2025年2月11日火曜日

記者「いつになったら一般消費者は物価の下落を実感できるんですか?」 トランプ「我々は金持ちになると思うが、今はそれほどではなく、アメリカ政府は36兆ドルの負債を抱えている。それはアメリカが他の国々に利用されてきたからだ」 記者「ですから、いつ庶民は豊かになれるんですか?」 トランプ「もうすぐだ。アメリカは世界のATMであることをやめるから」記者「つまり借金を踏み倒すことで金持ちになると?」 トランプ「そうだ。最高のビジネスモデルだろ?」    

 

記者「あなたは議会警備の警察官を暴行した何百人もの議会襲撃犯を赦免しましたね」 トランプ「いや、政府によって暴行を受けた人々を赦免したのだ。彼らは暴行された側だ。この恩赦は人類にとって素晴らしいことだった」 / トランプはアメリカ国立交響楽団と国立オペラの本拠地ケネディ芸術センター(ワシントン)の議長になると宣言した。 トランプ「あそこはひどいショーをやってるからな。国辱ものだ。観に行ってはいないがね」   

「共和党議員ゲイリー・パーマーは、共和党議員たちがトランプに対して立ち上がる勇気を持ってないと非難」

姫路市議、兵庫知事選巡りSNSで不適切投稿繰り返す 政倫審設置へ(毎日);  “兵庫県姫路市の高見千咲市議(自民党)がSNSで不適切な投稿を繰り返したとして、市議会の自民を含む8会派が10日、政治倫理条例に基づく政治倫理審査会の設置を宮下和也議長に請求”


〈関連記事〉

 【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 姫路の高見ちさき市議がTikTokにして流していました 「元知事(斎藤)が見直したかった県庁舎建替え、稲村候補は1,000億円のプランのままで行きたいと」 / 兵庫県知事選、稲村和美陣営が告発状提出 「外国人参政権を推進」などX上のデマで(TBS) / 兵庫知事選、稲村氏陣営のXアカウント2回凍結 組織的に一斉通報か、刑事告訴へ(神戸新聞); 稲村和美氏(52)の後援組織は選挙期間中に同会のXのアカウントが2回凍結されたとし、偽計業務妨害などの容疑で22日にも兵庫県警に刑事告訴する方針を固めた。



スーパーボウルのハーフタイム ケンドリックのヒップホップで女性のバックダンサーが「スーダン」「ガザ」と大書した旗を掲げて走り回る

文書は「私からお渡ししたものではない」と岸口兵庫県議 N国党・立花党首「維新の岸口県議から文書をもらった」との発言について取材に応じる(ABC); 直接自分からは渡してないけど、その場にいた「民間の方」が渡した、みたいなニュアンスですね。じゃ、その「民間の方」は誰から渡されたのか? 

 

大杉栄とその時代年表(403) 1902(明治35)年7月1日~4日 「只今巴理より浅井忠と申す人、帰朝の序拙寓へ止宿。是は画の先生にて色々画の話抔承り居候。又一所に参り候芳賀矢一氏も、浅井氏と同船にて来る四日出発、帰途に上る筈に候。・・・・・皆々が帰ると自分も帰り度なり候。」(漱石の手紙)

 

浅井忠

大杉栄とその時代年表(402) 1902(明治35)年6月16日~30日 「何事によらず革命または改良といふ事は必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であつて、従来世の中に立つて居つた所の老人が中途で説を飜したために革命または改良が行はれたといふ事は殆その例がない。」(子規『病牀六尺』) より続く

1902(明治35)年

7月

朝・デンマーク修好通商条約締結。

7月

嘉納治五郎(弘文学院校長)、湖広総督・張之洞の招きに応じて清国へ教育視察の旅に出る。2ヵカ月半。北京、天津、保定、上海から揚子江を遡って南京、安慶、武邑、長沙と巡り、北京では清朝政府の親王や大臣と教育政策について話し合い、各地で総督や巡撫から大歓迎を受け、教育関係者と意見交換。

帰国後、清国視察旅行の印象を、「靖国巡遊所感」など数編にまとめて雑誌『国士』に発表(『嘉納治五郎大系』第9巻、本の友社、1988年)。

日本では、清国は大いに覚醒して刷新を図ろうとしていると考えられているが、現実は決してそうではない。日本に来た清国の視察員や留学生たちの改革意欲に燃える姿だけを見て、清国全体がそうなのかと思うのは大きな間違いである。

自分の見るところ、世界の知識を輸入して近代的な教育を普及させ、世界の強国と肩を並べるだけの国力を備えたいと熱望しているのは、実は「某大臣、某総督、某志士、某学者というがごとき僅々の人士」だけであって、地方全体ではそんな雰囲気はない。そのために、せっかく海外留学して帰国しても、憂国の心情に駆られて急激な主張を唱えれば、大多数の頑迷な人々から拒絶され、海外留学は有害だとまで言われてしまう。

「その心情まことに憐れむべきものあり」と。

7月

布施辰治、明治法律学校卒業。

11月、判事検事登用試験に合格。司法官試補に採用され宇都宮裁判所に赴任。

翌明治36年、検事代理に任命。秋、幼児3人と共に心中を図り自首した母親の殺人未遂起訴を拒否。東京で弁護士登録する。

7月

志賀直哉(19)、中等科2度目の落第、6年級に留め置かれ木下利玄・正親町公和と同級、実篤と隣クラスとなる。細川護立は実篤と同じクラス。

翌36年10月、中等科卒、高等科に進む。

明治38年高等科卒業時の成績、2番木下利玄、3番細川護立、直哉はビリから6番目、実篤はビリから4番目。

7月

矢野龍渓「新社会」刊行。社会主義理想小説というべきもので、読者に社会主義について啓蒙する目的で書かれたもの。政治小説『経国美談』で知られる龍漢が、社会改良という視点から社会主義に関心を持ち、それを小説の形で発表した。『新社会』は僅か半年で20数版に達する。

7月

露、蔵相ヴィッテ(10~、極東訪問)、満州鉱山会社設立。

7月

オーストラリア、移民制限法により言語テストを実施。東洋人のみならず、ヨーロッパ人の入国拒否が可能になり、移住者の大量流入に歯止め。国政選挙で女性の投票権認められる。

7月1日

埼玉県深谷町の製糸工場富岡館の女工270人、賄い方に大食をなじられて同盟断食。

7月1日

大日本錦糸紡績同業連合会、第4次操短開始。

7月1日

この日の子規『病牀六尺』(五十)。


「○肺を病むものは肺の圧迫せられる事を恐れるので、広い海を見渡すと洵(まこと)に晴れ晴れといい心持がするが、千仞(せんじん)の断崖に囲まれたやうな山中の陰気な処にはとても長くは住んで居られない。四方の山に胸が圧せられて呼吸が苦しくなるやうに思ふためである。それだから蒸汽船の下等室に閉ぢ込められて遠洋を航海する事は極めて不愉快に感ずる。住居の上についても余り狭い家は苦しく感ずる。天井の低いのは殊(こと)に窮屈に思はれる。蕪村(ぶそん)の句に

屋根低き宿うれしさよ冬籠(ふゆごもり)

といふ句があるのを見ると、蕪村はわれわれとちがふて肺の丈夫な人であつたと想像せられる。(略)

