2012年2月4日土曜日

昭和17年(1942)2月3日 「豆まきといヘど豆なき家の内 福は來らず鬼は追はれず。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 江戸城(皇居)東御苑二の丸雑木林(2012-02-02)
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昭和17年(1942)
2月1日
二月初一。朝來雪降りしきりて終日歇まず。
わかゝりし頃唖々子と相携へ午後向烏の堤を歩み長命寺門前の休茶屋に憩ふに、三十あまりとも見ゆるおかみさん雪見の客と見て手早く酒の肴をつくり炬燵に火まで入れてくれし如才なさ。日の暮れて後八時頃まで浅酌微吟し俳譜の一巻つくりしことありけり。
何事もわかき時ぞかし。
今日は外に出る事もかなはざれは終日蓐中に在りて小説の草稿をつくりぬ 日曜日
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2月2日
二月初二。雪やみしが晝の中は空晴れず、折々小雨降り來れり。
昏黒銀座にて物買ひ金兵衛に至りで夕餉を食す。歸途月おぼろなり。金兵衛にて歌川氏より羊羹を貰ふ。
甘き物くれる人ほどありかだきはなし。過る日には熱海大洋旅館の主人よりコゝアと砂糖を貰ひぬ。このよろこびも長く忘れまじ。
あじきなき浮世の風の吹く宵は
人のなさけにしぼる袖かな
〔欄外墨書〕夕凪と人のめくみの肌さむく身にしむ秋ぞ悲しかりける
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2月3日
・二月初三。晴後に陰。昏暮銀座の亀屋にて物買ふ時偶然籾山梓月子に逢ふ。互に久闊を陳べ共に銀座食堂に入りて夕飯を喫す。舊友既に大半黄土に歸するの時子の健在なるは實に喜ぶべきなり。新橋にて別れ家にかへる。
途中微雨。忽にして歇む。再び雪となるにや。この夜節分なりといヘどまくべき豆なければ鬼は外には行まじ。
豆まきといヘど豆なき家の内
福は來らず鬼は追はれず
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2月4日
二月初四。立春くもりて月おぼろなり。
オペラ館踊子の部屋に行く。この近くにて汁粉を賣るところ千束町昭和座の裏林家、国際劇場筋向の珈琲店、田島町角千鳥なりなど言ひで踊子供幕間の雑談、甘い物ほしいといふ事ばかりなり。打出しは九時なり。
地下鐡にて新橋に至り金兵衛に夕飯を喫す。近日市中飲食店の検挙行はるぺしとの風説あり。金兵衛にては萬一の事を気遣ひ馴染の客の外は一切料理酒を賣ることをさしひかへ居れりと言ふ。
この夜おかみさんより醤油また二三合貰ひ空壜に入れ携へかへる。
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一片の戦争報道、戦勝報道も記載されていないところに荷風の意思が示されている。


2月3日、「福は來らず」と書いているが、何故か日付けの前に「・(ポチ)」がついている。
多分「福」は来たのだ。
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