2015年11月9日月曜日

明治38年(1905)8月13日~20日 『直言』第28号社説「日本人排斥と社会主義」 桂・原第3回秘密交渉 堺利彦、延岡為子に求婚 日本政府、賠償金減額已む無しと小村全権に打電 中国革命同盟会結成(孫文ら) 『直言』第29号発行

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明治38年(1905)
8月13日
・「韓国沿海及内河の航行に関する約定書」。沿海航行権及び河川遡行権の獲得。
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8月13日
・『直言』第28号発行
社説「日本人排斥と社会主義」;
 昨年の第二インタナショナル・アムステルダム大会で、米国の代表委員は東洋移民排斥の決議案を提出して否決されたが、本年2月、サン・フランシスコの新開『クロニクル』は日本移民排斥の論陣を張り、州議会は日本人排斥を決議するに至った。
平民社社友・斯波貞吉はこの排斥の理由なきことを論証し、米国の社会主義者に対して、彼等がさきに万国社会党大会に提出した決議案の不当を詰(なじ)り、次の3問に対する回答を要求。

一、社会主義は単に白人のみに適用せらるべきものなりや。
二、日本人は万国的社会運動に加はる能はざるものなりや。
三、社会主義は単に或る人種に限りたる利益を増進せしむべきものなりや。

 この詰問状に対しては、社会主義労働党首領・シカゴ大学経済学教授デレオンが、機関紙『ニューヨーク・デイリー・ピープル』紙上で答えた。
 デレオンは斯波の意見に完全に同意し、かつ憤慨を同じくするものであるが、アムステルダム大会に提出された東洋移民排斥の決議案は米国の「社会党」、「社会民主党」、「公有党」と称する委員の所業であって、「社会主義労働党」の委員はかくのごとき非社会主義的決議案に加わることを拒絶し、同案はために議題にも上らなかったと述べる。

 デレオンはさらに「社会党」、「社会民主党」、「公有党」の本質を知らせようと称して、アムステルダム大会の米国委員ヒルクイット、シュルーテル、リーはニューヨークに在るドイツ語新聞『フォルクス・ツァイツング』の株主や社員にほかならぬことを暴露した。

幸徳秋水「小田原より」;
 明治20年「保安条例」により15歳の秋水が東京追放、小田原での宿泊中、深夜に警官に手荷物検査をされた恨み。この日、箱根より来た林泉寺の内山愚堂・堺枯水と語り合う。
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8月13日
・東京で清国からの留学生主宰の孫文歓迎会開催。
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8月13日
・モスクワで全ロシア農民同盟創立大会。
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8月13日
・ノルウェー、スウェーデンとの同君連合解消を国民投票により批准。10月26日調印。デンマークのカール王子がホーコン7世としてノルウェー王に即位(1957年まで在位)。
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8月14日
・桂・原第3回秘密交渉。
 原は西園寺と相談した上で講和には反対しないと言明。政権移譲時期は西園寺の都合次第。但し、政友会一党の政党内閣にしない、憲政本党と連立しない、を条件とする。原は了解。
22日、再度秘密打合せ。伊藤・山縣元老への伝え方、桂辞職の時期などについて。
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8月14日
・大阪商船(株)、大阪~清の安東県間航路開設。
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8月14日
・ポーツマス、日本側提出講和12条件のうち、①日本の韓国管理、②満州撤兵、③満州の清国還付の条件可決。

