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2017年7月4日火曜日

堀田善衛『ゴヤ』(117)「版画集『戦争の惨禍』」(5)「現代の開始期の、まさにその時に当ってゴヤによって深刻な警告を受けていながら、あたかも聾者ででもあるかのようにして一向に聴き入れようとせず、殺戮に殺戮を重ねて来たのは、われわれの歴史そのものなのである。「答は汝にあり」。 ここで聾者なのはゴヤではない。」

この版画集の最終部分、六五番から、八三、八四、八五番の囚人図までを含む第七群についてであるが、この第七群は直接的には戦争の惨禍とは関係がなく、最初の編纂著であるベルムーデスが「強烈な気まぐれ」と呼んだものにあたる。デッサンはおそらく早く出来ていたものであろうが、なかには一八二〇年以後の、フェルナンド七世の圧政からの自由化革命の後に銅版に刻まれたものであろうと推察されるものも含まれる。というのは、その諷刺と批評があまりに「強烈」で、到底、異端審問所の復活して来ている環境で刻まれ、たとえ少部数なりとも秘密にまわし読みなど出来る筈のないものがあるからでもある。

65「この騒ぎはいったい何なんだ?」

この第七群は、六五番「この騒ぎはいったい何なんだ?」からはじまる。けれどもこの六五番そのものが、今日ではわれわれ自身もが、この騒ぎはいったい何なんだ? と問わなければならなくなっている。左端にお椀帽をかぶったフランス兵がどっかと坐り込んで鵝ペンで何かの書きものをしていて、どうやらこの男が、中央に髪をぶり乱してあわてふためき、また両手で頭を抱え込んで身をねじるように倒して走る二人の婦人に、「この騒ぎは……?」と問うているらしいのである。
この鵝ペンをもった兵の陰にもう一人の兵がいて、これもびっくりしたような表情で右の方を注視している。
あるゴヤ展のカタログ(一九六一-六二年、パリ)には、「如何なるゴヤ解説者もこの版画の意味を見出しえていない」と書いている。

・・・戦争に関する直接的なコメントはこの一枚で終り、あとは対仏人民戦争の間に目覚めたスペイン人民を再び眠らせ、あるときには「真理」をさえ死なせ、愚昧化するものとしての教会に対する激烈な攻撃がつづく・・・

66「異様な信心だ!」

   67「これもまた少からず異様だ」

68「何という気違い沙汰だ」

六六、六七番は聖職者と貴族階級に対する「強烈な」攻撃である。聖職者の屍をわざわざガラス張りの棺桶に入れて運び、人々の拝跪と祈祷が求められている。「異様な信心だ!」との詞書がつき、六七番は「これもまた少からず異様だ」とされていて、貴族の服装をした二人の老人が杖に支えられながらも聖母像をかついでよろめいている。

六八番、「何という気違い沙汰だ!」とされているものは、頭巾つきの服を着た修道士とおぼしい大きな人物が背を二つ折りにして右手にスプーンをもっている。中景には左にカーニバル用の仮面らしいものやおまると見える容器があり、右には額縁に入れた絵画数枚と、裸の着せかえ人形らしいものが二体と女性用の服と、それに男のズボンかと思われるものが見える。そうして背景にやはり頭巾つきの服装をした黒い人物が数人彷徨している。
この一枚は、それ自体気違い(ママ)じみていて、それが如何なる種類の狂気の沙汰なのかわからない。私自身は、修道士用の服を着てはいるものの、これはゴヤのアトリエを描いたものではないか、と思うことがある。こういうもの、「強烈な気まぐれ」などを描くこと自体、狂気の沙汰だ、と自嘲しているかに受けとられるのである。すでに『黒い絵』が開始されているのである。

70「彼らは道を知らない」

71「公共の福祉に反して」

72「その結果」

   73「猫の無言劇」

   75「ほら吹きどものお喋り」

六九番「虚無だ」のことは後述するとして、七〇番「彼らは道を知らない」と詞書されたものは、小さな丘、あるいは大きな石をめぐって、綱で首をつながれた警官と聖職者がぐるぐると堂々めぐりをしている。そうして人民は両手をひろげ、呆れて見ている。法治国家と称される警官たちの官僚主義(ビューロクラシイ)と、聖職者たちによる権威独裁主義(オートクラシイ)を、かくまでも露骨に諷刺したものは他にないであろう。今日でも充分にそれは通用する、聖職者に代ってイデオローグが一枚加われば。

七一番は、ふたたび聖職者である、但しこの聖職者の手足には鋭いけだものの爪が生え、耳にあたるところには蝙蝠の羽が生えている。彼は大きな帳面を膝の上でひらき何かを書きつけている。ここでも人民は両手を挙げて大迷惑の表情である。これは「公共の福祉に反して」と詞書され、七二番は、「その結果」として七一番を受けている。
「その結果」はどういうものであったか。人民は地に打ち倒されて蝙蝠に胸から生血を吸われている。蝙蝠どもは続々と駈けつけて来る。

