2025年4月30日水曜日

横浜散歩 アメリカ山公園~港の見える丘公園~フランス山~山下公園 バラは咲き始め ミヤコワスレ 西洋オダマキ シラー・カンパニュラータ(釣り鐘水仙) シラン ジャーマンアイリス各種 2025-04-30

 4月30日(水)晴れ

久しぶりに、アメリカ山公園~港の見える丘公園~フランス山~山下公園を散歩。

ハナミズキがすっかり散っているのに驚いた。

薔薇はまだほんの咲き始め。

そこここにジャーマンアイリスが目立った。

▼アメリカ山のバラ


▼白モッコウバラ


▼黄モッコウバラ



▼岩崎ミュージアム

▼港の見える丘公園

▼山下公園

▼ミヤコワスレ(アメリカ山)

▼西洋オダマキ

▼シラー・カンパニュラータ(釣り鐘水仙)

▼シラン

▼ジャーマンアイリス各種(このところの風雨により倒れているもの多い)



【日経特報】アメリカ政府サイト、消えた1000ページ(日経); DEIや気候変動、議会襲撃事件などが対象で、多くはトランプ氏の大統領令に基づきます。消失を時系列で追い、削除された画像や記述の改変を調査しました。



 

日系EVに中国の技術…トヨタはファーウェイのOS採用、ホンダはディープシークAIを導入  開幕中の上海モーターショーで、日系メーカーが中国の最先端技術を取り入れる戦略を打ち出している。(読売) ; 上海の男性「日本車は革新性に欠けている

飛び交う罵声、米共和党議員の集会が大荒れ-トランプ氏への怒り噴出(Bloomberg);「対話集会は、怒号や罵声が飛び交う混乱した場となった。参加した有権者らは、トランプ大統領や共和党議員に対する不満や怒りをあらわにした。」

万博会場の「文明の森」が立ち入り禁止に 倒木の可能性の指摘受け(朝日) / 万博会場への自動運転バス運行を一時中止 回送中に事故、原因を調査(朝日)

 

大杉栄とその時代年表(481) 1904(明治37)年1月30日~31日 「……平戦何(いづ)レニカ決セラルルハ、今ヤ数日ノ中ニアルモノト認ム。 干戈相見(あひまみ)ユルニ至ラバ、第一著ニ敵ニ接スルハ我ガ海軍ノ任務ナルベキヲ以テ……我ガ軍隊ノ行動ハ、恒(つね)ニ人道ヲ逸スルガ如キコトナク、終始光輝アル文明ノ代表者トシテ恥ヅル所ナキヲ期セラレムコト、本大臣ノ切ニ望ム所ナリ」(山本海軍大臣訓示)

 

山本権兵衛

大杉栄とその時代年表(480) 1904(明治37)年1月20日~29日 「我邦は実に人口の繁殖の為に土地の必要あり。而して工業生産物の排泄の為に新市場の必要あり。・・・この大なる要求を満足せしめ、永く他国の圧迫より脱するは戦争の結末による外なし」(長編社説「和戦の決と其得失」(内藤湖南)(「大阪朝日」)) より続く

1904(明治37)年

1月30日

この日付の池辺三山の日記。

陸軍従軍記者配置の件、ロンドン電報の特別待遇を獲得する件、大本営が広島に設置されるらしいので、あらかじめ広島に特設電話を設けて情報の即時伝達を図る件などについて、新聞社幹部と相談したとある。

1月31日

山本海相、各司令長官、司令官に開戦に備える訓示発信。


「……平戦何(いづ)レニカ決セラルルハ、今ヤ数日ノ中ニアルモノト認ム。

干戈相見(あひまみ)ユルニ至ラバ、第一著ニ敵ニ接スルハ我ガ海軍ノ任務ナルベキヲ以テ……我ガ軍隊ノ行動ハ、恒(つね)ニ人道ヲ逸スルガ如キコトナク、終始光輝アル文明ノ代表者トシテ恥ヅル所ナキヲ期セラレムコト、本大臣ノ切ニ望ム所ナリ」


1月31日

芝罘駐在の森義夫海軍中佐よりの諜報報告。


「士官兵員の上陸にあっても艦長大に之を制限せり、一月三十一日は日曜休日なりしも艦隊の各艦よりは一人の水兵上陸するもの無く」と臨戦態勢に入りつつあることを伝える。


1月31日

『平民新聞』第12号発行

英文欄。

「比較的大型の船舶はおおむね開戦の際、政府に徴用される了解の下に登録し、船主はその船舶が近海以外に出航するを好まず、従って北鮮および北海道に就航する船舶は極めて少なく、その貨物運賃は倍加するに至った。小内港航路の船舶すら、その貨物運賃をニー三割方増加したといわれる。

海上保険の三会社は戦時、政府によって徴用される船舶の保険料を、従来の八%弱から一一四%(ママ)に増そうとし、船主はこの過当な要求を拒絶する問題を考究中である。

銀行は昨年末、貸出しにいささかも躊躇しなかったが約二週間前からすこぶる慎重となり、従って利子は逐次増加しつつある。

倉庫は先月来、戦時資材が急速に出て行くが平時資材は入って来ず、東京の五大倉庫会社はみな事業の沈滞を経験している。戦時資材すなわち鉄、鋼、皮革、レザーは今や売行き旺盛を極め、通例この季節には鉄の需要は多くないのだが、今では一〇〇%或はそれ以上に昇っている。

皮革の需要は去る十一月以来増加し、年末には大阪から大量の注文があり、そして東京では供給払底しているので商人は輸入を待望し、値段にかまず供給を得ることに懸命である。

一方、東京の砲兵工廠は新たに十四歳から四十五歳までの女子労働者八百人を雇い入れたが、その賃銀は一日十六銭から五十銭の間にあり、労働時間は少なくとも十時間に及ぶ。しかも戦争が終れば、彼等は情容赦なく工廠から追い出される運命にある。」(荒畑「平民社時代」)

「第十二号には珍しく、進化学説に関する理論的批判が発表されている。この頃、丘浅次郎博士の大著『進化論講話』が出て社会の歓迎をうげ、頓に進化論に関する思想の流行を見るに至った。堺は自署して本書の特別紹介をこころみ、その文章の一般科学書の晦渋に似ぬ平易、そのダーウィン説の解明の周到を賞讃しているが、丘がヤソ教の天地創造説に「余りにウルサク当つているところは、日本では的なきに矢を放つた観がある」と評した。そしてまた、丘の社会主義に対する見解が、世上多くの生存競争論者とひとしく速断に陥っているのを批判してもいる。・・・

その新刊紹介の記事と照応して第一面ほとんど全部を社説「人類と生存競争」にあて、「社会主義が現時の自由競争を禁ぜんとするは、これダーウィニズムの生存競争の理法に矛盾する」となす俗説を反駁した。人類の生存競争は跡を絶たないがその目的理想は常に進化し、その方法は常に向上していることを知らねばならぬ。生物の進化は独り生存競争によるだけでなく、また実に生存協同の恩に浴すること多大なのである。生物の協同の度は常にその食物の多少に比して増減し、食物豊富なれば互いに相親しむも、さもないとその競争は残忍酷烈なるを免がれない。ゆえに衣食の競争が現時のごとく激烈なのは、決して社会を進化せしむる所以でなく、各人をして速かに経済上の平等を得きしめ、その協同の範囲を拡張鞏固ならしめるのでなければ、人類はかえって野獣の域に退化するであろう。