 ヴィッテは韓国における日本の「自由行動」は容認するが、条文に「韓国皇帝の主権を侵害すべからざること」の挿入を主張。論争の結果、「日本国が将来、韓国に於て執ることを必要と認むる措置にして、同国の主権の侵害とすべきものは、韓国政府と合議の上、之を執るべきことを茲に声明す」と会議録に定めることで妥協。
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8月15日
・(旧姓延岡)為子「台所方三十年」によれば、8月15日頃、堺から結婚を求められ、直ちに応じたという。
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8月15日
・ポーツマス、講和談判。
条件④満州における商工業の機会均等、可決。⑤樺太割譲巡り対立、難航。棚上げして、午後は、⑥清国におけるロシア権益の譲渡の討議。字句を修正して合意。
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8月15日
・ドイツ領東アフリカ、「マジマジの反乱」。
この年7月末、大規模反乱勃発、ドイツ領南部全域に拡大。反乱軍兵士達は白人の力を弱める「魔法の水(マジ)」を飲むことから「マジマジの反乱」と呼ばれる。マジを管理するホンゴ(神の使者)達が部族20以上を反ドイツに結束させ、8月15日、県庁1つ占領。反乱軍装備は貧弱(ンゴニ族軍勢5千中銃携帯は200のみ)で、本国の鎮圧軍の機関銃で蹴散らされる。
ゲリラ戦はこの後2年間継続するが、ドイツ軍は抵抗する村の家や畑を焼き払い、そのための飢饉・徹底的掃蕩作戦のため10万人が死亡。

1901年、ドイツ領東アフリカへの白人移民増加、サイザル麻・コーヒー・ゴム等の農園建設が進む。
1902年、労働力不足のため、総督ゲッツェンはダルエスサラーム南部の村々で年28日の「共同作業」(現地民の強制労働)を開始。報酬はごく僅かで28日という規定も無視されがちの状況下。

ドイツ本国は植民地統治見直し検討開始。
1907年時点でドイツ人入植者2700名は植民地(白人だけの)自治を要求するが、総督レッヒェンベルクはアフリカ人の農業を補助による税収拡大を目指す新政策を打ち出す。内陸部アフリカ人に商品作物を栽培させるための鉄道建設が進み、東アフリカ沿岸地帯に勢力を持つインド商人も内陸部へと進出。綿花・コーヒー以外、鉱山・消費材生産も進む。ドイツは特に最奥地3地区(ルワンダ・ブルンジ・ブコバ)に意を用い、これらを「自治区」とし、地元首長の権限を認め、外国人立入制限を施行。
1913年のドイツ領東アフリカ白人人口5336。他に海外植民地は、西南アフリカ(現、ナミビア)、トーゴーランド、カメルーン、ニューギニア東北部、太平洋の島々。
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8月16日
・ポーツマス、⑦南満州鉄道および付属権益の譲渡は、長春・吉林線を日本の所属とし寛城子(長春)を区分点とすることで合意。⑧満州横貫鉄道の非軍事化、合意。
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8月17日
・講和問題同志連合会大会、東京で開催。日露講和条約反対を決議。
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8月17日
・ポーツマス、⑨軍費払戻(賠償金支払い)問題、紛糾。棚上げし、午後は⑩清国の逃込んだロシア軍艦引渡し討議。国際法規定もなく、⑪極東の軍事力制限問題に移る。ロシア側は、海軍力制限に同意はできないが、極東に強力な海軍力を保有しないという宣言を出すと譲歩提案。
ウィッテは翌18日に第12条を討議し、翌週月曜を最終会議にしたいと提案(現実的に、海軍再構築は無理)。
ロシア側・日本側共に、賠償金以外で日本側条件を通すべく本国に具申。
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8月18日
・ポーツマス日露講和会議。
午前10時、日本側は樺太割譲・軍費払戻についてロシア側が譲歩するなら、抑留軍艦引渡し・極東海軍力制限の10・11条を撤回するとの覚書提出。ウィッテは全権委員のみの秘密会議を提案。
ウィッテは樺太全島割譲の覚悟を固めているが、南北分割し北部をロシア・南部を日本が保有する案を提案。
小村はそれを逆手にとって、樺太北半を返還するので、その代償として12億円を要求する妥協案を提出。小村は戦費16億5千万円にみあう15億円獲得する訓令をうけており、ウィッテは寸土も占領されていないため賠償金は支払わぬとの訓令をうけている(ウィッテは賠償金ではなく樺太北部還付の報酬として支払う腹を固める)。
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8月18日
・山路愛山ら、国家社会党結成。
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8月19日
・ロシア皇帝ニコライ2世、ブイルギン議会開設の勅令。
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8月20日
・緊急閣議、報酬金減額やむなし、講和成立求む。天皇裁可。報酬金12億円の「多少」の減額は小村の裁量に任すと小村に打電。
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8月20日
・中国革命同盟会結成。
東京・赤坂霊南坂坂本金弥代議士邸。諸革命派の大同団結。総理孫文(39、興中会)、庶務長黄興(31、華黄会)、宋教仁ら、民族・民権・民生、三民主義。『二十一世紀之支那』を機関報に。
加盟者は数百人をかぞえ、「韃虜(だつりょ)を駆逐し、中国を回復し、民国を建立し、地権を平均する」という政治綱領と規約をさだめた。
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8月20日
・週刊『直言』第29号発行

