毎日新聞 2015年05月21日 02時40分
安倍晋三首相と民主党の岡田克也代表らの党首討論で、安全保障関連法案をめぐる論戦が事実上始まった。岡田氏は集団的自衛権の行使容認に伴い自衛隊の武力行使が他国領に及ぶ可能性を聞いたが首相の説明はあやふやで、法案が抱える矛盾の一端を早くものぞかせた。
戦後の安全保障政策を転換させる法案の国会提出直後で注目された討論だ。だが核心部分で首相が正面から質問に答えない場面が目立った。
関連法案をめぐり岡田氏はまず、自衛隊による米軍などへの後方支援の拡大をめぐる認識をただした。
後方支援が可能な地域は今回の法案では「現に戦闘行為が行われている現場」以外であればよいと、従来の非戦闘地域よりも拡大される。岡田氏は「自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクが高まることを認めるべきだ」と迫ったが、首相は「戦闘が行われれば現場判断で退避、一時中止される」と強調した。「(法改正は)リスクとはかかわりがないこと」とかわし、リスクが増すかどうかは最後まで答えなかった。
それ以上に解せないのは、集団的自衛権の行使容認をめぐる説明だ。岡田氏から「(新法制で)自衛隊による他国の領土、領海、領空での武力行使は生じないのか」と重ねて聞かれ、首相は「戦闘、作戦行動目的で他国の領土、領海、領空で武力行使はしない」と答えた。
だが「戦闘目的で」と留保をつけたとはいえ、そもそも集団的自衛権の行使を容認する武力攻撃事態法改正案は「存立危機事態」など3要件を満たした場合の他国領も含む武力行使を法律上の前提としたのではないか。もし首相の言うとおりなら、今回の法案もより明確な歯止めをかけられたはずだ。岡田氏は首相の説明に納得せず「(それなら)はっきり法案を修正すべきだ」とたたみかけた。本質を覆うような答弁は法案と矛盾しかねず、根幹にかかわる。
歴史認識も討論では取り上げられた。共産党の志位和夫委員長はさきの戦争について「間違った戦争と考えるのか」と聞いたが、首相は答えなかった。
首相が討論で「われわれが提出する法律の説明はまったくただしい。私が総理大臣なんですから」と言う場面もあった。総じて、正面から議論に応じ、理解を求めようとする姿勢が乏しかったのではないか。
今回、岡田氏が多岐にわたる法案からポイントを整理して首相に見解を聞き、国民に問題点を示した姿勢は理解できる。だが、法案が審議入りすれば民主党がどこまで自衛隊の活動を認めるかの立場も問われる。党首討論をスタート台に、より建設的な議論を求めたい。
時事ドットコム
安倍首相答弁、抽象論に終始=「国民理解」程遠く-安保法制
今国会初となった20日の党首討論で、安全保障関連法案をめぐる論戦がスタートした。民主党の岡田克也代表は、安倍晋三首相が「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にあり得ない」と発言したことを問題視し、具体的な説明を要求。しかし、首相は武力行使の新3要件により「歯止め」がかかっているとの公式答弁に終始した。具体論には深入りせず、抽象論で法案審議を乗り切ろうとする首相の姿勢が鮮明となり、国民の理解は容易に深まりそうにないことを早くも印象付けた。
岡田氏は討論で「国民に正直に、こういうリスクがあるがやっぱり必要だと説明しないと絶対に理解されない」と強調。米軍が日本周辺地域で第三国と戦闘に入った際の自衛隊の活動について「米国が武力行使することで、その跳ね返りが日本にくることは当然考えられる」とただした。
これに対し首相は、国の存立が脅かされる明白な危険の発生など新3要件を満たさなければ「自動的に(自衛隊が)行くことはあり得ない」と反論。「われわれは武力行使はしないし、後方支援活動でも戦闘現場になれば直ちに撤収していく。巻き込まれ論はあり得ない」と述べた。
岡田氏は集団的自衛権の行使に当たり、自衛隊の活動範囲が「相手国の領土、領空、領海に及ぶのは当然だ」とも指摘したが、首相は「必要最小限度の実力行使にとどまる」とした新3要件を盾に、「他国の領土に戦闘行動を目的に派兵することはない」と主張した。
自衛隊が戦闘に巻き込まれる危険性を断定口調で否定し続ける首相に岡田氏が業を煮やし、「私は一つも納得できない。間違っている」と声を荒らげると、首相は「法案についての説明は全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と言葉尻を捉えて反論する場面もあった。
首相としては、実際の事態が発生していない以上、相手の議論の土俵に乗って具体論に踏み込むことのないよう「安全運転」に徹した格好だ。討論後、岡田氏はこうした首相の姿勢について記者団に「聞いていないことを延々と答えており、国民に分かるはずもない」と不満を表明。首相の答弁ぶりから、国民の理解を促す努力を怠っていると訴えていく構えを示した。(2015/05/20-21:02)
今日の党首討論の中で、一番ひっかかったのは、「我々の法案の説明は全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」という部分。これ、論理的には破綻しているのだけれど、「総理大臣は常に正しい、私が総理大臣であり、私の説明は常に正しい」という信仰だとすれば納得がいく。
— 平川克美 (@hirakawamaru) 2015, 5月 20
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