2026年9月25日金曜日

1931(昭和6)年9月26日付け「大阪朝日」社説 「断じて他の容喙は無用、帝国政府の満州事変声明、正当なる我権益擁護のみ」。事変の正当性を強調。朝鮮派遣軍の越境までも容認する。 「朝鮮より数千名の増援隊を派遣したけれども、これも条約上の規定守備の兵員補充であって、決して必要以上の増兵はやっていない。帝国軍隊の行動は全く『正常なる権利の擁護のため』であって、決して局外者よりかれこれ非難さるべきではない。・・・吾人の見解では連盟がもしこれ以上に容喙するようのことあれば、それこそ必要以上に日本の国論を刺激し、却って実際上益なき結果となるであろう」

 

1931(昭和6)年9月21日、多門二郎中将の第2師団、吉林無血開城。朝鮮軍司令官林銑十郎、独断命令により混成第39旅団新義州で越境、満州に出動。 翌22日、閣議、関東軍の吉林出兵、朝鮮軍の独断越境、賛成も反対もなく追認。若槻首相は、天皇から不拡大方針徹底の念を押され、間島・ハルビンには出兵しないと奉答、金谷参謀総長も同様 より続く

1931(昭和6)年

9月23日

国民政府、「国民に告ぐる書」発表。「不抵抗」を説く。

9月23日

重光駐華公使、満州における軍の行動を外相宛上申で攻撃

9月23日

南陸相、首相らにハルビン以外に出兵せずと言明

9月23日

外相幣原喜重郎、駐日公使蔣作賓と会談。幣原は、事件は日本の責任と述べたという。

「十月三日付北京天津タイムス紙は九月二十三日付南京ロイテル通信として左の如き奇妙な報道を発表して居る。・・・発表者が外交部だけに問題であると思ふ」

「外交部長は昨日東京に着任した新駐日公使蔣作賓氏からの長文の電報を本日受取つた。それによれば蔣公使は昨日幣原外相を訪問し約一時間半に亘つて会談したが、その際外相は満州に起つた今回の事件の責は日本関東軍当局にある事を繰返し言明した」

(東亜経済調査局「東亜翻訳通信」10月21日)。「編集・発行兼印刷人」は大川周明。

9月23日

この日付け大阪朝日の記事。

「私は未熟な見習い看護婦ですが、どうぞ満州の曠野に戦ふ人々の看護のために満州へやつて下さい」と大阪府知事に願い出る若い女性。飛田遊郭の娼妓たちが満州の兵士を慰めるための慰問袋を作り始める。前夜の朝日新聞社主催の満州事変映画会には大観衆が集まり繰り返し4度映写。

9月23日

社説「満州事変の本質」(「東京日日」同日付)、政府の不拡大方針に疑問を呈し、「日本はまさに支那のために、国威と利益を蹂躙された被害者」であると抗議。

9月23日

国際連盟、満州事変のため緊急理事会を招集。満州事変に関してレルー議長より日中国外相に第1次勧告。


9月24日

上海、日本埠頭労働者3万5千、満州侵略抗議スト。大中小学生10万も抗議。

9月24日

重光葵駐中国公使、満州における軍の行動を外相宛の上申で攻撃。

9月24日

奉天に袁金鎧・干沖漢等により地方維持委員会、成立。

9月24日

参謀本部第1部長建川少将、帰任。

9月24日

政府、満州事変に関し第1次不拡大方針声明。

9月24日

三井と広東国民政府間の武器供給契約、解約。

9月24日

陸軍中央部、関東軍にハルビンと間島には出兵してはならないと指示

9月24日

黒龍会内田良平が、旧知の「大阪朝日」調査部長井上藤三郎を通じ、幹部への面会の申入れがあり、この日夜、大阪の料亭で井上は内田と会う。

井上は「大阪朝日」入社前、黒龍会の機関誌編集に携わっており、同社内の右翼との折衝窓口。この時の会談の内容は不明だが、翌25日の重役会で事変についての方針が協議され、高齢の為それまでほとんど顔をみせない村山龍平社長が出席し、重大な方針が決定されたことを窺がわせる。

