2026年3月22日日曜日

自宅近くの桜 ソメイヨシノちらほら咲き コヒガンザクラ満開 陽光満開 その他品種不詳の桜も満開 夜は中華料理「青蓮」さんで 2026-03-21

 3月21日(土、昨日)晴れ

自宅近くの桜の開花状況を観ながら、自宅近くを2時間ほど散歩した。

▼ソメイヨシノ

横浜のソメイヨシノの公式開花は今日(3月22日)と予想されているが、自宅近くではもう既にちらほら空き始めている。





▼コヒガンザクラ(小彼岸桜)

これはいまが満開



▼ヨウコウ(陽光)

これも今が満開



▼品種不詳

これももう殆ど満開。品種は不詳。


▼品種不詳

こちらも品種不詳。近くで見たところ、どうやら上(↑)と同じ品種らしい。これも満開。

▼晩ご飯は、次男と一緒に近くの中華料理「青蓮」さんで

まだ日本語が流暢でない店員さんが、頑張ってサービスしてくれた。

麻婆豆腐が特に美味しかった。










2026年3月21日土曜日

昨夜の高市首相の晩餐会で、4番目の席次についたミリアム・アデルソンは、世界長者番付け 48位の資産家ですが、その富を「イスラエル大使館のエルサレム移転」「ゴラン高原の承認」といった親イスラエル政策を生み出すために惜しげなく投じてきたアメリカ政財界最大のシオニスト。 / また、イスラエル軍との戦略的パートナーシップを締結し、キル・チェーンを提供、人権問題を指摘されているパランティア社のCEO アレックス・カープは前の方の席に。 高市政権の今回の訪米が、親イスラエル資本と軍事AI企業の利益と不可分な構造下で行われた、ということが改めて可視化された形。   

米国家情報長官、トランプ氏の対イラン攻撃事由「差し迫った脅威」から距離置く(AFPBB); 米国のトゥルシ・ギャバード国家情報長官は19日、同国とイスラエルが対イラン軍事作戦を開始する前にイランが「差し迫った脅威」だったとするドナルド・トランプ大統領の主張を裏付けるのを改めて拒否した。 / イランの「差し迫った脅威」めぐり米CIA長官らが議会証言、トランプ大統領の見解と矛盾(CNN); 国家情報長官のトゥルシ・ギャバード氏、中央情報局(CIA)長官のジョン・ラトクリフ氏、連邦捜査局(FBI)長官のカシュ・パテル氏が証言。トランプ大統領や政権側のこれまでの見解と矛盾する発言が相次ぎ、大統領らの見解を裏付ける根拠も提示できなかった

大杉栄とその時代年表(785) 1908(明治41)年6月11日~13日 「今の世でも理想家はある。しかし多くの理想家の理想は死(しに)理想で役に立たぬ。実際家は固(もとよ)り多い。しかし実際家は実際にかまけて理想を缺(か)きが故に、其の為(す)る所は動(やや)もすれば小細工に流れケチになる。理想に囚われず、実際に役(えき)せられず、超然として心を物外(ぶつがい)に置きながら、驀地(まつしぐら)に物内に突入して活殺自在の働きを為し得る底(てい)の其人物は存外少ない。否殆ど無いが、僕の見た男爵(後藤新平)は則ち其の人たるに庶幾(ちか)い」 (二葉亭四迷「入露記」)

 

後藤新平

大杉栄とその時代年表(784) 1908(明治41)年6月4日~11日 「馬場氏は、自然派の文が感情を軽んじてゐる事を難じ、且つ若いうちは延ばすに可いだけ延ばして書くべしと云つた。藤村の“春”については、真摯でない点があると云つた。 此人は常に一寸捻くれた頭を持つた人で、其いふ事がキビキビしてゐる。学生の堕落といふ事を話した時、今日が昔に比して学生が悪くなつたのでなくて、詰り悪い事をする様な者まで学生になる程、教育の範囲が広くなつた、と評した。」(啄木日記) より続く

1908(明治41)年

6月11日

「六月十一日

(略)

夕方、金田一君と二人話してる所へ、女中が来て、先月分の下宿料の催促。

七時半、森先生を訪ねた。雨がふつてきた。佐々木信綱君が来た。八時半“天鵞絨”の原稿を持つて帰つて来た。

森先生の六才になるまり子さんが、ピヤノを習つてるといふ。

“天鵞絨”の中には、先生の一々誤や訛を正して下すつた一葉の紙が入つてゐた!

