1901(明治34)年
3月
中村春雨「無花果」(「大阪毎日新聞」)~6月
3月
有島武郎、札幌独立教会に入会。
3月
駐英ドイツ代理大使、日本の林董駐英公使に日独英三国同盟を提唱。日英同盟交渉の発端。
3月
ロマン・ロラン(35)、クロチルドと離婚。
3月
アインシュタイン、4月まで、求職のためライプツィッヒのオストヴァルトと、ライデンのカメリング・オンネスに依頼したが成功せず。
3月1日
清国公使、満州還付に関する露の要求について、日本政府の居中調停を依頼。英独米にも。
3月1日
伊藤博文首相の意を受けた西郷従道、山県有朋・松方正義と京都で会談、貴族院との調停を依頼。拒絶される。
3月1日
竹村鍛のこと
「 黄塔(こうとう)まだ世にありし頃余が書ける漢字の画(かく)の誤(あやまり)を正しくれし事あり。それより後よりより余も注意して字引をしらべ見るに余らの書ける楷書(かいしょ)は大半誤れる事を知りたれば左に一つ二つ誤りやすき字を記して世の誤を同じくする人に示す。
(後略)
(三月一日)」(子規「墨汁一滴」)
3月1日
ロンドンの漱石
「三月一日(金)、 Brockwell Park (プロックウェル公園)に行く。帰途、にわか雨でびしょ濡れになる。「夜入浴、此夜妄想ヲ夢ム浴後寝ニ就キタル故カ、」(「日記」)」(荒正人、前掲書)
漱石、子規に絵葉書12枚送る(「日記」)。
3月2日
高松、千金丹売りら100人、売薬行商税新設に反対して県庁に抗議。
3月2日
「 二月二十八日 晴。朝六時半病牀(びょうしょう)眠起。家人暖炉(だんろ)を焚(た)く。新聞を見る。昨日帝国議会停会を命ぜられし時の記事あり。繃帯(ほうたい)を取りかふ。粥(かゆ)二碗(わん)を啜すする。梅の俳句を閲(けみ)す。
今日は会席料理のもてなしを受くる約あり。水仙を漬物の小桶(こおけ)に活(い)けかへよと命ずれば桶なしといふ。さらば水仙も竹の掛物も取りのけて雛(ひな)を祭れと命ず。古紙雛(ふるかみびな)と同じ画(え)の掛物、傍(かたわら)に桃と連翹(れんぎょう)を乱れさす。
左千夫(さちお)来り秀真(ほつま)来り麓(ふもと)来る。左千夫は大きなる古釜を携へ来りて茶をもてなさんといふ。釜の蓋(ふた)は近頃秀真の鋳(い)たる者にしてつまみの車形は左千夫の意匠なり。麓は利休(りきゅう)手簡(しゅかん)の軸を持ち来りて釜の上に掛く。その手紙の文に牧渓(もっけい)の画(え)をほめて
我見ても久しくなりぬすみの絵のきちの掛物幾代(いくよ)出ぬらん
といふ狂歌を書けり。書法たしかなり。
左千夫茶を立つ。余も菓子一つ薄茶一碗。
五時頃料理出づ。麓主人役を勤む。献立左の如し。
味噌汁は三州(さんしゅう)味噌の煮漉(にごし)、実みは嫁菜(よめな)、二椀代ふ。
鱠(なます)は鯉(こい)の甘酢、この酢の加減伝授なりと。余は皆喰ひて摺山葵(すりわさび)ばかり残し置きしが茶の料理は喰ひ尽して一物を余さぬものとの掟(おきて)に心づきて俄(にわか)に当惑し山葵(わさび)を味噌汁の中にかきまぜて飲む。大笑ひとなる。
平(ひら)は小鯛(こだい)の骨抜四尾。独活(うど)、花菜(はなな)、山椒(さんしょう)の芽、小鳥の叩き肉。
肴(さかな)は鰈(かれい)を焼いて煮(に)たるやうなる者鰭(ひれ)と頭と尾とは取りのけあり。
口取は焼玉子、栄螺(さざえ)(?)栗、杏(あんず)及び青き柑(かん)類の煮にたる者。
香の物は奈良漬の大根。
