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2016年1月31日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(138) 「第21章 二の次にされる和平 - 警告としてのイスラエル -」(その6終) 「南アフリカでも、ロシアでも、ニューオーリンズでも、富裕層は自らの周りに防御壁を築いてきた。だがイスラエルの切り捨て策はその一歩先に踏み出した。 自分の周りではなく、危険な貧者の周囲に壁を築いたのである。」

材木座海岸 2015-12-28
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イスラエルの分離壁(「防御壁」)ビジネス
 世界各国で要塞化が進むなか(インドとカシミール、サウジアラビアとイラク、アフガニスタンとパキスタンの各国境沿いにも壁やハイテク・フェンスが建設されつつある)、惨事関連業界でもっとも大きな市場となるのは「防御壁」かもしれない。イスラエルの分離壁に対する世界中からの非難の声を、エルビットもマガールも意に介していない - それどころか、ただで宣伝できて好都合とまで考えている - のはそのためだ。

 「この装置を現実に試した経験を持つのはイスラエル人だけだと信頼してもらっている」と、マガールのCEOジェイコブ・エヴェン=エズラは胸を張る。9・11以降、両社の株価は倍以上に上昇したが、イスラエルのセキュリティー関連株はどこも同様だった。・・・

 ・・・イスラエルが「テロ対策」を輸出経済の中心に据えた時期と、和平交渉を放棄すると同時に対パレスチナ紛争を見直す明確な戦略を打ち出した時期とがぴたりと一致するのは、けっして偶然ではない。このときを境に、イスラエルはパレスチナとの戦いを、領土や権利など特定の目標を掲げた民族主義運動との戦いではなく、グローバルな「テロとの戦い」 - 非論理的で狂信的な破壊分子との戦い - の一環として捉えるようになったのである。

 セキュリティー・ブームによって、暴力の継続から利益を得る強力な分野がまたひとつ生まれた
二〇〇一年以降のイスラエル・パレスチナ情勢悪化の主要な犯人が経済だったというわけではない。
 ・・・それでもそうした和平実現が困難な状況下で、九〇年代初頭のように、経済が腰の重い政治指導者を交渉の場に押し出す力になった時期もあった。

 ところがそうした力学を大きく変えたのがセキュリティー・ブームであり、それによって暴力の継続から利益を得る強力な分野がまたひとつ生まれたのである。

貧富の格差拡大
 それまでシカゴ学派の政策が導入された他の国々と同様、9・11以後のイスラエルの経済ブームは国内の貧富の格差を急速に押し広げていった。
 セキュリティー産業の発展に伴って民営化の波が起き、社会支出も削減された。これは労働シオニズムというイスラエルの経済的遺産の事実上の崩壊を意味し、同国がかつて経験したことのない不平等が社会に蔓延することになる。

 二〇〇七年には、国民の二四・四%が貧困層に属し、子どもの貧困率は三五・二%にも達した(二〇年前は八%)。
 ところが、この経済ブームは社会の裾野まで恩恵をもたらさなかった代わりに、ごく一部のイスラエル人、とくに軍と政府に密接に結びついた産業界にとって膨大な旨みがあったため(おなじみの汚職スキャンダルも多発した)、和平実現へのインセンティブがすっかり消え失せてしまったのだ。

イスラエル産業界の政治的方向性は、まさに劇的に変化した
 ・・・テルアビブ証券取引所はもはや中東地域の貿易拠点になることではなく、たとえ四方を強固な敵に閉まれても生き残れるような要塞国家となることを、国の将来像として思い描く。
 その方針転換が明白になったのは二〇〇六年夏、イスラエル政府がヒズボラとの捕虜奪還交渉を放棄して全面戦争へと舵を切ったときだった。イスラエルの大手企業はこのレバノン侵攻を支持しただけでなく、資金援助も行なった。民営化したばかりのメガバンク、レウミ銀行は「われわれは必ず勝利する」「イスラエルは強い」と書かれた車用のステッカーまで配布し、イスラエルのジャーナリストで作家のイツハク・ラオルによれば、「大手携帯電話会社は今回の戦争をブランドを売り込む初のチャンスと捉え、大々的な販促キャンペーンを展開」していた。

 ・・・レバノンと悲惨な交戦状態にあった二〇〇六年八月、テルアビブ証券取引所の株価は上昇した。

 同年一月のパレスチナ評議会選挙で強硬派のハマスが圧勝したのを受けて、ヨルダン川西岸地区とガザ地区での紛争が激化した同年の第4四半期にも、イスラエル経済は八%(同時期のアメリカの経済成長率の三倍以上)という驚異的な成長を遂げた。

 一方、同年のパレスチナ経済は一〇~一五%縮小し、貧困率は七〇%近くになった。

 八月に国連がイスラエルとヒズボラの停戦決議を可決してから一ヵ月後、ニューヨーク証券取引所の主催により、イスラエルへの投資に関する特別会議が開かれた。参加した二〇〇社を超えるイスラエル企業のなかには、多くのセキュリティー企業が含まれていた。

 当時、レバノン経済は文字どおりの活動停止状態にあった。国内約一四〇ヵ所の工場 - プレハブ住宅から医薬品、牛乳まで、ありとあらゆる製造業 - がイスラエルの爆撃やミサイル攻撃によって破壊され、瓦礫の山と化していたからだ。

 だが、ニューヨークで開かれたこの特別会議は戦争の衝撃をものともせず、明るい展望に浮き立っていた。「イスラエルはこれまでずっとビジネスに門戸を開いてきた。それは今も変わりない」と、イスラエルのダン・ギラーマン国連大使は会議の参加者を歓迎した。

だからこれはイスラエルの戦争であるだけでなく、世界にとっての戦争なのです
 ほんの一〇年前・・・和平という歴史的機会を捉えてイスラエルを「中東のシンガポール」にしようと呼びかけたのは、当時イスラエル商工会議所連合会会長の座にあった、ほかならぬギラーマンだった。そのギラーマンが今や戦争支持のタカ派の急先鋒となり、さらなる暴力拡大を主張していた。CNNに出演した際、彼はこう発言している。「すべてのイスラム教徒はテロリストだと言うのは差別的かもしれないし、事実に反しているかもしれない。けれどもほとんどのテロリストがイスラム教徒だというのはまさに事実だ。だからこれはイスラエルの戦争であるだけでなく、世界にとっての戦争なのです」

世界規模の戦いの終わりなき継続というイスラエルの目論見
 世界規模の戦いの終わりなき継続というイスラエルの目論見は、9・11後にブッシュ政権が生まれたばかりの惨事便乗型資本主義複合体に対して提示した事業構想と同じものだ。
 それはどこかの国が勝利するという戦争ではない。そもそも勝つことは重要ではない。壁の外側で低レベルの紛争が果てしなく続くことによって強化される要塞国家を築き、その内部の「セキュリティー」を保つことこそが重要なのだ。

 ある意味では、イラクで民間セキュリティー企業がやろうとしていること - 周辺を固めて本体を守る - と同じである。バグダッドやニューオーリンズ、そしてサンディ・スプリングスといった都市は、惨事便乗型資本主義複合体によって築かれる未来の要塞社会を垣間見せてくれる。だが要塞化がもっとも進んでいるのはイスラエルだ。なにしろ国全体が要塞化されたゲーテッド・コミュニティーと化し、壁の外には永久に見捨てられた人々が暮らすレッドゾーンが広がっているのである。

 ある社会が平和構築への経済的インセンティブを放棄し、勝利者のいない終わりなき「テロとの戦い」を戦い、それによって利益を得ることにのめり込んだときの姿が、まさにここにある。それは、イスラエルのような部分とガザのような部分で構成される、分断された社会である。

 ・・・惨事便乗型資本主義複合体はいわゆる低強度紛争と言われる状況を好むが、ニューオーリンズからイラクまで、災害や惨事に見舞われたあらゆる地域が行き着く先もそこにあるようだ。

 二〇〇七年四月、米軍はバグダッドのいくつかの危険区域のゲーテッド・コミュニティー化に着手した。その地域の周辺をコンクリートの塀で囲い、検問所を設け、生体認証技術を使って住民の出入りを管理しようという計画である。「俺たちもパレスチナ人のようになるんだろうよ」と、アドハミヤ地区のある住民は、自分の住む地域が塀で囲われていく様子を見ながら言った。

 バグダッドを第二のドバイに変えたり、ニューオーリンズをディズニーランド化したりできないことが明らかになれば、次なる計画はコロンビアやナイジェリアのようにすること - つまり「終わりなき戦い」を継続させることだ。戦闘はおおむね民兵か傭兵に任せ、紛争をあるレベル以下に抑えつつ、傭兵たちにパイプラインや発射基地や水資源を守らせて天然資源を首尾よく手に入れるという寸法である。

 ・・・「被占領パレスチナ地域(OPT)で施行されているイスラエルの法律や政府によるやり口はアパルトヘイト政策とじつによく似ている」と、南アの弁護士で国連パレスチナ人権問題特別報告官を務めるジョン・デュガードは、二〇〇七年二月に述べている。

 たしかにきわめてよく似ているが、両者の間には違いもある。南アのバンツースタンは実質的には労働キャンプであり、アフリカ人を厳しい監視と支配のもとに置いて鉱山労働者として安くこき使うことを目的としていた。しかしイスラエルで考案されたシステムは、それとはまったく逆の考えに立っている。パレスチナ人労働者に仕事を与えず、数百万の人間を「余計者」として放置しておこうというのだ。

 ・・・南アフリカでも、ロシアでも、ニューオーリンズでも、富裕層は自らの周りに防御壁を築いてきた。だがイスラエルの切り捨て策はその一歩先に踏み出した。 ー 自分の周りではなく、危険な貧者の周囲に壁を築いたのである。
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2015年12月17日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(137) 「第21章 二の次にされる和平 - 警告としてのイスラエル -」(その5) ; 近年のイスラエル経済が飛躍的な成長を果たしたのは、国内外を対象にした「セキュリティー」ビジネスのおかげだ、・・・。、、、崩壊の危機にあったイスラエル経済を救ったのは「テロとの戦い」ビジネスだったと言っても、けっして過言ではない・・・

鎌倉・円覚寺 2015-12-16
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「和平より重要なもの、それはセキュリティーだ」
 イスラエルの著名なインベストメント・バンカー、レン・ローゼンは『フォーブス』誌の取材に応えて、「和平より重要なもの、それはセキュリティーだ」と語っている。オスロ・プロセスの間は「皆、経済成長のために和平を求めた。だが今は暴力が成長の妨げにならないよう、セキュリティーを求めている」という。
いや、彼の本音はこうだったはずだ - 近年のイスラエル経済が飛躍的な成長を果たしたのは、国内外を対象にした「セキュリティー」ビジネスのおかげだ、と。惨事便乗型資本主義複合体が世界の株式市場を救ったように、崩壊の危機にあったイスラエル経済を救ったのは「テロとの戦い」ビジネスだったと言っても、けっして過言ではないのだ。

(いくつかの例)
・ニューヨーク警察にかかってきた電話は、イスラエルのナイス・システムズが開発した技術によって録音され、分析される。同社はロサンゼルス警察やタイム・ワーナーの通信も監視しているほか、ロナルド・レーガン空港はじめ多くの大手クライアントに監視ビデオカメラを納入している。

・ロンドンの地下鉄では、イスラエルの大手テクノロジー企業コンパースの子会社、べリント製の監視カメラが使用されている。同社の監視装置はアメリカの国防総省、ワシントンのダレス国際空港、国会議事堂、モントリオールの地下鉄施設でも使われている。同社は五〇ヵ国以上に顧客を持ち、アメリカのホームデポやターゲットといった大企業にも社員監視用カメラを納めている。

・ロサンゼルスやオハイオ州コロンバスの市役所職員は、イスラエル企業スーパーコム(ジェームズ・ウールジー元CIA長官が顧問委員会委員長を務める)が開発したICカード身分証明書を携行している。ヨーロッパのある国は同社に「電子国民カード」プログラムを依頼し、別の国は「生体認証付きパスポ-ト」の実験的導入を委託したが、いずれの政策も議論を呼んでいる。

・アメリカの大手電気会社数社が取り入れているコンピューター・ネットワークのセキュリティー・システム(ファイアウォール)は、イスラエルのテクノロジー大手チェックポイントが手がけたものである(電気会社側は社名の公表を避けている)。同社によれば「『フォーチュン500社』の八九%がわが社のセキュリティー・システムを使っている」という。

・二〇〇七年のスーパーボウル開催を前に、マイアミ国際空港で働く者は全員、「行動パターン認識」と呼ばれる心理システムを使った「怪しい物だけでなく怪しい人物」を見分けるための研修を受けた。このシステムはイスラエルのニューエイジ・セキュリティー・ソリューションが開発したもので、同社のCEOはかつてベン・グリオン空港のセキュリティー部門の責任者。
ボストン空港、サンフランシスコ空港、グラスゴー空港、アテネ空港、ロンドン・ヒースロー空港をはじめ世界の多くの空港が、こうした搭乗者プロファイリングの研修を空港労働者に受けさせるために同社と契約している。
空港以外でもナイジェリアのニジェール川流域の紛争地帯の港湾職員、オランダ司法省職員、「自由の女神像」の警備員、ニューヨーク市警のテロ対策局員なども同社の研修を受けている。

・ハリケーン・カトリーナ以後、ニューオーリンズの高級住宅地オーデュポン・プレースは自警組織の導入を決定、イスラエルの民間セキュリティー会社インスティンクティブ・シューティング・インタ-ナショナルと契約した。

・カナダ連邦警察職員は、警察官と兵士の訓練を専門とするインターナショナル・セキュリティー・インストラクターズ(本社アメリカ・ヴァージニア州)の研修を受けた。同社のインストラクターは「イスラエル国防軍、イスラエル国家警察対テロ部隊、イスラエル総保安局〔イスラエルの秘密警察〕などの(中略)特殊部隊での経験を積んだベテラン」で、「イスラエルの厳しい状況で得た体験」をセールスポイントにしている。同社の顧客リストにはFBI、米陸軍、海兵隊、海軍特殊部隊、ロンドン警視庁などが並ぶ。

・二〇〇七年四月、メキシコ国境警備に従事する米国土安全保障省の移民担当特別職員はゴラン・グループの八日間集中訓練コースに参加した。同社はイスラエルの元特殊部隊将校らによって設立され、世界七カ国に三五〇〇人以上の社員を持つ。同社の事業部責任者トマス・ピアソンによれば、このコースは「イスラエル方式を取り入れた」もので、素手での戦いから射撃訓練、そして「SUV車を使った積極的なアクション」まであらゆる訓練を行なう。本社は現在フロリダ州にあるが、イスラエル仕込みのノウハウを売り文句にしており、ほかにX線機器や金属探知機、ライフル銃などの製造も手がける。顧客リストには各国政府や有名人のほか、エクソン・モービル、シェル、テキサコ、リーバイス、ソニー、シティ・グループ、ピザハットなどの大手企業も名を連ねる。

・イギリスのバッキンガム宮殿はセキュリティー・システムの刷新にあたり、イスラエル企業で「防御壁」の建設にもっとも大きく関わった二社のうちのひとつであるマガールに新システムの設計を依頼した。

・メキシコとカナダとの国境に「バーチャル・フェンス」を建設する国土安全保障省の二五億ドルの大プロジェクト(電子センサー、無人偵察機、監視カメラ、それに一八〇〇カ所の監視塔まで完備したもの)を受注したボーイングの主要なパートナーの一社は、イスラエルのエルビットである。同社は「防御壁」に大きく関わるもうひとつの企業であり、この「イスラエル史上最大の建設プロジェクト」の総コストもまた二五億ドルだ。
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2015年11月15日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(136) 「第21章 二の次にされる和平 - 警告としてのイスラエル -」(その4) : 「リクード党主導のもと、イスラエルは過去何十年間もアラブやイスラムの脅威と戦ってきた経験と知識をセールスポイントに、最先端のセキュリティー国家のショールームとしての自らを欧米諸国にこう売り込んだ - あなた方はテロとの戦いに乗り出したばかりだが、われわれは建国以来テロと戦ってきた実績がある。わが国のハイテク企業や民間スパイ会社の手法をぜひ採用されてはいかがですか、と。」

パレスチナ人の困窮と怒り
 ・・・パレスチナ人はオスロ合意後の経済ブームからは明らかに疎外されていた。最大の障害となったのは、一九九三年に実施されて以来現在(二〇〇七年)に至るまで、一度も解除されずに続いているイスラエルの封鎖政策である。

 ハーバード大学の中東研究者サラ・ロイによれば、一九九三年に突如境界線が封鎖されたことによってパレスチナの経済は壊滅的状態に陥ったという。
「和平プロセスの間にもっとも深刻な経済的打撃を与えたのが封鎖であり、もとより弱体だったパレスチナ経済に甚大な打撃を与えることになった」と、彼女はあるインタビューで語っている。

 パレスチナ人の労働者は働きに行けず、商人は商品を売ることができず、農民は自分の畑に行くこともできなくなった。占領地における一九九三年の一人当たり国民総生産(GNP)は前年比で三割近くも落ち込み、翌九四年にはパレスチナの貧困率は三三%上昇した。

 一九九六年には、「パレスチナ人労働者の六六%は失業するか、きわめて不完全な雇用状態にあった」と、封鎖政策の経済的影響について広範囲に研究するロイは言う。

 パレスチナ人にとってオスロ合意がもたらしたのは「山場の平和」どころではなかった。市場は消滅し、仕事は激減し、自由は奪われ、そして何よりユダヤ人の入植地拡人によって土地はどんどん奪われていった。こうした理不尽きわまりない状況が、占領地のパレスチナ人の怒りを一触即発の状態へと追い込んだ。

 二〇〇〇年九月、当時の外相でありリクード党首のアリエル・シャロンがエルサレムのイスラム聖地アル・ハラム・アル・シャリーフ(ユダヤ人にとっては「神殿の丘」)に足を踏み入れたことをきっかけにその怒りは爆発し、第二次インティファーダ(アル・アクサー・インティファーダ)へと発展していった。

和平交渉決裂
 二〇〇〇年のキャンプ・デービッド会談や翌年一月のタバ協議で、アラファトが提示された条件に満足しなかった・・・。・・・言われてきたほどの好条件が示されたわけでもない・・・。・・・

 キャンプ・デービッドとタバの両方でイスラエル政府代表として交渉の席についたベン=アミでさえ、二〇〇六年には政府の公式見解に反してこう述べている。「キャンプ・デービッドでパレスチナ側がみすみす好機を逸したとは思わない。私がもしパレスチナ人だったら、やはり提案を拒否していただろう」

2001年以降、イスラエルが和平交渉に見切りをつけた背後にある経済要因
(和平に依存しない経済の台頭)
 ・・・九〇年代初め、イスラエルの経済エリートたちは経済発展のために和平の実現を望んでいた。
 だがその後、和平プロセスが進む間に彼らが築いた繁栄は、当初考えられていたように和平に依存するものではなかった。

 グローバル経済において情報テクノロジーというニッチ市場に活路を見出した結果、イスラエルの経済成長は、それまでのようにベイルートやダマスカスに重い貨物を輸送するのではなく、ロサンゼルスやロンドンへソフトウエアやコンピューター・チップを送ることで達成されるようになった。
その結果、周辺アラブ諸国と友好的関係を保ち、占領地での支配体制に終止符を打つ必要性は大幅に薄れたのだ。もっとも、ハイテク・ブームはイスラエル経済の変革の第一幕にすぎない。

 第二幕はITバブルがはじけた二〇〇〇年以降に訪れる。ハイテク・ブームが去ったあと、イスラエルの主要企業はグローバル市場で次のニッチ・ビジネスを見つける必要に迫られた。

ハイテク経済への依存度が高かったイスラエルは、ITバブル崩壊の影響を大きく受けた
 ・・・イスラエル経済は急降下し、二〇〇一年六月には、およそ三〇〇社のハイテク企業が倒産し、数十万人が解雇されるだろうとアナリストたちは予測した。テルアビブのビジネス紙『グローブ』は、二〇〇二年は「イスラエル経済にとって一九五三年以来最悪の年」だったと見出しで宣言した。

イスラエル国防軍が新ビジネスの起業支援とも呼べる役割を果たした
(ITバブルによる経済成長からセキュリティー・ブームによる成長へ)
 同紙によれば、これ以上の景気悪化が食い止められたのはイスラエル政府がただちに介入して、〇・七%という大幅な軍事費増大に踏み切ったからだという(財源の一部は社会福祉予算を削ることで賄われた)。さらに政府はハイテク業界に対し、従来の情報・通信分野からセキュリティーや監視の分野へと手を広げるよう奨励した。・・・