「内田が井上を通じて、『大阪朝日』の姿勢を憫喝、脅迫した」と思われる(後藤孝夫「辛亥革命から満州事変へ-大阪朝日新聞と近代中国」1987年)。その結果、高原は満蒙放棄諭への釈明書を書くが、これは謝罪広告に近いもので、美土路昌一東京朝日編集局総務が「こんなものを出すと軍部に降伏したと物笑いになる」と掲載に強く反対し中止。美土路は抗議していた参謀本部次長二宮治重中将にかけあう。二宮と美土路とは激しくやり合い、2時間ほどの押問答の末、今後納得のゆくまで話し合おうということで結着、「謝罪広告」は出さずに済む。しかし、内田の直接行動をにおわせる個喝に、高原も大阪朝日編集幹部も屈伏。

9月24日

アメリカ、満州事変に関して同文覚書を日中両国代表に手交し、武力に依らない解決を希望。

9月24日

イタリア、外国為替管理を実施(中小国の為替管理が相次ぐ)。


9月25日

井上蔵相、金輸出再禁止の意思のない旨を言明。

9月25日

朝日新聞社大阪本社で役員会。「時局ニ対スル方針」。

「一、貴賓室にて村山社長より全役員と会し、時局問題に付社論の統一の事、及不景気急に回復せず、用紙の値下りもなきため、今後緊縮方針の話杯出づ。 一、・・・、昨夜内田良平氏井上藤三郎氏とつるやにて会したる節の内田氏の注意の報告を受け、高原君の満蒙放棄論の流説に関しては新聞紙上公告する事とし、案を決定し散会せり」(辰井梅吉の日記)。

大阪朝日編集局長高原操の日記では、「・・・雑誌「自衛」事件につき、小生名前にて広告の要ありとの事にて誤解を釈く用意したり」とある。雑誌「自衛」が、軍縮促進・満蒙放棄を主張しているとして高原を攻撃、内田も朝日に圧力をかける。結局、高原の広告は掲載されず。

9月25日

東京朝日編集局顧問兼論説委員米田実、陸軍調査班員の質問に対し、部隊を元の駐屯地に戻すべきと述べる。米田は、前日の社説で、関東軍の行動について「自衛行為たる以上、必要な限度を超ゆべからざるは、国際法の原則である」と書く。

9月25日

「東京日日」朝刊第二面トップで「満州事変、帝国中外に声明、『正当の権益擁護、軍事占領にあらず』」の見出しで、内閣の声明を伝える。

中国側が国際連盟へ提訴した結果、連盟理事会議長は両国代表に「各自の軍隊を直に撤退し得べき適当な手段」をとるよう申し出たが、日本側は拒否した。

26日、社説「第三者の批判の価値」で、この拒否を「最も適当なる処置」「わが国民全体が満腔の共嶋を持つ」と評価し、第三者は事変の真相がわかっていないと批判。

9月26日

上海全市抗日救国大会。10余万人。中国各地に波及。

10月、上海・北京で抗日救国会、義勇団を組織。

9月26日

「大阪朝日」社説「断じて他の容喙は無用、帝国政府の満州事変声明、正当なる我権益擁護のみ」。事変の正当性を強調。朝鮮派遣軍の越境までも容認する。

「朝鮮より数千名の増援隊を派遣したけれども、これも条約上の規定守備の兵員補充であって、決して必要以上の増兵はやっていない。帝国軍隊の行動は全く『正常なる権利の擁護のため』であって、決して局外者よりかれこれ非難さるべきではない。・・・吾人の見解では連盟がもしこれ以上に容喙するようのことあれば、それこそ必要以上に日本の国論を刺激し、却って実際上益なき結果となるであろう」

