2025年4月10日木曜日

米大統領 相互関税90日間停止 金融市場の動揺抑えるねらいか | NHK / トランプ氏変心の理由、プロの見解は「米国債投げ売り」 - 日本経済新聞 / トランプ関税停止、背景に米国債売り 「金融戦争」市場が警戒 - 日本経済新聞 / 米関税政策、ベッセント氏ら穏健派が関与強める 交渉重視に転換へ - 日本経済新聞   

トランプ米大統領は8日、米国との貿易協定を結ぶために各国が「媚びへつらっている(kissing my ass)」と語った。(ロイター) / NHKニュースは、トランプ氏の「kissing my ass」発言を「ごますり」と訳した。

村上氏長女ら、保有比率11%超 フジ親会社の株式買い増し(時事) ; 前日に公表された9.77%からさらに上昇 / フジテレビ親会社の筆頭株主に村上世彰氏の長女 市場の改革圧力増す(日経 有料記事) ;  女性問題による信頼回復がままならぬうちに、アクティビストが改革圧力を強めています。業績悪化が見込まれるなかでの株式取得は、5300億円にのぼる資産狙いともみられます。

コメ不足なのに「減反」をやめようとしない理由...政治家・農水省・JA農協の歪んだ関係(ニューズウィーク日本版);<最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止によるコメの増産と輸出である。欧米にはない「特殊な組織」であるJA農協が「減反政策」で発展するカラクリとは?> / 【新潟】JA赤字危険度ランキング2025、7農協中6農協が赤字!唯一の黒字農協は?(ダイヤモンドオンライン)  

 

トランプ大統領「絶好の買い時だ」 関税停止の発表前に投稿(日経) / トランプ氏、関税一時停止を発表する3時間前に「買い時だ」と投稿。その日、自身の関連銘柄TMTG株は爆上げ。 ・投稿:午前9:37「買い時だ」 ・関税停止発表:午後1:18 ・TMTG株価:16ドル→20ドルに急騰

 

大杉栄とその時代年表(461) 1903(明治36)年10月20日~29日 「十月二十八日(水)から三十日(金)の間(極めて不確かな推定)、中根重一来る。久し振りに逢う。金策のため保証人になって欲しいとのことであったが断る。(略)妹婿の「清水」という下町の病院長に依頼し、四、五日経って四百円を中根重一に融通する。以上は、『道草』七十四による推定である。」(荒正人)

 

児玉源太郎

大杉栄とその時代年表(460) 1903(明治36)年10月14日~19日 「私は数箇月前迄日本の凡ゆるジャーナリズムが(戦争は文明に到達する楷梯なり)といふ一種の流行語をたゞしいものだと考へてゐた。しかし、現在に於て少なくとも私は此の合ひ言葉に疑義を挿んでゐる。自然科学に依りて教へられた万物進化の過程なるものは、さう簡単に此の合ひ言葉を合理化し得るものであるだらうか。私は此の事に就いて今後研究してみようと考へた。」(金子健二『人間漱石』) より続く

1903(明治36)年

10月20日

『二六新報』、以前以上に過激な開戦論に転換。

既に開戦論に移行していた『二六新報』は、小村・ローゼン交渉直後に一時的に社論が揺れた。

ロシアは「必らず平和の美名の下に撤兵するならんとは吾徒が初より数々予言し忖度し、報道したるは世人の熟知する所ならん」と、数ヵ月前の主張を持ち出し非開戦論になり(10月10日)、日露両国がお互いに緩く勢力圏を定めたこの「消極的満韓交換論」を評価した(10月11日)。

しかし、日露交渉が暗礁に乗り上げたと判断すると、この日(20日)、「野生国民を膺(ママ)徴するは、文明国民の義務也」と宣言し、また立場を変え、「戦争は人道の敵也」と言う非戦論者を「戦争を怖るるは弱き人也」と攻撃、以前よりも過激な開戦論に転換する。

10月20日

社会主義協会、非戦論大演説会。本郷、中央会堂。聴衆600余。

堺、幸徳、西川光次郎「トルストイの戦争論」(戦争の原因は財産の不平等、軍隊の存在、教育者・宗教家の忠君愛国思想の鼓舞にある)、木下尚江「吾人は戦争の義務ありや」、安部磯雄「利害論と社会主義」(永世中立国スイスの例により軍備撤廃説明)。

