1903(明治36)年
10月14日
清国、鉄路簡明章程制定。
10月14日
小村・ローゼン第3回会談。ロシア側の対案への日本の修正案を提出。ローゼン公使、満州に関する協議拒否。
10月14日
『都新聞』、この日の「時局解決唯一の策」において、これ以上の日露交渉は無意味と主張。
10月14日
伊藤銀月「枯川、秋水二兄を送る」(「万朝報」)。「「かざりなくいえば、予は・・・中兄(枯川)には少しく敬服し、小兄(秋水)には較(やや)多く畏服しつつあるなり」。節を全うするようにと送る。
伊藤銀月(ぎんげつ、明治4(1871)年10月21日~昭和19(1944)年1月4日)
評論家、小説家。秋田市保戸野諏訪町に生まれる。本名は銀二。17歳のとき、県立秋田中学を中退して上京、その後各地を転々し、27歳のとき萬朝報記者となり名をなす。みずから「予は自己の不平を語るを以て趣味となす」(『太閤記 自序』)といい、性、奇気奔放、「銀月式」とうたわれた文章によって、小説、歴史、人物論、紀行随筆など多方面に才能を発揮した。また社会や政治にたいして批判的な意見を持っていたが、その基調は、社会正義からくるロマンチックな反近代の姿勢を貫くことにあった。幸徳秋水の序文を付して刊行された『詩的東京』(明治34年11月 曙光社)にその特徴が最もよく出ている。この書は、近代化の波をうけ、江戸情緒が無惨にも失われていく東京の姿を愛惜した文明批評であり、また詩人的な鋭い感覚がとらえた都市改造論である。
10月14日
英仏、司法・条約上の問題はハーグの国際仲裁裁判所に持ち込む調停協約(英仏仲裁裁判条約)調印。
12月25日、仏伊も同様協約調印。
10月15日
『国民新聞』(政府系)、「光栄ある平和」「安全なる平和」を望み、「不安全なる平和」「不名誉なる平和」を拒否するとして、「東洋に於ける平和の擁護者」であり「人道の味方」である日本が、実力行使を行うべきであると開戦論を主張(10月15日「平和の擁護者」、10月16日「策を要せず力を要す」。)。
10月15日
『時事新報』、「極東の平和」を掲げて、「清韓地方」におけるロシアに一日も早く開戦すべきと述べる。但し、同紙は10月11日「満州問題と人種問題」において、黄禍論について、日英同盟は「清韓保全を根底の主義とする」もので、日本は欧米とともに「文明諸国」なので、「妄説」として一蹴しており、「極東」の諸国との連帯意識はない。
10月15日
非開戦論を唱えていた『毎日新聞』は、10月2日「露人に対する判決期」、10月4、5日「満州問題(一)(二)」において、「此儘にして日月を空過せしむ可からず」と従来の姿勢からの転換を仄めかすようになっていた。更に、10月15日「清韓人に反顧の卑心を生ぜしむると勿れ」において、ロシアの満州・韓国での横暴を認めることは、「清韓二国人をして、露の示威的行動に中てられて、事大の卑心を長ぜしむると勿れ」、また、「清韓二国人をして反顧の心を生ぜしめざらんと、是れ切迫の要務也」と、満州・韓国の人々が「親露」的な行動に傾くことを危惧した。
10月15日
社会主義協会メンバの幸徳・堺の同情会。席上、加藤時次郎が新聞発行の創業費貸与を言明。先に、保証金(1千円)については小島竜太郎(兆民の高弟、元内閣書記官長)が貸与を約束。協会幹事改選の話題が出て、結果、片山潜が解任され、西川光二郎・斉藤兼次郎が選挙で幹事となる。また、新たに幸徳・堺・木下尚江が幹部となる。
10月15日
(漱石)「十月十五日(木)、晴。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。「先生の講評は今日はなかなか油が乗ってゐた。」(金子健二『人間漱石』)」(荒正人、前掲書)
10月16日
海相山本権兵衛中将、舞鶴鎮守府司令長官東郷平八郎中将に極秘上京を命令。常備艦隊司令長官とする。
10月16日
利島・川辺両村合同村民大会、遊水化計画に対し堤防築く決議。相愛会指導
12月27日、埼玉県知事木下周一、両村廃村計画断念。
10月17日
『萬朝報』、この日の「今に於て何の交渉か」において、これ以上の日露交渉は無意味と主張。
10月18日
この頃の漱石の教室の雰囲気。英文科の学生金子健二『人間漱石』の10月18日の日記。
「此の日、英文科の大教室で盛に日露戟争の成りゆきに就いて議論を闘はしてゐた者があった。勿論是等の議論は日本軍の勝利に多大の歓喜を感じた者の大多数が戦争そのものゝ文化的効果をすら理論的に承認しようとするその態度に対して少数の、しかし、なかなか論鋒の鋭い一団の非戦論者が堂々舌戦の陣を張った事に其の原因を持つてゐた。」
「私は数箇月前迄日本の凡ゆるジャーナリズムが(戦争は文明に到達する楷梯なり)といふ一種の流行語をたゞしいものだと考へてゐた。しかし、現在に於て少なくとも私は此の合ひ言葉に疑義を挿んでゐる。自然科学に依りて教へられた万物進化の過程なるものは、さう簡単に此の合ひ言葉を合理化し得るものであるだらうか。私は此の事に就いて今後研究してみようと考へた。」
10月19日
(漱石)「十月十九日(月)、晴。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。午後一時から三時まで Macbeth を講義する。」(荒正人、前掲書)
10月19日
ロシア、「極東特別委員会」発足。議長ニコライ2世。メンバ:皇族、外相ラムスドルフ、蔵相プレスケ、内相プレーヴェ、陸相クロパトキン大将、海相アウエラン大将、極東総督アレキセーエフ大将、宮廷顧問官ベゾブラゾフ(クロパトキン以外はベゾブラゾフ派。ラムスドルフもウィッテ辞任後は無抵抗)。
つづく
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