2026年5月3日日曜日

高市総理が22年前に書いた“憲法改正のススメ”「国民は国防の義務」「私権の一部制限に協力」から浮かび上がる憲法観【報道特集】 / 「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』(憲法前文)と、この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」

 


 高市議員(2000年9月 衆院・憲法調査会)

「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』と、この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」


高市氏の論文(2004年)

「独立した主権国家の国民としてのプライドにかけて『日本の心と言葉を持った憲法』へと書き直すべきだと思っている」

「まず、前文には、目指すべき国家像を書き込む。『国家はどうあるべきか』『国民はどうあるべきか』を冒頭に示すのだ」


そして9条に該当する部分として…

「日本国は自衛の為の戦力(国防軍)を持てる」

「日本国民は、国防の義務を負う。有事の際(中略)私権の一部制限に協力する」


憲法学者の木村草太氏はこう見る。

東京都立大学 木村草太教授

「国防の義務という非常に抽象的な義務を設定してしまうと、国防という名目を立てればあらゆる権利・自由を制限してよいのだという意味合いになるわけですね。それこそ徴兵の義務とかそういうことも言えるかと思います」


また、高市氏の改憲論文では、大規模テロや自然災害など「非常事態」に対応するための条文を新設し、「『内閣総理大臣への権力集中』や『国民の自由や権利の制限』を書くべきだろう」としている。


「国家権力は非常に強い力で支えられている。放置すると国民の権利や自由がどんどん奪われていくので、国民の権利・自由を奪ってはならないと規範を設定し、権力を制限するのが憲法」

「高市さんの文章の中で、自分の憲法では国民の権利をもっと制限しやすくするのだということが書かれていますので、国民の権利を政府が制限しやすいのが理想な国家だとおっしゃっている」


高市総理(2025年11月 参院・予算委員会)

「私はあえて、自分の政治家としての歩み、私の進歩も含めて見ていただこうと思って、過去のコラムも、そして撤回したようなものも含めて全て掲載を続けております」

しかし2026年2月、選挙前の消費税減税を「悲願」だとする発言を過去のコラムから検証する記事が配信されると、“コラムが削除されている”とSNSで話題になった。


なぜ削除したのか、国会でも追及された。


中道改革連合 小川淳也 代表(2026年2月 衆院・本会議)

「過去の言動は、政治家としての一貫性や責任を検証する素材として重要な資料です。(コラム削除の)事実関係と理由の説明を求めます」


これに対し高市総理は…

高市総理(2026年2月)

「総理になってからコラムを書く時間もなく、ずっと更新できていなかったこともあり、コラム欄は削除しました」


コラム欄ごと削除されたあの「憲法改正のススメ」を今、読み解く意義について木村教授は…


東京都立大学 木村草太 教授

「憲法というのは長期的に考えていくべき問題ですから、むしろ昔のことであっても、一度提案したものについては、今もそのように考えていると思われるのは当然のこと。もしも撤回したのであれば、それは何でなのかとか、問われ続ける文章ではないか」


高市氏に現在の考えについて問い合わせると、次のような回答が届いた。


高市事務所の回答

「内閣総理大臣としては、憲法審査会や各党各会派における御議論を尊重する立場から、改正内容について具体的に考えを述べることは差し控えますが、憲法審査会における党派を超えた建設的な議論が加速するとともに、国民の皆様の間での積極的な議論が深まっていくことを期待しています。また、自由民主党総裁としては、国民投票による憲法改正の早期実現に向け、党の総力を挙げて着実に議論を前進させていく考えです」






















〈有明で5万人集結 憲法記念日「改憲反対」大規模集会〉 5月3日の憲法記念日、東京・有明防災公園で「つながろう 憲法いかして平和な世界を!2026憲法大集会」が開かれ、主催者発表で約5万人が参加。9条守れを訴える人々がパレードでお台場へ行進し、全国80カ所で同時集会が展開された。一方、高市早苗首相は改憲派集会で「憲法は時代の要請に合わせて更新を」と述べ、早期改正の意向を示したが、野党や市民からは反対の声が強く、NHK世論調査でも改正支持は低迷している。参加者からは「GW中でも5万人が集まるのは希望」との声が相次いだ。


