2026年4月4日土曜日

BBCニュース - イランが米軍機を撃墜、不明者の捜索続く イラン・メディアは2機撃墜と報道 / イランとの戦争で失われた米空軍機は計7機に F15にE3、A10も喪失(CNN) / トランプ大統領、毎朝の軍からのブリーフィングであまりにも成果(主に爆破シーンで構成)を強調した動画を見せられているために、なぜメディアは「真実」を報道しないのか不満を感じているとするCBSの報道。戦争に関する正しい情報が入っていないのではという懸念が強まる。 / 「ほんの数日前、トランプ大統領は「イランには対空兵器は一切ない。レーダーは100%破壊されている。我々は軍事力として止められない」と述べていました」

〈「働いて、働いて」ではなく「逃げて、逃げて」の高市早苗〉 → 高市首相の参院予算委出席時間、過去比で激減 「働いて参ります」発言に批判相次ぐ ; 2026年度予算案審議で、高市首相の参院予算委員会集中審議出席時間が3日現在4時間にとどまり、過去5年間の23〜39時間を大きく下回っています。与党は外交日程や体調を理由に野党の追加審議要求を拒否し、ネットでは「逃げている」との声が広がり、自民党内からも国会軽視の懸念が漏れています。一方、政府はオーストラリア訪問などの外交を優先し、予算成立は7日以降にずれ込む見通しで、説明責任が政権支持に影響しそうです。

大杉栄とその時代年表(798) 1908(明治41)年8月16日~21日 米国~欧州へ視察旅行の原敬の送別会。全国から党員130余が参加。この頃、原敬、政友会の党務掌握。政友会は、原を事実上の中心とし、それに西園寺・松田が加わって3人で主導する形で運営するが、自分の選挙区の利害を中心に考えるようになった党人派代議士は原が掌握。

 

原敬

大杉栄とその時代年表(797) 1908(明治41)年8月7日~15日 「先づ明星を百号にてやめる件、についての相談あり。平出君最も弁じ、大井君保守説を持す。夕刻にいたり、廃刊の事与謝野氏の懇望によつて決し、新たに与謝野氏と直接の関係なき雑誌を起すこととなり、平野吉井予の三人編輯に当ることとなれり。予は初め固辞せしも聞かれず、与謝野氏の衷心に対する同情は終に予を屈せしめたり。」(啄木日記) より続く

1908(明治41)年

8月16日

福寿生命保険株式会社創立。

8月16日

(漱石)

「八月十六日(日)、寺田寅彦来て、第五高等学校の奥太一郎が上京して、英語教師を探していると話す。この日、寺田寅彦、藤田貞次に十六、七年振りに会い、英語教師に推薦しようとして、奥太一郎の住所を問い合せる。その後、藤田良次は熊本県八代中学校に就職する。

八月十八日(火)、佐藤紅緑久し振りに来る。

八月十九日(水)、午前、高浜虚子宛手紙に、「『春』今日結了最後の五六行は名文に候。作者は知らぬ事ながら小生一人が感心致侯。序を以て大兄へ御通知に及び候。あの五六行が百三十五回にひろがつたら大したものなるべくと藤村先生の爲めに惜しみ候」と書く。寺田寅彦来る。「小説『三四郎』中に野〃宮理學士といふが大學にて銃丸〔銃の弾丸〕の寫眞の實驗をなせる箇所あり。改めて貰ふ」(「寺田寅彦日記」)

八月十九日(水)から二十三日(日)まで、暑気再び激しい。

八月二十日(木)、森巻吉・西村誠三郎(濤蔭)・寺田寅彦来る。昼食を共にする。高須賀淳平・内九最一郎来る。(高浜虚子『溫泉宿』を『東京朝日新聞』に掲載する。八月三十日(日)完結する。これは、島崎藤村『春』と漱石『三四郎』の空白を埋めるために掲載される。)

