2013年11月10日日曜日

昭和18年(1943)2月1日~7日 ガダルカナル島第撤退完了(1次~3次) 「・・・克く敵戦力を撃摧しつつありしが其目的を達成せるにより二月上旬同島を撤し他に転進せしめられたり・・・」

千鳥ヶ淵(田安門前) 2013-11-08
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昭和18年(1943)
2月
・金史良、「太白山脈」(「国民文学」)
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・インド国民軍将校6人の軍事委員会組織、ボンスレー少佐、少将昇格、司令官就任
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・2~3月、ラバウル自活態勢確立の為、大本営に依頼していた農事指導班、農具修理班、陸稲・野菜の種子、農具、労務者など、現地到着。
労務者は、広東苦力、インド兵、インドネシア兵など約4千で、主に野戦貨物廠に配属。
戦後、貨物厳から多くの戦犯を出す原因となる
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・大本営、「北太平洋方面作戦指導要綱」を議定
正式にアッツ、キスカ両島の保持を北方軍司令官に伝達。
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・政令「南方特別留学生育成事業」制定
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・陸軍次官名で「將校赴任ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒(陸密第485號)」が出される。
「將校ノ赴任ヲ嚴正ナラシムベキ件ニ關シテハ・・・左記ノ如キ適當ナラザル事例相當多ク・・・」として、家事整理・軍装品調達・規定外の休暇帰省の為に赴任が遅れる者、赴任途中、諸所に立ち寄り見物・滞在等、甚だしい者は内地から満州への赴任に1 ヶ月を要した者、交通機関選定に当を得ず漫然と日時を経過する者、赴任先不明の為に遅延する者などの具体例が挙げられる。
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・厚生大臣小泉親彦「女子労働不必要」と発言
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・社団法人映画配給社が創立。
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・火野葦平「敵将軍」(「改造」)、・中島敦「弟子」(遺稿)、小林秀雄(41)、「実朝」(『文学界』で連載開始)
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・英米語の雑誌名禁止
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・映配、セレベス支社・香港支社、ビルマ支社(翌月)を設置。
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・イタリア、軍首脳部入替え、内閣改造
ムッソリーニ、首相・外務・内務・法務・陸海空三軍など八ポスト兼任、
前外相チアーノ、新参謀総長アンブロージョ元帥、部下のカスティッラーノ准将、王室と組んでムッソリーニ逮捕・排除計画立てる
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・自由タイ運動が始まる
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初め
・八連特司令部、呉六特の一部(高射機銃中隊、21防空隊、22設営隊)を伴いニュージョージア島西端南側ムンダ進出。
呉六特本部は、同島西端北側ドラゴン岬。
横七特は、ニュージョージア北西コロンバンガラ島布陣。
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2月1日
・山西省公署人事変更、馮司直が省長に就任
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2月1日
・ガダルカナル島第1次撤退。
第38師団(佐野忠義中将)、ブーゲンビル島へ撤収。海軍250人・陸軍5164人撤収。第3水雷戦隊(橋本信太郎少将)・第10戦隊(小柳富次少将)20隻。
4日2次撤退、7日3次撤退。
収用1万2千、死者2万(戦死8,200、戦病死11,000)、米戦死1,598

撤収は、橋本信太郎少将の第3水雷戦隊、小柳富次少将の第10戦隊所属の駆逐艦計20隻で行なわれた。
駆逐艦は2月1日、空襲を受け、魚雷艇と海戦を交えながら、エスペランス岬沖に到着。
第1次撤収部隊の第38師団は、整然と40組の縦隊を組んで海岸に待機。
親泊参謀は、一部兵力をもって同日夜~3日夜、エスペランス岬からタサファロングに至るジャソグル内に、順次篝火をたかせ、新上陸部隊が移動中のように見せかける。
午後11時45分、大発で乗艦を完了し、第38師団はブーゲンビル島に向かう。
4日、第2師団と第17軍司令部が、7日、最後の部隊が撤収。駆逐艦は将兵を乗せた後もなお岸辺を旋回し、「誰かいるか」「まだ、乗る者はいないか」と連呼。