(七月一日)」


7月1日

(露暦6/18)シュトゥットガルト、合法的マルクス主義者ストルーヴェ、隔週刊政治誌「解放」創刊。

7月1日

米議会、1902年のフィリピン法(フィリピン組織法・フィリピン統治法)可決、フィリピンの二院制議会を規定。

7月1日

7月1日~2日 ロンドンの漱石


「七月一日(火)、午前、芳賀矢一、訪ねて来たが、留守をして会えぬ。

七月二日(水)、晴。芳賀矢一を訪ねる。外出中で会えない。鏡宛手紙に、「書状一通寫眞一束端書一牧(ママ)外に倫氏梅子端書各一葉落手被見致候」と書く。また、同宿中の浅井忠も七月四日(金)に芳賀矢一と同船で帰国すると伝え、みんなが帰ると自分も帰りたくなると洩らす。(芳賀矢一は、岡倉由三郎と共に Cambridge の三土忠進を訪ねる。)」(荒正人、前掲書)


「七月二日(水)付鏡宛手紙にも、七月四日(金)、浅井忠は芳賀矢一と共に阿波丸で帰朝すると伝えている。浅井忠は、 London 滞在中に「にわとり」(油絵)を描いている。これは漱石の下宿で描いたかもしれぬ。八月十九日(火)、神戸港に入港する。東京市に約一か月滞在し、九月には新設の京都工芸学校の教授に赴任する。「何日か倫教に居る時分、浅井さんと一處に、とある料理屋で、たったビール一杯丈飲んだのですが、大變眞赤になつて、顔がほてつて街中を歩くことが出来ず、随分、困りました。」(談話「文士と酒、煙草」 明治四十二年一月九日『国民新聞』)


「ある日画伯を案内して、市中観物に出掛けた。漱石先生も喜んで加はり、画伯、飄逸、太良と自分で、一行は五人になった。

午前中は国立絵画館とテート画廊を丁寧に観た。数々の名画の前に立って、薀蓄を傾けた黙語画伯の説明には、先生も熱心に聴いていた。

午後からキュー植物園に行った。屋外に卓子を並べてある喫茶店で、午餐の後、青芝の上で五人が立ってならんだ処を、画伯はポケットから小型の写真機をとり出して、横合から斜に撮影した。」(渡辺(春渓)「漱石先生のロンドン生活」)」(荒正人、前掲書)


7月2日 この日付けの漱石の妻、鏡子宛ての手紙。


「其許持病起り(さう)相のよし、よく寐てよく食つてよく運動して、小児と遊べばすぐ癒る事と存候

「此方(こちら)は不相変無事御安心可有之候。只今巴理より浅井忠と申す人、帰朝の序(ついでに)拙寓へ止宿。是は画の先生にて色々画の話抔承り居候。又一所に参り候芳賀矢一氏も、浅井氏と同船にて来る四日出発、帰途に上る筈に候。

皆々が帰ると自分も帰り度なり候。然し日本にてかくの如くのんきにひまがあつて勉強が出来たら、少しは人に見せられる著書も出来相なれど、帰れば中々追使はるゝ故左様勝手には不参、しかたなさものに候」


7月2日

この日の子規『果実帖』、「七月二日雨 山形ノ桜ノ実」


7月2日

ルーズベルト米大統領、フィリピン平定完了・植民地統治宣言。ゲリラ的活動は各地で継続。

7月4

7月4日 ロンドンの漱石


「七月四日(金)、晴。午後、土井晩翠・岡倉由三郎・美濃部俊吉と共に、 Fenchurch Station (フェンチャーチ停車場)に、芳賀矢一・浅井忠・岡村の帰国を見送る。六時五十四分、 Tilbury Dock (ティルベリー・ドック)に向う。一行は、日本郵船の阿波丸に乗船する。(岡倉由三郎は、 Tilbury Dock まで同行し、近くの一旗亭で夕食を共にし、船室に入りシャンペンを飲む。漱石たちも同行したのではないかと思う。芳賀矢一らは、十時三十分に出航する。)」(荒正人、前掲書)


つづく


Netflix『百年の孤独』マルケスの傑作小説を映像化。呪われた一族の、濃い人間ドラマを描く(NetflixFreaks); ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説を映像化したNetflixシリーズ『百年の孤独』の見どころを紹介

死亡女性、日本大使館にDV訴え ハンガリー邦人殺害(共同) / ハンガリーで日本人女性死亡 現地警察が異例の謝罪(ABEMA) / ハンガリーの日本人43歳女性殺害、日本大使館にアイルランド人元夫のDV被害訴え(産経) / 「元夫から脅迫されている」警察に訴えも放置 ハンガリーで43歳日本人女性が死亡 殺人容疑で元夫を逮捕 首都ブタペストのアパート火災に関与か(TBS)        

フジテレビ調査で「領収書」の有無が焦点に スイートルーム代経費処理なら組織ぐるみの〝物的証拠〟(東スポWEB) / フジテレビCM差し止め75社に ACジャパン差し替え350本超(毎日) / 「フジテレビは「映像なし」、「フリーランス締め出し」、「控えます」連発の記者会見をして、放送局、報道機関を続けるつもりなんでしょうか。、、、、」(南彰) / 中居正広“深刻トラブル”被害者X子さんが口を開いた「9000万円ものお金はもらってません」、フジテレビに対しては「諦めの気持ちが強い」(NEWSポストセブン) / 《資料入手》「フジ社長は“女性アナ接待”の常習者」中居正広9000万円トラブルを引き起こしたフジテレビの“上納文化”(文春オンライン) / 中居正広「女性トラブル」フジは編成幹部の“上納”即否定の初動ミス…新告発、株主激怒の絶体絶命(日刊ゲンダイ) / 中居の女性トラブル騒動で渦中のフジ名物プロデューサーが出社停止「心身の負担が募っている」(スポニチ)←まるで「被害者」? / フジ現役女性アナウンサーが告発 中居会食に呼ばれた 男性タレントが全裸で手招きも…拒絶 文春報道(スポニチ) / 中居正広さん騒動、米ファンド「フジ・メディアに欠陥」 第三者委要求(日経);「中居正広氏を巡る騒動に関連する最近の一連の出来事は、単なる芸能界の問題にとどまらず、(フジが)コーポレートガバナンスに深刻な欠陥があることを露呈している」 / 中居さんトラブル「フジはあいまいにせず調査を」 米ファンド要求(朝日);「物言う株主」として知られるダルトンがフジ・メディア・ホールディングスの取締役会に対し、書簡を送付していたことが明らかに。 / 民放各局が中居正広に聞き取り調査へ、フランス報道で急展開…旧ジャニに続き “外圧” でしか変わらない “情けなさ”(FLASH) / 中居さん問題、フジテレビが調査 日テレは降板発表、代理人が回答も(朝日)        

 

 

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2025年2月10日月曜日

「ちょっといいですか。今後のために言います。外国人を働かせてやっているんじゃないです。私たちが彼らに働いてもらってるんです。日本は人口が減って、子どもが減って、今の社会を維持するための労働力も消費力も足りない。日本人だけじゃ、この国はもう持たないんです。外国人を無理に愛せとは言わない。でも、彼らを敵視して排除しようとしても、あなたの居場所は守れないですよ。同じ社会に生きるものとして、せめて受け止めなければ、あなたが苦しくなるだけです。日本はもう、変わって行くんです。」(NHK「東京サラダボウル」5話「ティエンと進」)

 

【言語道断の暴言妄言!】 トランプ氏、ガザは「大きな不動産用地」 再開発計画を強調(CNN 2/10) / トランプ大統領「ガザの所有権を我々に」 / 記者「ガザにアメリカ軍を送るのですか?」 トランプ「開発のために必要なら」 / 記者「あなたはもしかして、アメリカがガザを占領すると言ってるんですか? 再開発のために?」 トランプ「長期間にわたる所有を考えている」 / 記者「ガザの住民はどこに行けばいいんですか? ガザをアメリカが占領して、そこには誰が住むと考えているんですか?」 トランプ「私は世界中の人がガザに住むと考えている。中東のリビエラにするんだ」 / トランプがネタニヤフ首相との共同会見で、ガザ地区住民の恒久移住、米国領土化、リゾート開発案を提示。「パレスティナ人はガザ地区に戻るべきで無い」と主張、傍らに居たワイルズ大統領首席補佐官も寝耳に水の表情 / トランプ氏の「ガザ所有」発言 移住強制なら「民族浄化」の恐れ | 毎日新聞        

