2026年3月28日土曜日

自宅近くをサクラ散歩 2026-03-28

 3月28日(土)晴れ

晴れて暖かい。

お昼頃、自宅近くの桜のポイントをざっと歩いてきた。

平均的にはソメイヨシノは三分咲きかた五分咲きくらいかな。

比較的よく咲いているところは、こんな↓感じ、、、

▼某巨大団地の中庭

これでもまだ全体的には60%くらいの感じ




▼センダイシダレ

▼八重枝垂れ桜

▼街中のソメイヨシノ


▼某マンションの前庭のソメイヨシノ

▼八重枝垂れ桜

▼大島桜

大杉栄とその時代年表(792) 1908(明治41)年7月10日~16日 二葉亭四迷、ペテルブルク到着。「最初の予定と違い、大連やハルビンに逗留し、モスコウにも三日居たから、旅費が非常に嵩(かさ)んでしまった。未だ細かな勘定はしていないが、残りの高より推すと余り掛り過ぎたようだから、いくら約束で実際に掛っただけを社で出す筈とはいえ、ちょっといいにくい感があって、当惑している。しかし今更いかんともしがたい。有の儘に事情をいってやるつもりだ」(二葉亭の7月17日付妻・柳子宛手紙)

 


大杉栄とその時代年表(791) 1908(明治41)年7月4日~9日 「金田一君と語つた。明治新思潮の流れといふ事に就いて、矢張時代の自覚の根源は高山樗牛の自覚にあつたと語つた。先覚者、その先覚者は然しまだ確たるものを攫まなかつた。……自分自身の心的閲歴に徴しても明らかである。樗牛に目をさまして、戦つて、敗れて、考へて、泣いて、結果は今の自然主義(広い意味に於ける)!」(啄木日記) より続く

1908(明治41)年

7月10日

与謝野晶子(30)歌集「常夏」(大倉書店)刊行

7月10日

ヘイケ・カメルリング・オネス(オランダの物理学者)、初のヘリウムの液化に成功

7月11日

『読売新聞』、「昨今夜の日比谷公園、堕落男女の野合場と化す。毎夜密行巡査十数人、醜行取締りに出動」と報ずる。

7月11日

慶應義塾大学野球部、ハワイに初遠征

7月12日

スラヴ会議開催。~17日、プラハ。

7月13日

第4回五輪、ロンドン、初の水泳競技。

7月14日

第2次桂太郎内閣成立。反動官僚軍閥内閣。桂蔵相兼任。

外相寺内正毅(臨時兼任)、内相平田東助(男爵、枢密院書記官長・法制局長官を歴任)、蔵相桂太郎(兼任)、陸相寺内正毅、海相齋藤實、法相岡部長職(子爵、実権は民刑局長兼大審院次席検事平沼騏一郎が掌握)、文相小松原英太郎、農商務相大浦兼武、逓信相後藤新平、内閣書記官長柴田家門、法制局長官安廣伴一郎。

政権授受において、天皇は桂で良いか、と元老たちの了解を取るが、元老会議は開かれず。元老の力は衰えていた。第2次桂内閣では、山県系官僚閥内で山県に準じる権力を持つようになった桂が独自性をかなり発揮するようになる。

復帰した内務省警保局長有松英義(内相平田東助の右腕)、個人的意見を発表。労働者にたいする社会政策と、学校教育による社会主義排斥と在郷軍人団の利用による国家思想の注入。社会主義は研究のみ認め、雑誌、新聞、演説は許可せず、ストライキは行政警察権で取締る。

