2010年12月14日火曜日

東京 九段周辺の永井荷風旧居跡(1) 冬青木坂の旧居跡

永井荷風年譜(1)でご案内したように、荷風一家は、

明治26年(1893)(14歳)11月
父は、小石川区金富町の邸宅を売却し、一家は麹町区飯田町2丁目2番地(現:千代田区飯田橋1丁目と九段北3丁目の境辺り)の黐(もち)ノ木坂中途の借家に移転。
します。
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この「黐(もち)ノ木坂」は、現在では「冬青木坂」と書いて「もちのきざか」と読ませています。
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この辺り、既に何度かご紹介しています。
1.九段界隈
2.危うし安田岩次郎邸
3.危うし安田岩次郎邸、その後
です。
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幸いにもお昼やすみに歩いて行けるところなので、過日、行ってみることにしました。
結論から先に申しますと、予想していた通り、その痕跡も説明板も何もないところでした。
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九段坂の説明
(靖国神社の向いにあります)
その昔は険峻な坂で、牛が引く荷車がよく落ちたことから、千鳥が淵の隣にある江戸城の濠(天然の池であったらしい)は、「牛が淵」と名付けられたといいます。


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田安門前の標識
ちょうど向かいが靖国神社
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九段下から上ってくるところ
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日本基督教団九段教会
創設は明治8年、この地への移転は明治31年。
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中坂
(九段坂と冬青木坂の中間にある)
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硯友社跡
のちに荷風は広津柳浪に弟子入りすることになる。
もっとも、この時は牛込の柳浪宅におしかけている。
柳浪は荷風の才能を見抜き、ハクを付けるために連名にして荷風の小説を世に出すことになる。
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正面がフィリピン大使館(旧安田邸)
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フィリピン大使館の前を右折すると「冬青木坂」
坂を下りた右側が金大中事件のあったホテルグランドパレス
この坂の多分、中ほど右側に荷風邸があったんだろうと推測してます。
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「★東京インデックス」 「★永井荷風インデックス」をご参照下さい。
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