2026年3月24日火曜日

鎌倉 本覚寺と安国論寺の枝垂桜が見頃・満開 2026-03-24

 3月24日(火)晴れ

鎌倉の本覚寺と安国論寺の枝垂桜が見頃・満開になっている。

ただ、見頃・満開といっても満開ピークにはなっていない感じ。蕾も多い。

但し、今年は残念ながら、今日を逃すと暫くは晴れの日がないような天気予報になっているので、晴れの日の桜は今日で見納めかも、、、?

この他、大巧寺、妙本寺、長勝寺にも廻ったので、これらの状況は別記事にて。

▼本覚寺






▼安国論寺







トランプ米大統領、ヘグセス国防長官に「君が最初に声を上げたと思う」 対イラン軍事作戦(産経); トランプ氏は、対イラン軍事作戦に関して、「ピート、君が最初に声を上げたと思うよ。『彼らに核兵器を持たせるわけにはいかないから、やろう』と言ったのは君だった」と語った。

 

340人以上の退役した米軍の将軍・提督および国家安全保障の専門家が、ドナルド・トランプはアメリカの民主主義に対する脅威であるとする公開警告を発した。 この批判には、彼の政権内で要職を務めた人物――ジョン・ケリーやマーク・ミリーも加わっている。ミリーはトランプを「国家にとって最も危険な人物」と直接的に評した。 特に懸念されているのは、イランに対する戦略である。 軍事専門家たちは、それが不当にリスクが高く、計画性に欠けるものだと見ている。 明確な目標の代わりに矛盾した発言があり、対話の代わりに個人攻撃や脅しが用いられているという。 退役軍人たちは、このようなアプローチがイラク戦争やアフガニスタン戦争の過ちを、さらに危険な規模で繰り返す恐れがあると警告している。

 

340人以上の退役した米軍の将軍・提督および国家安全保障の専門家が、ドナルド・トランプはアメリカの民主主義に対する脅威であるとする公開警告を発した。
 
 この批判には、彼の政権内で要職を務めた人物――ジョン・ケリーやマーク・ミリーも加わっている。ミリーはトランプを「国家にとって最も危険な人物」と直接的に評した。 

特に懸念されているのは、イランに対する戦略である。
軍事専門家たちは、それが不当にリスクが高く、計画性に欠けるものだと見ている。
明確な目標の代わりに矛盾した発言があり、対話の代わりに個人攻撃や脅しが用いられているという。 

 退役軍人たちは、このようなアプローチがイラク戦争やアフガニスタン戦争の過ちを、さらに危険な規模で繰り返す恐れがあると警告している。

大杉栄とその時代年表(788) 1908(明治41)年6月22日 赤旗事件「それから皆は警視庁に移され、東京監獄(今の市ケ谷=いちがや)に移され、そして青鬼とあだ名された河島判事の予審に付せられた。罪名は官吏抗拒、および治安警察法違犯であった。公判の結果は、たかだが二カ月以上四カ月くらいなものだという見当だった。あんな何でもない、つまらん事件だもの、それ以上になりっこはないという、被告らの輿論だった。ところが意外にも、判決申し渡しは一年、一年半、二年の三種だった。それを聞いた時、わたしはほんとに「オヤ!」と思った。多くの被告は「無政府主義万歳!」を唱えて退廷した。婦人連のうち、二人は免訴となり、二人は執行猶予となった。」(堺利彦「赤旗事件の回顧」)

 

堺利彦

大杉栄とその時代年表(787) 1908(明治41)年6月16日~22日 二葉亭四迷が見た大連 「露国の遣方(やりかた)は実際的ではなかったから、こんなに大風呂敷を拡げやがって、尻括(しりくくり)が出来るか如何(どうか)怪しいものだと嘲けりながらも、眼前に大埠頭の海に突出し大厦高楼の巍然(ぎぜん)として広衢(こうく)の左右に聳ゆるのを見ては、竊(ひそか)にスラーブ民族の羽翮(うかく)の力存外強く、一たび搏てば高く天に沖(ちゆう)する勢いあるに驚き、我が日本の前途の為に憂惧せざるを得なかった」 (「入露記」) より続く

