2026年6月24日水曜日

世界最古の日刊新聞である英国のタイムズ紙が「高市早苗氏、世界の指導者への“媚びた態度”で国内から反発を受ける」と報道。

〈高市早苗、ほぼギブアップ宣言。自爆寸前。次の手、どうするの?〉 → 高市首相「金曜夜から寝てない」 中傷動画めぐり答弁拒否、陳述書の提出で済まそうという異例の対応(東京) / 「議員辞職」を賭けてでも責任を果たすべき問題である(牧原出) / 先人たちが構築してきた経験値・慣習をないがしろにする政治家に、保守を語る資格はない(中島岳志) / 「土曜日も日曜日もたくさんの資料を持ち帰ってそれを住まいで読みながら…」 「本当に金曜日の夜から今朝までの間ほとんど睡眠も取ってません…」 「事実確認を行いなさいと、寝ている秘書に何度も何度も朝まで電話して…」 ← ヘタな言い訳。ウソ! / そして、最後に坂本委員長に頭を下げる高市早苗(事前打ち合わせ通りうまくできました。アリガト) / 【社説】中傷動画問題 許されぬ首相の答弁回避 秘書招致にも応じよ(朝日);「問題を長引かせているのは自らの振る舞いだ」 「説明は二転三転、納得できない」 「事実なら民主主義の土台である選挙の公正を揺るがす重大事」 「潔白を証明したいなら秘書の参考人招致に堂々と応じるべきだ」 / <社説>中傷動画問題 首相迷走が疑念深める(北海道新聞);「首相は「事務所が暗号資産として取引することを承認したことはない」と強調したが、やりとりや関与を全否定したわけではない」    



牧原出 東京大学先端科学技術研究センター教授

質問通告があって答弁があり、さらに質問するのが国会であり、陳述書を出すことはそのプロセスの代わりにはならない。陳述書をもとに質問する時間を別に確保するのであれば、まだ理解できるが、その場での議論からの逃避に使うことは許されない。首相は、本件の質問に答えていないし、一連の議論を見る限り否定できないでいるのである。とにかく質問時間を削ることしか考えていない振る舞いと言うしかなく、議論にならない議論に終始するのは、ステーツマンシップがないと言うしかない。そもそも本件は、高市事務所の疑惑に答える政治家は高市個人であり、そこに代わりはないという状況である。首相である前に一政治家としての責任を果たすべきだろう。安倍首相は結局は辞めなかったが、森友問題で自分が関わっていれば「首相も国会議員も辞める」とまで見得を切ったが、高市事務所の問題はまさに「議員辞職」を賭けてでも責任を果たすべき問題である。


中島岳志 東京科学大学教授=政治学

立憲の斎藤嘉隆・国会対策委員長が「国会で先人たちが積み上げてきた多くのルールが、今の高市政権の下で崩されつつある」と述べているが、その通りだ。先人たちが構築してきた経験値・慣習をないがしろにする政治家に、保守を語る資格はない。


 

2026年6月23日火曜日

政治家に最も向いていない人を首相にしてしまった…天皇すら懸念を口にされる高市早苗がいますぐやるべきこと(元木昌彦 プレジデント);「自分の口から出た言葉への責任感や、それがどんな意味を持つのかという判断力が著しく欠如しているように思える。」

 

鎌倉アジサイ散歩 妙本寺(ノウゼンカズラ、アジサイ) 本覚寺のアジサイ 大巧寺のアジサイ、アガパンサス 若宮大路のアジサイ、カンナ 鶴岡八幡宮源氏池のハス、七夕飾り、清風鈴、アジサイ花手水 2026-06-23

 6月23日(火)曇り

天候は曇、最高気温24℃で過ごし易い。

今日は、鎌倉で妙本寺のノウゼンカズラと鶴岡八幡宮のアジサイ花手水がお目当ての鎌倉散歩。

とはいえ、まだまだ元気なアジサイが多く、ついついそちらに眼が惹かれる。

▼妙本寺

▼ノウゼンカズラは向かって左側がしっかり開花している



▼参道脇のアジサイ




▼本覚寺のアジサイ

つい先ほど、ハスが咲き始めたとのツイートを見させて戴いた。

そろそろどうかな?と、一応の確認はしたのだが、確認漏れをしたようだ。

▼生涯学習センター前にカンナ

▼大巧寺のアジサイ、アガパンサス


▼若宮大路のアジサイ

▼カトリック雪ノ下教会まえのアジサイ

▼鶴岡八幡宮

▼源氏池のハス


米保守派コメンテーターのタッカー・カールソンが「もう共和党は支持しない」と明言。 「35年間一貫して支持してきたが、アメリカに忠誠を尽くさない政党は擁護できない」 イラン参戦をめぐり、党がイスラエルの利益を米国民より優先している、とするカールソンの離反はより大きな亀裂拡大の兆候。

