2026年5月11日月曜日

高市首相は「女性天皇に反対しない」と言ってたのに(石井妙子); 2月27日の衆院予算委員会で、高市早苗首相は「男系男子に限ることが適切とされている。私としても尊重している」と述べた。だが高市氏は2021年、『文藝春秋』で「女性天皇には反対しない」とはっきり語っている。そのインタビューをしたのが、ノンフィクション作家の石井妙子氏(57)だ。

わたしたちは いまいったいどのあたり? 颯颯の 初夏の風よ (「問い」茨木のり子『食卓に珈琲の匂い流れ』1992年12月刊 所収)

 


問い


人類は

もうどうしようもない老いぼれでしょうか

それとも

まだとびきりの若さでしょうか

誰にも

答えられそうにない

問い

ものすべて始まりがあれば終りがある

わたしたちは

いまいったいどのあたり?


颯颯(さつさつ)の

初夏(はつなつ)の風よ


(茨木のり子『食卓に珈琲の匂い流れ』1992年12月刊 所収)


2026年5月10日日曜日

《中山美穂さん「20億円相続放棄」国会質問の情報は真偽不明》元夫・辻仁成はブログで困惑 沈黙貫く妹・中山忍は心痛「いまだ悲しみのなかに…」(NEWSポストセブン); 参政党・塩入清香(さや)議員 が取り上げた「中山美穂さん20億円相続放棄」は真偽不明 話題となった国会質疑だが、中国のソーシャルメディアに投稿されたAI生成記事がネタ元の可能性が濃厚 この質疑に元夫・辻仁成氏は困惑と憔悴をブログに綴り、妹の中山忍氏は「あまりにも故人がかわいそう」と 事務所を通じてコメントしている なお、同質疑の根拠を問われたさや議員は無回答を貫いているとのこと。一刻も早く事実確認し、誤情報なら関係者に謝罪すべきだ。

大杉栄とその時代年表(818) 〈大逆事件に連座した3僧侶の一人、内山愚堂の年譜①(~明治40年)〉 「「 今は政治が宗教を利用しつゝある時ではあるが、神の道を奉ずる者は、利害に左右せらるゝ政治の下にあることが出来ないではないか、僕は、近き将来には政治の必要を見ずして、人は各々絶対の信仰に依って生活し往くの時来る事を、然り一日も速にするのは僕の天職と信ずる、君は如何」」(明治40年12月6日付け石川三四郎への葉書)

 

箱根大平台林泉寺山門

大杉栄とその時代年表(817) 1909(明治42)年1月10日~13日 箱根大平台林泉寺住職の内山愚童、幸徳を訪問。幸徳は、秘密出版の部数は各地指導者の種本くらいに止めること、後継者を育てるため革命の伝道が優先と説く。14日、幸徳より「花束仕掛と時計仕掛の爆弾の図」という洋字新聞「エキザミナー」の切抜きを見せて貰う。坂本清馬、神川マツと共に「爆裂弾」の図を見「一場ノ談話」として「遣ツ付ケルナラバ倅(皇太子のこと)デアル、倅ノ方ガ遣ッ付ケルニハ容易デアル…」と放談。 より続く


大逆事件に連座した3僧侶の一人、内山愚堂の年譜①(~明治40年)〉

 ★眞田芳憲「大逆事件と禅僧内山愚童の「仏教社会主義」と その行動の軌跡 ―禅僧愚童の抵抗の宗教的倫理と責任―」による


明治7年(1874)5月17日

新潟県北魚沼郡小千谷町(現小千谷市)で弟2人妹1人の4人兄弟妹の長男として出生。父直吉は宮大工、後に菓子木型製作職人。

明治13年(1880)(6歳)7月

小千谷小学校入学。

明治18年(1885)(11)

小千谷小学校卒業。成績優秀、知事から表彰。しばらく家業の手伝い。

明治23年(1890)(16)10月23日

父直吉(42)病死。

明治25年(1893)(19)

出郷。一説によれば、哲学館(東洋大学の前身)創設者井上円了家で家庭教師(書生ともいう)として住み込む。また一説によれば、長野や群馬あるいは遠く朝鮮、中国に旅歴したというが、一切不明。

明治30年(1897)(23)初春

神奈川県愛甲郡三田村清源院住職、叔父(母の弟)青柳賢道を訪問、曹洞門に入る決意をかためる。

4月12日

同県同郡小鮎村宝増寺住職坂詰孝童(叔父青柳賢道の弟子)について得度、天室愚童と称する。

同県同郡三田村清源院青柳賢道常恒会首先安居(入衆)。

10月

神奈川県足柄下郡早川村海蔵寺で掛錫。

明治31年(1898)(24)