ダーウィンの進化説は千古の真理であるが、ただ生物自然の進化する理法を説明するにとどまり、これを人類社会の上に適用した創見は近世社会主義の祖師マルクスに帰せられなければならぬ。ダーウィンの進化説はマルクスの『資本論』によって、初めて大成されたものというべく、社会主義を以て進化説と矛盾するとなすがごときは未だ社会主義を知らないのみでなく、進化説をも知らないものであると論断したのである。」(荒畑「平民社時代」)


1月31日

(漱石)

「一月三十日(土)、曇。夜、寺田寅彦来る。(寺田寅彦、帰省先から二十九日(金)午後十時、新橋停車場着。)蜜柑と銅硯を土産に貰う。」(荒正人、前掲書)


1月31日 

漱石「俳句と外國文學(談話)」(『紫苑』)

1月下旬

社会主義協会本部を片山潜宅より平民社に移す


つづく

2025年4月29日火曜日

大船フラワーセンター 藤が見頃満開 シャクヤク咲き始め モッコウバラ(白は見頃、黄は咲き始め) ひとつばたご(なんじゃもんじゃ)見頃満開 ハンカチの木 イチハツ ネモフィラ 2025-04-29

 4月29日(火)晴れ

晴天のGWということで、普段はそんなに混雑しない大船フラワーセンターだが、今日は大勢の人出だった。いつもはガラガラの駐車場も、ほぼ満車状況のように見えた。

藤は、見頃、満開だが、厳密には白藤が満開、青はピーク越えの感じ。

シャクヤクは咲き始めていて、一週間以内には満開になるのでは?

薔薇は、白モッコウが見頃にさしかかるところ、黄モッコウはまだこれからか?(他より遅い感じかな?)

なんじゃもんじゃは、今がちょうど見頃。

▼藤

まだまだ満開、見頃だが、青はピーク過ぎの感じ






▼シャクヤク
シャクヤク庭園のまだぎりぎり2割ほどの開花状況
ただ、この一週間以内にはドッと咲き揃うような予感





▼ショウキウツギ


▼白モッコウバラ


▼黄モッコウバラ


▼ハンカチの木

▼イチハツ

▼ヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)
二ヶ所にある


▼ネモフィラの後にもう一つのナンジャモンジャ


「カナダをアメリカ 51番目の州に」というトランプの発言や高関税が、カナダ人を対トランプで結束させ、当初保守寄りだった選挙結果がひっくり返ってしまった。今回の選挙で英語的に興味深かったのは、 Elbows up Canada! 「両肘を上げて」というフレーズ。アイスホッケーで肘を使ったデイフェンスが特に上手かったゴーディ・ハウ (Gordie Howe)からとって、Elbows up は「最強のディフェンスを展開しつつ、必要なら強く応戦する構え」を意味するようになったという。(Mystery Parrot (ミスパロ)さんツイートより)  

JPモルガンのダイモンCEOは「米国経済はリセッションなら最善だ」と述べた。本来リセッションは回避すべきだが彼の発言は「運が良くてもリセッション、悪ければもっと深刻な危機」という意味だ。市場は楽観的だが金融リーダーが警鐘を鳴らす現実とのギャップが拡大している(朝倉智也)。     

 

中国「決してひざまずくことはない」“トランプ関税”批判する動画公開(TBS);「“台風の目”というものを知っているか?一見、平穏のように見えて、それは流血の嵐を招く致命的な罠である」 「いじめに頭を下げるのは毒を飲んで渇きを癒すようなもの、さらなる危機に陥るだけだ」

 

大杉栄とその時代年表(480) 1904(明治37)年1月20日~29日 「我邦は実に人口の繁殖の為に土地の必要あり。而して工業生産物の排泄の為に新市場の必要あり。・・・この大なる要求を満足せしめ、永く他国の圧迫より脱するは戦争の結末による外なし」(長編社説「和戦の決と其得失」(内藤湖南)(「大阪朝日」))     

 

内藤湖南

大杉栄とその時代年表(479) 1904(明治37)年1月17日 「そしてこの戦争は勝敗の如何にかかわらず、恐るべき惨害を人類に及ぼすべきを確信する。それは貧民の犠牲において貪婪(どんらん)な資本家を富ませ、兵士の費用で将軍に多大の栄誉をもたらすが、しかし、何よりも国家にとって最悪なのは戦争が、ほとんど絶望的な窮乏と苦悩の生活に沈淪(ちんりん)している多数無辜(むこ)の寡婦孤児をつくることである。」(「戦争と兵士の家族」(『平民新聞』第10号)) より続く

1904(明治37)年

1月20日

韓国、買収・脅迫により「日韓協定案」纏まる。皇帝からの委任を記さず、韓国外相と林公使の「議定書(Protocol)」とする。

調印予定日を23日とするが、21日に政府は局外中立宣言を行う。韓国政府は、日本に対し局外中立の承認と引換えに「日韓議定書」(秘密同盟)調印を行うと通知

小村外相は、中立不承認を選択。韓国では、林公使との交渉にあたってきた李址鎔外相・閔泳喆軍相が罷免、局外中立を推進してきた李容翊が度支相(蔵相)に就任。

局外中立宣言にたいして、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、デンマーク、清国が承認。日本とロシアは不承認。

中立国が有する領土主権にもとづく権利には、領土・領水内における作戦行勤の禁止、交戦国軍隊の通過禁止、交戦国の港湾使用禁止、交戦国の自国内への避難防止などが含まれる。韓国が中立国となることは、対露戦を準備中の日本にとって作戦計画の全てを失うことを意味した。

1月20日

日本、英米独仏に対し日露交渉への仲裁拒絶を声明。

1月21日

内村鑑三「基督教と社会主義(再び)」(「聖書之研究」第48号)。二者の訣別。

1月22日

ノルウェー、西海岸の町アーレスンド、火事で壊滅状態。1万人以上が焼け出される。

1月23日

社会主義協会、第1回社会主義婦人講演会を開催。

1月24日

『平民新聞』第11号発行

幸徳秋水「戦争と道徳」

「国際道徳の程度低きに藉口して、戦争の罪悪たるを知り乍ら猶ほ之に賛同し之を煽起する者」を痛撃する一文。

「日本社会党と仏国社会党」


「『平民新聞』第十一号は「日本社会党と仏国社会党」と題して、フランス社会党がその機関紙『プチ・レパプリク』の前年十一月二十四日号で、日本の社会主義者に深甚なる同情を寄せたことを報じた。同紙は日本における同志の運動につき、「彼等が非常な困難の中で社会主義の伝道につくしている事。日本政府は社会主義者を迫害し、片山の雑誌が罰金刑に処せられた如きはその一例なる事。東京の社会党はかかる政府の迫害にも屈せず、ますます結束を固くして国家主義者の対露戦争挑発とたたかっている事」に言及している。」(荒畑「平民社時代」)


