2020年7月19日日曜日

慶応4年/明治元年記(21) 慶応4年(1868)閏4月1日~11日 大村益次郎(軍務事務局判事)、江戸着、彰義隊討伐作戦作成 江藤新平、新政府「徴士」に採用 小栗上野介忠順(42)、捕われ斬首 白石列藩会議(14藩33名 会津藩寛典処分嘆願書提出→却下される)  

慶応4年/明治元年記(20) 慶応4年(1868)4月21日~30日 有栖川大総督、江戸城入り 第2次宇都宮城攻防戦(新政府軍が宇都宮奪回、大鳥軍は日光・今市に向かう) 清川口の戦い(庄内藩Vs薩長・新庄藩兵 東北最初の本格的戦闘) 近藤勇斬首 ハワイ移民始まる
より続く

慶応4年(1868)
閏4月1日
・大鳥圭介隊、鬼怒川ぞい五十里駅着。会津藩家老萱野権兵衛から藩外退去言渡し。後、若年寄山川大蔵より受入れ。以後、会津同盟軍として連携。
・土佐藩軍、日光無血占領。6日、今市へ移動。
・佐賀藩江藤新平・大木喬任、副総裁岩倉具視に江戸対策を建白。
①慶喜・旧幕臣の処置の早期決定、②天皇の東幸と善政による人心の安定。「東西両都論」(江戸を東京と改め、便宜東西両都に「臨幸」する。東京遷都論の先駆。)。キーワード「人民の安堵」「匹夫匹婦もその所を得せしめ」。5日、江藤は新政府「徴士」に任命。10日、関東監察使に任命された副総裁三条実美の「附属」として働く。上野戦争の軍監、江戸鎮台府判事(民政総責任者)、会計官東京判事(財政総責任者)、皇居御造営掛などを務める。
・英国公使パークス、大坂東本願寺でヴィクトリア女王の信任状を天皇に奉呈。英政府は新政府を承認(明治政府承認の最初)
閏4月2日
・会津藩家老梶原平馬(26)、石筵口での会津・仙台両藩兵の交戦を知り、七ツ宿関村から若松に戻る。
閏4月3日
・アメリカ、プロシア両公使、キリスト教禁制に抗議
・江湖新聞創刊
・市川・船橋で新政府軍と幕府洋式部隊義軍府部隊が衝突。義軍府部隊敗北し撤退
・請西藩主林昌之助が出陣
閏4月4日
・政府、改めてキリスト教禁制を布告
・大村益次郎(軍務事務局判事)、江戸着。1人で彰義隊討伐作戦を作成。
・この日付の会津藩歎願書、仙台・米沢など13藩家老の添書と共に、仙・米2藩主から岩沼の九条総督に渡される。
・庄内軍、渡河攻撃。山形軍敗走(山形藩には戦意なく、庄内軍と内通との話もある)・天童城落城。のち、庄内軍撤退。庄内藩主は暴発責任者を処分。一方、奥羽諸藩が反鎮撫使に傾き、庄内討入り先導の天童藩の立場も微妙なものになる。
・米沢・仙台両藩名で白石会議招集状、奥羽諸藩に回達。
・米沢藩士(藩校興譲館助教)宮島誠一郎(30)、京都で参与広沢真臣と密談。広沢は会津問題は奥羽列藩に任せて貰いたい旨の太政官宛建白書を米沢藩貢士の雲井竜雄より建言させるよう示唆、「伏罪」を「帰正」に草案訂正も指導。10日、京都発。18日、米沢着。
宮島誠一郎:父は米沢藩右筆。のち政府左院議官・貴族院議員。この年、2月18日、京都の状況探索のため京都着。当時、雲井竜雄も京都にあり政府政庁に参庁し、政府関係者との接触もある。
・山国隊、大沢着/6.宇都宮帰陣/7.雀宮へ転陣、20日迄
閏4月5日
・西郷隆盛、徳川処分問題を政府と協議するため京都に到着
・江藤新平、新政府「徴士」に採用
・西園寺公望(18)、山陰道諸藩が戦うことなく維新政権に服従し、山陰道鎮撫総督(1月4日任命)から東山道第2軍総督に、23日北国鎮撫使、6月14日会津征討越後口参謀等に任じられ、山陰から長岡・会津まで戊辰戦争を転戦、9月の会津攻撃にも参加。
・会津新選組隊長山口二郎(斎藤一)、白河出陣に際し、松平容保に拝謁。
・清水谷公考、総督に昇格就任。
閏4月6日
・新選組、白河へ出立。白河城近くの白坂の守備に就く。
・小栗上野介忠順(42)、捕われ斬首。岩倉具定命令。水沼河原。
閏4月7日
・秋田藩、庄内藩に宣戦。6日、進撃厳命。13日、攻撃決定。19~22日、秋田・庄内藩、戦闘。こぜりあい程度。
閏4月8日
・天皇、京へ還幸
・新政府軍の攻勢で、義軍府部隊四散
・米沢・仙台両藩からの白石会議招集状、秋田藩に届く。9日、家老戸村十太夫は出発にあたり、藩主佐竹義堯より「同盟決判の節は、国元まで伺を経るべし」との内訓うける。藩内には列藩会議=白石会議参加反対論も強い。
・近藤の首級、10日まで三条河原に晒される
・彦蔵、グラバーの要請により長崎から大坂に向う。
閏4月10日
・新政府の事前調整役として箱館へ派遣され、この日、旧幕箱館奉行杉浦兵庫頭に面会、箱館裁判所総督・副総督の下向、旧幕の金穀・倉廩・器財等の引渡封印など伝達。
吉田復太郎・村上常右衛門・堀清之丞(のち基と改名)の3名が箱館へ派遣され、蝦夷地警衛を命ぜられた5藩藩士が1人ずつ付き従う。彼らは先導役松前藩の周旋により、閏4月4日松前上陸、7日箱館へ向かい、10日に元箱館奉行杉浦兵庫頭に面会、箱館裁判所の設置、総督・副総督の近日中の下向、旧幕の金穀・倉廩・器財等の引渡封印、下僚の箱館裁判所への任用等引継手続を伝達。翌11日、杉浦兵庫頭は、近日中の箱館裁判所総督下向予定、箱館の総督への引継ぎを市在に触れ出し、自身は五稜郭の役宅を出て組頭宮田文吉の屋敷に移り、吉田・村上・堀の立ち会いの上、金穀武器蔵を封印する。
閏4月11日
・バンリード、邦字新聞もしほ草を創刊
・白石列藩会議。14藩33名。米沢藩主上杉斉憲、兵1700率い参加。「諸藩重臣副歎願書」(連名加判の会津藩寛典処分をもとめる)、「歎願書」(会津藩家老)、「会津藩寛典処分歎願書」(仙米藩主連名)3通の総督提出決まる。12日、米(上杉斉憲)仙(伊達慶邦)藩主、歎願書3通を岩沼の九条総督に手渡し。17日、却下。
・朝廷、三条実美を関東大監察に、江藤新平・小笠原唯八を諸道軍監に、大村益次郎を軍防事務局判事に任命。大総督府の幕府懐柔策戒める。
・渋沢成一郎ら、振武軍の母体を集める。

つづく


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