八月二十二日(土)、午前、寺田寅彦は、奥太一郎を大久保の宿所に訪ねた帰りに寄って、昼過ぎに煽る。

八月二十三日(日)、雨晴れて、残暑加わる。『三四郎』執筆中で多忙極める。

八月二十四日(月)、冷気、心持よい。野上豊一郎宛手紙で、二十五日(火)午後から月末の間に、東京朝日新聞社まで月給取りに行って貰いたいと依頼する。


寺田寅彦は、奥太一郎と九年振りに会い、藤田良次の就職のことを依頼する。藤田良次は候補者の一人になっていた。(但し、第五高等学校には就職できないので、八代中学校に赴任することになる)」(荒正人、前掲書)

8月18日

6月8日に合併が決定した東京人造肥料(株)、株式総会で帝国肥料(株)、北海道人造肥料(株)、引継事務完了。

8月18日

フィリピン、北部ルソン山岳少数民族地区に山岳州設立。

8月20日

米国~欧州へ視察旅行の原敬の送別会。全国から党員130余が参加(「日記」8月21日)。

原敬、党務掌握。第1次西園寺内閣で2年半内相を務め、党最高幹部の1人として党務にも尽力、政友会内で西園寺総裁や松田正久とは比較できない位の権力を確立。

内相は、知事・警視総監・警察部長(現、道府県警察本部長)の人事権を握っており、知事は、道府県道、港湾、中等学校などの建設・改修に大きな影響力を持つ。選挙取締りにあたる警察部長と合わせて、政友会の地盤拡張と原の政友会掌握にとって、最も有効なポストである。

政友会は、原を事実上の中心とし、それに西園寺・松田が加わって3人で主導する形で運営するが、自分の選挙区の利害を中心に考えるようになった党人派代議士は原が掌握。

8月20日

『東洋美術大観』(15冊、~1918年7月5日 審美書院)。

8月20日

三重丸船員(在獄者、病者を除く)釈放されウラジオストク発帰国。

8月20日

ベルギー国王レオポルド2世、1885年以来私領としていたコンゴ自由国をベルギー国家に移管。

10月18日、議会承認。

11月5日、正式に併合されベルギー領コンゴとなる。

8月21日

啄木、初めて浅草の凌雲閣(十二階)下の私娼窟に足を運ぶ。


「八月廿一日

夜。金田一君と共に浅草に遊ぶ。蓋し同君嘗て凌雲閣に登り、閣下の伏魔殿の在る所を知りしを以てなり。

キネオラマなるものを見る。ナイヤガラの大瀑布、水勢鞺鞳として涼気起る。既にして雷雨あり、晴れて夕となり、殷江の雲瀑上に懸る。月出でて河上の層楼窓毎に燈火を点ず。児戯に似て然も猶快を覚ゆ。

凌雲閣の北、細路紛糾、広大なる迷宮あり、此処に住むものは皆女なり、若き女なり、家々御神燈を掲げ、行人を見て、頻に挑む。或は簾の中より鼠泣するあり、声をかくるあり、最も甚だしきに至つては、路上に客を擁して無理無体に屋内に拉し去る。歩一歩、“チヨイト”“様子の好い方”“チヨイト、チヨイト、学生さん”“寄つてらつしやいな”

塔下苑と名づく。蓋しくはこれ地上の仙境なり。

十時過ぐるまで艶声の間に杖をひきて帰り来る。」(啄木日記)


凌雲閣は俗に十二階と呼ばれた東京名所の一つで、明治23年10月竣功。工費は5万5千円、構造は10階までが八角形で煉瓦造り、11階と12階が木造で、高さは220尺。12階からの眺望は絶佳で、東京湾や房総半島はもとより箱根、日光まで望見できた。しかし関東大震災で8階まで崩れ、危険となったので工兵が残りの建物を爆破した。

この凌雲閣はパリのエッフェル塔を摸したものとして人気を集めたが、十二階下の千束町にむらがる私娼窟でも有名で、夜になると妖しげな女が男の官能をそそる姿態で待ち受けていた。