堺利彦「平民社の改革」:
「二君(幸徳と西川)の不在中、石川君と共に財政、編集、事務の責に任じ、諸方面から多少の不平を聞いている。そこで自分の力量の不足、信任の欠乏を認めて暫く責任の地を去りたい」という。
次号(8月27日発行の第30号)で幸徳は堺を慰留。"

『直言』第29号~第32号、パリの『社会党評論』の提起した問題に関する欧洲社会党の領袖の議論を掲載、第二インターナショナルの思想的不一致、崩壊を社会革命観と国家的観念との矛盾を暴露。

「国際的連合と愛国心とは果して両立すべきか否か、また社会主義者は現在の防衛戦争に参加すべきか否か」

英国社会民主同盟領袖クェルチの論。
 「今や欧洲社会党の間に、万国社会党の死活に関する重大問題が起っている。即ち万国社会党の連合運動はいかなる程度において、愛国心と両立し得るか。社会主義者は現体制の下における防衛戦争に、参加すべき義務を有するか、ということである。

 フランス社会党の首領ヴァイヤン氏は、国民をして目下の極東戦争に参加するを拒ましめ、本国ブルジョアジーに対する反抗によって社会革命を開始せしむるために尽力すべしと主張する。エルヴェ氏は更に一歩をすすめて、もしフランスがドイツの侵略をうけるとも国民をして侵入軍に抵抗することなからしめ、国内の一層憎むべき敵に対してその勢力を集注せんことを勧告すると説いている。

 然るに、ドイツ社会党の首領べーベル氏はこれに反して、社会民主党は他党と同じくドイツ帝国の寸土をも防衛せんとすると議会で宜言した。フランスでもグロール、リシャル氏等の一派は、エルヴェ氏の意見に強固なる反対を表明している。

 吾人社会主義者は、人民の国民的自由を禁遏(きんあつ)しその独立を奪わんとする侵略戦争には断乎として反対する。英国社会党がボーア戦争に反対したのは、ボーア人が自らその国政を処理する権利を有すると信じたからである。吾人が国外におけるイギリス帝国主義の発動に反対する理由は、即ちまた吾人が外国侵入軍に対する抵抗を正当とする理由にはかならない。

 一般的原則としては、国家の自由、独立、領土を防衛するは人民の権利にして義務でもあるが、この原則の当否は外国侵入軍の性質によって決定されなければならぬ。階級闘争の重要性は他のあらゆる闘争を超越する。故に、もし他国の労働者階級が政権を握り、英国に侵入してわが国の革命運動を援助するとしたら、これを歓迎し、これに抵抗しないことは固より吾人の義務である。
それ故、国家の自由独立のため、および人民の権利擁護のためには、社会主義者もまた国防軍を助ける義務があるが、しかし侵略戦争には断然反対し、そして国内の権力階級を敵として人民の自由のために侵入する外国軍は、歓迎しなければならぬ。とはいえ、かくのごとき問題はある一国において社会革命が充分の勢力を得るに至らざる限り、この種の侵入軍は決して組織されることはないであろう。

 社会主義者はトルストイの無抵抗主義を取らざる限り、その戦うべき力を有せんがために民兵主義を主張しなければならぬ。近世の国家が仲裁裁判を以て国際的紛争を解決しようとしても、なおその背後には兵力がなければならぬ。今の社会は力の上に立っている、力によらないでこれを顚覆し得るか否かは今後の見ものである。現状の下で吾人のなし得るところは、常備軍を廃して民兵制度に代ゆることと、国際裁判所を設け直接投票によって和戦を決すること、之れである。」
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8月20日
・大阪毎日新聞社主催の10マイル競泳大会、大阪湾で開催。
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