2026年5月1日金曜日

大杉栄とその時代年表(814) 1908(明治41)年12月11日~31日 「節子は働きながら東京にいる啄木以上の貧しい生活であった。」 「郁雨の温情に縋りながらも、節子は語るに語れぬ家計の実状を胸ひとつにしまって教壇に立っていた可能性がある。その結果の明治四十一年十二月三十一日の残金五厘である。節子は事実を書いただけなのに、啄木は非難されていると直感する。敏感にならざるを得ない素地と弱みが夫の側にあってのことである。『鳥影』がはじめて原稿料をもたらしたのであるから、半額か三分の一でも妻に送ってやるのが、せめてもの心やりであった。」(澤地久枝『石川節子 - 愛の永遠を信じたく侯』)

 


大杉栄とその時代年表(813) 1908(明治41)年12月6日~9日 「僕は今度四十歳になるのだ、モウ若い者とは云へない、初老という言葉さへある、然し僕は卅歳になつた時、漸く少し人間らしい者になつた心地がしたが、今度は又此頃ヤツト一人前の男になつた心地がする、孔子が『三十而立(じりつ)、四十不惑(ふわく)』と云つた心持がツクヅク思ひあはされる、今後又十年もしたら孔子が『五十にして天命を知る』と云った心持が少しは味はれるかも知れぬ、こんな風に考へると人生は何時迄も登り坂だ、前途は長い、楽みは多い、お互まだ是からが本統(ほんとう)に成熟する時節なんだ、手を引合てユツクリ行かうよ」(入獄中の堺利彦の妻為子宛手紙) より続く

1908(明治41)年

12月11日

九州電気軌道(株)設立。本社小倉、資本金100万円、社長松方幸次郎、西日本鉄道(株)の前身の1つ。

12月12日

木下杢太郎、北原白秋、長田秀雄ら、パンの会を結成(~1912年)。東京両国橋近くのレストランで第1回会合。

12月12日

平賀譲、6月30日英国海軍大学校造船科卒業(3年の留学修了)し、仏伊の造船所視察などのあと、この日ロンドン出港。

12月13日

武昌で群治学社成立。

12月14日

文部省に設置(5月25日)された臨時仮名遣調査委員会(委員長 菊池大麓、主事 渡部董之介)廃止される。

12月15日

伊藤博文、松陰神社へ奉告

12月中旬

ロシアに滞在する二葉亭四迷、悪化する不眠症対策として、思い切って煙草をやめる。「八つの時から親しんで足掛三十八年の間片時も傍を放さなかった煙草」、それがなければとても原稿を書けない煙草だが「命にはかえられない」。やめてみると不思議なことに不眠症は日ごとに軽快し、今度は気を許すと12時間も眠りこんでしまう「長眠病」にかかった。

明治41年12月半ばには、通信文も玄耳宛の長文の手紙もなんとか書けるようになるまで回復した。

12月16日

英、豪華客船「オリンピック」起工

12月17日

(漱石)

「十二月十七日(木)、次男伸六誕生。(戸籍謄本による)頭髪黒い。鈴木三重吉(千葉県成田町吾妻屋)から祝電来る。服部嘉香、西村誠三郎(濤蔭)と共に来る。


申年(さるどし)に生れた六番めの子供の意味である。初めは、旦(あした)と名付けようと思い、高浜虚子らに吹聴していたけれども、十二月二十六日 (土)高浜虚子宛の手紙では取消している。


(十二月中旬、平塚明子、松本市郊外の静養先から帰り、森田草平を訪ねる。その後、日本禅学堂に赴き、南天棒から『無門関』の第一則、「趙州狗子」の公案授かる。)


南天棒の駿足と云われた岡田乾児(自適)という外科の開業医が私財を投じて開いたもので、西宮海清寺の住職である老師を招いて、毎日接心会を行う。


十二月中旬(推定)(日不詳)、雑誌社(推定)の記者、談話筆記を求めに来たが断る。『趣味』の記者来て、「文壇の趨勢」について談話筆記する。(この頃、雑誌社からの談話筆記の依頼多くなる」(荒正人、前掲書)


12月17日

トルコ第1回国会開催。青年トルコ党、多数を占め、自由連盟(アフラール)との対立増大。青年トルコ党、政権掌握(~1909年4月26日)。

12月17日

諸列強、ハフィドをモロッコ王として承認。

12月18日

津浦鉄道、官、商共同事業となる。

12月18日

皇室財政運営上支出の超過を戒める勅諭下賜。

12月18日

民報社、「国学講習会」と改称し、牛込区新小川町2丁目8番地から、小石川区小日向台町2丁目26番地に移転。『民報』編集長で裁判に負けて入獄した章炳麟が主催し、魯迅も通っていた国学講習会が、日本の同盟会の中心になった。

12月19日

(漱石)

「(十二月十九日(土)、中村是公、南満洲鉄道会社総裁に任命される。)


中村是公は、明治三十九年十一月二十六日(火)に、南満洲鉄道会社副総裁に任命され、明治四十年四月二十五日(木)退任し、五月一日(水)副総裁事務取扱嘱託になり、明治四十一年五月十五日(金)副総裁に任命される。大正二年十二月十八日(木)に退任する。


