2014年11月26日水曜日

昭和18年(1943)5月11日~17日 第3回米英参謀会議(トライデント会議)。 北アフリカ戦線でドイツ・イタリア軍降伏。 ワルシャワ蜂起壊滅。 第15軍司令官牟田口中将、南方軍総参謀副長稲田正純少将にインパール進攻を懇請。     

北の丸公園 2014-11-26
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昭和18年(1943)
5月11日
・満鉄調査部の平館利雄・西沢富夫・益田直彦、検挙。「泊」旅行の写真発見。「細川グループ」フレームアップ。
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5月12日
・キンケイド少将、第51機動部隊の艦砲射撃援護下、米第7師団1万1千をアッツ島マッサカル湾・ホルツ湾に上陸させる。
16日、キンケイド少将、アッツ島上陸の第7師団長ブラウン少将解任、後任ユージン・ランドラム少将とする。
29日、日本軍守備隊、玉砕。
山崎部隊は水際抵抗を早めに切り上げ山岳陣地に引籠もる。米軍の進軍は、ぬかるみと雪と日本軍の狙撃により難渋。
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5月12日
・第3回米英参謀会議(トライデント会議)。
キング作戦部長が主張する中部太平洋作戦(ギルバート11月15日、マーシャル44年1月1日攻略作戦)承認。
チャーチル英首相、ルーズベルト米大統領と会談(~25日、ワシントン)。
北フランス上陸は1944年5月1日と決定。
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5月12日
・北アフリカ戦線、ドイツ・イタリア軍降伏
独・伊軍兵士25万人降伏。枢軸軍、チュニジアから撤退、降伏
使用済みの上陸用舟艇・新兵器が太平洋戦線に送られる。
長11m・速力9ノット・兵員36人又は車両3t或は資材3.6tを運べるLCVP。長15m・兵員69人又はシャーマソ戦車1台を載せ、50口径機銃2挺を装備したLCT。25人を載せ、16ノットで8千マイル航海できるLCI、2100tのLST。
いずれも、ガ島で使った木造のヒギンズ上陸用舟艇とは雲泥の差の新型。
自走砲、ロケット砲、対戦車バズーカ砲などの新兵器。
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5月13日
・フランス領ソマリア、ソマリ青年クラブ結成
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5月14日
・日本軍、第1次アキャブ作戦で連合軍を撃退、日本軍マンドウ占領
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5月14日
・アメリカとイギリス、ルール地方を含むドイツの重要都市に全力での爆撃を開始
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5月14日
・アメリカ最高裁、学童に国旗への敬礼を義務づけたウェスト・ヴァージニア州法を無効とする判決.
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5月15日
・「十二日に野村〔吉三郎〕大使の講演を聞く。米国側が八、九月頃まで日米交渉を纏めたいために一生懸命であった旨を語った。大学教授連盟における演説だ。僕に「この人(ママ)は米国通だから、「あんな事をいっていやがる」と思っているかも知れん」と後に顧みて小松〔雄道〕教授にいった。しかし野村の認識は正しい。かれの頭はいいし、さすがに頭を出すだけのことはある。かれは将来があろう。
枢軸軍北阿から撤収す。ドイツからの電報も、国内の輿論も、それが予定の行動の如く書いている。戦争は努力して論理を発見せしむるものなり。斎藤忠という若い軍事評論家などは、最初から観測を謬(あやま)って、しかも依然人気者なり。もって大勢を知る。
アッツ島に敵軍が上陸すと新聞は伝う。いかに犠牲の多き事よ。かつてこの島を熱田島、キスカを鳴神島と命名し、大本営発表にもその名がある。しかも今はアッツ島と発表す。どられた時の事を考えての結果ならん。名前をかえることの好きな小児病の現実暴露だ。子供の知識所有者が政治をやっている!
北阿の枢軸軍首脳者が感謝状をもらい、元帥にもなった。アーニム大将が。おそらくは引上げたのであろう。西洋人心理だが、この方の事は新聞も何とも書かぬ。」(清沢『暗黒日記』)
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5月15日
・小林秀雄(41)、第一高等学校記念祭で講演。
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5月15日
・デービス米特使訪ソ。
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5月15日
・~6月9日、ユーゴスラビアのパルチザンに対し枢軸軍第5次攻勢。
チトー派パルチザン部隊は殆ど撃滅。
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5月16日
・ドイツ亡命中の前インド国民会議派議長チャンドラ・ボース、東京着。
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5月16日
・ソ連でポーランド愛国者連盟結成。
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5月16日
・英空軍、ルール地方のダムを爆撃。「跳飛爆弾」により、メーネ・エーデル・ダムを破壊
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5月16日
・ワルシャワ・ゲットー壊滅。蜂起敗れる
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5月17日
・南方軍総参謀副長稲田正純少将(新任)、メイミョウの第15軍司令部で司令官牟田口中将と会見。インパール侵攻を雨季明けより実施するよう懇請される。