 イスラエルは国民皆兵制だが、徴兵期間中、若い兵士たちはネットワーク・システムや監視装置などのハイテク技術を身につける。彼らは兵役が終わると、軍隊で得た知識を生かしたビジネスに乗り出したのだ。
こうしてピンポイントのデータ・マイニングから監視カメラ、テロリスト・プロファイリングまで、さまざまな分野に特化したおびただしい数の新規事業がスタートした。
9・11以降、こうしたサービスや装置に対する需要が爆発的に拡大したことを受け、イスラエルは新たな国家経済構想を打ち出す。・・・

 リクード党の強硬路線とシカゴ学派の経済理論とがまさに完壁な形で合体し、それをシャロン政権のベンヤミン・ネタニヤフ財務相と、イスラエル中央銀行総裁に就任したスタンレー・フィッシャー(かつてIMF幹部としてロシアとアジアでショック療法を実施した立役者)が具現化したというわけだ。

バブル崩壊後の世界で、イスラエル経済はほとんどの欧米諸国よりも好調に推移していた
 イスラエル経済は二〇〇三年には驚異的回復を遂げ、翌二〇〇四年には奇跡的とも言うべき成長を見せる。・・・

 その成長のカギは、多種多様なセキュリティー・テクノロジーを取りそろえるデパートのような立ち位置にあった。タイミングも申し分なかった。世界各国の政府がいっせいにテロリスト狩りのための装置や、アラブ世界における諜報活動のノウハウを求めるようになったからだ。

 リクード党主導のもと、イスラエルは過去何十年間もアラブやイスラムの脅威と戦ってきた経験と知識をセールスポイントに、最先端のセキュリティー国家のショールームとしての自らを欧米諸国にこう売り込んだ - あなた方はテロとの戦いに乗り出したばかりだが、われわれは建国以来テロと戦ってきた実績がある。わが国のハイテク企業や民間スパイ会社の手法をぜひ採用されてはいかがですか、と。

大規模な国土安全保障会議(トレードショー)を主催
 イスラエルは一夜にして「テロ対策技術の”頼れる”国」(『フォーブス』誌)へと転身、二〇〇二年以降少なくとも六回にわたって世界中の政治家や警察幹部、企業CEOが参加する大規模な国土安全保障会議を主催し、その規模や内容は年々拡大している。・・・

 二〇〇六年二月に開催された会議では、期間中に「テロとの戦いの舞台裏を訪ねる」と銘打ったツアーが企画され、FBI、マイクロソフト、シンガポールのマス・トランジット・システムなどの代表がクネセット(国会議事堂)や神殿の丘、嘆きの壁といった観光スポットを見て回った。彼らはまるで要塞のような警備システムを見学して感嘆の声を上げ、自国での応用の参考にした。

 二〇〇七年五月にはアメリカの大手空港数カ所から管理責任者を迎え、テルアビブ近郊のベン・グリオン国際空港で採用されている搭乗者プロファイリングおよびスクリーニングの方法を学ぶワークショップを実施。カリフォルニア州のオークランド国際空港航空部門の責任者スティーヴン・グロスマンは、このワークショップに参加した理由を「セキュリティー分野ではイスラエルの右に出るものはいないから」と説明した。・・・

 これらの会議は政策会議ではなく、イスラエルのセキュリティー関連企業の手腕を見せつけて大きな利益に結びつけることを目的にしたトレードショーだった。

 その結果、二〇〇六年にはイスラエルの対テロ関連の製品やサービスの輸出は一五%増加し、二〇〇七年にはさらに二〇%増の年間一二億ドルに達すると見込まれている。

 また、一九九二年に一六億ドルだった武器輸出高は二〇〇六年には過去最高の三四億ドルに達し、イギリスを抜いて世界第四位の武器輸出国になった。ナスダック市場上場のテクノロジー株はイスラエルが世界最多であり(その多くはセキュリティー関連)、アメリカに登録しているテクノロジー関連特許の数も中国とインドの合計を上回る。今やイスラエルの輸出高の六割がテクノロジー分野で占められ、その多くはセキュリティー関連である。
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2015年10月20日火曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(135) 「第21章 二の次にされる和平 - 警告としてのイスラエル -」(その3) : 「一九九〇年代には約一〇〇万人のユダヤ人が旧ソ連からイスラエルへと移住した。現在のイスラエルのユダヤ人人口の一八%以上がこの時期の旧ソ連からの移民にあたる。」

横浜・山手 2015-10-13
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1990年代、旧ソ連から100万人のユダヤ人がイスラエルに移住
(そのうち、1993年オスロ合意の頃の移民の数は60万人)
 一九九〇年代には約一〇〇万人のユダヤ人が旧ソ連からイスラエルへと移住した。現在のイスラエルのユダヤ人人口の一八%以上がこの時期の旧ソ連からの移民にあたる。・・・

 旧ソ連からイスラエルへと向かったユダヤ人の第一波には、長年の宗教的迫害を理由にユダヤ人国家に移り住むことを決意した者が少なくなかった。が、その後はロシアの経済ショック療法によって国民生活が困窮化するに従い、ロシアからイスラエルへの移民は増加の一途をたどった。これらの人々は・・・、切羽詰まって国を脱出してきた経済難民だったのだ。

 「重要なのは私たちがどこへ行くかではなく、どこから出て行くかだ」と、一九九二年にモスクワのイスラエル大使館前で移民申請の列に並んでいたあるユダヤ人は 『ワシントン・ポスト』 紙の記者に語っている。

 ・・・ソビエト・ユダヤ人シオニスト・フォーラムのスポークスマンはこう漏らした。
 「彼らはイスラエルに魅力を感じているのではなく、政治的混乱と経済の崩壊のせいでソ連という国から見捨てられたと感じているのだ」。

 一九九三年のエリツィンのクーデター以後、それまでをはるかにしのぐ移民の波がロシアからイスラエルに流れ込んだ。これはちょうどイスラエルでオスロ和平プロセスが始まった時期に重なる。以後、旧ソ連からイスラエルに流入した移民の数は六〇万人に上った。

1993年3月30日の封鎖、ロシアからの移民がパレスチナ人労働力にとって代わる
 ・・・ロシアから難民が流入する以前、イスラエル経済はガザ地区やヨルダン川両岸地区のパレスチナ人労働者なしでは立ち行かない状況にあった。・・・ガザ地区や西岸地区からほ毎日一五万人ものパレスチナ人がイスラエル領内に出かけて行っては道路の清掃や建設工事に従事し、農民や商人もトラックに商品を満載してイスラエルや他の占領地で商売をしていた。当時は互いが経済的に依存しあう関係にあり、イスラエルはパレスチナ占領地が周辺のアラブ諸国と自主的な貿易関係を持つことを禁じる措置まで取っていた。

 ところがオスロ合意が成立したちょうどそのとき、深く結びついたこの二者の依存関係が突然断ち切られる。

 ・・・この時期に移民してきた数十万というロシア人は・・・イスラエル国内のユダヤ人比率を大幅に上昇させることでシオニズム政策を後押しすると同時に、安い労働力の新たな供給源となった。・・・

 一九九三年三月三〇日、同政府は「封鎖」政策を開始する。イスラエルと占領地との境界線を一度につき数日から数週間封鎖し、パレスチナ人がイスラエルで仕事をしたり物を売ったりできないようにするという措置である。

 この封鎖政策は、表向きはテロの脅威に備えるための一時的措置として始まったが、すぐに常態化した。しかも占領地とイスラエルとの行き来だけでなく、占領地間の行き来もできなくなり、検問所での取り締まりはいっそう厳しく屈辱的なものとなった。

 一九九三年・・・、イスラエルの占領地は荒廃した下層民の居住地から息苦しい刑務所へと変質した・・・。

 そして同じ時期、一九九三年から二〇〇〇年の間に、占領地に住むユダヤ人入植者は一挙に倍増した。それまで多くは急ごしらえの入植者の前哨基地だったところが、周囲に壁をめぐらし、通行制限つきの専用道路も完備した緑豊かな郊外の町へと変貌していった。・・・和平プロセスが始まっても、イスラエル政府は引き続きヨルダン川西岸地区にある主要な水源の所有権を主張し、乏しい水資源を独占的に入植地とイスラエル領内に供給した。

 ・・・(ロシアにおける)ショック療法による通貨切り下げでそれまでの蓄財を失い、無一文でイスラエルにやってきた旧ソ連住民の多くにとって、家やアパートがはるかに低価格で手に入り、しかも政府から特別ローンや援助金まで提供される占領地は大きな魅力だった。

 大学やホテル、ミニゴルフコースまでそろった西岸地区のアリエル入植地のような意欲的な入植地のなかには、旧ソ連からの移民を一人でも多く呼び寄せようと、誘致担当者を送り込んだり、ロシア語のウェブサイトを立ち上げたりするものもあった。その甲斐あってアリエル入植地の人口は倍増し、今日では商店の看板もヘブライ語とロシア語の両方で表記されるなど、あたかも”ミニ・モスクワ”の様相を呈している。住民の半分は旧ソ連からの新移民だ。

 イスラエルのNGO「ピース・ナウ」の推定によれば、不法入植地に住むイスラエル市民のうち約二万五〇〇〇人はこれらの新移民であり、「自分たちがどこに住むのかよく理解しないままに」人植した者も少なくないという。

 オスロ合意からの数年間に、イスラエルは紛争から繁栄への転換という目標を劇的な形でクリアした。

 一九九〇年代半ばから後半にかけて、イスラエル企業は雪崩を打ってグローバル経済に参入していった。なかでも通信とウェブ・テクノロジーに特化したハイテク企業の成長は目覚ましく、テルアビブとハイファは中東のシリコンバレーと目されるまでになった。ドットコム・バブルの最盛期には、イスラエルのGDPの一五%、輸出の五〇%までがハイテク製品で占められ、『ビジネスウィーク』誌はイスラエルを「世界でもっともテクノロジーに依存した経済」と呼んだ。その依存率はじつにアメリカの二倍にも達していた。

そしてこのハイテク・ブームにおいても、新移民が決定的な役割を果たした
 九〇年代にイスラエルに渡ってきた数十万のロシア移民のなかには、旧ソ連の科学研究施設出身の科学者も含まれていた。八〇年の歴史を持つ研究施設で積んだ高度な訓練は、イスラエルの一流技術研究所もかなわない。彼らの多くは冷戦期にソ連の科学技術をリードしてきた専門家であり、イスラエルのあるエコノミストの言葉を借りれば、こうした人材がイスラエルの「ハイテク産業発展の起爆剤」となった。ベン=アミ元外相は、ホワイトハウスで握手が交わされてからの数年間を「(イスラエル)史上もっとも目覚ましく経済が成長し、市場が開放された時代のひとつ」だったとふり返る。
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2015年10月3日土曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(134) 「第21章 二の次にされる和平 - 警告としてのイスラエル -」(その2) : 「周辺アラブ諸国と紛争を起こし、占領地区での暴力をエスカレートしながらも一貫して経済ブームに沸くイスラエルの姿は、戦争の継続と惨事の泥沼化を前提にして成り立つ経済がいかに危険であるかを、身をもって示している・・・」 

シオン 2015-09-28 鎌倉
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今や謀略も不
 常に成長し続けることを要求し、環境規制に対する本格的な取り組みにはことごとく反対する経済システムは、それ自体で惨事 - 軍事、環境、金融のいずれに関するものであれ ー を途切れなく生み出す宿命にある。短期間で簡単に大儲けしたいという欲望に駆り立てられた投機的投資の拡大によって、株式、通貨、不動産の各市場が危機を生み出す装置と化したことは、アジア通貨危機やメキシコのペソ暴落、ドットコム・バブルの崩壊の際にことごとく実証された。

 さらに、汚染をまき散らす再生不能エネルギー資源、すなわち化石燃料への依存も、異なった種類の危機を呼び寄せている。ひとつは自然災害(一九七五年から四・三倍に増加)、もうひとつは希少資源の支配をめぐる戦争〈イラクやアフガニスタンのみならず、ナイジェリアやコロンビア、スーダンなどでも低強度の紛争が起きている)であり、これがさらにはテロ攻撃を誘発している(二〇〇七年のある調査によれば、イラク戦争開始以降テロ攻撃の数は七倍に増えたという)。

火種は十分すぎるほどあり、策を弄して大惨事を引き起こす必要はない
 気候問題にせよ政治情勢にせよ、現時点で火種は十分すぎるほどあり、もはや策を弄して大惨事を引き起こす必要はない。あらゆる点から見て、このまま進めばより激烈な惨事が到来することは間違いない。つまり市場の見えざる手に委ねれば、大惨事は次々に発生するのだ。この点に関して市場はけっして予想を裏切らない。

惨事便乗型資本主義複合体を構成する産業界は、現在の破壊的潮流を現状のまま保つために力を注いでいる
 大手石油企業は長年、気候変動否定論者側に資金援助をしており、エクソン・モービルは過去一〇年間に推定で一六〇〇万ドルを投じている。
・・・災害事業請負企業と世論形成に影響力を持つシンクタンクとの癒着関係・・・。

 全米公共政策研究所や安全保障政策センターなど、ワシントンの有力シンクタンクには軍事企業やセキュリティー関連企業から潤沢な資金が流れ込んでいる。これらのエリート機関が、世界は険悪で脅威に満ちており、問題は力で解決するしかないというメッセージを発信し続ければ、こうした企業にとっては願ったりかなったりだからだ。

 さらにはセキュリティー産業とメディア業界との結びつきも強まりつつあり、まさにオーウェルが描いた世界を思わせる展開となっている。

 二〇〇四年、デジタル通信最大手レクシスネクシスは、連邦政府や州政府と密接に連携して監視事業を行なうデータ分析企業セイシントを七億七五〇〇万ドルで買収。同じ年、NBCテレビを傘下に収めるGEは、空港などの公共施設に導入されて賛否両論を呼んでいる爆弾探知機メーカー、インビジョンを買収した。インビジョンは二〇〇一年から二〇〇六年にかけて、国土安全保障局から一五〇億ドルというこの種のものとしては他に類を見ない巨額の契約を受注した。

 惨事産業界がメディアへと徐々に手を広げているこうした動きは、九〇年代に隆盛した「垂直統合」を基にした新たな異業種合併の形へと発展するのかもしれない。・・・モスクというモスクにテロリストが潜んでいる、といった具合に社会的パニックが大きくなればなるほど、テレビニュースの視聴率はアップし、生体認証装置や液体爆発物探知機の売上げも伸び、ハイテク・フェンスの需要も増える。

 開かれたボーダーレスの「小さな地球」という夢物語が高収益を約束したのが九〇年代だったとすれば、二一世紀は要塞化した欧米社会の悪夢 - ジハード主義者や不法移民に包囲され、辺りを威嚇することで身を守るしかない - がそれに取って代わった。

 兵器から石油、エンジニアリング、監視装置、特許薬に至るまで、じつに多くの産業が依存する惨事経済ブームを脅かすものがあるとすれば、それはこの先、気候の安定と世界の地政学的平和がある程度達成されるというシナリオにほかならない。

惨事アパルトヘイト国家としてのイスラエル
「ダボス・ジレンマ」のモデルケースとしてのイスラエル
 イスラエルはこの一〇年間近く、「ダボス・ジレンマ」の小型版をいくつも体験してきた・・・。紛争やテロ攻撃の増大にもかかわらず、テルアビブの証券取引所では株価が記録的な高値を更新してきた。二〇〇五年七月にロンドン同時爆破事件が起きた際、フォックス・ニュースではある証券アナリストが、「イスラエルでは日々テロの脅威にさらされているが、市場はずっと上がり続けている」とコメントした。グローバル経済全般と同じく、イスラエルの政治状況は悲惨なものだ(と大半の人は認めている)が、同国の経済はこれまでにない好景気に沸き、二〇〇七年の経済成長率は中国やインドと肩を並べている。

 (イスラエルは)・・・、二〇〇六年のレバノン侵攻や二〇〇七年のハマスのガザ地区占拠などの大きな政治的衝撃にも経済が屈しなかったからだけではなく、暴力の拡大に直接反応して大きく成長する経済システムを巧みに作り上げてきた・・・。・・・

 欧米企業がグローバルなセキュリティー・ブームの到来を察知するずっと以前から、イスラエルのハイテク企業はせっせとこのセキュリティー産業の開拓に邁進しており、今日もこの分野では他の追随を許さない。

 イスラエル輸出協会によれば、同国にはセキュリティー関連製品を販売する企業が三五〇社ほどあると推定され、二〇〇七年には新たに三〇社が参入したという。・・・

 周辺アラブ諸国と紛争を起こし、占領地区での暴力をエスカレートしながらも一貫して経済ブームに沸くイスラエルの姿は、戦争の継続と惨事の泥沼化を前提にして成り立つ経済がいかに危険であるかを、身をもって示している・・・。

イスラエル経済と中東和平:和平が経済活性化の条件であった時代(オスロ合意まで)
 ・・・最後に中東和平の実現に光が差した・・・一九九〇年代初め、長い紛争に終止符を打つべきだという気運がイスラエル国内で高まった・・・。

 共産主義が崩壊し、IT革命が始まりつつあったこの時期、ガザ地区やヨルダン川西岸地区でのイスラエルの暴力的占領と周辺アラブ諸国で高まるイスラエル・ボイコット運動が、同国経済の先行きを危うくするにちがいないという予見がイスラエル実業界を広く覆っていた。

 世界経済に次々と「新興市場」が登場するなか、イスラエルの企業は紛争に足を引っ張られることにはもううんざりだった。地域紛争などに封じ込められるのではなく、高収益の望めるボーダーレスな世界に自分たちも加わりたい。もし政府がパレスチナとの間になんらかの和平協定を結べば、周辺諸国もポイコットを取り下げざるをえない。そうなればイスラエルは中東地域の自由貿易の拠点となるまたとないチャンスをものにできる、と考えたの・・・。

 一九九三年、イスラエル商工会議所連合会のダン・ギラーマン会長・・・。
 「イスラエルがただの平凡な国家になるか(中略)それとも多国籍企業が本社を置くシンガポールや香港のように、中東地域全体における流通とマーケティングの戦略的拠点になるか、今はその正念場であります。(中略)これまでとはまったく異なる経済に脱皮できるのです。(中略)今ここで迅速に行動しなければ、千載一遇の経済的機会を逃し、ゆくゆく後悔するはめになるでしょう - 「あのときにああしておけば」と」

 同じ年、当時のシモン・ペレス外相は・・・、今こそ和平を実現すべきだと語った。・・・「国家間の和平を目指そうというのではない。市場の和平が重要なのだ」とペレスは言った。

 その数カ月後、イツハク・ラビン・イスラエル首相とヤセル・アラファトPLO議長がホワイトハウスの庭で握手を交わし、オスロ合意が調印された。世界中が歓喜し、ペレス、ラビン、アラファトの三人は翌一九九四年のノーベル平和賞を受賞した。

 だがその後、事態は暗転する。

 オスロ合意は、・・・積年の問題はほとんど未解決のままだった。チュニジアに亡命していたアラファト自身、ガザへの帰還をまず交渉しなければならなかったうえ、エルサレム帰属問題やパレスチナ難民間題、ユダヤ人入植問題、そしてパレスチナの自決権に関してもイスラエル側との合意は何も取りつけていなかった。

 オスロ合意とは、まさにペレス本人が言ったように「市場の和平」を推し進めれば、あとのことはそれなりにうまく収まるという考えに基づく戦略にほかならない。すなわち市場を開放してグローバル化の波に乗れば、イスラエル人もパレスチナ人も日々の生活が大きく改善されたことを実感し、「国家間の和平」交渉のための土壌も作られるはずだ - というのが、少なくともオスロ合意の意味だった。

オスロ合意の破綻:イスラエルを後退させた二つの要因
 その後、合意が破綻したのにはいくつもの要因がある。・・・

 和平プロセスを破綻に追い込んだ犯人は誰か、あるいは、そもそも和平実現が本当の目的だったのかをめぐる論争はよく知られており、十分な議論が尽くされてきた。しかし、イスラエルを単独主義へと後退させた二つの要因についてはほとんど理解されず、議論されることもないものの、この二つはともにシカゴ学派による自由市場経済推進運動がイスラエルで独自の形で展開したことと密接に関係している。

 第一の要因は、ロシアで行なわれたショック療法実験の直接的結果として、ロシアから大量のユダヤ人移民がイスラエルへ流入してきたこと。

 そして第二は、イスラエルの主要輸出品が伝統的商品やハイテク製品から、対テロ対策に関連する技術や機器へと大きく転換したことである。

 この二つはオスロ・プロセスを崩壊させる大きな要因となった。すなわちロシアからの移民流人によってパレスチナ人労働力に依存する必要性が小さくなり、占領地の封鎖が行なわれる一方、セキュリティー関連のハイテク経済が急速に拡大した結果、強大な権力と資金を持つ階層の内部に、和平を放棄して「テロとの戦い」を継続し、拡大し続けていくことへの強烈な欲望が生まれたのである。
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2015年9月25日金曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(133) 「第21章 二の次にされる和平 - 警告としてのイスラエル -」(その1) : 「まるでディケンズの世界だ。国際関係の専門家は今がかつてない最悪の時代だと言い、投資家はかつてない最高の時代だと言う」    

