2023年7月20日木曜日

〈100年前の世界007〉大正12(1923)年2月 高橋新吉「ダダイスト新吉の詩」 山川均「当面の問題としての労働党」 西日本普選大連合結成 有島武郎と波多野秋子の恋愛感情が決定的となる 長谷川利行(32)《田端変電所》第4回新光洋画会第1回作品公募入選

 

長谷川利行《田端変電所》(1923年)

〈100年前の世界006〉大正12(1923)年1月26日~31日 ヨッフェ・孫文共同宣言 初のナチス党大会 田口タキ(14歳8ヵ月)、室蘭の銘酒屋へ売られる より続く

大正12(1923)年

2月

・日本銀行、台湾銀行に対し、日本銀行の特定する国向け輸出手形を引当てに為替資金として同行に預け入れする取扱を開始。

・国粋会員・水平社員大衝突、奈良。

・高橋新吉、第一詩集「ダダイスト新吉の詩」出版。序文佐藤春夫

・井伏鱒二「粗吟丘陵」(『音楽と蓄音機』)

・平林初之輔「華族の「邸宅解放」に対する批判(アンケート)」(『解放』)

・衆議院、ローマ教皇庁との使節交換費を予算から削減。

・雑誌『組合運動』・『インタナショナル通報』・『手芸之友』創刊。

・山川均「当面の問題としての労働党」(「解放」)。

議会主義によらない政治運動の実例として、対ソ非干渉、国交回復運動、過激社会運動取締法案を中心とする3悪法反対運動をあげる。

・山川均「「方向転換」と其の批評」(「前衛」)。

・青野季吉「階級闘争と芸術運動」(「種蒔く人」)。

・荒畑寒村(36)、「雪の細尾峠と仙人峠」(『進め』第1巻第1号 2月号)。「当面の問題」(『前衛』第3巻第2号 2月号)

・今井嘉幸(大阪、前代議士)、西日本普選大連合結成させる。

5月現在の大連合の名簿には、51団体が加盟。内、10団体は大阪向上会・日本海員組合・鳥坂建具工組合などの労働団体、6団体は日農の連合会で、その他の35五団体は、鳥取立憲青年会・呉普選期成同盟会・岡山普選同盟会・高松雄弁会などの名称をもつ市民団体。

・日活経営陣、人事を刷新。

・ドイツ人レーデラー来日、東京帝大経済学部講師に就任(~1925.3月)。

・『大阪都新聞』創刊。

・田中芳雄・永井彰一郎「石油ナフテン酸の研究」第1報(「東京帝国大学工学部紀要」13冊2号)。

・この頃、有島武郎と波多野秋子の恋愛感情が決定的となる。


■永井荷風『断腸亭日乗』(大正12年2月、荷風45歳)

二月六日。曇りて寒し。

二月七日。朝まだきより雪降り出し夜に入るも歇まず。

二月八日。雪ふりつゞきたり。屋根の上に二尺ほどもつもる。薄暮に歇む

二月十三日。日ゞ晴れて暖なり。

二月十五日。病未癒えず。深更雨。

二月十六日。終日大雨。

二月二十日。昨夜枕上雨聲を聴いて眠りしが、今朝起出るにいつか雪となれり。・・・。

二月廿一日。午頃より雨に交りて雪また降る。街路忽沼の如し。

二月廿三日。・・・。夜暖なること四月の如し。

二月廿六日。帝國ホテルにて与謝野寛誕辰五十年の祝宴あり。

(*註 この年荷風は45歳。森鷗外全集編集に関して両者に確執あり)

二月廿八日。春寒くして梅花未開かず。秀梅に逢ふ。"


長谷川利行(32歳)、この月の第4回新光洋画会第1回作品公募に《田端変電所》が入選し、横井礼市に認められる。

「東京に来てから竹の台で絵を並べてくれたのは、新光洋画会第一回作品公募に勝手に持ち込んだ二枚だけだ。…横井礼市画伯が、『新光感想』で一寸認めて下さつたのは、東京時事で知つた。僕はいろいろの情実や関係が皆無なものだから、二科や春陽会その他であいてにされない傾がみえる」(利行「踊り手の実行性」)。

この頃、父親には麻布獣医学校に行っていると偽り仕送りを受ける。

この年二科展、春陽会展に応募したが落選。

この頃は、かつて師弟の礼をとったことさえあった生田蝶介とは疎遠になり往来がとだえる。「氏が僕には実際でないやうな気がするから云ふんだが、僕の実行生活上、君たちの迫害や広い寛ろぎ心といつたものは第二義的なもので如何にも従前通りの藝術家らしいすべてである。だから宣言をする、甚い弱小藝術を誇る、それが何だ。要するに本当の事だけの仕事をして、いのちの無駄遣ひをやめる」(利行「踊り手の実行性」)。

またこんなことも語っている。「絵を描くことは、生きることに値すると云ふ人は多いが、生きることは絵を描くことに価するか。絵の生活は、たゆまぬ努力が働きかくる。精神は、自我以上の、超越さや、その奥深さで償はれるものと覚悟して置きたい」。「自我がよいのではない、自我以上の自然の瞬息があつて、その底力から燃え立つて、たたなはる」(利行「ある感想」)。

長谷川利行;

1891年(明治24)7月9日、京都山科に5人兄弟の三男として生まれる(出生届けの本籍は京都府久世郡淀下津町104番戸)。なお長男は不明だが、次男利一は1887(明治20)年8月2日に、四男利邦は1894(明治27)年8月20日に、そして五男清は1902(明治38)年に生まれている。

安政4年生まれの父長谷川利其(としその)は伏見警察署に勤務、母照子(戸籍ではテル)。祖父軍二は淀藩稲葉家に召しかかえられた俳諧師で南陽の俳号をもつ。紀州田辺に住んでいたこともあり、父もまた其南の俳号をもっていた。また母照子は淀藩御典医小林家の出という。"


・ドイツ、ゲスラー国防相、国防軍と右翼「自衛団体」との結びつきに反対する原則をプロイセン内相ゼーベリングと意見一致と宣言。現実は臨時志願兵を国防軍が訓練。「闇の国防軍」存在。

・アルジェ、第1回北アフリカ会議開催。植民地支配体制を調整。

・インドネシアのイスラム同盟、イスラム同盟党と改称。


つづく

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