七三番は「猫の無言劇」と詞書されて、台上の猫と猫の顔をした鳥が飛んでいて修道士がこれをおがんでいる。
七五番「ほら吹きどものお喋り」では、オウムの顔をもった服装からしてかなり高位の聖職者が前面に躍り出て、背後の善男善女にほらのありたけを吹きまくり、左端上部の石の上にとまった本物のオウムと右端の驢馬や犬、猪などが呆れている。

76「肉食のハゲ鷹」

77「綱が切れるぞ」

そうして、七六、七七番の強烈至極な諷刺が来る。七六番は「肉食のハゲ鷹」と詞書され、戦争中は百姓ゲリラであったに違いない男が三ツ叉の鋤をもってこの鳥に襲いかかっている。羽は半分がたは剥ぎとられて、いま致命的な一刺しを見舞われようとしている。この醜い鳥が何物であるかは、鳥の肛門の直下におかれた一人の人物が表象をしている。・・・これはローマ教皇にほかならない。
ローマ教皇を肛門からひり出すことの出来るものは、これは教会以外にありえない。
ゴヤはもうヤケ糞にでもなったかのようにして教会そのものを、教皇をさえ槍玉にあげ、ゲリラとともにこれを刺し殺そうとしている。
現在、異端審問所はない。ナポレオンの一言によって廃止されてしまった。
しかし、スペインには「夜とイエズス会は必ず戻って来る」という言い方があったように、それが戻って来る可能性はないか・・・。
もしそれが戻って来て、ハゲ鷹の肛門からひり出された教皇を見出したとしたら、しかも鋤で教会を刺し殺そうとは・・・。これはもう絞首刑ものである。
事実、後年にいたって「夜」とともに復活して来た異端審問所は、彼を召喚している。二度目である。

さて次に、七七番「綱が切れるぞ」である。
下から見上げている民衆を尻目に、何カ所も結び目やら、別の紐などでつくろったところのある綱の上で綱渡りをしている者が誰か。長いあいだそれは論議の種であった。
高位聖職者らしい服装をしてはいるものの、これはジョセフ・ボナパルト、つまりはホセ一世であろう、ということになっていた。・・・
・・・ゴヤ生前からのコレクターであり、かつ尊敬者でもあったバレンティン・カルデレーラのコレクシオンには、一八二〇年のセアン・ベルムーデス版によるもう一つ別の版があったらしいということも、専門家の間ではうすうす知られてもいた。
プラド美術館も、なかなかこの原デッサンを公表しなかった。
理由は、単純明瞭である。
デッサンと一八二〇年の地下版では、この危っかしい綱渡りをしている聖職者は、畏れ多くも教皇の、例の盾のような形の三重冠を頂いていたのである。
つまりこの綱渡り男は、時の教皇ピウス七世にほかならぬ。
かくて、鳥の肛門からひり出された教皇は、民衆の頭上で綱渡りをさせられている。
それにしても物凄いものを刻んだものである。ゴヤの反教会の念々は、ここに到って頂点に達している。
なおピウス七世は、一八世紀末に追放されたイエズス会の復活を許し、スペイン異端審問所の再開をも認可した人であった。

七九番「真理は死んだ」、八〇番「復活するかしら?」、八一番「物凄いけだもの」、八二番「これが本当なのだ」については先に触れたのでくりかえさない。七八番「奴はうまく身を守る」についても。

69「虚無だ」

74「最悪なのはこれだ!」

かくて、いままで言及を延ばして来た六九番「虚無だ」、と七四番「最悪なのはこれだ!」について触れなければならない。

六九番の「虚無だ(Nada)」もまた議論の余地のあるというか、議論の種になる作である。ほとんど真暗な、しかし闇のなかに魑魅魍魎どもがよってたかっている画面の前面中央から右へかけて、下半身はすでに地に埋められてしまっている痩せ衰えた瀕死の人が、骸骨よりももっと怖ろしい顔を見せ、最後の、あらんかぎりの力を振り絞って起き上り、下半身を埋めている土の上におかれた石か板に、Nada(虚無だ)と書きしるしている図である。
これをどう解するか。そこに様々な議論が出て来る。背景の魑魅魍魎のなかの一人は、秤をもっているが、その秤皿はびっくりかえっている。宗教画の伝統では、秤は大天使ミカエルがもっていて死者の魂の重さをはかることの表象であったし、通常は平等と正義をあらわした。その秤の皿がひっくりかえっているとならば、死者には重さがはからるべき魂などはない、死の前に平等も正義も何もあるものか、ととるべきか。
もしそうであるとすれば、この瀕死寸前の人が垣間見た死の世界が、神も仏もなくて「虚無だ」と解さなければならないであろう。
またもしそうであるとすれば、ゴヤは反教会どころか、無神論者である、ということになる。唯物論者である、ということにすらなるであろう。
神がいなければ、死者の行く手にあるものは救済でも天国でも地獄でもなくて、「虚無だ」ということにならざるをえない。しかし、これもまたあまりに「強烈」である。
だが、あまりに強烈であろうがなかろうが、論理の必然であることも間違いではないであろう。
私には、ゴヤが戦争とそれにもとづく飢えや伝染病などで、あまりに多くの、生きるべき人々が、ほとんどわけもなくと言いたくなるほどにばたばたと、残酷に殺され、かつ死んで行く様を見て、あるときに神も仏もない、「虚無だ」と考えたとしても自然であると思われる。
・・・たとえ「虚無だ」と思う時があったとしても、だからと言ってゴヤを無神論者、唯物論者としてしまうこともまた誤りであろう。

