2026年5月16日土曜日

〈鉄道局長が謝罪しているところをわざわざメディアに取らせる日本維新の会〉 → 国交省の鉄道局長が涙の謝罪 小浜・京都ルート「自ずから決まっている」発言を撤回 維新が与党PTへの“参加とりやめ”ちらつかせ猛反発(FNN) / 国交省鉄道局長、維新に謝罪 - 北陸新幹線で「軽視」発言(共同) / 

 


 北陸新幹線局長、維新に涙謝罪でパワハラ批判広がる

北陸新幹線敦賀―新大阪延伸ルートの再検討が進む中、五十嵐局長が5月11日の集会で「与党PTの結論は自ずから決まっている」と発言し、日本維新の会を刺激しました。

維新側が撤回を求めると、局長は14日に涙ながらに陳謝し発言を取り下げ、国交次官から厳重注意を受けました。

与党PTは費用対効果と地元意見を踏まえ、今国会中にルートを1つに絞り2027年度着工を目指しますが、Xでは公開謝罪を「パワハラ」との声が上がっています。


京都散歩 「茨木のり子のことば展」 「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」 革堂行願寺 下御霊神社 2026-05-10

 5月10日(日)晴れ

京都に着いた当日の午後、御所南(竹屋町通御幸町西入ル)で開催中の「茨木のり子のことば展」に行ってきた。

創作ノート、鉛筆、眼鏡、手帳(「石垣さん誕生日」など記入)、お気に入りの服(イッセイミヤケデザイン)などが展示されている。

しばし、カッコイイ茨木のり子ワールドに浸った。

晴れた日曜日の午後ということもあるのか、家族連れで来られている方が多く、意外?だった。









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▼ギャラリーの近く、竹屋町通りを東に行くと、寺町通に革堂行願寺と下御霊神社。

革堂(こうどう)は、室町時代には一条にあり、町衆自治の要となっていた。
天文法華一揆の際には、鐘が打ち鳴らされ町衆の武装自治準備の合図となったという。

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▼下御霊神社(祭礼期間中)

ここの湧き水は有名で、自由に汲んで持ち帰ることができる。勿論、量は制限されているが。

▼丸太町通り越しに京都御所


首相動静 〈午後7時30分、トランプ米大統領と電話会談開始、同45分終了〉 「通訳入りなので実質7分。 米中が二日間に話した中身をまとめるのは無理だし「経済、安全保障など諸課題を中心に意見交換」は盛りすぎか。要約すれば「日本のこと何か言ってました?」「特になかったよ」では。」(冨永格) / 「米国に頼っていれば大丈夫という高市政権が現実を見る事を願う。」(田中均) / 「見捨てないで、とただ泣きつくだけじゃなくで、台湾有事発言を撤回し、自分で中国とまともな外交関係を回復しなさい」(平野啓一郎)

2026年5月15日金曜日

2カ月で約20ポイント減 高市内閣の支持率「けん引役」の異変(毎日 有料記事)

 

本当にこの国は大丈夫か。原油備蓄はある、ナフタも確保されていると強弁するが、円は弱く、物価上昇は生活を直撃する。パニックを抑えようとの政府の意図は理解できても、政府を人々が信頼しているとは思えぬ。改憲などには必死になっても戦争を止める事や、円安是正にはあまりに無策だ。(田中均) 

 


鈴木農水相「相談なし」発言で企業現場との認識ずれ鮮明に

ナフサ不足でプラスチックやインク原料が品薄となり、カルビーはポテトチップスなどを白黒パッケージに変更、カゴメはケチャップの絵柄を削減するなど食品企業が苦肉の策を取っている。

鈴木農水相は「インクは平時並みで食料供給に問題なし」と強調したが、企業側は相談を控えているとの指摘が多く、X上で批判が相次いだ。

政府は備蓄放出や流通支援を進めるが、帝国データバンクの試算では4.7万社に影響の恐れがあり、認識ギャップの解消が求められている。

 

京都伏見 伏見十石舟と酒蔵の街 「黄桜カッパカントリー」で食事 2026-05-11

 5月11日(月)晴れ

学生時代の友人知人と年一回会う会が京都・伏見であり、出かけてきた。

昨年は日帰りだったが、今年はほぼ一週間京都に滞在した。

この日は、伏見の黄桜(酒造)の施設で食事後、「伏見十石舟」で遊ぶという趣向だった。

▼伏見十石舟

桜の季節は、桜のアーチの下を進むという感じでスゴクいいと思うが、今頃の新緑のシーズンは爽快さが味わえて、それはそれでまた別の良さがあると思う。

舟が小型なので、水面を間近に感じる臨場感もある。



▼酒蔵の街





▼食事は「黄桜カッパカントリー」で

生酒が美味しい!