エンジェルズ・トランペット 2015-09-23 横浜
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第21章 二の次にされる和平
- 警告としてのイスラエル - 

 高いフェンスで囲った場所、それはグラーグ〔スターリン政権下の矯正労働収容所〕に限らない。高速道路沿いの遮音フェンスや、スポーツスタジアムの特別観覧席・禁煙エリア、空港内のセキュリティー・ゾーン、そして「ゲーテッド・コミュニティー」。(中略)フェンスは「持てる者」の特権意識と”持たざる者”の羨望を、どちらにとっても気恥ずかしい形で露呈する。だがそうは言っても、フェンスにはそれなりの機能がある。
- クリストファー・コールドウェル(『ウィークリー・スタンダード』誌編集長 二〇〇六年)

2007年、ダボスでの困惑:「ダボス・ジレンマ」
 二〇〇七年、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムで、政財界のリーダーたちは・・・(これまでの)通念が通用しない事態に直面し、困惑する。

 「ダボス・ジレンマ」と呼ばれたこの困惑とは、フィナンシャル・タイムズ』紙のコラムニスト、マーティン・ウルフによれば「好調な世界経済と混沌とした政治状況との対照的な関係」だという。世界経済は「二〇〇〇年の株式市場の暴落〔いわゆる1Tバブル崩壊〕、二〇〇一年九月一一日のテロ事件、それに続くアフガニスタン戦争とイラク戦争、アメリカの経済政策をめぐる論争、一九七〇年代以降最大の原油価格高騰、世界貿易機関(WTO)ドーハ・ラウンド交渉の中断、そしてイランの核開発をめぐる各国間の対立 - と、さまざまな衝撃に直面してきた」にもかかわらず、「広範囲にわたる成長の黄金時代」を謳歌している、とウルフは指摘する。

 ひとことで言えば、世界は荒廃の一途をたどり不安定になる一方、グローバル経済は諸手を挙げてそれを歓迎しているということだ。

 そから間もなく、ローレンス・サマーズ元米財務長官は、政治と市場の「ほぼ完全な断絶」をこう評した。「まるでディケンズの世界だ。国際関係の専門家は今がかつてない最悪の時代だと言い、投資家はかつてない最高の時代だと言う

経済指標「銃対キャビア・インデックス」から読み取る事実
 この不可解な動向は、戦闘機(「銃」)と高級自家用ジェット機(「キャビア」)の売り上げを比較する「銃対キャビア・インデックス」と呼ばれる経済指標からも読み取れる。

 過去一七年間にわたり、戦闘機の売上げが好調なときは常に自家用ジェット機の売上げは落ち込み、反対に自家用ジェット機の売上げが伸びたときには戦闘ジェット機が落ち込むという傾向が見られた。たしかに「銃」を売って儲ける武器商人は常に少数は存在するが、世界経済全体から見れば影響力はほとんどない。現代の市場では、紛争や社会的混乱など安定を欠いた状況下では好景気にはなりえない、というのが自明の理とされてきたのだ。

 ころが今やそうではなくなった。イラク侵攻の起きた二〇〇三年以降、戦闘機と高級自家用ジェットの売上げは、足並みをそろえるように急速な伸びを示している。

 つまり、世界はますます平和から遠ざかると同時に、経済収益もどんどん拡大しているのだ。

 中国とインドの急速な経済成長が贅沢品の需要増大に一役買っているのも事実だが、ごく小規模にすぎなかった軍産複合体が惨事便乗型資本主義複合体へと拡大したことも大きな要因となっている。

 今日、不安定な国際情勢で潤っているのは何もひと握りの武器商人だけではない。ハイテク化したセキュリティー産業や建設業者、負傷した兵士を治療する民間医療企業、石油やガス会社、そして言うまでもなく軍事請負企業も巨額の利を得ている。

ロッキードそのものが「新興成長市場」だった
 ロッキード・マーティンのブルース・ジャクソン元副社長は、イラク解放委員会の委員長としてイラク戦争を大っぴらに煽ったが、同社は二〇〇五年だけで国民の税金二五〇億ドルを手にした。民主党のヘンリー・ワックスマン下院議員によれば、これは「アイスランドやヨルダン、コスタリカなど世界一〇三カ国のGDPより多く、(中略)わが国の商務省、内務省、中小企業局、連邦議会上下院の予算を合わせた額よりも多い」という。ロッキードそのものが「新興成長市場」だった(同社の株価は二〇〇〇~〇五年の間に三倍に跳ね上がった)。

 アメリカの株式市場が9・11以降、長期的に下落しないですんだ大きな理由のひとつは、ロッキードのような企業が存在したからだ。通常の株価が低迷を続けるなか、「防衛、セキュリティー、航空各企業の株価の指標」であるスペード防衛インデックスは、二〇〇一年から〇六年までに年平均一五%も上昇した。これは同時期のS&P500〔アメリカの代表的五〇〇銘柄の株価に基づいて算出される株価指数〕の上昇率のじつに七・五倍にあたる。

イラクで作り上げた収益性のきわめて高い経済モデル「復興事業の民営化」が、「ダボス・ジレンマ」にさらに拍車をかけている。

 戦争や自然災害後に競争入札なしの旨みのある契約を受注する大手土木企業を含む建設業界の株価は、二〇〇一年から〇七年四月までに二・五倍に上昇した。復興事業は今や巨大なビジネスと化し、新たな危機が訪れるたびに新規株式公開ラッシュが起きている。イラク復興関連では公開総額三〇〇億ドル・スマトラ沖地震による津波からの復興では一三〇億ドル、ニューオーリンズと周辺湾岸地域の復興では一〇〇〇億ドル、イスラエル軍のレバノン侵攻後の復興では七六億ドルという具合だ。

かつては株価を急落させたテロ攻撃も、今では株式市場に活況をもたらす
 二〇〇一年の9・11事件の際には、市場が再開されるやダウ式平均株価は六八五ポイントも急落した。

 ところがそれとは対照的に、二〇〇五年七月七日、ロンドンで同時爆破事件が起きて多数の死傷者が出たときには、アメリカの株式市場の終値は前日より上昇し、ナスダック店頭市場は七ポイント上昇した。

 翌八月、ロンドン警視庁がアメリカ行きの旅客機爆破テロを計画した容疑者二四人を逮捕したときも、ナスダックの終値は前日より一一・四ポイント上昇したが、その大きな理由はアメリカのセキュリティー関連企業の株価が急騰したことだった。

石油業界も、とてつもない利益を上げている
 二〇〇六年、エクソン・モービルは四〇〇億ドルという史上最高の収益を記録し、シェブロンなどの競合企業もそれに続く高い収益を上げた。

 軍事、建設、セキュリティーに関連する企業と同様、石油業界もまた戦争やテロ攻撃、カテゴリー5レベルの大型ハリケーンが起きるたびに収益を拡大してきた。主要産油地域が不安定な状況に陥った結果、石油価格が高騰すると、そこから短期的な利益を得るばかりでなく、災害を利用して首尾よく長期的収益を得てきたのだ。

 アフガニスタン復興資金のかなりの部分を新しい石油パイプライン敷設に必要な道路整備事業に振り向けたことしかり(他の大規模復興事業の大部分は頓挫した)、イラク国内が危機に瀕しているさなかに新石油法案を強引に成立させたことしかり、ハリケーン襲来に便乗して七〇年代以降アメリカ国内で建設が止まっていた石油精製所の新設を決めたことしかり。

 このように石油・ガス産業は、大惨事を引き起こす根本原因ともなり、大惨事の発生によって利益を得る側にもなるという二つの意味で災害経済ときわめて密接な関係にあり、まさに惨事便乗型資本主義複合体の”名誉補佐役”と呼ぶにふさわしい存在なのである。





2015年7月2日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(132) 「第20章 災害アパルトヘイト - グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -」(その5終) : 「こうしてアトランタ近郊の高級住宅地では、コーポラティズム改革運動が三〇年にわたって追求してきた「国家の剥奪」とも言うべき目的がついに果たされた。」

北の丸公園 2015-07-01
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惨事便乗型資本主義複合体が次に狙うビジネス
請負業者が政府契約に代わる安定収入源を開拓しようと躍起になるなか、そのひとつとして注目されるのが企業向け防災対策というビジネスだ。
・・・このビジネスの初期の成果としては、たとえばニューヨークやロンドンの大型オフィスビルのロビーに見られる、顔写真入りIDカードやX線検査装置を導入した空港のようなチェックイン・システムがある。が、業界の野望はそれだけにとどまらず、グローバル通信ネットワークや緊急医療、電力の民営化、さらには大災害勃発時に世界中の労働力を送り込むための交通手段の設置・提供へと拡大している。

もうひとつ、惨事便乗型資本主義複合体が成長市場として目をつけたのが地方自治体である。自治体の持つ警察や消防署の業務を民間セキュリティー会社が請け負うというのだ。
「ファルージャの中心街で軍隊の代わりにやっていることを、リノ(ネバダ州都)の繁華街で警察の代わりにやろうということだ」。
二〇〇四年一一月ロッキード・マーティン社の広報担当者はこう説明している。

行き着く先に何があるか?:”武装した郊外”、郊外版「グリーンゾーン」
陸軍特殊部隊デルタフォースで秘密工作の司令官を務め、その後経常コンサルタントとして成功しているジョン・ロブという人物が、その未来像を率直に語っている。人手ビジネス誌『ファースト・カンパニー』のなかで、彼はテロとの戦いがもたらす「最終結果」は「新しい、より弾力的な国家安全保障の形」だと指摘する。それは「国家を中心に構築されるのではなく、民間人や民間企業を中心に築かれる。(中略)すでに医療制度がそうなっているように、セキュリティーも住んでいる地域や勤務先ごとに機能するようになる」というのだ。

さらにロブはこう続ける。「現在の集団的システムから真っ先に脱出するのは裕福な個人と多国籍企業である。彼らはブラックウォーターやトリプル・キャノピーといった民間軍事会社に金を払って自宅や会社の施設を守り、日常生活における安全環境を確保する。そして、資産家ウォーレン・パフェツトが運営するネットジェッツ社のようなビジネスジェット事業から発展した民間輸送ネットワークが、こうした富裕層や大手企業を相手に、顧客を安全で設備の整った場所から別の安全な場所へと飛行機で運ぶことになるだろう」。
こうしたエリート層で構成される世界はすでにおおむね確立しているが、中産階級も近い将来これに追随し、「セキュリティーのコストを分担する郊外在住者のグループが形成される」と彼は予想する。こうした「”武装した郊外”では、非常用発電機や通信回線が配備・維持管理され、(中略)企業でしっかり訓練を受け、独自の最先端の緊急対応システムを備えた」民間の傭兵によって警護されるという。

まさに郊外版「グリーンゾーン」と言うべき世界だ。
その一方で、こうした安全圏の外側にいる者は「わずかに残った国の制度に頼るしかない。彼らはアメリカの各都市に流れ込み、至るところで監視の目にさらされ、最低限のサービスに甘んじるか、まったくサービスが受けられないこともある。だが貧困層にとってはそれ以外に避難できる場所はない」という。

惨事便乗型資本主義複合体の描く未来図は、ニューオーリンズの姿と重なり合う
(カトリーナの)災害後に出現したのは、フェンスで囲まれた二つのまったく異質な世界だった。
一方は人里離れた場所にベクテルやフルーアの下請業者が建設した通称「FEMA村」と呼ばれる避難施設で、ここには低所得層の避難民を収容するトレーラーハウスがずらりと並べられ、民間セキュリティー会社の職員が砂利の敷かれた施設内をパトロールする。訪問者は制限され、マスコミの取材もご法度、収容者はまるで犯罪人のように接われた。

もう一方は、オーデュポンやガーデン地区などの高級住宅地にあるゲーテッド・コミュニティーで、がっちりと防護されたこれらの住宅地は完全に国家から切り離されて存在しているかのようだ。こうしたコミュニティーではハリケーン後数週間で水道が復旧し、非常用の大型発電機も稼動した。病気になれば私立病院で治療を受け、子どもたちは新設のチャーター・スクールに通った。もちろん、彼らには公共の交通機関などは必要ない。ニューオーリンズ郊外のセントバーナード郡では警察機能の大半を民間軍事企業ダインコープが請け負い、近隣のほかの地区では民間セキュリティー会社が直接雇い入れられた。

フェンスで囲まれたこの二つの”民営化国家”の間にはニューオーリンズ版レッドゾーンが広がる。ここでは殺人事件が急増し、災害のもっともひどかったあのロウワー・ナインス地区のように人っ子一人いない終末的風景が立ち現れた。カトリーナの去った夏にヒットした、人気ラッパー、ジュブナイルの曲はいみじくもこう歌う。「俺たちゃハイチみたいに政府のない世に生きている」 - それはもはや国家の体をなさないアメリカの姿だった。

アメリカ各地の都市ではニューオーリンズと似たような深刻な事態が起きている
ニューオーリンズ在住の弁護士で活動家でもあるビル・クイグリーはこう訴える。
「ニューオーリンズで起きていることは、アメリカ各地で進行している問題を凝縮し、より生々しくしたものだ。アメリカ各地の都市ではニューオーリンズと似たような深刻な事態が起きている。どの都市にも放棄された居住地が存在し、公教育や公共住宅、公的医療制度、刑事司法制度などが部分的に切り捨てられている。われわれが今ここで立ち上がらなければ、公的な教育、医療、住宅に反対している人々がアメリカ中をロウワー・ナインス地区にしてしまうだろう」

災害アパルトヘイト社会のもうひとつの例:全米初の「民間運営の市」サンディ・スプリングス
ジョージア州アトランタ近郊の裕福な共和党支持者が多く住む地区では、住民が郡の行政サービスに長年不満を募らせてきた。自分たちの払った税金が、アフリカ系アメリカ人の多く住む低所得地区の学校や警察のために使われるのは我慢できないというのだ。そこで住民らは人口約一〇万人のサンディ・スプリングスという新しい市を郡から独立して発足させることを住民投票で決定した。だが問題は地方自治体組織をどう作るかだった。税の徴収から土地利用規制、公園緑地やレクリエーション施設管理まで、あらゆる行政機能をゼロから作らなければならない。二〇〇五年九月、ハリケーン.カトリーナがニューオーリンズを襲ったその同じ月、建設大手CH2Mヒルが住民らに他に類を見ない売り込みをかけてきた - われわれにお任せください、初年度二七〇〇万ドルの資金を出していただければ市の体制をゼロから作り上げます、と。

数ヵ月後、サンディ・スプリングスは全米初の「民間運営の市」となった。
市の正規職員はたった四人、ほかはすべて契約事業者の社員だった。CH2Mヒルのプロジェクト責任者リック・ハースコーンは、サンディ・スプリングスを「政府の機能が関与していないまっさらな白紙」だと表現し、別の記者に対しては「業界でもこれだけの規模の市を丸ごと作り上げた前例はない」と胸を張っている。

『アトランタ・ジャーナル・コンスティテューション』紙は「サンディ・スプリングスが民間業者を雇って新たな市の運営を任せたことは、大胆な実験だと受けとめられた」と報じた。ところがその後一年間に、アトランタ近郊の富裕層居住地域では「民間運営の市」がブームとなり、「フルトン郡北部ではごく当たり前のこと」になった。
近隣の地域では次々とサンディ・スプリングスに倣って住民投票を行ない、独立行政区を発足させ、その運営を民間企業に委託することを決定。そのうちのひとつであるミルトン市は、経験を買ってただちにCH2Mヒルと契約した。ほどなく、新しい民間運営の市が集まって独自の郡を立ち上げようという運動が起きた。そうすれば自分たちの税金が近隣の貧しい地区に流れることを防げるというわけである。この”飛び地”案に対して、周辺地城からは猛烈な反対が沸き起こり、政治家たちは富裕層からの税収なしには公営の病院も公共交通システムも維持できないと主張した。郡を分割すれば一方では政府機能が崩壊し、一方では過剰なまでのサービスを得るという状況が生まれるというのだ。これはまるでニューオーリンズそのものであり、バグダッドにも少し似ている。

統治の民間委託、「国家の剥奪」CH2Mヒル、イラク ー スリランカ ー ニューオーリンズ ー アトランタ
こうしてアトランタ近郊の高級住宅地では、コーポラティズム改革運動が三〇年にわたって追求してきた「国家の剥奪」とも言うべき目的がついに果たされた。
単に政府の行なう公共サービスがすべて外部委託されただけでなく、統治という政府機能そのものが民間に委託されたのだ。その新天地を切り拓いたのがCH2Mヒルだというのは、大いにうなずける話だ。というのも同社はイラクで、他の請負業者を監視するという政府の中心機能を数百万ドルの契約金で委託され、津波に襲われたスリランカでも港湾施設や橋の建設ばかりでなく、「インフラ再建計画の包括的管理という業務」を托されていたからだ。さらにハリケーン・カトリーナに見舞われたニューオーリンズでは「FEMA村」の建設を五億ドルで受注し、次の災害時にも同様の対応が取れるよう待機状能だ置かれた。緊急事態における国家の民営化の達人とも言うべき同社は、今や平時において同じことを手がけるようになったのだ。イラクが究極の民営化の実験場だったとすれば、テスト段階は確実にクリアしていたのである。
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2015年6月21日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(131) 「第20章 災害アパルトヘイト - グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -」(その4) : 「災害アパルトヘイト」とも言うべき未来社会を暗示 - 逃げ出すための経済力のある者だけが生き残れる社会


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脆弱化した国家とは対照的に、治安維持レベルをはるかに超えた、税金で整備された民間企業のインフラ
 ブッシュ政権時代に契約企業が構築したインフラを全体として見たとき、そこに浮かび上がるのは脆弱化した国家の姿と対照をなす、統合化された強固かつ有能な国家内国家とも言うべきものだ。企業が作り上げたこの”影の国家”は、ほとんど公的資金のみによって形成されたものであり(ブラックウォーター社の収入の九〇%は政府からの契約金だ)、社員教育も例外ではない(社員の大部分は元公務員、元政治家、元兵士で占められる)。

それにもかかわらず、こうした巨大規模の設備はすべて民間企業が所有・管理しており、資金を提供した市民はこの”パラレル・エコノミー”やその資源に対してなんの権利も主張できない。

脆弱化し空洞化し無力な国家
 一方、実際の国家は契約企業の助けなしには主要な機能を果たせないほど無力な存在と化している。
公共設備は時代遅れとなり、有能な専門家は民間部門に流出してしまった。そのためハリケーン・カトリーナ襲来の際、FEMAは事業を企業に割り当てる仕事をする企業を雇わなければならなかった。

同様に、アメリカ陸軍は契約事業に関する規約の改訂にあたって、軍の大手契約企業のひとつであるMPRIにその仕事を外注した。もはや軍内部にはそのノウハウを持つ人材がいなかったからだ。

CIAは、あまりに多くの人材が民間諜報機関へ流出したため、同局の食堂で職員に転職話をすることを禁止したほどだった。「つい最近退職した職員は、コーヒーの列に並んでいる間に二回も転職話を持ちかけられたと言う」と 『ロサンゼルス・タイムズ』紙は書いている。

また、国土安全保障省がメキシコとカナダとの国境にハイテク装置からなる「バーチャル・フェンス」を設置することを決めた際、マイケル・P・ジャクソン副長官は契約企業に向かってこう言った。「これは異例の申し出ですが(中略)この仕事をどのように進めたらいいか、ぜひ考えを聞かせていただきたい」。同省の監察官は、同省には「(国境警備構想を)効果的に計画、監視、実行するだけの能力がない」と説明している。

ブッシュ政権下、アメリカは国としての体裁だけは - 立派な庁舎、大統領の記者会見、政策論争など - なんとか保っている。だが実際の政府の統治機能という点で言えば、〔自社工場を持たずに生産を丸ごと外部委託している〕ナイキのオレゴン本社の従業員並みなのだ。

政府の温情的措置やNGO活動は民間セクターの権利侵害である
 二〇〇六年、超党派のシンクタンク外交問題評議会が発表した「なおざりにされた防衛 - 国土安全保障支援のために民間セクターの動員を」と題する報告書(その諮問委員会には国内最大手企業の代表者も何人か含まれていた)は、こう警告する。

「災害の被災者に緊急支援を提供しようという政府の温情的措置は、民間市場のリスク管理対策に悪影響を及ぼす」。言い換えれば、被災者が政府の救済を当てにしている限りは、民間企業の提供するサービスに金を払う気にはならないというのだ。

同様に、ハリケーン・カトリーナから一年後、フルーア、ベクテル、シェブロンなど米大企業三〇社のCEOがビジネス・ラウンドテーブルのもとに集まって結成した「災害対応パートナーシップ」と称するグループも、非営利団体が災害後に行なう活動のなし崩し的拡大、いわゆる「ミッション・クリープ」に苦言を呈している。