第11号より、平福百穂に加えて小川芋銭が「平民新聞」挿絵担当に加わる。

1月24日

~29日、長編社説「和戦の決と其得失」(内藤湖南)(「大阪朝日」、5回)。

最終回で、「我邦は実に人口の繁殖の為に土地の必要あり。而して工業生産物の排泄の為に新市場の必要あり。・・・この大なる要求を満足せしめ、永く他国の圧迫より脱するは戦争の結末による外なし」。あからさまな植民地の要求。

池辺三山は、外務省亜細亜局長山座円次郎や参謀本部次長児玉源太郎中将(内務大臣兼台湾総督から一段低い地位に敢えて就き、全陸軍の輿望を担う)と緊密な連絡をとり、正確なデータを入手し、それに基づく情報を刻々大阪へ流す。「大阪朝日」論説陣内藤湖南、西村天囚、鳥居素川は夫々主戦論を唱える


1月25日

露ニコライ2世、極東総督アレクセーエフ大将に対し、旅順とウラジオストク両要塞に戒厳令をしく件を裁可。またアレクセーエフ総督は予備役期間中の艦隊を31日に就役させるよう命令。

1月25日

アメリカの作家ジャック・ロンドン、ハースト系の新聞社の特派員として、この日、横浜に到着。

彼は、朝鮮半島に渡航するために立ち寄った門司の撮影禁止地区で、軍事物資等の輸送準備をしていた日本軍の部隊に遭遇し、そこが撮影禁止地区であることを知らずに撮影を行ったために、スパイ容疑で一晩拘留される。このために仁川到着も遅れ、結局、戦争開始の6日後になり、開戦の第一報を送るという計画は流れてしまった。

1月25日

鉄道軍事供用令公布。

1月25日

(漱石)

「一月二十五日(月)、束京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。

一月二十六日(火)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

清水彦五郎(東京帝国大学)を訪ね、外山正一博士奨学金寄附に応じようと思い、他とのつり合いについて尋ねようと思ったけれども、不在だったので引き返す。

一月二十七日(水)、外山正一博士奨学金寄附に応じて、清水彦五郎宛手紙に五円を封入して送る。

一月二十八日(木)、みぞれ。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。(金子健二)」


「「英文学概説」の時間に次のような意味のことを話す。”近頃の日本文学創作家や文芸評論家は皆異口同音に、芸術は芸術それ自身の為に存在するものであるから、道徳的要素はこれを駆逐すべきものであると主張しているが、これは大きな誤りであって、人生は道徳なしでは存在するものでなく、髄って道徳そのものと争おうとすると他の人生上の諸問題が、道徳との乖離反目を中心として大きな文学上の材料を提供するのが当然であるから、道徳的要素をぬきにしてしまったならば文学は果たして独自的に存在する事が出来るか杏かは大きな疑問である。(金子健二『人間漱石』)」(荒正人、前掲書)


1月25日

米、ペンシルバニアの鉱山で鉱夫200人が生き埋め。

1月26日

小村寿太郎外相、露に回答督促するよう栗野慎一郎駐露公使に訓令。

1月27日

日本との妥協の可能性のあるロシア側案が届く可能性があるとの外務省情報、大山巌参謀総長に届く(伊藤之雄「立憲国家と日露戦争」第1部第3章「露国の日本に対する英仏側の情報」、1904年1月27日「大山巌文書」、国立国会図書館憲政資料室寄託)。

1月27日

「二六新報」、挙国一致のため、内閣が総辞職して、「人民が倚頼せんとする人をして其局に当らしめ」よ、開戦後も「健全なる立憲政体と皆勝の軍隊とは常に相伴ふもの」であり、議会が戦時税問題で「徒に挙国一致の盲言に愚せられ民力の虚勢を張る」ようなことがあれは「憲政の腐敗」だと説く。

1月27日

「日進」「春日」、安全圏であるコロンボ入港。随行のイギリス巡洋艦とはここで別れる。

1月28日

桂首相、東京・大阪・京都・横浜・名古屋の主要銀行家を官邸に招待し、戦時公債応募要請。曽禰蔵相、席上で価格1億円・年利5分・償還5年と発表。

1月28日

ペテルブルクで「極東特別委員会」。陸相クロパトキンは、満州の軍備不充分のため日本との「等分の平和」を主張、日本側を刺激している朝鮮半島の北緯39度以北の中立化を撤回することを要請。海相アウエラン大将・外相ラムスドルフも同意し、これを決定。

1月29日

(露暦17日)アントン・チェーホフ作、戯曲「桜の園」、モスクワ芸術座で初演。


つづく

2025年4月28日月曜日

トランプ氏、「コロンブスデー」復活を表明-一部の州と対立激化も(bloomberg)

中国外務省、米中首脳の電話会談否定 「関税交渉せず」(ロイター) / トランプ氏、中国への不満募らせる 自身が始めた貿易戦争長引くにつれ(CNN) / トランプ氏「習主席から電話」、関税で米中協議中と米誌に発言(ロイター) ← ホントかな? / “強気”から変化 トランプ氏「中国と毎日コンタクト」関税見直しの動きも【news23】 / フィナンシャル・タイムズ紙によると、トランプ氏は、中国から輸入される自動車部品にかかる関税を撤廃する意向だという(ロイター) / 米財務長官、中国との対立緩和へ トランプ氏は関税の大幅引き下げ予想(AFPBB); スコット・ベッセント米財務長官は22日、米中間の貿易紛争は持続不可能だと述べた。ドナルド・トランプ大統領も同日、中国に対する高関税が「大幅に」引き下げられるだろうとの見通しを示した。 / 昨日、ベッセント財務長官がJPモルガン主催の非公開会合で対中緊張の緩和を示唆。その後、トランプ大統領が関税は145%にはならないと発言し、市場は急騰。限られた投資家が事前に情報を得て利益を得た形だ。個人投資家にとってこれは本当に公平な市場と言えるのだろうか。(朝倉智也)       

 

空洞があるから伐採したが、空洞はなかった! ⇒ 相模原市のリニア駅建設現場で、クスノキの巨樹がついに伐採されました。住民が反対する中、伐採を強行したのは神奈川県。リニア建設で神奈川県は、この木だけでなく、1000本以上の木を伐採しています。

 

大杉栄とその時代年表(479) 1904(明治37)年1月17日 「そしてこの戦争は勝敗の如何にかかわらず、恐るべき惨害を人類に及ぼすべきを確信する。それは貧民の犠牲において貪婪(どんらん)な資本家を富ませ、兵士の費用で将軍に多大の栄誉をもたらすが、しかし、何よりも国家にとって最悪なのは戦争が、ほとんど絶望的な窮乏と苦悩の生活に沈淪(ちんりん)している多数無辜(むこ)の寡婦孤児をつくることである。」(「戦争と兵士の家族」(『平民新聞』第10号))

 

平民社(1904年 有楽町)

大杉栄とその時代年表(478) 1904(明治37)年1月4日~16日 「田村姉より来書あり。余がせつ子と結婚の一件また確定の由報じ来る。待ちにまちたる吉報にして、しかも亦忽然の思あり。ほゝゑみ自ら禁ぜず。友と二人して希望の年は来りぬと絶叫す。」(「啄木日記」) より続く