7月14日

横浜市の糞尿汲取運搬人102人、請負人に対し賃上げを要求し同盟罷業(不貫徹)。

7月14日

午前10時、大審院で電車賃値上反対騒擾事件の上告審公判が開かれる。

17日、判決。上告棄却。西川光二郎が重禁錮2年。大杉栄、岡千代彦、山口孤剣、吉川守圀、樋口伝、松永敏太郎、増山伝吉は重禁錮1年6ヶ月。

7月中旬

幸徳秋水、クロポトキン「パンの略取」翻訳完成。中村

7月15日

「高原文学」創刊。編集兼発行人新村忠雄(21)。善光寺僧侶など同人。

7月15日

大蔵省、専売局現業員共済組合規則公布。

7月15日

尼港にて三重丸船員、ロシア護送兵と争闘、軍事裁判にて6名死刑を宣告。

7月15日

(露暦7月2日)二葉亭四迷、ペテルブルク到着。東京朝日新聞特派員。滞在中に結核を患い、明治42年9月、帰国途上で没。

二葉亭は、イギリス・ホテル(オテル・ダングルテール)に投宿。

ぺテルブルグの街区はほとんど3層~5層の高層建築で、ところどころに彼の目には「雲に入る程」と映る塔がそびえ、東京とはまるで違った面貌を呈している。

7月17日付、妻柳子への出発以来15通めの手紙に、「これから思うと銀座通りなどは見られたものにあらず、西洋人が日本をみくびるのも仕方なし」と書いた。7月16日、娘のせつ子にはじめて出した絵葉書には、「将来一家の主婦たる者は、或はかかる處に来る事もあるべし。よくこの絵葉書を見てよく考えて見るべし」と書いた。

しかし、彼は、「先進国」たるヨーロッパ・ロシア、なかんずくぺテルブルグの物価高には苦しんだ。イギリス・ホテルは1泊日本円にして5円、そのほかに食事代として1日5円くらいはかかる、と二葉亭は柳子にぼやいているが、7月17日にチェックアウトするとき計82ルーブリ30コペイカ支払ったから、その経費は1日あたり日本円で40円余におよんだ。

この日、持金をチェックしてみると、英ポンド建ての巡廻手形にした千円分を除けば、現金の残りは79ルーブリしかなかった。二葉亭が朝日の会計から受け取った1,850円(これは啄木が踏み倒した生涯の借金の総額と偶然一致する)のうち、100ポンドの小切手にした985円を差引いて、865円をルーブリに直したのだから、その額は828ルーブリである。ということは、二葉亭は東京での出発準備金と東京、神戸、大連、ハルビン、モスクワを経てぺテルブルグに達する旅費として、だいたい749ルーブリ、1円は0.96ルーブリなので、彼の月給の8ヵ月分、780円をこのひと月で消費した計算になる。


「最初の予定と違い、大連やハルビンに逗留し、モスコウにも三日居たから、旅費が非常に嵩(かさ)んでしまった。未だ細かな勘定はしていないが、残りの高より推すと余り掛り過ぎたようだから、いくら約束で実際に掛っただけを社で出す筈とはいえ、ちょっといいにくい感があって、当惑している。しかし今更いかんともしがたい。有の儘に事情をいってやるつもりだ」(7月17日付柳子宛書簡)


さんざん苦労して探した末、7月17日、シベリア・スタブリヤルイニ街の下宿に移る。月40ルーブリ、食事は夕食1回につき60コペイカという約束。食事の量が多いから朝はパンと茶と缶詰くらいで簡単に済ませ、夕食だけを頼んで1日2食にすれば食費は月にせいぜい20ルーブリ余、他にこの国では避けがたい下宿の門番、メイド、給仕、ボーイへの心づけが10ルーブリくらい、あわせて70ルーブリほどで暮らせるだろうと二葉亭は踏んだ。これは基本的生活費で、噂好品は含まれず交際費や活動費も勘定外である。

下宿は2方向に窓がある10畳くらいの広さのひと間で、片隅に屏風でかこった寝台があり、その屏風の陰に洗面台もあった。机、椅子、長椅子、大きな姿見が備えつけであった。東京でこの広さ、1日2食つきの下宿でせいぜい20円くらいだろうから、ぺテルブルグの物価は東京の3倍はゆうにあり、「それほど倹約せねばとてもやりきれ申さず」と二葉亭が嘆くのも当然だった。

