2013年11月11日月曜日

島倉千代子さん 兵庫県明延での51年ぶりの無料コンサート(2009年12月)の経緯 『朝日新聞』武田肇記者のツイートより

『朝日新聞』11月9日(土)



一番上の新聞記事にある写真が失礼ながら何ともドサ廻りっぽくて気になっていたが、背景には下のような事情があったという。
武田肇記者のツイッターより


以下の武田記者のツイートは、重さ回避のためテキストのみとさせて戴く。

昭和を代表する歌手、島倉千代子さんが75歳で亡くなられた。社会部記者の私に歌の世界はあまり縁がないが、晩年、ひょんなことから島倉さんと小さな縁があった。追悼の思いを込めて、記しておきたい(ちょっと長くなるかもしれませんが…)。 1→

→2009年、朝日新聞大阪本社版夕刊に「ぷらっと沿線紀行」というシリーズがあり、私は旧明延鉱山(養父市大屋町)を走っていた「一円電車」(閉山で廃止)を取り上げた。現地を取材すると、住民の皆さんが「鉱山時代の一番の思い出」として挙げられたのが1958年の島倉さんの公演だった。2→

→調べてみると、1958年、20歳の島倉千代子さんは、三菱系の鉱山会社の招きで但馬の山あいの街、明延で公演された。鉱山全盛期で、人口4千人。その約30年後、鉱山は円高とスズ価格暴落で閉山。過疎と高齢化で人口140人になった明延にとって、島倉さん公演はキラ星のような記憶だった。3→

→そんなエピソードを記事の中で触れたいと、事務所を通じて島倉千代さんに電話で話を聞いた。島倉さんはしばらく記憶をたぐられた後、「歌う場所が不安になるくらい山奥のまちでした…」と思い出された。私が緊張しながら、取材で見聞きしたことを訥々と伝えると、興味深い様子で聞いておられた。4→

→島倉さんへの電話取材も盛り込み、ぷらっと沿線紀行シリーズの記事「運賃1円 おヤマの電車 明神電車」は完成した(09年11月14日夕刊掲載)。http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200911140064.html …  その紙面を島倉さんに送ってしばらくたった朝、島倉さんご本人から携帯に電話があった。5→

→お話を聞けば、島倉さんは、明延の人たちが51年前を記憶していることに感動し、お礼を込めてもう一度コンサートを開きたいのだという。しかも無料で。行き掛かり上、私が橋渡し役となって地元につなぐと、とんとん拍子で話は進み、51年ぶりのコンサートが2009年12月、明延で開かれた。6→

→51年ぶりのコンサートは、明延の食堂で開かれた。地元の人たちが準備した「お帰りなさい、お千代さん」の手作り看板が印象的だった。初めて対面した島倉千代子さんは、想像していたよりずっと若く、何より輝いていた。何をお話したか緊張して覚えていないが、お礼を言われてひどく恐縮した。7→

武田 肇 다케다 하지무 ‏@hajimaru2 11月8日
→コンサートが始まると、無料招待された地元の人たちは泣いておられた。きっと島倉さんの歌に、ご自身の半生を、街の歴史を重ねていたのだと思う。日々能力不足から新聞記者の看板を背負うことに耐えられず、辞めたいとばかり考えていた私だが、この時ばかりは、記者になってよかったと思った。8→

→私は正直言って、歌のことはよくわからないけど、歌の持つ力はすごいと思った。島倉さんは、最後に、「また来たい」とおっしゃられ、車で姫路駅に向かわれた。東京から日帰りの強行軍だった。さすがに再訪は叶わなかったけど、その後、地元市長に依頼され、養父市観光大使も務められた。9→

→その後も、なぜ島倉さんは、身銭を切って但馬の山あいでコンサートをされたのか、不思議だった。いろんなご苦労をされた島倉さんにとって、地方公演時代は色あせぬ良き思い出だったからだろうか。ゆっくりお話を伺えないまま逝ってしまわれたことが、残念でならない。ご冥福をお祈りします。10







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