9月26日

石橋湛山「内閣の欲せざる事変の拡大。政府の責任すこぶる重大」(「東洋経済新報」同日付)、政府と軍部の不一致ぶりを「内閣が軍部の方針に屈し、其の引き回すままに従ったということだ。内閣は亡びたに等しい」と批判。

石橋湛山「満蒙問題解決の根本方針如何」(「東洋経済新報」同日、10月10日)、満蒙放棄論を展開。

「満蒙を放棄すれば、果してわが国は亡ぶのか」と問う。満蒙特殊権益確立は力で無理押ししても、中国民衆のナショナリズムによって不可能である。満蒙問題の解決方法は中国の統一国家建設要求をどう見るかにかかっている。

①中国の統一国家運動を力で破壊しても、再び悪い形で運動が起らないか。

②力を持ってたたきつぶすと旧ドイツ帝国の二の舞に陥らないか。

③人口増は領土を広げても解決しないし、鉄、石炭の原料供給基地の確保という面も、平和の貿易で目的を達せられるので力ずくの必要はない。

④満蒙は生命線という国防上の主張は、あたかも英国が国防上、対岸の大陸に領土が必要というのに似ており、日本海で十分である。


9月27日

北平、東北民衆抗日救国会結成。知識人・学生中心の統一戦線的団体。張学良も資金などで関わる。

9月27日

張学良、錦州に仮政府樹立

9月27日

政府は9月24日の米の通牒に対して、攻撃されない限り現在以上の敵対行為にはでないと回答。

9月27日

社説「時局は極めて重大だ」(「東京日日」同日付)、慎重な政府の態度を弱腰として叱咤し、強硬論を繰り返す。

「これ、実にわが国民の上にくだされたる日清日露戦争以来の一大試練であって、われらは大声疾呼して国民的大努力の発動を力説しなければならぬ。正義の主張をまぐる如きことあらば、我が帝国は侮りを外にうける」


9月28日

上海抗日救国会、市商会で第2次常務委員会開催。買弁の退去を要求し、応じない場合は売国罪として処分する、と決議。

9月28日

北平、抗日救国大会。20余万人。政府に対日参戦を要求、さらに市民による抗日義勇軍編成が決議。日本商品ボイコット運動も広範囲に広がり、日本の対中国輸出を激減させる。

9月28日

国民政府の「不抵抗」に抗議の南京中央大学学生、「対日宣戦布告」要求、南京外交部包囲、王正廷外交部長を殴打し重傷を負わせる。

30日、王正廷辞任、施肇基代理。

9月28日

吉林省、熙洽を省長として国民政府離脱宣言。ピストル・ポイント(拳銃を突きつけられての)独立。「満州独立」の先駆。

21日、吉林は第2師団(多門師団長)に無血開城。参謀長熙洽と吉林の日本総領事石射猪太郎の努力による。しかし、2日後、多門師団長は、熙洽との会見で、国民政府に対する独立宣言を迫る。居並ぶ参謀連から拳銃を突きつけられての脅迫に、熙洽は屈する。石射総領事は、満鉄付属地外の事であり、日本政府の不拡大方針から逸脱するので、多門師団長に抗議を申入れるが、軍司令官命令であると一蹴される。石射は戦勝に浮かれる日本人居留民からも浮いた存在となり、軍は外務省に召還を要求するが、留まり、事変後8ヶ月で本省に帰朝申請。

9月28日

全国労農大衆党、対中国出兵反対闘争委員会を結成。

9月28日

日商、在中国権益擁護及び排日運動絶滅を声明。

9月28日

日本放送協会、聴取者激増のため70銭値下げを決定。


9月29日

ハルビンで張景恵、東省特別区自治委員会を組織

9月29日

湯玉麟、独立を宣言

9月29日

中国公使、満州における独立政府建設の企図は日本の責任との口上書を交付。これに対して日本政府は、10月1日、局地的治安維持機関の成立は歓迎と回答。

9月29日

「東京朝日」、満州の中国人は「満州独立国」建設を目指すことで意見が一致し、中でも実現性高い独立計画を持つのは奉天の「地方維持委員会」(袁金鎧、関東軍が傀儡国家建設工作で作った組織)だと伝える。

