1902(明治35)年
5月28日
アルゼンチン、チリとの間に仲裁・国境画定などに関する「5月条約」締結。ロシアとの関係が緊迫していた日本に軍艦を譲渡合意。アルゼンチンから軍艦リバダビア号(日進丸)とモレノ号(春日丸)の2隻,チリからはエスメラルダ号が贈られる。
5月30日
スペイン国王アルフォンソ13世、労働不安が募る中、国会審議を一時停止。翌日、戒厳令施行。
5月31日
プレトリア条約(フェレーニヒング条約締結。ボーア戦争終結
イギリスは代議政体と農地復興費300万ポンドを約束。トランスヴァール・オレンジ両国は英植民地に。ボーア人による代議員制度保証。壊滅した農業再建のため300万ポンド助成金。
6月
近松秋江、貸席清風亭の女中大貫ますと結婚。明治42年8月末、ますは家出。
6月
「第二明星」を廃刊し、新たに「白百合」とするが、不評のため、7月からまた「明星」に戻る。
6月
永井荷風(23)、『闇の叫び』を「新小説」に発表。この頃、「饒舌」に3回ゾラの紹介を掲載。
「明治三十五年四月の『野心』、六月の『闇の叫び』、九月の『地獄の花』、十月の『新任知事』、翌三十六年五月の『夢の女』、七月の翻案『恋と刃』、九月の『女優ナゝ』などがゾラの影響下に書かれた系列の作品だが、私は一応という但し書きをつけた上で、この時期をまだ荷風の習作期の延長、すくなくとも後年の荷風がなかったら、全集に収録されたり、後世の論者に取り上げられたりするほどのものであるかを疑う。」
「それが一転して、確乎たる個性が確立されるのは、『あめりか物語』、『ふらんす物語』の年代 - すなわち明治三十六年九月の渡米以後である。
《明治以来、我国の文人で海外を旅行したものは数へ切れぬほどである。しかし、芸術家としての生涯の決定的な時期に外国にゐた作家は恐らく永井氏一人なのではなからうか。》
昭和初年代に書かれた中村光夫のことばだが、たしかにこの外遊は荷風の文人としての性格を決定づけている。」(野口冨士男『わが荷風』)
6月
高田早苗「帝国主義を採用するの得失如何」(「太陽」)。民権論と国権論、自由主義と国権主義を結合させ、双方により「国家の隆盛」を維持すると主張。
6月
逓信省東京電信局、蓄電池を局内全機械に採用。
6月
讃岐鉄道会社、列車内に喫茶室を設け、請負営業として軽食・酒類を販売。女子社員を給仕に当たらせる。
6月
フィンランドでロシア語が強制的に公用語に。
6月
グスタフ・マーラー(42)、クレーフェルトの音楽祭で第3交響曲を初演
6月1日
赤間関市、下関市と改称。
6月2日
6月2日 この日掲載の子規『病牀六尺』.
「余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」
6月3日
山口県下の入会林野(1881年から国有林に編入)を、国有土地森林原野下戻法(1899年4月18日公布)により下戻。初の市町村公有林。
6月4日
福建省樟脳專売権獲得。1905年10月解約。
6月4日
幸徳秋水「南阿の講和」(「万朝報」)。ボーア人の独立戦争支持。
6月5日
ドイツ、皇帝ヴィルヘルム2世、領内居住ポーランド人をドイツ化措置発表。
6月6日
取引所令改正のため、東京株式市場大暴落。立会停止。
6月6日
内田魯庵『社会百面相』刊行。
6月7日
天津イタリア租界專約成立。
6月7日
二葉亭四迷、ウラジオストク発。10日、ハルビンに到着。ハルビンの菊地写真館は志士・大陸浪人の溜まり場で、二葉亭もここに顔を出す。
9月初旬ハルビン発、営口~旅順~山東半島芝罘~営口~山海関~秦皇島~天津を経て10月7日北京着。
6月7日
仏、ワルデック・ルソー内閣辞職、コンブ内閣成立(~1905.1)。
6月9日
袁世凱、正式に(代行より)直隷総督・北洋大臣に就任。
6月10日
上海国際及びフランス居留地各会審衙門の管轄に関する仮規則採択。6月28日北京外交団承認実施。
6月10日
清国の蕪湖に国際租界設置、蕪湖国際共同租界章程公布。
6月12日
片山国嘉・北里柴三郎ら、同仁会創立(清国・韓国などの医事・衛生の改善)。
6月13日
義和団事件賠償金の割り増し要求撤回を北京外交団に通知。
6月14日
列国公使会議、北京、義和団事件の賠償金配分議定書(義和団事件講和条件付帯議定書)に調印。日本の受領額は、3,479万3,100海関両。
6月14日
台湾総督府、台湾糖業奨励規則制定。
6月15日
日本初の私立図書館の大橋図書館、麹町に開館。博文館の大橋佐平。
つづく
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