収益金32円92銭は堺・幸徳にカンパ。臨監警察官の干渉なし。

安部「利害論と社会主義」:永世中立国スイスの実例を述べ、「軍備を撤廃しても生存はできる。此方で軍備を廃すれば敵も安心する。どっちか一方が先にやめねば喧嘩の収まる時はない」と説く。日清戦役後の遼島半島還附に際し、尾崎行雄が「もし名分が正しければナゼ三国の干渉を拒絶しなかつたか、正義のためにはわが国が亡びてもかまわぬ」と唱えた例をひき、主戦と非戦の差こそあれその結論はわれわれの与する所である。「もし平和が人道であるならば、平和を世界に宣言して、それがため一国が亡びてもかまわぬではないか」と述べる。

木下「吾人は戦争の義務ありや」:「世にはー種の迷信があって一国存亡の場合には、万事を忘れて一国に殉ぜねはならぬというが、平生は世界の人道を信じながら一大事の時にはこれをなげうつのが果して人間最高の理想であるか。われわれはいま日本国本位の倫理を教えられているが、もしわれわれが人道を信ずるならば、この一国家的倫理主義を打破せねばならぬ」と論じる。

大杉栄(18)もこの日の聴衆の一人。9月に外国語学校仏語科(選科)入学。

10月20日

社会主義協会を押し出された片山潜は、再度アメリカに渡る決心をして、その前に、社会主義演説をして歩く。この日、東京を発ち、福島、函館、根室、室蘭、夕張等をまわる。

10月20日

参謀本部次長児玉中将、各部長とで韓国武力制圧作戦計画立案。

同日、各師団から兵站要員52人を集め、陸軍大学校で韓国出兵を想定した「特訓」(~11月2日、参謀本部第4部長大島健一大佐が主任)。

10月20日

山本達雄、日銀総裁の任期満了。後任は松尾臣善。

10月20日

(漱石)

「十月二十日(火)、晴。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

十月二十二日(木)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。

十月二十四日(土)、快晴。午後、白仁三郎(坂元雪鳥)・湯浅廉孫共に来る。(「坂元雪鳥日記」)

十月二十四日(土)か二十五日(日)(極めて不確かな推定)、外出する。留守中に、中根重一来る。(『道草』七十一)

十月二十六日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。午後一時から三時まで Macbeth を講義する。

十月二十六日(月)から二十八日(水)の間(極めて不確かな推定)、留守中に、再び中根重一来る。鏡、古い二重廻しをあげる。(『道草』七十二)(荒正人、前掲書)

10月20日

アメリカ・カナダ間、アラスカ国境に関する紛争、米に有利な形で解決。

10月22日

『毎日新聞』は、10月22日「国民最後の覚悟」、同23日「日露の主張 理非分明なり」において「吾人が戦争を疾むこと他の平和論者の後へに在らず、然れども条理国利是れ立国の要件なり」と、開戦論に傾く。日本が「遠く千年以来の歴史的関係を有し、近く開国の誘導を為し、さらに大戦の誘導を経て、其独立を公認せしめたる朝鮮に対して、特殊の利害を有するに拘らず、列国が朝鮮に於ける文明的経営に対し、寛に之を歓迎するも、一切故障せざるなり」と、「独占的態度なく、又擅取的野心無かるべし」という態度を取っていることに開戦の根拠が求められる。これは、ロシアが満州の開放を拒んでいることと対照的な態度であると主張。

10月23日

幸徳・堺、麹町区有楽町3丁目に一戸を借り、平民社を開く

27日、警視庁に届け出。

10月23日

斉藤緑雨、団子坂近くから本所横網町1丁目17番地に引っ越す。「平民新聞」第2、4、5、8号に随筆「もゝはがき」を掲載。

10月26日

小村・ローゼン第4回会談。

10月26日

渋谷清蔵・大坂金助らが発起人となり、青森育英会結成。

10月27日


(漱石)「十月二十七日(火)、雨。東京帝国大学文科大学で、 Macbeth と「英文学概説」を講義する。文科大学の教官室宛に届けられた匿名の葉書を、Macbeth の時間に面白いからと読みあげる。」

