2009年5月17日日曜日

京都 旧二条城の石垣遺構





現在の二条城の本丸裏に置かれている、信長が将軍義昭のために築造した旧二条城の遺構です。
旧二条城につては、下記を参照下さい。
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地下鉄工事で発掘されたもの。
雑草ぼうぼうで放置されている、という感じです。
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そもそも、同じ「二条城」という名だから現在の(家康の)二条城に置いたという発想も、よく理解できない。
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連休中に訪問したのですが、この日は、入城券売機の前に20~30mほどの待ち行列ができるほどの混み様でした。しかし、この石垣前で、しげしげ眺めたり写真を撮ったりしてたのは私だけでした。
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織田氏のルーツ(下記)
で書きましたように、織田氏は斯波氏の被官でした。
その斯波武衛陣跡に、義昭の為とはいえ築城したのは、何らかの意図があたのか、なかったのか。
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最近読んだ本に、下記のようなくだりがありました。
「義昭の室町御所が竣工したのちに、門前に割れた蛤貝が九つならべて置かれていた。その心を知る人がなかったのに信長は、これは公方の心が馬鹿で、くかい(九つの貝、公界、表向きのこと)が欠けているということを京童(キョウワラベ)が笑ってしたものだとささやいたという(「戴恩記」。松永貞徳の著、一応信頼できる)。自分の住宅を信長に建ててもらうほど、将軍として表向きのことは何もできないとの悪口である。京童はまことに人が悪るく、辛辣だ。」(奥野高広「足利義昭」)。
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