2026年3月11日水曜日

〈「高市か。高市さん、大っ嫌いなんだよ」 「最低だった、人として」〉 → 《高市内閣に衝撃不倫スキャンダル》松本洋平文科大臣(52)「議員会館W不倫」と「高市大っ嫌い音声」 既婚女性と“W不倫”〈ラブホテルや議員会館の自室に彼女を…〉(週刊文春) / 松本文科相「内容見て判断」 文春、不倫疑惑を報道(時事)

 

この4日前、高市氏は総裁選に初めて挑戦することを表明していた。
A子さんは松本氏に「そろそろ女性とかいいかもね」と語りかけた。
これに対し、松本氏はこう吐き捨てたのだ。 
 「高市か。高市さん、大っ嫌いなんだよ」 
高市氏は18年に女性初の議院運営委員長に就任。
同委の理事だった松本氏は、この時の経験をこうぶちまけた。
 「上にはペコペコするし、自分にプラスになると思うと、役に立ちそうな人にはあれだけれども、下にはめちゃくちゃ厳しいというか。俺も『あんたみたいな人間が何言ってるんだよ』みたいな感じで言われたから」 
 そして、松本氏の高市評は、こう締め括られた。
「最低だった、人として」

 

林芳正総務相の秘書がインサイダー取引で逮捕されていた!《ニデックめぐるTOBのウラで…》《「官房機密費も引っ張れる」》(週刊文春)

クラウディア・シェインバウム大統領は、メキシコの新自由主義時代に発行された五百万世帯を狙った強欲な住宅ローンの負担から解放することを約束した。 政府は、彼女が「少数のためのビジネス」と呼ぶこれらのローンを減額、再融資、または免除する。

トランプ氏は週末に動く 常識超える軍事行動、みえてきた法則性(日経); 週末に政治的に仕掛ければ”Meet the Press” ”Face the Nation”などのSunday morning talkshowsを独占でき、世論に影響、ということはアメリカ政治ではずっと言われてきました。トランプの場合には仕掛ける対象が軍事作戦。世論も分断で「支持者固めに影響」(前嶋和弘)

大杉栄とその時代年表(775) 1908(明治41)年4月3日~8日 「(四月八日(水)、午後十時頃から雪降る。桜花満開時で驚く。魯迅、仲間四人と共に本郷区西片町二十番地ろノ七号(現・文京区西片一丁目十二、十三番) に住む。) 魯迅の友人の許壽裳が探したものである。五人で住んでいたので、門灯に 「伍舎」と書く。魯迅は、漱石の『虞美人草』を愛読し、漱石の旧居に住むことを誇りにしていたと云う。魯迅は、階下南側の六畳に住む。当時、民報社に通う。民報社から孫文・炳麟・黄興らが『民報』を刊行し、中国革命を志していた。宮崎滔天の義姉前田卓子も手伝う。宮崎滔天は、『民報』の後援者でもある。魯迅は、この家に明治四十二年一月まで住む。家賃が余りに高かったので、西片町十番地はノ十九号(現・文京区西片一丁目) に移り、同年帰国する。」(荒正人)

 

魯迅

大杉栄とその時代年表(774) 1908(明治41)年4月1日~2日 塩原事件の後始末 「(四月初め(推定)(日不詳)、生田長江、平塚家を訪れ、漱石と馬場孤蝶に事件の処理を委ねたと語り、「森田がやったことに対しては、平塚家ならびにど両親に十分謝罪させる。その上で時期をみて、平塚家へ令嬢との結婚を申し込ませる。」(平塚らいてう自伝『元始、女性は太陽であった』)と伝言する。平塚明子も両親も意外に感じる。)」(荒正人) より続く

1908(明治41)年

4月3日

(漱石)

「四月三日(金)、朝、荒井某は漱石と論争して酒田の漁夫となるとかいって出る。松根東洋城と森巻吉来る。(「森巻吉日記」)」(荒正人、前掲書)



4月3日

第2回上毛同志会。栃木県佐野町(現、佐野市)相生町大雲寺。出獄直後の大杉栄・山川均・守田有秋・佐藤悟出席。田中正造翁も出席。

大杉は「フランス革命の教訓」を講演し、「仏国ナボンヌに於ける同盟罷業及軍隊の脱営に就いて」話をする。県立真岡中学校で校友会雑誌に社会主義的な論文を書いた生徒を退学させた件で、文部省への抗議文を採択。