1904(明治37)年

1月17日

『平民新聞』第10号発行

論説「吾人は飽くまで戦争を非認す」、「徴兵猶予の取締り」(第2面)、「平民の見たる戦争」(第3面)、「愚劣なる主戦論」(第4面)


戦争反対は創刊の日すでに宣言したところであるが、「爾後の紙上、いまだ特にこの一事に向つて全力を傾注するの機を得ざりしといヘども」、今や「時は来れり、真理のために、正義のために、天下万生の利福のために戦争防止を絶叫すべきの時は来れり」

「朝野戦争のために狂せざるなく、多数国民の眼はこれがために昧(くら)み、多数国民の耳はこれがために聾(ろう)するの時、独り戦争防止を絶叫するは隻手江河(せきしゆこうが)を支ふるよりも難きは吾人これを知る。しかも吾人は真理正義の命ずる所に従つて、信ずる所を言はざるべからず、絶叫せざるべからず。即ち今月今日の平民新聞第十号の全紙面をあげてこれに充(あ)つ

「……吾人は飽くまで戦争を非認す、之を道徳的に見て恐るべき罪悪也、之を政治的に見て恐る可きの害毒也、之を経済に見て恐る可きの損失也、社会の正義は之が為に破壊され、万民の利福は之が為めに蹂躙せらる、鳴呼、朝野戦争の為に狂せざるなく、多数国民の限は之が為に眩(くら)み、多数国民の耳は之が為に聾(ろう)するの時、独り戦争防止を絶叫するは隻手江河を支ふるよりも難きは吾人之を知る、而も吾人は真理主義の命ずる所に従って信ずる所を言はざる可らず、絶叫せざる可らず、鳴呼我愛する同胞、今に於て基本に反(かえ)れ、其狂熱より醒めよ、而して汝が刻々歩々に堕せんとする罪悪、害毒、損失より免れよ、天の為せる禍ひは猶は避く可し、自ら為せる禍ひは避く可からず、戦争一度破裂する其結果の勝と敗に拘らず、次で来る者は必ず無限の苦痛と悔恨ならん、真理の為めに、正義の為めに、天下万生の利福の為めに、半夜汝の良心に問へ」(「吾人は飽くまで戦争を非認す」)。


独り将校のみではない、民間の財力を有する者はその子弟のために徴兵を実際上まぬがれる手段を講じていること、第二面の「徴兵猶予の取締り」と題する記事の示すところである。

「文部大臣は各府県知事に向って大要左の如き訓令を下せり。

徴兵猶予の特典ある学校に入りてこの特典を濫用し、徴集を猶予されんとする者あり。学校もまた、別に注意を加えずしてこれを容認すると聞く、かくの如きは臣民の本分を誤るものというべし。故に地方長官はこれら学校の監督を厳にし、徴兵忌避の疑いある場合には速かにその情況を具申し、また相当の処置をなすべし。」」(荒畑「平民社時代」)

「第三面の論説「平民の見たる戦争」は、戦争を企て決する者が「天皇陛下は申すも畏(かしこ)し、桂首相、寺内陸相、山本海相、小村外相、曽禰蔵相、児玉参謀総長、伊東軍令部長、伊藤、山縣、松方、井上の諸元老、大山、樺山、野津、井上の諸大将……」なるを知るも、一般人民はかつていかなる相談にも与(あづか)ったことはないと喝破した。なるほど帝国議会なるものがあって人民を代表すると称するが、日本の人口四千五百万のうち選挙権を有する者は百万に足らず、衆議院はすなわち日本人民の四十五分の一を代表するに過ぎない。「されば世の政争と称するものは帝王、貴族、軍人、富豪の仕事にして決してわれわれ平民の仕事にはあらざるなり」と断言した。

最後に、平民が戦争についてもっとも迷惑を感ずるのほ、「兵卒に徴発せらるること是れなり」として、「将校は自ら志願して軍籍に入り月給年俸をとりながらしかも大いに優待され、兵卒は脅迫せられて軍籍に入りほとんど無給にしてしかも奴隷の如く扱はるゝは何の故ぞや。更に戦死の場合を考ふるに、将校の遺族は相応の生活費を給せらるれど、兵卒の遺族はほとんど遺棄せらるゝに等しぎは何の故ぞや」と痛論切言している。」(荒畑「平民社時代」)

「第四面には「愚劣なる主戦論」をのせ、「主戦論者が露国すでに満洲をとる必ず朝鮮をとらん、一たび朝鮮をとる必ず対馬をとり、九州をとり、日本全土をとらん」というを取り上げて左のごとく論ずる。

「もしこの論法を以て拠るべしとなさば、日本を防ぐまず朝鮮を防がざるべからず、朝鮮を防ぐまず満洲を防がざるべからず、満洲を防ぐまずシベリアを防がざるべからす、シベリアを防ぐまずウラル以東を防がざるべからす、露国本部を防がざるべからず、露国々家を滅尽せざるべからす、然らずんば日本はついに永遠に安全なるを得べからじ、今の主晩論者よくこれをなし得べしとするか。」

戦争は無一文ではできぬ。日露一たび戦わば日本国民は一年三--五億円、二年で八--九億円の戦費を負担しなければならぬ。商業萎靡(いび)し貿易杜絶し田園荒廃する損害はいうも更なり、単に清韓およびアジア・ロシアの貿易上の損害のみでも一年一億円を下らないであろう。況んや戦後の軍備拡張、清韓経営費の膨脹、内外債の支払い、殷鑑(いんかん)遠からず日清戦役の後にある。

好戦論者は戦後、満洲における多大の利権をいうが、ロシアが二千マイルのシベリア鉄道を敷設する間に、日本はわずか二百マイルの京釜(京城・釜山)鉄道をすら完成し得なかったではないか。満洲にして一たび門戸を開放せんか、英・米・独・仏の資本は赳然(きゆうぜん)として集注せられ各種の事業は大いに興るであろう。日本はこれら列国の資本家を利するために幾千万の人命を失い幾億の財力を抛(なげう)ち、国民を塗炭の苦に陥らしめてまでロシアと戦わんとするのであるか。内閣の延命のために、御用商人を富ますために、日本国民の生命財産を犠牲とする戦争は吾人絶対に否認すると主張した」(荒畑「平民社時代」)。

「戦争と兵士の家族」(英文欄)

「(荒畑「平民社時代」による要旨)

「……わが国の好戦主義者は戦勝を予期して欣喜しているが、勿論われらはかかる楽観的見解を抱き得ない。そしてこの戦争は勝敗の如何にかかわらず、恐るべき惨害を人類に及ぼすべきを確信する。それは貧民の犠牲において貪婪(どんらん)な資本家を富ませ、兵士の費用で将軍に多大の栄誉をもたらすが、しかし、何よりも国家にとって最悪なのは戦争が、ほとんど絶望的な窮乏と苦悩の生活に沈淪(ちんりん)している多数無辜(むこ)の寡婦孤児をつくることである。そして今や彼等の稼ぎ人を奪われたこれらの家族に関連する、わが国の法律を想起するを要する。

一九〇二年(明治三十五年)には、これらの家族援助費を増加するように法律が改正された。この法律によれば、国家が戦死者または戦傷死者の遺族に与うる給与は次のごとくである。

遺 族             年 額(円)

