1906(明治39)年
3月19日
野口寧斎殺しの野口男三郎公判廷(当時、話題となった人肉事件。男三郎が美男であったため、公判廷に女学生がつめかけた)
3月19日
駐日英大使、西園寺外相に対し満州における日本官憲の通商妨害抗議。門戸開放、機会均等などの実行申し入れ。
26日、米駐日大使も同様の抗議。
3月19日
内務省、京都第2疏水開削工事、宇治川水力発電事業認可。
23日、山城治水会・淀川沿岸住民150人が府庁へ押しかけて反対を陳情。内務省・京都府はこれを却下。
3月19日
(漱石)
「三月十九日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。
(高浜虚子宅で、「俳諧散心」第一回を開く。)」
「高田蝶衣・松根東洋城・岡本癖三酔・岡本松浜・柴浅茅。河東碧梧桐の「俳句三昧」に対抗して結成されたものである。」(荒正人、前掲書)
3月19日
独、アイヒマン、誕生。ナチス親衛隊長。
3月20日
この日付け啄木の日記。
「この頃東京では、近来結社した社会党員の発起で、電車賃引上反対市民大会が二度開かれた。一千有余の群集が、決議文を朗読してから、市役所に推しかけ、街鉄の本社に石を投じ、昨年九月の騒擾を再現しかねまじき勢であった。」
「余は、社会主義者となるには、余りに個人の権威を重じて居る。さればといって、専制的な利己主義者となるには余りに同情と涙に富んで居る。所詮余は余一人の特別なる意味に於ける個人主義者である。然しこの二つの矛盾は只余一人の性情ではない。一般人類に共通なる永劫不易の性情である。自己発展と自他融合と、この二つは宇宙の二大根本基礎である。」
「たゞ茲に、意志の世界と愛との関係は猶依然として哲学上不可解の疑団として残つて居る。この問題の解決は、実に我が人生観最後の解決であらねばならぬ。
茲に一解あり、意志といふ言葉の語義を拡張して、愛を、自他融合の意志と解くことである。乃ちシヨウペンハウエルに従つて宇宙の根本を意志とし、この意志に自己発展と自他融合の二面ありと解する事である。」
3月20日
臨時事件公債発行。総額2億円。利率5分。
3月20日
帝国図書館開館式(上野に移転)。久留正道設計。
3月20日
大杉栄(21)、竹内余所次郎、半田一郎とともに凶徒聚衆罪容疑で麹町署に拘引される。
21日、警視庁に送られる。
22日、牛込区市ヶ谷冨久町の東京監獄に収監される。
3月20日
シチリア島沖のウスティカ島、火山の大噴火で壊滅。
3月22日
初の国際ラグビー試合(パリ)。英、仏に35対8で勝利。
3月22日
この日、幸徳秋水が日本に送った「桑港より」。
「近時、米国社会党中、其運動政策に関して二派の議論闘はされつつあり、一は主として殊に独占的事業のパブリック・オーナシップ(国有若くば市有)を提げて選挙場裡の武器となさんとし、他は純乎たる社会主義の理想を以て旗幟となさんとする者也。
前者は曰く、吾人は一歩は一歩より着々労働階級の実際の利益を増進するに力めざる可からず、単に理想をのみ見て、目前現実の問題を等閑に附するは不可也、独逸同志の常に優位を占め、英国同志の今回選挙に勝利を得たる、皆な直接に労働者の利害に関する実地問題を選挙の綱領となせば也と。
後者は曰く、今の所謂国有私有は、賃銭制度を廃絶する者に非ずして、単に政府若くば自治体てふ資本家を以て、私人の資本家に代ふるに過ぎず、社会主義は根本より貨銀制度を廃絶するを主張す、今日の制度の下に国市有を賛するは、是れ社会改良家、国家社会主義に向つて譲歩する者也と。
此両者の争ひは今後益〃盛んなるを致すべし。(略)是れ我等日本人社会党の大に研究を要する問題にして、僕は我等日本人社会党が、将来斯る意見の相違の為めに争訌し分離するが如きことなからんことを祈る。然れども僕をして、二者其の一を択ましめは、僕は理想的、革命的、急進的ならんことを欲す。微温的社会主義、砂糖水的社会主義、国家的社会主義を好まず。」
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3月23日
第6回日比谷焼き打ち事件公判
3月23日
運賃値上げ、3社は願書を取り下げる
3月23日
(漱石)
「三月二十三日(金)、『坊っちやん』百九枚まで審く。(三月末までに脱稿したものと推定される)
三月二十四日(土)、東京帝国大学文科大学で、Tempest を講義する。」(荒正人、前掲書)
3月23日
啄木(20)、岩手県第一宗務所長川口村明円寺住職岩崎徳明より、父の石川一視に対する曹洞宗宗務局の明治三十九年三月十四日宗令甲第二号による懲戒赦令が発令された旨通知して来る
つづく

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