2012年8月14日火曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(26) 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その6)

東京 北の丸公園 2012-08-04
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(26)
 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その6)

恐怖の科学
ホンジュラスにおける拷問・暗殺とCIA
一九八八年、『ニューヨーク・タイムズ』紙はホンジュラスにおける拷問と暗殺にアメリカ政府が関与していたとするスクープ記事を掲載した。
記事のなかでホンジュラスの悪名高い死の部隊「バタリオン3-16」の尋問官フロレンシオ・カパジェロは、彼を含む二五人の隊員がテキサス州に赴き、CIAの訓練を受けたと語っている。「心理的方法をいろいろ伝授してもらった。捕虜が何を怖がり、どんな弱点があるかを学んだ。ずっと立たせておく、眠らせない、裸にして隔離する、ネズミやゴキブリを独房の中に入れる、ひどい食べ物を食べさせる、動物の死体を食事に出す、冷水を浴びせる、室温を上げたり下げたりする、など」。
彼が口にしなかった方法がひとつだけある - 電気ショックだ。

カパジェロや他の隊員に「尋問」を受けた二四歳の女性捕虜イネス・ムリージョは同紙に対し、何度も電気ショックを与えられたため「悲鳴を上げ、倒れてしまいました。悲鳴を上げるしかなかった」と語る。「煙の臭いがして、自分が電気ショックで焼け焦げたことがわかった。気が狂うまで拷問を続けると言われました。・・・(略)・・・」。
ムリージョはまた、同じ部屋にもう一人男がいたと話す。それは「ミスター・マイク」と皆から呼ばれるアメリカ人で、尋問官に質問を教えていたという。

「クバーク対諜報尋問」と題する小冊子(ヘップとキャメロンの実験の成果)
この記事がきっかけとなって上院の情報特別委員会の公聴会が開かれ、リチャード・ストルツCIA副長官はそこで、「カパジェロはたしかにCIAの人的資源活用・尋問コースに参加した」と証言している。
『ボルティモア・サン』紙は情報公開法に基づき、カパジェロのような人々を訓練した際に用いられた教材の開示を求めた。CIAは長年にわたり請求に応じなかったが、訴訟も辞さないとの同紙の強い姿勢についに屈し、最初の記事が掲載されてから九年後に「クバーク対諜報尋問」と題する小冊子を提出した。
このタイトルは暗号で、Kubarkとは『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、「KUはランダムな二文字、BARKは当時のCIAが自らを指すときに用いた暗号名」だという。もっと最近では、kuは「国または特定の秘密活動」を指すのではないかとの推測もある。
一二八ページのこの小冊子は「抵抗する情報源に対する尋問」に関する秘密マニュアルで、その大部分は(MKウルトラ)が委託した研究に基づいており、全編にユーイン・キャメロンとドナルド・ヘップの行なった実験の痕跡か見て取れる
尋問の方法は感覚遮断から「ストレス姿勢」、頭巾をかぶせることから苦痛を与えることまで多岐にわたる(このマニュアルは初めのほうでこれらの方法の多くが違法であることを認めており、尋問宮は「①身体的危害を加える、②医学的、化学的、あるいは電気的方法や物質を服従を誘導するために用いる、のいずれかに該当する場合には(中略)事前に本部の承認」を得るよう指示している)。

こうしたテクニックを正しく使えば、拘束者は精神的な打撃を受け「抵抗する能力が破壊される」
このマニュアルの発行年は一九六三年で、これは(MKウルトラ)プロジェクトの最終年、CIAの資金によるキャメロンの実験が終了してから二年後にあたる。こうしたテクニックを正しく使えば、拘束者は精神的な打撃を受け「抵抗する能力が破壊される」と、この小冊子は主張する。これこそが、(MKウルトラ)プロジェクトの真の目的だった。すなわち、洗脳の研究ではなく(これは単なるサイドプロジェクトだった)、「抵抗する情報源」から情報を引き出すための科学的根拠のあるシステムを開発すること、言い換えれば拷問である。

マニュアルの最初のページには、「専門家による科学的調査など、広範な研究」に基づく尋問方法について以下に述べると書かれている。それは、スペインの異端審問〔一五~一七世紀にユダヤ教徒とイスラム教徒を対象に行なわれた迫害〕以来、標準とされてきた残酷でいい加減な拷問ではなく、正確で高度に洗練された拷問の新時代の到来を告げるものだった。

序文にあたる文章にはこうある。「問題に適切かつ近代的な知識をもって対処することができる情報機関は、一八世紀と変わらないやり方で秘密事業を実施する情報機関に比べて大きな利点を持つ。(中略)過去一〇年間に行なわれた心理学的研究に言及せずして、尋問について有意義な議論を行なうのはもはや不可能である」。
そしてこのあとに、情報源の人間性を解体するためのハウツーガイドが続く。

このマニュアルには感覚遮断に関する長いセクションがあり、「マギル大学で行なわれた数々の実験」に言及している。ここには隔離室をどのように造るかについての説明に加え、次のような記述がある。
「刺激の剥奪によって被験者の精神から外界との接触が失われ、これにより退行が引き起こされる。同時に、尋問の最中に計画的に刺激を与えることによって、退行した被験者は尋問官を父親のような存在とみなすようになる傾向がある」。
さらに、同じく情報公開法に基づく請求によって公開されたこのマニュアルの改訂版(ラテンアメリカでの使用向けに一九八三年に発行)には、こう書かれている。「窓は壁の高いところに設置し、光を遮断できるようにしておくことが望ましい」
*一九八三年に出たこの改訂版は、明らかに教科書として使われることを目的としており、小テストや親切な注意書きも付いている(毎回電池は新しいものに取り替えること、など)

(つづく)

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