九時頃、金田一君が其衣服を典じて十二金を拵へて来て貸してくれた!

二時までかかつて、“二筋の血”三十三枚脱稿した。


六月十二日

十時起きて、“二筋の血”を読直し、“天鵞絨”を訂正した。一時頃出かけて、春陽堂をとひ、後藤氏留守、編輯の人某氏に逢つて原稿料の件相談。アトで返事して貰ふことにして帰る。

昨夜の十二円のうち十円だけ宿へやる。

(略)

七時半、駿河台に長谷川天渓氏を訪ひ、“二筋の血”“天鵞絨”二篇置いて来た。

帰に東明館で、一円六十五銭で単衣一枚買つた。金田一君また五円貸す。

歌を直して一時寝る。


六月十三日

午前、為替を受取り、湯に入り、髪をかり、原稿紙と百合の花と足袋と櫛と香油と郵便切手と買つて来た。

(略)

今日先月分の下宿料皆払ひ、金田一君に一円かへした。

(略)」(啄木日記)


6月12日

二葉亭四迷、東京発。福田英子も見送る。送別会に出席できなかった親友横山源之助が国府津まで同乗。

13日朝、大阪着~敦賀着。

14日、ウラジオストクから帰朝した初代満鉄総裁後藤新平に会い、米原までの車中で満州問題での意見を聞く。

17日午前11時半、神戸発、神戸丸で大連に向う。1等船室で3食とも西洋料理、船賃は42円。食堂のボーイと船室付きのボーイに計4円のチップをはずむ。「乞食が一足飛に華族になったような気持がして」落着かない。

18日朝、宇品にて妻(25)に手紙。眉山の自殺の報に、「これにつけても文士生活はいやなものに候」。池辺三山へは後藤新平との会見記を送る。

18日夜半、門司着。

22日午後3時、大連着。


〈関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』より〉

14日午前、二葉亭は敦賀で初代満鉄総裁後藤新平と会見した。単独インタビューの心づもりだったが、記者たちが合流したので共同記者会見に流れ、話も一般論に傾いてしまった。そこで二葉亭が、ロシアは南満洲鉄道から国際的意味を奪い、一地方鉄道に転落させて日本が経済的に維持できなくなるよう画策しているのではないかと質問すると、後藤は体をぐるりとまわして二葉亭をじっと見つめ、君の問いは大いに肯綮(こうけい)にあたっている、と二度繰り返した。

その後、後藤は列車で敦賀から東京へ向かうが、二葉亭も一等切符を買い、同じ車両にに乗りこんで米原まで同行した。後藤は、二葉亭を記憶していて、自分のそばにすわるようにいった。そして、二葉亭が旬日のうちには満洲を経由してロシアに向かうことを知ると、声をひそめて「そんなら言うて聴かすが決して誰にもいうてはならぬぞ、君の社の者にもいうてはならぬぞ、君一人の胸に秘めて置くのだぞ」と前置いてから、国際急行列車をイルクーツク、寛城子(長春)間に通す交渉をロシアと行なったこと、これに対しロシアは、ハルビン、寛城子間ならその可能性があるとにおわせたことなどを語った。

この頃、寛城子以北ハルビンまでの満洲鉄道北部と、イルクーツク東方チタでシベリア鉄道本線と分岐し、満洲里、ハルビン、牡丹江、ボグラニチナヤ、ニコリスクを経てウラジオストクに至る東清鉄道はともにロシアの管理下にあった。ロシア鉄道は5フィート軌間であり、寛城子以南大連までの南満洲鉄道と奉天、安東から京城、釜山に至る朝鮮鉄道は4フィート8インチの標準軌間で敷設、または敷設中だった。

日露戦争以前は南満洲鉄道もロシア軌だったのだが、開戦後日本軍が大連を占領し北上作戦を展開するとき、日本から搬送した3フィート6インチの日本軌間用の軍需列車を走らせ、かつロシア軍が遺棄した貨車をも利用するため、広いロシア軌を生かしながら、その軌間に第三線を敷きつつ順次北上するという、世界鉄道史上画期的な工事を行なった。

