大正12(1923)年
5月5日
・茗渓会など東京の師範学校同窓会・帝国教育会など、師範教育改造同盟結成し運動を開始。
5月5日
・外務省、日ソ漁業問題停頓に関し声明を発表。該問題について後藤新平にソ連極東代表ヨッフェへの斡旋を依頼。
5月5日
・東大学友会改革学生大会開かれ、新人会進出、八角講堂、3千名近くの学生集まる。新人会、学生大会上で「学友会の民主化」「すべての権力を学生大衆へ」と主張。
5月5日
・ドイツ、アメリカ・ベルギー・フランス・イギリス・イタリア・日本へ賠償問題に関して提議。
5月6日
・臨城事件。山東省臨城で浦口発北京行の急行列車が匪賊に襲撃され、アメリカ人、イギリス人を含む16名の外国人が人質。
5月7日
・天津の日貨排斥運動のための罷業運動は実現できず。
五・七国恥記念日が近づくにつれ、天津での日貨排斥運動は更に高まる気運が出始めた。
5月初め、天津警察庁は「日本人の交渉」を理由に、二十一個条撤廃及び日貨排斥関係の宣伝ビラの貼付け禁止令を発す。以降、警察庁が本格的に運動の締付けに乗り出す。
5月6日、天津警察庁は団体代表会が5月7日に各店舗に一日休業させ、示威運動を起こそうと計画しているのを察知し、「各商民が罷業行為を起こせば、社会秩序の攪乱になりかねなく、禁止する」という通告を天津商会に送る。商会は止むを得ず各店に「罷業防止」の通知を出す。
5月7日、罷業阻止のため、警察庁長楊以徳が天津五区署長を集め、「商民がやろうとする罷業は公安に害するものである」として、「各商店に正常営業しなくてはいけない」と命じるよう各署員に伝える。このような厳戒態勢の中で、罷業運動は実現できなかった。
5月9日
・北一輝「日本改造法案大綱」刊行
5月9日
・文部省、常用漢字1962字を決定、発表。
5月9日
・イギリス・ソ連通商断絶。
10日、ローザンヌ会議のソ連代表ボロフスキ、殺害。
11日、モスクワ駐在英国商務官ハチスンに引上げ命令。
12日モスクワで対英デモ。夜、報告演説会。チチェーリン(外務人民委員)、トロツキー(軍事人民委員)、ブハーリン。
5月10日
・早大軍事研究団事件。この日、白川義則陸軍次官参加の早稲田大学軍事研究団発会式。建設者同盟・文化同盟の学生、反対運動。
12日、雄弁会軍研反対学生大会、衝突。
15日、軍事研究団解散。
20日、文化同盟も解散。
24日、共産党関係書類押収。
6月5日、佐野学ら研究室捜査。佐野ら亡命。
軍縮に打撃を受けた陸軍は、参謀本部が、余った兵器・将校を各学校に送り込み、教育の軍国主義化を進めようとする。参謀本部と密接な関係のある早大教授青柳篤恒は、軍馬を借りて練習する乗馬学生団が自分の指導下にあるのを利用して、これを中心に早大に軍事研究団を組織しょうとする。早大でこれが成功すれば各大学にも展開できると陸軍首脳部は期待するが、早大文化連盟・建設者同盟を先頭に、早大の学生は反対に立ち上る。10日の発会式。学生は、青柳団長の訓示や白川次官の祝辞を野次り倒す。
12日、雄弁会による軍研反対学生大会。幹事浅沼稲次郎が、軍国主義に反対し早稲田大学を軍閥宣伝の具とすることに反対する、との決議を朗読し、自由演説に移ると、相撲・柔道部員が演説中止を要求して妨害、更に縦横倶楽部の森伝ら壮士が乱入して演壇を占拠。少壮教授たちは、軍事研究団の排撃を決議し、青野季吉・小川未明・秋田雨雀ら校友も暴力を攻撃。軍事研究団は自ら解散。しかし、森伝らは警視庁と呼応して、文化同盟は赤の手先と攻撃、その解散と大山郁夫・北沢新太郎・佐野学・猪俣津南雄4教授解職を要求。文化同盟も、右翼に攻撃の口実を与えることを恐れ解散。
この事件で身辺の危険を感じた佐野学は、保管を託されている共産党関係書類を、坑夫出身の渋谷杢次郎(警視庁に買収されたスパイ)に預ける。
24日夜、警視庁は革命歌を高唱したとの理由で渋谷宅に踏み込み、米櫃の中に隠してある書類を押収。軽視庁は、秘密結社で治安警察法違反として検挙準備を進めるが、検察側の意見の違いから、6月5日「晩の手入れ」を行い、これを大々的に宣伝。
証拠をあげられたことを知った共産党中央委員会は、検挙に先んじて佐野学・近藤栄蔵・高津正道を外国に亡命させ、証拠書類を処分し、検挙後の指導部を指名するなどの対策を講じる。佐野は性格が弱く、近藤は下関事件などで信頼できない面があり、党の秘密が漏れるのを防ぐ為に亡命させたという。
5月10日
・ユーゴスラビアとギリシャ、サロニカ港自由港化に関する協約締結。