二葉亭は、下宿に移ってからは、旅疲れと、慣れぬ外国暮らしのせいで、不眠症に悩まされはじめた。ひと晩中起きていて朝になってようやく床につく。午後2時から4時のあいだに起き出して、朝食として柳子に送ってもらい、税を払って受け取ったお茶を飲む。お茶に飽きるとココアにかえ、やがてコーヒーをたしなむようになった。晩の6時頃が昼食である。二葉亭は肉を嫌い、野菜を好んだ。ことに大根おろしをかけたタマゴ焼きとなまの胡瓜が好物だったという。

体調を徐々に崩しながらも、律義な二葉亭は仕事上の義務を果たそうとしつづけた。打電送稿控を見ると、明治41年10月には13本、計817語、11月には17本、計1,319語を送稿している。

原稿は全て日本文をローマ字に直して電報を打つ。1語11コペイカと推定すると、10月の打電費用は約90ルーブリ、11月は約145ルーブリである。12月には、深夜に500語という長大な電報を打ちに出掛けたこともあった。


「昨夜三時頃、ソリに乗って雪中を中央電信局へ駈けつけ、議会に於ける外務大臣の演説を五百語程打った。余り疲労した為昨夜は熟睡出来なかったが、しかしもう病気は大丈夫だ。今日の日曜は一日遊ぶ」 (12月27日朝8時付書簡、柳子宛)


国際情勢に鋭い観察眼を養った二葉亭だから、5年半後に起こる第一次世界大戦をすでに予見したごとくバルカン半島関係の情報収集に力を入れていて、その面目躍如である。

しかし、トルストイ80歳の祝賀会のようすから政府内部権力闘争の激化を予測した、「ストルイピンが敢て此文豪の寿を祝するを非とせず、唯之に托し政治的示威運動を為すを非とせるは、暗に教務院の措置を非難せる観あり、政府部内に激流の暗闘、刻々と急調を帯び来る如し」という9月10日ハルビン経由で打電した電報は、ようやく9月15日、東京朝日に掲載され、「ハルビン電報として非常の延着」と覚え帖に不満げな注記がある。二葉亭の電報はしばしばロンドン・タイムズ電に先を越され、池辺三山の懐旧によれば記事としてはあまり役に立たなかった。

二葉亭の不眠症はますますひどくなり、眠ろうと思うともう明るくなる。コニャックかウオッカをひっかけて、その勢いで眠るのだが、2時間もして酔いがさめるともう目がひらく。それ以後はいくら飲んでも駄目だ。3、4日こんな夜がつづいたあとのひと晩はぐっすり眠るのだが、つぎの日からまた眠れなくなって、おなじことを繰り返すばかりである。やがて、ネフスキー通りで卒倒しかけること4、5度におよぶほど体力の消耗ぶりが目立ってきた。大使館員たちも医者も帰国を勧める。自分でもいっそ辞職して帰ろうかと思ったが、せっかく「一万露里も踏み出して来て」「オメオメ帰れるものか」と思い直し、「一生懸命養生した」と二葉亭の明治42年1月4日付、渋川玄耳宛の手紙にはある。

7月16日

「七月十六日(木)、松根東洋城・小宮豊隆来る。小宮豊隆泊る。洋服できたので、小宮豊隆に着せてみる。

七月十七日(金)、小宮豊隆泊る。中村蓊(古峡)宛手紙に、『東京朝日新聞』に掲載を希望している『回想』について心配りをする。

七月十八日(土)、小宮豊隆に第一銀行へ行って貰い、三千六百五十円を犬塚に渡す。第一銀行本店(推定) (京橋区兜町一番地、現・中央区日本橋兜町一丁目一番) の株を五十株貰って貰いたいとのことである。(「小宮豊隆覚え書」)午後、鏡は小宮豊隆に大学病院に連れていって貰う。夜、鏡とエイは小宮豊隆に、本郷座(本郷区春木町一丁目九番地)の活動写真に連れていって貰う。