そうして次に、無智蒙昧な民衆にとりまかれて聖職者のさし出しているインク壷によって、鵝ペンを手にして何やら文句を書きつけている狼の図が来る。七四番、「最悪なのはこれだ!」と 詞書されていて、狼が書いている文句は、

Misera humanidad, la culpa es tuya. Casti
人間たることの悲惨、答は汝にあり。カスティ。

というものである。
これは一八世紀イタリアの詩人ジャン=パティスタ・カスティの詩句の奇妙なスペイン語訳である。
これと一対になるべき句は、おそらくローマの詩人プラウトゥスの、

Homo homini lupus
人は人に対して狼なり。

であろう。

現代の開始期の、まさにその時に当ってゴヤによって深刻な警告を受けていながら、あたかも聾者ででもあるかのようにして一向に聴き入れようとせず、殺戮に殺戮を重ねて来たのは、われわれの歴史そのものなのである。「答は汝にあり」。
ここで聾者なのはゴヤではない。
*
*

2017年5月3日水曜日

堀田善衛『ゴヤ』(116)「版画集『戦争の惨禍』」(4)「戦争には果たして、本当に勝利というものはあるものなのだろうか。死者にとって、勝利とは何か、敗北とは何であろうか。生き残った者にとっても、とりわけて女性や子供にとって勝利とは何であろうか。ナポレオンは「戦争をして戦争を営ましめる」と言ったが、戦争には、本当は戦争だけしかありはしないのだというのが、歴史のもう一つ奥の真実なのではなかったか。」

ここまでの、第一 - 第六群までが「ボナパルトと戦った血みどろの戦争の宿命的結果」であり、もっとも多い枚数の六五番から八二番まで、あるいは鎖につながれた囚人図三枚を入れての八五番までがゴヤの言う「強烈な気まぐれ(Caprichos enfaticos)」であって、以前に版画集『気まぐれ』を扱ったときと同じく、この「気まぐれ(Caprichos)」ということばを、”自由”の代替語として解するならば、この「強烈な気まぐれ」は、いわば「強烈」に行使されたる”自由”、あるいは、自由の強烈さ、一社会において自由が自由に行使されたときの強烈な結果として見ることが出来る筈である。

・・・、その自由は、いずれも戦争が終り、フェルナンド七世がマドリードに戻って来てからの、いわば戦争の結果の、そのまた結果とも言うべき、戦後の様相にかかわるものである。

・・・、百姓たちや下層市民たちのゲリラ戦による、戦史にも未曾有の勝利の結果としてのフェルナンド七世復帰以後のスペインのあり様は、実に、いったい何のために人々は血を流して戦ったのであったろうと疑わざるをえないほどの事態となって行くのである。
愛国者たちがカディスまでも逃げまどいながらも苦心して創り出したカディス憲法も踏みにじられ、ゲリラのリーダーたちは一斉に検挙され迫害され、惨めになぶり殺されるものまでが出て来、以前にもましての貴族と聖職者たちによる、有無を言わさぬ絶対支配が立ち戻り、異端審問所までが復活して来るのである。

かくてはゴヤの頭蓋に、ふたたびあの不吉な蝙蝠や、猫のような顔をした鳥、物知り面をした驢馬、ハゲ鷹などが奇声を発して羽ばたきはじめるのである。

七九、八〇、八二番は、「真理は死んだ」「復活するかしら?」「これが本当なのだ」と詞書されて、その「戦争の宿命的な結果」が如何なるものであったかが、もはや取りかえしのつかない絶望感をもって刻み込まれているのである。

真理が死んだのならば、偽りが勝利をえたのである。この真理(la verdad)を、ふたたび自由と解するならば、自由が死んで、圧制がふたたび来たということの表明となるであろう。「これが本当なのだ(Esto es verdadero.)」とは、本当はこうあるべき筈だったのだ、と解しても過当に誤りではあるまい。

・・・、「血まみれの戦争の宿命的結果」としての、本当の「戦争の惨禍」は、惨憺たるこの戦争の”勝利”の、その後に来るのである・・・。

・・・、この版画集『戦争の惨禍』には、勝利、というものだけはまったく如何なる影もかたちも見せない・・・。

いやしかし、よくよく考えてみれば、戦争には果たして、本当に勝利というものはあるものなのだろうか。死者にとって、勝利とは何か、敗北とは何であろうか。生き残った者にとっても、とりわけて女性や子供にとって勝利とは何であろうか。ナポレオンは「戦争をして戦争を営ましめる」と言ったが、戦争には、本当は戦争だけしかありはしないのだというのが、歴史のもう一つ奥の真実なのではなかったか。・・・

ゴヤは、一八一四年に終るこの「戦争の宿命的結果」を、戦後も長きにわたってこつこつと銅版に刻みつづける、発表の望みも、たとえなくとも。…‥

この版画集『戦争の惨禍』と、一七九九年に公刊された『気まぐれ』とを比べてみて、すぐに気付かれることは、後者に見られる、ゴヤの側での芝居ッ気というものが前者に極少なことである。・・・