エドガー・スノーは奉天で袁に取材。「ここではすべてが日本人顧問の言いなりになっていることを、世界が知ってほしい」。「日本人将校数人」が「政府のようなものをつくったので、私にその名目上の長官になれ」と要求し、同行を求めた。「私は断った。すると引き受けなければ叛逆者として投獄され、悪くすると処刑されるかもしれないと言われた」「私は満州が中国から分離しないことを心から願っている」(スノー「極東戦線」32年、34年改定)。インタビューは米国の新聞に打電される。

9月29日

「大阪朝日」社説「連盟と満州事件」。

「そもそも今回の事変は支那兵が満鉄を破壊し危害を我に加えたるに端を発し、我軍は己むを得ざる緊急処置として自衛権の行使をなしたるものと解釈する以上、第二の事態拡大防止も、第三の領土的野心のためでは絶対にないとも自ら証明されるのである。この三点が帝国政府の声明中に明記されてあることが国際連盟は勿論、外国の世論をして日本の行動を正当なりと諒解せしめるに至った所以である」


9月30日

中国共産党宣言、国共合作を否認

9月30日

陸軍より帝大に派遣されている池田純久・田中清・四方諒二・鈴木庫三、桜会の国家改造に関する研究会を持つが、この日をもって終える。10月事件との関連?

9月30日

この日付の憲兵報告、「輿論ハ今ヤ軍部ノ主張ヲ強硬ニ支持スヘシト云ふに帰一シタリト言ふも過言ニアラサルヘシ」と誇らかに述べる。

社会民衆党は、「事件報道セラレルヤ態度一変」、軍部の政策に賛成。大阪財界の有力団体も慎重論を転換し軍部の積極的態度を容認。労働大衆党は、「依然戦争反対ノ底意アルモ世論の趨勢斯クナレル以上此際露骨に戦争反対ヲ唱フルハ不利ナリトシ暫ク傍観的態度ニ出ツト語リ居レリ」と、憲法報告は書く。

9月30日

国際連盟理事会、日本軍は自国民の安全・財産の保障が確保されるとともに、鉄道付属地に撤退するとの決議、日本も加わる全会一致で成立。


つづく



「危険な」中国の歴史観、トランプ氏追認 日本はくぎ刺せず深刻(毎日);「両国が共に第二次世界大戦で日本と戦ったことに言及したのは恐ろしい。習近平国家主席は国際的な歴史観の塗り替えを目指しており、トランプ大統領はリップサービスだろうが、うなずいてしまった」 / こんな記事を毎日新聞が普通にリリースしてしまうことの方が怖い。第二次世界大戦で米国と中国が連合国側で共に日本と戦ったのは歴史的事実。習近平による「歴史観の塗り替え」でも何でもない。(布施祐仁) 

片山財務大臣が、「日本の長期金利上昇に財政要因はない」とする高橋洋一氏に「それは本当にその通り」と賛同(9/23静岡朝日テレビ)。長期金利は市場において複合的な要因で決まるはずだが、その中で「財政要因はない」などと、なぜ断言できるのか。財務大臣がこのような認識で大丈夫なのだろうか。 / 国債金利が上がる最大の原因は、国債の需給が悪化することだ。それは政府が今後も国債を増発すると市場が予想しているからだ。これが「財政要因」でなかったら、何なのか。(池田信夫) 

 

