2018年2月28日水曜日

藤野保史「この残業代踏みたおし法案は企業から労働実態/時間把握の義務を無くするものだ。既に一部で導入した職種の人たちが余りの長時間勤務等で心身を害して労基署へ労災申請しても"裁量労働では調査が不能"と門前払いになるケースが続出している」


山井「麻生大臣、ヘヘヘとバカにした態度で笑うのやめていただけませんか? 今も過労死で死ぬ人が出続けているんだ。これは人の命に関わる事なんだ。どうしてここで笑えるんですか?」


シャコタン大臣(福井照)スキャンダル ; 福井新大臣 愛人との海外旅行費用を出資金詐欺業者が負担(週刊文春) / 「週刊新潮」 身体検査を免れた「福井照」新大臣 元愛人の「赤坂芸者」がぶちまけた「沖縄・北方担当相」のカネと女 / ①「しゃこたん」  ②温泉豪遊ハレンチ写真 ③後援団体である「新アジア再生連合」が、事業への出資者をだまして裁判に / 衆院TPP特別委理事だった2016年に「強行採決という形で(承認が)実現するよう頑張る」と発言 / 今回も最速辞任か!      





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▼TPP強行採決






▼漢字読めない人たち











非正規の月給0.5%減 正社員との格差広がる(共同通信); 2017年の賃金構造基本統計調査によると、フルタイムで働く人のうち、正社員の平均月給(残業代などを除く)は前年比横ばいの32万1600円、非正規社員は0.5%減の21万800円だった。正社員の月給を100とした場合に非正規は65.5で、前年から0.3ポイント下がり、賃金格差がやや拡大した。


福田元首相が講演「憲法改正の必要はない」(NHK);「『改正しなければならない』というのが先に来てしまっている。『中身は通りやすいもので』という感じになってしまっていて、本当にいいのかという気がする」




一生貧困の宿命「アラフォー・クライシス」を生んだ犯人は誰だ(現代ビジネス); NHK「クローズアップ現代プラス」が放送した特集『アラフォー・クライシス』が大きな話題を呼んでいる。アラフォー世代は一生貧困を宿命づけられているのか――そんな悲痛な叫びがネット上に数多く聞かれる。


2018年2月27日火曜日

カンプーザでイタリアンのランチ 2018-02-27

3月27日、はれ
今日は横浜でイタリアンのランチ。
お店は横浜一予約の取り難いお店と言われている「カンプーザ」
食べログ3.96とは恐れ入る。

お仲間は、長男の奥さんのご両親。
ん~と、分り易く言うと共通の孫を持つ祖父母というところかな。

頂いたものは年齢相応ということで、一番少量のメニューを。
写真、ピザは4人前、以外は1人分で頂いたもの。
お味もコスパもチョーグゥでした。

考えてみたらこのお店3回目だった。
今日は家族揃ってイタリアン・ランチ 2014-10-25

家族でイタリアン・ランチ 2016-10-07









エヴァ風宇野昌磨語録 ~平昌オリンピックver.~


「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)編年体ノート2 (明治9年~11年)

北の丸公園 2018-02-26
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明治9年
つかの間の民主主義
明治9年6月、安岡良亮知事は臨時県民会を開いた。
この県民会議員は、身分や納税額にかかわらず、男子の戸主全員に選挙権が与えられた選挙によるものであった。女性の戸主には選挙権がなかったが、納税額の多寡によらない画期的な制度であった。護久の「知事布告」の精神が生きていた。
案山子はその議員に選ばれた。案山子らは、県知事の任命制だった区長や戸長を公選制にするべきだと主張したり、それら役職者の給料増額案に反対し、建白書を県に提出する。しかし、県民会は、知事の諮問機関という位置づげだったため、それらの主張は知事によって拒否された。
このため、県内各地で農民の暴動が起こる。そこには、民費の増大や、区長や戸長が郷備金を私物化していることに対する不満もあった。