・・・違いのもう一つは、行動するグループのすべてが背景の風景、あるいは環境と密接に噛みあわされていることである。・・・
さらには、『気まぐれ』の場合のようには、幻想上の、あるいは妄想上の動物や鳥類、化物などはほとんど登場せず、その必要もない。眼前の現実自体の方が、いかなる妄想よりも、より妄想的であったからである。・・・

『戦争の惨禍』78「奴はうまく身を守る」1808-14

カロはいかにも典型的な一七世紀人であったが、ゴヤはすでにわれわれの同時代人である。しかもこの同時代である”現代”がまさに開始されたその瞬間において、すでにわれわれは、人間が何をやらかすことが出来るものであるかについて、きびしい警告をうけていたのであった。

『戦争の惨禍』の最終部分、第七群中の、七八番は、後肢を蹴上げた、まるで犬のような裸馬(相変らず馬を描くことはまるでだめだが)を中心に、九匹の飼い犬やら野良犬や狼がはねまわっている図で、これには「奴はうまく身を守る」と詞書されていて、これはむしろ、奴らの方が、と解されるものであろうが、喧嘩はしても戦争というものをすることのない動物の世界との対比さえがなされていたのであった。

私はこの版画集、『戦争の惨禍』をつくづくと打ち眺めていて、つねに一つの、言葉にはあまりしたくない想念を持ちつづけていだものであった。

それをここにあえて言葉にしてみるとすれば、次のようなことにもなるであろうか。

すなわち、フランス革命後に、ナポレオンによって創設された近代国家と、それに付随する暴力装置としての近代的国民軍というもの、及びこのナポレオンの国家と国民軍に対抗して創設されたヨーロッパの他の近代的国家とその国民軍の、この両者によって開始された帝国主義時代。
そのナポレオンがスペインの百姓と下層人民によるゲリラと、ロシアのクトゥゾフ将軍麾下の軍隊と凍原の百姓たちのパルチザンによって叩き潰されたことの象徴性が、その後の、数々の一九世紀、二〇世紀を通じての「戦争によって戦争を営ましめる」式の戦争を経て、最終的には、ベトナム人民の三〇年にわたるゲリラ戦争によって受けつがれ、そこでわれわれの国家単位の”現代”が終ることになってもらいたいものであるという、いわば現代終焉願望が、この『戦争の惨禍』をくりかえし眺めていると私は自分のなかに澎湃として湧き起って来てそれを押しとどめることが出来ないのである。おそらく、この秘められたる願望が私をしてこの『ゴヤ』を書かしめている情熱の根源をなすものなのであろうと思う。

侵略者は、兵隊の群れを相手にするのとは勝手が違い、武装農民をどこまでも追い廻し、追い詰め得るものではないということを思い知らねばならない。兵隊なら、あたかも一群の家畜のように連れ立って逃げるだろうが、しかし武装農民は、追いかけられれば散りぢりに姿を潜めるが、しかしそのために前もって手筈をきめておく必要がないのである。
防御者の正規軍がとうにいなくなっても、攻撃者の縦隊の先頭によってずっと前に追払われた筈の農民が、今度は縦隊の後尾に現われるというふうである。道路の破壊や陸路の遮断について言えば、攻撃軍の前衛部隊や別働隊の用いる手段と農民達が集めてきた手段の差は、自動人形のぎごちない運動と、生きた人間の自由な運動の差のようなものである。
国民戦に関する我々の見解を述べると、国民戦はあたかも雲か霧のような存在であるから、ことさらに凝縮して個体となる必要はないのである。この霧がある地点では凝集して濃密な塊りとなり、恐ろし気な雷雲を形成することも必要である。そうすればこの雲の中からいつかはすさまじい電光が閃き出ることもあるだろう。
スペイン国民は、なるほど個々の軍事行動において幾多の弱点と手ぬかりを免れ得なかったにせよ、しかしその執拗な闘争において国民総武装と侵略者に対する叛乱という手段とを用いれば、全体として絶大な能力を発揮し得ることを実証した。

以上の引用は、クラヴゼヴィッツの『戦争論』から抄したものであるが、このスペイン戦争とナポレオンのモスクワ敗走のほとんど直後に、この戦争学者によってかかるものとして評価されたスペイン・ゲリラの、勝利後の運命は実に苛酷なものであった。

『戦争の惨禍』79「真理は死んだ」1808-14

『戦争の惨禍』80「復活するかしら?」1808-14

七九番で「真理」を表象する女性は、高位聖職者の祝祷をうけて死ぬのであるが、彼女の「復活」を待ち祈る人々のなかには偽善的な聖職者の姿はすでになく、「これが本当なのだ」とする八二番では、「真理」の女神は、ただの百姓女か町場のお上さんにすぎず、神化や聖化が一切行われていない。彼女に付き添っている男も敝衣にヒゲだらけで鍬をもった百姓男であることに留意をしておきたい。