「漱石のカイゼル式の髭、カフス、ハンケチなどをひやかす。「六道の辻にて、シェークスピアー」の署名で大学気付夏目様とある。」(荒正人、前掲書)


「・・・十月二十七日の火曜日、金之助は文科大学教官室で一通の葉書を受け取った.その宛名は大学気付夏日様とあり、差出人は「六道の辻にて、シェークスピアーより」としてあった。

これは要するに彼を巧妙に揶揄した投書であった。この「シェークスピアー」はまず彼の気取ったカイゼル髭をからかい、カフス・リンクを廻転させるくせを指摘し、ハンカチの扱い方を気障だといってきめつけていた。

「・・・先生はこのハンケチの災厄に祟られてお気の毒にもきざな誇学者的偽紳士(ペダンテイツクスノブ)としての汚名をすらあぴせかけられて、心中私に平らかならざるものがお在りのやうに私は推定した。『マクベス』の評釈は『サイラス・マーナー』や『文学論』に比して遥かに学生の好評を博した講義であっただけそれだけ、六道の辻の発信者も、これに対して毒の在る認識は避けてゐた。しかし、それにしても此の講義の大入り繁昌の札止め景気に対して揶揄した口吻を言外にもらしてゐた」(金子健二『人間漱石』-「髭とカフスとハンケチ」)

金之助は「一見無造作に」面白い投書が来たといって教室でこの葉書を読み上げた。投書者はおそらく英文科生のだれかであり、ハーン辞任事件以来底流していた不満がこのような陰湿な表現を求めたものと思われる。彼が心中激怒していたことはいうまでもない。その証拠に翌翌日の『マクベス』の訳解は「正確適切にして一点のあいまいな所な」く、学生たちは彼の凍りついた怒りに触れるように感じて首をすくめた。」(江藤淳『夏目漱石とその時代2』)

10月27日

(露暦10/14)露、ガボン、労働者喫茶クラブ活動報告をペテルブルク特別市長官クレイゲリスと警保局長ロブーヒンに提出。

10月28日

ロシア軍(東部シベリア第15狙撃連隊)、奉天再占領(第2期撤兵を守っていた)。

10月28日

煙草製造官業化反対奥羽連合大会、仙台市で開催。

10月28日


(漱石)「十月二十八日(水)、水彩画を描く。」

「寺田寅彦か橋口貢の刺激によるものと思われる。明治三十七年以降、橋口貢と最も頻繁に桧葉書を交換している。」(荒正人、前掲書)

「十月二十八日(水)から三十日(金)の間(極めて不確かな推定)、中根重一来る。久し振りに逢う。金策のため保証人になって欲しいとのことであったが断る。

十月二十九日(木)、曇。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。」

「中根重一の懇請には応じなかったが、応分の金策をすることになり、友人に借金を申し入れたが金を持合せていなかった。妹婿の「清水」という下町の病院長に依頼し、四、五日経って四百円を中根重一に融通する。以上は、『道草』七十四による推定である。但し、人名・場所・日数・金額は、実際とは異なっていると想像される。初めのうち一、二度は、中根重一が自ら出向いていたが、息子倫を使いに来させ、高利貸しから漱石の印さえあれば猶予するといわれたと云って来る。義理もあるが、両家が倒産ではこまると説く。翌朝、執達吏が来るという夜、明け方一二時頃まで説得する。」(荒正人、前掲書)


10月28日    

ハンガリー、第1次ティサ・イシュトヴァーン内閣成立。この月、ティサ率いる自由党特別委員会はハンガリー軍旗の使用、ハンガリー軍事裁判でのマジャール語使用、帝国軍でのハンガリー将校の登用などを決め、フランツ・ヨーゼフもこれを承認。~1905年6月18日、二重体制の忠実な支持者。

10月29日

清・仏、ベトナム~雲南鉄道敷設経営に関する、滇(テン)越鉄道敷設協定に調印。

10月29日

日本郵船の東海丸、北海道矢越沖でロシア船と衝突沈没、150人あまりが死亡。

10月29日


「夏目氏の『マクベス』、訳は上出来なれども批評的言語を混ずるときは聞く者をして倦〔う〕ましむ。要するに、陳腐なることを六ケ敷相〔むずかしそう〕に述ぶるは其〔その〕大欠点なり」(金子健二の日記1903年10月29日)