日露戦争後日本は満洲鉄道会社を設立、3フィート6インチ軌と5フィート軌を再度4フィート8インチの標準軌にあらためた。これは中国各地に列強が敷いていた鉄道との将来の連絡乗入れをもくろんだためでもあるが、一朝事あるときロシア軍の直接進出を阻害するという、もうひとつのより重要な目的があった。

後藤は日露両鉄道共存をめざし、将来の相互乗入れにそなえてロシア鉄道とドイツ=オーストリア鉄道の連絡点を調査させていると二葉亭に語った。その調査員の一人が、のちにべテルブルグで病床に臥した二葉亭を世話する夏秋亀一である。

ロシアと融和的でありながら満洲における日本の権益を守ろうとした日露同盟主義の後藤の態度に二葉亭は感銘を受けた。二葉亭もまた、日露戦争では日本はロシアに辛勝したにすぎず、その広大な国土と膨大な人口を背景にした国力を思うとき、日露が再び対するなら日本は必敗だと考えていた。

「今の世でも理想家はある。しかし多くの理想家の理想は死(しに)理想で役に立たぬ。実際家は固(もとよ)り多い。しかし実際家は実際にかまけて理想を缺(か)きが故に、其の為(す)る所は動(やや)もすれば小細工に流れケチになる。理想に囚われず、実際に役(えき)せられず、超然として心を物外(ぶつがい)に置きながら、驀地(まつしぐら)に物内に突入して活殺自在の働きを為し得る底(てい)の其人物は存外少ない。否殆ど無いが、僕の見た男爵(後藤新平)は則ち其の人たるに庶幾(ちか)い」 (「入露記」)

二葉亭は後藤の人品骨柄に感銘を受けた。初対面の自分をたちまち見込んで国家的機密を打ち明けて同憂の士として扱い、ロシアでの見聞を内報して欲しい、そのためには金銭の援助もすると告げた豪快さに、自分がかつて志した経論家の理想像を見た。

後藤にしてみれば、車中の無聊を慰める相手にしただけというのが実情に近いかも知れない。しかし、ペテルブルグにおける満鉄社員夏秋亀一の献身ぶりや、帰国にあたっては金のかさむヨーロッパ回りのルートをしぶる二葉亭を説得し資金の面倒を見たのは、べテルブルグに滞在する満鉄理事田中清次郎だったから、その背景には後藤の好意があったとも思われる

後藤が二葉亭に漏らした情報は、いま読む限りはさしたる機密とも思えないが、対露協調を強くいうことをはばかられる空気が当時の日本にはあったのだろう。二葉亭の手紙を受け取った池辺三山は、二葉亭との約束を守ってその内容を語らず、記事にすることもなかった。

6月12日

独の細菌学者コッホ来日。睡眠病に関する講演を行う。

8月 フレンケルなど、この前後、外国の医学者の来日数人。

6月13日

横浜正金銀行、漢冶萍鉄廠鉱 有限公司借款150万円成立。

6月13日

漱石「文鳥」(「大阪朝日新聞」連載、~21日)後に10月「ホトトギス」に一括転載)

夏目漱石「文鳥」(青空文庫)

松根東洋城の勧めで飼うことになった文鳥に餌をやるのを忘れたために死なせてしまったエピソードに基づく。

「美しいものの死」という主題から、「漱石の養父、塩原昌之助の後妻の連れ子で、漱石と家族として暮らした日根野れんが病没した10日後に『文鳥』の連載が始められた。『文鳥』は、れんの追悼の小説ともされる。漱石が18歳の時に嫁いだ日根野れんは『道草』の御縫さんのモデルでもある。」(Wikipedia)とも。

6月13日

宮城控訴院で電車賃値上反対騒擾事件の控訴審判決。

第一審は取り消し、凶徒聚集罪で、西川光二郎は重禁錮2年、大杉栄、岡千代彦、山口孤剣、吉川守圀、樋口伝、松永敏太郎は重禁錮1年6ヵ月、鈴木高次は重禁錮6ヵ月(執行猶予2年)、半田一郎、竹内余所次郎、増山伝吉、斎藤兼治郎は罰金10円。

16日、これを不服として大審院に告訴。


つづく

メキシコ大統領、キューバへの石油供給再開を検討 Xで反米声高まる / キューバ危機に中国欧州ブラジルが支援相次ぐ 日本は対応示さず ; 米国禁輸強化で深刻なエネルギー・食糧危機に陥ったキューバに対し、中国は6万トンの米を輸送し太陽光発電所建設も支援。欧州からは医薬品と発電機、ブラジルは2万トンの食料を発表し、ロシアも石油を送っている。

