2023年8月4日金曜日

〈100年前の世界022〉大正12(1923)年6月12日~30日 中国共産党、党内合作決定 高尾平兵衛(31)射殺 

 

高尾平兵衛

〈100年前の世界021〉大正12(1923)年6月1日~9日 長沙事件 第1次共産党検挙(「暁の手入れ」) 有島武郎(46)、「婦人公論」記者波多野秋子と心中 より続く

大正12(1923)年

6月12日

・広州、中国共産党第3回全国代表者大会。党内合作正式決定、個人資格で国民党入党。国民党主導の国民革命を決議

陳独秀が大会を主宰。

共産党員が個人の資格で国民党に加入し、それによって民主的な各階級の統一戦線を作り上げ、同時に共産党が組織的にも政治的にも独立性を保つことを決定。

中央執行委員会は、陳独秀、毛沢東、羅章竜、蔡和森、譚平山の5人からなる中央局を選出し、陳独秀が委員長、毛沢東が秘書に、羅章竜が会計に任じられた。

6月12日

・5月5日の臨城事件に対する各国駐華公使からの抗議(5月7日)で外国人釈放される。臨城事件、解決。

6月13日

・黎元洪、曹錕に追われて出京、辞任。黎元洪大総統辞職。

6月13日

・徳富猪一郎(蘇峰)の学士院恩賜賞祝賀会。帝国ホテル。与謝野晶子出席。

6月14日

・イギリス、離婚法改正。夫の不貞を理由に妻は離婚可能。

6月14日

・哲学者ラファエル・フォン・ケーベル(75、ロシア人、東京帝大、東京音楽学校で教鞭をとる)、没。8月『思想』特集「ケーベル先生追悼号」刊行。

6月中旬

・天津日本人商業会議所、評議員会議を開き、中国政府に厳重抗議し、日貨排斥の取締のために圧力をかけるよう日本当局に要請。

直隷省實業庁、「各同業公会及び各公司・工場が社会秩序を第一にし、大局を邪魔してはならない」と通達。

6月16日

・ソ連、外務委員ヨッフェを日ソ交渉代表に任命の旨通告。21日 日本、川上公使を代表に任命。

6月18日

・クルド人蜂起。~1924年7月。

6月19日

・長沙事件、解決。

6月19日

・英スタンリー・ボールドウィン首相と米アンドルー・メロウ代表、戦時債務処理に関する協定に調印。

6月20日

・大蔵省、満州財界救済資金の融通を決定し公表。東洋拓殖・朝鮮銀行・大蔵省預金部から計2800万円融資。

6月24日

・高尾平兵衛率いる戦線同盟員約30人、南葛労働協会本部を襲撃、居合わせた川合義虎を殴り詫状をとる。

東京の汽車会社争議で、アナ系の機械連合派に属する関東車輌工組合と、穏健派の誠睦会との合同のもつれに端を発し、車輌工組合は誠睦会幹部2人の解雇を要求すると、逆に17名を解雇され、その復職を要求し5月28日よりスト突入。誠睦会は南葛労働協会を介し総同盟の応援を求め、幹部2名の解雇要求を撤回するなら17名の復職運動に同調すると声明を発するが、スト突入後は、同志の解雇を目的とするストには参加せずと、総同盟に加入し、出勤を続ける。この為、アナ系諸組合は、総同盟はスト破りだと悪罵し、全国で両派の論戦・衝突が起る。

6月26日

・高尾平兵衛(31)、赤化防止団長(弁護士)米村嘉一郎を襲撃し、ピストルで射殺される。7月8日、葬儀。委員長布施辰治。

5月の早稲田大学軍事研究団反対運動で、警官黙認の下に右翼の縦横倶楽部が早大文化同盟員に暴力を加えた事件は社会主義者の憤激を呼び、高尾は吉田一・長山直厚・平岩厳と図り、暴力には暴力をとの決意を固め、上杉慎吉・米村嘉-郎・高島素之ら反共指導者に暴力的制裁を加える計画を立てる。

25日夜、東大教授で経倫学盟主宰者上杉慎吉宅を訪れるが、上杉は病気を理由に面会拒絶。一行は、その夜は同志中名生幸力宅に泊り、翌朝5時半頃赤坂溜池の弁護士米村嘉一郎方に押掛ける。米村は、前年10月赤化防止団を結成、大杉・岩佐らアナキストとの立会演説会、内務省よりフィルムを借りての「赤化ロシアの惨状」を示す映画・講演会、ヨッフェ来日反対運動など、活発な行動を展開。