七月十九日(日)、朝、小宮豊隆来る。「リウセイ」(不詳)を買って来る。」(荒正人、前掲書)


つづく


イランのハッカー集団「ハンダラ・ハックチーム」の声明文: 「米国が誇るセキュリティ神話の崩壊。FBI がわれわれのドメインを差し押さえ、メンバーの首に1,000万ドルの懸賞金をかけると発表したことへの回答として、FBI 長官カシュ・パテルの個人情報や機密情報、メールなどがダウンロード可能に」、、、、、

2026年3月27日金曜日

トランプ大統領は本日「イランがアメリカへのプレゼントとして10 隻の石油タンカーのホルムズ海峡通過を許した。イランが本気で交渉に臨んでいる証拠」と主張。 ですが、ブルームバーグは「タンカー追跡データで確認できない」、フォーチュン誌にいたっては「プレゼント」自体を虚偽として疑問視。

日米首脳会談で高市首相の「抱きつき」「絶叫」「嘲笑」は世界にどう見られたのか “ミスター外務省”が語る「最も国益を損ねた」行為とは?(田中均 AERA) /  「失脚が世界の平和に」日本も懸念、支持率低下のトランプ大統領を“支持した”高市早苗首相のピンチ(週刊女性) / 高市早苗首相は日米首脳会談に遅刻していた…「成功した」「120点」評価も、会談で起きていた「喜べない事態」《新聞・テレビが報じない高市&トランプ会談の裏側》(週刊文春 有料) / 理由を知ってゾッとする…「踊る高市総理」をトランプ政権が晒した本当の狙い(ダイヤモンド)   

日本は「数年以内に支出均衡を」 - 諮問会議で米著名学者指摘(共同) / 海外の大物経済学者を呼んだら「積極財政」批判で高市首相のメンツ丸つぶれ|池田信夫note / 諮問会議にハーバード大教授ら参加、日本の財政政策に意見(ロイター) / 海外識者、高市政権の積極財政に注文 諮問会議で「PB黒字視野」提言(日経) / 高市政権、海外著名学者招き日本の積極財政を議論-責任ある姿勢発信(Bloomberg) 

 

横浜サクラ散歩 山下公園の枝垂桜、大島桜(?)、横浜緋桜、花壇(きれい) 横浜海岸教会の桜 横浜公園の横浜緋桜、チューリップ(一部は見応えあり) 2026-03-27

 3月27日(金)晴れ

▼横浜、山下公園の枝垂桜、もう既にピーク越え。






▼大島桜か? 元気に咲いている


▼横浜緋桜(まだ蕾も多い)と周辺の花壇(きれい!)


▼横浜海岸教会の桜が満開

▼横浜公園(横浜スタジアム)の横浜緋桜

時期をずらせて植えられているので、かなりの期間楽しめる


▼予想外にチューリップが一部、見応えあるレベルに育っている





大杉栄とその時代年表(791) 1908(明治41)年7月4日~9日 「金田一君と語つた。明治新思潮の流れといふ事に就いて、矢張時代の自覚の根源は高山樗牛の自覚にあつたと語つた。先覚者、その先覚者は然しまだ確たるものを攫まなかつた。……自分自身の心的閲歴に徴しても明らかである。樗牛に目をさまして、戦つて、敗れて、考へて、泣いて、結果は今の自然主義(広い意味に於ける)!」(啄木日記)

 

大杉栄とその時代年表(790) 1908(明治41)年7月1日~3日 「七月二日 (略)もう十二時ですと女中に云はれて起きた。今日も雨、イヤな日。宿の人を呼んで、下宿料待つて貰ふことに談判調ふ。三時頃出掛けて、昨日来た五円を郵便局で受取つて、“趣味”の七月号、辞林、英和辞書、“Favourite poems”を買つて来た。紋付の羽織を質屋から受けて来た。(略)金の多少ある晩は、何となく気が暢然してゐる。」(啄木日記) より続く