1908(明治41)年

6月22日

赤旗事件

神田錦輝館、山口義三(孤剣)の各派合同歓迎会(発起人:石川三四郎・野沢重吉・斉藤兼次郎・幸内久太郎)。出席者50~60人。

6時の終了直前(余興「本能寺」の剣舞「敵は備中にあり汝能く備えよ」の句で)、大杉・荒畑が準備した「無政府共産」「無政府」と記す赤旗を翻し革命歌を歌う(議会政策派へのデモ)。吉川守国らは挑発に乗らず冷静に対応。大杉らは、場外で警官隊と乱闘。

荒畑寒村・山口義三・西川光二郎・大杉栄・堺利彦・山川均・森岡永治・宇都宮卓爾・百瀬晋・菅野須賀子・大須賀里子・神川松子・小暮レイ子ら16名逮捕。錦町警察署での暴行。

翌日、市ヶ谷拘置監に護送。

8月29日、判決。堺・山川・大杉・森岡2年、荒畑・宇都宮1年半、村木・百瀬・佐藤1年懲役。菅野無罪。

錦町警察署監房壁に「一刀両断帝王頭」の爪で書いた落書き見つかり、犯人として佐藤悟(19)が不敬罪で3年9ヶ月の懲役。真犯人は宇都宮との説。


直後、西園寺は原敬に相談せず元老山縣と秘かに会う。自己保身から政権たらい回しの密約を結び、辞意を漏らす。


堺利彦「赤旗事件の回顧」(青空文庫)より〉


(略)

神田錦町の錦輝館(きんきかん)の二階の広間、正面の舞台には伊藤痴遊君が着席して、明智光秀の本能寺襲撃か何かの講演をやってる。・・・・・

この集会は、山口孤剣(やまぐちこけん・義三)君の出獄歓迎会であった。当時の社会主義運動には「分派」の争いが激しく、憎悪、反感、罵詈、嘲笑、批難、攻撃が、ずいぶんきたならしく両派の間に交換されていた。しかし山口君は、その前年皆が大合同で日刊平民新聞をやっていたころから、いくばくも立たないうちに入獄したので、この憎悪、反感の的からはずれていた。そこで彼の出獄を歓迎する集会には、両派の代表者らしい者がほとんどみな出席していた。・・・・・

久しぶり両派の人々がこうした因縁で一堂に会したのだから、自然そこに一脈の和気も生じたわけだが、しかし一面にはやはり、どうしても、対抗の気分、にらみあいの気味があった。けれども会はだいたい面白く無事に終わって、散会が宣告された。皆がそろそろ立ちかけた。するとたちまち一群の青年の間に、赤い、大きな、旗がひるがえされた。彼らはその二つの旗を打ち振りつつ、例の○○歌か何か歌いながら、階段を降りて、玄関の方に出て行った。会衆の一部はそれに続き、一部はあとに残っていた。玄関口の方がだいぶん騒がしいので、わたしも急いで降りてみると、赤旗連中はもう表の通りに出て、そこで何か警察官ともみあいをやっていた。わたしが表に飛び出した時には、一人の巡査がだれかの持っている赤旗を無理やり取りあげようとしていた。多くの男女はそれを取られまいとして争っていた。わたしはすぐその間に飛び込んで、そんな乱暴なまねをしないでもいいだろうという調子で、いろいろ巡査をなだめたところ、それでは旗を巻いて行け、よろしいということになり、それでそこは一トかたついた。錦輝館の二階を見あげると、そこにはあとに残った人たちがみな縁側に出て来て見物していた。