曹洞宗第2中学林本科(足柄上郡松田村延命寺内か)に入学。

明治32年(1899)(25)2月23日

曹洞宗第2中学林本科修業。

4月

海蔵寺認可僧堂に再掛鍚(修学)、海蔵寺認可僧堂安居証明を取得。同僧堂説教試験登第証を取得。

明治33年(1900)(26)冬

神奈川県愛甲郡三田村清源院住職和田寿静常恒会において立職(立身)。

明治34年(1901)(27)10月10日

神奈川県足柄下郡温泉村林泉寺兼務住職宮城実苗の室に入りて、宝珠院で嗣法(伝法)。

明治35年(1902)(28)7月7日

曹洞宗大本山永平寺で瑞世・転衣を許され、愚童和尚と呼ばれることになる。

老齢かつ病弱の宮城実苗の看護。実苗に代って、林泉寺の寺務の一切を処理、同時に当初から「寺小屋学級」での教授指導や「青年組合」の結成と社会教育の実践に取り組む

明治36年(1903)(29)2月2日頃までに

海蔵寺認可僧堂で再々掛錫。

4月5日

宮城実苗遷化

5月12日

愚童小千谷の戸籍を大平台に移籍。事実上住職として寺務を執り行う。

林泉寺檀家大平台の住民40戸前後。当時、大平台には温泉はなく、観光資源もなし。木工細工生産を職とする。耕作地は劣等地。

日露戦争の開戦時のこと、一家の支えである村の屈強な青年たちは戦地に送られ、ある者は戦死、ある者は傷痍軍人として困窮した生活に追いやられていく。愚童の眼には、生国小千谷の小作農の極貧生活はもとよりのこと、出郷後の放浪生活で実体験した一般大衆の困窮生活が二重写しとなって再現し、社会主義への傾斜を強めていったと推測できる。

明治37年(1904)(30)1月17日

愚童、週刊「平民新聞」第10号に「予は如何にして社会主義者となりし乎」寄稿。


「余は仏教の伝道者にして曰く一切衆生悉有仏性 曰く此法平等無高下 曰く一切衆生的(ママ)是吾子 之れ余が信仰の立脚地とする金言なるが余は社会主義の言ふ所の金言と全然一致するを発見して遂に社会主義の信者となるものなり」


1月31日

同新聞第12号「読者と記者」欄に「貴族・富豪を社会主義に感化する手段」について寄稿。


「▲余の考に依れば今日社会主義の理想が貴族や富豪より唱導せらるゝこと、教主悉多太子(*釈迦の出家前の王子名シッダールタ(悉達多)のこと)の如く財を捨て位を捨てゝ一平民になるの自覚を生ぜざれば福音の実現困難なることゝ存候、若し愚意に少しだも同感の節有之候はら、貴族富豪を感化するの手段など御教授願度候(箱根大平六(ママ)、内山愚童氏)」


2月9日

正式に大光山林泉寺住職に任命。

2月21日

同新聞第15号に「兵士の母」を寄稿。

7月10日

同新聞第36号「箱根大平台より」を寄稿。

9月10日

石川三四郎、加藤時次郎の子時也を連れて林泉寺訪問。その日の夜、石川が大平台村民30余名に消費組合など社会主義の話をする。大平台における社会主義の第一声にして、愚童の構想とする「夏期平民倶楽部」の記念すべき第1号。

明治38年(1905)(31)8月13日

愚童、7月に出獄して8月6日から小田原加藤時次郎別荘で静養中の幸徳秋水と初対面。愚童、秋水と堺利彦と「鼎座して禅を論ず」。

9月10日頃

愚童、伊藤證信の大日堂・無我苑を訪問、初対面で3時間ほど対話し、さらに堺利彦宅で泊まり帰寺。愚童、伊藤證信の「無我の愛」運動に意気投合。箱根芦の湖畔に修道苑の計画を立てる。

10月13日

東海道を社会主義の伝道行商中の小田賴造と山口義三、小田原に到着。

10月15日

林泉寺で青年を集めて愚童と共に社会主義の談話会を開く。

12月初旬頃

伊藤證信に宛てた「此地に仏種を植ゆる」の書簡で「本山の魔窟より発する偽法には堪えられません」「住職罷免のあるまでは」「今は四面楚歌の声で、いつ落城するやわからない」と書き送る。

明治39年(1906)(32)

伊藤證信との親交を深め、互いに往来する。

9月26日

「専心修道と伝導に従事」を目的とする修道苑の開苑計画(明39年9月26日付書簡)