▼近鉄の駅前に大きなアーケード商店街



▼竜馬通り


昭和100年式典の対応「政府の申し出に基づく」 宮内庁長官が説明(朝日); つまり、高市早苗が天皇にしゃべらせるな、と指示したのか! / 昭和100年記念式典〈天皇皇后両陛下をお飾りにして昭和(戦後)歌謡ではしゃぐ総理メインの茶番〉 高市早苗からの招待状には「謹啓」から始まる招待の文言が続き、最後を「敬具」で締めくくっている。拝啓-敬具、謹啓-謹白の組み合わせで使用する用語を裏方の官僚たちがわかっていない。ことあるごとに「日本の伝統」を強調する自称保守派の言語感覚などこの程度。 / 高市早苗にとってはライブ会場かカラオケスナックみたい / 曲目は戦後の曲でしかも高市早苗の生れた後の曲ばかり、つまり「サナエの青春」 / 「政府側からの要望で陛下の御言葉は式次第に入れていない」 / 「戦争の偽装者」(言い間違い) / 天皇の感想はコチラ → 両陛下「深い反省と平和守る努力大切」 昭和100年式典で感想(毎日)  

2026年5月14日木曜日

改憲理由見当たらず、私たちから問題提起を 青井未帆さんに聞く(神奈川新聞); 学習院大の青井未帆教授に聞きました。高市政権が改憲に前のめりになる中、青井さんは「改憲が必要と全く思わない」「法律を作る場合、立法事実があり、その目的のために規制を作る。憲法も同じはずだが、改憲を支える事実が何なのかが提示されていない」と指摘しました。

大杉栄とその時代年表(821) 1909(明治42)年1月19日~22日 「一月二十一日 木曜 細雨 温 起きると妹光子からハガキ。去る十二日付にて地方伝道会社生徒なる許可あり、月八円づつ貰ふことになつたと。そして三月末に名古屋の伝道学校へゆくとの事。」(啄木日記)

 

啄木の妹(三浦)光子の家族



1909(明治42)年

1月19日

水原茂、誕生。

1月19日

初世梅若実(82)、没。観世流シテ方。

1月19日

カリフォルニア州下院、外国人土地所有禁止の排日法案通過。大統領、直ちに撤回勧告。

21日、撤回。

1月20日

山野愛子、東京に誕生。

1月20日

三宅雪嶺、『宇宙』。

1月20日

(漱石)

「(一月二十日(水)、『東京朝日新聞』に「文藝欄」開設される。明治四十四年十月十二日(木)まで。)

一月二十一日(木)・木曜会。西村誠三郎(濤蔭)・小宮豊隆・松根東洋城来る。小宮豊隆泊る。

一月二十四日(日)、筆、小宮豊隆の下宿に遊びに行き、錦輝館に活動写真を観に連れて行って貰う。

一月二十五日(月)、小宮豊隆、東京朝日新聞社に月給を取りに行く。」(荒正人、前掲書)

1月20日

「一月二十日 水曜 曇雨 温

七時頃二畳の室で目さめた。昨夜の話が朧ろ気に思出されて、異様な感じが起つた。罰金、三度で六円、換刑――つとめにゆく――不幸、荒める生活、放恣、底をはだけた悲哀……

八時半に帰つた。

終日、集つただけの第二号原稿を整理した。

日くれて平野君が来た。雨がふり出した。かへる時五十銭おいて行つた。明日本をかりて典ずる約束。

金田一君は遠からず三省堂の方をよして、大学国文研究室助手(二十円)になるといふ。二月になつたら此下宿から引こすと言つてゐた。

(略)


一月二十一日 木曜 細雨 温

起きると妹光子からハガキ。去る十二日付にて地方伝道会社生徒なる許可あり、月八円づつ貰ふことになつたと。そして三月末に名古屋の伝道学校へゆくとの事。

・・・・・予は三秀舎へ行つて第二号の初め六十四頁分の原稿をおいて来た。・・・・・

(略)

それから平野君をとふた。セツセと海外消息をかいてゐた。餅をくひ、洋画八冊、(ダヌンチオの小説ヰクチム、トライアンフオブデス、とモ一つ、マアテルリンクのダブルガーデン。ツルゲーネフのドリームテールス、メリメの英語短篇集。テニソン詩集。ダンテの神曲。)をかりて菊坂の質屋松坂屋にゆき四円かりた。そして袷と羽織をうけ、ズボン下をかひ、一円二十何銭あまつた。質屋の店で英語を教へたなんか振つてる。

(略)」(啄木日記)

1月20日

駐ロシア落合代理大使三重丸事件の損害賠償要求。1911.6.23 解決。

1月21日

カリフォルニア州下院で通過(9日)した外国人の土地所有を禁止する排日法案、撤回。

1月22日

幸徳秋水の妻の姉、松本須賀子への手紙。妻千代子は夫の活動に不安を覚え、前年(1908年)末から別居状態となっていた。1909年正月、千代子は久しぶりに高知県中村町から東京の夫の元へ戻ることになるが、途中、名古屋に住む姉のもとに立ち寄っている(姉の夫安蔵は名古屋の判事)。こののち1909年3月、2人は協議離婚し、その2年後、大逆事件により秋水は処刑される。

 