 

大杉栄とその時代年表(402) 1902(明治35)年6月16日~30日 「何事によらず革命または改良といふ事は必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であつて、従来世の中に立つて居つた所の老人が中途で説を飜したために革命または改良が行はれたといふ事は殆その例がない。」(子規『病牀六尺』)  

 

子規『果物帖』6月27日 青梅

大杉栄とその時代年表(401) 1902(明治35)年5月28日~6月15日 「余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」(子規『病牀六尺』) より続く

1902(明治35)年

6月16日

上海で日清通商条約改正談判開始。

6月16日

田中正造の欠伸事件に有罪確定。この日~7月26日迄、巣鴨監獄に服役。4度目の入獄。

6月16日

アインシュタイン、スイス連邦評議会によりベルンの連邦特許局3級技術専門職試傭として任命。年報3500スイス・フラン。6月23日からそこでの仕事を始める。

6月17日

天津、「大公報」紙創刊。

6月17日

(露暦月日)エドゥアルト・トール、隊員3人と共にザリャ号を下船、犬橇・皮船で移動。

8月3日(露暦)ベンネト島エンマ岬で地質調査。

11月8日、迎えに来る筈のザリャー号が来ないため、ノヴァヤ・シビリ島に向う。ここで消息を絶つ。

ザリャー号は2度接岸に失敗し、氷に囲まれるのを恐れ、9月5日にレナ川デルタのチクシ湾に退く。

翌1903年8月17日、トールらを救出するため、ニキフォル・ベギチェフら、ベンネト島エンマ岬付近を調査。トールの手記を発見する。サンニコフ島は実在しなかった。

6月18日

万国郵便連合25周年記念絵葉書用紙6種が発行(最初の官製色刷り絵葉書)。

6月18日

この日掲載の子規『病牀六尺』.(三十七)


「○明治維新の改革を成就(じょうじゅ)したものは二十歳前後の田舎の青年であつて幕府の老人ではなかつた。日本の医界を刷新したものも後進の少年であつて漢方医はこれに与(あずか)らない。日本の漢詩界を振はしたのもやはり後進の青年であつて天保(てんぽう)臭気の老詩人ではない。俳句界の改良せられたのも同じく後進の青年の力であつて昔風の宗匠はむしろその進歩を妨げようとした事はあつたけれど少しもこれに力を与へた事はない。何事によらず革命または改良といふ事は必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であつて、従来世の中に立つて居つた所の老人が中途で説を飜(ひるがえ)したために革命または改良が行はれたといふ事は殆(ほとんど)その例がない。もし今日の和歌界を改良せんとならばそれは勿論青年歌人の成すべき事であつて老歌人の為し得らるる事ではない。もし今日の演劇界を改良せんとならば、それはむしろ壮士俳優の任務であつて決して老俳優の成し得らるる所ではない。しかるに文学者とも言はるるほどの学者が団十(だんじゅう)菊五(きく)ごなどを相手にして演劇の改良を説くに至つては愚と言はうか迂(う)と言はうか実にその眼孔の小なるに驚かざるを得ない。

(六月十八日)」

6月20日

啄木(16)、「ハノ字」の名で、書評「『ゴルキイ』を読みて」(『岩手日報』)。

6月20日

この日掲載の子規『病牀六尺』.(三十九)


「○病床に寝て、身動きの出来る間は、敢(あえ)て病気を辛しとも思はず、平気で寝転んで居つたが、この頃のやうに、身動きが出来なくなつては、精神の煩悶(はんもん)を起して、殆ど毎日気違のやうな苦しみをする。この苦しみを受けまいと思ふて、色々に工夫して、あるいは動かぬ体を無理に動かして見る。いよいよ煩悶する。頭がムシヤムシヤとなる。もはやたまらんので、こらへにこらへた袋の緒は切れて、遂に破裂する。もうかうなると駄目である。絶叫。号泣。益々絶叫する、益々号泣する。その苦(くるしみ)その痛(いたみ)何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となつてしまへば楽であらうと思ふけれどそれも出来ぬ。若し死ぬることが出来ればそれは何よりも望むところである、併し死ぬることも出来ねば殺して呉れるものもない。一日の苦しみは夜に入ってようよう減じ僅に眠気さした時には其日の苦痛が終ると共にはや翌朝寝起の苦痛が思いやられる。寝起程苦しい時はないのである。誰かこの苦を助けて呉れるものはあるまいか、誰かこの苦を助けて呉れるものはあるまいか。

(六月二十日)」


6月20日 子規、逆上して「仰臥漫録」に「麻痺剤服用日記」の連載を始める(~7月29日)。

「明治三十五年 麻痺剤服用日記

六月二十日(これより以前は記さず)

正午  午後九時」(『仰臥漫録』)

6月21日

『仙台毎日新聞』、『夕刊平民』と改題(自ら社会主義を標榜するという)

6月22日

大杉栄(17)の母豊、卵巣腫瘍で新潟病院にて急逝。母危篤の電報で、新発田へ帰る。美人だったという母、栄はこの母に顔もも似ていたといわれている

6月25日

武衛右軍を北洋常備軍と改称

6月25日

皇太子(大正天皇)第2子、誕生(のち、秩父宮)。兄同様、川村純義に里子として出され、10月16日、川村家入り。

6月26日

イギリス、チベットに侵攻。

6月26日

この日の子規『病牀六尺』(四十五)。


「○写生といふ事は、画を画くにも、記事文を書く上にも極めて必要なもので、この手段によらなくては画も記事文も全く出来ないといふてもよい位である。これは早くより西洋では、用ひられて居つた手段であるが、併し昔の写生は不完全な写生であった為めに、此頃は更らに進歩して一層精密な手段を取るやうになつて居る。然るに日本では昔から写生といふ事を甚だおろそかに見て居つたために、画の発達を妨げ、又た文章も歌も総ての事が皆な進歩しなかつたのである。それが習慣となつて今日でもまだ写生の味を知らない人が十中の八、九である。画の上にも詩歌の上にも、理想といふ事を称(とな)へる人が少くないが、それらは写生の味を知らない人であつて、写生といふことを非常に浅薄(せんぱく)な事として排斥するのであるが、その実、理想の方がよほど浅薄であつて、とても写生の趣味の変化多きには及ばぬ事である。理想の作が必ず悪いといふわけではないが、普通に理想として顕(あらわ)れる作には、悪いのが多いといふのが事実である。理想といふ事は人間の考を表はすのであるから、その人間が非常な奇才でない以上は、到底類似と陳腐を免れぬやうになるのは必然である。固(もと)より子供に見せる時、無学なる人に見せる時、初心なる人に見せる時などには、理想といふ事がその人を感ぜしめる事がない事はないが、ほぼ学問あり見識ある以上の人に見せる時には非常なる偉人の変つた理想でなければ、到底その人を満足せしめる事は出来ないであらう。これは今日以後の如く教育の普及した時世には免れない事である。これに反して写生といふ事は、天然を写すのであるから、天然の趣味が変化して居るだけそれだけ、写生文写生画の趣味も変化し得るのである。写生の作を見ると、ちよつと浅薄のやうに見えても、深く味はへば味はふほど変化が多く趣味が深い。写生の弊害を言へば、勿論いろいろの弊害もあるであらうけれど、今日実際に当てはめて見ても、理想の弊害ほど甚だしくないやうに思ふ。理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上らうとしてかへつて池の中に落ち込むやうな事が多い。写生は平淡である代りに、さる仕損ひはないのである。さうして平淡の中に至味を寓するものに至つては、その妙実に言ふべからざるものがある。