業界にしてみれば、慈善活動やNGOの活動は権利侵害にあたる - たとえば建築資材がただで寄付されたら、ホームデポ社の販売機会が奪われる - というわけだ。

惨事便乗経済の民営化の黄金時代の終焉
 惨事便乗経済の民営化に多大な資金を注ぎ込んだことが大きく響いて米政府の財政赤字は急速に増大しつつあり、外注契約が激減するのは時間の問題だ。

二〇〇六年末、防衛アナリストは米国防総省の取得予算は二〇一〇年代には二五%減少する可能性があると予測している。

惨事便乗型資本主義複合体の次の段階
 緊急事態が増加の一途をたどり、財源に事欠く政府は無力化し、国民はなす術もない状況に置かれるなか、”パラレル国家”たる企業がこの機に乗じて金儲けに走る - 災害対策用の設備を市場が許す限りの高価格で、金が払える者なら誰でもかまわず提供するのだ。ビルの屋上から飛び立つ救援ヘリコプターから、飲料水、避難所用簡易ベッドに至るまで、ありとあらゆるものが商品として売りに出される。

「災害アパルトヘイト」とも言うべき未来社会を暗示 - 逃げ出すための経済力のある者だけが生き残れる社会
 金さえあればほとんどの災害から身を守れるという状況は、すでに現実になっている。津波多発地域では早期警戒システムも買えるし、次の新型インフルエンザの流行に備えてタミフルを買いだめすることもできる。ボトル飲料水や発電機はもちろん、衛星電話、はてはガードマンまで金さえ出せば手に入る。

二〇〇六年にイスラエルがレバノンを攻撃した際、米政府は当初レバノン在住のアメリカ市民を退避させる費用を本人に払わせようとしたが、けつきょくは撤回した。

もし社会がこの方向に進み続ければ、ニューオーリンズで屋根の上に取り残された被災者のあの映像は、アメリカに根強く残る人種差別を垣間見せるものにとどまらず、「災害アパルトヘイト」とも言うべき未来社会を暗示するものになる - すなわち、逃げ出すための経済力のある者だけが生き残れる社会だ。

政治家や企業人などエリート層の多くが地球の気候変動にきわめて楽観的な理由のひとつは、自分たちは金の力で最悪の状況から脱出できると思っているからではないのか。またブッシュの支持者にキリスト教終末論者が多い理由の一部はそこにあるのかもしれない。自分たちが創り上げている世界から脱出する非常口があると信じ込む必要があるだけでなく、彼らはまさに「携挙」の寓話を地で行こうとしているのだ。つまり、破壊と惨事を招く社会システムを作り上げておいて、自分たちだけはプライベートヘリによって空中に引き上げられ、聖なる安全圏へ逃げ込むというわけである。
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2015年6月11日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(130) 「第20章 災害アパルトヘイト - グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -」(その3) : 「以前から貧富の格差で分断されていたニューオーリンズは、ハリケーン被害後には、壁で囲まれたグリーンゾーンと怒り渦巻くレッドゾーンが対決する戦場と化した」

皇居二の丸庭園 2015-06-10
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惨事便乗型資本主義複合体が飛びつくところにはどこでもグリーンゾーンが出現する
 そこでは人々は仲間に入る者と排除される者、守られる側と見捨てられる側という二つの集団に明白に区分される。

 ・・・以前から貧富の格差で分断されていたニューオーリンズは、ハリケーン被害後には、壁で囲まれたグリーンゾーンと怒り渦巻くレッドゾーンが対決する戦場と化した。

 原因は水害ではなく、ブッシュ大統領が「自由市場経済の促進による解決」を図ったことにある。

 プッシュ政権は緊急予算から公務員の給料を支払うことを拒否し、課税基盤を失ったニューオーリンズ市は、ハリケーン後の数ヵ月間で三〇〇〇人の職員を解雇することを余儀なくされた。そのなかには都市計画担当の職員一六人も含まれていたが、イラクの「バース党解体」政策とも似て、同市がもっとも都市計画を必要としたまさにそのときに専門職員が解雇される形となった。代わりに巨額の政府資金が民間のコンサルタント(その多くは大手不動産開発業者)へと流れた。そして言うまでもなく、公立学校の教師も何千人という単位で解雇され、フリードマンが提唱したとおり、何十もの公立学校をチャーター‥スクールに切り替えるための下地が作られた。

ニューオーリンズの観光業界も公共住宅に目をつけていた
 ハリケーンから二年近く経っても、チャリティー・ホスピタルは閉鎖したままだった。

 市の法廷制度もほとんど機能せず、電力事業は民営化されてエンタージー社に委ねられたが、市内の電力はいまだに完全復旧していなかった。同社は電気科金の大幅値上げをちらつかせて連邦政府から二〇億ドルという巨額の緊急援助金を取りつけたが、これは大きな論争を呼んだ。
公共交通システムは骨抜きとなり、被雇用者の約半数が職を失った。

 公共住宅の大部分は空き家のまま板が打ち付けられ、連邦公共住宅局は五〇〇〇戸の住宅を取り壊すことを決定した。アジアの観光業界団体がビーチから漁民を締め出そうと画策したのと同様、強大な力を持つニューオーリンズの観光業界も公共住宅に目をつけていた。というのもそのいくつかは、同市の観光の目玉である旧市街のフレンチクオーターに近い一等地に建っていたからだ。

再建されず、消去されようとするニューオーリンズ
 学校、住宅、病院、交通システム、そして街のあちこちで復旧しないままの水道 - ニューオーリンズのこうした公共空間は再建されなかったというより、ハリケーンを口実に「消去」されようとしていた。資本主義原理による「創造的破壊」の初期段階では、アメリカ国内の広大な地域で製造業の基盤が崩壊、工場は閉鎖され、住民は見捨てられて「ラストベルト(錆びた工業地帯)」と化した。

 一方、ハリケーン・カトリーナ以後のニューオーリンズは、欧米世界で初めて出現した荒廃した都市風景という、新たなイメージを提示しているかのようだ。大規模な自然災害と破壊された公共インフラとが相まって、そこには「モールドベルト(カビの繁殖した地域)」とも言える荒涼たる光景が広がっている。

見捨てられ脆弱化した公共インフラが災害によって打撃を受け、主要なサービスが修復も復旧もしないまま放置される
 二〇〇七年に米国土木学会が行なった報告によると、アメリカにおける道路、橋、学校、ダムといった公共インフラの整備はきわめて遅れており、基準に達するには今後五年間で一兆五〇〇〇億ドル以上の予算が必要になるという。だが現実には、こうした公共予算は減らされる一方だ。

 それと同時に、世界中でハリケーンや大型台風、洪水、森林火災といった自然災害がその激烈さと頻度を増しており、各国の公共インフラはかつてないほどの危機にさらされている。近い将来、世界中の多くの都市で、すでに見捨てられ脆弱化した公共インフラが災害によって打撃を受け、主要なサービスが修復も復旧もしないまま放置されることは想像に難くない。

 一方、富裕層はフェンスに囲まれたゲーテッド・コミュニティーに引きこもり、民営化されたサービスによってニーズを満たすことができるのである。

爆発的に成長した災害対策産業
 なかでも野心的なのはフロリダ州ウエストパームビーチにある航空会社が売り出した「ヘルプ・ジェット」なる会員制の新事業で、宣伝文旬には「ハリケーンからの避難をジェット機利用のバケーションに変える、世界で初めてのハリケーン脱出プラン」と謳われている。ハリケーンが接近してきた段階で、同社は五つ星のゴルフリゾート施設やスパ、またはディズニーランドでの休日プランを用意。会員は予約手続き後、豪華なジェット機でハリケーン被害地から脱出するという寸法だ。「列に並ぶ必要も、混雑に苛立つこともない、厄介な事態を休暇に変える、まさにファーストクラスの体験。(中略)悪夢のような避難騒ぎとは無禄の休日をお楽しみください」

フロリダ州オーランドで年一回開かれる商業見本市「全米ハリケーン会議」にて
 フロリダ半島南端のフロリダキーズ諸島の危機管理の責任者であるビリー・ワグナーは言う。「災害の片がつくまでにすべてが民営化されるだろう。なにしろ彼らには専門知識があるし、資金もある」。・・・

 会場で「自動加熱食品」を売り込んでいたデイヴ・ブランフォードはこう話す。
「こんなことを言う人がいましたよ。「これはでっかいビジネスだな。俺も造園業に見切りをつけて、ハリケーン被害地の瓦礫処理業を始めるつもりだ」って」

国民の税金によって形成された惨事便乗経済
 ・・・イラクやアフガニスタンで復興事業の”主役”を担ってきた巨大企業は、政府から得た契約金のかなりの部分 - 二〇〇六年のイラク契約事業監査報告によれば、二〇~五五% - を自社の経費にあてたとして、たびたび政治的批判を浴びてきた。

 契約金の多くがごく合法的に大型設備投資へと回されてきた。ベクテルは軍用土木機械を大量に買い入れ、ハリバートンは航空機や軍用トラックを購入し、L-3コミュニケーションズ、CACI、ブーズ・アレンの三社は監視偵察システムを構築した。

際立つブラックウォーターのケース
 一九九六年に設立された同社(ブラックウォーター)はブッシュ政権時代に途切れることなく契約を受注し、その金を使って二万人の傭兵が待機する準軍事組織を作り上げ、ノースカロライナ州に四〇〇〇万~五〇〇〇万ドルをかけた巨大な軍事訓練施設を建設した。

 ある資料によれば、同社が現在有するものは次のとおりである。
「一〇〇~二〇〇トンの人道支援物賢を赤十字よりも迅速に届けられる独自の輸送システム、フロリダ州の航空部門に保管された武装ヘリコブターからボーイング767まで二六機の輸送機およびツェッペリン型飛行船一機、全米一の規模を持つ戦術用走行路、(中略)広さ八〇万平方メートルの人工湖に浮かべられた敵船への潜入訓練用の輸送コンテナ、世界各地に八〇のドッグチームを送り込む軍用犬訓練施設、(中略)全長一〇〇〇メートルの狙撃訓練用射撃場」

*この業界のもっとも危倶すべき点のひとつは、そのあからさまな党派性である。たとえばブラックウォ-ターは妊娠中絶反対をはじめ右派の掲げる政治的主張に同調しており、政治的リスクを分散する他の大手企業とは違い、同社の政治献金はもっぱら共和党に集中している。ハリバートンの選挙献金の八七%、CH2Mヒルの選挙献金の七〇%は共和党に渡っている。・・・
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2015年5月30日土曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(129) 「第20章 災害アパルトヘイト - グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -」(その2) : チグリスのグリーンゾーンがアメリカ南部湿地帯へ移動してきたかのような様相 「いや、ここもグリーンゾーンみたいなもんですよ」

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ブッシュは、ヘリテージ財団の提言に基づきメキシコ湾岸の環境規制を撤廃
 ほかにもヘリテージ財団のチームが出したいくつかの提言が、ブッシュ大統領の支持を得た。
気象学者によれば、大型ハリケーンが多発する直接の原因は海洋温暖化にある。ところがこのチームは議会に対し、メキシコ湾岸の環境規制を撤廃し、アメリカ国内における新たな精油所の建設や「北極圏野生生物保護区での石油掘削」にゴーサインを出すよう求めたのだ。こうした措置はすべて、温暖化の最大の人為的要因である温室効果ガスの排出を増大させるものであるにもかかわらず、ブッシュはハリケーン・カトリーナ災害対策という名のもと、ただちにこれらの提言を受け入れた。

アメリカ南部のメキシコ湾岸は「民間企業による政府運営」を試す実験場と化すイラクでの実験の国内バージョン)
 数週間後、・・・政府から大型契約をもぎ取ったのはイラクでもお馴染みの企業だったー ハリバートン傘下のKBRは南部沿岸の米軍基地修復を六〇〇〇万ドルで請け負い、ブラックウォーターはFEMA職員を暴徒から守る仕事を託され、イラクでのずさんな仕事ぶりが批判されていたパーソンズもミシシッピー州の大型架橋プロジェクトに参入した。イラク復興事業の主要な契約企業であるフルーア、ショー、ベクテル、CH2Mヒルの各社も堤防決壊からわずか一〇日後に、被災者用トレーラーハウスを提供する契約を政府から受注。公開入札は行なわれず、契約金額は合計三四億ドルに達した。

チグリスのグリーンゾーンがアメリカ南部湿地帯へ移動してきたかのような様相:
「いや、ここもグリーンゾーンみたいなもんですよ」
 ショー社は米軍イラク再建局の元責任者をハリケーン被害対策の陣頭指揮にあたらせ、フルーア社はイラク駐在の上級プロジェクト管理者をハリケーン被災地へ転属させた。「イラクでの復興事業がスローダウンしているため、ルイジアナへ人材を回せる余裕が出た」と、ある企業の代表は説明する。

 イラクにウォルマートとセブン・イレブンを展開すると豪語していたニュー・ブリッジ・ストラテジーズ社のジョー・オールボーは、ハリケーン災害でもロビイストとして多くの契約取引に関わった。

 イラクとニューオーリンズの状況があまりによく似ていたため、バグダッドから異動してきたばかりの傭兵のなかには、ここは本当にアメリカかと混乱する者もいた。ニューオーリンズのホテル前に立っていた武装ガードマンに、記者のデイヴィツド・エンダーズが仕事は大変かと尋ねると、ガードマンはこう答えた。「いや、ここもグリーンゾーンみたいなもんですよ」

イラクと同じ「大幅な過剰請求、無駄な出費、ずさんな管理」
 ハリケーン災害関連の契約事業は八七億五〇〇〇万ドルに上ったが、連邦議会の調査委員会は「大幅な過剰請求、無駄な出費、ずさんな管理」などがあることを指摘した
(イラクで犯した間違いがそっくりニューオーリンズでくり返されたという事実は、「イラク占領の失敗は、無能力とずさんな管理に起因する単なるミスや不始末が続いたことによるものだ」という主張がもはや通用しなくなったことを物語っている。同じ間違いがこれだけ何度もくり返されている以上、それが問違いなどではない可能性について考えるべき時期に来ている)。

イラクと同じく、ありとあらゆる儲けのチャンスが活用された
 巨大葬儀チェーン、サービス・コーポレーション・インターナショナル(ブッシュ選挙戦での大口献金者)の子会社ケニヨンは、家屋内や路上に残された遺体の収容作業を受注したが作業は遅々として進まず、遺体は炎天下に何日も放置された。それでも同社の営業の侵害にあたるという理由から、救援隊員や地元の葬儀社がボランティアで協力することは禁止された。ケニヨン社は遺体一体当たり平均一万二五〇〇ドルという料金を請求したが、遺体につける名札の不手際が指摘されるケースが相次いだばかりか、ハリケーンから一年近く経ってもなお、家々の屋根裏から多くの腐乱死体が発見された。

イラクと同じ、契約の内容と実際との乖離
 瓦礫の除去作業を五億ドルで受注したアッシュブリット社は、伝えられるところでは一台のダンプカーも所有しておらず、下請に丸投げしたという。・・・
 FEMAはニューオーリンズ郊外のセントバーナード郡に救援作業員用の簡易宿泊所を建設するという重要な仕事を、ある会社に五二〇万ドルで発注した。ところが建設は遅れに遅れ、けっきょく完成しなかった。調査の結果、「ライトハウス・ディザスター・リリーフ」というその会社が、じつは宗教団体だったということが判明した。同社の責任者であるゲイリー・ヘルドレス牧師は、「今までやったなかでこれにいちばん近い仕事は、教会の若者のためのキャンプを行なったことぐらいだ」と告白した。

 イラク同じく、米政府は引き出しと預け入れの両方の機能を持つキャッシュマシーンの役目を果たした大型契約の受注によって政府から金を引き出した企業は、政府にその恩返しをする。・・・次の選挙のために資金や献身的な選挙運動員を提供するのだ

(『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば「契約企業のトップ二〇社は二〇〇〇年以降、ほぼ二億ドルをロビー活動に費やし、選挙運動に二三〇〇万ドルを献金した」という。一方、プッシュ政権は二〇〇〇年から二〇〇六年の間におよそ二〇〇〇億ドルを請負業者への支払いに費やした)。

イラクと同じく、契約企業は地元労働者を使おうとしなかった
 ・・・ここでもイラクと同様、国民の税金と規制撤廃を利用して企業が創出した経済ブームを、地元住民はただ手をこまぬいて見ているほかなかった。

実作業する労働者は低賃金
 例によって幾層にも連なる下請業者が取り分を手にしたあと、実際に仕事をする人々の手に入る金はほとんど残っていなかった。

 ジャーナリストのマイク・デイヴィスが追跡したケースを例に取ると、FEMAは破損した屋根にブルーの防水シートをかぶせる仕事を一平方フィート当たり一七五ドルでショー社に発注したが(防水シートは政府から支給)、下請業者が次々に金を取ったあと、実際に防水シートを取り付ける作業に対して支払われたのは一平方フィート当たりわずか二ドルだった。「言い換えれば、この契約の”食物連鎖”においては、実際に仕事を行なう最下位を除くすべての段階に、異常なまでの大金が流れるということだ」とデイヴィスは書く。

移民労働者への未払い賃金
 ある調査によれば、「街の修復作業にあたっている労働者の四分の一はヒスパニックが大多数を占める不法移民だが、彼らは正規労働者よりもはるかに安い貸金しか得ていない」という。

 ミシシッピー州では集団訴訟の結果、数社の企業が何十万ドルという未払い貸金を移民労働者に支払うよう命じられたが、まったく貸金が支払われなかったケースもある。

 ハリバートンとKBRが受注したある作業現場では、そこで働いていた不法労働者らが深夜、雇用主(孫請会社)に叩き起こされ、移民局の職員がやってくると言われたという。大部分の労働者は逮捕を恐れて逃げたが、もし逮捕されていたらハリバートンとKBRが政府契約によって建設した新しい不法移民収容所のどこかに連行されたかもしれない。

*ニューオーリンズにおける労働条件に関する徹底した調査は行なわれていないが、草の根市民団体アドバンスト・プロジェクトの推定によると、同市の移民労働者の六〇%は少なくとも一部の賃金が未払いだという。

失業者や低所得者を直接支援する数少ない政策が切り捨て
 二〇〇五年二月、共和党が多数を占める連邦議会は、企業に支払った何十億ドルという契約金や減税による財源不足を埋め合わせるために、四〇〇億ドルに上る連邦予算の削減を決定する。削減の対象となったのは学生ローン、低所得者向け医療保険、食料配給券などだった。

 言い換えれば、もっとも貧しい市民が二度にわたって民間企業のぼろ儲けに力を貸したということだ。一度目はハリケーン被害救済が野放しの企業へのばらまきへと変貌する一方で、弱者にはまともな雇用も公共サービスも提供されなかったとき。そして二度目は、そうした膨大な請負業者への支払いのため、全国の失業者や低所得者を直接支援する数少ない政策が切り捨てられたときである。

災害は、冷酷無情な分断社会という将来の姿を垣間見せる機会となった
 災害は細分化したコミュニティー同士が壁を乗り越えて団結するという、いわば社会の水平化が見られるまれな機会だった。

 ところが状況は今や逆転しつつある。災害は、冷酷無情な分断社会 - 金と人種で生存できるか否かが決まる - という将来の姿を垣間見せる機会となってしまったのだ。
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2015年5月21日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(128) 「第20章 災害アパルトヘイト - グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -」(その1) : ミルトン・フリードマンが「ウォールストリート・ジャーナル」紙に書いたように、ハリケーン・カトリーナは悲劇であると同時に「チャンスでもある」とみなされた。

江戸城(皇居) 2015-05-19
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第20章 災害アパルトヘイト
- グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -

災害は人を差別することなく、すべての人に”民主的”に襲いかかるというのは聞えのいい作り話にすぎない。災厄が狙い撃ちするのは所有せざる者、危険区城で暮らすしかない者たちだ。エイズ禍にしても同じことだ。     
- ハイン・マレー(南アフリカの作家、二〇〇六年)

ハリケーン・カトリーナ(後の失態)は予測できなかったことではない。あれは自らの責務を放棄して民間企業に下請に出した政治構造が招いた結果だ。
ー ハリー・ベラフォンテ(アメリカのミュージシャン、人件活動家、二〇〇五年九月)

大惨事となれば、国民は一致団結し、国もフル回転で救助活動を行なうだろうとの希望が・・・
 二〇〇五年九月の第二週、私はいまだ一部が浸水しているアメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズにいた。夫のアヴィ、そしてイラクにも同行したカメラマンのアンドルーと一緒にドキュメンタリーフィルムの撮影をするためだ。

