2023年8月2日水曜日

〈100年前の世界020〉大正12(1923)年6月 中国各地の排日運動最高潮に達す 「六月四日。・・・。昨夜より今朝にかけ地震ふこと五六回なり。」(永井荷風『断腸亭日乗』)

 

永井荷風(1927(昭和2)年)

〈100年前の世界019〉大正12(1923)年5月5日~31日 北一輝「日本改造法案大綱」 早大軍事研究団事件 アイルランド内戦終結(デ・ヴァレラ提案休戦協定) 第1回ル・マン24時間耐久レース より続く

大正12(1923)年

6月

・中国各地の排日運動最高潮に達す。

・鄧小平、社会主義青年団欧州支部常任委員

・旧装甲巡洋艦「磐手」(米内光政大佐)、練習艦隊(司令官斉藤七五郎中将)編入。「浅間」「八雲」と遠洋航海に出る

・国活の巣鴨撮影所が製作を中止。

・平林初之輔「新興文壇の収穫 前田河広一郎氏「赤い馬車」を読む」(『早稲田文学』) / 「国際無産青年運動概観」(『解放』)

・市川正一「階級戦のための陣列」(「赤旗」)。

「敵の議会が吾々の陣列を切り崩すために活動する時、著し吾々が敵の議会の中まで戦線を拡張する覚悟と戦術とを持ってゐないならは、それは既に敵の策戦に一歩を譲ることを意味してゐる。そして敵の改良主義と反動政策とに味方の大衆を渡すことを意味してゐる」。

・西雅雄「議会行動と街頭行動」(「進め」)。市川同様、革命勢力も議会に進出すべしと率直に説く。

・渡辺政之輔「日本労働組合の現勢」(近藤栄蔵創刊「突破」)。労働組合の量的増大と無産階級的政治運動の必要を強調。

・職業婦人社(奥むめお)、機関誌「職業婦人」を創刊。

伊藤夏子「職業婦人の起つべき時」は、「労働婦人」とは「紡績工女」のみではなく、「女教員」「女事務員」「女医」「看護婦」「女店員」「タイピスト」など、多様に存在するとし、自らを「中流婦人」とし「女工の様な労働者ではない」という「妙な自尊心」を持つ女性を批判。

・北原白秋「水墨集」(「アルス」)

・瀧井孝作「無限抱擁」

・宇野千代(26)、短篇集「脂粉の顔」(改造社)を出版。 同月「人間の意企」、9月「お紺の上京」、11月「淡墨色の憂鬱」を中央公論に発表。


■永井荷風『断腸亭日乗』(大正12年6月、荷風45歳)

六月四日。・・・。昨夜より今朝にかけ地震ふこと五六回なり

六月五日。快晴。庭の松に毛虫多くつきたり。五月中雨多く晴たる日稀なりしがためなるべし。此日庭樹に鵯(ヒヨドリ)四五羽来て啼く。鵯は冬来りて春去るものなるに、今頃来るは気候年々甚しく不順の故ならむか歟。一昨年は蜩の蝉に先立ちて鳴きしことあり。当時の頃鴬の鳴きし事もあり。

六月六日。晴。四谷のお房来る。

六月八日。北白川宮御葬儀の當日なりとて劇場休業す。・・・。

六月十日。・・・。夜雨あり。・・・。

六月十一日。曇りて風冷なり。清元秀梅来る。・・・。

六月十三日。雨ふる。

六月十五日。・・・。梅雨の空墨を流せしが如し。・・・。

六月十七日。雨ふる。・・・。黄昏雨晴れたれば谷町を歩み、西花園にて葡萄の盆栽を購ふ。四谷に往きお房を見る。

六月十八日。雨ふる。市兵衛町二丁目丹波谷といふ窪地に中村芳五郎といふ門札を出せし家あり。圍者素人の女を世話する由兼ねてより聞きゐたれば、或人の名刺を示して案内を請ひしに、四十半ばなる品好き主婦取次に出で二階に導き、女の寫真など見せ、其れより一時間ばかりにして一人の女を連れ来れり。年は二十四五。髪はハイカラにて顔立は女優音羽兼子によく似て身体は稍小づくりなり。秋田生れの由にて言語雅馴ならず。灯ともし頃まで遊びて祝儀は拾圓なり。この女のはなしに此の家の主婦はもと仙臺の或女學校の教師なりし由。今は定る夫なく娘は女子大學に通い、男の子は早稲田の中學生なりとの事なり。

(*註 こういう怪し(妖し)げなところにも通ってるんですよ。この後も。)

六月十九日。霖雨初めて霽る。・・・。

六月二十日。雨ふる。二葉亭四迷の小説平凡を讀む。秀梅来る。

六月廿一日。・・・。午後信託会社に酒井君を訪ふ。歸途雨。虎ノ門理髪店にて空の晴るるを待ち薄暮家に歸る。

六月廿二日。風雨一過。夜に入って雲散じ月出づ。丹波谷に遊ぶ。

六月廿三日。新聞紙諸河の出水を報ず。

六月廿六日。晴れて風涼し。・・・。

六月廿七日。・・・。夕方より雨。

六月廿八日。・・・。月佳し。


・トロツキー、「資本主義の発展曲線について」を執筆し、長期波動論を唱えるとともに、コンドラチェフの「大循環」論を批判。


つづく

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