2025年7月1日火曜日

大杉栄とその時代年表(542) 1904(明治37)年11月1日~12日 ロシア・バルチック艦隊、モロッコ領タンジールで石炭補給後、スエズ運河通航の独立支隊と希望峰迂回の本隊に分かれ、本体はダカールを目指す

 

バルチック艦隊東航図。第2太平洋艦隊とスエズ通過の支隊、第3太平洋艦隊の航路

大杉栄とその時代年表(541) 1904(明治37)年10月27日~11月 第2次10月期旅順口総攻撃作戦中止  松樹山砲台、二龍山砲台、東鶏冠山北砲台の攻略ならず(戦果はP砲台占領のみ) 日本側死傷3,830(内戦死1,092)。ロシア死傷4,453(内戦死616)・不明79 より続く

1904(明治37)年

11月1日

(漱石)

「十一月一日(火)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで King Lear を講義する。午後一時から三時まで、「英文学概説」を講義する。」(荒正人、前掲書)

11月1日

大杉栄(19)、東京外国語学校の学友、長谷川(スペイン語)と森本(イタリア語)を伴って平民社を訪れ、この日も含め連日手伝いをする。

佐々木喜善が大杉に葉書を出す。

11月1日

ロシア・バルチック艦隊、ビーゴ港出港。

2日、モロッコ領タンジール入港。石炭補給。

4日、スエズ運河通航の独立支隊、タンジール出港。

5日、希望峰迂回の本隊、タンジール出港、ダカールを目指す。

(本隊、支隊はのちにマダガスカルで合流)

11月1日

ジョージ・バーナード・ショーの『ジョン・ブルのもう一つの島』、初演。

11月2日

社会主義協会大演説会。神田YMCA。聴衆約1千。

第一席の田添鉄二は、昔の封建主義社会も今の資本主義社会も、階級制度の下に平民を束縛していることは同じで、昔の常備軍は飼い殺しの武士であったが今の常備軍は無給で徴集された平民……といったところで「弁士中止」。

第二席は佐治実然。4千万人の国民がみな守らねばならぬ法律は、わずか百万人ばかりの有権者が選挙した代議士によって作られている。都合のいい時は挙国一致というが、それほど挙国一致が良いものなら普通選挙を実施するに如くはない。新聞は、満洲の野に戦っている兵士を祖国のために忠勇無双の働きをしていると書き立てているが、あれはただオダテるためか……というところで「弁士中止」。

第三席の幸徳秋水は、国際戦争がいつも経済上の原因から起る所以を説き、現に銀行家や富豪を大蔵大臣の官邸に招聘してその承諾を得てからでなくては、戦争は決定されねではないかというと、またたちまち中止、つづいて解散!

聴衆は憤慨激昂して口々に「横暴」、「解散の理由をいえ」と叫び、演壇の上下で警官隊ともみ合う。いつも臨監の更科警部の制帽を何者かがたたき落し、それをまた誰かがふみ潰す。場内のアチコチで巡査と会衆の小競合がおこる。この喧騒擾乱は30分間も続いてようやく納まった。

11月2日

(露暦10/20)ロシア、ペテルブルク、解放同盟第2回大会、立憲主義。

11月3日

天長節、国民後援会大会、日比谷、5万。

11月3日

植村正久、東京神学社設立。

11月3日

鉄幹・晶子、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷村字大通549番地第四荻の家へ転居。明治書院の所有。

11月3日

阪鶴鉄道、福知山(京都府)~新舞鶴間と舞鶴~海舞鶴間開通。鉄道局で舞鶴線として建設し、阪鶴鉄道会社に貸与。1907年7月31日返還。大阪~新舞鶴間直通運転開始。

11月6日

清国、イスラム教の李沅慶、河南の祥符で反抗。

11月6日

清国の山西永済で民衆反乱。

11月6日

『平民新聞』第52号発行

石川三四郎「小学校教師に告ぐ」発禁

9日、編集人兼発行人西川光二郎・印刷人幸徳秋水、朝憲紊乱で起訴。

第1審、印刷人幸徳禁固5ヶ月・編集人兼発行人西川禁固7ヶ月・夫々罰金50円。「平民新聞」発禁。印刷機没収判決。

この号は1周年記念の前号。石川三四郎「小学校教師に告ぐ」のほか、西川光二郎「社会主義者の教育観」、堺枯川「小学修身書漫評」、小学教師の無価珍子と称する人の「戦争に対する教育者の態度」を掲げ、吾人は本号をもっていささか日本の教育家に呈す--と称して、ほとんど全紙をあげて教育批判号のような形であった。

11月6日

この日、平民社で社会主義婦人演説会開催。弁士に寺本みち子。

みち子は、堺の近所に住む福田英子とならぶ平民社を訪れる女性常連客の一人。「たてよ君たたぬ男の子を踏みこえて乙女主義よぶ時なり世なり」という勇ましい歌もつくっていた。

その後、みち子は美容師になり、美容界に名を馳せていた初代遠藤波津子の元で働くようになる。日活の映画監督の小口忠と結婚後、仕事と家庭で多忙になり、しばらく堺たちの前から姿を消していたが、売文社発足後に交流が復活する。

11月6日

(漱石)

「十一月六日(日)、寺田寅彦に、宝亭(神田区西紅梅町八番地、現・千代田区駿河台二丁目)で、夕食を馳走される。橋口貢宛の自筆の絵葉書に「名月や杉に更けたる東大寺」と添える。

十一月七日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで King Lear を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

十一月十日(木)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。」(荒正人、前掲書)

11月6日

イタリア総選挙。カトリック、反社会主義の候補者に投票。

11月7日

黄興、陳天華ら、上海で挙兵計画。

11月8日

大本営陸海軍部合同会議。伊東祐亨軍令部長・伊集院次長・山県有朋参謀総長・長岡次長。

9日午前1時、山県参謀総長名で大山総司令官に203高地(艦隊砲撃の拠点)占領要請電。大山返電は203高地の戦略的重要性否定。第7師団増派要請。山縣元帥は第3軍への第7師団増派決定。

11月8日

米大統領選挙、共和党のセオドア・ルーズベルト、民主党のバーカーを破り当選。

11月9日

日蓮宗、福岡市博多東公園に完成した元寇記念日蓮銅像前で国祷会挙行。

11月10日

第2回6分利付英貨公債1,200万ポンド募集、公布。

11月11日

第7師団を第3軍戦闘序列に加える下命。

11月11日

清国・ポルトガル間で通商条約締結。

11月12日

ロシア・バルチック艦隊、北アフリカ仏領ダカール入港。フランス、港外での石炭積込勧告。ロジェストヴェンスキー中将港内積込強行。

16日、ダカール出港。


つづく



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