 ハリケーン・カトリーナの直撃によって、(アメリカの)両極端に分断された社会が、突如その姿を世界にさらした。
 裕福な人々は街から脱出してホテルにチェックインし、すぐに保険会社に電話をかけた。
 一方、車を持たない一二万人の市民は避難することもできず、州政府の救助をひたすら待ち続けるしかなかった。人々はSOSのサインを掲げ、冷蔵庫のドアを筏代わりにしながら待ったが、助けはついに来なかった。
 
 そうした人たちの姿が世界中に衝撃を与えたのは、医療が受けられない、設備の整った学校に通えないといった日常的な不平等には半ば諦めの気持ちを抱いていても、災害時となれば話は別だとほとんどの人が考えていたからだ。大惨事が起きれば、国家が - 少なくとも裕福な国であれば - 国民の救済に乗り出すのは当然であり、国民が一致団結し、国もフル回転で救助活動を行なう災害時には、どんなに冷酷な資本主義でも手を休めるはずだ、と。ところがニューオーリンズから流される報道映像は、そうした常識がなんの公の議論もなしに放棄されたことをまざまざと物語っていた。

ハリケーンは、新自由主義の虚偽と神話がもたらす結果を見せつけた
 「今回のハリケーンは、新自由主義の虚偽と神話がどんな結果をもたらすのかを、たったひとつの場所で余すところなく見せつけた」と、ニューオーリンズ出身の政治学者アドルフ・リード・ジュニアは書いている。

見せつけられた事実とは・・・。決壊した堤防は修復されることなく放置され、公共交通機関は財源不足のために機能せず、市の災害対策と言えば「ハリケーンが来たら街の外に避難しましょう」と説くDVDを配布するだけというお粗末さだった。

政府事業を企業に委託するというブッシュ政権の構想の実験場:連邦緊急事態管理庁(FEMA)
 カトリーナが襲来する一年以上前の二〇〇四年夏、ルイジアナ州政府は大型ハリケーンに備えた危機管理計画立案のための予算をFEMAに要求したが、FEMAはこれを拒否。災害の被害をできるだけ小さく抑えるための政府プログラム「災害緩和計画」も、ブッシュ政権によって骨抜きにされた。
 ところが同じ年の夏、FEMAは「ルイジアナ南部およびニューオーリンズ市における大型ハリケーン災害対策」を策定させるため、イノベーション・エマージェンシー・マネジメントという民間企業に五〇万ドルの契約を発注したのだ。

 FEMAに委託されたイノベーション社は極めて妥当な「ルイジアナ南部およびニューオーリンズ市における大型ハリケーン災害対策」を策定したが、FEMAにはそれを実行する資金がなかった
イノベーション社は金に糸目をつけなかった。一〇〇人以上の専門家を雇い入れ、資金が底を突けばまたFEMAに要求するということをくり返した結果、費用は当初の倍の一〇〇万ドルに膨れ上がった。こうしてでき上がった計画は集団避難を想定したうえで、水の供給方法から被災者用のトレーラーハウスを収容できる空き地の選定までを網羅した、内容的にはきわめて妥当なものだった。

 ところがまさに想定されていた大型ハリケーンが襲ったとき、策定された対策は何ひとつ実施されなかった。

 理由のひとつは、この計画が提出されてからハリケーンが襲うまでの八カ月間、FEMAが何も行動を起こさなかったことにある。当時のマイケル・ブラウンFEMA長官は「実行に移すだけの資金がなかった」と弁明している。

 これこそがブッシュ政権が作り上げたアンバランスな構造の典型である。公共部門は弱体化し、財源不足で機能不全に陥る一方、民間部門には潤沢な資金が回される。民間企業への支払い金額は天井知らずだが、国家の基本機能を支える財源は空っぽなのだ。

新自由主義者でさえ「大きな政府」の出動を訴えるほどのアメリカ政府の空洞化
 ニューオーリンズのスーパードームには、二万三〇〇〇人の被災者が食料や水もなく取り残され、世界中のメディアが何日問も取材していたというのにFEMAはその場所がわからなかったのか、救援に駆けつけることはついぞなかった。

 『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニスト、ポール・クルーグマンをして「何もできない政府」と言わせたこの光景は、一部の自由市場経済主義者にも危機感を抱かせた。

 自由市場を深く信奉していたマーティン・ケリーは、多くの読者を持つあるブログ上で、「ニューオーリンズの堤防の決壊は、ベルリンの壁の崩壊がソ連共産主義にもたらしたのと同じ、深遠かつ長期的な影響を新保守主義にもたらすだろう」と無念そうに書く。「私自身を含め、この思想を奨励してきたすべての人々は、自らの過ちをじっくり時間をかけて反省しなければならない」。

 筋金入りのネオコン、ジョナ・ゴールドバーグでさえ、次のように「大きな政府」の出動を訴えた。「街が水没し暴動が激しさを増している今、政府は救済に乗り出すべきであろう」

ミルトン・フリードマンは、カトリーナは「チャンスでもある」と言い、ヘリテージ財団は32の政策提言を行なう
 忠実なるフリードマン信奉者を常時何人か抱えるヘリテージ財団からは、こうした反省の弁は何ひとつ聞こえてこなかった。

 ミルトン・フリードマンが「ウォールストリート・ジャーナル」紙に書いたように、ハリケーン・カトリーナは悲劇であると同時に「チャンスでもある」とみなされた。

 ニューオーリンズの堤防決壊から二週間後の二〇〇五年九月一三日、同財団は思想を同じくするイデオローグたちや共和党議員を集めて会議を開き、「ハリケーン・カトリーナとガソリン価格高騰に対処するための自由市場に基づく提言」なるものを作成する。

 ここには「ハリケーン救済」と謳われた三二の政策提言がリストアップされているが、その内容はすべてシカゴ学派のルールブックそのものだ。

 たとえば最初の三つの提言の第一は、「被災地域ではデーヴィス・ベーコン法を自動的に一時停止すること」。デーヴィス・ベーコン法とは、連邦政府の受注工事で労働者に一定の生活水準を維持できる賃金を支払うことを義務づけた法律のことだ。

 第二は、「災害の影響を受けたすべての地域を一律課税の自由企業ゾーンにすること」。

 そして第三は、「全地域を経済競争ゾーンとすること(包括的な税別優遇措置と規制の撤廃を実施する)」である。

 このほか、学童のいる家庭にチャーター・スクールで使える利用券を配布するというものもある。
ブッシュ大統領はこれらすべてをその週のうちに実行に移すと発表した。その後、労働基準については元に戻すことを余儀なくされたが、契約企業はそのほとんどを無視した。
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2015年5月10日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(127) 「第19章 一掃された海辺-アジアを襲った「第二の津波」-」(その4終) : 「平和の配当」ではなく「平和のペナルティー」がもたらされた / シカゴ学派の改革が勝利を収めた国ではどこでも、人口の25%から60%にも及ぶ固定的な底辺層が生まれ、社会は一種の戦争状態を呈してきた

カキツバタ 2015-05-07 江戸城(皇居)二の丸庭園
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軍事化する高級化事業
海岸での階級闘争
第二の津波はある意味で、とりわけ衝撃の強い経済的ショック療法だった。
津波がじつに効率よく海岸を一掃してくれたおかげで、通常は何年もかかる住民の立ち退きや地域の高級化(ジェントリフィケーション)が、ものの数日あるいは数週間から数カ月で実施できた。

それは浅黒い肌をした何十万もの貧しい人々(世銀が「非生産的」とみなす漁民たち)が、大半は白い肌をした大富豪たち(「多くの利益をもたらす」観光客)に場所を明け渡すために、自分たちの意思に反して転住を強いられるという構図だった。

まさにグローバル経済が生んだ貧富の二極 - 違う国というより違う世紀に生きている、といったほどに隔たりがあるこの両者が突如、海岸線をめぐって直接対峙することになった。

一方は働く権利を求め、もう一方は遊ぶ権利を主張して。銃で武装した地元警官と民間警備員に援護された、軍事化した高級化事業。
それはまさに海岸での階級闘争だった。

もっとも直接的な衝突の舞台となったタイ
津波襲来から二四時間も経たないうちに、開発業者は以前からリゾート地として狙っていた土地に武装した警備員を送り込み、フェンスで囲った。なかには崩壊した自宅に戻ってわが子の遺体を探したいという被災者が追い払われたケースもある。

こうした土地の強奪行為に対処するため、「タイ津波被災者・支援者連合」が緊急に招集された。ほどなく出された声明文は強い調子で次のように述べている。
「企業家や政治家にとって津波はその願望をかなえてくれるものだった。かねてからリゾートやホテル、カジノやエビ養殖場を建設する計画の障害になっていたコミュニティーが、沿岸地帯から文字どおりきれいさっぱり洗い流されたからである。彼らにとって、海岸地帯は今や空き地になったのだ!」

空き地 - 植民地時代に支配を正当化するのに使われたのは、「無主の地(テラ・ヌリウス)」という概念だった。その土地が空いていて「使われていない」とみなされれば領地として奪い、住民を容赦なく排除できるという論理だ。・・・
アルガムベイの海岸で私が会った漁師ニジャムにとっては、スリランカ政府も植民地主義者と大差はないようだった。・・・瓦礫の散乱する海岸は、まさに現代の「無主の地」なのだ。

スリランカ東部海岸一帯での別の戦争
津波の災害支援金は、喪失によって理不尽なまでの苦しみに苛まれているスリランカ国民に、永続的な平和を構築するチャンスを与えるために寄せられたはずだった。
ところがアルガムベイを含む東部海岸一帯では平和どころか、また別の戦争が始まったかのように見える。それは、支援金の恩恵を受けるのはシンハラ人か、タミル人か、あるいはイスラム教徒かをめぐる民族間の争いであり、そして何よりも、真の恩恵が外国人の手に渡り、自国民はすべて食い物にされてしまうかどうかをめぐる争いだった。

スリランカの首都で、飢えたスリランカ人の横で金をがっぽり貯め込んでいる欧米の支援活動家というイラストのポスター
NGOのロゴマークは沿岸地方一帯のありとあらゆる場所で目につくため、復興事業への人々の怒りの矛先はいきおいNGOに向けられる。
一方、・・・世銀やUSAID、それに政府当局者は、ほとんど都会の事務所にこもりきりだ。
・・・援助と名のつくものを提供しているのはNGOだけだということを考えると、なんとも皮肉な話ではある。
だが同時に、その活動はあまりに不十分であり、人々の怒りを買うのは当然とも言える。
問題のひとつは支援組織があまりに巨大化し、地元住民との間に距離ができてしまったことにある。

スリランカではNGOスタッフの暮らしぶりが国民的な反感を買っているほどだ。実際、私の会ったスリランカ人のほほ全員がNGOスタッフの「自堕落な」(ある牧師の言葉)暮らしぶりを口にした - 高級ホテル、ビーチに面したコテージ、そして最大の非難が集中するのは真っ白い新車のSUVだ。どの支援団体もこうしたSUVを所有しており、スリランカの狭い未舗装道路には不必要な馬力と大きさの車が一日中、避難キャンプの脇を、もうもうと埃を巻き上げながら轟音を立てて走っている。オックスファム、ワールドビジョン、セーブ・ザ・チルドレン、といったロゴマーク入りの旗をなびかせて走る彼らは、まるで異星からやってきた訪問者のようだ。

NGOスタッフの殺害、NGOの撤退
人々の憤りが増大するのを見ていると、スリランカも遠からずイラクやアフガニスタンと同じ道をたどるのではと憂慮せずにはいられなかった。復興とは強奪同然のものだと受けとめられたイラクやアフガニスタンでは、支援活動家が攻撃の対象にされた。

私(ナオミ・クライン)がスリランカを後にして間もなく、その杞憂が現実となった。国際NGOアクション・アゲンスト・ハンガーのスタッフとして救済活動にあたっていた一七人のスリランカ人が、北東部の港湾都市トリンコマリー近郊の事務所で殺害された。これが引き金となって凶悪な襲撃事件が相次ぎ、復興作業もただちにストップした。

これを受けて多くの支援団体がスタッフの安全を守るために撤退し、その他の支援団体も政府が掌握する南部へと拠点を移したため、津波被害のもっとも大きかった東部とタミル人の支配する北部は援助もなく放置されることになった。こうした状況は、復興資金の分配が不平等だという怒りをいっそう燃え上がらせ、二〇〇六年末に行なわれた調査の結果もそれに拍車をかけた。

津波で破壊された家屋の大部分はそのまま放置されているなかで、大統領の選挙区である南部だけは住宅の再建率が一七三%という驚異的な数字を示したのだ。

内戦再開と激化
二〇〇六年七月、タミル・タイガーは停戦合意の終了を宣言。
復興作業は全面ストップし、内戦は再び激化の一途をたどった。
その後一年足らずの間に四〇〇〇人以上の死者が出ている。
東部海岸で津波後に再建された家屋はまだほんの一部だったが、新しく建てられた数百戸の家には銃弾が撃ち込まれ、取り付けたばかりのガラス窓は粉々に割れて屋根は爆撃で崩れ落ちた。

「平和の配当」ではなく「平和のペナルティー」がもたらされた
津波後にスリランカに寄せられた莫大な援助金は、真の意味での「平和の配当」 - より平等な国家を築き、建物や道路と同様に人々の信頼も再建できるよう、分裂した社会を立て直すための資源 - となる貴重な可能性をはらんでいた。
ところが現実にスリランカにもたらされたのは、イラクと同様、「平和のペナルティー」(オタワ大学の国際政治学者ローランド・パリスの言葉)だった。

国民が何よりも和解と緊張緩和を必要としていたまさにそのとき、過酷な課税や戦闘的な経済モデルが導入され、大部分の人々の生活はいっそう逼迫した。

実際、スリランカにもたらされた平和とは、民族紛争の激化にほかならなかった。
土地と統治権と栄光を追い求め、暴力は果てしなく続く。
企業主義による平和は、短期的には土地の強奪を、長期的にはジョン・ヴァーレイの言う「いつか来るかもしれないエレベーター」を人々にもたらした以外に、なんの恩恵ももたらさなかった。

シカゴ学派の改革が勝利を収めた国ではどこでも、人口の二五%から六〇%にも及ぶ固定的な底辺層が生まれ、社会は一種の戦争状態を呈してきた。
だがすでに災害によって国土が荒廃し、民族紛争で傷ついた国に、強制的な移動と文化の破壊を強いる戦闘的な経済モデルを持ち込めば、危険ははるかに増大する。
かつてケインズが論じたように、こうした懲罰的平和には政治的結果が伴う - さらにひどい流血の紛争の勃発も含めて。
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2015年5月5日火曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(126) 「第19章 一掃された海辺-アジアを襲った「第二の津波」-」(その4) : 「観光共和国」モルディブ スリランカだけでなく、タイ、モルディブ、インドネシア、インドでも「第二の津波」に襲われる

イチハツ 2015-04-30 江戸城(皇居)東御苑
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「観光共和国」 モルディブ
スリランカだけでなく、タイ、モルディブ、インドネシア、インドでも「第二の津波」に襲われる
 津波に襲われた国ではどこも「バッファーゾーン」を設け、海岸に暮らしていた人々を追放して開発事業に明け渡そうとした(インドネシアのアチェ州では政府が幅二キロメートルにわたるバッファーゾーンを定めたが、この措置はのちに撤回を余儀なくされた)

 津波から一年後、対外援助金の使途監視などで高く評価される国際開発NGOアクションエイドが、五カ国の津波被災者五万人を対象にした大規模な調査報告書を発表した。
結果はどの国でも同じだった。住民は家を建て直すことを禁じられる一方、ホテル建設は積極的に奨励され、仮設避難所は軍が監視する悲惨な留置所同然の場所と化し、本格的な復興作業はいまだほとんど行なわれず、かつての人々の生活様式は一掃されてしまった - という状況だ。・・・

問題は構造的かつ意図的なものだ、と報告書は指摘する。
「これらの国の政府は被災者に定住用の土地を提供する責任を果たしていない。土地が強奪され、沿岸地域のコミュニティーが無視されて企業利益が優先される間、政府はただ拱手傍観するか、自らそれに手を貸すかしていた」と報告書は結論づけている。

モルディブの場合:「観光共和国」と呼ぶにふさわしい国
 政府は沿岸部から貧しい住民を追放するだけでは満足せず、津波を理由にして居住に適した地域の大部分から国民を締め出すという策に出た。

 モルディブはインド洋に浮かぶ一〇〇〇島以上の島(うち住民がいるのは約二〇〇島)から成り、かつて中米諸国が「バナナ共和国」と呼ばれたことに倣えば、さしずめ「観光共和国」と呼ぶにふさわしい国だ。

モルディブ経済が依存するのはトロピカルフルーツならぬトロピカルレジャーで、観光収入が政府歳入のじつに九〇%を占める。・・・真っ白の砂浜に緑が点在する一〇〇島近い「リゾートアイランド」がホテルや船会社、または裕福な個人によって完全管理されており、なかには五〇年もの長期契約で賃借されている島もある。・・・

モルディブに君臨しているのが一九七八年に大統領に就任し、アジアで最長の政権を誇るマウムーン・アブドル・ガユームだ〔ガユームは二〇〇八年一〇月の大統領選で敗れ、三〇年の長期政権にピリオドを打った〕。ガユーム政権はこれまで反対勢力の指導者を刑務所へ送り込み、反政府系ウェブサイトに書き込みをしただけでも「反政府分子」とみなして拷問するなど、その強権ぶりが非難されてきた。政権批判する者を刑務所島に監禁して人目から隠すことで、ガユーム一派は観光ビジネスに思う存分邁進できたのである。

津波発生前、モルディブ政府は豪華リゾートへの需要の拡大に応え、リゾート島の数をさらに増やす構想を描いていた。・・・

ガユーム政権は津波発生のずっと前から、これらの住民を面積が広くて人口も多い、観光客がめったに訪れないいくつかの島に移住させようと説得を続けてきた。・・・だが、さしもの抑圧的な政府も何万人という住民を先祖伝来の土地から引き離すことはできず、「人口統合」計画はおおむね失敗に終わった。

ころが津波の発生後、ガユーム政権はただちに「住むには適さない危険な」島が多くあることが津波によって判明したと発表。政府はかつての計画よりはるかに強引な移住計画をスタートさせ、国からの被災支援金を受け取れるのは指定された五カ所の「安全な島」に移住した者に限るとの方針を打ち出した。
こうしていくつかの島からはすでに全住民が退去、他の島でも立ち退きが進行中で、政府の思惑どおり多くの土地がリゾート開発用に明け渡されつつある。

モルディブ政府によれば、世銀をはじめとする国際機関の支持と資金を得て実施されたこの「セーフアイランド・プログラム」は、国民の「大きくて安全な島」に住みたいという要望に応えたものだという。だがインフラさえ修復すれば、自分たちの島に住み続けたかったと言う住民は少なくない。アクションエイドが指摘するように、「住むところを確保し暮らしを立て直すには退去が前提条件だというのだから、国民に選択の余地はない」のだ。

リゾート業者は退去の対象にならなかったばかりか、津波から一年後の二〇〇五年一二月、ガユーム政権は新たに三五の島をリゾート用として最長五〇年の長期契約で賃借すると発表した。その一方、被災者が移住した「安全」な島では失業が増加し、島民と転入者の間で暴力沙汰が起きる事態となっていた。
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2015年4月13日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(125) 「第19章 一掃された海辺-アジアを襲った「第二の津波」-」(その3) : 「「企業グローバリゼーションによる第二の津波」・・・戦争のあとに略奪が起きるように、最初の津波のあとに「第二の津波」が襲いかかってきたのだ」

江戸城(皇居)東御苑 2015-04-09
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津波以降 - 第二のチャンス
政府の国民に対する裏切り
 反民営化路線を公約に掲げて当選したチャンドリカ・クマラトゥンガ大統領は、津波が一種の宗教的な啓示となり、自由市場経済に光明を見出すようになったと宣言。

 沿岸部の視察に訪れた彼女は、瓦礫の真ん中に立ってこう言った。
「わが国は豊かな自然資源に恵まれていますが、これまでその恵みを十分に役立ててきたとは言えません。(中略)おそらく自然は「もぅいい加減にしろ」と怒りを爆発させ、四方八方からわれわれを打ちのめすことで、結束の大切さを教えてくれたにちがいありません」。

 津波発生のわずか4日後、政府は国民が長年強く反対してきた水道事業の民営化を可能にする法案を可決。国内が水浸しとなり、死者を埋葬することもできずにいたこのとき、当然ながら国民の大半はそんな法案が通ったことすら知らなった - イラクで石油新法が通ったときとよく似たタイミングである。

 そればかりか政府は、この極度の困窮のさなかにガソリン価格の引き上げを断行した。
スリランカ政府が財政的努力をしているという明白なメッセージを融資者に送るためだ。
政府はまた、国営電力会社を分割して民間部門に売却する計画のもと、法整備に着手した。