彼らは池貝鉄工所職工と称して面会、後退する米村について座敷に上り、書生と吉田・平岩も加わり乱闘。米村は2階に逃げこみ、ピストルで威嚇射撃。高尾は屋外に立てかけておいた仕込杖を振り回し、玄関のガラス戸を突割り、「モウコンナ判ラメ奴ノ意気地ナシヲ相手ニシテモ仕方ガナイ・・・」と言い、門外の長山と共に4人で立ち去ろうとした(平岩調書)ところ、米村は彼らを追って門外に出て、ピストルで狙い撃ち、1発は吉田の左足を、1発が40m先の高尾の後頭部に命中。高尾は芝区愛宕町の慈恵会医院で2時40分絶命(巡査風戸禎次郎復命書)。

高尾の死は無産階級陣営に衝撃を与え、彼を敬遠していたアナ・ボル両派内に、同情痛惜の声を呼び起こす。山崎今朝弥は、「社会葬」を計画、先頃高尾らに襲われた川合義虎もこれを快諾、共産党・総同盟方面を奔走して話を纏める。

7月1日、上村進弁護士邸で代表50名が打合せ、資金400円が集まる(山崎今朝弥「地震憲兵火事巡査」)。8日、青山斎場で社会葬。警視庁は、行列は青山墓地内のみに限定、一切の歌もビラも許さず、宣伝に類する弔辞を読まず、高尾を称揚する言動も行なわぬとの条件をつけ、これに背けば即時解散との方針をとり、6日夜、数万枚のビラを押収(大原社会問題研究所「日本労働年鑑」大正13年版)。

当日は警官隊400が警備、会葬者約2千。「弔旗棍棒竹槍の物凄い裡に」弁護士布施辰治の開会の辞。「生には生の意義ある活動を以て、無産階級の解放運動を強調し、死には死の意義ある感激を以て、生か死かの運動精神に洗礼を与へた、高尾君の殉難に対して、誰か満腔の敬意を惜しむものぞと考へます。・・・社会葬は不平等の横槍に階級付けられたる一切の伝統的虚礼と不自由の鉄鎖に繋がれる一切の因襲的虚偽とを排して、最も自由に、最も平等に兄弟の死の感激に浸る友情の発露を期するにあるのであります」。政治問題研究会鳴中雄三の閉式の辞で宗教的儀礼ぬきの儀式。この日大阪でも、南区蓮坂町一心寺で京阪神の社会主義者による葬送式が行なわれる。主要な社会主義者は前日来検束あるいは禁足の処分を受ける(「国民新聞」7月9日)。

有島武郎の死をも悼みつつ、「高尾氏の目的は、反動主義者の白色の威嚇に対して、無産階級運動を防衛することとであった。高尾氏がどの程度に、この目的を果たし得たかは、遽かに明言することは出来ぬ。けれども高尾氏の死によって与へられた機会は、白色のテロリズムに対抗するためには、無産階級は完全に協同の戦線を作り得ることを証明した。・・・高尾氏の社会葬は反動勢力に対する全無産階級の抗議であり、示威であった。高尾氏はその死によって、自ら予期した以上のことを成就したと云ふことができる」(山川均「社会葬と恋愛葬」(「解放」8月号))。

6月26日

・ドイツ・エストニア通商条約成立。

6月27日

・東京電燈(株)、英貨社債300万ポンドをロンドンで発行(初の電力外債)。~昭和初め、電力会社の外債依存強まる。

6月27日

・フランス、ルール占領に抗議する教皇ピウス11世の書簡、議会に届く。

6月28日

・日本の特殊銀行団、中国政府と第2次利払借款799万7,081円成立。

6月28日

・川上俊彦・ヨッフェ、日ソ非公式予備交渉開始。7月31日終結。

6月28日

・早大雄弁部主催大学擁護講演会。東京神田青年会館。大山郁夫、福田徳三、三宅雪嶺、大山郁夫の演説は来たるべき学生社会科学運動の途を明示。

6月30日

・ドイツ、ゲスラー国防相とプロイセン内相ゼーベリングの秘密協定。国防軍の不法行為防止。新聞の暴露により極右・極左双方から非難。

6月30日

・ホー・チ・ミン、密かにパリを離れペトログラード到着。

6月下旬

・荒畑寒村、モスクワ発。和田軌一郎と。1週間後チタ到着。ダリ・ビューローに出頭。京都から脱出した辻井民之助に会う。7月上旬、ウラジオストークにも数人の日本人亡命者がいると伝えられ、荒畑・和田・辻井の3人で向い、間庭末吉に出会う。間庭より、佐野学・近藤栄蔵・高津正道(のち山本懸蔵も加わる)がウラジオストーク郊外のセダンカに住むと聞き、荒畑・辻井もセダンカでの亡命生活に加わる(和田は非党員のため別行動)。~10月。

間庭末吉:大正10年ソ連入国。プロフィンテルンからウラジオに派遣され、赤色海員クラブで日本人船員への宣伝活動に従事。のち、4・16事件で逮捕。所持していた党員名簿より連累を招き、スパイの嫌疑をうけたまま獄死。


つづく

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