案山子は、小天村で、はやる農民を抑えて、次のようなことを行った。
暴動の主張を抑えて人々を地域ごとに21組に分け、それぞれ数名の委員を出させ、その委員を蒙正館に集めて互選で議長を決め、議会を組織した。そしてその話し合いの中で区戸長に対する要求をまとめ、それに対する回答を求めさせた。区戸長は病気を理由に回答を拒否する。すると案山子は、村役場の帳簿を押収して委員たちに調査させ、区戸長の不正や失態を明らかにして、辞職させた。
つまり、臨時ではあったが、村の問題を議会という民主的な形式を貫いて解決した。それによって暴動は激化することなく収まり逮捕者は出さなかった。

案山子のこの鮮やかな手腕に、知事は彼に区長となるよう命じた。区長公選を主張する案山子は、何度も辞退したが、熱意に抗しきれず引き受けた。そして区長という立場で、西南戦争において郷備金を守りきった。

明治10年
この年の西南戦争に際し、西郷軍に走る人が多い中で、区長職にあった案山子は、西郷軍にも政府軍につかない厳正中立の立場を表明した。
そして、西郷軍からも政府軍からも、郷備金引き渡しの要求が来たため、玉名郡の「郷備金」2万円余を守り抜くため数十人の青年を私費で雇い、交代で警備させた。

この時、卓は9歳。両軍の衝突が村の内外でもくり広げられ、屋敷の中も戦闘態勢にあった。その闘いの中で、命を落とすかもしれないと覚悟する父の姿を見る。

「郷備金」は、熊本藩が、年貢とともに徴収した雑税の一部を、「手永(てなが)」(いくつかの村の集合体である行政区分)ごとに備蓄した資金で、災害復旧や道路の整備、橋の建築、灌漑用水や溜池の新設など、村の公共事業に使うための共有財産である。ところが、明治維新によって地方制度が変わり、手永が廃止され、この資金の所有主体が曖昧になると、区長や戸長がそれを私物化することもあり、それに対する一揆なども各地で起こった。当時の2万円を明治初年の白米の値段(10kg22銭)で換算すると、今の金額にして約6億円になる。

案山子は政府軍にも西郷軍にも属さず、「郷備金は民を救うために使うもの」という考えを貫いた。その結果、どちらからも敵側の内通者とみられ、西郷軍には殺されかけたし、西郷軍敗北後は政府軍に捕われ5ヶ月間も拘留された。

案山子と池辺吉十郎
案山子は、旧知の間柄だった熊本隊隊長池辺吉十郎(漱石を『東京朝日新聞』に招いた池辺三山の父)に熊本の陣地に呼びつけられた。案山子は死を覚悟し、辞世の歌を詠んで出かけた。しかし、吉十郎の説得にも案山子は譲らず、話は決裂し、案山子は牢に入れられた。
案山子は、政府軍から逃れる池辺吉十郎の家族を自宅にかくまっていたが、吉十郎にはそのことを告げなかった。案山子が吉十郎に呼び出されたことを知り、吉十郎の父親が陣中に駆けつけ案山子は窮地を脱することになる。事情を知った吉十郎は案山子に自分の無礼を詫びた。

明治11年
海辺新地問題
案山子はこの年からの「海辺新地問題」(江戸時代に海面を干拓し埋め立てた新地の地主権を巡る問題)でも、その交渉術の巧みさとねばり強さを発揮し村民の要求を通していく。

江戸時代には、資金を提供した築造主と、実際に干拓しその土地の耕作をする者の両方が地主権を持っていた。そのため維新後、地租を納めるべき地主を特定できず、初めの地租改正では放置されていた。政府は、地租再改正に際し、築造主と耕作者が話し合いで決着するよう求めてきた。築造主の多くは藩あるいは藩主であり、藩主が地主であるという結論になりかねないが、案山子は、耕作者の地主権を主張した。
各役場の土地帳簿によれば、地所の売買、譲与、質入れ、書入れ等の権利を持っていたのは耕作者なので、当然、地主は耕作者である。その代わり耕作者は、築造主に対して徳米という税を払ってきた。もし政府が徴税権を主張するのであれば、築造にかかった費用を築造主に払い、その権利を買い取らなければならない。また、築造主を地主とするならば、耕作者がそれまで持っていた権利と払った労力に対して保証をしなければならない。
案山子は、築造主と耕作者がそれぞれ持っていた権利の質を明らかにし、その権利を政府が奪うのであれば、それに対する保証があってしかるべきだと主張した。江戸時代の仕組の現実を踏まえ、あくまで耕作者の側に立ちながら、築造主側とだけ争うのではなく、問題の矛先を新政府に向けた。直接には築造主側との交渉であるら、決定的に対立するのではなく、政府に対して共闘する余地を残した。