イタリア、イスラエルの対中東覇権主義的野望を理由に、イスラエルとのすべての外交関係をボイコットすると表明 / 伊メローニ氏、米国イスラエルのイラン攻撃を批判「国際法の範囲外」(朝日); イタリアのメローニ首相は11日、上院で演説し、米国とイスラエルによるイラン攻撃について、「国際法の範囲外」の介入だったと批判した。 / イタリアのメローニ首相「イランのミナブ小学校で起きた少女たちの虐殺に対し、強く非難の意を表明し、犠牲者のご家族に連帯を表明するとともに、この悲劇の責任を迅速に明らかにすることを求めます」 / ・「イタリアは米・イスラエルによるイラン攻撃には参加していないし、今後も参加しない」と議会で発言 ・軍事行動ではなく 外交的解決を目指す立場を強調(Italy Won’t Join US-Israeli Attacks on Iran, Meloni Says;Bloomberg) / 三牧教授『アメリカとイスラエルの軍事行動には国際法上問題。国民もこうした違法な軍事行動に協力したくないという世論も背負って首脳の態度もだんだん変わっている』       

近くのお寿司屋さんで家族誕生日会 2026-03-20

 3月20日(金、昨日)曇り

この日、近くのお寿司屋さん「権太郎」で、実際は1ヶ月遅れとなる家族誕生日会「2月生まれの会」を開催。家族中に3人が2月生まれ。

会食後は自宅へ。改装したキッチンのお披露目。

孫ちゃん2人には次男がお相手をしてくれたので、次男は姪疲れ状態だった。











2026年3月20日金曜日

「「対等の関係」をつくる事...それは「媚を売る」ことではなく、見識や行動で相手の「尊敬を得る」事だった。女性宰相でもサッチャーやメルケルはそうだった。抱きつくだけではなく、女性宰相としての沽券を示して欲しい。」(田中均) / 高市首相、トランプ氏に「世界の平和に貢献できるのはドナルドだけ」(朝日) / 「発言内容のどうしようもない低レベルさにも呆れたが、眼使いと顔の表情と動作で媚びて見せるこの女性がわが国の首相では恥ずかしい。」(堀茂樹) / 「高市早苗がトランプのパールハーバージョークに言い返さなかったので、日本人は奇襲する卑怯な人々だという人種差別は事実で日本の首相さえも認めたということにFoxを始めとする米国の右派が捉え始めたとのこと。」(kazukazu) / 「真珠湾攻撃。CBS, ABC, ロイター、Fox News, NYT, WaPo, ブルームバーグ、アルジャジーラ、果てはTMZ, Pop Baseまで報じてる。そして、政治インフルエンサーたちが。」(堂本かおる)

 

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大杉栄とその時代年表(784) 1908(明治41)年6月4日~11日 「馬場氏は、自然派の文が感情を軽んじてゐる事を難じ、且つ若いうちは延ばすに可いだけ延ばして書くべしと云つた。藤村の“春”については、真摯でない点があると云つた。 此人は常に一寸捻くれた頭を持つた人で、其いふ事がキビキビしてゐる。学生の堕落といふ事を話した時、今日が昔に比して学生が悪くなつたのでなくて、詰り悪い事をする様な者まで学生になる程、教育の範囲が広くなつた、と評した。」(啄木日記)

 

馬場胡蝶

1908(明治41)年

6月4日

啄木(22)、森鴎外に「病院の窓」、「天鵞絨」の出版紹介懇願(「病院の窓」は鴎外の尽力により春陽堂と購入契約。但し、原稿料22円の支払いは8ヶ月後)。

6日、「明星」添削料60銭受取る。

11日、金田一より11円借りる。

13日「明星」添削料3円届く。

中旬~下旬、小説創作の失敗を自覚。植木貞子との関係、筑紫の歌人菅原芳子との文通、娘京子の病気(ジフテリヤ)、川上眉山の自殺、国木田独歩の死等に心を乱し、苦悩を短歌にまぎらす。(歌稿ノート「暇ナ時」。) 

6月5日

石川三四郎翻訳「無政府主義の大成者クロポトキン」(「世界婦人」第25号)。クロポトキン自伝。浅草で立売りするが売切れる。幸徳からは絶賛の手紙。田中正造・金子喜一(在米)からは婦人問題の取上げが少ないとの意見が寄せられる(以降も改善されず)。