啄木はこの十二階下の私娼窟を塔下苑と名づけて、その後、秋から翌年5月にかけて13、4回遊びに行っている。

ローマ字日記(明治42年4月7日~6月6日)に記されている。


つづく


2026年4月3日金曜日

鎌倉、妙本寺の海棠が満開 ソメイヨシノは終り ミツバツツジ モミジの新緑が眩しい 郵便局前の桐ヶ谷 若宮大路の桜 本覚寺の桐ヶ谷 2026-04-03

 4月3日(金)晴れ

鎌倉、妙本寺の海棠が満開。

(ソメイヨシノは終っている)




▼ミツバツツジ

▼モミジの新緑が眩しいくらい

▼郵便局前の桐ヶ谷(桜)

▼若宮大路の桜

▼本覚寺の桐ヶ谷

フランスのマクロン大統領と韓国のイ・ジェミョン大統領は、ホルムズ海峡を通る船舶の復活を目指して協力することを約束。韓国もアメリカの同盟国。なぜこれが日本はできなかったのか。ひとえに高市首相の外交センスのなさを悔やみます。高市首相、本当に暗愚。(Ikuo Gonoï ) / フランス所有のコンテナ船がホルムズ通過-開戦後、西欧関連では初か(Bloomberg) ← 高市が「カメハメハ」やってる間に

 

鎌倉、鶴岡八幡宮の段葛、源氏池畔のソメイヨシノ満開。源氏池畔の桐ヶ谷(桜)も満開。2026-04-03

 4月3日(金)晴れ

今日は、晴天で暖かい。

昨日まで曇/雨が続き、明日からまた曇/雨がちの模様。

鎌倉、鶴岡八幡宮の段葛、源氏池畔のソメイヨシノ満開。散り始めあり、まだ蕾もあり。

源氏池畔の桐ヶ谷(桜)も満開










▼源氏池畔の桐ヶ谷


大杉栄とその時代年表(797) 1908(明治41)年8月7日~15日 「先づ明星を百号にてやめる件、についての相談あり。平出君最も弁じ、大井君保守説を持す。夕刻にいたり、廃刊の事与謝野氏の懇望によつて決し、新たに与謝野氏と直接の関係なき雑誌を起すこととなり、平野吉井予の三人編輯に当ることとなれり。予は初め固辞せしも聞かれず、与謝野氏の衷心に対する同情は終に予を屈せしめたり。」(啄木日記)

 

「明星」第10号(明治34年1月1日発行) 一條成美 画

大杉栄とその時代年表(796) 1908(明治41)年8月1日~6日 荷風の井上精一(唖々)宛の手紙 「日中は書いて居るので其れ程でもないが夜が実にいやだよ。何だか年寄りになった様な気がしてならぬ。何を見ても淋しい気ばかりして狂熱が起つて来ない。日本の空気ほど人を清浄ならしむる処はあるまい御釈迦様の国だよ」(8月4日) 「僕も金の工面さへつけば一日も早く長屋でも借りたい下宿でもいゝ。場所は千束町か深川本所にしたいね。家にゐても大久保だと居候見たやうで居辛くていけない。少しは食ふに困つてもいゝからもつと堕落した生活がしたい」(8月8日) より続く

1908(明治41)年

8月7日

啄木、8月というのに例の綿入を着て新詩杜訪問。帰りはその綿入を風呂敷に包んで、白地の浴衣を着て帰る。金田一と2人でよく見ると、女柄であり、多分晶子夫人が、自分の布地で啄木の為に男物に仕立てる。この頃、啄木は「明星」の編集発送、歌会など殆ど1日おきくらいに新詩社に通う。

8日、徹夜の歌会。午後10頃~翌日午前4時。吉井勇・北原白秋も参加。


「八月七日

八時半起床。朝餉を了へて家を出づ。風強し。

昌平橋にて与謝野氏に逢ひ、共に明治書院にゆき、十一時頃千駄ヶ谷に至る。夏草の路、蜥蜴を見て郷を思ふ。

庭の萩風に折れたり。杉垣の下なる向日葵の花、白と鹿の子の百合の花、風情あり。晶子さんは夏に疲せてベツドの上にあり

校正など手伝ひて四時辞す。晶子さんが手縫ひの白地の単衣を贈らる

(略)