5月11日
・~12日。与謝野晶子、寛、荻野綾子と共に文化学院の写生旅行に随伴し、駿河の静浦に一泊する。
5月12日
・荒畑寒村、ポリショイ劇場でイギリスの対ソ最後通牒に関するチチェリン、ブハーリン、トロツキーらの報告演説をきく。
この月、訪ソの任務の一たる、入露後消息をたった大庭柯公の運命について、コミンテルンのヴォイチンスキーに調査を要請したが判明せず。モスクワ滞在中、ブハーリン、ラデック、ジノヴィエフ、カラハソ、ロゾウスキー、チチェリソ、リトヴィノフ、ルナチャルスキー、セマシコ、ポロヂィン、ベラ・クーソ、ウィリアム・へイウッド、アルバート・ウィリアムスらと会す。
5月14日
・この日付け内務省警保局保長の各府県長官宛て「朝鮮人労働者募集に関する件依命通牒」は、「内地経済不振の際とて彼等鮮人の多数は就職難に苦しみ、浮浪無頼の徒を生ずる傾向あるのみならず、往々にして社会運動及労働運動に参加し団体行動に出でんとする傾向あり」と朝鮮人労働者の思想的成長に強い警戒心を示す。
5月15日
・内田康哉外相が中国各地の領事宛てに訓令(「五・一五訓令」)。
「一面鎮圧取締に就いては、地方責任官憲をして励行の要を十分自覚せしめる」、「該運動が直接本邦人又は其之事業財産に対し何等暴力乃至阻害を与ふるに居たりたるときは、事の大小を問わず直ちに真相を明らかにして、(中略)責任官憲に対し厳重善後措置を要求」。
5月下旬、「五・一五訓令」に基づき公使小幡酉吉が上海総領事に各国領事に事情説明をするよう指示を出したほか、中国政府に日貨排斥運動に対する取締を強く求め、反日運動を煽る一切の公私団体の活動を禁止するよう要求。
5月15日
・神戸初の百貨店として白木屋神戸出張所が開店。日本の百貨店で初めて土足で入店できるようにする。
5月15日
・財部彪、海軍大臣に就任。
5月15日
・鈴木庫三、日本大学文学部予科入学。ここで東京帝大文学部倫理学講座教授吉田静致と出会う。
5月15日
・日本、賠償問題に関するドイツ独の新提案(5.2)に不同意回答。
5月16日
・ソ連査証官一行、ウラジオスットク発鳳山丸で日本に向けて出発。
5月20日
・北京青年国民倶楽部成立。
5月21日
・ハンブルク、第2インターナショナルと第2半インターナショナルの合同大会開催(~25日)。社会主義労働者インターナショナル成立。
5月22日
・イギリス、保守党ボナー・ロー首相、病気辞任。蔵相スタンリー・ボールドウィン(保守党)、首相に就任。1937年5月まで14年間の「ボールドウィン(保守党)・マクドナルド(労働党)時代」始まる。
5月23日
・中国と東亜興業会社間で南潯鉄道借款500万円成立。
5月23日
・ベルギーで国営航空会社サベナ創設。
5月24日
・アイルランド、内戦終結。デ・ヴァレラ提案休戦協定
5月26日
・イギリス委任統治下、トランス・ヨルダン首長国成立
5月26日
・官業組合を除く全ての組合の連合体として新しい中部労働組合連合会、成立。
普選運動に参加した名古屋の組合勢力は、東海普選断行連盟に悪法反対スローガンを掲げさせる事は出来なかったが、労働組合としての主体性を失うことなく普選運動に気勢をそえ、その上、労働組杏の組織的結集という成果を収める。
5月26日
・第1回ル・マン24時間耐久レースが開催。
5月29日
・イタリア、元ファシスト党員アルフレード・ミズーリ議員、下院でファシズム批判。夜、襲撃され重傷
5月30日
・日ソ漁業条約調印。
5月30日
・ブリヤード・モンゴル自治共和国形成。
5月31日
・直隷省長王承斌は日貨排斥に同情の態度を取っていた。
曹鋭(1918‐1922年の直隷省長)の長男曹士琦(陸軍第26師団長)はのの日河北省の曹邸に天津商会の宋則久・王卓忱2名を招待し、「愛国の為に両名等が不断の活動を続け居るの労を犒ひ且自分各運動に参加し共に尽力し度希望は有しけれども家厳(父曹鋭)の手前表面を為すこと能はざるに依り其意を諒せられ度し然れ其裏面に於いては出来得る限り物質上の援助を成す可し」と述べた。
以降、双方の連携が緊密化し、曹氏が各団体に大量な宣伝ビラを提供していた。
しかし、その後、日本からの圧力が強くなるにつれ態度は急に変わってゆく。
5月31日
・駐中国公使に芳沢謙吉を任命。
5月31日
・映画「人間苦」封切り(日活。鈴木謙作監督)。
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