(六月二十六日)」


子規は日本画について語っているのだが、これは「写生」という一点において俳句・短歌・写生文とパラレルの議論であった。ここで言う「写生」は、洋画を意識した概念である。

子規はまた、「写生」の対概念として、「理想」の語を批判の対象として槍玉に挙げていた。「理想」という言葉もまた、文学と絵画の双方において、明治20年代後半から30年代、問題となっていた言葉だった。「理想」は当初、没理想論争によって文学上の議論となった言葉だったが、美術界に飛び火し、「理想画」とは、眼前にあるものでなく、歴史・神話・寓意など想像上の主題を表出した絵画を指して言う言葉になっていた。子規はそうした行き方に反対たった。

6月27日

子規の最後の写生画は、『果物帖』(明治35年6月27日〜8月6日)『草花帖』(同年8月1日~20日)『玩具帖』(同年8月22日〜9月2日)『仰臥漫録』(9月3日)である。

「菓物帖」。青梅、初南瓜、桃、初冬瓜、莢英隠元、玉萄黍、バナナ、パインアップルなどを写生。"

6月28日

この日の子規『病牀六尺』(四十七)。


「○この頃『ホトトギス』などへ載せてある写生的の小品文を見るに、今少し精密に叙したらよからうと思ふ処をさらさらと書き流してしまふたために興味索然(さくぜん)としたのが多いやうに思ふ。目的がその事を写すにある以上は仮令たというるさいまでも精密にかかねば、読者には合点(がてん)が行き難い。実地に臨んだ自分には、こんな事は書かいでもよからうと思ふ事が多いけれど、それを外の人に見せると、そこを略したために意味が通ぜぬやうな事はいくらもある。人に見せるために書く文章ならば、どこまでも人にわかるやうに書かなくてはならぬ事はいふまでもない。あるいは余り文章が長くなることを憂へて短くするとならば、それはほかの処をいくらでも端折(はしょ)つて書くは可よいが、肝腎(かんじん)な目的物を写す処は何処までも精密にかかねば面白くない。さうしてまたその目的物を写すのには、自分の経験をそのまま客観的に写さなければならぬといふ事も前にしばしば論じた事がある。しかるに写生的に書かうと思ひながらかへつて概念的の記事文を書く人がある。これは無論面白くない。例を言へば、米国にある支那飯屋といふのを書くつもりならば、自分がその支那飯屋へ往た時の有様をなるべく精密に書けば、それでよいのである。しかるにその方は精密に書かずにかへつて支那飯屋はどういふ性質のものであるといふやうな概念的の記事を長々と書くのは雑報としてはよいけれども、美文としては少しも面白くない。まだ雑報と美文の区別を知らない人が大変多いやうである。同雑誌の一日記事の如きもただ簡単に過ぎて何の面白味もないのが多いやうに見える。これは今少し思ひきつて精密に書いたならば多少面白くなるだらうと思ふ。

(六月二十八日)」


6月28日

米、リチャード・ロジャース、誕生。「サウンド・オブ・ミュージック」作曲

6月28日

米、議会、中米地峡運河法可決。パナマ,ニカラグアでの運河敷設に関する交渉権,建設実行権を大統領に付与.

6月28日

ドイツ、イタリア、オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)の三国同盟、第4次更新。1903年5月から12年間の更新合意。ただし、6年後には破棄できる条件。

6月29日

長野県松本・諏訪間の生糸運送夫ら1千余人、賃上げを要求してストライキ。

6月29日

第1回パリ-ウィーン間自動車レース。優勝は、仏の自動車製造者ルイ・ルノー。

6月29日

芳賀矢一がフランスからイギリスに渡り、岡倉由三郎を訪ねる。午後、岡倉由三郎は、芳賀矢一を大英博物館、ナショナル・ギャラリー、トラファルガー広場に案内する。

6月30日

石光真清大尉(変名「菊池正三」)、この日、大連に滞在。ハルビンから奉天・遼陽・大連・長春・チチハル・満州里を巡回して7月26日、ハルビンに帰着。

6月30日

第4回植民地会議開催(~8.11、ロンドン)、帝国の優先権の承認。

6月30日

ロンドンの漱石


「六月三十日(月)、浅井忠は、パリからロンドンに立ち寄り、帰朝するので、数日間寄宿する。画の話をする。(乾田明)」(荒正人、前掲書)


つづく


低所得者支援の杉並区の政策を「共産主義に向かってる」と煽る「都民ファーストの会の都議会議員」がいた。「小池百合子イズムがよくよく浸透している議員さんですね」。その後、ツイートは削除したらしいが、「今年の都議選の貴重な判断材料になると思います」。

 

親ロシアの会社から380万円 FBI長官候補のパテル氏(共同通信) / トランプ政権にFBI長官に任命されるカシュ・パテルはFBI解散を主張し、FBIに逮捕された議会襲撃犯を支援するチャリティを行い、Qアノンなど極右陰謀論者のPodcastに出演していた。極右団体の多くがパテルのFBI長官就任を歓迎している。(町山智浩)

トランプは国立公文書記録管理局(NARA)のトップを解任。背景には機密文書の自宅保管を巡る問題。

 

大杉栄とその時代年表(401) 1902(明治35)年5月28日~6月15日 「余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」(子規『病牀六尺』)

 

大橋図書館(九段下 1926年再建~)

大杉栄とその時代年表(400) 1902(明治35)年5月28日 幸徳秋水『兆民先生』拾い読み② 兆民、自由党土佐派の裏切りに怒る 「先生此時眦為めに裂く。直ちに「無血虫」なる一文を艸して之を立憲自由新聞に掲げ、大に反覆者を罵倒し、次で辞表届を議長中島信行君に呈したり、其文に曰く、「アルコール中毒の為め、評決の数に加はり兼ね候に付き、辞職仕候」と。議長懇ろに其在任を勧め、滞京の選挙人亦驚きて、馳せて其門を叩きて之を諌むるも、先生頑として聴かざりき。」 より続く

1902(明治35)年

5月28日

アルゼンチン、チリとの間に仲裁・国境画定などに関する「5月条約」締結。ロシアとの関係が緊迫していた日本に軍艦を譲渡合意。アルゼンチンから軍艦リバダビア号(日進丸)とモレノ号(春日丸)の2隻,チリからはエスメラルダ号が贈られる。

5月30日

スペイン国王アルフォンソ13世、労働不安が募る中、国会審議を一時停止。翌日、戒厳令施行。

5月31日

プレトリア条約(フェレーニヒング条約締結。ボーア戦争終結

イギリスは代議政体と農地復興費300万ポンドを約束。トランスヴァール・オレンジ両国は英植民地に。ボーア人による代議員制度保証。壊滅した農業再建のため300万ポンド助成金。


6月

近松秋江、貸席清風亭の女中大貫ますと結婚。明治42年8月末、ますは家出。

6月

「第二明星」を廃刊し、新たに「白百合」とするが、不評のため、7月からまた「明星」に戻る。

6月

永井荷風(23)、『闇の叫び』を「新小説」に発表。この頃、「饒舌」に3回ゾラの紹介を掲載。


「明治三十五年四月の『野心』、六月の『闇の叫び』、九月の『地獄の花』、十月の『新任知事』、翌三十六年五月の『夢の女』、七月の翻案『恋と刃』、九月の『女優ナゝ』などがゾラの影響下に書かれた系列の作品だが、私は一応という但し書きをつけた上で、この時期をまだ荷風の習作期の延長、すくなくとも後年の荷風がなかったら、全集に収録されたり、後世の論者に取り上げられたりするほどのものであるかを疑う。」