5月3日の憲法記念日、東京・有明防災公園で「つながろう 憲法いかして平和な世界を!2026憲法大集会」が開かれ、主催者発表で約5万人が参加。9条守れを訴える人々がパレードでお台場へ行進し、全国80カ所で同時集会が展開された。一方、高市早苗首相は改憲派集会で「憲法は時代の要請に合わせて更新を」と述べ、早期改正の意向を示したが、野党や市民からは反対の声が強く、NHK世論調査でも改正支持は低迷している。参加者からは「GW中でも5万人が集まるのは希望」との声が相次いだ。

 

〈自民党が憲法記念日に改正推進声明、高市首相過去発言に批判集中〉  「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれわれの安全と生存を保持しようと決意した」 高市早苗『この非常におめでたい一文を真っ先に変えようと思っている。』 / 自民党元幹事長 古賀誠氏(85歳) 「憲法9条には世界を平和にする力がある」「憲法は世界遺産だと思っている」 / 憲法9条は当時の幣原首相がマッカーサーに提案したもの / 日下部正樹「憲法が80年近く変えられず今日に至ったのは、戦争体験者の政治信条を超えた戦争は2度とゴメンだという強い思いがあったから。 そのことを踏まえずに「押し付け憲法」だとか憲法前文が「おめでたい」というのは戦後復興を成し遂げた人たちの思いをあまりにも無視した言動」   

 


自民党は5月3日の憲法記念日を前に、安全保障の変化に対応するため憲法改正を促す声明を発表。自衛隊明記や緊急事態条項など4項目を挙げ、国会議論の深化を誓いました。高市首相の2000年の衆院発言「非常に おめでたい一文」が掘り起こされ、護憲派から「平和憲法を壊す気か」と強い批判。一方、自民党内では古賀誠元幹事長が「憲法は世界遺産」と護憲の声を上げ、議論が深まっています。

 


〈憲法9条は当時の幣原首相がマッカーサーに提案したもの〉 



〈憲法記念日、ちひろ美術館の9条朗読投稿が大きな反響〉 → 憲法記念日に🕊 ーーーーー だから私たちは どんなもめごとが起こっても これまでのように、軍隊や武器の力で かたづけてしまうやり方は選ばない 殺したり殺されたりするのは 人間らしい生き方だとは考えられないからだ 「もう二度と戦はしない(第9条)」一部抜粋 ーーーーー(ちひろ美術館(東京・安曇野)【公式】)


世界初の絵本美術館である東京・安曇野のちひろ美術館が、井上ひさし氏の『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』から第9条の抜粋を女優・斉藤とも子さんの朗読で紹介。午前8時時点で1万2千以上の「いいね」と6千以上のリポストを集め、平和の象徴ハトのイラストも話題に上った。この本は2006年に刊行され、いわさきちひろ氏のイラストが添えられ、館は平和活動を続けている。Xでは「子どもたちに安心して暮らしてほしい」との声が広がり、次世代へ平和を伝える優しい言葉が注目されている。

 


 憲法記念日に🕊

ーーーーー

だから私たちは

どんなもめごとが起こっても

これまでのように、軍隊や武器の力で

かたづけてしまうやり方は選ばない


殺したり殺されたりするのは

人間らしい生き方だとは考えられないからだ


「もう二度と戦はしない(第9条)」一部抜粋

ーーーーー

作家の井上ひさしが、子どもにも読めることばに「翻訳」した『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』のなかで、第9条はこのように書かれています。憲法記念日の今日、ご家族や身近な方と憲法について話すきっかけに、書籍や、朗読動画をご覧いただければ幸いです(朗読は女優の斉藤とも子さんです)。


2026年5月2日土曜日

鎌倉新緑散歩 英勝寺の白藤(ピーク過ぎだけどまだまだ見頃) 海蔵寺(オダマキ、裏庭園のカキツバタ、ツツジ、シャクナゲ、マルバウツギ) 寿福寺参道 「旧川喜多邸別邸(和辻邸)」のオープン日 2026-05-02

 5月2日(土)晴れ

晴れて、気温27℃。湿度が低いので快適だった。

今日は八十八夜。立春から数えて88日。立夏は5月5日なので、立夏直前。

今日のお目当てのメインは、英勝寺の白藤。

ピークを過ぎてるのは了解していたが、このところの雨と強風なので、全然ダメを覚悟していた。

ところが、実際は最低の悲観的レベルからすると、上々の状態だった。ピークからの下りとはいえ、まだまだ十分に五分咲き以上の状態で、見頃ではないかと思われる。

ただ、門前にいつも掲げられている「白藤八分咲き」とかいう開花状況を告知する看板は、奥ゆかしいことに取り外されていた。

拝観に来ている方の意見、感想もほぼ同じだった。











▼次に海蔵寺


▼オダマキ

▼裏庭園のカキツバタ(青、白)