十二日間の記

八日、千駄ヶ谷歌会の日なり。午前明星の歌をなほし、一時頃ゆく。

珍らしきは大井蒼梧川上櫻翠二君なりき。先づ明星を百号にてやめる件、についての相談あり。平出君最も弁じ、大井君保守説を持す。夕刻にいたり、廃刊の事与謝野氏の懇望によつて決し、新たに与謝野氏と直接の関係なき雑誌を起すこととなり、平野吉井予の三人編輯に当ることとなれり。予は初め固辞せしも聞かれず、与謝野氏の衷心に対する同情は終に予を屈せしめたり

雅子女史亦会す、吉井北原君もあり。夕刻より兼題の歌の運座。

十時頃より、徹夜五十首と動議成立し、翌九日朝にいたりて大方詠出。互選の結果、読上げ終りて十二時を過ぎたり。平野吉井二君と共に残り、湯に入る。四時頃帰り来る。

    ――――――――――――――――

室に入れば女中来りて告げて曰く、昨夜植木女来り、無理にこの室に入りて待つこと二時間余、帰る時何か持去りたるものの如しと。

室内を調ぶるに、この日誌と小説“天鵞絨”の原稿と歌稿一冊と無し。机上に置手紙あり、曰く、ほしくは取りに来れと。

予は烈火の如く怒れり。蓋し彼女、世の机の抽出の中を改めて数通の手紙を見、またこの日誌の中に彼女に関して罵倒せるあるを見、怒りてこれを持ち去れるものなり!

(略)

    ――――――――――――――――

如何にして盗まれたるものを取返すべきかにつきて、金田一君と毎日の如く凝議したり。一度、予怒りを忍んで彼女を訪ねしもあらざりき。翌日オドシの葉書をやる。無礼なる返事来る。行かず。十九日の夕に至り、彼女自ら持ち来りて予を呼出し、潸然として泣いて此等の品を渡して帰れり。

ただ此日記中、七月二十九日の終りより三十一日に至るまでの一頁は、裂かれて無し。蓋しその頁に彼女に対する悪口ありたるなり。

これにて彼女の予に対する関係も最後の頁に至れるものの如し

    ――――――――――――――――

(略)

十九日は将棋に暮す。残暑少しく烈し。空は秋の空なり。

夕刻にこの日誌等返る。金田一君と共に万歳を唱ふ。」(啄木日記)

8月7日

オランダの海外領地および植民地に関する領事職務条約、(4月27日調印)公布。

8月7日

ヴィレンドルフのヴィーナスが発掘される

8月9日

永井荷風『あめりか物語』刊行。

8月10日

池田亀太郎、西大久保で女湯を覗き風呂帰りの婦女を暴行殺害(3月22日)した出歯亀事件で、無期懲役の判決。

8月11日

大日本軌道株式会社開業。小田原支社の人車軌道で小田原~熱海のうち湯河原~熱海が蒸気列車に。

8月11日

英エドワード7世、独皇帝ヴィルヘルム2世とクロンベルクで会談。独建艦案縮小など海事問題の調整、失敗。

8月14日

幸徳秋水、東京着。

15日、豊多摩郡淀橋町大字柏木の守田有秋の旧宅(金曜社)に岡野辰之助の名を借りて住む。柏木平民社。炊事などは岡野の妹が世話する。

9月末、巣鴨に移転。

8月15日

漢口の『江漢日報』封鎖。

8月15日

赤旗事件第1回公判。東京地方裁判所。弁護人卜部喜太郎・井本常作。幸徳秋水・坂本清馬・新美卯一郎ら100余、傍聴。

裁判長島田鉄吾が「被告は無政府主義者であるか」と質問。落とし穴に気付き、巧みに供述する被告の中で、菅野須賀子は「自分はもっとも無政府主義に近い思想をもっている」と述べる。秋水は法廷傍聴記「同志諸君」を「熊本評論」9月20日号に掲載。


