2010年11月6日土曜日

萩原朔太郎の「祝賀」の詩「南京陥落の日に」創作の背景

以前に、萩原朔太郎の南京陥落「祝賀」の詩「南京陥落の日に」をご紹介しました(コチラ)
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11月6日付け「朝日新聞」朝刊にこの詩の創作時の背景について、少し触れた記事がありましたのでメモしておきます。

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(記事の概要:引用文には段落を施す)

今月16日で101歳になる詩人まど・みちおさんの「戦争詩」が新たに見付かった。
まどさんは、かつて詩集で自分の戦争(協力)詩を公表し謝罪している。
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戦時下に戦意高揚のための作品を書いた詩人の大半は、何も語らず世をさっている。
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「戦時中は三好達治や高村光太郎ら大半の詩人が戦争詩を書いた。

メディアの責任もある。
萩原朔太郎は「南京陥落の日に」を、朝日新聞の記者から<強制的にたのまれ、気が弱くて断り切れず>(円山薫あて書簡>一晩で書いた。
こんな無良心の仕事をしたのは、僕としては生まれて初めての事>だったという。
戦争詩を書いた詩人のほとんどは戦後、作品を闇に葬り、口を閉ざした。
書いた経緯を明らかにした詩人は高村光太郎や小野十三郎、伊藤信吉らわずかで、まどさんほど強く自己批判した詩人はいない。」
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意気のあがらぬ戦争詩の背景がこれで分かった。

あの侵略戦争の結末を知っている我々からすれば、朔太郎の意気の上がらぬこの戦争詩は、まるで厭戦詩のように見える。
少なくとも、それは厭作詩ではあったわけだ。
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「★南京戦インデックス」をご参照下さい。
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