兵 卒             三六 -- 五七

下士官            六〇 -- 一五〇

少 尉             一八〇

中 尉             二二五

大 尉             三〇〇

少 佐             四五〇

中 佐             六〇〇

大 佐             七五〇

これらの年金は寡婦の生存中支給され、再婚とともに停止される。……概言すれば、この年金は士官または兵卒が生存中にうけた給与の三分の一である。大尉の階級から以下の年金が一家族を支うるに足りないことは極めて明白で、戦死した兵卒の寡婦や遺児は一週三十五セント(約七十銭)のみじめな端た金で生活しなければならない

自身の死がその家族を飢餓におとしいれることを思うて、言語に絶する悲しみに沈むこともなく、かかる法律の下に戦争に征き得る人間を誰が想像したろうか。しかもなお好戦主義者は、われらがロシアと戦わねはならぬといい張る。……われらは好戦主義者が、彼等自身の謬見を悔悟するの時期を見るであろう。」

「第八面には、露領ポーランド人プロッホの近著『戦争論』のなかから、軍器の改良による近代戦争の惨害ますます拡大される事実を抄録する。

(略)


「平民社の非戦論は「真理、正義、人道のため」なること、「吾人は飽くまで戦争を否認す」との論説の冒頭に明らかである。だが、戦争を廃止する手段方法については、未だかつて明瞭な説明がおこなわれなかった。この点に関してやや明瞭な見解を述べたのは、第二面にのった「小日本なる哉」の一文である。

この記事は、人民の幸福のために一日も早く軍隊の廃止を希望し、速かに軍備を撤去して国境を無意味に帰せしめ、一方では教育、交通、娯楽などの機関は世界の共用となすとともに他方、「人民をして一地方ずつ団結して真の自治制を行なはしめんことを欲す」と主張する。そして、いわゆる其の自治制とは軍隊や警察の力、裁判官や監獄などを後援とせず「徳義を唯一の柱とせる政治をいふ」のである。

かりに軍隊の廃止はいいとしても、もし警察、裁判所、監獄などを廃したら社会の秩序は紊乱して何人も高枕安臥し得ざるに至るであろうと、危倶する者があるかも知れない。しかし実際は法律、警察、裁判所、監獄の完備した社会で人命の必ずしも安全ならざるを見れば、「社会の秩序は実に警察、裁判所、監獄以外のあるものによって維持」されていることを信ぜざるを得ない。今や権力者の権力強大なるがために人間の道義心は地に堕ち、人は隣人の飢ゆるを見ても平然としている。だが、これらの権力が消滅して真の自治制が行なわれるに至り軍隊、警察、裁判所、監獄などが廃された後にこそ「初めて人間の真我現はれて、深く人の胸底に潜める相互補助の精神を発揮し、このとき人間初めて真に幸福なるべし」という。

この小論の結論とするところは、以上の理想を実現する順序としてまず、日本の国是を「小国を以て甘んずる」こととしなければならぬという。大国の民はいずれも不幸で、ことに大国たらんとして成り損ねたイタリア国民の不幸なるに反し、小国の人民はみな幸福なることスイス、デンマーク等の人民を見れば明らかである。「かく内にありては人民を幸福ならしめ、さてその後に他の小国と協議して平和を主張し、以て彼の憐れむべき大国の民を救ふにつとめ、吾人の理想が全く世界に実現さるるの日を来らしめんと欲す」と結んでいる。」(荒畑「平民社時代」)


1月17日

「一月十七日(日)、朝、田中政秋(不詳)から、「納豆会」の句稿届く。「納豆会」について、これまで全く知らなかったので、田中政秋に使いを出して問い合せる。

一月十八日(月)、曇。東京帝国大学第二学期始る。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。これまでとは観点を変え、文学の材料を論じると言い渡す。

一月十九日(火)、曇。東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。

一月二十一日(木)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。」(荒正人、前掲書)


つづく

2025年4月27日日曜日

FBI、不法移民の拘束を妨害した容疑で判事を逮捕 米連邦捜査局(AFPBB); (FBI)は25日、不法移民の拘束を妨害した容疑で裁判官を逮捕した。ドナルド・トランプ大統領が強硬に推し進める不法移民の強制送還をめぐり、ホワイトハウスと裁判所の対立が激化している。

そのうち誰も信用しなくなるよ ⇒ 「就任初日に戦争止める」と訴えていたトランプ氏「面白半分で言っていただけだ」(読売)

トランプ米政権、留学生ビザ取り消し撤回か 一時的措置(日経)

「不倫に寛容な政党か」菅野志桜里氏擁立報道 国民・玉木氏の耐えられない軽さ 安積明子(産経 有料記事) / 「不倫人材集め?」国民民主の候補者擁立が鬼門すぎ 玉木代表がJ-CASTニュースに語っていた「息を吐くような」擁立方針(J-CAST) / 偽名を使い不倫、国民民主党が平岩征樹衆院議員に無期限の党員資格停止…「不倫問題」玉木代表より重い処分( 読売) ← 「不倫」じゃなくて「詐欺」でしょ / 山尾志桜里氏が国民民主党から出馬意向固める 今夏の参議院選挙比例代表、近く会見へ(中日) / 玉木雄一郎、自分はハニートラップの被害者て言ってるの?(憲法審査会で愛人にヤジらせたりしてたんじゃなかったのか!)      



 

万博の「空飛ぶクルマ」デモ飛行中に部品落下、当面の運航中止に、原因を調査(産経新聞) / 落下の瞬間をとらえた動画 / 破損した空飛ぶクルマは、米企業の「HEXA」 原因究明へ 万博(毎日)

大杉栄とその時代年表(478) 1904(明治37)年1月4日~16日 「田村姉より来書あり。余がせつ子と結婚の一件また確定の由報じ来る。待ちにまちたる吉報にして、しかも亦忽然の思あり。ほゝゑみ自ら禁ぜず。友と二人して希望の年は来りぬと絶叫す。」(「啄木日記」)

 

1904年(明治37年)婚約時代の啄木と妻の節子

大杉栄とその時代年表(477) 1904(明治37)年1月1日~3日 「三十七年一月三日の第八号からは堺の軽妙な筆致で抄訳された英国の詩人ウィリアム・モリスの「ニュース・フロム・ノウホエア」(「無何有郷通信」の意)が「理想郷」と題して掲載され、二十七回も続いて好評を博した。この新社会を描いた小説は堺が既往に訳したエドワード・ベラミーの「ルッキング・バックワード」(「回顧」の意、「平民文庫」の一冊『百年後の新社会』と同じく、もとより架空のユートピア物語に過ぎないが、その無政府主義的な理想社会の描写がまるで詩のように美しく、読む者を魅了せずにはおかなかった。堺がこれを訳したのは、初めこれを読んで深く感動した安部の慫慂(しょうよう)によったといわれる。」(荒畑「平民社時代」) より続く

1904(明治37)年

1月4日

最初の軍事参議官任命(陸軍大将野津道貫、黒木為楨、奥保鞏の3名)