そして2年間の交渉の末、明治12年10月、次のような解決に至る。
「築造主を地主とするとともに、地先人民〔耕作者のこと〕は永小作人とすることに決定した。〔略〕さらに政府は永小作人に対して明治一〇年からかぞえて一七年間免訴を与える」 (加藤豊子「熊本の自由民権家 前田案山子とその周辺」)。
「永小作権」は、地主の意志にかかわらず、土地の処分などもできるという、普通の小作権よりも土地に対して強い権利をもつ制度である。つまり、築造主を地主とする代わり、耕作者には「永小作権」を与え、更に17年間小作料も無料にするという内容だ。
この結論を引き出した案山子の、近代的な権利意識と経済観念の高さ、交渉術の巧みさは相当なものだ。

小天の湯の浦の別邸
この年(明治11年)、案山子は、将来の自分の隠居所として、あるいは中江兆民や岸田俊子ら政客をもてなすため、小天の湯の浦に温泉つきの別邸を建てた。漱石『草枕』の「鏡が池」のモデルとされる、池のあるもう一つの別邸もすぐ近くにあった。
漱石らが入り今も残る別邸の湯船は、セメントで作られ、小さなプールといった趣である。尾張藩出身、工部省技官宇都宮三郎が日本初の官営セメント会社を設立し、少量の製造に成功したのはその3年前のことで、製造量を増やすようになったのは明治10年頃とされるので、別邸の湯船は、当時としては最先端の技術で作られたことになる。

(つづく)





森友追及に動揺、狼狽【安倍首相の急所はやっぱり昭恵夫人】一転「全く無関係と申し上げたことはない」 きのう(26日)の衆院予算委員会は5時間の集中審議が行われたのだが、安倍首相がいつもにも増して動揺、狼狽する場面があった。その内容はズバリ、昭恵夫人に関する質問だった(日刊ゲンダイ)  / 「昭恵夫人と森友の関わり」に関して微妙に答弁を変えてつつあり、姑息にも売却と貸し付けとを区別して逃れようとしているようです..... / 安倍首相「えー、いわば、関わったかどうかということについてはもうすでにその段階でわたしの妻は、妻はですね、えー、名誉校長を引き受けたわけでありますから、無関係ということをわたしは申し上げたことは、全くないわけであります」 / 「私や妻が関わっていたら議員も総理も辞めます」なのだから..........













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定食288円“激安食堂” 子どもは無料に(日テレ)


予算委中継:首相質疑、6時間減 野党追及は8時間減 - 毎日新聞 ; 『衆院予算委員会質疑で、NHKのテレビ中継時間は26日までの計39時間にとどまり、昨年度より6時間減る見通しだ。野党質問の減少幅は8時間超に及び、その分与党質問が2時間あまり増えた。中継を抑制し、野党がテレビの前で首相を追及する場面を減らそうとする政権側の思惑が実現した』




2018年2月26日月曜日

東京 北の丸公園 河津桜が五分咲き超くらいになった 寒緋桜の蕾がふくらみ始めた 2018-02-26

2月26日、くもりのち晴れ
2・26事件の日だね。

朝のうちの曇り空が昼前ころから晴れになった。
北の丸公園の河津桜がようやく五分咲き超くらいになった。
今年はちょっと遅い。

ヒヨドリに追われたのか、メジロがいない。

寒緋桜もようやく蕾がふくらみ始めた。












あーヤバイこの人、ヤバイヤバイ — こたつぬこ ← そう思う。





▲単なる目立ちたがりのオッサン?
なんだろ?
その、幼児性というのか、これを官邸発で出せるその感覚。
端的に言って、こんなアホみたいなリーダー、世界にいないな。
ドイツとかフランスとかカナダとかと比較したら、向こうから怒られそうだ。