しかしわたしはすぐ別の方面に目を引かれた。少し離れた向こうの通りに、そこでもまた、赤旗を中心に、一群の男女と二、三人の巡査が盛んにもみあっていた。わたしはまた飛んで行って、その巡査をなだめた。あちらでも旗を巻いて行くことに話ができたのだからと、ヤットのことで彼らを説きふせた。しかし騒ぎはそれで止まらなかった。巻いた旗が再び自然にほぐれた。巡査らはまたそれに飛びかかった。あちらにも、こちらにも、激しいもみあいが続いた。錦輝館の前通りから一ツ橋通りにかけて、まっ黒な人だかりになった。その中に二つの赤旗がおりおり高くひるがえされたり、すぐにまた引きずりおろされたりした。目の血ばしった青年、片そでのちぎれた若者、振りみだした髪を背になびかせて走っている少女などが、みな口々にワメキ叫んでいた。そして巡査らがいちいちそれを追いまわしたり、引っつかまえたり、ネジふせたりしていた。わたしは最後に一ツ橋の通りで、また巡査をいろいろになだめすかし、一つの赤旗を巻いて若い二人の婦人にあずけ、決して再びそれをほぐらかさぬこと、そしてまた決してそれを他の男に渡さず、おとなしく持って帰ることという堅い約束をして、それでヤット始末をつけた。その時、今一つの赤旗はすでに、それを取られまいと守っていた数人の青年と一緒に、巡査に引きずられて行ってしまった。

それからわたしは神保町に歩いて行くうち、たしか山川均君と落ちあった。山川君もほぼわたしと同じような役まわりを勤めていたらしい。それで、引っ張られた者は仕方がないとして、山川君は守田有秋君が二六新報社で待ち合わせてるはずだから、そこに行くと言い、わたしはそのまま淀橋の宅に帰るつもりで、二人が別れようとしているところに、また巡査が二、三人やって来た。そしてわたしらをも警察に連れて行くという。それはおかしいじゃないかと言ってみたが、どうも仕方がない、やはり連れて行かれた。

この日の外面に現われた事柄はただこれだけだった。イタズラの張本人は大杉君で、荒畑寒村君なども参謀の一人だったろう。山川君も顧問くらいの地位に居たかしれない。赤旗というのは、二尺に三尺くらいの赤いカナキンを、短い太い竹ざおにゆわえつけたもので、一つには○○○(無政府)、一つには○○○○○(無政府共産)と白い布を切ってこしらえた五つの文字が張りつけられてあった。

(略)

・・・・・わたしは山川君とふたり、錦町の警察に連れて行かれてみると、そこの留置場にはすでに大杉、荒畑、森岡、百瀬、村木、宇都宮、佐藤などの猛者が来ており、外に神川、管野、小暮、大須賀などの婦人連も来ていた。留置場は三室あって、それが廊下を中心にして向かい合っていた。わたしの室にはわたしと外にだれか一人、隣の室には婦人連、そして向かい側の大部屋にはその他の大勢という割当てであったが、その大部屋はまるで動物園のおりよろしくで、皆が鉄ごうしにつかまって怒鳴る、わめく、笑いくずれるの大騒ぎであった。巡査の態度があんまりむちゃなので、みなとうとうこうしの中からつばを吐きかけることをもって唯一の戦闘手段とした。どうしたイキサツからであったか、大杉君はとうとう廊下に引っ張り出されて、さんざん○○○れた。彼はまっぱだかで、廊下の石だたみの上に、仰向けに大の字に寝ていた。○○ならいくらでも○○、○○○○○○、とでも言ったような態度だった。巡査らはなおそれを○○たり、○○○たりした。皆はこうしの中から声を限りにののしりわめいた。○○○! ○○○! ○○! ○○!。巡査らはようやく少し態度を改めて大杉君を室内に入れた。皆が極度に興奮していたが、ことに荒畑君の興奮は容易に鎮静しなかった。巡査らは荒畑君をわたしの室に入れて、そして水を持って来た。わたしは荒畑君の頭を水で冷やした。向いの室では、小便に行くから戸をあけろあけろと怒鳴るが、巡査らは寄りつきもしなかった。そこでとうとう小便のはずんだ人たちは、こうしの中から廊下に向かってジャアジャアとやり出した。廊下は小便の池になってしまった。