 「それが一転して、確乎たる個性が確立されるのは、『あめりか物語』、『ふらんす物語』の年代 - すなわち明治三十六年九月の渡米以後である。


《明治以来、我国の文人で海外を旅行したものは数へ切れぬほどである。しかし、芸術家としての生涯の決定的な時期に外国にゐた作家は恐らく永井氏一人なのではなからうか。》


昭和初年代に書かれた中村光夫のことばだが、たしかにこの外遊は荷風の文人としての性格を決定づけている。」(野口冨士男『わが荷風』)


6月

高田早苗「帝国主義を採用するの得失如何」(「太陽」)。民権論と国権論、自由主義と国権主義を結合させ、双方により「国家の隆盛」を維持すると主張。

6月

逓信省東京電信局、蓄電池を局内全機械に採用。

6月

讃岐鉄道会社、列車内に喫茶室を設け、請負営業として軽食・酒類を販売。女子社員を給仕に当たらせる。

6月

フィンランドでロシア語が強制的に公用語に。

6月

グスタフ・マーラー(42)、クレーフェルトの音楽祭で第3交響曲を初演

6月1日

赤間関市、下関市と改称。

6月2日

6月2日 この日掲載の子規『病牀六尺』.


「余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」

6月3日

山口県下の入会林野(1881年から国有林に編入)を、国有土地森林原野下戻法(1899年4月18日公布)により下戻。初の市町村公有林。

6月4日

福建省樟脳專売権獲得。1905年10月解約。

6月4日

幸徳秋水「南阿の講和」(「万朝報」)。ボーア人の独立戦争支持。

6月5日

ドイツ、皇帝ヴィルヘルム2世、領内居住ポーランド人をドイツ化措置発表。

6月6日

取引所令改正のため、東京株式市場大暴落。立会停止。

6月6日

内田魯庵『社会百面相』刊行。

6月7日

天津イタリア租界專約成立。

6月7日

二葉亭四迷、ウラジオストク発。10日、ハルビンに到着。ハルビンの菊地写真館は志士・大陸浪人の溜まり場で、二葉亭もここに顔を出す。

9月初旬ハルビン発、営口~旅順~山東半島芝罘~営口~山海関~秦皇島~天津を経て10月7日北京着。

6月7日

仏、ワルデック・ルソー内閣辞職、コンブ内閣成立(~1905.1)。

6月9日

袁世凱、正式に(代行より)直隷総督・北洋大臣に就任。

6月10日

上海国際及びフランス居留地各会審衙門の管轄に関する仮規則採択。6月28日北京外交団承認実施。

6月10日

清国の蕪湖に国際租界設置、蕪湖国際共同租界章程公布。

6月12日

片山国嘉・北里柴三郎ら、同仁会創立(清国・韓国などの医事・衛生の改善)。

6月13日

義和団事件賠償金の割り増し要求撤回を北京外交団に通知。

6月14日

列国公使会議、北京、義和団事件の賠償金配分議定書(義和団事件講和条件付帯議定書)に調印。日本の受領額は、3,479万3,100海関両。

6月14日

台湾総督府、台湾糖業奨励規則制定。

6月15日

日本初の私立図書館の大橋図書館、麹町に開館。博文館の大橋佐平。


つづく

2025年2月8日土曜日

自宅近くの梅や桜 熱海桜とメジロ 紅梅 枝垂れ梅 白梅とメジロ 河津桜はまだまだ 2025-02-08

 2月8日(土)晴れ

今日は自宅から徒歩圏内にある梅や桜の状況を観ながら散歩した

▼熱海桜(アタミザクラ)が開花し、メジロが食事中

花が桜なのでサクジロー(と呼んでるけど、もし女の子だったらどうしよう)




▼熱海桜


▼紅梅

▼八重枝垂れ梅

▼実は、最も期待していた河津桜。まだ、こんな感じだった。
長谷寺では咲き始めていたのにね。

▼品濃白旗神社の枝垂れ梅

▼自宅から最も近い場所にある梅にもメジロが
これは、花が梅なのでウメジローと呼ぶ

▼早咲きの梅だが、今年は遅かった


フランス検察、Xを捜査 「アルゴリズムがデータ処理ゆがめた疑い」(朝日);  仏検察が「X」を捜査、アルゴリズムがデータ処理を歪めた疑い…欧州ではマスク氏の主張がXで優先的に表示されているとの警戒が強まっている。捜査に着手したのはパリ検察のサイバー犯罪部門。利用者に通知しないままアルゴリズムを変更すれば法律違反の可能性があるという。

ICC赤根智子所長「裁判所の独立性と公平性を損ない、罪のない犠牲者から正義と希望を奪うことを求めるものだ。断固拒否する」と非難。「世界の全ての国々にICCを擁護するために団結することを呼びかける」 / ICC赤根所長、トランプ氏の制裁から「法廷守れ」と訴え 79カ国が支持声明 日本不参加(産経) / トランプ氏、国際刑事裁に制裁 大統領令に署名(ロイター);「制裁は、米国やイスラエルなどの捜査に関わったICC職員やその家族の米国内の資産を凍結し、米国への渡航を制限するとしている。」

トランプ大統領「一体誰がこんな酷いディールをカナダと交わしたんだか」 → 「2018年のお前だよ。NAFTAを解体して新しい協定を結んで『最高のディールを結べた!』と超得意げだったんだろうがこのお調子もんが」ということをコミカルに伝えるアメリカの「デイリーショー」

 

「トランプ大統領にNOと言うのは、神にNOと言うのと同じです! / ホワイトハウス新部署トップに就任する女性伝道師 昨年、旧統一教会系行事にメッセージ(産経); 過去に旧統一教会系の行事に参加したりメッセージを寄せたりしており、韓鶴子総裁を「マザームーン」と呼んでいる。 / Prosperity Theorosit(経済的勝者になることを使命とするキリスト教信仰) / 「BLMは反キリスト」と叫ぶ / 自身の教会の寄付金90万ドルを自宅豪邸のローンに充てプライベートジェットを購入したと報じられる。旧統一教会の集会で韓鶴子を「神が与えた宝石」と呼んだ / トランプ氏、反キリスト教対策で新組織 司法長官の専任班も発足へ(ロイター) / 「反キリスト教的偏見」根絶へ トランプ氏、大統領令に署名(時事)  

SNSの「#50501」が発端 アメリカ各地で“トランプ政権”批判する大規模デモ(テレ朝) / 米デモで10代刺され重体 トランプ氏移民政策に抗議 | 2025/2/8 - 共同通信

トランプ大統領 南アフリカへの援助・支援停止 白人農地の収容を批判「人種差別」(TBS)

文化庁長官デス ⇒ モンゴル横綱は全員が全員、横綱の品格ではなかった(都倉俊一)|能町みね子

大杉栄とその時代年表(400) 1902(明治35)年5月28日 幸徳秋水『兆民先生』拾い読み② 兆民、自由党土佐派の裏切りに怒る 「先生此時眦為めに裂く。直ちに「無血虫」なる一文を艸して之を立憲自由新聞に掲げ、大に反覆者を罵倒し、次で辞表届を議長中島信行君に呈したり、其文に曰く、「アルコール中毒の為め、評決の数に加はり兼ね候に付き、辞職仕候」と。議長懇ろに其在任を勧め、滞京の選挙人亦驚きて、馳せて其門を叩きて之を諌むるも、先生頑として聴かざりき。」

 

中江兆民『三酔人経綸問答』

大杉栄とその時代年表(399) 1902(明治35)年5月28日 幸徳秋水『兆民先生』拾い読み① 「描く所何物ぞ。伝記乎、伝記に非ず、評論乎、評論に非ず、弔辞乎、弔辞に非ず、惟だ予が曾て見たる所の先生のみ。予が今見つゝある所の先生のみ。予が無限の悲みのみ。予が無窮の恨みのみ。之を描きて豈に能く描き尽すと曰はんや。即ち児女の泣に代へて聊か追慕の情を遣るのみ。・・・・・」 より続く