そこに人民自体の発意になるゲリラ戦争の結果として、社会革命があるべきであったのに、それが復帰したフェルナンド七世によって残酷なまでに弾圧されたことと、だから「これが本当なのだ」は、「こうあってこそ本当なのだ」と解されるべきものであるかどうかは、読者諸氏の読解におまかせしたい。
一八二〇年のセアン・ベルムーデス版には、このあとに八三-八五番として三枚の鉄鎖につながれた囚人図がついていたことも付記しておきたい。

ゴヤは、一八〇八年秋のサラゴーサ・フエンデトードス旅行を除いては、戦争中はほとんどマドリードにいたものと解される。が、近頃発見された文書によって、彼がより「自由な国」を求めてマドリード北方へ彷徨して行って警察に追いかえされたことが判明した。これも後述することにしたい。


2017年3月12日日曜日

堀田善衛『ゴヤ』(115)「版画集『戦争の惨禍』」(3)「この「私がこれを見た」という詞書は、この版画集全体の副題であってもよく、またこの画家、ゴヤの全生涯のそれであってもふさわしいものである。 時代の証言者としての芸術家、という、存在のあり様は、ここに全的に成立しているのである。」

戦争という、最大規模での人間狂気の抉出にあたって、従って版画集『戦争の惨禍』を構成するについて、ゴヤは並みの作家以上の、細心の配慮と根廻しをしてかかっている。・・・

序文にあたる第一番・・・、第一群(ニー一九番)・・・は、ゲリラとフランス軍との戦いとその悲惨をまとめ、第二群(二〇-二七番)はその結果の悲惨、第三群(二八-三〇番)はこの戦争の内戦としての悲惨な性格、第四群(三一-三九番)は死体陵辱と死刑執行の悲惨、そうして四一番からはじまる第五群とのあいだに、先に記した怪獣と女性(四〇番)を配して、後に来るものへの伏線としているのである。
ゴヤ『戦争の惨禍』41

 ゴヤ『戦争の惨禍』42「すべてあべこべだ」

ゴヤ『戦争の惨禍』43「これもまた」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』44「私がこれを見た」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』45「これもまた」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』46「それは悪い」

ゴヤ『戦争の惨禍』47「かくて(掠奪が)起った」

かくて、四一番から四七番にいたる、いわば「私がこれを見た」シリーズとでも言うべきものがはじまる。四一番は、この戦時中のサラゴーサの病院火事のときの景と言われ、「彼らは焔のなかを逃げまどう」と詞書されている。四二番、四三番は「すべてあべこべだ」、「これもまた」と詞書されていて、人々を救い慰めるべき修道士や修道女たちまでが、われ先に逃げ出してしまい、地に仆れた人をさえもかまいつけもしないという様相を描き出している。

先の版画集『気まぐれ』にあれほど頻繁にあらわれていた聖職者批判が、今回の『戦争の惨禍』においてはここにはじめて、しかも一層痛烈な、現実の目撃証拠として描き出される。・・・なおこの第五群中の四二、四三、四四、四五番の四枚は、おそらくフエンデトードス村への帰郷中に敵軍の接近を伝え聞いた村人たちの避難を「私がこれを見た」(四四番)、「これもまた」(四五番)として描き出したもののようである。四五番のそれでは、女たちのうちの一人は左手で赤ン坊を抱え、脇の下にフライパンをさし込み、右手にはニワトリを一羽つかまえ、足許には豚が駈けている。そうしてもう一人の女は、子供を肩車にして背負っている。また三人目は、あまりに大きな荷物を背負っていて男とも女とも判然としない。
あわてて子供だけをひっかついで来た女性と、いわば落着いてフライパンにニワトリと豚までを持ち出した女性との対比などは、やはり実見にもとづくものであることを証ししているであろう。
この「私がこれを見た」という詞書は、この版画集全体の副題であってもよく、またこの画家、ゴヤの全生涯のそれであってもふさわしいものである。
時代の証言者としての芸術家、という、存在のあり様は、ここに全的に成立しているのである。

四六、四七番は、フランス軍の教会襲撃、そうして略奪の図である。詞書は簡単明瞭に「それは悪い」、「かくて(掠奪が)起った」、である。

これで第五群がおわり、四八番から六四番までの一七枚は、一八一一年から二一年にかけて、マドリード市民の二万人が飢え死にをしたり病死をしたりした”飢えの年”の描出であるが、この件については先に詳しく述べたので、ここではくりかえさないことにする。・・・
しかもこの第六群は一七枚が使われていて、ここに描き出されているものは、一社会なのだ。たとえば六一番に描かれているものは、警官によって飢えた者たちと富める者とが隔離されている一つの社会像なのである。
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2017年2月26日日曜日

【閲覧注意;全てゴヤの版画作品ですが一部に残虐な光景があります】 堀田善衛『ゴヤ』(114)「版画集『戦争の惨禍』」(2)「この老画家の、人間としての真の偉大さ - という言葉を私は敢て使いたいと思う ー は、人間のやらかす所業の一切に耐えて、現実としてのこの怪獣をあえて描き出し、なおかつ、これを如何にしてでも押しとどめようとする、無名の、足腰ともに逞しい女性をこの怪獣にとりつかせたところにあるであろう。」

