2015年3月16日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(123) 「第19章 一掃された海辺-アジアを襲った「第二の津波」-」(その1) : 「(スリランカ)アルガムベイのような被災地で語られた「再建」とは、彼ら漁民の文化や生活様式を意図的に破壊し、その土地を奪うことにほかならなかった。・・・この再建プロジェクトは結果的に「犠牲者を犠牲にし、搾取されている者をさらに搾取する」ことにしかならないのだ」

江戸城(皇居)東御苑 2015-03-11
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第七部 増殖するグリーンゾーン
 - バッファーゾーンと防御壁 -
 あなた方〔アフガニスタン人〕はまさに最先端の場所から新たなスタートを切ることができるのです。これはじつに素晴らしいことです。このようなチャンスに恵まれたあなた方は特権的立場にいます。世界にはこうした社会体制を持てない国や、いまだに一〇〇年前、二〇〇年前の体制に縛られている国が数多くあるのです。最良の構想と専門知識を持って再出発できるというのは、ある意味でアフガニスタンにとって大きな強みとなるのです。
- ポール・オニール米財務長官、二〇〇二年一一月、カブール侵攻後に

第19章 一掃された海辺
- アジアを襲った「第二の津波」 - 
 巨大ブルドーザーのごとく海辺を一掃してくれた津波のおかげで、開発業音に思いがけないチャンスが訪れた。乗り遅れまいと、彼らはただちに行動に出た。
- セス・マイダンス、二〇〇五年三月一〇日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビュ-ン』紙

2005年7月、津波襲来半年後のスリランカ、アルガムベイ:海岸から追いやられる漁民の怒り
 二〇〇五年七月のある朝、日が昇る頃、私はスリランカの海岸にいた。・・・
 二〇〇四年一二月二六日に起きたスマトラ沖地震で、この海岸線一帯は大津波に襲われ、・・・ 周辺地域一帯ではおよそ二五万人の命が奪われ、二五〇万人が家を失った。"

 この旅に同行してくれたクマリはコロンボ在住の人権活動家・・・。旅はスリランカ東部にあるさびれたリゾート地の漁村アルガムベイから始まった。ここはスリランカ政府の復興チームによって「改良再建」計画のモデルケースとされた村だ。

 (しかし)アルガムベイの漁師ロジャーの口から出てきたのは、政府見解とはまったく違う話だった。政府の計画は「海辺から漁師を追い払う企て」にほかならない、と彼は言う。漁師を根こそぎ立ち退かせる案はずっと前からあったが、政府は今回の津波を - これまでの多くの惨事便乗ケースと同様に - 口実にして、住民にはまったく不評だった計画を推し進めているのだ、と。

 ・・・スリランカ東部はもっとも内戦が激しかった地域で、北部を拠点とするタミル人反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE=通称「タミル・タイガー」)と、シンハラ人を主体とするコロンボの中央政府がともに領有権を主張しながら、いずれの側もこの地域を掌握できずにいた。・・・

津波前からあったホテル業者の漁民に対する圧迫
 転機がやってきたのは二〇〇二年二月、中央政府とタミル・タイガーが停戦協定に合意したときだった。・・・道路の封鎖が解かれるやいなや、ガイドブックはスリランカ東部の海岸をプーケットに次ぐ観光地として盛んに宣伝し始める。・・・旅行ガイド『ロンリープラネット』によれば、まさに「ご機嫌なパーティースポット」というわけだった。その中心となったのがアルガムベイだ。同時に、停戦によって多くの漁民がアルガムベイをはじめとする豊かな資源に恵まれた東部海岸へと戻ってきた。

 アルガムベイは漁村区域に指定されていたが、ビーチが次第に賑わいを増すにつれて、ホテル業者から苦情が出るようになった。漁民の小屋が景観の邪魔になり、干し魚の臭いで客が離れるというのだ(・・・)。漁船や小屋を旅行者のあまり来ない場所に移動させようと、一部のホテル経営者は地元議会に対してロビー活動を開始。
対する漁民たちはこう主張した - われわれは先祖代々この土地に暮らしてきたし、アルガムベイは単に船が沖へ出て行く場所であるばかりか魚も売りさばける。水道や電気、子どもたちの通う学校もあるのだ、と。

 津波が襲う半年前のある深夜、海岸で不審火が発生して二四軒の漁師小屋が全焼したことから両者の対立は緊張を増し、一触即発状態となった。・・・
だが、・・・経営者たちの思惑どおりにはいかなかった。漁民たちはこの場所にとどまる決意をいっそう強固にし、すぐに小屋を建て直した。

