2024年10月15日火曜日

神奈川県立近代美術館鎌倉別館 コレクション展 ゴヤ版画集《戦争の惨禍》 1《来たるべきものへの悲しき予感》 ~ 80《彼女はよみがえるだろうか?》 2024-10-14

10月14日(月、昨日)晴れ

神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開催されているゴヤの版画《戦争の惨禍》展覧会に行ってきた。

まるで、

「人間はかくも残酷になれるものなのか?」

「真理、正義、自由は死んだのか?」

という老画家ゴヤの怒りと嘆きが聞えるようだった。



〈今回はほぼすべてが収蔵品のため、僅かの例外以外は写真OK〉





〈『戦争の惨禍』の構成〉

〈最後の二枚の絵⓵;真理、正義、自由死んだ〉

〈最後の二枚の絵②;真理、正義、自由は甦るだろうか?、と問いかけ〉

〈美術館ツイッターによる作品紹介〉


〈堀田善衛『ゴヤ』より〉


堀田善衛『ゴヤ』(96)「戦争の惨禍」(1) 「歴史のかかる光景に接していると、私もがゴヤとともに人間に絶望をしなければならなくなる。 この絶望を越えて、なおも生きて行くことが出来るためには、人間がかかるものであることを身に徹して認識し、表現してかからねばならぬ。」

堀田善衛『ゴヤ』(97)「戦争の惨禍」(2) 第一次サラゴーサ包囲戦  「かくて六一日間にわたる、細い路地で家々を、各階を、各室を争う、酷烈な市街戦が終った。この戦いに従事したフランスの将軍や兵の回想録は、そのほとんどがサラゴーサ市民の英雄的かつ献身的な郷土愛を称えている」

堀田善衛『ゴヤ』(98)「戦争の惨禍」(3終) 「”独立”戦争は”半島”を英国の植民地にしてしまい、スペインの諸植民地は、今度は英国帝国主義の二重植民地に仕立てなおされてしまった。」

堀田善衛『ゴヤ』(101)「続・戦争の惨禍」(1) 1808年12月~第二次サラゴーサ包囲戦 「ゴヤもまた被包囲者心理の中にあって、この「民衆」の行為を是認する心境にあったことをあかし立てていはしないだろうか。」

堀田善衛『ゴヤ』(102)「続・戦争の惨禍」(2) 『戦争の惨禍』三三番の詞書「これ以上何が出来るか」というゴヤの問いを背に負って、われわれは”絶望”などということばでは間尺のあわぬ、惨憺たる人間の惨禍に、ゴヤとともに直面して行かねばならなくなる。

堀田善衛『ゴヤ』(103)「続・戦争の惨禍」(3終) ナポレオンに制覇された諸国の人民にとっての悲劇は、征服者ナポレオンの政治こそが、革命的、民主的、進歩的であり、それなくしては政治も経済も文化も前進しえぬことは明瞭なことであるのに、しかもなお”独立”を求めるとなれば、それはどうしても絶対王制、貴族、教会の支配という旧制度への”復帰”という、超反動的なことにならざるをえないという辛さにあった。

堀田善衛『ゴヤ』(113)「版画集『戦争の惨禍』」(1) 「彼の理性は、この戦争の惨禍を前にしての人間の弱さ、無力な怒りと悲しみなどを記録することの空しさ加減を恐らくは明らかに告げていたであろう。」

【閲覧注意;全てゴヤの版画作品ですが一部に残虐な光景があります】 堀田善衛『ゴヤ』(114)「版画集『戦争の惨禍』」(2)「この老画家の、人間としての真の偉大さ - という言葉を私は敢て使いたいと思う ー は、人間のやらかす所業の一切に耐えて、現実としてのこの怪獣をあえて描き出し、なおかつ、これを如何にしてでも押しとどめようとする、無名の、足腰ともに逞しい女性をこの怪獣にとりつかせたところにあるであろう。」

堀田善衛『ゴヤ』(115)「版画集『戦争の惨禍』」(3)「この「私がこれを見た」という詞書は、この版画集全体の副題であってもよく、またこの画家、ゴヤの全生涯のそれであってもふさわしいものである。 時代の証言者としての芸術家、という、存在のあり様は、ここに全的に成立しているのである。」

堀田善衛『ゴヤ』(116)「版画集『戦争の惨禍』」(4)「戦争には果たして、本当に勝利というものはあるものなのだろうか。死者にとって、勝利とは何か、敗北とは何であろうか。生き残った者にとっても、とりわけて女性や子供にとって勝利とは何であろうか。ナポレオンは「戦争をして戦争を営ましめる」と言ったが、戦争には、本当は戦争だけしかありはしないのだというのが、歴史のもう一つ奥の真実なのではなかったか。」

堀田善衛『ゴヤ』(117)「版画集『戦争の惨禍』」(5)「現代の開始期の、まさにその時に当ってゴヤによって深刻な警告を受けていながら、あたかも聾者ででもあるかのようにして一向に聴き入れようとせず、殺戮に殺戮を重ねて来たのは、われわれの歴史そのものなのである。「答は汝にあり」。 ここで聾者なのはゴヤではない。」


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