定例記者会見を名護市長廃止へ 必要に応じ対応の方針(琉球新報); 名護市の渡具知新市長、辺野古基地 移転を認めた後は、批判を記者から受けたくないのか、定例会見を廃止とは!!何なのかこのせこさは。やるなら批判も含めて正々堂々と記者会見し、辺野古への基地移転容認を決断した理由についても市民に向けて説明すべきだ — 望月衣塑子





(動画)玉木、安倍のへらへら笑いに怒る → 玉木雄一郎「総理、何がおかしいんですか!人が死んでる話なんですよ。そのことをなんでこんなに笑えるんですか。そんなにおかしい質問なんですか。なんでそんなにヤジを飛ばすんですか。与党の筆頭理事がヤジを飛ばし、総理大臣が総理席から座って文句を言う。なんなんですかこれは。許せない!」 / 裁量労働制の下で働いて過労死に追い込まれた人がいるにも関わらず、こうもヘラヘラ笑って相手を茶化せる安倍首相..... / そういえばかつて、小池晃議員が、自衛隊員の命について総理に重大質問をしていた時、麻生太郎が高笑いしてたな....    
















▼こういう醜悪なのもあったね







【国会大荒れ「裁量労働制」めぐる攻防】2018.2.25サンデーモーニング 朝日新聞記者 高橋純子さん「人の命がかかっている大事な法案なのに何故急いでやらなければならないのか。しかも裏付けとなるデータが不適切だったと分かったのだから顔を洗って出直してもらうしかない」


週刊報道LIFE 松原氏「根拠に基づいて政策は決められるがそれが間違っていたり作られたものだったら何のための政策か。違う方に誘導されるのではないか」 堤氏「官邸の決めた方向性に合う意見やデータだけを取り上げる。間違っていても取り合わないというやり方が定着。民主主義として非常にまずい」


【動画】ショートプログラム歴代最低の3点!──羽生結弦と真逆の演技はこれだ スポーツ取材ベテランの筆者が、男子フィギュアで歴代最低点を出した選手のファンになった理由 — ニューズウィーク日本版


ピョンチャン・オリンピックの閉会式、オリンピックを共に見られなかった死者を悼み、死者を送るというシークエンスがはさまれて、ほんとうに驚いたし、胸をうたれた。 / 開会式でも、キャンドルを灯し、ジョン・レノンの「イマジン」を歌った。「想像してごらん 国なんて無いんだと」「僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず」 / 「イマジン」は、分断国家のふたたびの開戦をほのめかすトランプ米大統領への強烈な、そして誰にも異議を差し挟めない、美しいメッセージだった。








山田宏・自民党参議院議員が“メガネ先輩”朝日新聞記事に意味不明なヘイト暴言ツイートし批判殺到してる件 - NAVER まとめ / 中国女性解説者「容顔如玉、身姿如松、翩若惊鴻、宛若遊竜。中国代表は敗れたが、なんと羽生の美しいことか」 韓国報道「李相花の独走を止めた主人公は小平だった。二人の友情は素晴らしい」 本邦国会議員「韓国カーリングを称えるとは、ちょうにち新聞らしいな!」     




日本は社会主義国か 結果を出さないサラリーマンはもういらない(フジTV ホウドウキョク平井文夫) ; (動画) 「しかし、結果に関係なく、働いた時間で給料をもらえるというのは社会主義じゃないですか? 日本は社会主義国だったのか?これでは日本の労働生産性はいつまでも低いままだ。」 / 安倍内閣の裁量労働制拡大を支持するフジテレビ「ホウドウキョク」の平井文夫解説委員を解説しました。— 渡辺輝人






2018年2月25日日曜日

枝垂れ梅にメジロ 東戸塚白旗神社 2018-02-24

2月24日
鎌倉散歩の帰りに東戸塚駅前の白旗神社に立ち寄った。
ラッキーにも境内の枝垂れ梅にメジロのワンペアがいた。
が、メジロはなかなかうまく撮らせてくれないね。




「戦争に負けたという事実をどう捉えますか」今、林家三平さんが国策落語に挑むわけ 林家三平さん 七十余年の時を超え、口演(石戸諭 BuzzFeed)