〈赤旗事件公判筆記 『熊本評論』8月20日掲載〉

8月15日午前9時、14名の同志に対する治安警察法違反、官吏抗拒事件は、東京地方裁判所第一号法廷に於いて満田検事立会島田裁判長に依り開廷せられたり更めて記す、当日の被告左の如く

堺利彦 山川均 大杉栄 荒畑勝三 宇都宮卓爾 森岡永治 徳永保之助 佐藤悟 百瀬晋 村木源次郎 管野須賀子 大須賀里子 神川松子 小暮礼子

…裁判長は一般に向て次の訊問をなせり。曰く、

「被告らは7月22日石川三四郎の主催に係る山口義三の出獄歓迎会に赴き開会後同日午後6時『無政府』及『無政府共産』と記せる赤旗を翻し、場外に出て、無政府党万歳を絶叫し、亦は『革命の歌』を高唱したりしや。」

堺利彦君は『余親ら赤旗を翻せし事なし。余の場内に居りし際同志の一人が、門前に混雑ありと報じ来りしより、馳せ出で見たるに同志と警官の間に騒擾開始されて居れり」

裁「被告は無政府主義者なりや」

堺「否な余は社会主義者なり」

裁「無政府共産なる語を用いし事なきや」

堺「共産なる語は社会主義者一般に認められ、且つ信じられ居るも、余は自ら進で未だ無政府なる語をも用いし事なし」

次に裁判長は山川均君に向い、前同様一般的訊問を発し、山川君は是に対して

山「余は旗を会場に持参せず然し『革命の歌』は会場にて歌えり」

裁「被告は無政府主義者なりや」

山「自ら無政府主義者なりとは言いし事なきも、無政府主義の説明如何に依っては、社会主義者は何れも無政府主義者と言うも可なり」

裁「被告の会場を出でし時赤旗を見しや」

山「旗は一本高等商業学校の方にあるを見たり」

大須賀里子女子に対して…

「…未だ主義者としての資格は無からんと信ず、無論無政府主義に関しては、充分の智識なし」

(略)

斯て裁判長は、赭衣を纏い、眼光爛々たる大杉君を呼びて立たしめたり旗の製作に関する訊問あるや、大杉君は「旗は余の発意にて余の製作したものなり…」

裁「革命の歌を唱え無政府党万歳を絶叫せしか」

大「大に然り」

荒畑寒村君に対して

「…無政府党万歳を叫びたり」

(略)

小暮レイ子女史…

「自分は目下社会主義の研究中なるが故に、未だ無政府主義に就ては分明に理解せず」

神川女史は

「…主義者として自分は、社会主義者無政府主義者其の何れとも決せず、近き将来に於て発表するの機会ありと信ず」

管野幽月女史は「自分は最も無政府主義に近き思想を抱持し居れり」

(略)

是にて略審問を終り、裁判長は予審調書(数十名の巡査の口供に拘る)を読み聞せ是に対する各被告の弁明を聞けり。

当日の重なる弁明左の如し、

(略)

大杉栄君「判官諸公、吾等は面会を禁止せられ、書信の往復を断たれ、犯罪に就いて会議相談の上答をなす地位にあらず然れども彼の数十名の巡査は、被告の罪状を造る可く、自由に相談し、自由に疑義し、自由に捏造するの地位に在れりされば彼等の口供になる百の調書も、千の調書も、何等の信憑たらず、唯之一の空文のみ、諸公幸に是を諒とせられん事を」

神川松子君「唯今読み聞されし一巡査の口供には、自分が大須賀と共に商業学校前にて行動を共にせりとあり、亦他の一巡査の口供には、管野と共に神田署前にて行動せしとあり、自分は、一人なれば、羽翼を有せざる限り一時に三丁余りも隔たりたる場所を短時間に駆け歩く能わず、殊に或る巡査の口供には自分が、襟に時計の銀鎖を懸けたる由を記しあれど、自分は当日鎖をも時計をも有せず、是等事実の相違より見るも如何に巡査の口供の馬鹿馬鹿しきかを知るに足らん」云々