「世界との関係を簡単に切っちゃいけない」――安倍元首相の懐刀「今井尚哉」内閣参与が語る「高市外交」への忠告(週刊新潮);「今井尚哉氏(68)は第2次安倍政権で首相秘書官・首相補佐官を兼任し、長期政権樹立に寄与したことで知られる。昨年10月からは高市早苗首相(65)に請われて内閣官房参与を務めているが、今の政府の外交姿勢をどう見ているのか。9月22日(日本時間23日)に高市首相がアメリカのトランプ大統領と会談する直前、『週刊新潮』取材班が今井氏に話を聞いた。 目次 外交には「言ってはいけないこと」だってある なんでもアメリカ頼りの外交は悲しい 華為技術(ファーウェイ)との深い関り」

スターバックス、250店舗閉鎖へ 業績不振、北米の1%相当(産経); 米コーヒーチェーン大手のスターバックスは24日、北米で業績不振の約250店舗を週内に閉鎖すると発表した。北米で展開する1万8000超の店舗数の約1%に相当。十分な収益性の確保が見込めないと判断した / イスラエル支援企業としてボイコットを受けている

2026年9月24日木曜日

「愚劣なミスで、商船が無益に失われた」旧日本軍が徴用した民間船7200隻が撃沈、軍人より高い死亡率…不戦を誓った遺族が懸念する、自衛隊のある動き(共同);「懸念していることの一つは、海上輸送力を補うため、自衛隊が民間船員を予備自衛官補に採用する動きだ。  自衛隊は「あくまでも志願制」としているが、統制が強化されていき、戦場に船員たちが追い立てられた歴史を踏まえ、遺族らは不安を隠さない。」

万博跡地開発、応募ゼロ「シャレにならん」 国際観光拠点は霧の中(日経) / 地下のメタンガス、アクセスの不便さ、夏場のムシとか、、、、、

世論調査で米民主党が優勢に、予測市場でも「民主党の上下両院奪還」の確率が急上昇(Forbes JAPAN);「複数の予測市場のデータを集計するサイト「Election Betting Odds」によると、民主党が上院を制するとの予測確率が63.8%に達した」 / 下院は間違いなく民主党が過半数を獲ると思います。弾劾には下院の過半数と上院の3分の2が必要です。下院は間違いなく弾劾決議が通ると思います。上院で有罪が決議されたら、大統領は即時罷免です。果たして上院共和党からどれくらい離反者が出るか。(内田樹) / 離反相次ぐ共和党、上院トップが中間選挙で「独自の選挙戦」提唱 トランプの支持率低迷で(Forbes JAPAN);「複数の共和党候補が選挙キャンペーンのウェブサイトからトランプに関する目立った記述を削除している」     

 

ネタニヤフ「ナチスはユダヤ人に優しく去るように頼んだのか?『お願いだから去ってください』と言ったのか…そんなことをする人はいるか?『出て行け、俺たちが入るんだ』と言ったんだ、もちろんそうだ。」 この発言で、彼自身がナチスであることを自らの口で自白してしまったことになる。 / 国連総会、ネタニヤフが演説を始めると各国代表が一斉に退出。日本は退場せず。 / 国連の前で、ネタニヤフに抗議するためデモ隊が道路を封鎖「ネタニヤフ、あなたは隠れられない。あなたはジェノサイドで指名手配されている。」 / スーザン・サランドンとユダヤ系女優ハンナ・エインバインダー(2025年5月エミー賞最優秀助演女優賞)が抗議デモ中に逮捕される / ネタニヤフ氏を逮捕しろ、NY - 千人超がデモ行進(共同)  

 

2026年9月23日水曜日

1931(昭和6)年9月21日、多門二郎中将の第2師団、吉林無血開城。朝鮮軍司令官林銑十郎、独断命令により混成第39旅団新義州で越境、満州に出動。 翌22日、閣議、関東軍の吉林出兵、朝鮮軍の独断越境、賛成も反対もなく追認。若槻首相は、天皇から不拡大方針徹底の念を押され、間島・ハルビンには出兵しないと奉答、金谷参謀総長も同様

 