「先の戦争をどう考えるのか。若旦那は18歳から20歳だと思って、演じています。今なら選挙権を持つ世代ですよね。そんな若旦那が遺言を残した時代です。国のために戦争に行くのは嫌でも、家や会社、周囲の人が『非国民』と言われるのが嫌で行ったかもしれない。戦争に負けたという事実をどう捉えますか。いまの時代は平和でものも自由に言える。これからの社会を考えたいと思う人たちの前で、国策落語はまだまだやってみたいと思っています」

「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)編年体ノート1 (明治元年~8年)


「はじめに」より

前田卓(つな)。明治元年六月十七日に、熊本県玉名郡小天(おあま)村(現玉名市天水町小天)に生まれ、昭和十三年九月六日に東京で亡くなった女である。戸籍名はツナ。明治時代の流行で漢字を当て、子を付けて卓子とも称したし、「つな」や「つな子」と書くこともあった。墓には前田卓と刻まれている。
日本の近代の夜明けとともに生まれ、明治、大正、昭和と生きた。表舞台で華々しく活躍したわけではない。多くの女性と同じように、その時代を懸命に生き、働き、死んでいった市井の人だ。
それでも歴史の表にわずかに顔を出す。一つは、夏目漱石の小説『草枕』のヒロイン那美のモデルとして、もう一つは、孫文や黄興ら中国の革命家たちが日本でつくった「中国革命同盟会」(通称「中国同盟会」)を支援した女性として。

・・・・・わずかに残る手がかりから浮かび上がる前田卓は、キラキラと輝いている。制度的にも社会常識的にも女性が男性の付属物とみなされた時代に、白面と平等を当たり前のこととし、傷つきながらも平然とそれを買いた女だったからだ。

少女のころから武術をたしなみ、花のように美しかった。誰に対しても同じように接し、誰にでもはっきり物を言い、誰とでも親しんだ。
自由と平等を夢見たが、声高に叫んだり主張したりするのではなく、私は私であると胸を張っていた。
闊達すぎる言動で、「新しい女」とされた。
三度結婚したが、いずれも長続きしなかった。
大人になっても柿の木に登った。
資産家のお嬢さんに生まれ育ったが、財産を無くしても平気だった。孤児院でも働いた。
ぐちはこぼさなかった。
・・・・・

明治元年6月17日
前田卓(つな)、熊本県玉名郡小天(おあま)村(現玉名市天水町小天)に生まれる。
父、前田案山子(かかし、当時は覚之助)はその藩主のそば近くに仕えていた。「明治維新の際、武術を以て藩主の側備に充られ、他行を許されず」(「衆議院議員候補者列伝一名帝国名士叢伝第二篇」、加藤豊子「熊本の自由民権家 前田案山子とその周辺」より)とある。「九州一」の名をとどろかせた槍の名手であり、藩随一の剣豪として、藩主のボディーガードを務めていた。
母はキヨ。熊本の街中に生まれ、「小町」と呼ばれるほどの美人だった。藩主の側にという話もあったらしいが、案山子と結婚した。
卓は、14歳年上の長女シゲ、9歳上の長男下学(かがく)、4歳上の次男清人(きよと)につづく、前田家の次女。

前田家は、代々小天村八久保の郷士であった。卓の祖父の代でさらに財をなし、卓が生まれた当時は、本邸を中心に4里(約16km)四方が前田家の土地で、熊本まで他人の土地を踏まずに行くことができたほどの資産家。八久保は、現在の玉名市の最南端で、熊本市との境に位置する。

維新後、父・寛之助は村に帰り、田夫として村人のために献身する決意を固め、名前も案山子と改めた。彼は、剣一筋だったことを反省して、まず学問を始めた。子供たちのための学校も作った。そして地租改正の理不尽さと闘い、やがて熊本の自由民権運動の中心的存在として奔走し、帝国議会議員になっていく。
卓が生まれたころ、父親は大きな転身を図っていた。

明治3年5月8日
細川護久が二代目藩知事となった。護久は、藩の儒学者横井小南の教えを受けて藩政改革運動を起こしていた実学党のメンバーとともに、矢継ぎ早に改革を断行する。
ともに横井小南の弟子で、姉妹を妻にしていた竹崎茶堂徳富一敬(徳富蘇峰、蘆花兄弟の父)が作った「改革意見書綱領」は次のようなものである。