御手紙拝見致しました/千代の容態は左程御心配なさる/程ではありませんが兎に角御/言葉に従ひ五六日中に御地に遣/すことに致しますから宜敷/御世話を願ひ上ます/猶先日来の御話に付ては手紙/では何分意思が疎通し兼ね/ますから千代到着の節同人/より詳細親しく御聞取を願/ひます/千代出立の後は小生も一両月旅行/保養の上、又雑誌なり出して/飯食ふ方法と例の運動に取掛り/たいと存じます/乍末御兄上様へ宜敷御伝声を祈る/廿二日 秋水/ 御姉上様

1月22日

内山愚堂の福田英子宛手紙。

寺を出て1ヵ月以上神奈川県下農村を行脚。檀家のひんしゅくを買う。心の入れ替えを願って永平寺の夏安居の前安居4月15日結制、7月15日解制に出ることで決着。

1月22日

「一月二十二日 金曜 晴 温

今朝寝たのを、九時頃に平出から電話でおこされた。・・・・・

(略)

終日客になやまされて、頭がつかれてゐた。(足跡)をかかうと思つたが、一時頃まで原稿の整理をして、寝て了つた。

(略)


一月二十三日 土曜 晴 寒

十一時起床。朝飯もくはずに俥で三秀舎へゆき、原稿を渡し、伊上へ行つて写真版をたのみ、平出宅へ入つて、それから岡本病院に平出君を訪ねた。そして昴の事相談。

諸方へやる交換広告の原稿をかいて出した。平野が来た。

(足跡)夜十時頃から書きなほして稿をつぎ就眠午前四時

(略)


一月二十四日 日曜 曇

(略)

夜になつて太田が来た。手紙が来た。そこへ第一回の校正刷が来た。

二人は十時すぎて帰つて行つた。

(足跡)をかいて午前五時、電燈のきえるまで

(略)


一月二十五日 月曜 雨

十二時におきて(足跡)の稿をつぐ。

車夫をして原稿を三秀舎に送つた。

平野が来た。校正が来た。平野のもつて来た餅をやいてくふ。湯に入る。

終日終夜筆をとつて、就寝午前五時電燈のきえた時

(略)


一月二十六日 晴 温

(略)

目をさますと校正が来てゐた。平野が来、太田が来た。二人は校正してかへつて行つた。予は二人にかまはず(足跡)をかいた。

午後五時、(足跡)その一(今度の号へ出す分)脱稿。(足跡)は予の長篇――新らしい気持を以てかいた処女作だ。予はこれに出来るだけ事実をかいた。

作家の苦痛。

袷を典じて原稿紙をかつて来た。

足跡をなほして暁まで

(略)


一月二十七日 水曜

(略)

それから伊上へよつて三秀舎にゆき、(足跡)の原稿わたす。平野がゐた。一寸校正して、二時間許で帰つた。・・・・・

二時頃またゆくと間島君が来てすけてゐた。二人でやつてるとやがて平野が来た。・・・・・

この晩も暁まで広告をつくつたりなんかして起きてゐた


一月二十八日 木曜 晴 温

朝に平出によつて広告の原稿やる。

それから三秀舎へ行つて終日、――夜午前二時まで校正。やりながら(一隅より、――正月の小説界)をかいたが、頁がよけいになるので掲げられなかつた。間島君も来た。

(略)

家にかへるとモウ三時頃であつた。金田一君に祖母さんが死んだといふ電報が来て明日発つといふので、行つて起して一寸逢つた。そしてスツカリつかれて寝た。


一月二十九日 金曜 曇 風 寒

十時頃におきると吉井がフラリと来た。今は伯父と喧嘩して家をとび出して弓町の下宿にゐるといふ。一しよに三秀舎に行くと平野の奴また来てゐた。十二時全部校了。予は一人(吉井に切符をくれて)平出の宅へゆくと、やがて与謝野氏が来た。共に平出君を病院にとふ。雑誌が明晩出るといつたらおどろいてゐた。

(略)

それから与謝野氏が今度引越す駿河台東紅梅町二の家へ一しよに行つてみて、昌平橋でわかれた。予も早く家をもちたかつた。

数日前のつかれで、帰つたのが三時、すぐ床をしかせて寝ようとしてると太田君が来た。夕方までいろいろおもしろく小説の話をして、一円おいていつてくれた。

それからすぐ寝た。

(略)」(啄木日記)

1月22日

ミャンマ、国連事務総長になるウ・タン、誕生。


つづく

2026年5月13日水曜日

米紙が報じる「高市の憲法9条改正への挑戦」 改憲反対デモの叫びは届くか(クーリエ・ジャポン); 日本の平和憲法がいま岐路に立っていると、米紙「ワシントン・ポスト」が報じている。9条改正へ本格的に動きだした高市首相の思惑、拡大する改憲反対デモを取材。「日本でこれほど抗議運動が高まるのは異例だ」と伝える。 / 反戦デモが日本を揺るがす、首相が強力な防衛を推進(BBC)