2026年4月7日火曜日

日本経済は勢いを失いつつあり、戦争の影響による痛みが顕在化し始めている。中東産原油・ナフサへの依存により工場生産や景気に下押し圧力がかかる。塗装業者の倒産は23年ぶりの高水準となり、コスト転嫁が難しい中小企業を中心に、2026年度も倒産増加が続く可能性が高い。(ロイター)

トランプ氏、乗組員救出に米軍機170機以上投入と発表 イラン側は「濃縮ウラン盗む作戦」だった可能性を示唆(AFPBB) / 先週イラン上空で撃墜された兵士の救出作戦を「米国史上、最も大胆な捜索救出作戦の一つ」と自画自賛したトランプ大統領。 ですが、今日になっても肝心の名前も写真も発表されず、インタビューも行われず、「彼がどこの誰なのか誰も知らない」状態であるため、作戦自体に疑問を投げかける声が。 / これと同じ論調の記事は Axios や CNBC も。 また、日本語記事がニューズウィークから出ているので貼っておきます。 このことはトランプ政権の軍事的主張、政権の情報管理に対して、主流メディアも不信感を抱いていることを示唆しています。   

 

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高市首相と木原官房長官のイラン首脳会談発言に矛盾の声 ; 6日の参院予算委員会で高市首相はイランとの首脳電話会談の段取りを付けていると答え、NHKも調整方向を報じた。一方、同日の木原官房長官会見では具体的な決定はないと強調し、政府関係者は水面下調整と確定事項の違いだと説明した。 / 木原官房長官「現時点でイランとの首脳会談で決まっていることはありません」   

大杉栄とその時代年表(800) 1908(明治41)年8月27日~31日 「おはり一つ兄さんに折入ってお願ひ申したい事があります。ほんたうにすまないのですけれども月末まで質の方をどうかして下さいませんか。一月も兄さんのおかげで助かりましたが、実は六月きりでしたのを七月末までのばして置きましたが、半分も売って利子にしようと思ひましたら、あんまり安いから今迄三月もまつてくれたので御座居ます。今の処は半分でもいいのですからどうぞお願ひ致します。誠にすみませんけれどね - 兄さん」(啄木の妻・節子の宮崎郁雨宛手紙)

 

宮崎郁雨。1910年頃。妻子と。

大杉栄とその時代年表(799) 1908(明治41)年8月22日~25日 赤旗事件第2回公判 「本件は社会党員と巡査の旗取りに初りて、又旗取りに終れりと云うべし。至極事件は簡単なり。既に被告等は赤旗の掲揚に対して、禁止命令に接せずと云い証人の巡査十三名も何れも禁止命令を知らずと云う、唯だ一名大森巡査が禁止命令を発せしと云うも真偽疑わし。(略)虚偽の証言を以て被告の罪を裁判する能わざるは事明の理なり」(卜部喜太郎の弁論) より続く

1908(明治41)年

8月27日

憲法大綱の発布。清朝、憲政編査館、資政院王大臣奕劻、溥倫理ら、憲法、議院、選挙各綱要を進呈し、これにより9年後の憲法制定、議会召集を定める。

9月22日、憲法大綱、議院選挙綱要を発表。

8月27日

東洋拓殖株式会社法公布。

12月28日、京城に本社設立。資本金千万円(うち300万円は韓国政府引受、韓国における拓殖事業を目的とする)。総裁宇佐川一正。

8月27日

愛媛県別子銅山四阪島製錬所の煙害で、周桑郡農民1,500人余、居浜の住友鉱業所押しかけ抗議。煙害関係村民2千、今治に集結。紛争激化。

1910年11月9日、賠償金と製錬量制限で解決。

8月27日

外務大臣に小村寿太郎。

8月27日

啄木の上京後、妻の節子は宮崎郁雨の世話になりながら、子の京子、啄木の母カツの面倒を見ながら函館で想像に絶する辛酸をなめていた。


節子の宮崎郁雨宛の手紙(8月27日付)

「葉月二十七日

あつさは又々この二階をおそうて来ました。東京よりのたよりは切角まつてますがうちにはまだ来ません。

啄木が偉くなるかなれぬかは、神ならぬ身の知る事が出来ませんが、だれしも偉くならうといふ自信を持つてゐるでせう。ですがさう思って居る人が果して偉くなり得る力を持って居る人かどうかわかりません。

しかし私は吾夫を充分信じてをります。大才を持ちながらいたづらにうもれるゲザ(ゲーテのことか?)のたぐひではないかと思ふと何ともいはれません。世の悲しみのすべてをあつめてもこれ位かなしいことはないであらうと思ひます。古今を通じて名高い人の後には必ずえらい女があつたことをおぼえて居ります。