1月4日

駐ドイツ海軍武官鈴木貫太郎中佐、巡洋艦「春日」回航のためジェノバ着。巡洋艦「日進」の回航責任者、駐フランス海軍武官竹内平太郎大佐は先着していた。

1月5日

加藤時次郎、白柳秀湖ら、雑誌「直言」発行。

幸徳秋水「予は直言す」(「直言」創刊号)。キリスト教嫌悪表明。内村と平民社一派との冷却開始。

1月5日

陸・海軍省、「軍機軍略」事項を新聞雑誌に掲載することを禁止。「新聞検閲委員」をおく。

12日、陸軍次官、新聞雑誌記事取締に関する注意事項を地方機関に通達(「新聞雑誌記載禁止事項標準」11項目。徴発、動員、軍隊移動など。同趣旨で海軍省も注意事項19項目を出す。(京都府の例:明治37年1月~翌年11月。府内35新聞雑誌、軍機に触れる恐れあり105件、軍機その他の記事の注意5460件。告発は陸軍関係2件、海軍関係6件、その他4件。うち5件が停止命令。)

1月6日

内田康哉駐清公使、韓国の慶親王に会見し、日露開戦の場合には中立維持を勧告。

1月6日

ローゼン露公使、露の最終提案を小村寿太郎外相に提示。譲歩なし(満州は日本の利益対象外、韓国全土の非軍事利用など)。

1月8日

開戦論に転換した『東京日日新聞』は、1月8日「日本政府の態度」において、英米をはじめとする列強も日本の正当性を認めているので、「永遠の平和」のための戦争を主張した。

1月8日

石川啄木(19)、友人阿部修一郎の姉梅子の葬儀に参列のため盛岡の花谷寺に行き、堀合節子に会う。

午後、市内の姉夫妻(田村叶・サダ)の家で夜8時すぎまで節子と語り、将来を約束する。

14日、姉の田村サダより啄木と節子との婚約について堀合家の同意を得た旨連絡がある。


「田村姉より来書あり。余がせつ子と結婚の一件また確定の由報じ来る。待ちにまちたる吉報にして、しかも亦忽然の思あり。ほゝゑみ自ら禁ぜず。友と二人して希望の年は来りぬと絶叫す。」(「日記」)


この日と21日、野口米次郎(ヨネ・ノグチ)に書簡、「米国行の志望」と「渡米熱」を伝える。

2月8日、盛岡中学校同級生でカリフォルニア州在住川村哲郎に書簡、米国行き志望を書き送る。 

1月9日

ジェノヴァ、巡洋艦「日進」(回航責任者駐フランス海軍武官竹内平太郎大佐)・「春日」(駐ドイツ武官鈴木貫太郎中佐)、出発。

14日ポートサイド到着。石炭を補給しスエズ運河に入る。

1月10日

『平民新聞』第9号発行

「仏国社会党大会」。'03/9.労働党・社会革命党・共産主義者同盟の仏社会党への合同。

幸徳秋水「東京の木賃宿」(10、17、24、31日)。市内の木賃宿に住む細民・労働者・売春婦の生活と、屋根代をはじめ、木賃宿の経済的構造に深いメスを入れる。


「外国の社会主義運動に関する記事中、第九号(明治三十七年一月十日)にのった「仏国社会党大金」はおそらく最大の問題であったろう。これによれば、フランス社会主義者の急進派たる労働党、社会革命党、共産主義同盟の三団体は一九〇三年九月二十七、二十八、二十九の三日間、ライム市に昼夜七回の大会を開いて従来のゆきがかりを一掃し、「フランス社会党」の名の下に一致合体するに決した。出席の代表者百四名、その中には国会の下院議員九人、市長七人、州参事会員六人、市参事会員十七人、および県参事会員三人を含んでいた。

三派合同のフランス社会党は八十三州のうち三十四州に団体組織があり、その他にも小団体が散在する。十四の州団体は一個の日刊新聞、三個の週二回刊の新聞、十個の週刊新聞を有し、党員数からいえば既に全国社会主義者の四分の三を包含している。ドイツの社会民主党が改良、急進の二派に分れて論争している時、フランスではこの二派は独立の党に分れ、ミルラン、ジョーレス等の率いる前者が共和党と連合して議会の勢力を保っているのに反してゲード、ラファルグ等が首領の後者はあくまでブルジョア政党との妥協を肯んじない。ただ従来は小党分立して捗々しい運動を展開し得なかったが、今回の大合同によって頓(とみ)に一大勢力となるに至った。」(荒畑「平民社時代」)

1月10日

漱石「マクベスの幽霊に就いて」(『帝国文学』1月号)に発表。

1月11日

韓国、欧州派遣特使玄尚健、帰国。諸国の韓国戦時局外中立承認見通し報告。皇帝、密使を芝罘に派遣。中立宣言するため。

1月11日

日清両国間の追加通商航海条約(1903年10月8日調印)批准交換。

1月12日

御前会議、対露交渉の日本側最終案決定。海軍の開戦準備が整うまで開戦引延ばしの開戦外交にはいることを決定。

1月12日

ドイツ領西南アフリカで反植民地闘争開始。

1月13日

清国で張之洞らの作成した学堂章程、頒布。

1月13日

御前会議(1月12日)決定に基づき、小村寿太郎外相、ローゼン露公使に日本の最終意見の趣旨を開陳。最終提案手交(満州は日本の利益対象外、韓国はロシアの利益対象外)。最後通告に等しい。

1月13日

仏外相、本野公使に日露間の調停を示唆。日本拒絶。

1月14日

社会主義協会、社会主義大演説会。YMCA会館。聴衆200余。安部「青年のために渡米の道を開くべし」、木下「紅葉墓畔の奇観」、幸徳「戦争と社会党」、西川「監獄亡国論」。


木下尚江「紅葉墓畔の奇観」

「私が毎日新聞社に通う途中で一番目につくのは海軍造兵廠で、ここの煙の色を見、トンテンカンの音を聞けば風雲はなはだ急で、もう銀座街頭には号外が売られているのかと思われる。

……が、さて目を転じて右の方を見ると、総理大臣伯爵桂太郎君の屋敷では大普請を始めている。私はこれを見てコレならば日本に戦争はない。天下泰平だと思うた。……モウ一つは桂君は、その夫人に新年の賀のために、三千六百円も出してブローチ(襟留)を買っててやった。」

物情騒然たるなかで貴族の夫人連中はブローチの豪華を競い、下谷区池の端の玉宝堂が注文に応じて作った品のうち、最も高価なものは山内侯爵夫人のダイヤモンド20個入6,800円、宮内大臣土方伯爵夫人の5,200円、総理大臣桂伯爵夫人の3,600円であった)

「コレならば日本に戦争はない、天下泰平・・・なぜソウ見るかというに、もし一国の安危を賭して戦うというのが事実ならは、局にあるものコンナ真似はできぬ筈である。……で、私は桂伯もわが党の一人と思う、故に私は天下ことごとく彼を主戦論者というも、彼の人格を信ぜんとする上よりして彼は平和論者なりという。」


1月14日

愛知・三重県紡績行の操短決議。清国・韓国向け輸出閉塞し全国に波及。

1月15日

陸軍、野戦砲兵監伊地知幸介少将を駐韓武官として派遣決定。

この頃、仁川停泊のロシア軍艦「ワリヤーグ」から水兵上陸に兆しあり、京城のアメリカ陸海兵が100名前後に増え、京城の「中立化の危機」となる。

参謀本部は臨時派遣隊2、240人を決定し、第12師団第23旅団長木越安綱少将に編成下命。"