第二群に分類されるものは、二〇番から二七番までで、これは戦闘のあと、その結果の悲惨を文字通りに抉り出している。傷ついた者に手当をし(二〇番)、担ぎ出し(二一番)、そうして死んでしまった者はその場に当分は放置せざるをえない (二二番)。・・・。この二二番、二三番の、積み上げられ、あるいはばらばらに散らされた屍の傍に投げ出されたサーベルの、その無機質な金属の、鋭い、人工的な角度が、屍の、どう仕様もなく無形態な形態と、まことにあらわな対比を示す。

かくて、この無機質なものの怖ろしさは、二六番の銃殺刑の図にいたって極まることになる。山の洞窟と思われる暗所に男女の一群が避難をしている。その一群に、光りの射し込んでいる入口から八本の銃剣がつきつけられている。一瞬後には、一斉射撃によってこの男女は屍と化すであろう。
一斉射撃による銃殺刑は、フランス軍の創意によるものであった。この金属製の、複数の銃剣と銃の、その鋭い人工的な角度は、そのままで”現代”の到来を示している。この複数の銃剣は、やがて機関銃となり、ロケットとなる。この二六番は、「見ていられない」と詞書されているが、それはむかしむかしの戦争の図などというものではなくて、われわれの現代そのものであろう。長く長く、われわれは「見ていられない」ものを見続けて来ている。
無機質の工業製品によって、つまりは顔のない暴力装置によって大量の人間が一度にまとめて殺される時代が到来する。われわれはゴヤの手によって、その時代の開始期に立ち合わされている。

二七番には、後景にゴヤ自身が悪魔のような面構えで登場して天の一角を睨みつけているのであるが、・・・。

ゴヤ『戦争の惨禍』20

ゴヤ『戦争の惨禍』21

ゴヤ『戦争の惨禍』22「最悪」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』23

ゴヤ『戦争の惨禍』24

ゴヤ『戦争の惨禍』25

ゴヤ『戦争の惨禍』26「見ていられない」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』27

二八、二九番の二枚は、いわば番外のようなものであって、マドリードの暴民によるベラレス侯爵惨殺の景である。・・・そうして、ここでゴヤのいわゆる”公平さ”と言われるものについて一言をしなければならないであろう。
戦争に公平も何もあるものかということになれば、何も言うことはないわけであるが、とりわけてフランス人の研究者たちは、敵味方双方の残虐行為をゴヤが”公平”に描き出しているということを強調し、そこから、たとえばスタンダールにおける、あるいはトルストイの戦場描写においての、敵味方にこだわらぬ”公平性”などと結びつける向きがある。
けれども私には、そういう言説は無用のものであろうと思われる。公平であろうがなかろうが、いずれは「血まみれな戦争の宿命的結果」なのである。
ゴヤ『戦争の惨禍』28

ゴヤ『戦争の惨禍』29

そうして三〇番の、怖るべき「戦争による被害」が来る。夜間、睡眠中の一家が砲弾の直撃を受けた結果の図である。
椅子は人々よりも高くはね上って何かにひっかかり、一人の女人もまた逆さに吊り下って死んでいる。
私は何もむげにピカソを否定しようとするものではないのだが、先の市民戦争においての、ナチ空軍によるゲルニカ無差別爆撃を悼みかつその怒りをぶっつけたピカソの『ゲルニカ』と、この一枚とをどうしても比較したくなる心持を自分に禁ずることが出来ない。
この一枚もまた、どこにも中心のない、画面のいずれの部分もすべて中心となりうる。その点でもゲルニカを連想させるものがあり、かかる悲惨に対して傑作ということばを寄せうる自分自身に、私は痛い自己嫌悪を覚える。

ゴヤ『戦争の惨禍』30「戦争による被害」1808-14

以上の二八、二九、三〇番を第三群とすれば、三一番から三九番までの、処刑、拷問、死体陵辱の図は第四群にあたり、それはもう「見ていられない」。

三一番の「これ以上何が出来るか」と詞書されたものは、仏兵によるゲリラの性器切断図である。スペイン・ゲリラもまた仏兵に対して頻繁にこれを行った。また現在でも、スペインの田舎に入って行って、市民戦争当時の話を、彼らの重い口から聞くとすると、共和国軍、フランコ軍とを問わずに、こういう残虐行為が行われたとの証言が、必ず最後には出て来るのである。

三三番は「これ以上何が出来るか」と詞書されているが、人間というげだものには、まだまだ出来ることがある。三九番がそれである。性器を切りとった上で、首と四肢をばらばらに切断して木の枝にぶら下げる! 「死体に対しての、何たる武勇ぞ!」という…・・。

三四番と三五番は、絞首刑の図であり、先のものは「ナイフを一本もっていたばかりに」と詞書され、後者は「何故か、誰も知らない」とされている。前者の、杭にしばりつけられて、咽喉に縄をまき、その縄を杭のうしろの煙い棒でまわして徐々に絞めて行く処刑法は、スペインに伝統的なものであった。

ゴヤ『戦争の惨禍』31

ゴヤ『戦争の惨禍』32

ゴヤ『戦争の惨禍』33「これ以上何が出来るか」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』34「ナイフを一本もっていたばかりに」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』35「何故か、誰も知らない」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』36