○第1次撤収詳細。
午後7時、撤収部隊は乗船準備完了。
しかし予定の9時になっても、駆逐艦到着信号はなし。突然海上で砲声。サボ島付近で敵魚雷艇と日本軍駆逐艦が交戦している砲声。
エスベランスでは午後9時40分頃、カミンポでは午後10時、駆逐艦から発進した大小発や折畳舟が海岸に着き、直ちに乗船が始り、佐野師団長以下第38師団、第8方面軍の井本・佐藤両参謀も乗艦。
エスベランスは午後11時30分、カミンポは正12時、後者で飛行機による若干の妨害があるのみで、第1次撤収艦隊はガ島発。
エスベランス地区では、密林中で集結が遅れた残置兵1270名、カミンポでも約300が乗り遅れる。
撤収部隊は、ニュージョージア東方海域で、2月2日午前5時半頃、敵機約30の攻撃を受けるが損害なく、2日午前10時30分、ブーゲンビル島エレベンタに上陸。

①海軍第1線航空戦力の消耗(艦載機248、基地機608、パイロット戦死2362人)。
②艦艇の消耗(沈没33隻、損傷87隻、海軍軍人の戦死3800人。米軍艦船沈没26隻、損傷33隻)。

・イザベル島沖海戦。~7日(3次撤退)、ガダルカナル島撤退の為、第8・10・16・17駆逐艦隊、イザベル島沖に集結。米軍部隊と交戦。
米軍駆逐艦1・魚雷艇1沈没。日本側も駆逐艦1沈没、1大破。

将兵を収容する輸送隊は、木村進少将指揮する第10戦隊の駆逐艦14(「風雲」「巻雲」「夕雲」「秋雲」「谷風」「浦風」「浜風」「磯風「皐月」「長月」「時津風「雪風」「大潮」「荒潮」)、警戒隊は橋本信太郎少将の第3水雷戦隊の駆逐艦6(「巻波」「舞風」「江風」「黒潮」「白雪」「文月」)。
3次の撤収で、駆逐艦「巻雲」が触雷沈没するが、陸海軍将兵約1万3千の脱出に成功。
一連のガダルカナル攻防戦での日本軍損失は、艦艇56隻、航空機2千機、船舶22万トン、陸兵2万人となる。
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2月1日
・科学計測研究所、弾性工学研究所、超短波研究所、触媒研究所、航空医学研究所設立
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2月2日
・独伊軍、スターリングラード戦降伏
ドイツ第6軍降伏。翌日、国防軍総司令部、攻防戦集結発表
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2月3日
・伊藤猷典「鮮満の興亜教育」、朝鮮統治上有害、日満国交上不良として発禁
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2月3日
・フィンランド、マンエルヘイム元帥、早期戦争離脱宣言
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2月4日
・第2次ガダルカナル撤収。
第2師団、第17軍司令部、海軍519人・陸軍4458人撤収。この際の戦闘で駆逐艦1大破

第2師団では、第2歩兵団が陣地の守備を松田部隊(後衛)と交替し、2日午後5時エスベランスに後退開始、3日朝までにエスベランスとカミンポに集結完了。
師団司令部は3日午前4時にエスペランスに到着。
この時点で、後衛は、矢野部隊約350と千々岩部隊(岡部隊の残留者約60)は、まだポネギ川左岸約1kmの線に、松田部隊主力として第28連隊、歩兵第124連隊主カ、野重砲兵1個小隊が、セギロウ川右岸で友軍を掩護。
松田部隊は、第2次撤収後、掩護兵力としては組織的戦闘力のない、自殺する為に残置された戦友たちを残し、独力で第3次撤収を行なう。
4日日没迄に第2次撤退準備は完了。
各部隊は日没とともに行動開始、乗船場に集結。この夜は月がなく暗闇で、海上は波がやや高かい。
午後8時50分、予定通り駆逐艦隊が入泊、各部隊は乗艦開始。