その後、佐野町から群馬県邑樂郡高島村(現、邑樂町)の築比地仲助の家まで12キロの道を革命歌を歌いながら歩き、東京組4人は築比地宅に泊る。築比地は、大杉のことを「マンノド(満のど)ニスト」と呼んでいた。

翌4日、大杉栄、築比地の案内で高島村内の機械工女の実態視察にでかける。帰途、佐藤悟を楽長として「ゼイゼイ節」を歌って築比地宅に帰る。

大杉栄・山川均と連名で石川三四郎に葉書を出す。

4月3日

大隈重信、東西文明の調和を目的として大日本文明協会を設立。

10月1日、日本文明協会叢書第1期「欧米人の日本観」3冊などを刊行。

4月3日

武者小路実篤『荒野』。

4月4日

ベトナム、反仏運動活発化。

4月4日

ルネ・ジャネル、ルーアンの洞窟で有史以前の壁画の発見を発表。

4月5日

午前7時過ぎ、啄木(22)、2日間を酒田川丸船で過ごしたあと漸く釧路を出発。函館までは船で、小樽までは列車で移動。

啄木は、函館で上京の費用を得るため、再建された函館日日新聞(斎藤大硯の経営)で働こうとした。

彼は7日上陸後、東浜町の斎藤の家を訪れたが、留守中で面会できなかった。その日は岩崎白鯨の家に泊る。

翌8日、二人で旭町の宮崎郁雨の家を訪ね、夜は東小学校の宿直室で吉野白村を中心に、4人で祝盃をあげた。

その夜は郁雨の家に泊ることになり、啄木は、思わず自分の宿望を郁雨に伝えた。しかし、家族のことや上京の費用のことを考えると、早急に上京はできないので、函館で半年なり1年なり何かやって、旅費だけでも拵えてから東京に行きたいと思っているという風に話した。郁雨は、啄木の創作生活に対する烈しい熱情を知って心から同情し、彼の天才を生かすためにも、彼を一日も早く上京させようと心中深く決する所があった。

翌朝郁雨は父母の同意を得て、自分が家族の面倒をみるからと、啄木に早期の上京を促がす。郁雨に15円借金。小樽へ7円送って貰う。


「十時起床。湯に行つて来て、東京行の話が纏まる。自分は、初め東京行を相談しようと思つて函館へ来た。来て、そして云ひ出しかねて居た。今朝、それが却つて郁雨君の口から持出されたので、異議のあらう訳が無い。家族を函館へ置いて郁雨兄に頼んで、二三ケ月の間、自分は独身のつもりで都門に創作生活の基礎を築かうと云ふのだ。」(啄木日記4月9日)


「宮崎君宅で昼食。宮崎君も善い人である。父上も善い人である。母上も善い人である。姉なる人も善い人である。何故なれば斯う善い人許り揃ってるであらう。」(啄木日記4月10日)

4月5日

大杉栄、高島村での講演会に登壇。各国の礼を示しながら農民運動のあり方を講演。参加者70~80名。

「出獄広告(山川均、大杉栄、堺利彦)(「無題(本日無事出獄す)」)」(3月26日付)が『日本平民新聞』に掲載

6日、大杉栄、麹町区飯田町の劉師培・何震夫妻宅で在日中国人アナキストを対象としたエスペラント講習会を始め、開講の辞を述べる(毎週月、水、金の午後4時から5時半、5時半~6時半の2班に分かれて行われる)。劉・何夫妻のほか蘇曼殊、景梅九ら20名が参加。

7日、大杉栄、エスペラント雑誌「Internacia Socia Revno」に手紙(「Letero de Japanlando(Majo 1908)〈日本からの手紙〉」)を書く。

4月5日

指揮者カラヤン、誕生。

4月5日

ヘンリ・H・アスキス、健康上の理由で辞任したキャンベル・バナマンの後、首相に就任。自由党内閣成立。

4月6日

(漱石)

「四月六日(月)、鏡は、小宮豊隆が四月一日(水)から風邪で寝ているので、筆に乙女椿・蜜柑・林檎を持たせて見舞にやる。筆夕食を一緒に食べて帰る。『坑夫』連載終る。」(荒正人、前掲書)