▼ツツジとシャクナゲ



▼山門の外側にマルバウツギ

▼寿福寺参道

▼川喜多映画記念館にある「旧川喜多邸別邸(和辻邸)」のオープン日だった

和辻哲郎が秦野にあった江戸後期の民家を練馬に移築して居宅としていたものを、川喜多長政・かしこ夫妻が昭和36年に鎌倉に移築して別邸としたもの。

偶然ここを通りがかったところ、今日はオープン日だということで、ラッキー!内部まで見学させて頂いた。







「天皇は男系男子のみ」主張は「歴史を故意に歪めている」王室制度の専門家・君塚直隆教授が解説する女性天皇の功績 / 「愛子さま人気と政界での議論が乖離」象徴天皇制の専門家・河西秀哉教授が指摘する皇室典範改正案の問題点「男系男子にとらわれるほうが問題」(週刊文春 有料記事)

2026年5月1日金曜日

藤原帰一「仮に憲法9条の縛りがなかったとしても、日本は、戦争が続くホルムズ海峡に自衛艦を送ってはならないのです。米国によるイラン攻撃は明白な侵略戦争なので、米国からの求めに応じて自衛艦を送ったら、侵略に加担することになるからです」(2026年5月1日)

アメリカ社会は堕落...国民を「腐敗慣れ」させたトランプ大統領の罪(ニューズウィーク日本版);「またしても、トランプ政権をめぐるインサイダー取引疑惑が浮上した。だが、より深刻なのは疑惑そのものではない。スキャンダルが相次ぐなかで、人々がそれに慣れ、やがて無関心になっていく──その「感覚の麻痺」こそが、アメリカの民主主義を静かに侵食している」 「繰り返されるスキャンダルが『異常』を『日常』に変える」「社会規範に反する行動が取られると、最初のうち人々は否定的な反応を強く示す。しかし、そうした逸脱的な行動が繰り返されると、以前であればあるまじき振る舞いと見なされていた行動に慣れてしまう」「違反が当たり前になり、責任が問われない状況が続けば、次第に怒りは弱まり、諦めと無関心が広がり始める」       

タイヤもエンジンも…自動車素材が軒並み高騰 アルミなど2〜3割高(日経 有料記事) / ほぼ全ての建設資材で価格高騰 工事の中止や遅れも懸念…中東情勢受け全国建設業協会が緊急要望(日テレ) / 食品値上げラッシュ、ナフサ不足で「6月にも再燃」 帝国データ調べ(日経) / サラダ油が6月から10%値上げ、原油高でバイオ燃料需要が高まって 「ナフサ不足」本格化は夏以降か(東京)    

大杉栄とその時代年表(814) 1908(明治41)年12月11日~31日 「節子は働きながら東京にいる啄木以上の貧しい生活であった。」 「郁雨の温情に縋りながらも、節子は語るに語れぬ家計の実状を胸ひとつにしまって教壇に立っていた可能性がある。その結果の明治四十一年十二月三十一日の残金五厘である。節子は事実を書いただけなのに、啄木は非難されていると直感する。敏感にならざるを得ない素地と弱みが夫の側にあってのことである。『鳥影』がはじめて原稿料をもたらしたのであるから、半額か三分の一でも妻に送ってやるのが、せめてもの心やりであった。」(澤地久枝『石川節子 - 愛の永遠を信じたく侯』)

 


大杉栄とその時代年表(813) 1908(明治41)年12月6日~9日 「僕は今度四十歳になるのだ、モウ若い者とは云へない、初老という言葉さへある、然し僕は卅歳になつた時、漸く少し人間らしい者になつた心地がしたが、今度は又此頃ヤツト一人前の男になつた心地がする、孔子が『三十而立(じりつ)、四十不惑(ふわく)』と云つた心持がツクヅク思ひあはされる、今後又十年もしたら孔子が『五十にして天命を知る』と云った心持が少しは味はれるかも知れぬ、こんな風に考へると人生は何時迄も登り坂だ、前途は長い、楽みは多い、お互まだ是からが本統(ほんとう)に成熟する時節なんだ、手を引合てユツクリ行かうよ」(入獄中の堺利彦の妻為子宛手紙) より続く