つづく

2025年4月9日水曜日

鎌倉 妙本寺 モミジの新緑が鮮やか ソメイヨシノは終了 八重桜が開花 シャガ ツツジ 大巧寺でもウコンが開花 2025-04-09

 4月9日(水)

新緑の鮮やかさが映える妙本寺、ソメイヨシノは(ここまでとは想像しなかったが)殆ど散って観る影がない。

海棠は多分半分ほど散ったと思われるが、まだ可愛い花を残している。

但し、関山か一葉か?、八重の桜が開花した。

なお、この日の鶴岡八幡宮の桜はコチラ ↓

鎌倉の桜 鶴岡八幡宮(段葛の桜は満開、源氏池の桜) 若宮大路の桜(郵便局あたり) 2025-04-09

▼境内至る所のモミジの新緑が鮮やか





▼ソメイヨシノはこんな感じ↓

▼海棠は大半が散ったとはいえ、まだまだ捨てたもんじゃない




▼八重桜が咲き始める


▼シャガ

▼カラムラサキツツジ

▼大巧寺でもウコン(鬱金)が咲き始めていた

鎌倉の桜 鶴岡八幡宮(段葛の桜は満開、源氏池の桜) 若宮大路の桜(郵便局あたり) 2025-04-09 

 4月9日(水)晴れ

今日は快晴で且つ暖かい(20℃超)。

鎌倉の桜を見に行った。

鶴岡八幡宮段葛の桜は満開で見頃。

一方、鶴岡八幡宮源氏池畔の桜は2割程度は散っている様子(ほぼ平均的な状況か?)。

また、別記事になるが、妙本寺の桜はもう殆どが散ってしまって、見る影もないという状況。但し、八重桜が咲き始めている。

鎌倉 妙本寺 モミジの新緑が鮮やか ソメイヨシノは終了 八重桜が開花 シャガ ツツジ 大巧寺でもウコンが開花 2025-04-09

▼段葛の桜

段葛の殆ど全ての部分で、桜のトンネルができていて、桜がびっしりと頭上を覆っている。





▼源氏池の周囲の桜
これで、だったい2割くらいは散っているのでしょうか?





▼若宮大路の郵便局あたりの桜

▼郵便局前の桐ヶ谷
源氏池と本覚寺の桐ヶ谷も花の密集度マックスの状況だった。

AP通信のホワイトハウスからの締め出しは「違憲」 米裁判所が判断(朝日)

マスク氏、関税撤回をトランプ氏に直訴 政権内で不和も 米紙報道(朝日) / イーロン・マスク氏「本当にバカだ」トランプ政権で関税政策主導のナバロ大統領上級顧問を強く批判 テスラの海外部品輸入への発言がきっかけ(TBS) / トランプ氏の関税政策に億万長者ら相次ぎ反発、「常軌を逸している」(CNN)    

 

大杉栄とその時代年表(460) 1903(明治36)年10月14日~19日 「私は数箇月前迄日本の凡ゆるジャーナリズムが(戦争は文明に到達する楷梯なり)といふ一種の流行語をたゞしいものだと考へてゐた。しかし、現在に於て少なくとも私は此の合ひ言葉に疑義を挿んでゐる。自然科学に依りて教へられた万物進化の過程なるものは、さう簡単に此の合ひ言葉を合理化し得るものであるだらうか。私は此の事に就いて今後研究してみようと考へた。」(金子健二『人間漱石』)  

 

加治時次郎

大杉栄とその時代年表(459) 1903(明治36)年10月9日~13日 「この「退社の辞」は特に青年に大きな影響を及ぼし、当時まだ横須賀海軍造船工廠の少年見習工だった著者(*荒畑寒村)は、これを読んで感奮して社会主義者たる意を決した。また、かつて社会党委員長であった故河上丈太郎は、中学校在学中にこの一文から非常な感激をうけたといわれる。」(「寒村自伝」) より続く

