2024年11月24日日曜日

大杉栄とその時代年表(324) 1901(明治34)年3月5日~11日 「自分は子供の時から湯に入る事が大嫌ひだ。、、、殊に楊枝をくはへて朝湯に出かけるなどといふのは堕落の極である。、、、熱い湯に酔ふて熟柿のやうになつて、ああ善い心持だ、などといふて居る内に日本銀行の金貨はどんどんと皆外国へ出て往てしまふ。」(「墨汁一滴」)  

 

Baker Street

大杉栄とその時代年表(323) 1901(明治34)年3月1日~4日 「今日は会席料理のもてなしを受くる約あり。、、、左千夫来り秀真来り麓来る。、、、五時頃料理出づ。、、、余は遂に料理の半を残して得喰はず。」(「墨汁一滴」) より続く

1901(明治34)年

3月5日

橋本登美三郎、誕生。

3月5日

天皇、山県有朋・松方正義・西郷従道・井上馨4元老に、政府・貴族院間の調停を行うよう命令。

11日、4元老、貴族院各派代表と折衝。不成立に終わる。


3月5日

3月5日~7日 ロンドンの漱石


「三月五日(火)、 Dr. Craig の許に行く。謝礼を支払う。文章を褒められる。内容に関しては賛成せず、議論を試みる。 W. Rossetti の ""A Study of Prometheus Unbound"" (Shelly Society 刊)を借りる。帰途、書店で Shakespeare 集その他五十円ほど書籍を買う。 April Shower が始ったらしい。Baker Street (ベーカー街)で昼食。肉一皿・馬鈴薯(推定)・野菜・紅茶・菓子二個で、一シリング十ペンスを支払う。夜、入浴する。

三月六日(水)、 Denmark Hill (デンマーク・ヒル)を散歩する。 John Ruskin の父が住んでいたというが、何処か分らぬ。イギリスでは、女性の酔っぱらいは珍しくない。 Public House などでも女性で満員の処もある。

三月七日(木)、シャツ襟を替える。夜、田中孝太郎と共に、 Drury Lane Theatre (ドルゥリー・レーン劇場)に行き、 Pantomime(黙劇)の Charles Perrault (シャルル・ペロー)の ""Sleeping Beauty""(『眠れる美女』)を見る。「生レテ始メテカゝル華美ナル者ヲ見タリ」(「日記」)健康状態よく、体重もふえる。ホーム・シックになる。」(荒正人、前掲書)


3月6

露、満州撤兵について清国に協約調印を要求(4月5日、交渉中止)。


3月6

「 自分は子供の時から湯に入る事が大嫌ひだ。熱き湯に入ると体がくたびれてその日は仕事が出来ぬ。一日汗を流して労働した者が労働がすんでから湯に入るのは如何にも愉快さうで草臥(くたびれ)が直るであらうと思はれるがその他の者で毎日のやうに湯に行くのは男にせよ女にせよ必ずなまけ者にきまつて居る。殊に楊枝(ようじ)をくはへて朝湯に出かけるなどといふのは堕落の極である。東京の銭湯は余り熱いから少しぬるくしたら善からうとも思ふたがいつそ銭湯などは罷(や)めてしまふて皆々冷水摩擦をやつたら日本人も少しは活溌になるであらう。熱い湯に酔ふて熟柿(じゅくし)のやうになつて、ああ善い心持だ、などといふて居る内に日本銀行の金貨はどんどんと皆外国へ出て往てしまふ。

(三月六日)」(子規「墨汁一滴」)

