2013年10月3日木曜日

1774年(安永3)7月~12月 第1次露土戦争終結 第1回大陸会議 チュルゴー財務総監就任 モーツアルトの2度目のミュンヘン旅行 【モーツアルト18歳】

ジュウガツザクラ 江戸城(皇居)東御苑 2013-10-03
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1774年(安永3)
7月
・モーツアルト、ディクシットとマニフィカトハ長調(K.193(186g))、K.198 奉献歌「聖母の保護にすがり奉る」(ヘ長調) 作曲。
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7月20日
・フランス、オーギュスト・マルモン(後、ナポレオンの元帥)、コート・ドール県シャティヨン・シュル・セーヌで誕生。二流貴族の家系、ブルゴーニュ地方で製鉄業も営む裕福な家庭。
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7月21日
・[露暦7月10日]第1次露土戦争終結。
キュチュク・カイナルジャ条約締結。ロシアは黒海制海権獲得・オスマン帝国内の正教徒保護

4月、アレクサンドル・スヴォーロフがバルカン半島に侵攻。
6月、コズルドジで8千の軍で4万のオスマン軍を撃破。これはオスマン帝国にとって決定的な打撃となった。
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8月
・この頃、モーツアルト、K.188 (240b) ディヴェルティメント第6番(ハ長調) 、オーボエ奏者フィッシャーのオーボエ協奏曲終楽章メヌエットを主題にK.189a (179) 12のピアノ変奏曲(ハ長調)(後1777年マンハイムで演奏したり、弟子の教材として使う)、ザルツブルクの誰か高貴な人物のためにK.189b (203) セレナーデ第4番(ニ長調)、K.189c (237) 行進曲(ニ長調)作曲。
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8月2日
・グリックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」(フランス語版)初演。ルソー感動し、何度もオペラ座に通う。
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8月8日
・モーツアルト、ミサ・ブレヴィスニ長調(K.194(186h))作曲。
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8月11日
・新内節で一世を風靡した鶴賀新内(62)、没。
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8月26日
・禁中、仙洞、女院、女御などに奉仕している官人の私曲のある者40人、投獄。
翌27日、連累者総計124人、処刑、流刑、追放、関連商人800余人追放。
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9月
・モーツアルト、三幕のオペラ・ブッファ<ラ・フィンタ・センブリチェ(偽の女庭師)> (K196) 着手。
1774年夏バイエルン選帝候マクシミリアン・ヨーゼフ3世の依頼。
J.C.フィッシャーのメヌエットによるクラヴィーアのための12の変奏曲(K.179(189a))、行進曲ニ長調(K.237(189c))作曲。
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9月5日
・~10月26日、フィラデルフィアのカーペンターホール、北米、第1回大陸会議。
12植民地代表約50人を集めて開催(ジョージアは総督に参加を阻止される)。
10月14日、抑圧諸法を非難する「宣言と決議」を採択。
植民地議会の立法・課税の権利を主張。

イギリスの13植民地代表がフィラデルフィアの会議に集まり、1763年以来のイギリス政府の全措置に対する抗議文を起草し、夫々の植民地におけるイギリス商品ボイコットに合意。
しかし、イギリス政府への反対行動を続けようとする「愛国派」と行動の穏健化を求める「忠誠派」の間に溝が生じる。
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9月13日
・フランス、チュルゴー(47)財務総監就任。

チュルゴー:
リモージュ県知事、百科全書派。
はじめ海軍大臣に、ついで財務総監に任命。
穀物取引の自由と輸入の自由を布告。商人の投機や買占め、売り惜しみを惹起。
1770年、72年、74年と不作が続き、改革進展せず。
ポーランドで教育顧問をしていたピエール=サミュエル・デュポン・ド・ヌール(チュルゴー友人、重農主義経済学者)、呼び戻されてチュルゴーの個人秘書となる。非常に精力的に働き多量の報告書を残す。後の三部会について社会階級ではなく、経済レベルによって区分しようとしていた。

チュルゴーの任命後まもなく前任者アべ・テレーの像は、フォーブール・サン・タントワーヌで火刑に処せられる。
しかし、チュルゴーは重農主義理論を、急激に穀物取引に適用した為、間もなく見せかけの民衆の人気を失う。
9月13日の高等法院の判令は、穀物と小麦粉の取引の自由を復活する。これが、凶作と結合して、翌年春・夏に欠乏と、穀物・小麦粉・パン価格の急騰となる。

テレーは、穀物取引に対する国家干渉を主張するが、彼の在職中は、行政は主に富裕な「独占業者」が掌握しており、彼の名は一般に悪名高き「飢餓政策」と結びつけられている。
テレー在職中の1768年11月、パリの4ポンドのパン価格は16スーに上昇し、小さな騒動が起こる。
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9月19日
・高野山大火。
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10月
・北米・英植民地、サミュエル・アダムズら、ボストン西北の町コンコードでマサチューセッツ協議会を結成。民兵の訓練を開始。以後、植民地全州に拡大。
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10月17日
・隅田川に大川橋(吾妻橋)が架設
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10月30日
・[清・乾隆39年9月26日]舒赫徳、山東で起こった清水教の反乱を鎮圧
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11月
・ルソー、グルックに刺激され、『村の占い師』を新しく作曲し直す。上演はルソー没後。
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11月9日
・フィリピン、教区司祭の在俗僧化を推進する勅令。
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11月12日
・モーツアルト、交響曲(第28番)ハ長調(K.200(189c))作曲。
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12月1日
・安永騒動の指導者本郷村善九郎(17)、同志7人と共に処刑。
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12月6日
・モーツアルト、2度目のミュンヘン旅行(~1775年3月7日)
モーツアルト父子、バイエルン選定侯マクシミリアン3世の依頼の謝肉祭のためのオペラ「偽の女庭師」の上演のためにミュンヘンへ旅立つ。
午後9時、ヴァッサーブルク到着

9日、宮廷劇場総監督ゼーアウ伯爵訪問
29日に予定の「偽りの女庭師」(K.196)初演延期。歯痛で6日間宿に篭る。
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