私は何も自分をえらいなど、おこがましい事は申しませんが、でも啄木の非凡な才を持つてることは知つてますから今後充分発展してくれるやうにと神かけていのつてゐるのです。だがら犠牲になる等いはれると何ともいはれず悲しくなるのです。私一人なら決して決してこんな事は言ひませんがね ー 兄さん

四年前から覚悟して居りますもの、貧乏なんか決して苦にしません。黄金とか名誉とか地位とかがはたしてどの位の価があるでせうね ー 兄さん

あゝ覚悟し得ぬ他人……あゝ私はこの為今迄もこれからもどのくらゐ苦しむか知れません。私は啄木の母ですけれども大きらひです。ほんとにきかぬ気のえぢ(ママ)の悪いばあさんですから夫もみつちやんもこまつてますのよ。こんなことは私両親にも夫にもいはれませんからね ー

あゝほんとうに私の不幸をきいて下さるのはお兄さん一人ですわ。はしたない女と思召すでせうが可愛想と思うて下さいませ。思へば一昨年の十一月でしたが、私がお産する為里に帰つたのが、三月まで盛岡に暮し五月宅が渡道する時私はこの地にまゐるまで母(実家の)の世話になり、九月に入りて札幌の二週間、日報社時代はとかくしてすごしましたが、今年になつてより又々東西に分れて私はこの北海の秋に親しむ身となってゐるのでございます。

無理にでもくつついて行きたいのですが、私が先へ行くと母がまたなげられた、捨てられたといひます。去年も色々の事情があつてのことですけれど私一人が悪い悪いといふのですよ。だれだつてかまはぬ気ならあんな無理してまでもよびませんわね ー

ほんたうに誤解といつたらひどいですよ、夫は何も知りますまいが私ばかりくるしいのですよ。私一人忍んでをればいいと思うて何もいひませんがね……あゝ夫の愛一つが命のつなです。愛のない家庭だつたら一日も生きてはをりません。私は世のそしりやさまたげやらにうち勝つた愛の成功者ですけれど、今はかく泣かねはなりません‥…しかし啄木は私の心を知つてるだらうと思ひます。もしも誤解でもするやうだとこれ位悲しいことはありません。盛岡へ行くことも私はゆかぬといふてやりましたから、キットめんどうだと思つてあゝゆうてよこしたのでせう。なんだかあまりグチになりますからこれでよしませう。おはり一つ兄さんに折入ってお願ひ申したい事があります。ほんたうにすまないのですけれども月末まで質の方をどうかして下さいませんか。一月も兄さんのおかげで助かりましたが、実は六月きりでしたのを七月末までのばして置きましたが、半分も売って利子にしようと思ひましたら、あんまり安いから今迄三月もまつてくれたので御座居ます。今の処は半分でもいいのですからどうぞお願ひ致します。誠にすみませんけれどね - 兄さん

                               節子

なつかしきお兄様 御許に

お返事はいただかなくとも宜しう御座居ます。京子せわしきため乱筆御ゆるし下され度候


月末の払や何かは先月いただいたので大丈夫にて侯間質の方のみ何とぞ何とぞお願ひ申上候

                              サヨナラ

8月28日

台湾で刑事令、監獄令、民事令公布。

8月28日

政府、閣議で財政整理方針(非募債、財政緊縮、国債償還)決定。金融緩和、証券市場の回復を馴致する。

8月28日

(漱石)

「八月二十八日(金)、鏡、子供らと共に片瀬から帰る。

八月二十九日(土)、「午後夏目先生を訪ふ。『三四郎』まだ半分を書き終らぬ由。田端の十一月頃の景色を書く必要あれども其頃の時候たしかならずとて色々話す。大學運動会の事も聞かる。夫人令嬢等は昨日片瀬より歸京されし由。令嬢の一人百日咳にかゝりし由。」(「寺田寅彦日記」)

八月三十日(日)、『三四郎』書き始めようとすると、来客のため執筆できぬ。尾上始太郎(もとたろう)から謡を習う。


『三四郎』の(六)に、大運動会を描いている。田端の十一月頃の景色はない。初めの構想から消えたものであろう。」(荒正人、前掲書)


29 ・赤旗事件判決。

大杉栄重禁固2年半、堺利彦・山川均・森岡栄治2年、荒畑寒村・宇都宮卓爾1年半、村木源次郎・百瀬晋・徳永保太郎・小暮れい子・大須賀里子1年(徳永・小暮・大須賀は執行猶予)、菅野須賀子・神川松子無罪。仲裁以外何もしなかった堺・山川でさえ2年。避暑に行く程度に考えていた堺らにとって意外に思い判決。

