2024年1月14日日曜日

大杉栄とその時代年表(9) 1886(明治19)年5月~6月 末広鉄腸「夢ニナレナレ」(のち「二十三年未来記」と改題) 全米労働者、8時間労働・8時間休息・8時間教育求めデモ(メーデーの発端) 高村智恵子・石坂泰三・岡本一平生まれる 雨宮製糸場女工ストライキ     

 


大杉栄とその時代年表(8) 1886(明治19)年3月~4月 松井須磨子生まれる 物集高見『言文一致』 坪内逍遙「内地雑居未来の夢」 二葉亭四迷「小説総論」 宮武外骨『屁茶無苦新聞』(発禁) 一葉(14)の復学断念 より続く

1886(明治19)年

5月

末広鉄腸「夢ニナレナレ」(のち「二十三年未来記」と改題)。人民の未成熟さのため国会が十分に機能しない事態。

5月

硯友社同人が30人近くに膨らむ。

5月

パリ「ラ・ヴォーグ」誌、ランボーの「イリュミナスィオン」掲載。ヴェルレーヌの序文。

5月

朝鮮、男子ミションスクール培材学堂設立

5月1日

アメリカ労働総同盟の前身であるアメリカ・カナダ労働組合連盟の呼びかけで全米労働者、8時間労働・8時間休息・8時間教育求めデモ。メーデーの発端となる。

4日、シカゴのヘイ・マーケット事件。集会鎮圧に向かった警官隊に爆弾テロ。後、労働条件改善を求めスト中の2万人の労働者に警官隊が攻撃。労働者80人以上死亡。オーガスト・スパイズらアナーキスト7人の指導者が警官殺しのでっちあげで処刑。

5月14日

坪内逍遥が政治小説『内地雑居未来之夢』第1分冊を刊行した直後のこの日付け依田学海の日記に、「坪内雄三(逍遥の本名・雄蔵)が著す所の未来の夢をよみたるに、筆力きはめて高し。余いまだその人を見ざれども、後来小説家の名人たるべき人物なるべし。」と書く。

5月15日

ゴーギャン(38)、~6月15日、第8回(最終回)印象派展に絵画19点と木彫レリーフ1点を出品。

5月16日

植木枝盛、高知県会で道路開鑿反対演説。翌々日演説禁止1年間の処分。

5月20日

高村光太郎の妻となる智恵子、福島県に誕生。


6月

坪内逍遙「諷誡京わらんべ」(日野書店)

6月

ゴッホ、テオと共にルピック街に転居。パリでの最初の年の作品は、 モンマルトル周辺風景画、 花を扱った静物画など。特に後者に大胆な色彩の実験。冬、カフェ「ル・タンブラン」女主人アゴスティーナ・セガトーリと知り合い親密な関係となる。

6月3日

【静岡事件発覚】

明治17年、岳南自由党の鈴木音高・湊省太郎などが遠陽自由党の中野二郎三郎・山田八十太郎などと結び、明治政府打倒・高官暗殺の陰謀を企て、静岡周辺で軍資金獲得の強盗を行い、これにより計画が露見。急進的民権家100余逮捕。24人が強盗罪で有罪判決。激化事件終焉。

鈴木音高の「国事犯罪申立書」。

「一官吏若シ暴ヲ行へハ全政府ヲ挙ケテ其暴ヲ遂ケシメントシ、加フルニ、言論出版ヲ抑圧シ、集会結社ヲ牽制シ、紙幣ヲ濫発シテ重税ヲ収斂シ、政略ヲ秘密ニシテ賢良ヲ誣害シ、人民トノ契約ニ違背シテ屡々徳義ノ信ニ反キ、姦商卜結托シテ市利ヲ壟断シ、内膏血ヲ搾取シテ、外欧米ニ諛ヒ条約改正セズシテ国権蹂躙セラレ、実ニ憂世愛国ノ志士ヲシテ憤慨己ム能ハザラシム。然り而シテ、政府カ斯ノ如ク暴虐ナルコトノ最モ著大ノ証拠ヲ挙クレハ、彼レ甚夕国会ノ開設ヲ厭忌シ只管専制ヲ熱望シタルモ、時運ノ止ムヲ得サルヨリ之ヲ十年ノ後ニ開クベシトノ窮策ヲ構へ、愈之ヲ開設スルノ期ニ至ラハ不法言フニ忍ヒサル欽定憲法、否、擅定憲法ヲ発布シ、苟モ人民ヲシテ政権ニ関与スルナカラシメ、若シ国会ニ政府官吏卜意見ヲ異ニスルアラハ彼ノ憲兵ノ暴力ヲ用フルハ勿論、陸海軍ヲ挙ケテ之ニ当り、以テ其新設セル国会議場ニ鮮血ヲ漂スノ策略ヲ取ラントスルノ思想ナルコトハ、彼ノ専制武断ノ聞ヘアル独逸政略ニ模倣セント吸々タルニ依リテ明白ナリトス。況ンヤ其国会開設ノ期二近クニ随ヒ、益々言論出版ヲ抑圧シ、集会結社ヲ牽制シ、峻刑酷罰ヲ増発シテ、以テ天下ノロ筆ヲ撲滅セシメントスルニ於テヲヤ。コレ上ハ陛下ヲ蔑ロニシ、下ハ人民ヲ虐スルモノト謂ハスシテ何ソヤ」

明治政府は「只管専制ヲ熱望シ」ている、たとえ国会を開設しても「欽定憲法、否、擅定憲法ヲ発布シ」、「人民ヲシテ政権ニ関与」させないようにしている、国会開設後、もし政府が窮地に追い込まれるようなことがあれば、「憲兵」や「陸海軍」を動員し、「国会議場ニ鮮血ヲ漂スノ策略ヲ取ラントスルノ思想」をもっていると批判。明治政府の施策が、「上ハ陛下ヲ蔑ロこシ、下ハ人民ヲ虐スルモノ」と批判し、攻撃目標は、あくまで明治政府である(=共和主義にまで進んではいない)。

6月3日

石坂泰三、誕生。

6月4日

朝仏修好通商条約調印

6月11日

岡本一平、誕生。

6月12日

馬場辰猪、渡米のため横浜出発。爆発物取締法違反で無罪釈放の10日後。政治的亡命。アメリカで日本政府攻撃活動。2年後、明治21年11月1日肺結核によりペンシルヴァニア代が宇病院で没(39)。

6月12日

甲府の雨宮製糸場女工ストライキ。1886年2月山梨県で生糸商・製糸家により生糸組合が組織、規約中に過酷な工女取締規程がある。雨宮製糸では遅刻減賃制や労働強化が行われ、工女100人余がストライキ。交渉の結果,遠距離通勤工女の出勤時間の1時間繰り下げなどを得る。周辺製糸工場へ波及。

6月22日

植木枝盛「何故に議院内閣を行ふ可からざる乎」(「土陽新聞」)。

6月28日

漱石・太田達人・柴野(後に中村)是公・佐藤友熊ら11名の第一高等中学校学生で写真撮影した。

6月30日

トスカニーニ、リオ・デ・ジャネイロで歌劇「アイーダ」指揮、歌劇指揮者デヴュー


つづく

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