企業グローバリゼーションによる第二の津波
 零細漁民の支援団体「スリランカ全国漁業連帯運動」のハーマン・クマラ代表はこの再建計画を、傷つき弱り切った国民を食い物にする意図的な計画だとみなし、これは「企業グローバリゼーションによる第二の津波」だと言う。戦争のあとに略奪が起きるように、最初の津波のあとに「第二の津波」が襲いかかってきたのだ、と。
「国民はかつてこうした民営化政策に断固として反対していた。ところが今や人々は避難所で食べるものもなく、明日をどう生き延びるかを考えるだけで手一杯の状態です。寝る場所もなく、住むところもなく、収入の手段をなくし、この先どうやって食べていくか途方に暮れている。政府はまさにそういう状況のなかで、計画を勝手に推し進めている。人々がいずれ立ち直って何が決定されたかを知ったときには、もう後の祭りです」

ワシントンの融資期間のスリランカでの迅速な対応は、1997年10月のハリケーン・ミッチの経験によるもの
 ワシントンの融資機関が津波という好機を利用するべくただちに行動できたのは、過去にこれときわめてよく似た経験をしていたからだった。津波後の惨事便乗型資本主義のリハーサルとなったのは、1998年10月に中米を襲ったハリケーン・ミッチ後の対応だが、これについてはこれまでほとんど検証されていない。

 ハリケーン・、ミッチは丸1週間にわたって中米地域に居座り、ホンジュラス、グアテマラ、ニカラグアの海岸や山々を襲って村々を根こそぎ破壊し、9,000人以上の命を奪った。・・・

 ハリケーン襲来から2ヵ月後、国土がまだ瓦礫や死体や泥に覆われていた時期、ホンジュラス議会は空港や海港、幹線道路の民営化を推進する法案を可決、国営の電話会社や電気会社、一部水道事業を迅速に民営化する計画案を通過させた。

 次に議会は、進歩的な土地改革法を撤廃して外国人が容易に土地の売買ができるようにし、さらには環境基準を引き下げ、鉱山開発の障害となる住民の強制退去を容易にする企業最優先の鉱業法(草案は業界が作成)を強引に可決した。

 同じくハリケーン襲来の2ヵ月後、グアテマラ政府は電話事業の売却計画を発表し、ニカラグア政府も電話事業のほかに電気会社と石油事業の売却計画を打ち出した。

 『ウォールストリート・ジャーナル』紙によれば、「世界銀行とIMFはニカラグア政府に(通信事業の)売却を迫り、これを年間約四七〇〇万ドルの援助を三年間行なう条件にするとともに、約四四億ドルの対外債務の免除とも関連づけた」。

 電話会社の民営化とハリケーン災害復興との間にはもちろんなんの関連もないが、ワシントンの融資機関の惨事便乗型資本主義者たちの頭の中では、切っても切れない関係にあるのだ。

「災害は外国からの投資に好機をもたらす」
 買い手の大半はかつて自らが民営化した外国の元国営企業で、今や自社の株価上昇を狙って新たな買収物件を世界各地で物色していた。

 グアテマラの電話会社に飛びついたのは、民営化したメキシコの電話会社テルメックスだ。スペインのエネルギー企業ウニオン・フェノーサはグアテマラのエネルギー企業数社を買収した。民間会社となったサンフランシスコ国際空港はホンジュラスの四つの空港すべてを買収し、ニカラグアの電話会社は、大手会計事務所プライスウォーターハウスクーパースが出した査定額8,000万ドルの40%にすぎない3,300万ドルで売却された。

 「災害は外国からの投資に好機をもたらす」 - グアテマラの外務大臣は1999年にダボスで開かれた世界経済フォーラムに出席した際、こう述べた。

津波から1週間後、スリランカ大統領は国家再建特別委員会を設置
 スリランカ大統領はワシントンの融資機関からの圧力のもと、国民から選出された国会議員には復興計画の立案を任せないとして、津波襲来のわずか1週間後に「国家再建特別委員会」というまったく新しい組織を結成する。スリランカ復興の基本計画を決めて実行に移す全権を有するのは国会ではなく、この小集団だというのだ。
 委員会はスリランカの金融界と産業界を代表する有力者で構成され、しかも10人の委員のうち5人がスリランカ最大のリゾートホテルを擁する海浜観光業界の株を直接保有していた。委員には漁業や農業を代表する者、環境問題の専門家や科学者もおらず、災害復興の専門家さえ含まれていなかった。委員長に就任したのは、かつての民営化の帝王マノ・ティッタウェラである。「これはモデル国家を打ち立てる機会だ」と彼は言い切った。

 この国家再建特別委員会の設立は、自然災害の力を借りた新手の企業クーデターを意味していた。・・・

 国民が選挙で示した明白な意思は無視され、選挙民の意見を反映しない産業界の直接統治に取って代わられたのだ。これは惨事便乗型資本主義にとっても、かつてないことだった。

 産業界の大物の委員たちは首都から一歩も出ることなく、たった10日間で住宅から道路建設に至るまでの国家再建の青写真を作るという荒業をやってのけた。バッファーゾーンの設置 - 寛大にもホテルだけは建設を許された ー が打ち出されたのもこのときだ。

 委員会はさらに、津波以前には国民の強い反対に遭った高速道路と大型漁港の建設に災害支援金を流用する決定も下した。

 「私たちにとってこの経済政策は津波以上の大災害です。だからこそ私たちはこれまで必死にそれを阻止しようと戦ってきたし、この前の選挙でもノーを突きつけた」と言うのは、土地の権利問題の活動家サラス・フェルナンドだ。「それなのに津波からたった三週間で以前と同じ計画を持ち出してきた。前もって準備していたことは明らかです」

*フェルナンドはスリランカのNGO連合組織「土地と農業の改革運動」(MONLAR)の代表を務める。MONLARは津波直後から「国民参加による復興」を求めて活動してきた。"

アメリカ政府へのスリランカ国家再建特別委員会への肩入れ
 コロラドに本社を置く大手建設企業CH2Mヒルは、イラクにおける契約事業監督の報酬として2,850万ドルを取得したが、イラクでの復興事業の失敗に重大な責任を負う立場にもかかわらず、スリランカの復興事業で新たに3,300万ドルの契約を受注した(その後4,800万ドルに拡大)。
契約内容は、加工漁船用の探水港を三カ所に建設することと、アルガムベイを「観光客のパラダイス」に生まれ変わらせる計画の一環として橋を建設することだった。
津波災害支援を名目にしていたとはいえ、どちらの計画も当の被災者にとっては災厄以外の何ものでもない。大型トロール船は漁民の獲る魚を全部さらってしまうし、ホテルはビーチから漁民を追放したがっているからだ。・・・「「支援」が支援にならないどころか、人々に害をもたらしている」・・・

 「競争力強化プログラム」の責任者ジョン・ヴァーレイ・・・は次のように説明した。「被災者だけに限定した支援方法は望ましくない。(中略)スリランカ全体の利益になり、国家の成長につながるような支援にすべきなのです」。そして、この状況を高層ビルのエレベーターにたとえてこう言った。最初は少数の人だけが最上階に行くことができるが、彼らが富を築けばエレベーターはまた下に戻って、もっと多くの人を上へ運べるようになる。階下で待っている人たちは、エレベーターが必ず - いつかは - 戻ってくることを理解すべきだ、と。

津波被害者も暫くすれば世界中どこでも見られる貧困者と変らなくなる
 米政府が漁民に対して直接金を出したのはたった一度、海岸の再開発を進める間に漁民が押し込められていた仮設住宅の「改善」のために出された100万ドルだった。ここからも、トタンとベニヤ板で囲った避難所が「一時的」なものというのは名ばかりで、けっきょくは恒久的なスラム ー 世界の貧困国のほとんどの大都市周辺に存在するような - と化す運命にあることが浮き彫りになる。・・・

 世銀とUSAIDは、世界の大部分の人がまだ気づいていなかったことを見越していた。しばらくすれば津波の被災者が「特別な」存在であるという感覚も薄れ、やがては世界の何十億という顔の見えない貧困者と変わりなくなるというわけである。
世界の貧困者の多くはすでにスラム街で水もない生活を送っている。こうしたスラムは一泊800ドルの超高級ホテルとまるで背中合わせのように増殖し続け、人々はそれをグローバル経済の落とし子として容認してきたのだ。
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2015年3月27日金曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(124) 「第19章 一掃された海辺-アジアを襲った「第二の津波」-」(その2) : 「津波が「再生計画」を再生させる 「スリランカ再生計画」が潰れたことを嘆いていた人たちは、津波という大災害の持つ意味をすぐさま理解した」

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民族の壁を越えた助け合いと史上最大の義援金
 (最初は)、救助活動も、ケガの手当も、遺体を埋める穴を掘るのも、すべて住民たち自らがやっていた。そうした事態のなか、この地域を分断していた民族の壁〔スリランカにはシンハラ人(仏教徒)、タミル人(ヒンドゥー教徒)、スラム教従、キリスト教徒など多民族が暮らす〕が突然消えてなくなった。・・・「イスラム教徒は遺体を埋葬するのにタミル人に助けを求め、タミル人はイスラム教徒に食料や水を分けてもらい、内陸に住む人たちは家ごとに毎日二個、弁当の包みを届けてくれた。・・・」

こうした民族の壁を越えた助け合いは、国中至るところで見られた。タミル人の一〇代の少年は農村部からトラクターで駆けつけ、遺体の収容を手伝った。イスラム教徒の埋葬用にキリスト教徒の子どもたちは白い制服を寄付し、ヒンドゥー教徒の女性たちは白いサリーを提供した。津波は家々を押し潰し、道路を破壊した一方で人々を謙虚にし、民族間の長年にわたる憎しみや流血の抗争、復讐の念をも洗い流す力を持っていたかのようだった。・・・

復興に関しても、国際支援が期待できると見られていた。当初は各国政府の対応は遅く、初めに援助の手を差し伸べたのは被害の様子をテレビで観た世界中の人々だった。・・・やがて市民らは自国政府に対し、災害支援金を供出するよう働きかけた。こうして半年後には、二三〇億ドルという史上最大規模の義援金が集まった。

そのうちにストップした復興作業
初めの何ヵ月間かは、こうした復興資金のほとんどはその目的どおり被災者救済のために使われた。NGOや支援団体は緊急用食料や水、テントや仮設小屋を運び込み、先進国は医療チームや医薬品を送ってきた。住宅を建て直すまでの間、被災者が一時的に生活するための場所として避難所が造られた。住宅再建のための資金が十分にあったことはたしかである。

ところが津波から半年後に私(ナオミ・クライン)が訪れたときには、復興作業はすべてストップしていた。再建された住居はほとんどなく、避難所はもはや緊急のシェルターではなく恒久的なスラムと化していた。

支援活動家たちは、スリランカ政府がことごとく復興の邪魔をすると言って不満をぶつけた。海岸をバッファーゾーンに指定したかと思えば、住宅建設用の土地を提供することを拒み、海外の専門家に再建のための調査やら計画書やらを次々と依頼するばかりだ、と。・・・こうした復興の遅れは「お役所仕事」や管理能力欠如のせいにされることが多いが、背後にははるかに深刻な問題が潜んでいた。

津波以前 - 頓挫した計画
津波前の国際金融機関によるスリランカ大改造計画
スリランカの大改造計画が最初に持ち上がったのは、津波発生の二年前だった。
始まりは内戦終結後のスリランカに米国際開発庁(USAID)、世界銀行、世銀から枝分かれしたアジア開発銀行といったいつもの面々が乗り込み、この国を世界経済に組み込むための策を練ったことだった。

長い内戦のせいでグローバリゼーションの波が最後まで及ばなかったことこそ、スリランカの最大のセールスポイントだという点で、これら国際融資機関の認識は一致した。ごく狭い国土にもかかわらず、スリランカには、ヒョウ、サル、何千頭ものゾウなど豊富な野生生物が生息している。ビーチには高層ホテルは一軒もなく、山間部にはヒンドゥー教、仏教、イスラム教の寺院やモスク、聖地などが点在している。何より素晴らしいのは「ウェストヴァージニア州ぐらいの面積にその全部が収まっている」ことだとUSAIDは絶賛した。

計画によると、内戦中はゲリラたちが潜んでいたジャングルもエコツアー客に開放し、中米コスタリカのように観光客はゾウに乗ったり、ターザンの真似事をしたりして冒険を楽しむ。血なまぐさい抗争の大きな要因だった宗教も、欧米人観光客のスピリチュアルなニーズを満たすために様変わりする - 仏教僧は瞑想センターを運営し、ヒンドゥー教徒の女性は観光ホテルでエキゾチックなダンスを披露し、インド伝統医学に基づくクリニックが観光客の心身の不調を癒すというわけだ。

ひとことで言えば、アジア各地に多国籍企業が設けた「搾取工場」やコールセンター、それに狂乱に沸く市場はそのまま存続させる一方、スリランカをそうした業界の大物たちが疲れを癒す場にしようというのである。アジアに広がる規制なき資本主義の拠点から生み落とされる莫大な富があればこそ、極上のリゾートライフと野生の自然、こまやかなサービスと冒険を絶妙に組み合わせた休日を楽しむのに費やす金はあり余るほどある。

先の国際機関の代表たちは、スリランカの将来はアマンリゾーツ〔インドネシアの富豪が創設した超高級リゾートホテルチェーン〕のような大手ホテルチェーンの出方にかかっていると見ていた。ちなみにそのアマンリゾーツは最近、スリランカの南海岸に全室プール付きで一泊八〇〇ドルというホテルを二カ所オープンしている。

アメリカ政府は高級リゾート地としてのスリランカに、ホテルチェーンや旅行業者が参入できる可能性を見込んで大いに乗り気だった。
USAIDはスリランカの観光業界をワシントン流の強力なロビー団体に仕立て上げる計画をスタートさせ、スリランカの観光振興予算を「年間五〇万ドル足らずから」一〇〇〇万ドル規模へと」引き上げることに成功する。

一方でアメリカ大使館も、スリランカにおけるアメリカの経済的利益を促進する拠点として「競争力強化プログラム」を立ち上げた。このプログラムの責任者でエコノミストのジョン・ヴァーレイによれば、二〇一〇年までに年間一〇〇万人の観光客を誘致するというスリランカ観光局の目標は控えめすぎるという。「個人的にはその倍は誘致できると思う」と彼は言う。
世銀の現地担当責任者でイギリス人のピーター・ハロルドは私に、「スリランカはバリに匹敵する観光地になるとずっと思ってきた」と話した。

プルトノミー(富裕経済)
富裕層向けの観光業が確実な利益をもたらす成長マーケットであることは疑いない。二〇〇二年から二〇〇五年の間に、一泊の料金が平均四〇五ドルという高級ホテル業界の総収益は七〇%も上昇している。9・11後の落ち込み、イラク戦争、原油価格の高騰といったマイナス要因を考えると、驚くべき数字だ。この驚異的な成長は多くの点で、シカゴ学派経済学の全般的勝利が世界にもたらした極端なまでの経済格差の副産物だと言えよう。

今日の世界には、経済の全体状況とは無縁に数千万から数十億ドルの資産を持つ新興エリート集団が存在し、その規模はウォールストリートが「スーパー消費者」 - 彼らだけで消費者需要を丸ごと担う財力を有する - とみなすまでになっている。

ニューヨークのシティ・グループ傘下の投資銀行スミス・バーニーの元国際株式戦略グループ主任アジェイ・カブールは、ごく少数の富裕層が経済成長を牽引し、その成長を消費する体制を「プルトノミー(富裕経済)」と呼び、ブルガリ、ポルシェ、フォーシーズンズ、サザビーズなど富裕層をターゲットにした企業の株を「プルトノミー・バスケット」として顧客に売り込んでいる。「今後もわれわれの予想どおりプルトノミーが続き、収入格差がこのまま拡大していけば、プルトノミー・バスケット企業は順調に業績を伸ばしていくことが予測される」と彼は書く。

スリランカに与えられた課題克服のためのお決まりのコース
・・・まず第一に、一流リゾート企業を誘致するには土地所有に関する規制を廃止することだ(スリランカの国土のおよそ八割は国有地)。
次には、リゾート業者が従業員を雇用しやすくするために、「柔軟な」労働法を制定する必安があり、さらには幹線道路や空港の整備、水道や電気システムの改良など、インフラを近代化する必要もあった。
ところがスリランカはこれまで武器購入のために多大の負債を抱えており、これらの急を要する事業をすべて自国でまかなうことは不可能だった。こうして世銀やIMFから融資を受ける条件として、民営化の促進と「官民パートナーシップ」の導入に合意する、というお決まりの取引が行なわれたのである。

国民に多大な犠牲を強いるショック療法プログラム「スリランカ再生計画
世銀が承認し、二〇〇三年初めに最終決定に至ったショック療法プログラム「スリランカ再生計画」には、こうした改革案や条件のすべてが手際よく組み込まれていた。この計画を推進するにあたってスリランカ側で中心となったのが、政治家で起業家でもあるマノ・ティッタウェラ(容姿も考えんも、九〇年代アメリカの大物共和党議員ニュート・ギングリッチと驚くほどよく似ている)という人物だ。

ショック療法プログラムの常として、「スリランカ再生計画」も迅速な経済成長を促すという大義のもと、国民に多大な犠牲を強いるものだった。海岸を観光客に、土地をリゾート施設や幹線道路に明け渡すために、何百万人もの人々が住み慣れた土地を離れることを余儀なくされる。漁業は大きな港から沖合へと出て行く大型トロール船が中心となり、浜から漕ぎ出す木造船はもはや用なしだった。そしてブエノスアイレスからバグダッドまで、過去に同様の状況下で幾度となくくり返されてきたように、国営企業は大量解雇を断行し、各種の公共サービスは値上げされることになる

国民的抗議と「計画」廃棄を主張する政党の勝利
計画への反対はまず戦闘的なストライキや街頭デモによって表明され、続く二〇〇四年四月の選挙では断固とした国民の声が示された。
スリランカ国民は、外国人専門家や彼らと手を組む人々にノーを突きつけ、「スリランカ再生計画」の全面廃棄を掲げた中道左派とマルクス主義を掲げる極左政党との連合を支持した。
その時点では水道や電気など主要事業の民営化計画の多くはまだ中途で、道路の建設計画も裁判沙汰になっていた。こうして富裕層対象のリゾート建設の夢はあえなく崩れ去る。二〇〇四年は投資家が優過されるスリランカの民営化元年となるはずだったが、今やすべてが白紙に戻ったのだ。

津波が「再生計画」を再生させる
津波がスリランカを襲ったのは、運命を決したこの選挙から八カ月後のことだった。
「スリランカ再生計画」が潰れたことを嘆いていた人たちは、津波という大災害の持つ意味をすぐさま理解した。崩壊した家や道路や学校や鉄道を再建するために、新政府は外国から何十億ドルという融資を受けなければならない。一方の融資する側も、国家の壊滅的危機に直面すればどんな経済的ナショナリストでも態度を軟化させることを十分知っている。そして前回は開発計画を阻止するために道路を封鎖し、大規模な反対集会を開いた戦闘的な農民や漁民はと言えば・・・最大の被災者である彼らは目下それどころではない、というわけだった。
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2015年3月16日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(123) 「第19章 一掃された海辺-アジアを襲った「第二の津波」-」(その1) : 「(スリランカ)アルガムベイのような被災地で語られた「再建」とは、彼ら漁民の文化や生活様式を意図的に破壊し、その土地を奪うことにほかならなかった。・・・この再建プロジェクトは結果的に「犠牲者を犠牲にし、搾取されている者をさらに搾取する」ことにしかならないのだ」

江戸城(皇居)東御苑 2015-03-11
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第七部 増殖するグリーンゾーン
 - バッファーゾーンと防御壁 -
 あなた方〔アフガニスタン人〕はまさに最先端の場所から新たなスタートを切ることができるのです。これはじつに素晴らしいことです。このようなチャンスに恵まれたあなた方は特権的立場にいます。世界にはこうした社会体制を持てない国や、いまだに一〇〇年前、二〇〇年前の体制に縛られている国が数多くあるのです。最良の構想と専門知識を持って再出発できるというのは、ある意味でアフガニスタンにとって大きな強みとなるのです。
- ポール・オニール米財務長官、二〇〇二年一一月、カブール侵攻後に

第19章 一掃された海辺
- アジアを襲った「第二の津波」 - 
 巨大ブルドーザーのごとく海辺を一掃してくれた津波のおかげで、開発業音に思いがけないチャンスが訪れた。乗り遅れまいと、彼らはただちに行動に出た。
- セス・マイダンス、二〇〇五年三月一〇日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビュ-ン』紙

2005年7月、津波襲来半年後のスリランカ、アルガムベイ:海岸から追いやられる漁民の怒り
 二〇〇五年七月のある朝、日が昇る頃、私はスリランカの海岸にいた。・・・
 二〇〇四年一二月二六日に起きたスマトラ沖地震で、この海岸線一帯は大津波に襲われ、・・・ 周辺地域一帯ではおよそ二五万人の命が奪われ、二五〇万人が家を失った。"