9月5日、市ヶ谷拘置所より千葉監獄に移る


〈赤旗事件公判筆記 『熊本評論』9月20日掲載〉

「錦輝館赤旗事件の判決言渡しは8月29日午前11時服部検事立会、島田裁判長に依り言い渡された。判決左の如し


(略)


…寒村荒畑勝三君は、猛烈疾呼して曰く『裁判長!』裁判長は稍々青味勝ちたる顔を仰て寒村を一瞥した。寒村君は猛獅の吼ゆるが如く、


『裁判長! 神聖なる当法廷に於て、弱者が強者の為に圧迫せられた事実の、明瞭となりしを感謝します、何れ出獄の上御礼を致します』…


次で大杉君も亦『裁判長!』と疾呼して何事をか言わんとした、然し驚愕の色を眉宇に浮かべた裁判長は、『今日は言渡しを仕た迄だ、不服があれば控訴せよ』


と言い棄てて去んとする。茲に於て大杉君は『無政府党万歳!』


と叫んだ他の同志も我劣らじと『無政府党万歳』を連呼した。…』傍聴席には60余名の同志が席し、新聞社席には都下の新聞記者及幸徳秋水、坂本克水、徳永国太郎、等の諸君が着席して居た。


佐藤悟君は例の蛮声で、『是が所謂法律だ吾々は唯だ実行!!実行!!』


大杉君は、呵々大笑して居た。非常に感情の興奮する時、吾等は彼の此の哄笑を聞くのである。曾て本郷平民書房楼上に於て、金曜講演迫害事件の有た当夜、同志の一人がユートピアの話を仕て臨検警部の講演中止、集会解散を食った時、呵々大笑したのは大杉君であった。他人が血涙を振って憤る時に、哄然として大笑するのが大杉君の癖である、吾等は彼れの此の哄笑を聞く毎に、悲憤の涙が零れる。堺君は幸徳秋水君に。『社会党の運動も是で一段落だ、折角身体を大事に仕手呉れ』と言いつつ、相顧みて一笑した、ああ寂しき一笑、無限の感懐に満ちたる一笑。


山川君は、毫も興奮の状が容貌に現われて居無かった、静々笑って、悠然として、出て行った、ああ痩せたる彼れの後姿!!三ヶ月有半の牢獄生活に、青春の血潮を涸渇されたる彼は、今や再び苦き経験を繰り返さんとす、ああ恐ろしき監獄の烈寒………………


看守は十四名を牽いて撻外に出した、長き広き廊下に溢れたる群衆は、愁いと笑をもて目送する、同志の或者は再び万歳を連呼した。而して『ああ革命は近けり』と、声高々に歌うたいつつ。


大いなる運動、大いなる活動は、茲に時期を劃した、歴史は更に次の頁に移らねばならぬ。如何なる頁か、其は唯だ為政者の自由なる想察に任せる!!

8月30日

「東京朝日」社説(池辺三山)、財政政策などで桂内閣を評価し、論調の急変が世人を驚かす。三山の桂接近説が買収説に発展し、社内の反三山派を形成、明治44年の三山退社にまで影響する。

「吾人は西園寺内閣を中間にはさむことなく、戦後の桂内閣をして今日まで引続き存続せしめたる方、或いは却ってよろしかりしならんかとも思う」

8月31日

米ポートランドに領事館開館。


つづく


トランプ大統領、イランを「動物」と呼びインフラ攻撃を正当化 ; トランプ氏はイランの橋梁や発電所攻撃が戦争犯罪ではないかと問われ、「彼らは動物だ」と答え、民間インフラへの攻撃を予告しました。 / (動画) 「イランの橋や発電所を攻撃することがなぜ戦争犯罪に値しないのですか」と記者に問われたトランプ大統領が、「(動画 0:15) やつらは動物だからだ」と答える

 

2026年4月6日月曜日

「高市しぐさ」の問題は「媚び」だけか?...異形の「攻撃的知能」を解剖する(ニューズウィーク日本版);「トランプ来日の際、横須賀基地の空母ジョージ・ワシントン艦上にてトランプの横で見せた「ピョンピョン跳ね」しぐさも同様だが、あれはありていに言えば「『昭和オヤジ』受けするギャル」感のアピールであり、今どきのフェミニズムに対する挑発であり、最終的には「古き」マチズモ(男性優位主義)的価値観の狼煙とも言えるだろう。」