高市首相の「魚焼き」答弁がXで批判殺到 ; 22日の参議院予算委員会で、自民党の江島潔議員が高市早苗首相に魚の調理経験を尋ね、首相は「3枚おろしはできないが、サバの塩焼きなら焼けます」と答え、出席者の笑いを誘いました。水産資源管理の質疑の導入部でしたが、Xでは「お遊戯会」「歳費の無駄」との投稿が相次ぎ、13万いいね超えの批判も。

「パーティー券購入を寄付と偽り記載」として高市首相らの告発状…政治資金収支報告書に虚偽記載疑い(読売) / 高市早苗首相の自民党支部、裏帳簿で刑事告発 政治資金不記載の疑い ; 高市早苗首相が代表の自民党奈良2区支部が、政治資金パーティー券の収入を「新時代政策研究会」への寄付に付け替え、収支報告書に記載しなかった疑いで告発された。内部告発で入手したエクセルリストには入金日や購入者名が詳細に記され、建設会社社長の100万円など複数年の事例が確認された。さらに、購入者が違法な税控除を受け脱税を助けた可能性も指摘されている。高市首相側は過去に「事実は存在しない」と否定してきたが、検察の対応が注目を集めている。


 高市早苗首相が代表の自民党奈良2区支部が、政治資金パーティー券の収入を「新時代政策研究会」への寄付に付け替え、収支報告書に記載しなかった疑いで告発された。内部告発で入手したエクセルリストには入金日や購入者名が詳細に記され、建設会社社長の100万円など複数年の事例が確認された。さらに、購入者が違法な税控除を受け脱税を助けた可能性も指摘されている。高市首相側は過去に「事実は存在しない」と否定してきたが、検察の対応が注目を集めている。



2026年6月22日月曜日

〈お祭り騒ぎになる予感〉 → 国旗損壊罪「逮捕者一号は僕かな」 現代美術家・会田誠さんの思い(朝日);「僕は表現するときに、後先のことを考えません。いまでも、作ったものを全て展示できているわけではないのです。僕には、人の神経を逆なでするような作品が多いですから。  でも、そういう表現も認める。作ることができる、見せることができる、見ることができるというのが大事ですよね。それが「表現の自由」です。好ましいと思う表現だけに自由を与えていたら、社会はガタガタになってしまう。国旗損壊罪なんていうものを成立させるのは、違うと思いますね。」

 

大杉栄とその時代年表(828) 1909(明治42)年3月9日~12日 「窓をあけて見ると、雨の中に無数の燈がみえる。ぬれた、さびし気な光だ、その間に電車停留場の青い火、赤い火がみえる、それは泣いてるやうだ。 ああ、自分は東京に来てゐるのだ、といふ感じが、しみじみと味はれた。そして妻や母のことが思ひ出された。(略)大きい都会、その中に住んでゐる人は皆生命がけに働いてゐる。……その中に自分もまぎれこんでゐる。……ああ、自分は働けるだらうか、働き通せるだらうか! 雨の音がわびしい、そのわびしさを心ゆくまで味はつて、そして、出来ることなら自分の身についてのすべてのことを泣いてみたい様な気がした。」(啄木日記)

 

1957(昭和32)年頃の旅館「太栄館」。明治期には高級下宿の「蓋平館別荘」で、1908(明治41)年9月からの約9ヶ月間、石川啄木氏が金田一京助氏の紹介で暮らした。「太栄館」と改称したのは1935(昭和10)年頃で、明治期からの建物は1954(昭和29)年の火事で焼失した。