1903(明治36)年

10月14日

清国、鉄路簡明章程制定。

10月14日

小村・ローゼン第3回会談。ロシア側の対案への日本の修正案を提出。ローゼン公使、満州に関する協議拒否。

10月14日

『都新聞』、この日の「時局解決唯一の策」において、これ以上の日露交渉は無意味と主張。

10月14日

伊藤銀月「枯川、秋水二兄を送る」(「万朝報」)。「「かざりなくいえば、予は・・・中兄(枯川)には少しく敬服し、小兄(秋水)には較(やや)多く畏服しつつあるなり」。節を全うするようにと送る。

伊藤銀月(ぎんげつ、明治4(1871)年10月21日~昭和19(1944)年1月4日)

評論家、小説家。秋田市保戸野諏訪町に生まれる。本名は銀二。17歳のとき、県立秋田中学を中退して上京、その後各地を転々し、27歳のとき萬朝報記者となり名をなす。みずから「予は自己の不平を語るを以て趣味となす」(『太閤記 自序』)といい、性、奇気奔放、「銀月式」とうたわれた文章によって、小説、歴史、人物論、紀行随筆など多方面に才能を発揮した。また社会や政治にたいして批判的な意見を持っていたが、その基調は、社会正義からくるロマンチックな反近代の姿勢を貫くことにあった。幸徳秋水の序文を付して刊行された『詩的東京』(明治34年11月 曙光社)にその特徴が最もよく出ている。この書は、近代化の波をうけ、江戸情緒が無惨にも失われていく東京の姿を愛惜した文明批評であり、また詩人的な鋭い感覚がとらえた都市改造論である。

10月14日

英仏、司法・条約上の問題はハーグの国際仲裁裁判所に持ち込む調停協約(英仏仲裁裁判条約)調印。

12月25日、仏伊も同様協約調印。

10月15日

『国民新聞』(政府系)、「光栄ある平和」「安全なる平和」を望み、「不安全なる平和」「不名誉なる平和」を拒否するとして、「東洋に於ける平和の擁護者」であり「人道の味方」である日本が、実力行使を行うべきであると開戦論を主張(10月15日「平和の擁護者」、10月16日「策を要せず力を要す」。)。

10月15日

『時事新報』、「極東の平和」を掲げて、「清韓地方」におけるロシアに一日も早く開戦すべきと述べる。但し、同紙は10月11日「満州問題と人種問題」において、黄禍論について、日英同盟は「清韓保全を根底の主義とする」もので、日本は欧米とともに「文明諸国」なので、「妄説」として一蹴しており、「極東」の諸国との連帯意識はない。

10月15日

非開戦論を唱えていた『毎日新聞』は、10月2日「露人に対する判決期」、10月4、5日「満州問題(一)(二)」において、「此儘にして日月を空過せしむ可からず」と従来の姿勢からの転換を仄めかすようになっていた。更に、10月15日「清韓人に反顧の卑心を生ぜしむると勿れ」において、ロシアの満州・韓国での横暴を認めることは、「清韓二国人をして、露の示威的行動に中てられて、事大の卑心を長ぜしむると勿れ」、また、「清韓二国人をして反顧の心を生ぜしめざらんと、是れ切迫の要務也」と、満州・韓国の人々が「親露」的な行動に傾くことを危惧した。

10月15日

社会主義協会メンバの幸徳・堺の同情会。席上、加藤時次郎が新聞発行の創業費貸与を言明。先に、保証金(1千円)については小島竜太郎(兆民の高弟、元内閣書記官長)が貸与を約束。協会幹事改選の話題が出て、結果、片山潜が解任され、西川光二郎・斉藤兼次郎が選挙で幹事となる。また、新たに幸徳・堺・木下尚江が幹部となる。

10月15日


(漱石)「十月十五日(木)、晴。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。「先生の講評は今日はなかなか油が乗ってゐた。」(金子健二『人間漱石』)」(荒正人、前掲書)