 この旅に同行してくれたクマリはコロンボ在住の人権活動家・・・。旅はスリランカ東部にあるさびれたリゾート地の漁村アルガムベイから始まった。ここはスリランカ政府の復興チームによって「改良再建」計画のモデルケースとされた村だ。

 (しかし)アルガムベイの漁師ロジャーの口から出てきたのは、政府見解とはまったく違う話だった。政府の計画は「海辺から漁師を追い払う企て」にほかならない、と彼は言う。漁師を根こそぎ立ち退かせる案はずっと前からあったが、政府は今回の津波を - これまでの多くの惨事便乗ケースと同様に - 口実にして、住民にはまったく不評だった計画を推し進めているのだ、と。

 ・・・スリランカ東部はもっとも内戦が激しかった地域で、北部を拠点とするタミル人反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE=通称「タミル・タイガー」)と、シンハラ人を主体とするコロンボの中央政府がともに領有権を主張しながら、いずれの側もこの地域を掌握できずにいた。・・・

津波前からあったホテル業者の漁民に対する圧迫
 転機がやってきたのは二〇〇二年二月、中央政府とタミル・タイガーが停戦協定に合意したときだった。・・・道路の封鎖が解かれるやいなや、ガイドブックはスリランカ東部の海岸をプーケットに次ぐ観光地として盛んに宣伝し始める。・・・旅行ガイド『ロンリープラネット』によれば、まさに「ご機嫌なパーティースポット」というわけだった。その中心となったのがアルガムベイだ。同時に、停戦によって多くの漁民がアルガムベイをはじめとする豊かな資源に恵まれた東部海岸へと戻ってきた。

 アルガムベイは漁村区域に指定されていたが、ビーチが次第に賑わいを増すにつれて、ホテル業者から苦情が出るようになった。漁民の小屋が景観の邪魔になり、干し魚の臭いで客が離れるというのだ(・・・)。漁船や小屋を旅行者のあまり来ない場所に移動させようと、一部のホテル経営者は地元議会に対してロビー活動を開始。
対する漁民たちはこう主張した - われわれは先祖代々この土地に暮らしてきたし、アルガムベイは単に船が沖へ出て行く場所であるばかりか魚も売りさばける。水道や電気、子どもたちの通う学校もあるのだ、と。

 津波が襲う半年前のある深夜、海岸で不審火が発生して二四軒の漁師小屋が全焼したことから両者の対立は緊張を増し、一触即発状態となった。・・・
だが、・・・経営者たちの思惑どおりにはいかなかった。漁民たちはこの場所にとどまる決意をいっそう強固にし、すぐに小屋を建て直した。

津波が一切を押し流し観光産業が待ち望んだビーチが残る
 ところが津波は、火事にできなかったことをやってのけた - 海岸にあったものをことごとく一掃してしまった・・・人口四〇〇〇人ほどのこの漁村でも三五〇人の命が奪われたが、そのほとんどは・・・海で生計を立てる人々だった。ところが散乱する瓦礫や死体の下には、まさに観光産業が手に入れようと画策してきたものがあった。・・・汚れのない美しいビーチ ー いわば休暇用の”エデンの園”である。東部海岸沿いのビーチはどこも同じだった。瓦礫が片づけられれば、そこに現れるのは”パラダイス”というわけだった。

東部海岸全域に設定されたバッファーゾーン
 事態が徐々に収拾に向かい、住まいのあった海岸へ漁師たちが戻ってみると、そこには警宮が立ちふさがり、家を建て直すことはまかりならぬと申し渡した。海岸に小屋を建てることは禁止、すべての建造物は満潮線から二〇〇メートル以上内陸に建てること、それが「新しい規則」だというのだ。ほとんどの漁民はそれを受け入れる用意はあったが、家を建てようにも土地がなく、けっきょくは行き場を失ってしまう。
アルガムベイのみならず東部海岸の全域に、こうした「バッファーゾーン」(緩衝地帯」〔津波の浸水予測区域ではないが、浸水の恐れがあるとして家屋の再建が禁止される地域〕が新たに設けられた。

漁民たちは内陸部の仮説避難所へ移る
 ・・・食糧の配給とわずかばかりの援助金を受け取るため、何十万という人々が海岸から離れ、内陸部に設けられた仮設避難所へと移動した。だがそれは避難所とは名ばかりのトタン板で覆われたみすぼらしいバラックで、あまりの暑さに耐えかねて屋外で寝る者も少なくなかった。避難所は次第に不潔になり伝染病も発生し、機関銃を持ち威嚇するような目つきの兵士が巡回するようになった。

観光業、レジャー施設はバッファーゾーン・ルールの適用外
 ・・・政府は漁民たちの貴重な生活の場だった海岸線に観光ビジネスを拡大することを奨励した。リゾート施設の建設にはバッファーゾーンのルールは適用されず、「改修」という名目で申請すればどんな仰々しい建物でも、どんなに海に近くても許可された。こうしてアルガムベイの海岸線では建設労働者が忙しく作業するようになる。・・・

「アルガムベイ資源開発計画」
 ・・・漁師たちは海からの恵みで十分に家族を養っていけたが、それは世界銀行など国際機関の基準から見た経済成長にはつながらない。海岸にはもっと収益の出る利用法があるはずだ、というのが政府の見解だった。・・・「アルガムベイ資源開発計画」と題する政府資料がマスコミにリークされ、漁民がもっとも恐れていた事態が裏づけられた・・・。

 この計画書は、スリランカ政府からアルガムベイ再建計画の立案を委託された海外のコンサルタント・グループが提出したものだった。津波の被害を受けたのは海岸に面した建造物だけで、町の大部分は無傷だったにもかかわらず、この計画ではアルガムベイの町を全面的に取り壊して再建することを提案していた。ヒッピーの集まる海辺の町から、七つ星ホテルや一泊三〇〇ドルもする豪華なエコツーリズム・コテージが立ち並び、水上飛行機用の桟橋やヘリポートまでそろった「高級ツーリストスポット」に変貌させようというのだ。さらに計画書は、アルガムベイをモデルにして周辺地域に三〇ヵ所近くの「観光ゾーン」の開発を進めれば、内戦で疲弊したスリランカ東海岸を南アジアのリヴィエラに変えることができると力説している。

 この青写真からすっぽり抜け落ちていたのが津波の被災者、すなわち海辺で生計を立てていた何百もの漁師の家族だった。・・・さらにひどいことに、この再開発プロジェクトの費用八〇〇〇万ドルは津波被災者のために寄せられた義援金を使うというのである。

 アルガムベイのような被災地で語られた「再建」とは、彼ら漁民の文化や生活様式を意図的に破壊し、その土地を奪うことにほかならなかった。・・・この再建プロジェクトは結果的に「犠牲者を犠牲にし、搾取されている者をさらに搾取する」ことにしかならないのだ。

 私(ナオミ・クライン)はコロンボでスリランカ観光局のシーニヴァサガン・カライセルヴァン局長と面会したが、この中年の官僚は事あるごとにスリランカには数百万ドルの利益を生む「ブランド」としての価値があることを強調したがった。

 ・・・「これまで海岸線一帯には無許可の建造物がたくさんありましてね。(中略)それは観光計画に沿って建てられたものじゃない。ですが、津波が観光産業に味方をしてくれました。無許可の建造物のほとんどが津波で壊され、海岸から姿を消したからです」。もし漁民が戻ってきて小屋を建てたら、「また撤去しなければならなくなる。(中略)ビーチには何も建てさせるわけにはいかないんです」と彼は言った。
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2015年3月7日土曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(122) 「第18章 吹き飛んだ楽観論-焦土作戦への変貌-」(その6終) : 「こうして最終的に、イラク戦争によってひとつのモデル経済が誕生した。それは・・・戦争と再建の民営化モデルにほかならなかった。・・・イラク戦争以前、シカゴ学派の改革運動にとっての新天地はロシア、アルゼンチン、韓国などと地理的に制約されていた。ところが今や、次に大惨事が起きる場所であれば文字どおりどこでも新天地となりうるのだ。」

北の丸公園 2015-03-05
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ミッション・クリープ(なし崩し的な拡大、変質)
(戦争の民営化は、)すべてはイラクの現場でひそかに進行した - 軍事用語で言ういわゆる「ミッション・クリープ」〔本来の任務や活動がなし崩し的に拡大・変質すること〕である。
戦いが長引けば長引くほど戦争の民営化はさらに進み、やがてそれが戦争の新たな形態となった。

一九九一年の湾岸戦争の時点では、民間人の割合は兵士一〇〇人に対して一人にすぎなかった。それが二〇〇三年のイラク侵攻時点で、兵士一〇人に対して一人へと激増する。さらにイラク占領三年目の時点では兵士三人に対して一人となり、その後一年足らず、占領四年目に突入する頃には兵士一・四人に対して一人の割合となった。しかもこれはアメリカ政府に直接雇われた契約者の数であり、他の連合国やイラク政府との契約者は含まれていない。また、クウェートやヨルダンの契約企業が下請に出して集めた民間兵もここには含まれない。

一方、イラクに駐留する英兵の数はイギリスの民間セキュリティー会社が派遣した人員にとうに追い越され、その割合は兵士一人につき民間契約者三人となっている。二〇〇七年二月にトニー・ブレア首相が一六〇〇人の兵力を撤退させると発表すると、メディアは即座に「政府関係者は空いた穴を「傭兵」が埋めてくれると期待」しており、その際の民間セキュリティー会社への支払いは直接イギリス政府が行なうことになると報じた。同時期、AP通信はイラクに滞在する民間契約者の数を一二万人と報じたが、これは米軍兵士の数とほぼ同数だった。

こうした戦争の民営化の規模は、すでに国際連合の活動を大きく上回る。二〇〇六~〇七年度における国連の平和維持活動予算は五二億五〇〇〇万ドルだが、これはハリバートンがイラクで受注した契約総額二〇〇億ドルの四分の一強にすぎない。最新の調査によれば、傭兵産業だけでも四〇億ドル規模に達すると推定されている。

イラク戦争は、ニューエコノミーの暴力的な誕生を意味していた
イラク国民とアメリカ人納税者にとって、イラク復興支援策は明らかに失敗だったが、惨事便乗型資本主義複合体にとってはその正反対だった。9・11の攻撃が可能にしたイラク戦争は、まさにニューエコノミーの暴力的な誕生を意味していた。ラムズフェルドの「改革」計画の才覚はここにある。

破壊と再建の両方におけるありとあらゆる任務が外部に委託され、民営化された結果、攻撃を開始しても、停止しても、そしてまた爆撃を再開しても、あらゆる局面で経済は活況化することになるのだ。壊しては新たに造る - 破壊と再建が作り出す収益の回路がここにある。ハリバートンやカーライル・グループといった先を読むことに長けた企業には、同じ会社のなかに破壊事業と復興事業の二つの部門が併設されている。

*この路線をもっとも徹底させたのがロッキード・マーティンだった。
『フィナンシャル・タイムズ』紙によれば、二〇〇七年初頭、同社は「年間一兆ドル規模の医療市場で企業を買収」し始め、同時に技術工学大手のパシフィック・アーキテクツ・アンド・エンジニアーズも買収。こうした買収の波は惨事便乗型資本主義複合体における、おぞましい垂直統合という新時代の到来を意味していた。将来どこかで紛争が起きれば、ロッキード社は兵器や戦闘機の製造から利益を得るだけでなく、それによって破壊されたものを再建し、さらには自分たちの造った武器で傷ついた人々を治療することからも利益を上げられることになったのである。

戦争と再建の民営化モデル
二〇〇六年七月、ボーウェン特別監査官は契約業務の失敗から得られる「教訓」をまとめた報告書を発表した。報告書は問題の原因が不十分な計画にあると結論したうえで、「有事作戦において迅速な救出と復興作業に携わるよう訓練された、民間契約による配備可能な予備隊」を創設し、「さまざまな復興の領域の専門知識を持つ多様な要員を前もって確保しておく」ことが必要だと結論している。言い換えれば、民間契約による軍隊を常設化すべしということだ。
ブッシュ大統領は二〇〇七年初頭の一般教書演説でこの考えを支持し、民間人による予備隊を新設すると発表。「この部隊はアメリカ軍の予備軍と似た機能を果たすことになる。重要な技能を持つ民間人を雇用し、必要なときに海外任務を任せることで軍の負担を減らすことができる。これは軍服を着ていないアメリカ全土の民間人に、現代の決定的な戦いで任務を果たす機会を与えるものだ」とプッシュは述べた。

イラク占領から一年半後、国務省は新たに復興・安定化調整官室を設置した。将来なんらかの理由によりアメリカ主導による攻撃を受ける可能性のある世界二五カ国(べ責エラからイランまで)について、その詳細な国家復興計画の作成を民間事業者に発注するというのだ。惨事が起きたら即行動に移せるように、複数の企業やコンサルタント会社が「事前契約」を得ようと列をなした。ブッシュ政権にとってこれは自然ななりゆきだった。まずアメリカは無制限な先制攻撃を行なう権利があると主張し、次には「先制復興」 - すなわちまだ破壊されていない場所を復興する、という新分野を開拓したのである。

こうして最終的に、イラク戦争によってひとつのモデル経済が誕生した。それはネオコンが宣伝してきた「チグリスの虎」などではなく、戦争と再建の民営化モデルにほかならなかった。そしてたちまちのうちに、このモデルを海外に輸出する準備も整った。
イラク戦争以前、シカゴ学派の改革運動にとっての新天地はロシア、アルゼンチン、韓国などと地理的に制約されていた。ところが今や、次に大惨事が起きる場所であれば文字どおりどこでも新天地となりうるのだ。
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2015年3月2日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(121) 「第18章 吹き飛んだ楽観論-焦土作戦への変貌-」(その5) : 戦争民営化産業の形成 戦闘を担当するブラックウォーター社 「フェデラル・エクスプレスが航空貨物事業でやったことを、国家安全保障の領域で目指す、というのがわが社のモットーなのです」

北の丸公園 2015-02-27
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国防総省はさらに大規模な方針転換を打ち出した
 二〇〇六年一二月、イラクの国営工場を再稼動させる計画を発表した(プレマーがスターリン時代の遺物だとして非常用発電機を供給することを拒否した、あの国営工場)。
ペンタゴンはようやく、ヨルダンやクウェートからセメントや機械部品を輸入するより、長く使われていなかったイラクの工場から買い上げれば数十万の雇用が生まれ、地元地域も潤うことに気づいた。
イラク事業改革担当のポール・ブリンクリー国防副次官は、「これらの工場を詳しく調査したところ、われわれが考えていたようなソ連時代の老朽施設ではないことがわかった」と述べたが、おかげで何人かの同僚からはスターリン主義者呼ばわりされるようになったとも漏らした。

 イラク駐留米軍の戦闘指揮官トップ、ピーター・W・キアレッリ陸軍中将はこう説明する。
「怒りに燃えるイラクの若者を職に就けることが必要だ。(中略)失業率がほんの少し低下するだけで、宗派間の殺し合いを減少させる効果が大いに見込まれる」。
「四年経っても、まだわれわれがそのことに気づいていないというのは信じがたいことだ。(中略)私にとって、これは大問題だ。ほかのどんな軍事作戦とも同じぐらい重要な問題だ」

では、こうした方針転換が惨事便乗型資本主義の終わりを意味しているのかと言えば、そうではない。一から真新しい国を創る必要はなく、イラク人に職を提供し、イラク産業界にも莫大な復興資金を分配することのほうが重要だ - そう米政府当局者が気づいたときには、すでに資金は使い果たされていたから。

かつてない大胆不敵な危機便乗の企て:
国営石油産業の民営化と国際的な投資の呼び込み
 こうした新ケインズ主義風の”悟り”が高まりを見せるさなか、かつてない大胆不敵な危機便乗の企てがイラクを見舞う。
二〇〇六年一二月、ジェームズ・ベーカー元国務長官率いる超党派諮問機関「イラク研究グループ」が長く待たれていた報告書を出した。この報告書は、アメリカが「イラク指導者を支援して国営石油産業を営利事業として再組織し」、さらに「国際社会や国際エネルギー企業に呼びかけて、イラク石油部門への投資を奨励する」べきだと提言した。

 ブッシュ政権はただちにこれを実行に移すため、イラク新石油法案の起草に力を貸した。それはシェル石油やBPといった国際石油メジャーが三〇年の長期契約のもとで、数百億、いや数千億ドルにも及ぶイラクの石油収益のかなりの部分を保持することを可能にするものであり(イラクほど簡単に採掘できる石油に恵まれた国では、およそありえないことだ)、政府収入の九五%を石油に依存する国を恒久的貧困に縛りつける宣告にも等しいものだった。この提案はあまりに不評だったため、プレマーでさえ占領初年度にはあえて持ち出さないようにしていた。ところが今それが表に出てきたのは、イラクの混乱が深まったおかげにほかならない。石油メジャー側は、利益の大部分をイラクから取り上げることを、安全上のリスクを負っていることを理由に正当化した。言い換えれば、惨事そのものがこれほど大胆な法案提出を可能にしたのである。

混乱にまぎれて法案化を急ぐ
米政府の取ったタイミングには非常に深い意味があった。
法案成立が進められていたそのとき、イラク国内は宗派対立で引き裂かれ、毎週平均一〇〇〇人のイラク市民が死亡するという、かつてない深刻な危機に直面しており、サダム・フセインが醜悪かつセンセーショナルな報道のなかで処刑された直後でもあった。ブッシュはこれに合わせるように米軍の「増派」を指示し、交戦規則も「緩和」された。

 この時期のイラクは石油メジャーが本格的な投資を行なうにはあまりにも危険な状態にあったため、法案の成立を急ぐ必要はなかった。だがイラクにとってもっとも論議の分かれる大問題を国民の議論抜きで決定するのに、この混乱を利用しない手はなかった。

 選挙で選ばれたイラクの国会議員の多くは新法案が準備されていることすら知らず、当然その起草にも関わっていないという。
石油監視団体「プラットフォーム」の研究員グレッグ・ムティットはこう報告する。
「最近、イラクの国会議員の会合に出席した際、例の法案を目にしたことがあるか聞いたところ、見たと答えたのは二〇人中一人だけだった」。
「現下のイラクには交渉を有利にまとめるだけの力がないため、(もしこの法案が通過したら)大損を被ることになる」という。

 イラクの主要労働組合は「石油の民営化だけは越えてはならない一線」だとして反対を表明し、共同声明のなかで、この法案は「いまだ占領状態に置かれるイラク国民が自国の未来を模索しているさなかに」エネルギー資源を奪い取る企てだとして厳しく非難した。

イラクの国有石油資源を石油独裁者の管理に任せてしまう法律
 二〇〇七年二月、イラク政権が最終的に採用した法律は予想された以上にひどい内容だった。外国企業がイラク国内で得る利益にはなんの制限もなく、投資企業がイラク企業と提携する際の出資比率や、油田でイラク人労働者をどの程度雇うべきかについての規定もいっさいなかった。
なかでも厚顔無恥と言うべきなのは、将来の石油契約に関してイラクの国会議員はなんら発言権も持たないという規定である。代わりに設置されるのが「連邦石油ガス協議会」で、『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば「イラク内外の石油専門家で構成される委員会」から助言を得るという。選出によらない協議会が、不特定の外国人の助言を得て石油に関連するすべての事柄に最終的決定権を持ち、イラクがどの契約にサインすべきかを決定する全面的な権限も持つというわけだ。
これは事実上、イラクの主要財源である国有石油資源を民主的管理の対象から外し、富と権力を持つ石油独裁者の管理に任せることに等しい。しかもこの独裁者たちは、機能不全に陥ったイラク政府とともに存在し続けることになる。

「バグダッド・ブーム」:
いっそう緻密に整備された戦争民営化産業の形成
 ラムズフェルドが徹底して無駄を省く「ジャストインタイム方式」の戦争を構想し、戦闘の中核を担う少数の兵力しか送り込まなかったこと、そしてイラク戦争初年度に国防総省と退役軍人省合わせて五万五〇〇〇人の人員削減を断行したことにより、あらゆるレベルの業務を民間が肩代わりするようになった。
イラクが混乱のスパイラルに陥れば陥るほど、最小限に抑えられた軍隊をバックアップするために、いっそう緻密に整備された戦争民営化産業が形成された。イラク現地でも、本国アメリカで傷病兵の治療にあたるウォルター・リード陸軍病院でも事情は同じだった。

ラムズフェルドが兵力増強を必要とする方法を断固拒んだ結果として、軍は戦闘兵力を補強する手段を見つける必要に迫られた。そこへ民間セキュリティー会社がどっとイラクへなだれ込み、要人の警護から基地の警備、請負企業関係者のガードマン役まで、兵士が担っていた任務を肩代わりするようになる。だがいったん現地に入ると、混乱に対処するためにその任務内容はさらに拡大していった。