1908(明治41)年

12月11日

九州電気軌道(株)設立。本社小倉、資本金100万円、社長松方幸次郎、西日本鉄道(株)の前身の1つ。

12月12日

木下杢太郎、北原白秋、長田秀雄ら、パンの会を結成(~1912年)。東京両国橋近くのレストランで第1回会合。

12月12日

平賀譲、6月30日英国海軍大学校造船科卒業(3年の留学修了)し、仏伊の造船所視察などのあと、この日ロンドン出港。

12月13日

武昌で群治学社成立。

12月14日

文部省に設置(5月25日)された臨時仮名遣調査委員会(委員長 菊池大麓、主事 渡部董之介)廃止される。

12月15日

伊藤博文、松陰神社へ奉告

12月中旬

ロシアに滞在する二葉亭四迷、悪化する不眠症対策として、思い切って煙草をやめる。「八つの時から親しんで足掛三十八年の間片時も傍を放さなかった煙草」、それがなければとても原稿を書けない煙草だが「命にはかえられない」。やめてみると不思議なことに不眠症は日ごとに軽快し、今度は気を許すと12時間も眠りこんでしまう「長眠病」にかかった。

明治41年12月半ばには、通信文も玄耳宛の長文の手紙もなんとか書けるようになるまで回復した。

12月16日

英、豪華客船「オリンピック」起工

12月17日

(漱石)

「十二月十七日(木)、次男伸六誕生。(戸籍謄本による)頭髪黒い。鈴木三重吉(千葉県成田町吾妻屋)から祝電来る。服部嘉香、西村誠三郎(濤蔭)と共に来る。


申年(さるどし)に生れた六番めの子供の意味である。初めは、旦(あした)と名付けようと思い、高浜虚子らに吹聴していたけれども、十二月二十六日 (土)高浜虚子宛の手紙では取消している。


(十二月中旬、平塚明子、松本市郊外の静養先から帰り、森田草平を訪ねる。その後、日本禅学堂に赴き、南天棒から『無門関』の第一則、「趙州狗子」の公案授かる。)


南天棒の駿足と云われた岡田乾児(自適)という外科の開業医が私財を投じて開いたもので、西宮海清寺の住職である老師を招いて、毎日接心会を行う。


十二月中旬(推定)(日不詳)、雑誌社(推定)の記者、談話筆記を求めに来たが断る。『趣味』の記者来て、「文壇の趨勢」について談話筆記する。(この頃、雑誌社からの談話筆記の依頼多くなる」(荒正人、前掲書)


12月17日

トルコ第1回国会開催。青年トルコ党、多数を占め、自由連盟(アフラール)との対立増大。青年トルコ党、政権掌握(~1909年4月26日)。

12月17日

諸列強、ハフィドをモロッコ王として承認。

12月18日

津浦鉄道、官、商共同事業となる。

12月18日

皇室財政運営上支出の超過を戒める勅諭下賜。

12月18日

民報社、「国学講習会」と改称し、牛込区新小川町2丁目8番地から、小石川区小日向台町2丁目26番地に移転。『民報』編集長で裁判に負けて入獄した章炳麟が主催し、魯迅も通っていた国学講習会が、日本の同盟会の中心になった。

12月19日

(漱石)

「(十二月十九日(土)、中村是公、南満洲鉄道会社総裁に任命される。)


中村是公は、明治三十九年十一月二十六日(火)に、南満洲鉄道会社副総裁に任命され、明治四十年四月二十五日(木)退任し、五月一日(水)副総裁事務取扱嘱託になり、明治四十一年五月十五日(金)副総裁に任命される。大正二年十二月十八日(木)に退任する。


十二月二十日(日)、小宮豊隆宛手紙に、「文壇に立つものはあらゆる競争排擠に伴ふ堕落的行動に対して従容事を辨せざるべからず。もし清きを以て自ら居り高きを以て自から處せんとせば一日も留まるべからず。」と教え、終りに「今の自然派とは自然の二字に意味なき團體なり。花袋、藤村、白鳥の作を難有がる團體を云ふに外ならず。而して皆恐露病に罹る連中に外ならず。人品を云へば大抵君より下等なり、理窟を云へば君よりも分らずや多し。生活を云へば君よりも甚しく困難なり。さるが故に君の敢て為し能はざる所云ひ能はざる所を為す。君是等の諸公を相手にして戦ふの勇気ありや。君を此渦中に引き入るゝに忍びざるが故に此言あり。」と添える」(荒正人、前掲書)