6月5日

(漱石)

「六月五日 (金)、純一の誕生日。

六月六日 (土)、小宮豊隆来て、夕方、帰る。二葉亭四迷の壮行会が上野精養軒で催され出席する。(二葉亭四迷、はヴァシリー・イヴァノヴィッチ・ネミロヴィチ=ダンチェンコの推挙で、「朝日新聞」 ロシア特派員として、ペテルブルグに赴くことになる)


六月十二日(金)、新橋停車場出発。十七日(水)神戸から大連に向い、ハルビンを経て、七月十二日 (日) シベリア鉄道でモスクワ着。七月十四日 (火) 首都ペテルプルグ (レニングラード) に到着する。」(荒正人、前掲書)

6月5日

大杉栄「防禦虚無主義ー瑞典に於ける新非軍備主義運動」(『熊本評論』)

6月5日

横浜電気鉄道の車掌、運転手130人余、で労働条件改善を要求し、同盟罷業。

6月6日

外務次官に石井菊次郎、駐ドイツ日本大使に珍田捨己、駐イタリア日本大使に林權助、駐清公使に伊集院彦吉を各任命。

6月6日

二葉亭四迷のロシア行の送別会。上野精養軒。田山花袋(博文館館員)、長谷川天渓、坪内逍遥、内田魯庵、川上眉山ら39人。

6月6日

丸の内濠端の螢繁殖。夜更けまで螢狩り賑う。

6月6日

岩谷商会、20世紀冷蔵器(家庭、営業、運搬用)発売。漸次普及。

6月6日

大谷光瑞、六甲山に建設中の別邸を二楽荘と命名。豪奢な調度、施設ケーブルカーなど話題となる。

6月6日

「六月六日

十一時に起床。間もなく貞子さんが来た。いろいろな衣服の地や色の事を聞いた。二時半に帰つてゆく。

“朝”を一枚許り書いたが、与謝野氏が来いと云つて来てた事を思出して、音楽通解といふ本を売つて電車賃を拵へた。千駄ヶ谷にゆくと、芊々と生ひ繁つた夏草に風が泳いで、二週間も殆んど外出しなかつた目には異様になつかしい。例の四畳半には生田君も来てゐた。やがて物集和子・芳子氏も来られた。

ドストイエフスキイの小説“罪と罰”中の人物が、貧乏して貧乏して、何所か遠方へ行かうにも旅費がなかつたので、妻の一張羅の衣服を典ずると、其旅費と、家族が二三ヶ月間生活するだけの金が出来たと云ふ。それが貧乏ならいくら貧乏しても可いと笑つた。

馬場氏は、自然派の文が感情を軽んじてゐる事を難じ、且つ若いうちは延ばすに可いだけ延ばして書くべしと云つた。藤村の“春”については、真摯でない点があると云つた。

此人は常に一寸捻くれた頭を持つた人で、其いふ事がキビキビしてゐる。学生の堕落といふ事を話した時、今日が昔に比して学生が悪くなつたのでなくて、詰り悪い事をする様な者まで学生になる程、教育の範囲が広くなつた、と評した。

晩餐を了へてから帰つて来た。金星会の規則書請求が数通に、歌が二人分。

その三十銭の為替二枚を持つて行つて、文友堂から原稿紙とインキを買つて来た。」(啄木日記)

6月6日

仏、離婚・別居関連法改正。3年間の別居後、一方の請求で法的判断の上離婚が認められる。

6月7日

(漱石)

「六月七日 (日)、東京朝日新聞社主催の第五回 (推定)朝日講演会で講演を中村蓊(古峡)を通じて依頼されたが、断る。(大塚保治も断る)小宮豊隆来る。筆・恒子を連れて、東京座(神田区三崎町二丁目一番地、現・千代田区三崎町) のお伽芝居に行った

けれども、遅すぎて入れぬ。錦輝館(神田区錦町三丁目十八番地、現・千代田区神田錦町) で活動写真を見る。

六月八日 (月)、「長一寸八分 (五・四センチ) 幅一寸二、三分(約三、四センチ)厚五分(一・五センチ)位ノ雹降ル (六月八日)」 (「断片」 (小宮豊隆校訂))晴。午後一時頃から雨降り、約一時間で止み、雹降り始め、四時半まで降り続く。中村蓊(古峡)来て、徴兵検査で砲兵甲種に合格したので、軍隊の事情を森鴎外に聞きたいから (推定)紹介状欲しいと頼まれ書く。