①戦闘を担当するブラックウォーター社
 ブラックウォーター社の当初の契約任務はプレマーの身辺警護だったが、占領から一年後には本格的な街頭戦に加わるようになった。二〇〇四年四月、ナジャフ市でサドル師率いるマフディ軍が蜂起すると、同社はアメリカ海兵隊の実戦部隊に加わるよう指令を受け、九一日に及ぶマフディ軍との戦闘に参戦した。この戦闘では数十人のイラク人が命を落とした。
 
 占領開始時、イラクにはおよそ一万の民間人兵士が駐留していたと見られるが、これはすでに湾岸戦争での民間兵の数をはるかに上回る。米国会計検査院の報告によると、その三年後にイラクには全世界から四万八〇〇〇人の民間兵士が配備されていたが、この数は米軍に次ぐ第二の規模で、アメリカ以外の「有志連合」の兵力の総数をも上回っていた。
こうして闇に包まれ、世に疎んじられた傭兵ビジネスという分野が全面的に英米の戦争機構に組み入れられていき、経済紙はそれを「バグダッド・ブーム」と呼んだ。

 ブラックウォーターはワシントンの辣腕ロビイストを雇って公的表現から「傭兵」という言葉を消すよう画策し、自社を一大アメリカブランドへと変貌させた。同社のCEOエリック・プリンスはこう強調する。「フェデラル・エクスプレスが航空貨物事業でやったことを、国家安全保障の領域で目指す、というのがわが社のモットーなのです」

②尋問、取調べを担当するCACIインターナショナル
 戦争がイラク市民を大量に拘束する段階に入ると、訓練を受けた取調官やアラビア語通訳者が大幅に不足し、新たな拘束者から情報を聞き出すことができなくなった。
なんとしても尋問官や通訳を増やさなければならない必要から、人員の補充は民間軍事企業CACIインターナショナルに外注された。同社のイラクにおけるもともとの契約は米軍への情報テクノロジー関連のサービス提供だったが、契約の文言が曖昧なことから「情報テクノロジー」には「尋問」も含まれるという拡大解釈がなされた。この”柔軟性”は初めから計算に入っていた。CACIは連邦政府への人材派遣を請け負う新種の契約企業のひとつであり、曖昧な表現による契約を交わして政府の要請に対応できる大量の人材をそろえ、どんな職種の人材もすぐに提供できる態勢を整えているのだ。CACIがストックする人材には、政府職員のような厳しい職業訓練や身元調査は必要なく、人材派遣の要請はまるで事務用品を注文するようにお手軽だった。こうして何十人もの取調官が即座に現地へ送り込まれた。

*問題は、契約事業に監視の目がほとんど届かないことだ。アブグレイブ刑務所の不祥事を調査した米軍の内部報告によると、取調官の監視を担当する政府職員はアブグレイブはおろかイラクにも来ておらず、「契約の管理はきわめて困難であり、不可能でさえあった」という。
報告書の執筆者であるジョージ・フェイ陸軍将軍は、政府の「取調官やアナリスト、指導者らには民間の取調宮を受け入れる用意がなく、これらの民間人の管理や統制、規律訓練に関する十分な教育も受けていなかった。(中略)アブグレイブ刑務所において、契約履行に関する適切な監視が確実な形で行なわれていなかったのは明らかである」と結論づけている。

③燃料輸送、車両・無線のメンテナンスを担当するハリバートン
 イラクの混迷で最大の利益を得たのはハリバートンだった。イラク侵攻以前、同社はフセインの退却部隊が油田に放火した場合の消火活動契約を受注していた。実際には放火は行なわれず、同社の契約は拡大解釈されて新たな業務 - イラク全土への燃料供給 - を含むことになる。その規模の大きさは、「クウェートから使用可能なタンクローリーをすべて買い取ったうえ、さらに数百台を輸入した」ほどだった。さらに同社は兵士を他の任務から解放して戦闘に専念させるという名目で、軍用車両や無線のメンテナンスなど、従来は軍が行なっていた何十もの任務を引き受けた。

④新兵採用業務を担当するサーコやL-3コミュニケーションズ
 戦争が長引くにつれ、新兵採用までもが急速に営利目的のビジネスと化した。二〇〇六年には、民間ヘッドハンティング会社のサーコや大手軍事企業L-3コミュニケーションズの一部門が新兵採用業務を手がけ、採用担当者(軍隊経験のない者も少なくなかった)には、兵士を一人採用するごとにボーナスが支払われた。ある会社の広報担当者は「ステーキが食べたかったら、どんどん人を軍隊に入れればいい」と得意げに話している。

⑤兵士訓練を担当するキュービック・ディフェンス・アプリケーションズやブラックウォーター
 ラムズフェルドの采配のもと、兵士訓練のアウトソーシングも活況を呈した。キュービック・ディフェンス・アプリケーションズやブラックウォーターでは、民営の訓練施設に兵士を送り込み、本物に似せて造ったイラクの村で民家を一軒一軒襲撃するといった実戦形式の戦闘訓練を施した。

⑥医療サービスを担当するヘルス・ネットやIAPワールドワイド・サービス
 ラムズフェルドは二〇〇一年九月一〇日に行なったスピーチで戦争民営化への意気込みを初めて示したが、そのおかげで病気や心的外傷後ストレス障害を抱えて祖国に帰還した兵士も、民間の医療施設で治療を受けることになった。心的外傷を多く生み出したイラク戦争は、こうした民間医療企業に思いがけない利益をもたらした。
そのうちのひとつヘルス・ネットは、イラクで心的外傷を負った帰還兵士が多数に上ったことが主な理由で、二〇〇五年の『フォーチュン500社』の第七位にランクされた。
IAPワールドワイド・サービスも、ウォルター・リード陸軍病院が行なっていた医療サービスの多くを肩代わりして大きな利益を上げた。だが民営化によって、公務員として働いていた一〇〇人以上の熟練医療職員が解雇され、医療現場の崩壊は目を覆うばかりになったとされる。
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2015年2月23日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(120) 「第18章 吹き飛んだ楽観論-焦土作戦への変貌-」(その4) : 「ブッシュ政権内の惨事便乗型資本主義者たちはイラクの過去を消し去るどころか、混乱をかき立てただけだった」

千鳥ヶ淵戦没者墓苑のウメ 2015-01-20
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混乱の増幅、報復の繰り返し
ブッシュ政権内の惨事便乗型資本主義者たちはイラクの過去を消し去るどころか、混乱をかき立てただけだった。過去の歴史を一掃した白紙状態を作るどころか、昔ながらの対立抗争がふたたび表面化して復讐が復讐を呼び、カルバラのモスクで、サマラで、市場や省庁で、病院で、報復のための攻撃がくり返されることになった。

増派戦略で対応
こうなると、当然の帰結としてさらなる攻撃が必要になる。ショックの投与量を増やし、ボタンを長く押し続け、苦痛を、爆撃を、拷問を増大させることが求められる。

・・・リチャード・アーミテージ元国務副長官は・・・、問題はアメリカの態度が生ぬるいことにあると結論するに至った。

「人道に配慮した連合軍の戦法が、けっきょくはイラク人をまとめるのを困難にしている今のような状況を生み出した。(第二次世界大戦後の〉ドイツや日本では、人々はショックに打ちのめされ疲れ果てていたが、イラクの状況はそれとは正反対だ。われわれが敵に対して迅速な勝利を収めた結果、ドイツや日本とはまるで違う状態が生まれた。(中略)われわれはショックも受けず、怯えてもいないイラク国民を相手にしているのだ」。

二〇〇七年一月の時点でも、ブッシュと側近たちは大規模な「増派」を行なってイラク統治の「ガンとなっている」サドル師を退治すれば、イラクを掌握できると確信していた。・・・まず「バグダッド中心部から抵抗勢力を一掃し」、サドル師の軍隊がバグダッド北東部のサドルシティーに移動すれば、「このシーア派拠点も武力制圧する」という筋書きだった。

国丸ごと消滅しつつあるイラク
国民の一部どころか国を丸ごと消去しようという戦術が取られた結果、イラクはまさに消滅し、崩壊しつつある。

最初に姿が見えなくなったのは - こうした場合の常で - 女性と子どもだった。女たちはベールに身を隠して家の中に引きこもり、次に学校から子どもたちの姿が消えた。二〇〇六年時点で児童の三分の二は学校に行っていない。

次に姿を消したのは、医師、大学教授、起業家、科学者、薬剤師、判事、弁護士など各分野の専門家だった。アメリカの侵攻以降、暗殺部隊によって推定三〇〇人の学者が殺害されたが、そのなかには大学の学部長も数人含まれる。イラクから脱出した学者は数千人に及ぶ。医師の運命はさらに悲惨で、二〇〇七年二月までにおよそ二〇〇〇人の医師が殺害され、一万二〇〇〇人が国外へ脱出した。

二〇〇六年一一月、国連難民高等弁務官事務所は推定三〇〇〇人のイラク人が毎日国外へ脱出していると報告している。同事務所によれば、二〇〇七年四月までに四〇〇万人のイラク人が自宅退去を余儀なくされたが、これは概算で国民の七人に一人にあたる。これらの難民のうち、アメリカが受け入れたのはわずか数百人にすぎない。

ブームとなった「誘拐」ビジネス、新たな成長産業となった「拷問」
イラクの産業がことごとく崩壊する一方、国内でブームとなった数少ないビジネスのひとつが「誘拐」だった。
二〇〇六年初めの三ヵ月半だけで、イラクでは二万人近くの人が誘拐された。国際メディアが注目するのは欧米人が誘拐されたときだけだが、被害者のほとんどは出勤か帰宅途中で連れ去られた専門職のイラク人だった。家族は米ドルで何万ドルもの身の代金を用意できなければ、死体安置所で遺体を確認するしかなかった。
「拷問」も新たな成長産業となった。人権団体の調べによると、イラク警察が拘束者の家族に拷問をやめる引き換えとして数千ドルを要求するケースは数え切れないほどあるという。まさに惨事便乗型資本主義のイラク国内バージョンと言っていい。

更なる増派と爆撃の繰り返し
その土地の住人が自分たちの過去を放棄するのを拒めば、たちまちある国を「白紙状態」にするという夢想は、その”分身”たる「焦土作戦」へと変貌する。そして「すべてを作り直す」という夢想は「すべてを破壊し尽くすこと」へと形を変えるのだ。

イラク全土を巻き込んだ予期せぬ反乱は、戦争立案者たちの破壊的な楽観論が産み出したものにほかならない。それは一見無害で理想的な響きすらあった「新たな中東のモデル国家」という言葉によって、すでに運命づけられていたのだ。イラク崩壊の根源には、新たな物語を書き込むための白紙状態を要求するイデオロギーがあった。そして真っ白なキャンバスが得られないことが明らかになると、その信奉者たちはなんとか約束の地にたどり着こうと、さらなる爆破と増派をくり返していったのである。

敗北、あるいは成功の新局面
うち続く失敗、敗北
二〇〇四年四月、私(著者ナオミ・クライン)の乗ったバグダッド発の飛行機は、治安が悪化する一方のイラクから逃げ出す外国請負業者の関係者で満席だった。ファルージャとナジャフは完全包囲され、その週だけで一五〇〇人の請負事業関係者がイラクを去り、今後もさらに多くの脱出者が続くと予想されていた。

『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、二〇〇七年五月までに九〇〇人以上の請負事業関係者が命を落とし、「一万二〇〇〇人以上が戦闘に巻き込まれ、あるいは職務中に負傷した」。企業をイラクに誘致しようと全力を挙げたプレマーの努力も空振りに終わった。HSBCしかり、合弁事業計画を保留にしたプロクター&ギャンブルやゼネラル・モーターズもしかり。かつて「ウォルマート一店でイラク全土を乗っ取ることができる」と豪語した投資顧問会社ニュー・ブリッジ・ストラテジーズも、「マクドナルドのイラクへの出店は当分ありそうもない」と負けを認めている。ベクテルの復興事業契約が水道や電気システムの運営管理を行なう長期契約へとスムーズに移行することもなかった。二〇〇六年末の時点で、ブッシュの反マーシャル・プランの中心にあった民営化復興事業のほとんどは途中で放棄され、なかには一八〇度方針転換したケースもある。

イラク政策の方針転換:イラク企業の復興事業参加、イラク国営工場の再稼動
イラク復興事業の監査にあたったスチュアート・ボーウエン特別監査官の報告によれば、イラク企業が直接契約した数少ない事業のほうが「効率的かつ安価であり、イラク国民に職を与えたことで経済も活性化させた」という。イラクという国についての知識もなくアラビア語も話せない動きの鈍い多国籍企業(護衛として日給九〇〇ドルの傭兵を雇うなど、諸経費が契約予算の五五%にも上る)を使うのではなく、当のイラク国民に資金を出して自国の復興を任せたほうがよほど効率がいいことが判明したのだ。

バグダッドのアメリカ大使館で医療顧問を務めるジョン・C・パワーソックスは、イラク復興の最大の問題はあらゆることをゼロから作り直そうという考えだ、と言い切る。「二年間で医療保険制度を丸ごと変えようなどというのではなく、低予算で少しずつ手直しをしていく方法を取れたはずだ」と彼は言う。
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2015年2月15日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(119) 「第18章 吹き飛んだ楽観論-焦土作戦への変貌-」(その3) : 「アブグレイブは反米抵抗勢力の温床となった。・・・辱めや拷問を受けた連中は今すぐにでも報復してやろうという気になった。誰がそれを非難できるというんだ?」

北の丸公園 2015-02-13
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シリア国境近く、アルカイム近郊の軍事基地(「タイガー」)内の刑務所では・・・
 イラク国内にはこのほかにも、CIA方式による「感覚遮断」を拘束者に施す施設が各地に点在し、・・・。もう一人の軍曹は、シリア国境に近いアルカイム近郊にある「タイガー」と呼ばれる軍事基地内の刑務所について語った。

 そこに収容されていた二〇~四〇人の拘束者は目隠しをされて手錠をかけられ、うだるような暑さの金属製の輸送用コンテナの中に二四時間閉じ込められた。「眠らせず、食料も水も与えなかった」と、この軍曹は証言する。感覚遮断の状態に置かれたあと、拘束者はストロボライトと大音響のヘビーメタル音楽を浴びせられたという

ティクリート近くの特殊部隊基地では・・・
 ティクリート近くの特殊部隊基地でもこれと似た手法が使われた。
閉じ込められる空間はさらに小さく、箱の大きさは縦横が各一・二メートル、奥行きは五〇センチと、大人であれば立つことも横たわることもできない。これはかつて南米南部地域で使われたものとそっくりだ。拘束者は感覚を極度に剥奪された状態で、長ければ一週間も閉じ込められた。拘束者の少なくとも一人は米兵から電気ショックの拷問を受けたとも証言しているが、米兵らはその事実を否定している。

報道されない事件:電気ショックを与えた罪で実刑判決
 だが、議論に上ることはほとんどなかったものの、米兵が実際に電気を使って拷問を行なったことを裏づける重要な証拠がある。
二〇〇四年五月一四日、二人の海兵隊員が一ヵ月前にイラク人拘束者に電気ショックを与えた罪で実刑判決を下されたが、これについてはほとんど報道されていない。米国自由人権協会が入手した政府報告書によれば、一人は「電気変圧器を使い(中略)拘束者の肩の辺りに針金を押し当て」、そのショックで「拘束者が”踊り出す”」まで使い続けたという。

アブグレイブ刑務所に拘束されたハジ・アリ(かつて地区長を務めたこともある)の場合
 ハジ・アリによれば、彼も頭巾をかぶせられ、箱の上に立たされて体のあちこちに電気コードを装着されたという。同刑務所の看守らはコードに電流は通さなかったと主張したが、アリはPBSのインタビューで「電気ショックをかけられたとき、目の玉が飛び出すかと思った」と語っている。

 他の何千人もの拘束者と同じように、アリは「誤認逮捕だった」と言われて無罪放免となり、トラックで運ばれて解放された。赤十字によると、米軍当局はイラクで拘束された者の七〇~九〇%は「誤認逮捕」だったと認めているという。

こうしたイラク人拘束者の多くが報復感情を抱いているとアリは言う。
「アブグレイブは反米抵抗勢力の温床となった。(中略)辱めや拷問を受けた連中は今すぐにでも報復してやろうという気になった。誰がそれを非難できるというんだ?」

第八二空挺部隊のある軍曹の話
 「そいつが善人だったとしても、俺たちの扱いのせいで悪人になっちまったわけだ」と、第八二空挺部隊のある軍曹は話す。この部隊が駐屯していたファルージヤ近くの米軍基地にある仮設刑務所はとりわけ残忍なことで知られ、イラク人からは「殺人マニア」と呼ばれていたが、当の兵士たちはそれを誇りにしていたという。

イラク人が管理する刑務所はもっと過酷
 アメリカは自らの目的遂行のために拷問を容認し、イラクで新たな警察組織を監督・訓練しようというまさにその出発点で、低劣な基準を設定してしまったのだ。

 二〇〇五年一月、ヒューマンライツ・ウォッチは、アメリカの監督のもとでイラクが運営する刑務所および収監施設において、電気ショックを含む拷問が「組織的」に行なわれていることを突きとめた。米軍第一機甲師団の内部報告によると、「電気ショックおよび首を絞める」拷問は、イラク警察やイラク軍兵士によって「自白を引き出すために常時使われている」という。

 またイラク人看守は、中南米諸国における拷問で常用された電気ショック用の牛追い棒も使用していた。二〇〇六年三月、『ニューヨーク・タイムズ』紙は「裸にされ、天井から吊るされた」ファラジ・マフムードという人物の体験を紹介している。「電気ショック棒を性器に当てられると体が壁に跳ね返った、と彼は言う」

『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』記者の従軍取材
 二〇〇五年三月、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』のピーター・マース記者は、ジェームズ・スティールが訓練にあたった特別奇襲部隊に従軍取材した。マースが訪れたサマラの元市立図書館は死の臭いが漂う刑務所に転用されており、建物の中には目隠しをされ手錠をはめられた者や、殴打されて血だらけになった者もいた。「血がしたたり落ちた跡」のある机も目にした。嘔吐する音や「正気を失った者や発狂しそうな者が出すような背筋のゾツとする」叫び声が聞こえたとマースは書く。また、「拘置所の中か建物の裏から聞こえてくる」二発の銃声もはっきり耳にしたという。

一般市民に恐怖心を植えつけるために意図的に残された拷問の痕跡
 二〇〇五年にはイラクでも、(エルサルバドルと)同様の脅しのメッセージを日常的に目にするようになった。イラク特殊部隊(通常は内務省と通じている)に拘束されたのを最後に目撃された人々が、その後無残な死体となって見つかるのだ。頭部に一発の銃弾の跡があったり、後ろ手に手錠をかけられていたり、なかには頭蓋骨に電気ドリルの穴が開いていることもある。

 二〇〇五年一一月の『ロサンゼルス・タイムズ』紙の記事によれば、バグダッドの死体安置所には「毎週、何十体という遺体が一度に運び込まれ、なかには警察の手錠をかけられた死体も数多くある」という。金属製の手錠の多くは死体安置所で回収され、警察へ返却された。

イラク国営テレビ局アルイラキア(アメリカの資金により運営)の番組「正義によって裁かれるテロ行為」
 このシリーズは「エルサルバドル化」したイラク特殊部隊の協力を得て制作されたもので、釈放された拘束者たちはその制作の手口を次のように説明する。

 まず、たいがいは一斉襲撃によって手当たり次第に捕まえた人物に暴行や拷問を加え、なんらかの罪を働いたことを「白状」しないと家族に危害が及ぶと脅迫する(そんな罪は誰も犯していないことを弁護士が証明したものもある)。

 次にビデオカメラが持ち込まれ、拘束者の「自白」の様子 - 反乱グループの一員だった、盗みを働いた、同性愛者だ、嘘をついた、などなど - が録画される。イラク国民は毎晩、ひと目で拷問されたとわかる、あざだらけで腫れ上がった顔の人物が自白する様子を見せられるのだ。「この番組は一般市民にきわめて高い効果をもたらした」と特殊部隊のリーダー、アドナン・タビトはマース記者に語っている。

内務省の地下牢で発見された173人の拘束者
 「エルサルバドル・オプション」が最初にメディアで取り上げられてから一〇ヵ月後、・・・二〇〇五年二月、内務省の地下牢で一七三人のイラク人拘束者が発見される。拷問によって皮膚がむけた者や、頭に電気ドリルの跡がある者、歯を抜かれたり爪を剥がされたりした者もいた。解放された拘束者は殺された者もいたと証言し、内務省地下牢で拷問の末に死に至った一八人の名前を挙げだ - イラク版の「行方不明者」である。
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