①旧習打破、簡素を旨とし知事の生活を簡素化し、家族睦まじくする。
②知事自ら政治を行い、農商の声にも直に耳を傾ける。
③二の丸、宮内御殿、御城天守閣等外回りの門塀だけを残して取り壊す。
④上米・一分半米・口米三稜・諸出米銀など枝葉の雑税はすべて廃止する。
⑤鷹揚は解放する。
⑥出納は会計局一本に絞る。
⑦藩内に上下二院を設け、上院は知事以下の諸役人、下院は一般選出の議員で構成し、両院合議して政治を行う。
⑧役人は一切入札公選にする。
⑨諸拝借銀は一切廃止する。
⑩農工商生産を第一の務めとして、臨時急場のため戸数に応じて米銀を備え置く。
⑪惣庄屋以下村役人は入札公選とする。

更に、この綱領に基づいて出された知事布告には、
「中にも百姓は暑寒風雨もいとわず、骨折りて貢を納め夫役をつとめ老人子供病者にさえ暖に着せ、こころよく養うことを得ざるは全く年貢夫役のからき放なりと我ふかく恥おそる」
とある。
農民は厳しい環境の中でも身を粉にして働きに働きながら、年貢を納めてきた。そしてそのため、自分の老いた親や子供、病気の者を暖かく、気持ちよく養うことができなかった。それはひとえに、年貢や賦役が重かったからであり、そうしたことをさせてきたことを深く恥じると、わびている。

明治4年
洋学校と古城医学校を設立、開校。
洋学校は、アメリカ人のL・L・ジェーンズを教師に迎え、中等学校程度の教育を与える全寮制、4年制、男女共学の学校である。ジェーンズの熱い指導は、「熊本バンド」というキリスト者の集団を生み出し、そのメンバーであった徳富蘇峰らは、洋学校開校後、設立されたばかりの京都の同志社英学校に集団で転校し、この学校の内実を整える役割を果たした。
古城医学校は、オランダ人マンスフェルトや長崎の蘭学医を迎え、西洋医学の普及をめざした。病院も併設し、はじめは抵抗も強く、妨害もあったが、しだいに入院患者も増えていった。

案山子はこの護久の改革に強く共鳴し、小天でその一翼を担おうと決心した。
しかし、長男下学を洋学校に入学させ、自分も小天で同じことをやるのだと思い定めた頃、この藩主による改革はあっさり終わってしまう。
新政府が、熊本のそのような過激な路線を認めなかった。

まず、熊本藩同様の雑税廃止を求める一揆が、九州各地で起こった。また、藩内に根強く残る攘夷派の不穏な動きがあり、熊本藩兵卒がイギリス公使に斬りつける事件が起った。
その結果、護久藩知事は責任をとって、明治4年に政府に辞意を表明した。改革路線は、たった1年で終止符が打たれた。役人などの入札公選や、上下二院制などが現実に実施される前に、この実学党系の熊本県政権は挫折した。
そして廃藩置県によって政府は、中央から安岡良亮を知事として派遣し、実学党系の役人を一掃した。廃止された雑税は復活した。

藩主は地位を追われ、熊本から東京に行ってしまったが、案山子はその意志を継ごうとした。
洋学校ではないまでも、学校を作った。西郷軍にも官軍にも郷備金を渡さなかった。地租改正に対しては粘り強く闘った。

明治7年
板垣退助らが愛国公党を結成し、「民選議院設立建白書」を発表し、自由民権運動が始まる。維新の志士たちの新政府に対する失望と反撥が、生活の基盤を失った不平士族や、徴税にあえぐ農民の不満を吸収し、運動は全国に広がった。
熊本は、九州の自由民権運動の中心であった。横井小南の政治思想を受けつぐ実学党が県政権から追われた後も、実学党のメンバーは『熊本新聞』で論陣を張るなど、静かな潮流をつくっていた。

この年
明治7年(卓は6歳)、案山子は村に小天小学校を作った。小天小学校は、当初前田家の屋敷内にあった。また同年、小学校以上の高等教育の場として、私塾蒙正館をやはり屋敷内に開いた。竹添進一郎(後、東大教授)や志賀喬木ら、旧藩校系の優秀な教師を招いたため、九州各県から学生が集まった。