12月19日

大杉栄より堀保子への手紙。「歳三〇に到るまでには必ず十〇ヶ国語を以て吃つて見たい希望だ」

12月21日

河野広中、尾崎行雄ら代議士、又新会を結成。当日の出席者40名。3税廃止、官僚政治打破を叫ぶ。

12月21日

第17(岡山)、第18(久留米)師団新設。

12月21日

英、オスカー・スレイター事件起こる

12月22日

第25通常議会召集(~25 開会、1909.3.24閉会)。

12月23日

仏・ベルギー協定、仏領コンゴ、ベルギー領コンゴの境界画定。アフリカ・コンゴの勢力圏協定締結。

12月24日

パリで初の国際空港ショー開催。

12月25日

禁衛軍設立。

12月25日

「帝国女優養成所」(所長;貞奴)第一回試演

12月25日

(漱石)

「十二月二十五日(金)頃、『ホトゝギス』(第十二巻第四号 明治四十二年一月一日発行)を読む。


付録に『開業醫』(長塚節)・『まじよりか皿』(薮柑子(寺田寅彦)・『馬車』(寒川鼠骨)・『胡頹子』(伊藤左千夫)・『破甕』(野上臼川(豊一郎))・『三畳と四畳半』(高浜虚子)が掲載されている。


十二月三十一日(木)、大晦日。松根東洋城と共に二、三番謡う。

「土車」を少し習う。子供の病気で座敷ストーヴを買い、二十八円払う。田島道治、短冊を持参する。門口で帰る。

十二月末(日不詳)、正月の掲載分「元日」は、明治四十一年一月一日(火) のことを思い出しながら書く。

十二月末(小宮豊隆推定)、『文學評論』 の校正刷出始める。」(荒正人、前掲書)


12月25日

ジャック・ジョンソン(米)、ボクシング・ヘビー級初の黒人世界チャンピョンになる。

12月28日

東洋拓殖会社設立。資本金千万円(うち300万円は韓国政府引受、二束三文の評価で300万円分の土地1万1千町歩を供出させる)。総裁宇佐川一正(陸軍中将)。興銀、起業資金1296万円借款。日本政府、起業資金100万円借款。

創立以降、民有地買収を進め、1914年には水田4万6642町歩・畑1万8753町歩に山林・雑種地を加え7万143町歩の大地主となる。日本政府は創立から8年間30万円/年を補助、以降~1924年まで政府株への配当免除の優遇。


「戦前の日本における南満洲鉄道株式会社(満鉄)と並ぶ二大国策会社であり、大東亜共栄圏内の植民地政策に関して特権的な利権を保有しており、北はソビエト連邦国境から南は南方諸島まで、関連会社・子会社は85社を超えた。終戦時、朝鮮に所有していた土地は25万町歩に及び、朝鮮最大の地主であった。」(Wikipedia)

12月28日

京漢鉄道、ベルギーより回収。

12月28日

駐清公使伊集院彦吉、清国と満州懸案(法庫門鉄道、間島問題など)に関する交渉を開始。

12月28日

シチリアのメッシーナ(イタリア)で大地震。死者15万~20万。

12月31日

函館にいる啄木の妻節子、室料を払ったあと、彼女の手に残ったのは5厘玉1つであった。

節子は、この窮乏をありのまま夫に報告した。節子にとっては、それは夫に対する苦情や不満ではなく、そうした窮乏の中で働く自分を励ましてもらいたいという夫への甘えからであった。しかし啄木は自己の無能に対する妻の恨みと解釈した。

「せつ子から封書の賀状が来た。大晦日に室料を払って五厘残ったと!そして賀状のかげには予が金をおくらなかった事に対するうらみが読まれる。予は気まづくなった。」(「啄木日記」明治42年1月3日)


「節子は働きながら東京にいる啄木以上の貧しい生活であった。」

「郁雨の温情に縋りながらも、節子は語るに語れぬ家計の実状を胸ひとつにしまって教壇に立っていた可能性がある。その結果の明治四十一年十二月三十一日の残金五厘である。節子は事実を書いただけなのに、啄木は非難されていると直感する。敏感にならざるを得ない素地と弱みが夫の側にあってのことである。『鳥影』がはじめて原稿料をもたらしたのであるから、半額か三分の一でも妻に送ってやるのが、せめてもの心やりであった。」(澤地久枝『石川節子 - 愛の永遠を信じたく侯』)

12月31日

ハンガリー、ブダペシュト、鉄工労働者、ゼネストで組合活動停止の政府攻撃はねかえす。


つづく