1902(明治35)年

5月28日 

幸徳秋水『兆民先生』拾い読み②


「嗚呼士の不遇、千古同歎。彼大沢斬蛇の英雄なく、自由党解体し、自由新聞廃刊し、仏学塾亦次で潰散し、明治の張良は、空しく陋巷に窮居し、多少の滄海公と共に、酒を飲で日を消するのみ。


然れども先生が多年撒布せる革命の種子は、決して萌芽を発せずして已まざりき。彼の明治十四年自由党創立の前後より、民権自由の思想は燎原の火の如く、政府は百方之が鎮圧に力め、朝野の紛争軋轢其極に達して、遂に明治十五年、河野広中等の福嶋事件となり、同年赤井景韶等の高田事件となり、同十七年富松正安等の加波山事件となり、同年村松愛蔵等の名古屋事件となり、竟に十八年十月大井憲大郎等の大阪事件あるに至る。其他飯田事件の如き、静岡事件の如き、高崎事件の如き、多くの暴発を見るに至れるは、豈に先生の手中に運らすの一管、与かつて大に力ありしに非ざるを知らんや。


而して風雲は漸く急也、明治二十年井上馨の条約改正失敗するや、全国の志士、名を三大事件の建白に托し、爆弾を抱て輦轂の下に集る者数百人、政府狼狽して、急に保安条例を発布し、疑似の者を捕へて東京三里以外に放つ。而して先生亦逐客となる、即ち母堂を奉じて函山の嶮を踰えて西す。時に十二月二十五日、朔風凛冽の夕なりき。先生歳四十一


翌明治廿一年、先生、栗原亮一、寺田寛、故宮崎富要の諸君と東雲新聞を大阪に発行し、自ら之に主筆たり。当時東京を逐はるるの政客壮士尽く此地に集り、政治上の言論、集会、出版皆な此地に於てし、関西日報には末広重恭、森本駿、大阪毎日には柴四郎、竹内正志、大阪公論には織田純一、西村時彦、経世評前には池辺吉太郎の諸君、皆な侃諤の論を為し、競ふて政府を攻撃し、一時其盛を極む。而して先生神韻の文、天馬の空を行くが如く、名声忽ち関西に籍甚たり。予が先生の門に入れるは実に此時に在り。」


明治二十二年春、憲法発布せらるる、全国の民歓呼沸くが如し。先生嘆じて曰く、吾人賜与せらるるの憲法果して如何の物乎、玉耶将た瓦耶、未だ其実を見るに及ばずして、先づ其名に酔ふ、我国民の愚にして狂なる、何ぞ如此くなるやと。憲法の全文到達するに及んで、先生通読一遍唯だ苦笑する耳。


先生其著、三酔人経綸問答に於て諷して曰く、世の所謂民権なる者は自ら二種有り、英仏の民権は恢復的の民権なり、下より進みて之を取りし者なり、世又一種恩賜的の民権と称す可き者有り、上より恵みて之を与ふる者なり、恢復的の民権は、下より進取するが故に、其分量の多寡は我の随意に定むる所なり、恩賜的の民権は、上より恵与するが故に、其分量の多寡は我の得て定むる所に非ざるなりと。然り先生は決して恩賜的民権を以て満足する者にあらざりし也。況んや其分量の極めて寡少なる者をや。即ち慨然として曰く、咄々朝三暮四の計、黔首を愚にするの甚しきや。我党宜しく恩賜的民権を変じて、進取的民権と成さざる可らず。


嚮に保安条例に拘して退去の令を受くる者、憲法発布に際して皆な解除せられ、政治運動の中心又東京に移れり。時に後藤象二郎君大同団結を唱道して政界に横行す、疾風枯葉を払ふの概あり。而して其雑誌「政論」を日刊となすや、先生を聘して主筆たらしむ。先生乃ち家を挙げて東京に還る。予も亦従へり


幾くもなく後藤君其友を売て入閣し、大同団結解体し、在野政党四分五裂の状あり。先生同志と共に自由党を再興し、自由新聞、立憲自由新聞等に主筆として専ら民党の糾合を図り縦横の策最も力む。而して議会開設に及んで、大阪より進まれて議員となる。」


第四章 議員と商人


「而して先生猶ほ意を政界に絶たず、日々握飯を竹皮に包みて、議院に出づ。而して予算八百万円削減の問題に関し政府在野党の衝突するや、以為らく藩閥を殪す此の一挙に在りと。熱心各派の間を往来し、周旋大に力む。当時民党、吏党なる熟語は、先生が立憲自由新聞紙上に於て創作せし所也。


回顧すれば、民吏両党の轡を駢べ、旗鼓堂々として相当るや、恰も東西両軍の関ケ原に闘ふが如く、真に一代の壮観を呈したりき。而して民党の猪突驀進して直ちに藩閥の塁に肉薄するの時に方つて忽然として金吾秀秋は現出せり。自由党の所謂土佐派なるもの款を敵に通じて、六百万円削減の交譲成り、九仞の功一簣に欠きて、民党為めに潰走し、藩閥政府万歳を謳はんとは。


先生此時眦為めに裂く。直ちに「無血虫」なる一文を艸して之を立憲自由新聞に掲げ、大に反覆者を罵倒し、次で辞表届を議長中島信行君に呈したり、其文に曰く、「アルコール中毒の為め、評決の数に加はり兼ね候に付き、辞職仕候」と。議長懇ろに其在任を勧め、滞京の選挙人亦驚きて、馳せて其門を叩きて之を諌むるも、先生頑として聴かざりき。


先生議員を罷むる後、新井章吾君等と経綸雑誌を起し、次で民権新聞を発行し、一面熾んに政府及び吏党を攻撃し、一面自由、改進両派の聯合を主張し、以て全力を藩閥剿滅の事に致せり。先生曰く、維新の革命は実に薩長旧藩の聯合あつて、而して後始めて之を成すを得たり、今の自由、改進の両派は猶ほ当年の両藩の如し、真に第二維新の業を成さんと欲せば、両派直ちに聯合せざる可らずと。


蓋し自由改進の両党、甚だ其主義政見を異にするあらずと雖も、其歴史と感情との異なるが為めに、其反目揆離犬猿も啻ならざりき。而も第一期議会に歩調を斉しくしたる以来、双者の間寖々融和の傾きあり。先生即ち此機に乗じ、百万策を劃して、竟に大隈、板垣両君をして一堂に会見せしむるを得たり。


多年呉越の如くなりし両君が、一朝相会して其旧交を温め、手を携へて政治の改革に努力するを誓へるの一事は、忽ち天下の人心を新にして、政府為めに震撼し、而して大隈君為めに枢密顧問の官を罷められたり。次で民党大懇親会なる者開かれ、民党の意気大に昂る、皆な曰ふ、天下の事手に唾して成すべしと。実に明治二十四年十一月第二議会開会の前なりき。而して其結果や、即ち第二議会の解散となり、所謂二十五年の選挙干渉となれり。


此聯合や蓋し先生が、政治運動に於ける最初の成功にして、又最後の成功たらざる能はざりき、先生幾くもなくして、身を貨殖の業に投じたれば也。」


「先生、仏学塾解散の後、只だ新聞雑誌に衣食す。毎月受くる所、五十金百金、多きも二百金に過ぎず、而して其載筆する所、皆な政党の機関たるが故に、其資金甚だ乏しく、且つ極めて利殖に拙にして、朝に起りて夕に廃す。自由新聞や、立憲自由新聞や、民権新聞や、京都活眼新聞や、東雲新聞や、経綸雑誌や、比々皆な然らざるはなし。家益々貧にして逋債益々多し。廿五年、小樽の有志北門新報を創し、先生を聘して主筆たらんと乞ふ。先生乃ち北海道に行き、居ること少時、遂に政界と文壇とを退き、家を札幌に賃して紙店を開き、次で北海道山林組なる看板を掲げ、貨殖に汲々たるに至れり。