 (六月九日 (火)、ヤマト・デパートメントストア (牛込区神楽坂、現・新宿区神楽坂)開店する。)

六月十一日 (木)、小宮豊隆来る。夜遅く、雨の降りそうな空模様のなかを帰る。

六月十一日 (木) から二十五日 (木) の間(推定) の木曜日の午前中に物集和子・芳子、二葉亭四迷の名刺を持参して、文学上の指導を依頼に来る。


(*中村蓊)明治四十年七月東京帝国大学文科大学英文学科卒。その後、東京朝日新聞社に入社する。森鴎外に紹介を求めたのは、入隊する軍隊への紹介を求めたものかと想像される。六月十一日 (木)に、森鴎外を訪ねる。(「森鴎外日記」)


(*ヤマト・デパートメントストア)三階建、勧工場からデパートメントストアになる。


(*)二か月ほどして、物集和子・芳子は原稿を持参する。物集芳子が一つ及第し、物集和子は二つ共落第する。物集和子のものは、自然主義の影響を受けたものである。物集芳子は、その後、吉野作造の世話で、外交官と結婚し、アメリカに渡る。帰国後、平塚明子(雷鳥)が訪ねて来て、『青鞜』を創刊することになり、大倉(物集)芳子の家(本郷区駒込林町九番地)の裏口に、青鞜社の看板を出す。明治四十四年九月号(創刊号)から第二巻第八号までの『青鞜』は、ここから発行される。『青鞜』は、森鴎外の命名である。」(荒正人、前掲書)


6月7日

石川三四郎出獄歓迎会。淀橋町十二社の桜山。園遊会形式で、参加者50余名。豆入りの握り飯を食べながら革命歌を歌う。

6月8日

関東地方(東京、神奈川地方)に大降雹。直径12センチにおよぶものあり、農作物の被害甚大。

6月8日

東京人造肥料(株)、株式総会で帝国肥料(株)、北海道人造肥料(株)の合併を可決。8月18日、引継事務完了。

6月8日

「六月八日

(略)

降雹の真最中に森先生から手紙。予の小説二つ春陽堂にやつてある事、次回の歌会の兼題など知らして来た。貞子さんからも葉書一枚。

(略)」


「六月九日

(略)

朝八時頃起床。“病院の窓”春陽堂で買取る事に決つたが、報酬は登載の上といふ鴎外先生からの葉書。返事を出した。

(略)

七時頃鴎外先生を訪うたが不在。・・・・・

(略)」(啄木日記)

6月8日

全国資源保全委員会、大統領による任命。

6月9日

岩手県藤根村の尋常小学(准)訓導で在郷軍人会分会に参加する高橋峯次郎、「真友」発行。~1944年3月。号外なども合わせ180号余発行。発行主体は、当初真友会、1913年以降は帝国在郷軍人会藤根村分会。

「農家の実行すべき三則」として、「労働の習慣」「節倹」「風俗の改良」をあげ、そのことを通じての農村青年の主体形成が期待される。

6月10日

幸徳秋水、新美卯一郎(熊本評論社)に無政府共産主義披露する書簡。

6月10日

川上貞奴、西園寺首相邸夜会出演。新派合同共演。

6月10日

日新火災海上保険設立

6月11日

森近運平、新宮の大石誠之助方に2週間滞在。


つづく


高市首相、オートペン肖像画を見て笑う動画で国内批判殺到 ; 3月19日のトランプ大統領との日米首脳会談中、高市首相が高市就任後初の訪米でホワイトハウスの「Presidential Walk of Fame」を訪れ、バイデン氏の自動署名機写真を見て笑う動画がXで広がった。トランプ政権が2025年9月に設置したこの展示はバイデン批判の象徴で、英語圏では喜びの声が上がったが、日本語圏では「日本の恥」「態度が変わる」との非難が相次ぎ、#高市やめろがトレンド入りした。会談自体は安全保障や経済を協議したが、首相の反応に品位を問う声が国内で強まっている。 / 「流石にドン引き」高市首相 バイデン前大統領“揶揄”したホワイトハウス展示物に指さして笑顔…トランプ氏への“同調”ムーブが物議(女性自身)