エマニュエル・トッドが語る「西洋ニヒリズム」の根深さ トランプはアメリカ社会そのものの鏡なのか?(AERA);「問題はトランプ個人の人格ではなく、彼の振る舞いを許してしまうアメリカ社会そのものにある――。フランスの歴史家エマニュエル・トッド氏は、道徳的価値観の崩壊した社会が背徳的な政治を解き放つという、深刻な診断を下します。トッド氏はトランプの外交姿勢とヒトラーの外交を比較しながら、「悪をなすことに喜びを感じる指導者」を生み出したアメリカ社会のニヒリズムの深さを語ります。同志社大学大学院教授の三牧聖子氏は、ロシアへの憧れを示すトランプに民主主義の危機を重ね、鋭く応じます。」

 

トランプ大統領、放送禁止「Fワード」でイランを罵る⇒TV司会者が「お子さんはご注意ください」と注意喚起する事態に(ハフポスト日本版) / BBCニュース - トランプ氏、放送禁止語を交えイランに強い脅し ホルムズ海峡開放の期限を7日夜に / 「火曜日、イランは『発電所の日』と『橋の日』をひっくるめた前代未聞のものに!!! 海峡を開け、このイカれた野郎ども。さもなくばおまえたちは地獄で暮らすことになる――まあ見てろ!アッラーに栄光あれ。大統領ドナルド・J・トランプ」 / 民間インフラへの意図的な攻撃は戦争犯罪に該当する行為ですが、それをキリスト教最大の祝日である復活祭に、fuckin' や bastard など酔っ払いの罵倒を彷彿とさせる言葉で予告している点、さらに「アラーに栄光あれ」というイスラムの聖句を嘲笑の道具に使っていることなどが問題視。  

マクロスコープ:中東情勢の関連補助は「3カ月」、高市氏に忍び寄る財源払底の影(ロイター); 政府関係者 は「現在のペースでガソリン補助を続け⁠れば、月6000億円消費していく計算だ。3カ月で財源が底をつく」と焦りを隠さない

大杉栄とその時代年表(799) 1908(明治41)年8月22日~25日 赤旗事件第2回公判 「本件は社会党員と巡査の旗取りに初りて、又旗取りに終れりと云うべし。至極事件は簡単なり。既に被告等は赤旗の掲揚に対して、禁止命令に接せずと云い証人の巡査十三名も何れも禁止命令を知らずと云う、唯だ一名大森巡査が禁止命令を発せしと云うも真偽疑わし。(略)虚偽の証言を以て被告の罪を裁判する能わざるは事明の理なり」(卜部喜太郎の弁論)

 

卜部喜太郎

大杉栄とその時代年表(798) 1908(明治41)年8月16日~21日 米国~欧州へ視察旅行の原敬の送別会。全国から党員130余が参加。この頃、原敬、政友会の党務掌握。政友会は、原を事実上の中心とし、それに西園寺・松田が加わって3人で主導する形で運営するが、自分の選挙区の利害を中心に考えるようになった党人派代議士は原が掌握。 より続く

1908(明治41)年

8月22日

赤旗事件第2回公判。堀保子(大杉の妻)が証人として出廷。傍聴人400~500名。


〈赤旗事件公判筆記 『熊本評論』9月5日掲載 より〉

8月22日午前9時東京地方裁判所に於て古賀検事干与、島田裁判長により開廷、朝来より傍聴席に押寄せた来りし群集は約四百名と註されり。前回は法廷なりしかば、此の日は控訴院第一号大法廷にて開廷さる、群衆中には麹町署等より派せられたる刑事巡査多数傍聴し居たりき。14名の被告人は例の如く元気なる面持にて、微笑しつつ入廷せり。


管野、再弁明、「………………予審調書には全く跡方もなき事を羅列せり。然も其事たるや到底、病身の自分には出来難き犯罪事項なり。自分が社会主義者なるの故を以て罪の裁断を受くるならば、甘んじて受くべし。然れども、巡査の非法行為を覆わんが為めに、犯罪を捏造して入獄を強いんとならば断じて堪ゆ可らず」云々


(略)


卜部喜太郎氏の弁論あり


本件は社会党員と巡査の旗取りに初りて、又旗取りに終れりと云うべし。至極事件は簡単なり。既に被告等は赤旗の掲揚に対して、禁止命令に接せずと云い証人の巡査十三名も何れも禁止命令を知らずと云う、唯だ一名大森巡査が禁止命令を発せしと云うも真偽疑わし。先刻証人に喚問されし横山巡査は、兎角神田警察署を代表して証人に出廷せしならんが、予審廷とは全く相違せる不得要領の証言をなせり。今茲に十三名の巡査を証人喚問するも、十三名の横山巡査が、立ちて、十三個條の不得要領なる証言を為すと何の選ぶ処無れば、成程予審の決定書は文章は巧妙ならんかなれど、全然虚偽の証言と云う外なけん、虚偽の証言を以て被告の罪を裁判する能わざるは事明の理なり