二十六年より、二十七八年に至る間、先生北海道より東京に、東京より大阪に、往復頻りにして、而して家益々貧に、衣服典し尽し、蔵書売り尽して、晏如たり。・・・・・」


「此時に方つてや、民間の政党全く当年の気節なく、一に藩閥の駆使に供して官職利禄を求むるに汲々とし、腐敗日を逐て甚しく、第十議会、松隈内閣の買収政策を行ふに至りて、其醜を極めたり。次で伊藤内閣立つや、自由党又提携に托して其奴僕たらんとするの状あり。先生憤慨措く能はず、再び起て政界掃清の事に任ぜんとし、数名の同志を率ゐて、国民党を組織し、雑誌百零一を発行して、以て在野党聯合の急を説き、藩閥の討滅すべきを唱ふ。而も其金銭に乏しきが故に自由の運動を為すこと能はず、数月ならずして潰散せり。時に明治三十一年なりき。


爾来先生貧益々甚し。明治卅三年秋、毎夕新聞の乞に応じて、其主筆となり、僅に米塩を支ふ。次で国民同盟会成るや、進んで之に投じ、奔走頗る力む。」

第五章 文士


「先生初め政府の嘱に応じて訳する所政法の書甚多し、而も尽く公行するに至らず、今其訳書、著書の発售せる者、予の記する所に依れば、左の数種あり。


・ショーペンホウエル道徳大原論

・維氏美学

・ルーソー民約

・理学沿革史

・理学鈎玄

・革命前仏蘭西二世記事

・三酔人経綸問答

・平民の目ざまし

・憂世慨言

・選挙人の目ざまし

・四民の目ざまし

・一年有半

・続一年有半」


第六章 人物

(略)


第七章 書柬(上)


(略)


第八章 書柬(下


(略)


第九章 末期


「終に行く道とは兼て知りながら、昨日今日とは思はざりしを」先生、明治三十四年十二月を以て、小石川武島町の自邸に歿す、享年五十有五。其初めて余命一年有半の宣告を受けてより、未九ケ月に充たず。天下知ると知らざると、皆な悼惜せざるなし、哀哉。」


つづく


USAID=米国際開発庁の閉鎖手続き 連邦地裁が一時的な停止命じる(テレ朝) / バーニー・サンダース「地球上で最も裕福な男、イーロン・マスクは、地球上で最も貧しい子供たちに食事を与えている米国国際開発庁(USAID)を解体している。これは最悪の寡頭政治だ。マスク氏の行為は不道徳かつ違憲であるだけでなく、世界における我が国の立場に逆効果をもたらすものである。」 / 食料配布も医療支援も停止 米対外援助の凍結、世界中で深まる人道危機(CNN) / 「少なくとも、HIVに感染しなかったであろう300人の赤ちゃんが、今では感染している」と、現職のUSAID職員は推定 / ブライアン・シャッツ上院議員「政府機関を変えたいなら法案を提出して議会で可決しろ。法律でそう決められている」 / BBCニュース - トランプ米政権、対外援助の政府機関を標的に マスク氏は「閉鎖する」 / マスク氏の「DOGEキッズ」、国際開発局を強硬調査-警備員と衝突(Bloomberg);「マスク氏はXへの投稿で「USAIDは犯罪組織だ。死ぬべきときが来た」とコメントした。」

 

2025年2月7日金曜日

クロブシャー上院議員が「グリーンランドとドナルド・トランプの違いは、グリーンランドは売り物ではないということ(トランプは売り物?)」とジョーク。 (ブーイング) 共和党関係者は私に卵をぶつけたいようだが、卵は(トランプのせいで)高すぎてできないと。 / とうとうアメリカでは卵1ダースが1280円を超えた。選挙期間中、トランプは物価抑制を掲げ、彼に投票した人たちのいちばんの関心事もインフレだった。しかし、就任以来、トランプは物価対策を何もしていない。(町山智浩)    

マスク氏を「クビにしろ」民主党 急進左派の議員ら強引手法を批判(共同);「下院議員の一人は「国民に選ばれた代表が国民のために行動すべきだ」と強調。利益相反の懸念がある「億万長者」が税金の使い道や政府の在り方を決めるべきではないと訴えた。」

米政権の退職勧奨、連邦職員6万人超受け入れ 地裁は差し止め命令(ロイター);「ホワイトハウスは、退職勧奨を受け入れない職員も職を失う可能性があるとしている。」

教育省の廃止の可能性について問われた大統領報道官、キャロライン・リービットが、「子供には読み書きと算数以外は教えてほしくない」と発言 / トランプは教育省を廃止する大統領令を検討している。教育省は貧困層や少数民族や障害を持つ子供たちを支援している。しかしトランプは「教育省は子どもたちにアメリカを憎ませている」という。つまり、黒人や先住民を踏みにじってきた歴史を子どもに教えるなということ。(町山智浩)  

ロシア国営メディアは、トランプが指名した新しい米国司法長官がロシアの企業資産を追及していた司法省の特別チームを解散したと喜んで報じている。 / トランプ政権の司法長官パム・ボンディは、ロシアに対する制裁を執行し、クレムリンに近いオリガルヒのを標的にする司法省のタスクフォースを解散した。

 

トランプ氏の放水命令で数十億リットルの水が無駄に 専門家(AFPBB) / 米加州で「83億リットル」のダム放水、山火事受けトランプ氏の指示 ロスに流入せず(CNN);「米陸軍工兵部隊が先月31日、カリフォルニア州中部にある二つのダムを放水し、約83億リットルの水を流出させたことがわかりました。この動きは、大規模な山火事が発生した同州南部に水を送るというトランプ大統領の誤った意図に基づく命令を受けたものです。」

トランプ支持者のおかしさも周知の事実 もはや誰が大統領になっても同じ…アメリカで蔓延している失言・謎発言・謎投稿なれの果ての"通常運転"(プレジデントオンライン)

 

大杉栄とその時代年表(399) 1902(明治35)年5月28日 幸徳秋水『兆民先生』拾い読み① 「描く所何物ぞ。伝記乎、伝記に非ず、評論乎、評論に非ず、弔辞乎、弔辞に非ず、惟だ予が曾て見たる所の先生のみ。予が今見つゝある所の先生のみ。予が無限の悲みのみ。予が無窮の恨みのみ。之を描きて豈に能く描き尽すと曰はんや。即ち児女の泣に代へて聊か追慕の情を遣るのみ。・・・・・」

 

幸徳秋水

大杉栄とその時代年表(398) 1902(明治35)年5月19日~25日 「この小提灯といふ事は常に余の心頭に留まつてどうしても忘れる事の出来ない事実であるが、さすがにこの道には経験多き古洲すらもなほ記憶してをるところを以て見ると、多少他に変つた趣が存してゐるのであらう。今は色気も艶気もなき病人が寐床の上の懺悔(ざんげ物語)として昔ののろけもまた一興であらう。」(子規『病牀六尺』) 「子規には珍しい恋の記憶である。」(井上泰至『評伝選 正岡子規』) より続く

1902(明治35)年

5月28日

内田康哉駐清公使、露清吉林省採鉱協定について抗議申し入れ。

5月28日

電柱広告が許可

5月28日

幸徳秋水『兆民先生』(博文館)。


〈堺利彦の書評;「兆民先生」を読む(堺利彦6月6日)〉


巻を掩うて瞑想すれば覚えず涙下る。是れ読書人が読書の際に於ける無上の満足である。予は秋水君の「兆民先生」を読んで確に此満足を感じた。秋水君に謝すべきか、兆民先生に謝すべきか。思ふに、予の感涙は、兆民先生と秋水君との交情に対して流れたのである。


