2023年8月13日日曜日

〈100年前の世界031〉大正12(1923)年9月1日 関東大震災⑥ 〈関東大震災と作家たち〉 永井荷風 堺利彦 与謝野晶子 寺田寅彦 芥川龍之介 菊池寛 

 

文部省の焼け跡

〈100年前の世界030〉大正12(1923)年9月1日 関東大震災⑤ 〈火災被害の実態と特徴(内閣府防災情報)〉   同時多発火災の発生と強い風 延焼動態と火災による死者の発生状況 被服廠跡の悲劇と火災旋風 〈政府の動き〉 水野錬太郎内相・赤池濃警視総監が当面の責任者 より続く

大正12(1923)年

9月1日 関東大震災⑥

〈関東大震災と作家たち〉

■永井荷風『断腸亭日乗』

九月朔。昜爽雨歇みしが風猶烈し。空折々掻曇りて細雨烟の来るが如し。日将に午ならむとする時天地忽鳴動す。予書架の下に坐し瓔鳴館遺草を讀みゐたりしが架上の書帙頭上に落来るに驚き、立って窗を開く。門外塵烟濛々殆咫尺を瓣せず。児女雑犬の聲頻なり。塵烟は門外人家の瓦の雨下したるが為なり。予も亦徐に逃走の準備をなす。時に大地再び震動す。書巻をを手にせしまゝ表の戸を排いて庭に出でたり。數分間にしてまた震動す。身体の動揺さながら船上に立つが如し。門に椅りておそるおそる吾家を顧るに、屋瓦少しく滑りしのみにて窗の戸も落ちず。稍安堵の思をなす。晝餉をなさむとて表通なる山形ホテルに至るに、食堂の壁落ちたりとて食卓を道路の上に移し二三の外客椅子に坐したり。食後家に歸りしが震動歇まざるを以て内に入ること能はず。庭上に坐して唯戦々兢々たるのみ。物凄く曇りたる空は夕に至り次第に晴れ、半輪の月出でたり。ホテルにて夕餉をなし、愛宕山に登り市中の火を観望す。十時過江戸見阪を上り家に歸らむとするに、赤阪溜池の火は既に葵橋に及べり。河原崎長十郎一家来りて予の家に露宿す。葵橋の火は霊南阪を上り、大村伯爵家の隣地にて熄む。吾廬を去ること僅に一町ほどなり。(永井荷風『断腸亭日乗』大正12年9月1日)

(この頃、荷風は麻布市兵衛町(現、六本木)に住んでいた。この辺りは瓦が落ちる程度で済んだようで、火災もこの辺りまでには及んでいない。従って、阿鼻叫喚の惨状、或は朝鮮人虐殺などにも記述は及んでいない。)

■市谷刑務所に拘留されていた堺利彦

市谷刑務所に拘留されていた堺利彦は、グラッときたのでびっくりして立ち上がった。一瞬、これは潰れるかもしれない、ここで圧し殺される運命か、という思いが頭をよぎったという。だが、すぐに「開けろ!開けろ!」と扉を蹴って怒鳴った。他の部屋からも怒鳴り声が聞こえ始め、やがて担当の看守が扉を開けてくれた。堺たちは廊下に飛び出して、空き地に避難した。

その夜は高塀越しに真っ赤な空を見上げながら、不安と恐怖で一睡もせず、皆でしゃべり続けた。第二夜、第三夜は全員が手錠をはめられ、そのあとは元通りにそれぞれの監房に入れられたが、命に別状はなかった。

■与謝野晶子「新訳源氏物語」草稿1万枚焼失

文化学院内に預け置かれていた与謝野晶子が10年来書き溜めた「新訳源氏物語」の草稿1万枚が焼失。

欧州から帰国し、100ヵ月の予定で始めた『源氏物語』の逐語訳は10年を費して「宇治十帖」の前まで終えていた。あと3年を要すると心づもりしていた晶子は「今一度初めから書くだけの時も精力」もない状態にまで落胆した。子どもを生み育て、そして歌作、その他の執筆、文化学院での教育実践、その他諸々の仕事とともになされてきた仕事であった。その落胆ぶりは想像を絶する。

なお、文化学院は西村伊作の資産によって再建築され、11月に授業は再開された。また、『明星』は一時休刊し、大正13年6月号より復刊となり、発行所が東京市神田区駿河台袋町12番地の文化学院内に変わった。

■地震を観察する寺田寅彦

寺田寅彦はこの日、東京上野の二科会展にいた。この時の地震体験について、寺田は『震災日記より』において、次のように書いている。

「T君と喫茶店で紅茶を呑みながら同君の出品画「I崎の女」に対するそのモデルの良人からの撤回要求問題の話を聞いているうちに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足のうらを下から木槌で急速に乱打するように感じた。多分その前に来たはずの弱い初期微動を気が付かずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲って来た。同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政地震の話がありあり想い出され、丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向あおむいて会場の建築の揺れ工合を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週期でみし/\みし/\と音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しようと思って骨を折っていた。