1908(明治41)年

7月4日

第1次西園寺内閣総辞職。社会主義取締緩慢との元老山県の批判。寺内陸相辞任強制工作など。

西園寺は、鉄道建設要求などの地方利益誘導に動き始めた政友会に愛着を感じられなくなり、桂や元老らの支持がなくなったこと、病気の問題があり、日露戦争後の一仕事を終えた今が、辞め時と判断。

原は、「西園寺の病気も事実なれども、同人は意思案外強固ならず、且つ注意粗にして往々誤あり」と、西園寺の性格や政治家としての資質を批判。また、この倒閣を、「山県の内奏を始め種々の姦計」、「山県系の陰険手段」等、山県や山県系官僚閥の陰謀によるとみる(「原敬日記」7月2、7日)


〈倒閣の策謀と内閣総辞職(古屋哲夫『日本内閣史録』より)〉

絶対多数の与党政友会に対して、元老勢力の中の反政府的な動きが露骨になってきた。まず問題となったのは財政問題。明治41年度予算成立後も不況は回復せず、予算の実行にさえ困難となっていた。元老井上馨は「松方と連名で西園寺首相始め閣員を内田山邸に呼集め、寧ろ弾劾に近い詰問を為した」(井上馨侯伝記編纂会編「世外井上公伝」)。

原内相は「井上が財政云々をなすは例の消極論を桂等利用して早く政権に有つかんが為めなり」とし背後の桂の倒閣への動きを感じとっていた。しかし、これは「桂が山県、松方、井上を利用し て財政上の困難によりて内閣を譲り受けんとの野心を生じたるものなれども、少くとも此冬の議会を過ぎざれば内閣を譲り渡すべき理由なし」(「原敬日記」)というのが原の基本的態度であった。

問題が財政のみであれば、まだ原のねばりが奏功する余地があったかもしれないが、そのうえに社会主義取締り問題がもち出されるにいたって、ついに西園寺内閣も退陣を余儀なくされた。

6月23日、徳大寺侍従長より社会主義者取締りについて説明を求められていた原内相は、この日参内して徳大寺からこのことが、山県有朋の上奏に起因していることを知らされた。徳大寺によれば「山県が陛下に社会党取締の不完全なる事を上奏せしに因り、陛下に於せられても御心配あり、何とか特別に厳重なる取締もありたきものなりとの思召もありたり」とのことで、原は「山県の陰険なる事今更驚くにも足らざれども、畢竟現内閣を動かさんと欲して成功せざるに煩悶し此手段に出たるならん」(「原敬日記」)と評している。

 このときの上奏の内容は明らかでないが、山県のこの内閣への不満は在米日本人社会主義者の過激化とともに急速に増大してきていた。

明治39年12月、日本人グループが発刊した雑誌『革命』がサンフランシスコを騒がせ、更にこのグループは40年11月3日の天長節(明治天皇の誕生日)に「暗殺主義第一巻第一号、日本皇帝睦仁君ニ与フ」と題するパンフレットをつくり、サンフランシスコ日本領事館の壁に貼り付けるという挙に出た。彼等はその実行に何の準備も持たなかったが、このパンフレットは「睦仁君足下、憐レナル睦仁君足下、足下ノ命ヤ旦タニ迫マレリ、爆裂弾ハ足下ノ周囲ニアリテ将ニ破裂セソトシツヽアリ」と天皇暗殺を宣言して人びとを驚かせた。

この事件に関連して山県は、渡米中であった東京帝国大学教授高橋作衛から、在米日本人社会主義者に関する詳細な報告を得ていたと推測されている。そして山県は、日本国内の社会主義者にこうした天皇打倒を叫ぶ動きが伝わってくることをおそれた。日本社会党が結社禁止処分に付されたのち、社会主義運動内部における硬軟両派の対立は激化していったが、直接行動派も、金曜講演会を組織するなどして活動を続けており、「暗殺主義」パンフレットも相当数、日本国内に郵送されたといわれる。

