ら、建設者同盟結成。大正11(1922)年10月1日、「建設者」創刊。のち「青年運動」、「無産階級」と改題。
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2月21日
・普選要求演説会。神田基督教青年会館。聴衆5千余。
与謝野晶子メッセージ。
「日本の婦人が、治安警察法によって禁錮状態にある限り、今日のような政治の集会に際し、私は、私の魂のみを、文筆に託して送るほかありません」
「満二十五歳以上の日本人は、男女の別なく、選挙権を有すること、私の要求する普選運動はこれです。禁酒運動や廃娼運動、さまざまの必死の動きは、婦人が参政権を手にしたとき、幾倍かの進歩をみるにちがいない」
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山田わかの普選のとらえ方。
「もしいま、婦人が参政権を得たら、取扱いに困る。ちょうど乞食が馬をもらったようなもの、もっと女の質を向上させた方がいいのではないでしょうか。私は女の職業にも反対です。それは不自然ですから。女性は男と根深い関係をもっている。女だけ切り離したような婦人論は、妥当ではありません」(19日「国民新聞」インタビュー)。
わかは、働く女のために育児の社会化を、「婦人公論」誌上で主張しているが、元来、わかは、母親が仕事を持つことに反対する保守的評論家である。
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2月23日
・朝鮮独立運動。朝鮮で、天道教(崔麟)・キリスト教代表(李昇薫)会談で独立運動協力の合意。24日、仏教徒代表(韓竜雲)、独立運動参加。
21日、文学者崔南善、平安道宣州の李昇薫を訪ね、天道教の崔麟とキリスト教の李昇薫との会談を斡旋する。
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2月23日
・イタリア、「参戦兵士のファッショ」結成。
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2月24日
・日比谷公園、150人が集会。朝鮮青年独立団民族大会召集、促進部趣意書発表。日本軍隊・憲兵撤退要求。
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2月24日
・床次竹二郎鉄道院総裁、貴族院で、狭軌でも改良と鉄道網の整備で輸送力を充実できると言明。
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2月24日
・アメリカ、連邦児童労働法制定。
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2月25日
・ユーゴスラビア、農地改革の勅令発布。
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2月26日
・イギリス、炭鉱国有化を審議するためサンキー委員会設置。
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2月27日
・朝鮮独立運動。この夜、独立宣言書(崔南善起草)、天道教経営の印刷所(普成専門学校内の普成印刷所、寿松洞の普成社印刷所とも)で2万1千枚印刷。
全国各地から上京する天道教・キリスト教・仏教の指導者・信徒に手渡され、また地方へ発送。
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2月28日
・斎洞34番地の金相圭の家で、天道教16・キリスト教14・仏教2名、計32名が独立宣言書に署名(地方のキリスト教徒が遅れて間に合わず33⇒32となる)。
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延禧専門学校生徒金元壁・普成法律商業専門学校生徒康基徳ら中心の学生達も、在日留学生の動きに呼応する運動を計画し、天道教・キリスト教の計画に合流を決める。
この日、代表十数人がソウルの勝洞礼拝堂に集まり、「宣言書」1500枚を分配し、翌日牛後2時の宗教団体の行動にあわせて「大示威運動」を行い、5日にも第2次デモを実施することに決す。
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混乱を避けるため、独立宣言式はパゴダ公園から仁等洞にある明月館の支店・泰和館で行うことに計画変更。
夜のうちに、申翼熙・尹益善・崔昌植は上海へ発つ。
林圭・安世垣は、日本政府に独立宣言文・決議文を伝達するため日本へ向かう。
金智煥は、上海・満州の愛国志士たちに国内の消息を伝えるため安東に渡る。
呂運亨は新韓青年党の独立運動計画を知らせる為に、シベリアとウラジオストクを回って満州地方に来ている。
金奎植は既にパリへ発ち、申圭植は上海で、国内・日本に派遣した趙素昂・張徳秀の情報に頼り別の決起を構想。
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2月28日
・神田・基督教青年会館、独立運動協議中の学生50人検挙。
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かくて、「三・一独立運動」と呼ばれる朝鮮独立の大運動の準備は整う。そして、大弾圧と・・・。
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