4月6日

独、帝国結社法制定。

4月7日

島崎藤村「春」(「東京朝日」)、~8月18日、10月刊行。


「・・・・・。「春」今日結了。最後の五、六行は名文に候。作者は知らぬ事ながら小生一人が感心致候。序を以て大兄へ御通知に及び候。あの五、六行が百三十五回にひろがったら大したものなるべくと藤村先生のために惜しみ候。

(略)」(漱石の8月19日付虚子宛手紙)


4月7日

水野年方(43)、没。日本画家。

4月8日

株萍鉄道、国有化。

4月8日

逓信省、無線電報規制を公布。船舶の施設無線電信への対策。

4月8日

(漱石)

「(四月八日(水)、午後十時頃から雪降る。桜花満開時で驚く。魯迅、仲間四人と共に本郷区西片町二十番地ろノ七号(現・文京区西片一丁目十二、十三番) に住む。)


魯迅の友人の許壽裳が探したものである。五人で住んでいたので、門灯に 「伍舎」と書く。魯迅は、漱石の『虞美人草』を愛読し、漱石の旧居に住むことを誇りにしていたと云う。魯迅は、階下南側の六畳に住む。当時、民報社に通う。民報社から孫文・炳麟・黄興らが『民報』を刊行し、中国革命を志していた。宮崎滔天の義姉前田卓子も手伝う。宮崎滔天は、『民報』の後援者でもある。魯迅は、この家に明治四十二年一月まで住む。家賃が余りに高かったので、西片町十番地はノ十九号(現・文京区西片一丁目) に移り、同年帰国する。


四月九日(木)、大雪。降り続き四十センチほど積る。樹木の被害多い。電信・電話線障害。夜は停電する。満月だったので、雪月花を一度に楽しむ。(柴田宵曲)

(四月十日(金)、森田草平、牛込区筑土八幡町二十四番地、現・新宿区筑土八幡町二十八番地 植木屋方に下宿する。(高辻亮一法学士(明治生命社員)がもと下宿していた。高辻亮一と、森田草平は第一高等学校の寄宿舎にいた頃から懇意であった))

漱石は、事件後引きとって、森田草平の面倒をみていた。後に『煤煙』の執筆を勧める。春陽堂から出版するように交渉する。その後、東京朝日新聞社と交渉し、掲載されることになる。(夏目伸六)

四月十日(金)頃(推定)(日不詳)、大阪朝日新聞社の鳥居赫雄(素川)から大阪に遊びに来るよう勧められる。

四月十一日(土)、畔柳都太郎(芥舟)の許に行き、帰りに小宮豊隆を見舞う。

四月十二日(日)、雨。外出中、寺田寅彦来る。」(荒正人、前掲書)


つづく

高市早苗、福島原発事故での死者はいないと2013年に発言 → 「怒りを覚えたなら申し訳ない」「趣旨を取り違えて報道された」と往生際悪く渋々撤回 / 「東日本大震災は東北で、あっちの方だったからよかった」と発言してクビになった自民党の今村雅弘(復興大臣) / 「東日本大震災8周年記念式典」と言い間違えた菅義偉官房長官 / 3.11から15年 高市首相の大暴言「原発事故での死亡者はいない」を風化させるな! 追悼式も「行けたら行くわ」福島軽視の冷酷(日刊ゲンダイ) / 福島第一原発事故15年 2051年までの廃炉 実現の見通し立たず(NHK) / <東日本大震災15年>野生キノコから基準値超えセシウム NPO測定「原発事故 終わっていない」 昨年3割、茨城県内でも(東京) / 福島第1原発のデブリ回収、時期見通せず 「51年廃炉」は実現遠く(日経)    