此一小著(予は敢て一小著と云ふ)、固より広く兆民先生の人物才識の全幅を示すには足らぬ。只、兆民先生の胸の底なる深き井と秋水君の胸の底なる深き井と、幾条の水脈相通じて、交感融合して居る事を示す者である。「書柬」上下二章の如きは、殊に其水脈の滴々として見られるのである。予の涙も亦其滴々に融合せんと欲して流れたのであらう。


更に其水脈に趣きを添ふる者は、書中に写し出されたる小山久之助君である。兆民先生の心の井を中心として、幾多親戚友人の心の井が、其周囲に円を作つてあるべきが中に、秋水君と小山君とが一片の弧を作つて、先生と共に三角形を成して、互ひに交感流通して居る有様は、実に何とも云はれぬ床しさである。


人は秋水君を能文の士と云ふ。君も亦自ら「先生我れに誨ふるに文章を以す」と云ふ。謂ゆる能文の文の字と文章の文の字と、其意味が同じであらうか。予は此書を読んで秋水君の筆の才を認める暇が無かつた。予は秋水君が文筆の才人として称せらるるよりも、師友に対する忠厚惻怛の人として認められんことを希望する者である。


〈幸徳秋水『兆民先生』拾い読み〉


第一章 緒言


「描く所何物ぞ。伝記乎、伝記に非ず、評論乎、評論に非ず、弔辞乎、弔辞に非ず、惟だ予が曾て見たる所の先生のみ。予が今見つゝある所の先生のみ。予が無限の悲みのみ。予が無窮の恨みのみ。之を描きて豈に能く描き尽すと曰はんや。即ち児女の泣に代へて聊か追慕の情を遣るのみ。・・・・・」


第二章 少壮時代


先生年十三にして、(父の)卓介君卒す。家甚だ貧、而も母堂貞烈にして気胆あり、紡織自ら給し、其二児を訓誨する極めて厳、人皆な其賢を称せりと云ふ。予亦後年先生の家に在りて、親しく母堂の薫陶を受くるを得て、其真に先生の母たるに恥ぢざるの人なることを知れりき。」


先生十七八歳始めて洋学に志し、萩原三圭先生、細川潤次郎先生に就て和蘭の書を学び、慶応元年十九歳にして、高知藩留学生となり、長崎に游び、平井義十郎先生に就て、始めて仏蘭西手を脩めたり。


当時長崎の地は、独り西欧文明の中心として、書生の留学する者多きのみならず、故坂本龍馬君等の組織する所の海援隊、亦運動の根拠を此地に置き、土佐藩士の来往極めて頻繁なりき。先生曾て坂本君の状を述べて曰く、豪傑は自ら人をして崇拝の念を生ぜしむ、予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も、彼が純然たる土佐訛りの方言もて、「中江のニイさん煙艸を買ふて来てオーセ、」などと命ぜらるれば、快然として使ひせしこと屡々なりき。彼の眼は細くして其額は梅毒の為め抜上がり居たりきと。」

「居ること二歳、先生学大に進む、即ち去りて江戸に游ぶの意あり。当時長崎より江戸に来往する外国飛御船の船賃実に二十五両を要す。即ち同藩の先輩岩崎弥太郎君に向つて志を言ふ。岩崎君依違して許さず、曰く少らく待てと。其迫ること屡々なるに及んで、断然之を排して曰く、二十五両は巨額也、一書生の為に投ず可けんやと。先生亦怫然として曰く、如此くんば決して再び請はず、然れども僕の一身果して二十五両を値ひせざるや否や、之を他日に見よと。袂を払ふて去れり。蓋し当時土佐藩留学生は岩崎君監督の下に在りし也


時恰も故後藤象二郎君の、藩命を以て来り、汽船を購入するに会す。先生即ち往て謁し、一絶を賦して献ず。其前二句は今之を忘る、転結は即ち云ふ、「此身合称諸生否、終歳不登花月楼」。後藤君笑つて二十五両を出して与ふ、先生大に喜び、直ちに外国船に搭じて江戸に出づ。」


村上英俊先生は、日本に於ける仏蘭西学の泰斗と称せらる。当時塾を深川真田邸内に開く。先生即ち往て贄を執れり。然れども先生学術既に儕輩に抜き、眼中人なく、気を負ふて放縦覊す可らず。屡々深川の娼楼、所謂仮宅に留連し、遂に村上先生の破門する所となれり。村上先生の晩年病で落魄するや、先生旧時の師恩を思ひ、慰問怠らざりしと云ふ。


先生村上塾を去て、横浜天主堂の僧に従て学び、神戸大坂開港の時、仏国領事に従ふて大坂に游ぶ。幾くもなく伏水の役あり、王政維新となるや、箕作麟祥先生江戸に出で、裏神保町に私塾を開くに会す。先生即ち又江戸に来り、箕作先生の門弟となる。其箕作塾に在るや、一時大学南校の助教たりしこと有り。後ち明治二年(?)福地源一郎先生湯島に日新社を設くるや、先生其塾頭となれり。」

「先生久しく外遊の志を抱き、故大久保利通公に謁して請ふ所あらんとす。・・・・・公莞爾として曰く、足下土佐人也、何ぞ之を土佐出身の諸先輩に乞はざる。先生曰く、同郷の夤縁情実を利するは、予の潔しとせざる所也、是れ将に来つて閣下に求むる所以也と。公曰く、善し、近日後藤、板垣諸君に諮りて決す可しと。後藤、板垣二君亦為めに斡旋する所あり、幾くもなく司法省出仕に任じ、仏蘭西留学を命ぜらる。時に明治四年、先生歳二十五。


「先生が仏国に於ける交遊は、西国寺公望侯、・・・・・の諸君なりしと云ふ。・・・・・。


先生、明治七年二十八歳にして帰朝し、元老院書記官となる。大井憲太郎、嶋田三郎、司馬盈之の諸君と倶なりき。而して元老院幹事故陸奥宗光君と善からずして罷め、次で外国語学校長となり、又幾くならずして罷む。先是先生自ら仏学塾を番町に起し、政治、法律、歴史、哲学の書を講じ、四方の子弟来り学ぶ者、前後二千余人に及ぶ。


然れども先生は、竟に尋句摘草の儒生に甘んずる能はざりき。先生が少時より漢学の為めに養はれたる治国平天下の志業は、其勃々たる野心を駆れり。其洋学の為めに養はれたる自由平等の理想は其炎々たる熱血を煽れり。薩長藩閥が専制抑圧の暴威を逞しくするの時代に在て、先生は実に一個革命の鼓吹者たらざる能はざりき。

第三章 革命の鼓吹者


「如此にして、先生は革命思想の鼓吹者となれり、「政理叢談」は発行せられたり、ルーソーの「民約」は翻訳せられたり、仏学塾は民権論の源泉となれり、一種政治的倶楽部となれり、而して偵吏物色の焼点となれり。次で西国寺侯の東洋自由新聞起り、自由党起り、板垣君の自由新聞起るや、先生皆な之に与かり、熾んに自由平等の説を唱へて専擅制度を掊撃したりき。


而して先生は、独り革命思想の鼓吹者たるのみならず、更に革命の策士、断行者たらんとし、或は九州の地に漫遊して、交を志士に結び或は東洋学館を起して支那に為すあらんとし、運動怠らざりしものの如し。而して屡々困頓し、蹉跎し、満腔の不平遣るに所なく、竟に酒を被り世を罵つて、放縦度なきに至れり。」


つづく