第2次撤収部隊は約2時間で乗艦完了、百武司令官以下軍司令部は「磯風」に、第2師団司令部は「浜風」に乗り、米軍の妨害もなく午後11時半過ぎ、ガ島発、
5日午前10時45分、エレベンタに入陸。ラバウル出張中の田辺参謀次長は第8方面軍参謀長らと第17軍司令官一行を出迎える。
6日夜、参謀次長は東京へ、「・・・。両兵団ニ於テ帰還セルモノハ全艦ヲ通シガ島上陸人員ノ二五乃至三〇%ニシテ各部隊ニ依り其ノ状況ヲ異ニス 損耗最モ大ナルハ歩兵部隊ニシテ帰還セルモノ各連隊共ガ島上陸人員ノ一五乃至二〇%程度ナリ」。
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2月4日
・林銑十郎(66)、没。軍人、第34代首相。
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2月5日
・釧路で日食を観測
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2月6日
・米陸軍航空軍司令官アーノルド大将、重慶で蒋と会議、4日間
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2月6日
・チャーノ(外相)・グランディ・ボッターイらのムッソリーニ政府の閣僚更迭。
ムッソリーニ、外相兼任。
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2月6日
・ソ連軍、アゾフ海に到達、ドイツA軍集団を分断
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2月6日
・ドイツ『野ウサギ追放』作戦(ゴメリでのソ連軍パルチザン掃討作戦)
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2月7日
・第3次ガダルカナル島撤退。海軍63人・陸軍2576人収容。全軍撤退。
9日、撤退完了。

第2次撤退後は、歩28連隊長松田教寛大佐が在ガ島陸海軍全部隊を指揮する。
山本筑坪第17軍参謀は、3日午後3時、セギロウの松田部隊本部で大佐の指揮下に入り、軍司令官の意図として、
①患者は絶対に処置すること、
②残留者は機密書類を残さないようにして、敵が来たら自決すること(③~⑦は略)、を伝える。
総後衛部隊撤退要領として、例えばセギロウ川陣地の撤退は、「石堂少佐ヲシテ予(松田大佐)ニ代リテ依然現地ヲ確保セシメ、爾後比較的強健者将校以下少クモ五〇名及単独歩行不可能者ヲ残置シ、自ラ爾余ヲ率イテ五日夜出発六日午前中ニカミンポニ集結セシム。単独歩行不可能者ハ各隊共最後迄現地ニ残置シ、射撃可能者ハ射撃ヲ以テ敵ヲ拒止シ、敵至近距離ニ進撃セバ自決スル如ク各人昇汞錠二錠宛ヲ分配ス。」。
置き去りにする者には最後まで抵抗させ、然るのちに自殺させる。
松田大佐の日誌(4日)には、「セギロウ附近に残置すべき歩行困難な人員は歩兵第百二十四連隊は一二八名なるが如し」とある。

4日早朝、松田大佐は第1線から矢野大隊長を召致し、約80名を現陣地に残し、その掩護下に撤退せよ、これは矢野部隊撤退の為ばかりでなく、全体の為だから是非実施するよう命令。
矢野大隊長は、部下を残して撤退は出来ない、それが許されないなら矢野部隊全部を残してほしいと意見具申するが容れられず、議論を繰り返しても時間が経つばかりなので、矢野少佐は全員で残留して敵の攻撃を阻止し、最後は全員で玉砕しようと決心し、松田大佐の命令に従う形にする。

7日午後7時30分、撤退部隊は舟艇に移乗開始、8時過ぎ終了、海岸の闇に待機。駆逐艦の入泊を待つ間、セギロウ陣地が砲撃を受けているのが聞える。
午後8時30分頃、泊地西側海面で激しい射撃が始り、泊地沖2kmを敵魚雷艇2隻が駈けまわる。
やがて静穏に帰し、午後9時過ぎ、駆逐艦入泊が確認され、青煙2個が海上で点滅。待機の各舟艇は一斉に発進。
午後10時やや過ぎ、全員乗艦終了確認。第17軍参謀長の22日発電によれば、ガ島撤収人員は、第1次 4935(内海軍441)、第2次 3921(内海軍332)、第3次 1796(内海軍75)、計1万0652(内海軍848)。

9日の大本営発表。
「・・・ソロモン群島のガダルカナル島に作戦中の部隊は昨年八月以降引続き上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に圧迫し激戦敢闘、克く敵戦力を撃摧しつつありしが其目的を達成せるにより二月上旬同島を撤し他に転進せしめられたり、我は終始敵に強圧を加え之を慴伏せしめたる結果転進は極めて整斉確実に行はれたり。・・・」
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2月7日
・アメリカ第12空軍、サルジニア島攻撃(地中海で最初のヨーロッパ攻撃)
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2月7日
・ドイツ出身、英・歴史学者ローゼンベルク、米で没。
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