1931(昭和6)年9月20日 午後8時35分、林銑十郎(中将)朝鮮軍司令官より「独断一部ノ兵ヲ越境ヲナシウル余地ヲ与へラレンコトヲ切望ス」と入電。増援部隊は鮮満国境で待機の姿勢で放置。林は、軍は大命を待って出動すべきとの中央の主旨は諒解するが、大命降下となれば日支開戦になり、事は重大。地方問題として処理するには独断出兵の形式が穏当と考えられる、と入電。 より続く

1931(昭和6)年

9月21日

蒋介石、南昌から南京へ帰る。

特別外交委員会設立(委員長戴伝賢・副委員長宋子文・秘書長顧維鈞)。

国際連盟中国代表、満州事変を連盟に正式提訴。

蒋介石、満州事変勃発対処の為、中国共産党討伐計画を緩めると言明。

国際連盟は日本の軍事行動に対して有効な行動をとらない。帝国主義列強にとって中国の共産主義とナショナリズムの方がむしろ大きな脅威であり、日本に対し宥和的な姿勢を示す。ソビエト連邦も計画経済の実施と農業集団化の推進に国力を傾注しようとしており、事件には不干渉の方針をとる。

9月21日

西埼玉地震。マグニチュード6.9、死者・行方不明者16人、家屋損失は206戸。

9月21日

英国の金本位体制停止の影響で、株式・商品相場が暴落。東京・大阪など株式市場立会停止。

23日、再開するも売物が殺到し再び休会(~26日)。

9月21日

午前3時、本庄関東軍司令官、三宅光治参謀長・板垣高級参謀に迫られ吉林出兵・事変拡大を承諾。

9月21日

多門二郎中将の第2師団、吉林無血開城。省長代理熙洽参謀長と在吉林日本総領事石射猪太郎の交渉。吉林(長春の東127km)は張学良の叔父張作相の根拠地であるが、この時、母の葬儀で錦州に在る。

9月21日

朝鮮軍、越境。

午後1時20分、朝鮮軍司令官林銑十郎、独断命令により混成第39旅団新義州で越境、満州に出動。

9月21日

午前10時~午後5時、閣議、南陸相の朝鮮軍派兵の提議、幣原外相・井上蔵相の反対で結論出ず。若槻首相は同調の気配を見せる。

9月21日

午後3時20分、朝鮮軍司令官より、越境入電。

閣議開催中の午後2時40分、朝鮮軍嘉村達次郎旅団長から金谷参謀長宛てに、「旅団ハ本日午後一時、先頭列車ヲモツテ出発ノ予定」と入電。

続いて3時20分、朝鮮軍司令官から、「関東軍ハ吉林方面ニ行動ヲ開始スルニイタリ、著シク兵力ノ不足ヲ訴へ、朝鮮軍ノ増援ヲ望ムコト切ナル重ネテノ要求ヲ接受シ、義ニオイテ忍ビズ、在新義州・混成旅団ヲ越江、出動セシムルコトトセリ・・・」と、朝鮮軍は大命を待たず、軍司令官の独断で越境増派に踏切ると入電。

午後3時半ころ、朝鮮軍より越境開始を知らせる参謀総長宛の電文が到着。ただちに陸相より閣議に報告。林銑十郎司令官の命令による独断越境。司令官が天皇の命をまたず部隊を国外に動かすことは重大な軍令違反であり、陸軍刑法では死刑に相当する。若槻首相や井上準之助蔵相は閣議の席上でおおいに憤慨。この話をあとで聞いた鈴木侍従長も「御裁可なしに軍隊を動かすことはけしからん」と怒る。

この間(19日早朝~21日午後)、既に行動を開始した部隊に停止を命じただけで、越境に対する同意も、撤収の指示も与えなかった参謀本部は、陸軍刑法第37条に抵触する行為を敢てした朝鮮軍司令官に黙諾を与えたに等しい。