ゴヤ『戦争の惨禍』37

ゴヤ『戦争の惨禍』38

ゴヤ『戦争の惨禍』39「死体に対しての、何たる武勇ぞ!」1808-14

ここまで書いて来て、私ももう気分が悪くなり嘔吐をもよおしかけているのであるが、この第四群と、四一番からはじまる第五群との中間に、一枚の怪獣図(四〇番)がはさみ込まれている。
この、豚と猪と虎の合いの子のような怪獣に一人の女性がとりついて、短剣で刺そうとし、剣先が口中に突き出ている。もはや耐えがたいまでに気特の悪くなっている私には、この怪獣でさえが、人間のやらかす所業に吐き気をもよおして、何かをゲーと吐き出しているかに見えて来る。
この怪獣は、最終的に(八一番)もう一度あらわれる。・・・
ゴヤにとってのこの怪獣は、すでに怪獣でも、怪でも獣でさえもなくて、それは現実それ自体である。そうして、この老画家の、人間としての真の偉大さ - という言葉を私は敢て使いたいと思う ー は、人間のやらかす所業の一切に耐えて、現実としてのこの怪獣をあえて描き出し、なおかつ、これを如何にしてでも押しとどめようとする、無名の、足腰ともに逞しい女性をこの怪獣にとりつかせたところにあるであろう

・・・ここにわれわれの老画家によってわれわれに差し出されているものは、すべてこれ”狂気の沙汰”と普通ならば言わなければならぬ事態であり、従って、この狂気の沙汰というものを含まぬ、あるいはそれを囲い込んで排除した、いわば理性一本槍の人間観というものは、人間観としては、人間世界にあって通行権を持たぬものだ、と画家によってわれわれは告げられているようである。

ゴヤ『戦争の惨禍』40「怪獣」1808-14




2017年2月19日日曜日

堀田善衛『ゴヤ』(113)「版画集『戦争の惨禍』」(1) 「彼の理性は、この戦争の惨禍を前にしての人間の弱さ、無力な怒りと悲しみなどを記録することの空しさ加減を恐らくは明らかに告げていたであろう。」

版画集『戦争の惨禍』

元来この版画集のための赤チョークによるデッサンと、銅版への刻画そのものも、六年間の長きにわたる対仏戦争中に、老ゴヤがそのアトリエにあってこつこつと、なるべく人には知られぬようにして、しかもなお情熱をこめて描き、かつ刻みつづけて来たものであった。なかには(六五番以降)戦後に、フェルナンド七世のスペイン復帰以後に描かれかつ刻まれたものも含まれている。
・・・ゴヤは、年老いて、枯れたり乾上ったり、あるいは円熟というものをしたりする人ではなかった。
ここに強烈に躍動して小さな版画の画面から溢れ出ようとしている情熱は、それは主として”憎悪”にかかわる情熱であることに先ず注目をしなければならないであろう。

・・・その主題となるもののほとんどすべては、発表どころか、それが描かれて存在しているということ自体、危険を犯すことになる。・・・
彼の理性は、この戦争の惨禍を前にしての人間の弱さ、無力な怒りと悲しみなどを記録することの空しさ加減を恐らくは明らかに告げていたであろう。・・・
何分にも彼は、当時としての、宮廷画家としてのみならず、職業的画家としての埒も乗り越えて出てしまっているのである。画家とは、かかるものを描くために在るものではなかった。

この版画集は、先にも一度述べたように、一八二〇年になってから彼の友人で美術史家のセアン・ベルムーデスが、画家がほんの少数を極秘に刷ってみたものを編集して、「スペインがボナパルトと戦った血みどろの戦争の宿命的結果とその他の強烈な気まぐれ」と命名した八五枚からなっていた。公刊は、画家の死後三五年もを経ての、一八六三年まで待たなければならなかった。美術アカデミイはこれを公刊するに際して、戦争の惨禍と一応関係ないとして、最後の三枚の、鎖につながれた囚人を描いたものをはずして、改めて『戦争の惨禍(Los Desastres dela Guerra)』との題名をつけたものであった。けれども、最後の三枚の囚人図もまた、歴史の文脈においては戦争の惨禍、祖国の解放のために戦ったものが誰によって裏切られたかを証言するものであって、やはり欠くことの出来ないものである。
『戦争の惨禍』1「やがて来るに違いないことに対する悲しむべき予感」1808-14

『戦争の惨禍』2「理由あってのことなのか、それとも」1808-14

『戦争の惨禍』3「これもまた」1808-14

その第一頁の第一番は、・・・。つむじ風でもが吹き荒れているかのような、動きかつ揺れている真暗な背景の前面に、百姓とも市民とも聖職者ともつかぬ男が、胸をはだけ手を左右にひろげて跪き、宙空にその兇徴を注視し、何事かを聴きとろうとしている。
これは戦後に描かれ刻まれて、集全体の序としたものである。男の姿勢、姿態は明らかに宗教画の伝統に由来しているものであるけれども、それはいわゆる受難や殉教などということとは遠く距ってしまっている。いや、距っているなどというよりも、人々が「やがて」蒙らなければならぬ苦痛と悲惨は、実にあまりに近過ぎて、気付いたときにはすでに、第二番の・・・ように、もう銃剣によって刺し貫かれている。この詞書は「有無を言わさずに」と訳した方がいいかもしれない。