 主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分では大した事もないと思う頃にもう一度急激な、最初にも増した烈しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからは次第に減衰して長週期の波ばかりになった。」

■「自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」と妻に叱られる芥川龍之介

「九月一日。

午ごろ茶の間にパンと牛乳を喫し了り、将に茶を飲まんとすれば、忽ち大震の来るあり。母と共に屋外に出づ。妻は二階に眠れる多加志を救ひに去り、…妻と伯母と多加志を抱いて屋外に出づれば、更に又父と比呂志とのあらざるを知る。婢しづを、再び屋内に入り、倉皇比呂志を抱いて出づ。」


芥川の妻の文は次のように述べている。

「その時、ぐらりと地震です。

 主人は、「地震だ、早く外へ出るように」と言いながら、門の方へ走り出しました。そして門の所で待機しているようです。

 私は、二階に二男多加志が寝ていたので、とっさに二階へかけ上がりまして、…子供をまず安全な所へ連れ出さねばと、一生懸命でやっと外へ逃れ出ました。

 部屋で長男を抱えて椅子にかけていた舅は、私と同じように長男をだいて外へ逃れ出てきました。私はその時主人に、「赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」

とひどく怒りました。

 すると主人は、

「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」

と、ひっそりと言いました。」(芥川文(1975)『追想芥川龍之介』筑摩書房)

■佐藤春夫が語る地震時の芥川

「室生から聞いたのだが、地震の最中に、芥川君は室生のところへ悠然と見舞に来たさうだ。それからその翌日は自身で子守車をひつぱり出してそれへ一ぱいのじやがいもやらさつまいもやらを買ひ込んで来たさうだ。

「こいつは甘いからたとひ砂糖がなくなつても食へる」

と説明をしたさうである。…何しろ間抜けなところ―拙の少しもない人だ。」(「芥川龍之介のこと―間抜けなとこのない人」)

■渋沢栄一の震災天譴説に反論する芥川龍之介

芥川は、渋沢栄一の震災天譴説(地震は日本人の傲慢な思い上がりを懲らすため、天が下した罰)に疑義を呈し、「同胞よ。冷淡なる自然の前に、アダム以来の人間を樹立せよ。否定的精神の奴隷となること勿れ」(「大震に際セル感想」1923.10「改造」)と人間性の確立を唱える。

■菊池寛の文芸無用論と芥川龍之介の反論

また、震災にあって絶望した菊池寛が、「文芸と云ふことが、生存存亡の境に於ては、骨董書画などと同じやうに、無用の贅沢品であることを、マザマザと知つた」(「災後雑感」1923.10「中央公論」)と文芸無用論と捉えられかねない発言をして物議をかもすが、芥川は、「芸術は人生の底へ一面に深い根を張つてゐるんだ。――と云ふよりも寧ろ人生は芸術の芽に満ちた苗床なんだ」(「妄問妄答」1923.11「改造」)と「主人」に語らせる。

さらに、次のようにも述べている。

「芸術は生活の過剰ださうである。成程さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。」(「大震雑記」1923.10「中央公論」)

被災してもなお、いわゆる芸術至上主義を標榜する姿勢・発言も印象的である。"

■芥川と同じく渋沢栄一の天譴論を批判する菊池寛

菊池寛は芥川と同じく、渋沢栄一などが唱えた「震災は腐敗した人間社会を懲らしめるための天罰だ」とする天譴論に対しては鋭い皮肉を放っている。

「もし、地震が渋沢栄一氏の云ふ如く天譴だと云ふのなら、やられてもいゝ人間が、いくらも生き延びてゐるではないか。渋沢さんなども、…自分の生き残つてゐることを考へて、天譴だなどゝは思へないだらう。」(「災後雑感」)

これには宮武外骨も喝采を送っている。

「虚業家渋沢栄一が天譴説を唱えたに対し、文士菊池寛が「天譴ならば栄一その人が生存するはずはない」と喝破したのは近来の痛快事であった。」(『震災画報』)

■井伏鱒二が描く菊池寛の行動

「「文藝春秋」を発行している菊池寛は、愛弟子横光利一の安否を気づかって(中略)「横光利一、無事であるか、無事なら出て来い」という意味のことを書いた旗を立てて歩いた。(中略)文壇の元締菊池寛が血相変えて、横光ヤーイの幟を立て東京の焼け残りの街を歩く」(「震災避難民」)

当の井伏は倒壊しかけた下宿から財布とカンカン帽と洗面具だけを手に、中野近くの芋畑で悠然と野宿をしたという。


つづく

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