午後4時、参謀本部作戦部長より朝鮮軍司令官に電報。

「貴軍、以後ノ行動ニ関シテハ当部ニオイテモ情況トクニコレヲ要スルニ至ラバ、直チニ所要ノ部隊ヲ、満鉄沿線オヨビ間琿(間島琿春)地方ニ出動セシムルノ考慮ヲモツテ、要スレバ総長ノ帷幄上奏ヲモツテシテモ、速ヤカニ大命ノ発動ヲ伏奏スルゴトク準備シアリ」

午後5時、金谷参謀長、朝鮮軍越境の允裁をえるべき参内するが、参謀本部より帷幄上奏を中止されたとの連絡有り、朝鮮軍出兵の事実のみ上奏して退出。

これは、金谷の参内後、陸軍省軍事課長永田鉄山が、出兵に関する書類への連帯捺印を拒んだ為。永田の帷幄上奏反対の理由は、閣議にかけて朝鮮軍派遣承認を得た上で、軍の統帥を行なうという点にある。閣議は19日以来、不拡大、派兵不承認のままであり、永田の真意は閣議で出兵を認めさせ、不拡大方針そのものを覆すことにあったと推測される。

この夜、陸軍は、朝鮮軍司令官の今回の独断越境は大権干犯ではないと意思統一し、明朝以降、「政府と戦う」方針決定。翌日の閣議では、朝鮮軍出兵は大権干犯という結論になるかもしれず、その場合は陸相・総長揃って辞職することとして、両者の辞表を準備。

夜、杉山陸軍次官が若槻首相を訪ね、独断越境について閣議で承認する旨を今晩中に天皇に奏上してほしいと頼んだが、若槻はこれを断る。

夜、政府は今回の事件を「事変」と呼ぶことに決める。

9月21日

陸軍省、兵務課長安藤利吉を、謀略の有無の調査のため満州に派遣。事件の発端は中国側にありとの報告。

9月に事変が起きる風評は現地にあったが、陰謀ならば期日が予期されるはずがない、よって陰謀でないという論理により、「事件発端は支那側に在り」と報告(白石博司「安藤利吉兵務課長「満州事変ノ発端ニ就テ」」)。

9月21日

イギリス、金本位制を停止(金輸出禁止)。金本位改正法公布施行。

イギリスでポンド切下げ(約3分の2に下落)、スウェーデン、ノルウェー、エジプトなども金本位制停止。カナダも金輸出を制限。

22日、デンマーク、金本位制停止。

23日、イタリア、金本位維持声明。

28日、オランダ・ベルギーも同様の声明。

29日、スイス、金本位制を停止。

12月13日には日本も廃止。

以来、ポンドが2割程下落、英国商品は中国に進出し、日本のメリヤス等の輸出は打撃を受ける。満州事変以来、中国での排日貨運動は激化し、財界は危機感を強める。また、ドル買いの殺到も凄じく、当時日本の銀行は、国内金利の低下を嫌い、余裕資金で「ドル貨を買入れ、之を先物に売繋ぎ安全を計ると共に、之をロンドンに回金し」、短期外国証券を中心に投資していたが、イギリスの金本位制停止により「国際為替は一大衝撃を受け為替取引は休止状態に陥り・・・ドル先物約条履行の為自衛上必要限度のドル買いの必要を生じ、外に・・・外債利払並一般取引先の輸入為替等実需に基く為替取極の為、Coverを正金銀行より求むる事」になる。

この他、資本逃避やドルの思惑買いも加わり、9月21日~1週間で、正金銀行のドル統制売り(決済期にドル資金が不足すれば、日銀が正貨を払下げる諒解付きの為替先約)は2億円以上、10月15日までに4億円、金再禁止直前までに5億1千万円となる。

この為、日銀正貨準備は、政府の防遏策にもかかわらず、金解禁をした昭和5年1月の10億6千万円から、再禁止の6年末には4億7千万円に落込む。金本位制堅持方針を声明した政府は、10、11月に2度も日銀金利を引上げ、正金銀行には正貨を現送させるなどの手段で金本位制維持施策を強行するが、ドル買いは鎮静化せず。