十二月二十日(日)、小宮豊隆宛手紙に、「文壇に立つものはあらゆる競争排擠に伴ふ堕落的行動に対して従容事を辨せざるべからず。もし清きを以て自ら居り高きを以て自から處せんとせば一日も留まるべからず。」と教え、終りに「今の自然派とは自然の二字に意味なき團體なり。花袋、藤村、白鳥の作を難有がる團體を云ふに外ならず。而して皆恐露病に罹る連中に外ならず。人品を云へば大抵君より下等なり、理窟を云へば君よりも分らずや多し。生活を云へば君よりも甚しく困難なり。さるが故に君の敢て為し能はざる所云ひ能はざる所を為す。君是等の諸公を相手にして戦ふの勇気ありや。君を此渦中に引き入るゝに忍びざるが故に此言あり。」と添える」(荒正人、前掲書)

12月19日

大杉栄より堀保子への手紙。「歳三〇に到るまでには必ず十〇ヶ国語を以て吃つて見たい希望だ」

12月21日

河野広中、尾崎行雄ら代議士、又新会を結成。当日の出席者40名。3税廃止、官僚政治打破を叫ぶ。

12月21日

第17(岡山)、第18(久留米)師団新設。

12月21日

英、オスカー・スレイター事件起こる

12月22日

第25通常議会召集(~25 開会、1909.3.24閉会)。

12月23日

仏・ベルギー協定、仏領コンゴ、ベルギー領コンゴの境界画定。アフリカ・コンゴの勢力圏協定締結。

12月24日

パリで初の国際空港ショー開催。

12月25日

禁衛軍設立。

12月25日

「帝国女優養成所」(所長;貞奴)第一回試演

12月25日

(漱石)

「十二月二十五日(金)頃、『ホトゝギス』(第十二巻第四号 明治四十二年一月一日発行)を読む。


付録に『開業醫』(長塚節)・『まじよりか皿』(薮柑子(寺田寅彦)・『馬車』(寒川鼠骨)・『胡頹子』(伊藤左千夫)・『破甕』(野上臼川(豊一郎))・『三畳と四畳半』(高浜虚子)が掲載されている。


十二月三十一日(木)、大晦日。松根東洋城と共に二、三番謡う。

「土車」を少し習う。子供の病気で座敷ストーヴを買い、二十八円払う。田島道治、短冊を持参する。門口で帰る。

十二月末(日不詳)、正月の掲載分「元日」は、明治四十一年一月一日(火) のことを思い出しながら書く。

十二月末(小宮豊隆推定)、『文學評論』 の校正刷出始める。」(荒正人、前掲書)


12月25日

ジャック・ジョンソン(米)、ボクシング・ヘビー級初の黒人世界チャンピョンになる。

12月28日

東洋拓殖会社設立。資本金千万円(うち300万円は韓国政府引受、二束三文の評価で300万円分の土地1万1千町歩を供出させる)。総裁宇佐川一正(陸軍中将)。興銀、起業資金1296万円借款。日本政府、起業資金100万円借款。

創立以降、民有地買収を進め、1914年には水田4万6642町歩・畑1万8753町歩に山林・雑種地を加え7万143町歩の大地主となる。日本政府は創立から8年間30万円/年を補助、以降~1924年まで政府株への配当免除の優遇。


「戦前の日本における南満洲鉄道株式会社(満鉄)と並ぶ二大国策会社であり、大東亜共栄圏内の植民地政策に関して特権的な利権を保有しており、北はソビエト連邦国境から南は南方諸島まで、関連会社・子会社は85社を超えた。終戦時、朝鮮に所有していた土地は25万町歩に及び、朝鮮最大の地主であった。」(Wikipedia)

12月28日

京漢鉄道、ベルギーより回収。

12月28日

駐清公使伊集院彦吉、清国と満州懸案(法庫門鉄道、間島問題など)に関する交渉を開始。

12月28日

シチリアのメッシーナ(イタリア)で大地震。死者15万~20万。

12月31日

函館にいる啄木の妻節子、室料を払ったあと、彼女の手に残ったのは5厘玉1つであった。

節子は、この窮乏をありのまま夫に報告した。節子にとっては、それは夫に対する苦情や不満ではなく、そうした窮乏の中で働く自分を励ましてもらいたいという夫への甘えからであった。しかし啄木は自己の無能に対する妻の恨みと解釈した。

「せつ子から封書の賀状が来た。大晦日に室料を払って五厘残ったと!そして賀状のかげには予が金をおくらなかった事に対するうらみが読まれる。予は気まづくなった。」(「啄木日記」明治42年1月3日)


「節子は働きながら東京にいる啄木以上の貧しい生活であった。」

「郁雨の温情に縋りながらも、節子は語るに語れぬ家計の実状を胸ひとつにしまって教壇に立っていた可能性がある。その結果の明治四十一年十二月三十一日の残金五厘である。節子は事実を書いただけなのに、啄木は非難されていると直感する。敏感にならざるを得ない素地と弱みが夫の側にあってのことである。『鳥影』がはじめて原稿料をもたらしたのであるから、半額か三分の一でも妻に送ってやるのが、せめてもの心やりであった。」(澤地久枝『石川節子 - 愛の永遠を信じたく侯』)

12月31日

ハンガリー、ブダペシュト、鉄工労働者、ゼネストで組合活動停止の政府攻撃はねかえす。


つづく


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