また、6月22日の 「赤旗事件」で拘束された者が、厳しい取調べを経て監獄へ送致されたあと留置場の壁に

「一刀両断天王首 落日光寒巴黎城」 (一刀両断す天王の首 落日光寒しパリの城)

という漢詩が発見されて大騒ぎになった。詩は直接にはフランス革命をうたったものであるが、「暗殺主義」に結びつけてみられるようになった。「赤旗事件」は裁判で、大杉栄の重禁錮2年半、罰金25円を筆頭とするこれまでに例のない重刑を課せられた。

そして、6月27日、西園寺首相は大磯の自邸に原内相、松田蔵相の政友会出身両閣僚を招き、「近来多病にて今日まで強て留職せしも到底其任に堪へず」(「原敬日記」)と辞意を告げた。原らは、今辞職するのは時機が悪いし、誰も病気のためやめたと思う者はいない、この冬の議会を終わったのち、内閣が際限なく続くことは国家のためにならないとの趣旨を公然と発表して辞職するのがよいと説得したが、西園寺の辞意を翻えさせることはできず、7月4日、西園寺は閣僚の辞表をまとめ、内閣は総辞職した。

何故、西園寺首相がこの時期に突如として辞職してしまったのかは明らかてはない。原は、西園寺から辞意を告げられた翌々29日、元老井上馨と会い情勢を探っており、「井上の此談話によれば西園寺は四面より辞職を促がされた如く見ゆ」と記しているが、同時に「果して然らば余に内話あらば余は亦相当の処置も取り得たるに、彼何故か余に漏らさず、而して表面的に辞職の決意を告ぐるとは其意を解すべからず」(「原敬日記」)と、西園寺の真意をはかりかねていた。


7月4日

「七月四日

今日は第一土曜日。

九時頃起きて“刑余の叔父”を少し書いた。二時頃吉井君が来た。・・・・・平野君も来た。一緒に四時頃千駄木へ行つた。

今日は森先生の観潮楼歌会である。北原君が来てゐた。やがて伊藤左千夫翁も来た。・・・・・

(略)

雑談があつて十時四十分散会。かへりは少し雨が降り出した。

(略)


七月五日

十二時ですと謂つて、女中に起された。曇つた日。

一時、森川町一番地桜館に正宗白鳥君を訪問した。背のひくい、髯のない人。四年前に一度読売社の応接室で逢つた事があつたが、そのまま些とも老けてゐない。

随分ブツキラ棒であるとは人からも聞いてゐた。入つて行つても、ロクに辞儀もせぬ。茶を汲んでも黙つて出したきり、……それが頗る我が意を得た。何処までもブツキラ棒な話と話。二時半帰る時は、然し、額を畳に推しつける様にして、宛然バツタの如く叩頭をした。玄関まで送つて来た。

(略)」(啄木日記)


7月4日

米、労働党大会。大統領候補マーティン・プレストン選出。プレストンが殺人罪でネバダ州刑務所に服役中であり、憲法上の年齢に達していないことから、ニューヨーク州のオーガスト・ギルハウスが選ばれる。

7月5日

論説「普通選挙を主張す」(「新報」~9月15日連載、主幹植松考昭)。納税資格の完全撤廃による普選を要求。

7月5日

坂本清馬「管野幽月女史を想う」(「熊本評論」)。坂本は東京に向う。

7月6日

「七月六日

十二時に目を覚まして、せつ子と妹からの手紙を見た。かなしみを自ら消した――

恋妻といふ我が一語に喜ぶ妻! “時”の破壊力の怖ろしさ! ああ、予は此朝、我がせつ子を縊り殺す程強く抱いてみたかつた。!!!

あやまれる妹! 許してくれといふ妹!

       ――――――――――――――――

曇つた日。誰も来なかつた。此間古本屋から買つて来た Favourite poems を六十銭に売つて、煙草を買つて来た。

金田一君と語つた。明治新思潮の流れといふ事に就いて、矢張時代の自覚の根源は高山樗牛の自覚にあつたと語つた。先覚者、その先覚者は然しまだ確たるものを攫まなかつた。……自分自身の心的閲歴に徴しても明らかである。樗牛に目をさまして、戦つて、敗れて、考へて、泣いて、結果は今の自然主義(広い意味に於ける)!