飯と味噌汁とはいくらにても喰ひ次第、酒はつけきりにて平と同時に出しかつ飯かつ酒とちびちびやる。飯は太鼓飯つぎに盛りて出し各ゝ椀にて食ふ。後の肴を待つ間は椀に一口の飯を残し置くものなりと。余は遂に料理の半(なかば)を残して得(え)喰はず。飯終りて湯桶(ゆとう)に塩湯を入れて出す。余は始めての会席料理なれば七十五日の長生すべしとて心覚(こころおぼえ)のため書きつけ置く。
点燈(てんとう)後茶菓(さか)雑談。左千夫、その釜に一首を題せよといふ。余問ふ、湯のたぎる音如何(いかん)。左千夫いふ、釜大きけれど音かすかなり、波の遠音にも似たらんかと。乃(すなわ)ち
題釜
氷(こおり)解けて水の流るゝ音すなり 子規
(三月二日)」(子規「墨汁一滴」)
3月2日
米議会、キューバ干渉の権利を規定したプラット修正条項可決。キューバ保護国化。
3月2日
3月2日~4日 ロンドンの漱石
「三月二日(土)、 Elephant & Castle (エレファント・エンド・カスル)に行く。 London に着いて以来最も天気よく春の気候である。
三月三日(日)、 Brixton (プリクストン)を散歩する。 Karlsbad Salts (カールスパート塩)を飲んだので下痢する。
三月四日(月)、午前、 Brockwell Park (ブロックウェル公園)に行く。花園や泉水を見る。桃の花は蕾、葦の芽は青い。帰ってから、昼食に、スープ・コールドミート・プディング・蜜柑一つ・林檎一つ出る。」(荒正人、前掲書)
3月3日
「 (前略)
茶の道には一定の方式あり。その方式をつくりたる精神を考ふれば皆相当の理(ことわり)ある事なれどただその方式に拘(かかわ)るために伝授とか許しとかいふ事まで出来て遂に茶の活趣味は人に知られぬ事となりたり。茶道(さどう)はなるべく自己の意匠(いしょう)によりて新方式を作らざるべからず。その新方式といへども二度用ゐれば陳腐に堕(お)つる事あるべし。故に茶人の茶を玩(もてあそ)ぶは歌人の歌をつくり俳人の俳句をつくるが如く常に新鮮なる意匠を案出し臨機応変の材を要す。四畳半の茶室は甚だ妙なり。されど百畳の広間にて茶を玩ぶの工夫もなかるべからず。掛軸と挿花(そうか)と同時にせずといふも道理ある事なり。されど掛軸と挿花と同時にするの工夫もなかるべからず。室(へや)の構造装飾より茶器の選択に至るまで方式にかかはらず時の宜(よろ)しきに従ふを賞玩(しょうがん)すべき事なり。
何事にも半可通(はんかつう)といふ俗人あり。茶の道にても茶器の伝来を説きて価の高きを善しと思へる半可通少からず。茶の料理なども料理として非常に進歩せるものなれど進歩の極、堅魚節(かつおぶし)の二本と三本とによりて味噌汁の優劣を争ふに至りてはいはゆる半可通のひとりよがりに堕ちて余り好ましき事にあらず。凡(すべ)て物は極端に走るは可なれどその結果の有効なる程度に止めざるべからず。
茶道に配合上の調和を論ずる処は俳句の趣味に似たり。茶道は物事にきまりありて主客各ゝそのきまりを乱さざる処甚だ西洋の礼に似たりとある人いふ。
(三月三日)」(子規「墨汁一滴」)
3月4日
日英独など6ヵ国、満州に関する露清密約に抗議。
3月4日
労働者大懇親会。二六新報主催、片山潜協力。
3月4日
米大統領にウィリアム・マッキンレー、副大統領にセオドア・セオドア・ルーズベルト就任。
つづく
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