(略)

卜部氏の弁論は多大の感興を傍聴者に与えたるが如し。兎に角近来の大弁論にして一言一句の惣にす可きもの無りき。……

次いで堺利彦君等数名の各弁論は判官の指名の下に行われたり。左の如し。


堺利彦「検事の論告に依れば、被告は社会主義者なるが故に厳罰に処せよとの請求なりしが、若し、社会主義者なるが故に罰せらる可きなれば、被告等は甘んじて刑に服すべし。然れども法律には『社会主義者となるものは罰すべし』と云う名文も見受けず。然るに理由なく、徒に、厳罰に処せよとは甚だ奇怪至極なり、寧ろ失笑に値せずや。又、検事は『無政府』なる文字に重きをお置きて、何等文字の内容に就て罪を問う処あらざりし、若し無政府主義者なるが故に罰せらるるならば、則ち可なり、然れども若し文字の内容に就て問罪せらるる処ありたらんには、各被告共に其の説明を異にするが故に、断罪するに於ても亦多少の相違ありたらんと信ず、惜しい哉、検事にも判公にも、何等の御訊問なかりき。被告の考える処に依れば、無政府主義も社会主義も、其の内容に依って同一なりと思う。或者は便宜上社会主義と云い、或者は無政府主義と云う。然るに内容に論及せられずして厳罰に処せよとは奇怪の事なり。日本の文壇に於ても既にニイチエ、トルストイ等の無政府主義の思想伝播せられ居れり、若し内容を究めず『直に無政府主義』という語を罰す可くんば、是等文壇の作者も罰せられざる可らず。


若し亦単に旗を翻して治安に害ありと云う可くんば、彼の広告隊の掲ぐるライオン歯磨の旗も、クラブ洗粉の旗も治安に害あり。警官は是等の広告隊とも衝突せざるを得さる次第なり。或は思う、今回の事たる山縣の一派が西園寺内閣に対する……………(注 原文記事自体が…)」


この時検事は倉皇として起立し


検事「……………本件に何等の関係なし、……………憲法の条文に依り、公開禁止を求ざる可らず」


島田裁判長も亦「……………公開の禁止を宣言せざる可らず」


 茲に於て吾が堺君は巧みに論鋒を一転して警察攻撃に及べり。


(略)

・・・・・斯の如き巡査の証言によりて裁判せらるるは、日本裁判所の裁判を受くるが如き心地せず恰も警察署と云う裁判所にて下級警官の裁判を受くるの感あり


是を要するに、吾等は、何等の罪にも擬せらる可きものにあらさるなり」


堂々一時間余に亘る弁論は終了せり、


(略)

(*山川均、荒畑寒村、佐藤悟の弁論が続く)

次で神川女史は「繊弱き、婦人が仲裁の労を取り得ずと検事は論告せられたるも自分は婦人なればこそ仲裁し得ると信ずるなり。彼の伊庭想太郎が、星亨を刺さんとして其玄関に赴きし際、可憐の小児の出づるに遭い哀れを感じて遂に空しく引き返せしと云う話もあるにあらずや、自分は社会主義なるが故に罰せらるると云うならば甘んじて服罪すべし、されど警官と同志を調停せしの故に罰せらると云うに於ては、断じて服罪する能わず」と述べ管野幽月女史は「法律は個人の思想を罰する事を得ざるべし、飽まで公平の裁判を望む」云々と述べ、閉廷す、判決は29日午前9時。

8月23日

森近運平、幸徳の平民社に同居。

8月23日

モロッコ、仏に屈したアブデルハーフィズ、独支持の兄アブデルアズィーズ王をマラケシュで破る。ハファド、自ら帝位に。各列強から承認される。

8月24日

日米仲裁裁判条約(5月5日調印)で、批准書交換。

8月24日

河上肇、京都帝国大学法科大学講師に就任し、9月より講義開始。学生に櫛田民蔵がいる。

8月24日

原敬(52)、欧米視察に出発。翌年2月20日帰国。

8月25日

閣議、対外方針(日英同盟を外交の中心とする)・満州に対する諸問題解決方針(6案件を一括交渉)決定。


つづく