9月20日、はれ
今日は、先日(9/12)に引き続き、旧東海道の京急青物横丁駅から京急川崎駅までを歩いた。(詳細記事は別途)
旧東海道を歩く 高輪大木戸跡(6km地点) 「コチャ高輪 夜明けて 提灯消す」 2019-09-12
これで旧東海道歩きは、日本橋から小田原の手前の二宮までを歩いたことになる。
旧東海道の京急立会川駅あたりを過ぎると立会川に架かる浜川橋を渡る。この橋は別名「なみだ橋(涙橋)」と呼ばれるとのこと。
実は、この先にある鈴ヶ森刑場に送られる罪人の親族らが、密かに見送りに来てここで涙を流し別れたといういうことからこう呼ばれたという。
同情すべき故をもつ「罪人」も多くいたのだろう。
さて、刑場であるが、いくら史蹟とはいえ、このテの話題は苦手なので、説明なしにさらっと写真だけを掲げておく。
ウィキペディアによると220年の間に10万から20万人の人たちが処刑されたらしい。
今日の歩数は2万5千歩。昨日は2万1千歩だった。ちと疲れたかな。
2019年9月20日金曜日
2019年9月12日木曜日
旧東海道を歩く 高輪大木戸跡(6km地点) 「コチャ高輪 夜明けて 提灯消す」 2019-09-12
9月12日、はれ
今日は旧東海道を、出発点である日本橋から品川宿(京急青物横丁駅)までを歩いた。
(詳細記事は別途)
約10kmかな。
実は、品川宿あたりの旧東海道、マゴちゃんの保育園お迎えでいつも通っている道なんですよ。
途中、6km地点で高輪大木戸跡を通過した(JR田町と品川の間、京急泉岳寺の少し手前)。
俗謡『お江戸日本橋』で歌われる「コチャ高輪 夜明けて 提灯消す」の高輪なんだね。
日本橋を七つ(午前4時頃)出発して、6km地点の高輪で明るくなったので提灯を消そう、ということだ。
この前にある「お江戸日本橋 七つ立ち 初のぼり 行列そろえて あれわいさのさ」というのは、初めての京都旅行でうきうきしている情景を表したものらしい。
江戸で丁稚奉公をした若者が初めての休暇で故郷の上方に帰る様子とする説もあるそうだ。
だから午前4時の出発でも全然平気なんだろうか。
また、そうでもしないと10里(40km)先の一泊目の戸塚宿に到着できないのかもしれない。
上方に向かうのを「(初)のぼり」というのも面白い。京都に行くのが「上り」だったんだね。
ところで、この『お江戸日本橋』という歌、江戸末期~明治の初めに流行したそうだが、「こちゃえ こちゃえ(こちらえ こちらえ)」の掛け声からも推察できるけれど、結構エロい内容なんだね。そこここで袖を引かれるんだ。
今日は旧東海道を、出発点である日本橋から品川宿(京急青物横丁駅)までを歩いた。
(詳細記事は別途)
約10kmかな。
実は、品川宿あたりの旧東海道、マゴちゃんの保育園お迎えでいつも通っている道なんですよ。
途中、6km地点で高輪大木戸跡を通過した(JR田町と品川の間、京急泉岳寺の少し手前)。
俗謡『お江戸日本橋』で歌われる「コチャ高輪 夜明けて 提灯消す」の高輪なんだね。
日本橋を七つ(午前4時頃)出発して、6km地点の高輪で明るくなったので提灯を消そう、ということだ。
この前にある「お江戸日本橋 七つ立ち 初のぼり 行列そろえて あれわいさのさ」というのは、初めての京都旅行でうきうきしている情景を表したものらしい。
江戸で丁稚奉公をした若者が初めての休暇で故郷の上方に帰る様子とする説もあるそうだ。
だから午前4時の出発でも全然平気なんだろうか。
また、そうでもしないと10里(40km)先の一泊目の戸塚宿に到着できないのかもしれない。
上方に向かうのを「(初)のぼり」というのも面白い。京都に行くのが「上り」だったんだね。
ところで、この『お江戸日本橋』という歌、江戸末期~明治の初めに流行したそうだが、「こちゃえ こちゃえ(こちらえ こちらえ)」の掛け声からも推察できるけれど、結構エロい内容なんだね。そこここで袖を引かれるんだ。
2019年9月8日日曜日
旧東海道を歩く(14) 大磯宿 平成の一里塚~化粧坂一里塚~江戸見附~問屋場(北組、南組)~本陣~高札場~上方見附~一里塚(江戸から十七里) 新島襄終焉の地 島崎藤村邸 吉田茂邸など