2026年3月10日火曜日

横浜山手 「えの木てい」でアフターヌーンティー 2026-03-10

 3月10日(火)雨のち曇り

今日は寒い一日だった。

東京は雪だったとか。

横浜は、雪はなかったが、正午辺りでも5℃くらい。おまけに、北風ビュービュー。

そんな中で、今日は横浜山手の「えの木てい」でアフターヌーンティー。

1階のカフェはいつも長蛇の列(但し、今日は列はなかったが、、、)、2階の個室はなかなか(というよりも全然)予約がとれないお店。

旧外国人居留地にあり、建物は昭和2年の建築とのこと。

ひとつひとつ気合の入った洋菓子だった。








▼山手本通りに咲いていた花

①不詳 ②おかめ桜か? ③もくれん




がん患者団体 高額療養費制度引き上げに強く反対 / 「ペットボトル1本分の保険料削減効果と引き換えに、高額療養費のセーフティーネット機能を失ってもいいのか?」 衆院予算委員会で、全がん連の天野理事長が訴える(岩永直子) / 高額療養費見直しなどで社会保険料年2200円減 厚労相が見通し(毎日) ← 183円/月の削減と言うべき。「高額療養費見直し」は不要! / 高市政権の医療制度改悪「負担軽減」「機能強化」の詭弁 月額手取り増わずか“ペットボトル1本分”のお粗末実態(日刊ゲンダイ)

米大統領、小学校攻撃「調査中」 イラン児童ら死亡、否定から修正(共同) / BBCニュース- 小学校攻撃は「イランがやった」、作戦初日の被害めぐりトランプ氏 米国防長官は「調査中」と / トランプに鋭く質問する記者「イランの小学校を爆撃して168名を殺したのは米軍だといわれています。でも大統領は『イランはなぜかトマホークを手に入れ、戦争の初日にいきなり自国に撃ちこんだ』と主張する。他にそんなこという人はいませんよ?」

 


驚くべきことに!トランプが自分が破壊したイランの学校をイランが爆撃したと虚偽の非難をした後、記者が勇敢にも彼の顔面に直接詰め寄った:「なぜあなただけがこんなことを言っているのですか?」

これこそがホワイトハウスの記者たちに必要なことそのものだ!

「映像によると、トマホーク・ミサイルがそのイラン人女子校を破壊した可能性が高い。では米国は何か責任を取るつもりですか?」と最初の記者が尋ねた。

「ええと、私はそれを見ていないし、トマホークは世界で最も強力な兵器の一つで、他の国々によって売買され使用されている、あなたも知っている通りだ。それがイランであれ、他の誰かであれ。イランもいくつかトマホークを持っているし、もっと欲しがっているが、うーん…。イランか他の誰かか。トマホークは非常に一般的なものだ。他の国々に売られている。だが、うーん、今それが調査中だ」とトランプは言った。

実際には、トマホーク・ミサイルの輸出は米国によって厳しく管理されている。現在、この兵器を使用しているのはアメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア、オランダのみだ。イランがそれらにアクセスできるという示唆は、あからさまにばかげている。

大統領の明らかな虚偽が、もう一人の記者からのノックアウト・パンチを誘発した—

「大統領、あなたは今、イランが何らかの方法でトマホークを手に入れ、戦争初日に自国の小学校を爆撃したと示唆しましたが、あなたの政府であなただけがそんなことを言っています」と記者は言った。「土曜日にあなたの飛行機で、あなたの肩越しに立って質問された時でさえ、あなたの国防長官もそれを言わなかった。なぜあなただけがこんなことを言っているのですか?」

「なぜなら、私はそれについて十分知らないからだ」とトランプは言った。「私は、それが調査中だと聞かされたと思うが、トマホークは他の人々によって使用されている、あなたも知っている通り…。多くの他の国々がトマホークを持っている。彼らは私たちから買うが、報告書が何を示そうと、私は確かにそれを受け入れるつもりだ。」

トランプは嘘をついている。なぜなら、彼はイスラエルのために自分が開始した選択的な戦争の一環として、米国ミサイルがイラン・ミナブの学校を攻撃し、少なくとも165人を殺害したという事実を認めたくないからだ。政権は慌てて、その恐ろしい事件はイラン製ロケットやミサイルの誤発射によるものだと主張したが、新しい映像が公開され、それがアメリカのトマホークだったことを証明している。

今や、米国があの学校の子供たちを殺害したことは、反論の余地がない。これは決して洗い流せない悪の類であり、トランプがどれだけ嘘をつこうと、これは彼の遺産を定義する柱となるだろう。彼は、無意味で違法な戦争で子供たちを殺害し、それさえも認めるのを拒否した大統領だ。


 

イラン攻撃後に馳氏の応援演説 高市首相「不適切だったと思わない」(朝日) / 自民、石川知事選でつまずき 高市首相現地入り、効果表れず(時事) / 応援演説の内容がヒドイ! どこかのオッサン政治家の発言みたい(思考回路がそうなんだろう)