津波が一切を押し流し観光産業が待ち望んだビーチが残る
 ところが津波は、火事にできなかったことをやってのけた - 海岸にあったものをことごとく一掃してしまった・・・人口四〇〇〇人ほどのこの漁村でも三五〇人の命が奪われたが、そのほとんどは・・・海で生計を立てる人々だった。ところが散乱する瓦礫や死体の下には、まさに観光産業が手に入れようと画策してきたものがあった。・・・汚れのない美しいビーチ ー いわば休暇用の”エデンの園”である。東部海岸沿いのビーチはどこも同じだった。瓦礫が片づけられれば、そこに現れるのは”パラダイス”というわけだった。

東部海岸全域に設定されたバッファーゾーン
 事態が徐々に収拾に向かい、住まいのあった海岸へ漁師たちが戻ってみると、そこには警宮が立ちふさがり、家を建て直すことはまかりならぬと申し渡した。海岸に小屋を建てることは禁止、すべての建造物は満潮線から二〇〇メートル以上内陸に建てること、それが「新しい規則」だというのだ。ほとんどの漁民はそれを受け入れる用意はあったが、家を建てようにも土地がなく、けっきょくは行き場を失ってしまう。
アルガムベイのみならず東部海岸の全域に、こうした「バッファーゾーン」(緩衝地帯」〔津波の浸水予測区域ではないが、浸水の恐れがあるとして家屋の再建が禁止される地域〕が新たに設けられた。

漁民たちは内陸部の仮説避難所へ移る
 ・・・食糧の配給とわずかばかりの援助金を受け取るため、何十万という人々が海岸から離れ、内陸部に設けられた仮設避難所へと移動した。だがそれは避難所とは名ばかりのトタン板で覆われたみすぼらしいバラックで、あまりの暑さに耐えかねて屋外で寝る者も少なくなかった。避難所は次第に不潔になり伝染病も発生し、機関銃を持ち威嚇するような目つきの兵士が巡回するようになった。

観光業、レジャー施設はバッファーゾーン・ルールの適用外
 ・・・政府は漁民たちの貴重な生活の場だった海岸線に観光ビジネスを拡大することを奨励した。リゾート施設の建設にはバッファーゾーンのルールは適用されず、「改修」という名目で申請すればどんな仰々しい建物でも、どんなに海に近くても許可された。こうしてアルガムベイの海岸線では建設労働者が忙しく作業するようになる。・・・

「アルガムベイ資源開発計画」
 ・・・漁師たちは海からの恵みで十分に家族を養っていけたが、それは世界銀行など国際機関の基準から見た経済成長にはつながらない。海岸にはもっと収益の出る利用法があるはずだ、というのが政府の見解だった。・・・「アルガムベイ資源開発計画」と題する政府資料がマスコミにリークされ、漁民がもっとも恐れていた事態が裏づけられた・・・。

 この計画書は、スリランカ政府からアルガムベイ再建計画の立案を委託された海外のコンサルタント・グループが提出したものだった。津波の被害を受けたのは海岸に面した建造物だけで、町の大部分は無傷だったにもかかわらず、この計画ではアルガムベイの町を全面的に取り壊して再建することを提案していた。ヒッピーの集まる海辺の町から、七つ星ホテルや一泊三〇〇ドルもする豪華なエコツーリズム・コテージが立ち並び、水上飛行機用の桟橋やヘリポートまでそろった「高級ツーリストスポット」に変貌させようというのだ。さらに計画書は、アルガムベイをモデルにして周辺地域に三〇ヵ所近くの「観光ゾーン」の開発を進めれば、内戦で疲弊したスリランカ東海岸を南アジアのリヴィエラに変えることができると力説している。

 この青写真からすっぽり抜け落ちていたのが津波の被災者、すなわち海辺で生計を立てていた何百もの漁師の家族だった。・・・さらにひどいことに、この再開発プロジェクトの費用八〇〇〇万ドルは津波被災者のために寄せられた義援金を使うというのである。

 アルガムベイのような被災地で語られた「再建」とは、彼ら漁民の文化や生活様式を意図的に破壊し、その土地を奪うことにほかならなかった。・・・この再建プロジェクトは結果的に「犠牲者を犠牲にし、搾取されている者をさらに搾取する」ことにしかならないのだ。

 私(ナオミ・クライン)はコロンボでスリランカ観光局のシーニヴァサガン・カライセルヴァン局長と面会したが、この中年の官僚は事あるごとにスリランカには数百万ドルの利益を生む「ブランド」としての価値があることを強調したがった。

 ・・・「これまで海岸線一帯には無許可の建造物がたくさんありましてね。(中略)それは観光計画に沿って建てられたものじゃない。ですが、津波が観光産業に味方をしてくれました。無許可の建造物のほとんどが津波で壊され、海岸から姿を消したからです」。もし漁民が戻ってきて小屋を建てたら、「また撤去しなければならなくなる。(中略)ビーチには何も建てさせるわけにはいかないんです」と彼は言った。
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