3月6

独皇帝ヴィルヘルムの暗殺未遂。皇帝は軽傷で難を逃れる。


3月7

「 自分が病気になつて後ある人が病牀のなぐさめにもと心がけて鉄網(かなあみ)の大鳥籠を借りて来てくれたのでそれを窓先に据ゑて小鳥を十羽ばかり入れて置いた。その中にある水鉢の水をかへてやると総ての鳥が下りて来て争ふて水をあびる様が面白いので病牀からながめて楽しんで居る。水鉢を置いてまだ手を引かぬ内にヒワが一番先に下りて浴びる。浴び様も一番上手だ。ヒワが浴びるのは勢ひが善いので目(ま)たたく間に鉢の水を半分位羽ではたき散らしてしまふ。そこで外の鳥は残りの乏しい水で順々に浴びなくてはならぬやうになる。それを予防するつもりでもあるまいが後にはヒワが先づ浴びようとするとキンバラが二羽で下りて来てヒワを追ひ出し二羽並んで浴びてしまふ。その後でジヤガタラ雀が浴びる。キンカ鳥も浴びる。カナリヤも浴びる。暫(しばら)くは水鉢のほとりには先番後番と鳥が詰めかけて居る。浴びてすんだ奴は皆高いとまり木にとまつて頻(しき)りに羽ばたきして居る。その様が実に愉快さうに見える。考へて見ると自分が湯に入る事が出来ぬやうになつてからもう五年になる。

(三月七日)」(子規「墨汁一滴」)

3月8

3月8日~9日 ロンドンの漱石


「三月八日(金)、イギリスでは雨降っても、日本のように苦にしない。

三月九日(土)、郵便日なので、正岡子規に絵葉書十二枚及び鏡に消息を伝える手紙を出す。 Andrew Lang (ラング)の ""The Book of Dreams and Ghosts"" (『夢と幽霊』 1899)を読む。」(荒正人、前掲書)


3月9

妻、鏡子からの手紙は依然到着せず、漱石はこの日付けで鏡子に宛てて手紙に書く。


「其後国から便があるかと思つても一向ない。二月二日に横浜を出た「リオヂヤネイロ」と云ふ船が桑港沖で沈没をしたから、其中におれに当(あて)た書面もありはせぬかと思つて心掛りだ。

「御前は産をしたのか、子供は男か女か、両方共丈夫なのか、どうもさつぱり分らん。遠国に居ると中々心配なものだ。自分で書けなければ中根の御父さんか誰かに書て貰ふが好い。夫が出来なければ土屋でも湯浅でもに頼むが好い。

「新聞も頼んで置たが一向来ない。是は経済上の都合があると云ふならよこさんでもよろしい。只だんまりですてゝ置くのは宜しくない。注意するがよい。

「おれば不相変忙がしいから長い手紙を出し度ても出す暇がない。諸方へは御前からよろしく言って呉れ。」


3月10

「文壇照魔鏡(しょうまきょう)第壱 与謝野鉄幹」、横浜大日本廓清会、鉄幹16大罪。文壇スキャンダル。

4月、これを、雑誌「新声」が取り上げ、「新声」と「明星」の紛争となり、鉄幹は訴訟に踏み切る(証拠不十分で敗訴)。「明星」は大きな影響を受け、支部は減り、発行部数も5~7千部とされていたものが2500部程に落ち込む。

3月10

3月10日~11日 ロンドンの漱石


「三月十日(日)、田中孝太郎と共に、 Vauxhall Park (ヴォークスホール公園)を散歩、 Clapham Common (クラッパム共有地)から Brixton (ブリクストン)に出て帰宅する。夜、 Mr. Brett から次の言葉を習う。 Red sky at night / Is the shepherd's delight. / Red sky in the morning / Is the shepherd's warning. / Morning red and evening gray / Sendthe traveller on his way. / Morning gray and evening red / Send the rain on his head.

三月十一日(月)、桜井房記からの手紙(一月二十五日(金)付)で、 J.B. Brandram (ブランドラム)発狂し、香港に送る途中で死去したと伝えてくる。蒲生栄(原紫川)(京都帝国大学)からも手紙(一月三十一日(木)付)来る。」(荒正人、前掲書)


3月10

露レフ・トルストイ伯爵、ロシア正教会の教義と機密(サクラメント)を否定し宗務院(シノド)に破門。

3月10

フィリピン、タフト委員会、ヴィサヤ諸島に地方政府樹立のため、出発。

3月11

国木田独歩、「武蔵野」刊行

国木田独歩『武蔵野』(青空文庫)

3月11

シチリアで赤い雪や血の雨が降る現象発生。墺・チロル地方でも同様の現象が続いて発生。ローマでも同様の現象と気温の異常な上昇。


つづく

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