2026年4月6日月曜日

大杉栄とその時代年表(799) 1908(明治41)年8月22日~25日 赤旗事件第2回公判 「本件は社会党員と巡査の旗取りに初りて、又旗取りに終れりと云うべし。至極事件は簡単なり。既に被告等は赤旗の掲揚に対して、禁止命令に接せずと云い証人の巡査十三名も何れも禁止命令を知らずと云う、唯だ一名大森巡査が禁止命令を発せしと云うも真偽疑わし。(略)虚偽の証言を以て被告の罪を裁判する能わざるは事明の理なり」(卜部喜太郎の弁論)

 

卜部喜太郎

大杉栄とその時代年表(798) 1908(明治41)年8月16日~21日 米国~欧州へ視察旅行の原敬の送別会。全国から党員130余が参加。この頃、原敬、政友会の党務掌握。政友会は、原を事実上の中心とし、それに西園寺・松田が加わって3人で主導する形で運営するが、自分の選挙区の利害を中心に考えるようになった党人派代議士は原が掌握。 より続く

1908(明治41)年

8月22日

赤旗事件第2回公判。堀保子(大杉の妻)が証人として出廷。傍聴人400~500名。


〈赤旗事件公判筆記 『熊本評論』9月5日掲載 より〉

8月22日午前9時東京地方裁判所に於て古賀検事干与、島田裁判長により開廷、朝来より傍聴席に押寄せた来りし群集は約四百名と註されり。前回は法廷なりしかば、此の日は控訴院第一号大法廷にて開廷さる、群衆中には麹町署等より派せられたる刑事巡査多数傍聴し居たりき。14名の被告人は例の如く元気なる面持にて、微笑しつつ入廷せり。


管野、再弁明、「………………予審調書には全く跡方もなき事を羅列せり。然も其事たるや到底、病身の自分には出来難き犯罪事項なり。自分が社会主義者なるの故を以て罪の裁断を受くるならば、甘んじて受くべし。然れども、巡査の非法行為を覆わんが為めに、犯罪を捏造して入獄を強いんとならば断じて堪ゆ可らず」云々


(略)


卜部喜太郎氏の弁論あり


本件は社会党員と巡査の旗取りに初りて、又旗取りに終れりと云うべし。至極事件は簡単なり。既に被告等は赤旗の掲揚に対して、禁止命令に接せずと云い証人の巡査十三名も何れも禁止命令を知らずと云う、唯だ一名大森巡査が禁止命令を発せしと云うも真偽疑わし。先刻証人に喚問されし横山巡査は、兎角神田警察署を代表して証人に出廷せしならんが、予審廷とは全く相違せる不得要領の証言をなせり。今茲に十三名の巡査を証人喚問するも、十三名の横山巡査が、立ちて、十三個條の不得要領なる証言を為すと何の選ぶ処無れば、成程予審の決定書は文章は巧妙ならんかなれど、全然虚偽の証言と云う外なけん、虚偽の証言を以て被告の罪を裁判する能わざるは事明の理なり

(略)

卜部氏の弁論は多大の感興を傍聴者に与えたるが如し。兎に角近来の大弁論にして一言一句の惣にす可きもの無りき。……

次いで堺利彦君等数名の各弁論は判官の指名の下に行われたり。左の如し。


堺利彦「検事の論告に依れば、被告は社会主義者なるが故に厳罰に処せよとの請求なりしが、若し、社会主義者なるが故に罰せらる可きなれば、被告等は甘んじて刑に服すべし。然れども法律には『社会主義者となるものは罰すべし』と云う名文も見受けず。然るに理由なく、徒に、厳罰に処せよとは甚だ奇怪至極なり、寧ろ失笑に値せずや。又、検事は『無政府』なる文字に重きをお置きて、何等文字の内容に就て罪を問う処あらざりし、若し無政府主義者なるが故に罰せらるるならば、則ち可なり、然れども若し文字の内容に就て問罪せらるる処ありたらんには、各被告共に其の説明を異にするが故に、断罪するに於ても亦多少の相違ありたらんと信ず、惜しい哉、検事にも判公にも、何等の御訊問なかりき。被告の考える処に依れば、無政府主義も社会主義も、其の内容に依って同一なりと思う。或者は便宜上社会主義と云い、或者は無政府主義と云う。然るに内容に論及せられずして厳罰に処せよとは奇怪の事なり。日本の文壇に於ても既にニイチエ、トルストイ等の無政府主義の思想伝播せられ居れり、若し内容を究めず『直に無政府主義』という語を罰す可くんば、是等文壇の作者も罰せられざる可らず。


若し亦単に旗を翻して治安に害ありと云う可くんば、彼の広告隊の掲ぐるライオン歯磨の旗も、クラブ洗粉の旗も治安に害あり。警官は是等の広告隊とも衝突せざるを得さる次第なり。或は思う、今回の事たる山縣の一派が西園寺内閣に対する……………(注 原文記事自体が…)」


この時検事は倉皇として起立し


検事「……………本件に何等の関係なし、……………憲法の条文に依り、公開禁止を求ざる可らず」


島田裁判長も亦「……………公開の禁止を宣言せざる可らず」


 茲に於て吾が堺君は巧みに論鋒を一転して警察攻撃に及べり。


(略)

・・・・・斯の如き巡査の証言によりて裁判せらるるは、日本裁判所の裁判を受くるが如き心地せず恰も警察署と云う裁判所にて下級警官の裁判を受くるの感あり


是を要するに、吾等は、何等の罪にも擬せらる可きものにあらさるなり」


堂々一時間余に亘る弁論は終了せり、


(略)

(*山川均、荒畑寒村、佐藤悟の弁論が続く)

次で神川女史は「繊弱き、婦人が仲裁の労を取り得ずと検事は論告せられたるも自分は婦人なればこそ仲裁し得ると信ずるなり。彼の伊庭想太郎が、星亨を刺さんとして其玄関に赴きし際、可憐の小児の出づるに遭い哀れを感じて遂に空しく引き返せしと云う話もあるにあらずや、自分は社会主義なるが故に罰せらるると云うならば甘んじて服罪すべし、されど警官と同志を調停せしの故に罰せらると云うに於ては、断じて服罪する能わず」と述べ管野幽月女史は「法律は個人の思想を罰する事を得ざるべし、飽まで公平の裁判を望む」云々と述べ、閉廷す、判決は29日午前9時。

8月23日

森近運平、幸徳の平民社に同居。

8月23日

モロッコ、仏に屈したアブデルハーフィズ、独支持の兄アブデルアズィーズ王をマラケシュで破る。ハファド、自ら帝位に。各列強から承認される。

8月24日

日米仲裁裁判条約(5月5日調印)で、批准書交換。

8月24日

河上肇、京都帝国大学法科大学講師に就任し、9月より講義開始。学生に櫛田民蔵がいる。

8月24日

原敬(52)、欧米視察に出発。翌年2月20日帰国。

8月25日

閣議、対外方針(日英同盟を外交の中心とする)・満州に対する諸問題解決方針(6案件を一括交渉)決定。


つづく


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