10月16日

海相山本権兵衛中将、舞鶴鎮守府司令長官東郷平八郎中将に極秘上京を命令。常備艦隊司令長官とする。

10月16日

利島・川辺両村合同村民大会、遊水化計画に対し堤防築く決議。相愛会指導

12月27日、埼玉県知事木下周一、両村廃村計画断念。

10月17日

『萬朝報』、この日の「今に於て何の交渉か」において、これ以上の日露交渉は無意味と主張。

10月18日

この頃の漱石の教室の雰囲気。英文科の学生金子健二『人間漱石』の10月18日の日記。


「此の日、英文科の大教室で盛に日露戟争の成りゆきに就いて議論を闘はしてゐた者があった。勿論是等の議論は日本軍の勝利に多大の歓喜を感じた者の大多数が戦争そのものゝ文化的効果をすら理論的に承認しようとするその態度に対して少数の、しかし、なかなか論鋒の鋭い一団の非戦論者が堂々舌戦の陣を張った事に其の原因を持つてゐた。」

「私は数箇月前迄日本の凡ゆるジャーナリズムが(戦争は文明に到達する楷梯なり)といふ一種の流行語をたゞしいものだと考へてゐた。しかし、現在に於て少なくとも私は此の合ひ言葉に疑義を挿んでゐる。自然科学に依りて教へられた万物進化の過程なるものは、さう簡単に此の合ひ言葉を合理化し得るものであるだらうか。私は此の事に就いて今後研究してみようと考へた。」


10月19日


(漱石)「十月十九日(月)、晴。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。午後一時から三時まで Macbeth を講義する。」(荒正人、前掲書)

10月19日

ロシア、「極東特別委員会」発足。議長ニコライ2世。メンバ:皇族、外相ラムスドルフ、蔵相プレスケ、内相プレーヴェ、陸相クロパトキン大将、海相アウエラン大将、極東総督アレキセーエフ大将、宮廷顧問官ベゾブラゾフ(クロパトキン以外はベゾブラゾフ派。ラムスドルフもウィッテ辞任後は無抵抗)。


つづく

米最高裁、「敵性外国人法」による強制送還認める トランプ政権にとって勝利(CNN); 1798年に制定された「敵性外国人法」 / 米最高裁、敵性外国人法に基づく強制送還を制限付きで容認() ; 最高裁は5対4で命令解除を認めた。ただ、過半数の判事は強制送還に制限を設けるべきだと主張し、司法審査の必要性を強調。   

2025年4月8日火曜日

横浜の桜 みなとみらい 桜通りの桜並木 汽車道 万葉倶楽部横 お昼はなだ万で 2025-04-08

 4月8日(火)晴れ

元町公園、港の見える丘公園の次は、みなとみらいの桜を観に行く。

横浜の桜 元町公園前バス停周辺(自働電話、横浜聖教会) 港の見える丘公園(近代文学館、霧笛橋) 2025-04-08

▼さくら通りの桜並木を桜木町駅に通じる陸橋から見る



▼桜並木をパシフィコ横浜辺り(終点)まで歩く



▼汽車道の桜
たくさんの人がシートを広げ、食べたり飲んだり昼寝したり





▼バックに万国橋

▼ワールドポーターズから見た汽車道
ここから見ると、エアキャビン(ゴンドラ)、どんだけぶら下がってんの!と思う

▼次は、万葉倶楽部横の桜エリア



▼お昼はなだ万(ホテルインターコンチ)




▼ホテルから見ると、ハンマーヘッドに練習船だろうか?帆船が係留していた


横浜の桜 元町公園前バス停周辺(自働電話、横浜聖教会) 港の見える丘公園(近代文学館、霧笛橋) 2025-04-08

 4月8日(火)晴れ

横浜、元町公園前バス停周辺の桜は毎年必ず見ておきたい。

今年は、横浜で満開宣言が出た頃(4日)は京都に居たので、やや焦っていたが、散り始めてはいるもののまだ見頃を保っている時期に来ることが出来た。

次に、港の見える丘公園に移動して、近代文学館周辺の桜を眺めた。

このあと、みなとみらいの桜を見に行った。

横浜の桜 みなとみらい 桜通りの桜並木 汽車道 万葉倶楽部横 お昼はなだ万で 2025-04-08

▼「自働電話(というらしい)」を三方向から撮ってみた




▼横浜聖公教会

▼山手西洋館をバックに

▼港の見える丘公園から近代文学館に通じる道にあるソメイヨシノの巨木
周囲にチューリップ


▼霧笛橋の下から港方向

▼ベイブリッジを眺める

▼霧笛橋上から大佛次郎記念館裏手を眺める