卓は設立されたばかりの小学校で学び、さらに、高等な学問を修める教授や学生を身近に見て育っていく。小学校終了後は、蒙正館で学んだこともあったらしい。同時に卓は、他の兄弟同様、父親の指導で剣術のけいこにも励んだ。剣や薙刀、小太刀を厳しく仕込まれた。案山子は卓に男女の区別なく、文武両道を授けた。卓は剣術の腕を上げた。

明治8年4月
宮崎八郎(宮崎滔天の長兄)有馬源内らが、鹿本郡植木町に、ルソーの『民約論』やモンテスキューの『万法精理』などを教える「植木学校」を開校。この学校は、近隣の町で演説会も行うなど、一種の結社のような動きも見せたため、半年後には安岡知事は閉鎖を命じた。
しかし、この学校は、人民主権などの種を熊本の地にまくことになった。この学校の教師と教え子の一部は、西前戦争のときに宮崎八郎率いる協同隊として西郷軍に参加し、一部は公選県会の議員となり、実学党や案山子らと共に、役人公選や民会開設を主張していく。さらに協同隊の生き残りは、東京で『中外新聞』などで論陣を張っていた池松豊記らとともに、愛国社の動きに連動する結社「相愛社」を熊本に結成する。
こうした流れの中で、案山子も独自の動きを見せていく。

この年(明治8年)
案山子は、地租改正に際し政府に対して農民の先頭に立って闘い始める。
まず、小天の農地の地価評価額をめぐって異議申し立て(*)をし、さらに、江戸時代から行われていた海辺の干拓地の免税問題で、その後20年近くにわたって農民側の要求を通す運動を進めていく。そこから案山子は自由民権家になり、国会議員になっていく。

(*)小天では、村民から選ばれた代表として、案山子が農民側の主張を通すことに成功し、地価の評価額そのものを減額させた。

(つづく)

裁量労働制の拡大を望む経済界に「無能そのもの」と批判噴出 「短期的に労働者を使いつぶすことしか考えてない」(キャリコネニュース);「日経マジなんなの」と批判する声が噴出 / 働き方改革「悪夢再来か」 経済界が懸念(日経新聞);「「裁量労働や脱時間給制が削除されて他だけ残ったら最悪だ」(経済団体幹部)。政権が働き方改革を今国会のテーマに掲げるだけに削除の可能性は「限りなく小さい」と信じつつ、不安は尽きない」 / 第二の年金問題にも(読売新聞)



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日本が生み出した「アンダークラス」の怖ろしい実態 この国の階級化は止められないのか(佐藤優 現代ビジネス); 橋本健二さんの『新・日本の階級社会』は格差が固定化し、貧困が深刻な問題になっていることを実証的に示した好著だ / 労働者階級に“アンダークラス”が激増 「ほかの階級のために犠牲に」と専門家〈AERA〉      




長妻議員「今回の最大の問題は、官邸の産業競争力会議という厚生労働大臣も正規メンバーではなく労働者も入ってないところで裁量労働制の拡大を決めて閣議決定でおろしてきた。そのひずみがデータ問題等の現実無視のものとして噴出している」







共産・笠井「実質賃金は16万の減、個人消費も22万の減。異次元の金融緩和というが、実態は異次元の株式介入。結果、ごく一部の人に資産が集中し、30%の国民が資産ゼロという異常な格差が生まれた。格差を是正する政策こそ必要」


2018年2月24日土曜日

今日は早く寝ようと思ってたのに、「マススタート高木菜那、金メダル」と「カーリング 女子の3位決定戦で日本は英国に5-3で勝利し銅メダル」だもの、1時間ほどグズグズしてしまった.....。もう寝る。それにしても、「メダル13個のうちスケート4種目5個が高木姉妹って…、凄いな。 — ハッピー」     











鎌倉 若宮大路と鎌倉市役所前の玉縄桜 本覚寺の河津桜と梅 大巧寺の木瓜と寒咲あやめ 鶴岡八幡宮の河津桜 お蕎麦屋さんの店先の盆栽梅 お昼は「あしなや」さんで 2018-02-24