9月22日

反日市民大会。反日援僑委を上海抗日救国連合に改組

9月22日

関東軍首脳(三宅光治参謀長、土肥原賢二・板垣征四郎両大佐、石原莞爾中佐、片倉衷大尉)、奉天で建川を交え「満蒙問題解決案」策定。「東北四省及び蒙古」に「宣統帝を頭目とする支那政権を樹立」。石原・板垣両参謀は、日本の満州領有を想定するが、建川は、領有案では中央部は同意しないと主張、激論ののち妥協して「独立国家」となる。

板垣・石原らからすれば、この案の力点は、宜統帝起用よりも、地方治安維持の為、熙洽・張景恵らを鎮撫使とする点にあり、これらの旧張作霖軍閥幹部達に働きかけ、張学良からの独立を宣言させ、そうした小政権や独立運動を既成事実とすることで、中国側との「交渉」を成立せなくするという新たな方策を意味するもの。

9月22日

中国共産党中央、日本の満州占領に関する決議。「反日」スローガン無くソヴィエト革命スローガンのみ。

9月22日

朝、南陸相、若槻首相を訪ね、朝鮮軍出兵経費支出を認めるよう説く。若槻は、「出たものは仕方なきにあらずや」と認める。

午前9時30分、若槻首相、参内。朝鮮軍出兵経費支出を閣議決定する旨、上奏。天皇をこれを認めるが、「事態を拡大せぬという政府の決定した方針は、自分も至極妥当と思うから、その趣旨を徹底するように努力せよ」と条件をつける。若槻は、「(現地軍から派兵を具申している)ハルビンと間島では、居留民の現地保護を行わず(出兵しない)、危急の場合はその引揚げを実施致します」と奉答。

若槻は宮中で金谷参謀総長に会い、金谷からは独断派兵について閣議の決定を経なければ天皇の裁可を仰げないので閣議の決定を経たかたちで上奏してもらいたい旨を依頼されたが、若槻はこれを断り、総理大臣官邸での閣議に向かう。

閣議、居留民保護目的の関東軍の吉林出兵、独断越境の朝鮮軍(林銑十郎司令官)、賛成も反対もなく追認。但し、不拡大方針を固守し得ないとはいえ、早期撤兵により国際的孤立を避け、中国との交渉に入る方針は堅持。

「兵力の派遣に関しては閣議に於てとや角論議すべき限りにあらずして唯その事実を認めて軽費の支出に関し議決すれば可なるものなり」(参謀本部作戦課河辺虎四郎中佐「満州事変機密作戦日誌」)。

午後2時40分、若槻首相、再度参内、朝鮮軍派遣経費を認めた旨上奏。天皇は不拡大方針徹底を指示。続いて、南陸相・金谷参謀総長、参内、越境の允裁を得る(追認)。天皇は、「将来を慎め」と叱る(「側近者と入智恵とみて、軍部は憤慨」)。

若槻首相は「こういう情勢になってみると自分の力で軍部をおさえることはできない」と語ったといわれる。

21日に吉林へ出兵した関東軍は、朝鮮軍と謀って間島・ハルビンに出兵しようとする。しかし、若槻首相は、天皇から不拡大方針徹底の念を押され、間島・ハルビンには出兵しないと奉答し、金谷参謀総長も同様。参謀本部は、朝鮮軍に宛て、「間島進入は勅裁命令あるまで断じて許されず」と打電、関東軍にも「ハルビンに対する出兵は、事態急変せる場合に於ても、これを行なうべからず」と厳命、「軍の主力を南満線上に保持して動かざること」と指示。

9月22日

米スチムソン長官、9ヶ国条約不戦条約を引用し満州の事態に関する責任は日本が負うべきとの通告を出淵大使に手交。


つづく