大杉栄とその時代年表(827) 1909(明治42)年3月1日~8日 「昼飯をくつて電車で数寄屋橋まで、初めて瀧山町の朝日新聞社に出社した、 手が白く且つ大なりき非凡なる人といはるる男に会ひしに 佐藤氏に面会し二三氏に紹介される、広い広い編輯局に沢山の人がゐる、一団づつ、方々に卓子と椅子がある、そして四方で電話をかける声がしつきりなしに広い室内に溢れる、(略)その中で予は木村といふ爺さんと並んで校正をやるのだ。校正長の加藤といふ人が来た、目の玉が妙に動く人だ、(略)社会部の主任渋川玄耳といふ人は、髯のない青い顔に眼鏡をかけてゐた。 五時頃初版の校正がすんで、帰つてもよいといふ、電車で帰つた、」(啄木日記)

1909(明治42)年

3月9日

衆議院、野党(憲政本党、又新会など)3派提出の3税(塩専売、織物、通行各税)廃止案、否決。

3月9日

坂本清馬(発行名義人)、『麺麭の略取』秘密出版により罰金30円に処せられる。秋水が支払う。

3月9日

「世界婦人」発行兼編集人神崎順一の控訴審判決。罰金100円、上告。

3月9日

「三月九日 火曜 曇 暖

(略)

黙つてゐると、何かかう手当り次第に破壊して了ひたい様な気持になる。そのくせ何もしたくない。生そのものに対する倦怠厭悪とはこれか! 何も考へたくなかつた、そして何も考へなかつた。頭が熱してゐる様で、ボーウとしてゐる。

価値! 価値! ああ、何が価値のある事なのか?

十時頃に寝て了つた。


三月十日 水曜 雨 暖

七時頃に起きた。雨。今朝の新聞は面白かつた。昨日の議会の三税廃止案の舌戦も愉快だ。多数党の横暴! それが却つて反語的に面白い。監獄から出た許りの或る男が八銭の飲食代に困つて小刀をふり廻し、ランプをたたきおとして火を放ち、そこからノコノコ出てトある橋の上で十二になる女の児が子供を負つて子守唄を唄ひ乍らくると、エエ面倒臭いといつてそれを河の中につきおとしたといふ。一方には大学生で行方不明になつたのがある、又一方では奉天会戦の時一軍医が繃帯まきのいそがしさに発狂して、何をいひつけてもニヤニヤ笑つたといふ話がある。また実子をしめ殺した話がある。……生きた世の中の面白さ。ああ、然しそれと予との間に何の関係がある。予は戦ひたくなつた。

今日も大学館によつてみたが、昨日と同じ返事。下宿屋へ今日までの約束だつたので、仕方なく佐藤氏に前借のことをたのむと面倒だからと言つて、自分で二十五円かしてくれた

終日の雨、帰つて来て二十円下宿屋へ払ひ、(平出より電話)九時頃出かけて、ああ、浅草に行つた。雨の浅草! つかれて腹がへつたので、馬肉屋でめしをくつて車でかへる、十二時半。(啄木日記)

(佐藤真一に25円借りて、うち20円を下宿屋に支払い、残金を握りしめて誘惑の浅草へ。)


3月10日

熊本、松尾卯一太・新美卯一郎・飛松与次郎・佐々木道元ら、「平民評論」創刊。印刷所で押収。

13日、署名人松尾卯一太・飛松与次郎、出版法違反で投獄、1号のみで廃刊。

4月17日、発行兼編集人飛松に罰金30円・印刷人松尾無罪判決。検察側控訴。

7月3日、飛松重禁錮4ヶ月罰金50円・松尾重禁錮1年・罰金150円控訴審判決。11月17日熊本監獄収監。

3月10日

森近運平、岡山へ帰郷。

3月10日

石川日出鶴丸、『石川大生理学』上。最初の体系的な生理学教科書。

3月10日

(漱石)

「三月十日(水)、終日雨。春陽堂の店員、『文學評論』の奥付千枚取りに来る。(『大阪朝日新聞』満三十年の記念号出す。紙数百ページのほか付録に「国の光」(日露戦争畧史 十六ページ 小冊子) を添える。)

三月十一日(木)、快晴。木曜日。「夜、虚子と土車〔つちぐるま〕を謡ふ。」(「日記」)小宮豊隆来る。高浜虚子、先日の「虞美人草論」は面白いから、『ホトゝギス』に載せようというので、”小宮豊隆に読ませてみなさい、そんなものよりも小宮豊隆に論文を書かせたほうがよい”という。高浜虚子は、少しむっとし、「虞美人草論」を載せるかどうかは小宮豊隆に一任するという。