1月15日

日本興業銀行、清国の漢冶萍公司(大冶鉄山)に300万円の借款。最初の対華借款。

1月15日

八幡製鉄所、清国大冶鉄鋼購入契約に調印。

1月15日

与謝野晶子(26)、第2歌集「小扇」(金尾文淵堂)刊行。

1月16日

ロシア、自由主義者・ブルジョワジーの解放同盟結成大会(~18日、ペテルブルク)。


つづく



2025年4月26日土曜日

米カリフォルニア州の経済規模、日本抜いて世界4位に(BBC);「発表によると、2024年の名目州内総生産は4兆1000億ドル(約585兆円)で、日本のGDP4兆200億ドルを超えた。同州はアメリカ全体、中国、ドイツに次ぐ経済規模に達した。」

「トランプ2028」グッズ、公式ストアで販売 3期目に意欲か(afpbb);「改憲を通じて大統領の3選を可能にするには、連邦議会の上下両院で3分の2以上の賛成を得た上で、全米50州のうち38州の議会での承認が必要となる。」   

「今度の万博は船でも行けまっせ」→「絵に描いたモチ」に…《大阪・関西万博》船ルートが「超絶残念」に始まってしまったワケ(東洋経済)

 

大杉栄とその時代年表(477) 1904(明治37)年1月1日~3日 「三十七年一月三日の第八号からは堺の軽妙な筆致で抄訳された英国の詩人ウィリアム・モリスの「ニュース・フロム・ノウホエア」(「無何有郷通信」の意)が「理想郷」と題して掲載され、二十七回も続いて好評を博した。この新社会を描いた小説は堺が既往に訳したエドワード・ベラミーの「ルッキング・バックワード」(「回顧」の意、「平民文庫」の一冊『百年後の新社会』と同じく、もとより架空のユートピア物語に過ぎないが、その無政府主義的な理想社会の描写がまるで詩のように美しく、読む者を魅了せずにはおかなかった。堺がこれを訳したのは、初めこれを読んで深く感動した安部の慫慂(しょうよう)によったといわれる。」(荒畑「平民社時代」)

 

大杉栄とその時代年表(476) 〈番外編 川上音二郎(5)〉 「この明治36年という年は、日本におけるシェークスピヤ上演史上、画期的な年だったと。… … こんな冒険に類することは、この後とても、あまりないのである。この壮挙に押されて、37、38、39とシェークスピヤの上演は、なかなか盛んで、ついに坪内逍遙の指導する文芸協会の実際運動となり、それがひいて、新劇運動への火蓋を切ることともなるのであ る」(河竹繁俊) より続く

1904(明治37)年

1月

韓国、林公使・李址鎔外相間に日韓議定書案纏まる。

1月

米・清国、通商条約締結。

1月

「新公論」、「中央公論」から分立。

1月

荒畑寒村(17)、上京、初めて社会主義演説会傍聴。堺・幸徳・安部・木下・西川。閉会前、山口孤剣が社会主義協会加入者を募集。寒村、その場で加入。

月末、横須賀火災により焼出される。また、肋膜のため工廠も休む。「報効義会」脱会し実家に戻る。

1月

前田夕暮(20)、「横浜新報」小杉天外選懸賞小説に「山おろし」が2等入選。

4月「露探」が1等入選。

1月

日本セメント会社、東京セメント大崎工場を買収。

1月

(露暦1月)露、ペテルブルク、解放同盟第1回大会、22都市50人

1月

ドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)、ヘレロ族がドイツ人入植者に土地を奪われ蜂起。ドイツ人兵士や入植者など100人以上虐殺。

10月3日、ヘレロ族首長がドイツに宣戦布告。1907年反乱鎮圧。

1月

メキシコ、武装闘争を説くフロレス・マゴン兄弟ら自由主義者会議急進派、ディアスの弾圧によりテキサス州サンアントニオに亡命。

1月

マックス・ウェーバー「社会科学および社会政策の認識の『客観性』」(「アルヒーフ」第19巻)。 

1月1日

木下尚江「火の柱」(「毎日新聞」連載、~3月20日)。キリスト教社会主義の立場から非戦論を唱える主人公を描く。

1月1日

「東京朝日」の元旦の紙面。「薄気味悪い消息」(旅順のロシア軍に関する情報)。軍港内のロシア軍は兵員2万、港湾内の軍艦15、港外にあるもの3、水雷艇20余隻。

「陸海の防備は日々勢力を増しつつあり」と、開戦は既定事実のように書かれる。

1月1日

近衞篤麿(42)、没。

1月1日

(漱石)

「一月一日(金)、元日。正月になったが、おめでとうと云う気もしない。普段の服装で、新年の感じのない場所を歩き、地面に絵を書いてみたりしたが、余りまずいので落胆し、家に帰る。(『道草』百一による)中根重一の所にも挨拶に行かないで、年賀状だけ出す。(中根重一は、十二、三歳になる末の子に賀状の返事を出させる。『道草』七十八による)

「『道草』には、「島田」にやる金を稼ぐために、学校が始るまでまだ十日あるので、その期間を利用し、原稿を書くと述べられている。これは事実に基いているとすると、明治三十七年の正月のことではなくなる。明治三十七年十二月初めに『吾輩は猫である』を書いた時のことになる。但し、『吾輩は猫である』を書いた時には、原稿料めあてではなかった。また正月のことでもなくなる。明治三十七年正月は、漱石の気分だけのことと想像される。」(荒正人、前掲書)

1月1日

林董駐英公使、訓令により英外相に日露開戦の際の財政上の援助を要請。英は起債保証は不可能と回答。

1月1日

ウルグアイ、バッジェ大統領の政策を不満とする保守派ブランコ党反乱。~9月24日。8ヶ月後鎮圧。後、国内の統一ほぼ達成。労働立法制定・基盤産業国有化進む。

1月2日

『報知新聞』、川上貞奴らの肖像写真掲載。輪転機印刷による新聞写真のはじめ。

1月2日

「啄木日記」(2日)に、

「明星をよみて・・・。露花(平出修)氏昨年の短歌壇を評して我を甲辰一月以後の壇上に望を嘱したり」とある。

1月2日

稲山嘉寛、誕生。

1月2日

米、ドミニカに武力介入。

1月3日

西川光次郎、平民社入社。

1月3日

『平民新聞』第8号発行。

社説「新年の感」


「新年号(第八号)の社説「新年の感」は、武装平和、資本家利益、少数政治、賄賂公行、旧態依然として新年も旧年のごとくめでたい所以を見ないが、しかも少しく社会の裏面に入れば現状に対する不満、革新の憧憬、鬱勃たる暗流が新年とともに更に新潮を加えている。この意味からすれば、吾人もまた新年を祝せざるを得ないというのである。」(荒畑「平民社時代」)


幸徳秋水の感想「歌牌(かるた)の娯楽」(かつて『萬朝報』に発表し、その後文集『長広舌』に収められたものの再銀)