インパールを巡る状況。
①連合軍の反攻拠点。インパールにはインド東方軍第4軍団司令部(司令官スクーンズ中将)があり、連合軍のビルマ反攻の根拠地。この頃、北からビルマに向かいアメリカ軍と同じ装備のスチルウェル中将率いる中国軍がフーコン河谷を南下、インドのレドからビルマのミッチナに軍用道路を啓開しようとしている。
さらにミッチナからは昆明(雲南省省都)に通ずる滇緬公路と連絡し、陸路でインド~中国を結び(レド公路)、この公路に石油輸送管4本を敷設し、レド油田の石油を直接昆明に送り、中国大陸の戦力を増強させようとする。従って、この公路はスチルウェル公路、東京公路とも呼ばれる。
また、西からはインド人部隊主力の英国軍が、ビルマ奪回の為に進撃してくるのは必至と見られる。
②反英運動支援。インド武力占領は無理としても、インドの反英運動指導者チャンドラ・ボースとインド国民軍をインドに入れて、反英運動を起させる為の仮政府を置く地点として、インパールは適地と見る
(チャンドラ・ボースは、日本軍の授助で自由インド仮政府を作り、インド国民軍を与えられ、東条首相に対し、インド国内に仮政府の領地をもつことを要求)。
③士気高揚。この年初頭のガ島撤退以降、全戦線で圧迫をうけ次第に後退する中で、ビルマだけは、苦戦しつつもまだもちこたえておる状況で、ここでひと戦して景気をつけたい願望もある。

牟田口の説明。
「ビルマ防衛の為に、インパールに最前線を置く。それにはインパールの北のコヒマでインパールへの補給を断つとともに、アッサム州の平野に出て、ティンスキャ方面を分断し、援蒋ルートを空路、陸路ともに遮断する。この為に十五軍主力部隊を北に出す」との夢想に近い遠征計画(作戦主任参謀平井文中佐の起案)。
稲田は、牟田口は、小さなマニプール土候国インパールを取るより英軍反攻の根拠地帯アッサム州進撃にあり、そのために主力軍を北のコヒマにまわそうとしているのを知る。
「作戦開始にあたり、チンドウィン河渡河が困難というが、舟がたりなければいかだで渡ってもよい。それからさきは敵の制空下にあるから、昼はジャングルで休み、夜になって行軍する。補給が困難だと反対する者があるが、牛などををたくさんつれて行き、それに荷物をつけ、つぎつぎに食糧にすればよい。コヒマを奪取しでからの補給は、インパールの敵の物資と輸送力を使う」。

稲田副長が指摘した問題点。
①チンドウィン渡河。ビルマ三大河の一つを、第15軍3個師団の大部隊がいかだで渡るというのは強気にすぎると思う。
②補給は、危険なものに思う。
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5月17日
・「昨日は小汀利得夫妻の外、片岡鉄兵夫人、片岡氏(父)、岡村今朝良夫妻等が来て賑やった(ママ)。家の農園でできた苺を出した。
一、片岡氏の話しに、職工などは二十時間も働いているとのことだ。
二、重要産業は、繊維工業よりよほど遅れている。繊維工業ならば、できないものは引受けない。しかるに重工業では無理に引受けさせられる。その結果無理をし、能率があがらない。

遅れていた国民学校六年生用の教科書も地理附図だけを残して全部子供の手に渡った
▲その新しい地理書は全巻大東亜のことだけで埋められ、第一章は総論としての「大東亜」、最後の第十二章が「太平洋とその島々」、その中間の各章が共栄圏の国々である
▲去年までの本は初めの約半分は日本の外地であったが、今年の六年生は、この部分は五年生のときに、謄写代用の応急刷紙でもう済ませている
▲また去年までの本には六大洲全部があったが、今度の本にはアジヤ以外の五大洲のことはきれいさっぱり抜いてある
▲敵の米英蘭や味方の枢軸の国々のことを覚えさせなくていいというのでなく、今の混沌状態ではその国々の境界などは教えようにも教えようがあるまい
▲家庭で戦況の説明をしてやれば、どの国をも含む世界戦争であるだけに、たいていの所には触れられる
▲差当り第二の国民がはっきり掴んで置かなくてほならないのは「大東亜」であり、そこで他所見(よそみ)もせずに働けばいいと解すべきだろう
▲「濠洲は大きな土地で羊毛や小麦のたくさん産するところですが、その南東にあるニュージーランドとともに人口はいたって少い地方です」
▲「皇軍はアリューシャン方面へも力強く作戦しています」と今の太平洋南北の激戦地帯に言及している
▲このごろ国民学校で地理を教えることは非常にむずかしいという。都市の人口や各地の産業の数字は国家機密であるし
▲前には師団司令部のあることや鉄道および航路などは主要教目だったが、今はその全部を教えるわけには行かない
▲しかし余りびくびくしていては子供には何もわからなくなる惧れもある。
(『東京日日』「余録」五月十七日)」

文部省の連中が定見なく、フラフラであることがこの国定教科書で分る。

熟田島は正式の名にあらず
敗戦に喘(あえ)ぐ敵アメリカは、去る十二日アリューシャン列島のアッツ島に来襲したが、十四日の大本営発表にアッツ島とあったので、国民の中にはどうして熱田島といわぬだろうかと疑問を抱いた向もあったが、アッツ島は昨年一月八日上陸部隊が戦捷を記念する意味から「熟田島」と命名し以来国民の間にはキスカ島の「鳴神島」と並んでこの呼び名が親しまれていた。しかし、占領地の名称は内閣の占領地地名委員会で正式決定を見た地名、例えば「昭南」「マライ」「ジャカルタ」などのほかは認められていないので、今回の「熟田島」「鳴神島」「大鳥島」などはいずれも正式の呼び名ではなく、したがって大本営発表でもアッツ島としたのである。」(清沢『暗黒日記』)
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5月17日
・アルジェ、ジロー将軍、ドゴールを招請、フランス中央政権樹立を要請
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