三月十二日(金)、曇後雨。午前、宝生新は来ない。Young(ヤング)というアメリカ人から手紙で著書欲しいと云ってくる。(代金添えられていたかも知れぬ)午後、清嘨会に赴き、『花月』の「恋は寐られぬ。」の箇所がうまく謡えぬ。小宮豊隆相手に週二回ドイツ語の稽古始める。最初に Andreev のドイツ語訳 ""Die Geshuchte von Sieben Gehenkten"" 後に、Hauptmann (ハウプトマン)・Heyse(ハイゼ)・Putt'Kamer(プットカーメル)などの作品を講読する。小宮豊隆、帰った後で、ドイツ語の時間をふやして欲しいと葉書で伝える。

三月十三日(土)、曇。風強い。鰹節屋の主婦、新しい半襟と新しい羽織着ている。十二時近く、電車を降りて神楽坂を上ると大きい地震にあう。森巻吉来たので開化丼馳走する。夜、強風の中、赤坂に松根東洋城を訪ね、野上豊一郎・山崎楽堂と謡の稽古をする。(漱石と野上豊一郎は宝生流、松枝東洋城は観世、山崎楽堂は喜多流である)四人で『桜川』(狂女物)・『船弁慶』・『清経』(修羅物)謡う。博文館、『小説辞典』編集のため、「雪月花」のうち何を好むかを囲い合せて来る。愚問だと思う。」(荒正人、前掲書)

(*)開化丼;親子丼の肉を牛か豚にしたもの。関西では他人丼という。

(**)「鰹節屋の主婦」;漱石の好きな女性のタイプ。次回記事にて。


3月10日

英・シャム協定調印。英、治外法権放棄。ケダー・ケランタン・トレンガヌ・ペルリスの宗主権獲得し非連邦マラヤ州に編入。

3月12日

沖縄県に関する府県制特例の件公布。県参事会を置かず、県会議員占拠につき特例を設ける。

3月12日

「三月十二日 金曜 曇 雨

(略)

たんたらたらたんたらたらと雨滴が痛むあたまにひびくかなしさ 何の変つたこともない。夜は雨だ。・・・・・

わびしいわびしい雨の音、雨滴の音……それを聞いてゐると、目を瞑ってきいてゐると、渋民の寺にゐた頃の、静かな、わびしい、そして心安かつた夜の雨がしみじみと思出された。窓をあけて見ると、雨の中に無数の燈がみえる。ぬれた、さびし気な光だ、その間に電車停留場の青い火、赤い火がみえる、それは泣いてるやうだ。

ああ、自分は東京に来てゐるのだ、といふ感じが、しみじみと味はれた。そして妻や母のことが思ひ出された。かの渋民の、軒燈一つしかない暗い町を、蛇目をさして心に何のわづらひもなくたどつた頃のことが思出された。大きい都会、その中に住んでゐる人は皆生命がけに働いてゐる。……その中に自分もまぎれこんでゐる。……ああ、自分は働けるだらうか、働き通せるだらうか!

雨の音がわびしい、そのわびしさを心ゆくまで味はつて、そして、出来ることなら自分の身についてのすべてのことを泣いてみたい様な気がした。

そして寝てから、女中を呼んで雨戸をあけさした、戸をあけると、雨の音が一層強く聞える。しめやかな音だ……ポチヨリポチヨリ、と雨滴が亜鉛の樋におつるのが、恰度、かの渋民の寺できいた、屋根もりをうける盥におつる音に似てゐる……いひがたきさびしみの喜びに眠つた。

[受信欄]せつ子手紙。


三月十三日 土曜 風

風が烈しく吹いた。

朝に与謝野さんから電話。午前をジヤーマンコースで送つて、昼飯がすむや否や古本屋から(生)をかりて与謝野氏へ行つた。晶子さんは少しいいさうだ。与謝野氏は創作の事について真面目になつてゐる。朝日へかくのを(第一歩)と題するといふ。ああ、与謝野氏は、小説のために真面目になつてるのではない! 生活の為に!

(略)

夜、近所の徳田秋声氏を訪ふたが不在、ミルクをのんで帰つて、(響)をよみながら寝た。十一時頃強い地震があつた。」(啄木日記)


3月12日

独海軍増強の脅威に対抗する海軍増強新法案、議会に提出(~5月)。


つづく