それから皆は警視庁に移され、東京監獄(今の市ケ谷=いちがや)に移され、そして青鬼とあだ名された河島判事の予審に付せられた。罪名は官吏抗拒、および治安警察法違犯であった。公判の結果は、たかだが二カ月以上四カ月くらいなものだという見当だった。あんな何でもない、つまらん事件だもの、それ以上になりっこはないという、被告らの輿論だった。ところが意外にも、判決申し渡しは一年、一年半、二年の三種だった。それを聞いた時、わたしはほんとに「オヤ!」と思った。多くの被告は「無政府主義万歳!」を唱えて退廷した。婦人連のうち、二人は免訴となり、二人は執行猶予となった。

わたしは監獄に帰ってから考えた。二年ということになっちゃ、これはチョット冗談でない。俺はおまけに新聞紙法違犯で別に二カ月の刑をしょわされてる。これから二年二カ月! だいぶんシッカリしないと、やりきれないぞ。そう考えると、妙なもので、気分がスット引きしまってきた。勇気が出た。というよりはむしろ、落ちつきが出てきた。翌日からはモウ存外平気で、皆が申し合わせて控訴などいっさいやらぬことにし、そしてすぐに赤になって、「すずめおどりを見るような編みがさ姿」で千葉監獄に護送された。

ここに一つエピソードがある。我々が前記の錦町署の留置場を出たあとで、そこの板壁にある落書きの中に、何か知らんが「不敬」な文字が発見されたそうだ。そしてそれが佐藤君に対する嫌疑となった。彼はそれがため、別に不敬罪として起訴された。我々はそのことを市ケ谷の未決監で聞いて大いに心配した。心配したのは、佐藤君の刑期が二つ重なってたいへん永くなるということばかりでなく、実際その責任者が佐藤君であるかどうかが不分明であったからである。佐藤君はそのことにつき、未決監の中で、今一人のある男と、いろいろ言い争っていた。我々はそれを聞いて判断しかねていた。しかし裁判は決定して、佐藤君は不敬罪の方でも有罪となり、我々はみな一緒に千葉に送られた。ところで我々の問題が起こった。佐藤君は冤罪を着ているのではないか。もしそうだとすれば、今一人の男がけしからぬ。我々の多数はついに今一人の男を有罪と認め、それに絶交を申し渡した。我々はみな独房であったけれども、それが隣り合ったり、向かいあったりしているので、それにまた、運動や入浴の時など一緒に出されるので、ちょいちょい内証話をすることはできたのである。その時、わたしとしては、やはり今一人の男を疑ってはいたのだけれども、充分確かな証拠があるわけではなし、それを獄中で絶交するのはあまりひどいと考え、わたしだけはその絶交に加わらなかった。

この赤旗事件の時、幸徳君は郷里(土佐中村)に帰っていた。彼はほどなく上京してあとの運動を収拾しようとした。しかし形勢は大いに変化していた。同年七月、西園寺(さいおんじ)内閣が倒れて桂内閣がそれに代わった。西園寺内閣の倒れた原因の一つは、社会主義を寛容し過ぎて、ついに赤旗事件まで起こさせたという非難であったという。したがって桂新内閣の反動ぶりは盛んなものであった。そこで一方には赤旗事件で金曜会の連中が一掃され、一方にはまた、電車問題の凶徒聚衆事件が確定して、西川、山口等、多くの同志が投獄され、その他の人々は手も足も出しようがなく、運動は全く頓挫とんざの姿を呈した。幸徳君はこの形成の下にあって、ますますその無政府主義的態度を鮮明にし、ますます極端に走って行った。そして明治四三年九月、わたしが出獄した時にはすでにいわゆる大逆事件が起こっていた。(昭和二年六月太陽臨時号所載)