11月18日

修道苑の機関紙として「神奈川教報」の発行計画(明39年11月18日付書簡)を進める。

明治40年(1907)(33)1月9日~15日

神奈川県の農村を托鉢しながら巡回視察、小作人の貧困の実情を調査。

1月

『神奈川教報』を発行。

3月

日刊『平民新聞』の「新刊紹介」欄に「神奈川教報(第3号)箱根大平台住職にして、古き社会主義者なる内山愚童氏の発行する所、宗教問題及び社会問題につき毎号有益の記事多し」とある。

この頃、日本の古代史、南北朝史、「大谷派の明治史」に関心を持つ。

6月3日

箱根山中の水力発電工事現場で60余名の建設作業員がダイナマイトをとって大乱闘、愚童「労働者の勢力が高大であることを知った」とし、「この勢力を人の最大幸福のためにするよう導くこと」の重要性を説く。

10月9日

上京、堺利彦宅5泊、西川光二郎宅1泊。直接行動派に傾く。

12月6日(消印)

巣鴨監獄在監中の石川三四郎宛に仏法・正法の道を天職とする旨の葉書を送る。

「 今は政治が宗教を利用しつゝある時ではあるが、神の道を奉ずる者は、利害に左右せらるゝ政治の下にあることが出来ないではないか、僕は、近き将来には政治の必要を見ずして、人は各々絶対の信仰に依って生活し往くの時来る事を、然り一日も速にするのは僕の天職と信ずる、君は如何」


②に続く


“直系長子継承ルール”が最善策(河西秀哉);「象徴天皇制を安定的に維持するためには、性別を問わず、「直系長子が皇位を継承」というルールにするのが、最もシンプルかつ最善の策だ」 / 皇位継承は、小泉純一郎内閣による「皇室典範に関する有識者会議」の報告書が提案する通り、男女問わず直系長子優先が基本と思う。(田島まいこ) / 「天皇は男系男子のみ」主張は「歴史を故意に歪めている」王室制度の専門家・君塚直隆教授が解説する女性天皇の功績 / 「愛子さま人気と政界での議論が乖離」象徴天皇制の専門家・河西秀哉教授が指摘する皇室典範改正案の問題点「男系男子にとらわれるほうが問題」(週刊文春 有料記事)

2026年5月9日土曜日

ABCは、FCCとの「The View」をめぐる紛争で、米国政府が憲法修正第1条を侵害したと非難しました。このネットワークの主張は、トランプ政権に対するテレビネットワークによるこれまでで最も攻撃的な姿勢です。(The New York Times)

 

バージニア最高裁、民主党に有利な区割り変更を無効に 共和に追い風(朝日); 米バージニア州の最高裁は8日、民主党主導で進められた連邦下院選の選挙区再編を無効とする判決を下した。 / 4対3の判決で、バージニア州最高裁判所は先月有権者に承認された地区再編住民投票を覆しました。この投票が民主党に下院の追加5議席をもたらす可能性がありました。裁判所は、州議会が修正条項を進める際にバージニア州憲法に違反したと判断し、住民投票を完全に無効としました。

 

 

▼MAGAのやりたい放題か!

 

イラン、米封鎖に「3~4カ月」耐えられる可能性 CIA分析 弾道ミサイルは70%残存(産経); 産経新聞がロイター通信・ワシントンポストの記事を引用して伝えるイランの底力🇮🇷トランプの焦り🇺🇸 米軍と🇮🇱の爆撃作戦は「イランを屈服させるのに失敗した」 @ReutersJapan 「イランは弾道ミサイルの70%、移動式ミサイル発射機も75%を温存」 @washingtonpost

五月の風は なぜか私を羞恥にそめる 人間のつくるものは 鼻唄まじりどうしてこんなに雑なのだろう (茨木のり子「五月の風は」 /「スクラップブック」から )

 


五月の風は       茨木のり子


一年の歳月を耐えしのんでいたものが

いっせいに花びらく眩しさ

五月の風は

なぜか私を羞恥にそめる

人間のつくるものは

鼻唄まじりどうしてこんなに雑なのだろう

ひとむらの

わすれなぐさの花のいろ

それさえ長い月日をかけて水色に咲きこぼれ

ちり紙のように使いすてた

わたしの一日一日は

蕉風のなかにひらひらあらわれ

みっともなく照れている


「スクラップブック」から







2026年5月8日金曜日

ニューヨークにエプスタイン関連ファイルのみを扱う図書館がオープン(WIRED) / 速報:公開されたエプスタイン文書の全350万ページを収録した物理的な図書館—3,437巻に綴じられ印刷されたものが、ニューヨークでオープン