       ――――――――――――――――

七時頃に出て二時間許り赤門の前を徘徊した。何ものかを求めて歩く若い男と女の中に交つて、自分も若い心地になつてると、何となく常にない軽い空気を吸つてる様だ。はかない楽しみではある。

(略)」(啄木日記)


7月8日

東山魁夷、横浜で誕生。3歳の時、神戸に移る。

7月9日

(漱石)

「七月九日(木)、小宮豊隆来て、出入りの洋服屋で洋服を誂える。

(七月十日(金)頃、鈴木三重吉(二十七歳)、東京帝国大学文科大学英文学科卒業する。小宮豊隆(二十五歳)、東京帝国大学文科大学独逸文学科卒業する。大学院に入り、戯曲中心にギリシャ文化を研究する。野上豊一郎(二十六歳)、東京帝国大学文科大学英文学科を卒業する。大学院に入り、『国民新聞』文芸欄を担当していた高浜虚子を手伝う。野上弥生子も高浜虚子と親しく交際するようになる。)

七月十一日(土) (推定)、高浜虚子から手紙で、松根東洋城は鏡の従妹山田房子と結婚したがっていると知らせて来る。高浜虚子宛手紙で、鏡は山田房子の側には異存はなかろうが、その話は、松根東洋城の意志なのか、高浜虚子の世話なのか聞いて欲しいと云っていると伝える。(松根東洋城、鏡の従妹山田房子を好きになるが、縁談は成立しない)

七月十二日(日)、小宮豊隆来る。常盤倶楽部(不詳) へ誘おうとしたが、浅草へ行って留守なので、夕方帰りを待っている。


山田房子は、明治四十年から明治四十四年まで、夏目家で働く。この結婚話は、高浜虚子の世話である。房子は、鏡にむかい、自分は教育もないので、そんな立派な方の奥さまになる資格はないが、もう一年ほど仕事を勉強してからと云う。まんざらでもないので、よく考えなさいと云うと、そうしますと答える。だが、この縁談は成立しない。」(荒正人、前掲書)


つづく


2026年3月26日木曜日

〈仮に中国人民解放軍の若手将校が北京の日本大使館に刃物をもって侵入したら、日本政府・メディアなどはどんな反応をするか?〉 → 中国メディア「日本政府はいまだに謝罪すら行っていない」 自衛官大使館侵入(日テレ) / ようやく防衛相が「遺憾の意(謝罪なし)」 / 「職責を理解してる?」小泉防衛大臣 自衛官の中国大使館侵入事件を完全スルー? SNS平常運転の“ポジティブ”ぶりに不安の声(女性自身) / 中国 日本への渡航自粛呼びかけ 中国大使館の敷地内侵入受け(NHK) / 「宣戦布告に等しい」 自衛官の大使館侵入、中国のSNSでも衝撃(毎日) / 〈中国大使館に幹部自衛官が侵入〉中国は「“神の名”において殺害すると脅迫受けた」日本は「大使に意見聞き入れられなければ自決も」供述の発表が真逆…日本は公表遅れで「主導権取られた」(集英社オンライン) / 中国大使館に男侵入「『神の名において』外交官殺害すると脅迫」 中国、日本側に強く抗議(AFPBB) / 東京の中国大使館への侵入事件、中国当局が日本側に抗議(ロイター) / 「竹田恒泰さん なんと深夜に137件も一般人にリプしてる、、 マジで相当焦ってるな」  

日本の本当の石油備蓄量は「半分以下」…専門家が断言「備蓄が254日分もあっても安心とは言えない」事情(プレジデント);「石油備蓄のうち、本当に使えるかどうか不明なものがある。そもそも前提としている石油消費量を実態よりも少なく見積もっている」