つづく

トランプ大統領のイラン攻撃延期発表前、巨額取引でインサイダー疑惑浮上 ; トランプのTACOアナウンスメントの5分前に$1.5BのS&P500先物が買われ、$192MのWTI原油先物が売られたと。どうみてもインサイダー取引。

元米国家テロ対策センター所長 ジョー ケント氏 “良心に照らし、若い男女を外国の戦場へ送り出し、死なせるような事はしない ・・・・・次の選挙に向けて全ての政党、全ての政治家に対して要求してください 「もしあなたが海外での戦争継続に賛成票を投じるつもりなら、私はあなた達には投票しない」と 議員に直接伝えるのです” / 「アメリカの18の情報機関すべてが一致した——イランには核爆弾を開発する能力がなかった」 「しかしイスラエルは、私たちに2週間で10発の爆弾を組み立てられるだろうと言っていた。」  


 元米国家テロ対策センター所長

ジョー ケント氏

“良心に照らし、若い男女を外国の戦場へ送り出し、死なせるような事はしない

我々はイラン戦争において極めて重要な局面を迎えている

私達は、この戦争を支持しない事を指導者に伝える必要がある

国家安全保障上の重大な利益があるとは考えていません

私達は、さらに20年以上も続く流血の惨事を望んでいません

次の選挙に向けて全ての政党、全ての政治家に対して要求してください

「もしあなたが海外での戦争継続に賛成票を投じるつもりなら、私はあなた達には投票しない」と

議員に直接伝えるのです”





 先日辞職した元トランプの側近の元特殊部隊。テロ対策センターの長だったジョー・ケントの証言

「アメリカの18の情報機関すべてが一致した——イランには核爆弾を開発する能力がなかった」

「しかしイスラエルは、私たちに2週間で10発の爆弾を組み立てられるだろうと言っていた。」

トランプは自国の情報機関よりもイスラエルを信じることを選んだ。



対イラン戦争は「計り知れない天恵」、長引かせ被害拡大するべき イスラエル安全保障内閣メンバー(AFPBB) / 「発電所攻撃の代わりに、長子殺しをせよ。ヴァヒディ、アラグチ、ガリバフの子供たちを始末せよ。親に手が出せなければ、子供を殺せ」。テルアビブ大学傘下のシンクタンクINSSに所属するイスラエルのアナリスト、オリット・ペルロフは、イランの子供たちを殺害するよう呼びかけた。後に削除」

ホワイトハウスのHPに掲載された高市早苗の写真、コレなに? → ネット騒然 高市首相が米国晩餐会で踊り叫んでる凄い写真「AI加工と思ったら」→米ホワイトハウス公式に掲載される 驚き「フェイクじゃないの?」「どういう状況?」「何してるの?」(デイリースポーツ) / 彼女は史上最も腐敗し、自己中心的なアメリカ大統領を訪問しており、その大統領は現在、世界全体を混乱に陥れようとしているのに、彼女は喜びに満ちて踊っている。 / 「屈辱の本質は高市早苗の行動だけにあるのではない。米国政府がこの写真を公式に公開したことにある。 米国政府が、日本を対等な同盟国としてではなく、帝国の空間内で親密さを演じる従順な愛妾として提示することに何の不適切さも見出さなかったことを意味するからだ。これこそが本当の恥辱だ」 / 「トランプは高市早苗議会演説、共同声明、桜の共同埴林全て断った。サナエやタカイチとすら呼ばなかった。単に見下し11兆円もぎ取っただけ。犠牲になったのは日本人。」    

2026年3月23日月曜日

【首相官邸ホームページ】 高市早苗がトランプに抱きつく姿はカット。 「世界を平和にできるのはドナルドだけ」もカット。 真珠湾攻撃もカット。 夕食会でのイエイ、イエイもカット。 やはり都合が悪いと認めた首相官邸。

とうとう、松井氏が吉村代表のことを独裁者と言いはじめました。吉村代表のバックには、橋下氏がいます。権力争い勃発です。 政権与党に入り、国保逃れで追及され、維新は行き詰まってきました。(松本悟)