尚お是等弁論の後にて堺、神川、山川等数名の被告より証人として大杉保子及巡査横山某を喚問されん事を申請し、是を許可せらる。次回は22日開廷と決し午後5時閉廷。

此の日幸徳秋水、坂本克水君等新聞記者席にあり場外には百余名の群集溢れたり、評論社の新美君、志賀君、清国同志、在京一般同志、何れも朝来より来廷せり。

8月15日

保証金を支払って復刊した「東北評論」第2号、赤旗事件被告を称賛したとして編集人高畠素之が新聞紙法違反で起訴、軽禁固2ヶ月処分。

10月1日、新村忠雄を発行人として第3号発行。

8月15日

ニコライエフスクに日本領事館開館。

8月15日

イリノイ州スプリングフィールド、白人女性が黒人に暴行されたと主張。黒人街が攻撃され白人と黒人が衝突。


つづく


「イラン戦争に関する重大演説」に浮かぶトランプ政権の幼児性 大戦末期ドイツとの比較から(六辻彰二) ; 「多くの精神科医や心理学者は米トランプ大統領に「自己愛性人格障害」の傾向を見出している。」

山添拓議員が国会で小泉進次郎防衛相に熊本・健軍駐屯地と静岡・東富士演習場への長射程ミサイル配備を質問 ; 山添拓議員は国会で、自衛隊の長射程ミサイルが熊本・健軍駐屯地と静岡・東富士演習場に住民説明会なしで配備された問題を小泉進次郎防衛大臣に追及した。小泉防衛大臣はミサイル基地が攻撃対象となり得ると認めつつ、敵の意図が不明で運用は多様であるとし、住民への説明の必要性を明確にしなかった。議論では小泉防衛大臣の答弁が不明瞭との指摘が相次いだ。 ← 顔はシビヤーだけど、言ってることは全く意味不明

 

米国防長官、陸軍参謀総長を解任 軍上層部の「粛清」続く(WSJ) / イランでの地上作戦に反対したのではないか(布施祐仁) 

 

 

▼この通りでなければ良いが、、、

 


〈全文〉

 英語からの翻訳

陸軍参謀総長解任:これは非常に重大だ。

今、陸軍参謀総長を解任し、忠実な人物に置き換えることは、前の指導部が遅延させたり抵抗したりしたかもしれない命令への準備だ。

戦争途中で何の理由も述べずに軍種トップを解任するなら、本当の理由はほぼ確実にドクトリン上の対立——戦争の戦い方に関するものだ。なお、米国は本日、イランの民間インフラ(イランの最大の橋)を爆撃し始めた。

陸軍の変革イニシアチブを主導したキャリアの歩兵将校であるジョージのような人物は、イランでの地上作戦の実現可能性とコストについて、深刻な制度的見解を持っていただろう。彼が内部チャンネルを通じてでも抵抗していたなら、まさにヘグセスが排除しようとするような摩擦だ。

おそらく後任はクリストファー・ラネーブ将軍で、元々ヘグセスの個人的な軍事副官——つまり、ヘグセスはイランに対する現役の戦闘作戦中に、陸軍のトップに忠実な人物を据えている。

ヘグセスはこれまでに、統合参謀本部議長のC.Q.ブラウン将軍、海軍作戦部長のリサ・フランケッティ提督、空軍副参謀総長のジェームズ・スライフ将軍、国防情報局長のジェフリー・クルース中将を含む、十数人以上の上級軍将校を解任した。

結論:これはエスカレーションだ。

文民指導部は、軍事オプションに対するあらゆる制度的ブレーキを体系的に取り除いている——これが今回の全粛清が目指していたものだ。ジョージの追放がトランプの「石器時代」演説と同時に起こっているのは偶然ではない。今後2週間が、これまでで最も激しい戦闘段階になることを予想せよ。