「一少女に問ふ、新年において、何物かもつとも楽しき。答へて曰く、歌がるたを取るなりと。……

歌がるたの遊戯は競争の遊戯なり、されどこの遊戯や、直ちに人生の最高理想を現実す、……歌がるたの競争は自由なり、他人のために役せらるるに非ず、境遇のために駆らるるに非ず。進まんと欲して進み止まんと欲して止む、唯我独尊、縦横無礙(むげ)、真個の自由を享くるものに非ずや。

歌がるたの競争は平等なり、……階級なく、門閥なく、金力なく、権勢なく、兄弟も姉妹も親子も主客も傭主被傭者もみな同等の地歩を占め、同等の権利を有して以て遺憾なくその技能をのべその力量を角せしむ、真個の平等を楽しむものに非ずや。

歌がるたの競争は一面において多数の協同を意味するなり、みな心を一にして相結び排擠(はいせい)なく、離間なく、中傷なく、陰謀奸策なく、極めて公明、極めて正義の運動をなし、強、弱を扶け智、愚を救う。勝敗一決すれば相見て哄笑す。……

鳴呼天下の競争てふものをして、……彼の歌がるたの競争が如くならしめば、いかに人生社会の楽しかるべきぞ。……今や此楽しみなし、鳴呼老いけるかな、顧みて憮然之を久しくす。」


「昨年中の日本社会主義運動」

「現時、わが国には社会主義者の存せざる都市は一もないが、しかし政治的勢力たるにはまだ甚だ遠い。前議会にはわれわれの思想を代表する議員は一人もなかったし、また現行の選挙法にして改正されない限り、来るべき総選挙に多くの社会主義議員を議会に選出することはむしろ不可能であろう。しかし、われわれが政治的に有力な党となるべき時期は到来すべく、そしてわれわれの社会主義運動が本年こそ一層活発ならんことは、心から希望するところである。」

堺利彦「理想郷」(27回掲載)。ウィリアム・モリス『News from Nowhere (「ユートピア便り」)』の抄訳。

堺は『家庭雑誌』創刊号(1903年4月号)にエドワード・ベラミ-『Looking Backward(「回顧」)』の抄訳の一部を「ユトピアの話」として掲載し、朝報社退社直前の同誌(1903年9月号)には全体を抄訳した『百年後の新社会』を掲載した。

堺によれば、安部磯雄からベラミ-とモリスのユートピア小説を教えられ、読んでみると非常に面白かったので翻訳して紹介したという。安部はアメリカ留学中にこれらを原著で読み、とくにベラミ-の小説に感銘を受けて社会主義者になった。


「三十七年一月三日の第八号からは堺の軽妙な筆致で抄訳された英国の詩人ウィリアム・モリスの「ニュース・フロム・ノウホエア」(「無何有郷通信」の意)が「理想郷」と題して掲載され、二十七回も続いて好評を博した。この新社会を描いた小説は堺が既往に訳したエドワード・ベラミーの「ルッキング・バックワード」(「回顧」の意、「平民文庫」の一冊『百年後の新社会』と同じく、もとより架空のユートピア物語に過ぎないが、その無政府主義的な理想社会の描写がまるで詩のように美しく、読む者を魅了せずにはおかなかった。堺がこれを訳したのは、初めこれを読んで深く感動した安部の慫慂(しょうよう)によったといわれる。」(荒畑「平民社時代」)


「第八号(*「世界之新聞」欄)はドイツの新開『ナチョナル・ツァイトゥング』の十二月二月発の霧都通信をのせた。ロシア駐在の各国公使は「露国内乱の兆」の風説を確認して、これを本国政府に通報していると伝えたが、なかでもキエフ、オデッサ、カザニ、トムスク等で逮描きれた大学生二十九名に対する政府および大学の処罰を不当とする学生は、大学の門戸や建物を破壊してハリケードを築き、憲兵、コサック兵、巡査等に対抗したのである。

西部シベリアのクラスノヤルスク地方でも、革命運動のために検挙された者四十八人に及んだが、その事命運動の本部はロシア本国にあった。また旅順口における極東総督アレクセーエフの機関新聞の記者も、他の数名とともに逮捕されたが警察はこれを厳秘に附している(ロンドン『テレグラフ新聞』)。」(荒畑「平民社時代」)


石川三四郎「基督教の二大人物」)。内村、海老名賞揚。

1月3日

(漱石)

「一月三日(日)、橋口貢宛に自筆水彩画(屏風と思われる背景に、松と水仙の盆栽)に、今迄の漢詩や俳句とは別の方面の表現をする。「人の上春を写すや絵そら言」と書き添える。」(荒正人、前掲書)

「彼は翌三十七年一月三日に河東碧梧桐と橋口貢にそれそれ自筆の絵葉書を送っている。後者は裏前面に、山から引く水が筧を伝って池に落ちる様を描き、その上に「人の上の春を写すや絵そら言」の句が墨書されたものである。前者への句は「ともし寒く梅花書屋と題しけり」で、人生の寒さに堪えて花を開きたいという気持ちと、反対に「春」を写しでも絵空言だという気持ちが錯綜する新年である。

漱石の絵葉書は三十七年、三十八年と続き宛先も多様になるが、なぜか三十八年で一旦途絶える。大学と執筆とで忙しく、絵を描く気にならなかったのかもしれない。」(十川信介『夏目漱石』(岩波新書))

「『道草』によると正月、健三は家を出て散歩する。

「彼は普通の服装をしてぶらりと表へ出た。なるべく新年の空気の通わない方へ足を向けた。冬木立と荒れた畠、藁葺屋根と細い流れ、そんなものがぼんやりした彼の眼に入った。しかし彼はこの可憐な自然に対してももう感興を失っていた」

これが明治三十七年正月の千駄木風景であった。こんな農村風景は千駄木を離れたのちも、『三四郎』などに描かれる。そして無理して工面した百円を養父に渡す。引き換えに「向後一切の関係を断つ」という証文を得た。妻はたいへん喜ぶ。


「ええ安心よ。すっかり片づいちゃったんですもの」

「まだなかなか片づきゃしないよ」

(略)

「世の中に片づくなんてものはほとんどありゃしない。一遍起ったことはいつまでも続くのさ。ただいろいろな形に変わるから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」


これが漱石のもうひとつの哲学、と言って悪ければ人生観であった。」(森まゆみ『千駄木の漱石』)


つづく

”大阪万博は「もう成功したと思っている」と、始まる前から松井前市長。強がりと思いきや本音かも。夢洲にカジノを開けるなら、メタンガスも赤字もオーライか” 素粒子:朝日新聞 / 同じインタビューで、もし赤字になったらそれは後で考えたらいいとも述べている / 【大阪万博会場の隣地】日本初のカジノ含むIR、24日に本体工事着工へ - 日本経済新聞 / 「いのち」がテーマの万博と、ギャンブル依存症の懸念がつきまとうカジノを「セット」で夢洲に誘致したことへの批判は根強い。    

 



 

2025年4月25日金曜日

ノーベル経済学者が半生を語る エステル・デュフロ「経済学者は危険な力を持っていることを悟った」(クーリエ・ジャポン); フランス人の経済学者エステル・デュフロは学生時代、経済学に挫折し、ロシアに旅立った。しかしそんなデュフロが、どうやってノーベル経済学賞を受賞するまでになったのか。仏紙「ル・モンド」記者が、幼少期までさかのぼって本人に聞く──。

 

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