2月24日(土)、はれ
今日の鎌倉駅は銀座線新橋駅さながらの混みようだった。
混雑と(多分)花粉の今年初洗礼とで、今日は駅周辺、本覚寺、大巧寺、鶴岡八幡宮に寄っただけで帰ってきた。
ま、玉縄桜、河津桜など期待したものの大凡は充たされたということもあるが。

▼玉縄桜
若宮大路の玉縄桜。
上から二つ目だけは鎌倉市役所前(こちらは少し遅い)。




▼本覚寺の河津桜と梅



▼大巧寺の木瓜と寒咲あやめ
(実は椿が咲き揃うのを待っている)


▼鶴岡八幡宮(旗上社)の河津桜

▼若宮大路のお蕎麦屋さんの店先にある盆栽梅

▼お昼、久しぶりに「あしなや」さんのサンマーメン
11時半の早昼だったけど満員。


加藤大臣「私どもはデータに過ちがあったことはもちろん認めている。しかし、その上において出されてきた結論について、今それを変えなきゃいけないというふうには認識していない」 ← 理窟なんて無用、数のチカラでやり遂げるんだ、と!


【論風】安倍政権、目に余る「官邸主導」 民主的な政策決定に回帰を(一橋大学名誉教授・石弘光 サンケイビズ);「安倍政権の下で行われている官邸主導は、それ以外にもいくつかの問題がある。例えば、従来歴代の内閣が尊重してきた各省の下に置かれている政府税制調査会、中央教育審議会、社会保障審議会などの審議が、ほとんど形骸化していることだ。」






大学生 増える学費負担(読売新聞); 1989年と比べて、国立で20万、私立で30万授業料が上がってるのに、下宿生の生活費3千円しか増えてない。しかも仕送り額は減り、2割は午後10時から午前5時までの深夜時間帯にバイトしてると。「下宿生のアルバイト収入額は1970年以降で最も高くなっている」


(動画) 山口敬之に対する「準強姦事件逮捕状執行停止問題」。 福島みずほ議員「逮捕状請求➡発付➡高輪署が成田に逮捕に向かう➡一件記録も見てない中村格が執行停止を指示。中村格さんが決断するまでの時系列を作れ」 警察庁「この事件の捜査過程はお答え出来ない」 この会は四回目。宿題さえも答えない。


自主憲法制定は自民党結党以来の党是なのか? → (無所属黒岩)「55年の結党時の綱領には入ってないんですよね、その後の綱領改定、最近になって、盛り込まれたと思うんですが、.....」 (野田)「祖父の方から、.....と言うことを聞いて、それをずっと信じて、おった次第です」 ← 野田にしてコレか! ま、「結党以来」というのはウソだったということだね           






橋本聖子「五輪政治利用や大統領対応に苦言」(FNN) → ベルリン五輪を最大限に利用し、あらゆるメディアを総動員したヒトラーの手口はこうだった 独裁者が使う五輪利用その手口 日本人はよく知っておいた方がいい メダルラッシュに沸きかえる日本だが、20年東京五輪に向けた国威発揚の不気味さ、危うさ ナチスの手口に共鳴する安倍政権(日刊ゲンダイ)





▼自分、自分、これしかない!




東京 北の丸公園のカワヅザクラ 2018-02-23

2月23日、雨ののち、午後3時過ぎころから晴れ

北の丸公園のカワヅザクラが人目を引くようになってきた。

これサクラ? とか
これカンザクラ? とか
こんなとこにカワヅザクラ! とか
いろんな人がいる。

雨上がり直後のカワヅザクラと晴れてからのカワヅザクラ










2018年2月23日金曜日

つい三日ほど前のLe Mondeに電通が五輪を金で買った疑惑について捜査が進んでいて、国際的なスキャンダルになっているという報道があったけれど、日本のメディアはまったく報道していませんね。/ 記事の通りなら、東京五輪の開催権をディアク親子が暗躍して票を買い集め、その謝礼を電通がいろいろなかたちで(あのブラックタイディングスの他にも)キックバックしていたらしいですよ。 / 電通「東京五輪買収」の物証(FACTA); 仏検察が押収した電通と国際陸連前会長の極秘契約書。そこに不可解な1500万ドル。ル・モンドと共同取材で入手