この集は、大体のところ、七つの部分に分けることが出来る。
第一は、いま言った第二番から第一九番までの、仏軍の残虐と陵辱に対する、スペイン側の、仏軍にもおさおさ劣らぬ勇猛果敢かつ残酷な復讐の戦いを描いたものである。
槍と短刀で、近代装備の軍隊に襲いかかる。第三番では、破衣にわらじ履きの百姓がマサカリを振り上げている。立派なサーベルを手にして地によろめいているフランス兵は、銃弾で死ぬことは考えたことがあっても、マサカリでぶっ殺されることがあろうとは、考えてみたこともなかったであろう。

ゴヤ『戦争の惨禍』4「女性たちは勇気を与える」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』5「彼女らも猛獣のようだ」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』8「こんなことはいつも起った」1808-14

第四番、五番は、・・・、前者は夜陰に乗じて一人の女性は拾ったサーベルを振るって敵兵を刺し殺し、もう一人の女性はこれはサーベルを打ち落されたものか、お椀帽の敵兵とむんずとばかり組み合っている。第五番は、女ばかりが、そのうち一人は赤ん坊を左手で小わきにかかえ、右手で槍を敵兵に突き刺している。左端の女性は大きな石を頭上に抱え上げて、いま打ち落そうとしている。
いわゆる正規軍対正規軍の通常戦ならぬゲリラ戦では、不意を襲われた軍にあって動物もまた恐慌状態に陥る。怯えた馬は何にでも蹴躓いて転ぶ。・・・第八番は、おそらく実際の戦闘地帯から遠くはなれた地点での落馬事故を描いたものである。

ゴヤ『戦争の惨禍』9「彼女たちはそれを望まない」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』10 1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』11 1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』13 1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』19「もう時間がない」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』12「そのために生れてきたのか?」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』15「かくて救いはない」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』16 1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』18「埋めて、黙っていよう」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』14「辛い段」1808-14

そうして、九、一〇、一一、一三、一九番の五枚は、女性に対する強姦陵辱の景である。はじめの第九番は、豚の皮の水袋をつけた水車小屋内での惨劇である。逆立った毛皮帽子に、これも逆立ったロヒゲの兵にむんずと抱き寄せられた若い女房は、兵の頬に爪を立てて抵抗し、短剣を振りかざした母親が兵の背中に、いままさにぐさりと突き刺そうとしている。これら強姦図における影と光の対比は怖ろしいばかりである。そうして第一九番、・・・は、おそらく集団強姦の場へ、いささか遅れて駈けつけて来た兵が、げだものどもめ、そんなことをしている暇はないんだ、と警告をしているものと読みとられる。・・・

これらの残虐図にはさまれて、第一二番は、あたかも巨大な蝙蝠かと見える戦火による煙を背景とした屍の堆積に、口から大量の血を吐いてよろめく男が配されている。・・・一五番の『五月の三日』の処刑図の先駆をなすものは、「かくて救いはない」と詞書されている。
そうして一六番のそれに見られるように、屍からは、敵味方を問わず衣類は再び使用されるために剥ぎとって - スペインは貧しい -、裸にむかれてしまった屍の間に、夫を息子を見つけることが出来なければ、屍を「埋めて、黙っていよう」(一八番) - その他に何が出来るか。

この第一分類中で、いささか類を異にしているものは、一四番・・・である。それは狂ったように眼をらんらんと光らせた司祭が、吊るせ、吊るせ、と喚めきたてていて、被処刑者が階段を押し上げられてい、背景にはすでに吊るされた犠牲者がブランコのように左右に揺れている。
ここに兵の姿はない。
これは、これまでのものとは逆に、スペイン人によるフランス人殺戮図である。一八〇八年五月二日のマドリード蜂起につづいて火が全国に及んだとき、バレンシアで「食肉獣」と仇名された狂信の修道士カルポなるものが煽動をして、フランス人在住者三八〇人を殺した。そのときの処刑図と解されている。

ゴヤ『戦争の惨禍』40 1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』44「私がこれを見た」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』45「これもまた」1808-14

・・・敵も味方もないのである。
一旦解き放たれた野獣性は、たとえば後半冒頭(第四〇番)の怪獣のように、如何に一人の女性が短剣を振るって押しとどめようとしても、それはとめられるものではなかった。

これらの血まみれの惨禍のすべてを、言うまでもなくゴヤは「私がこれを見た」(四四番)「これもまた」(四五番)として自らの実見にもとづいて描いているわけではない。
しかし、人々からの実見の話、あるいはその伝聞が、聾者であって音のない世界、あるいは怪音のみが頭蓋の暗黒のなかにあって轟いている世界に生きるゴヤにつたえられた場合を想像してみなければならない。
日も夜も、人間の為すありとある残虐が彼の頭蓋を占領したとすれば、つたえられた話の仔細は、ついには「私がこれを見た」としてゴヤによって生きられたものに昇華して行くであろう。