旧東海道を歩く(13) 平塚宿 (馬入橋)~馬入一里塚~江戸見附跡~脇本陣跡~高札場跡~問屋場跡~本陣跡~京方見附跡~(平塚宿の碑)
から続く
▼平塚宿を出て、現在の行政単位である大磯町に入ってすぐにある「平成の一里塚」
広重も描いたこの辺りのシンボル高麗山と花水川
▼実はこの時、大粒の雨が降り始め焦って急いだため道を間違えた。
この↓67km表示は旧東海道ではなく国道一号線にあるもの。
実際は、67km表示の手前、もう一つ下の写真にある「化粧坂」というところで旧東海道は国道一号線と暫く別れることになる。
▼左が国道一号線、右が旧東海道
(雨模様が急に夏空に変貌)
▼三沢橋東詰というところが旧東海道と国道一号線の合流点
▼この辺りの史蹟表示と松並木
▼JR大磯駅が近づいてきた
▼問屋場、本陣
▼高札場
▼上方見附
▼島崎藤村邸
▼東海道松並木
▼旧吉田茂邸
旧東海道歩き 大磯にある旧吉田茂邸に立ち寄った 2019-08-31
▼旧吉田茂邸のある城山公園から大磯プリンスホテル(バス停)あたりまで、旧東海道は国道一号線と分離している。但し、一部はかなり近接して並行している。
▼一里塚(江戸から十七里)
から続く
▼平塚宿を出て、現在の行政単位である大磯町に入ってすぐにある「平成の一里塚」
広重も描いたこの辺りのシンボル高麗山と花水川
▼実はこの時、大粒の雨が降り始め焦って急いだため道を間違えた。
この↓67km表示は旧東海道ではなく国道一号線にあるもの。
実際は、67km表示の手前、もう一つ下の写真にある「化粧坂」というところで旧東海道は国道一号線と暫く別れることになる。
▼左が国道一号線、右が旧東海道
(雨模様が急に夏空に変貌)
▼三沢橋東詰というところが旧東海道と国道一号線の合流点
▼この辺りの史蹟表示と松並木
▼JR大磯駅が近づいてきた
▼問屋場、本陣
▼高札場
▼上方見附
▼島崎藤村邸
▼東海道松並木
▼旧吉田茂邸
旧東海道歩き 大磯にある旧吉田茂邸に立ち寄った 2019-08-31
▼旧吉田茂邸のある城山公園から大磯プリンスホテル(バス停)あたりまで、旧東海道は国道一号線と分離している。但し、一部はかなり近接して並行している。
▼一里塚(江戸から十七里)
2019年8月31日土曜日
旧東海道歩き 大磯にある旧吉田茂邸に立ち寄った 2019-08-31
8月31日、曇のち晴れ
今日は旧東海道歩きのうち、大磯宿の京方見附跡以降、JR二宮駅まで歩いた。
(旧東海道大磯宿の記事は別記事にて。未作成)
JR大磯駅と二宮駅の間には旧東海道史蹟ではないが、吉田茂邸があるのでそこに立ち寄った。
旧邸宅は2009年に焼失し、いまあるのは2017年4月に再建されたもの。なお、邸宅内へは入場料500円が必要。庭園のみの場合は無料。私は、てくてく歩きが主目的なので庭園だけにした。
焼失まえの建物でも、昭和22年築(新館は昭和30年)というので、失礼ながらじっくり見るほどのお宅ではなさそうだ。焼失を免れた内門(兜門、↓2枚目の写真)は昭和29年築とのこと。
吉田茂像、北の丸公園にある像よりもジサマだね。
▼2019/8月の累計平均歩数は10,300歩/日で目標はクリヤした。
年度でみた累計平均でも10,483歩/日でクリヤだった。
今日は旧東海道歩きのうち、大磯宿の京方見附跡以降、JR二宮駅まで歩いた。
(旧東海道大磯宿の記事は別記事にて。未作成)
JR大磯駅と二宮駅の間には旧東海道史蹟ではないが、吉田茂邸があるのでそこに立ち寄った。
旧邸宅は2009年に焼失し、いまあるのは2017年4月に再建されたもの。なお、邸宅内へは入場料500円が必要。庭園のみの場合は無料。私は、てくてく歩きが主目的なので庭園だけにした。
焼失まえの建物でも、昭和22年築(新館は昭和30年)というので、失礼ながらじっくり見るほどのお宅ではなさそうだ。焼失を免れた内門(兜門、↓2枚目の写真)は昭和29年築とのこと。
吉田茂像、北の丸公園にある像よりもジサマだね。
▼2019/8月の累計平均歩数は10,300歩/日で目標はクリヤした。
年度でみた累計平均でも10,483歩/日でクリヤだった。
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