2015年5月20日水曜日

安倍晋三のアレなのがまたバレた : 【悲報】安倍首相、ポツダム宣言をまともに読んでいないことを国会で激白 (BUZZAP) / 志位委員長の党首討論 (youtube) / 知識の欠如をあらわにした安倍晋三の「歴史認識」 / 志位委員長 「日本が過去にやった自らの戦争の善悪の判断ができない総理に、米国の戦争の善悪の判断、出来るわけ無いじゃないですか」 / たとえ「アレ」と揶揄されようと、村山・小泉談話を踏襲するとまではギリギリ言うけど、口が裂けても絶対に「侵略戦争」とは言いたくない、のか / いやいや、ナチュラルな「アレ」だ、というヒトもいますね / NHKニュースWEBのつぶやきビックデータ。 「ポツダム宣言」でかいな〜笑。でもノータッチ。 / 「ポツダム宣言」がトレンド入りしたらしい、ってよ /   


志位委員長の党首討論


BUZZAP
【悲報】安倍首相、ポツダム宣言をまともに読んでいないことを国会で激白
2015年5月20日18:18 by 深海 |

「戦後レジームからの脱却」をスローガンに改憲をめざす安倍首相が、その戦後レジームの発端となるポツダム宣言をまともに読んでいないことを国会で自ら明らかにしてしまいました。信じられません。

この衝撃の事実が明らかになったのは本日の安倍首相と共産党の志位和夫委員長の党首討論。志位委員長は「過去の日本の戦争は間違った戦争であるという認識はあるか」という論点の中でポツダム宣言に着いて安倍首相に質問します。

志位:ポツダム宣言は日本の戦争について第6項と第8項の2つの項で、間違った戦争だという認識を明確に示しております。総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないのですか?

安倍:このポツダム宣言を我々は受諾をし、そして敗戦となったわけです。そして今私もつまびらかに承知をしているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国の理解、例えば日本が世界征服を企んでいたということ等を今ご紹介になられました。

私はまだその部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから今ここでただちにそれに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、まさに先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけでありまして、我々はそのことは忘れてはならないと思います。

動画での該当部分は4:10過ぎから。なお、ご覧のとおり安倍首相は志位委員長の「過去の日本の戦争は間違った戦争であるという認識はあるか」という質問からはのらりくらりと逃げ続け、結局認識があるかないかの回答はしていません。

まさか戦後レジュームからの脱却を謳い、改憲を強力に推し進める政権のトップである安倍首相が、戦後レジュームの根本であるポツダム宣言をまともに読んでおらず、この程度の質問に対しても正面から答えられないというのは衝撃を通り越して呆然とするしかありません。

ネット上では呆気にとられる声が相次いでいる他、ツイッターのトレンドのトップに「ポツダム」が踊り出るなど反響が広がっています。

なお、ポツダム宣言は以下の政府サイトで閲覧が可能。

憲法条文・重要文書 日本国憲法の誕生

この全文が非常に読みにくいため、こちらのサイトでは独自訳を掲載しています。

ポツダム宣言 全訳

英語原文はこちら。日本語の公式訳文とは全く違って平易な英語で書かれいてるため、高校生レベルの英語でも読解可能です。せっかくの機会なので、訳文と突き合わせながらじっくり読んでみても良いかもしれません。

Potsdam Declaration Birth of the Constitution of Japan

また、安倍首相は2005年には「諸君!」という雑誌の対談でポツダム宣言に関する驚くべき認識の間違いを示していたことも再び脚光を浴びています。

もう廃刊になった『諸君!』(2005年7月号)という雑誌での対談では、当時の国会での「靖国参拝は、日本が軍国主義化に向かう象徴であり、ポツダム宣言に反する」という野党議員の質問が気に入らなかったらしく、次のように述べている。

「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかり叩き付けたものです。そんなものをもちだし、あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で、日本の総理を責めあげる」

政治家なら、せめて日本の敗戦過程の初歩的知識ぐらいあってしかるべきだ。広島原爆投下は2945年の8月6日で、長崎は9日だ。ポツダム宣言が提示されたのは7月26日だから、順がまるで逆である。

(知識の欠如をあらわにした安倍晋三の「歴史認識」-集中|MEDICAL CONFIDENTIALより引用)

自らが政治的に目指す先の、その土台すら満足に勉強することができていない安倍首相。総理大臣失格とされても全く反論のできない体たらくと言えるでしょう。


知識の欠如をあらわにした安倍晋三の「歴史認識」

平沢勝栄という、警察官僚出身の自民党衆議院議員がいる。現在は党の総務副会長という要職にあるが、この議員にまつわる逸話で最も知られているのは東大法学部の学生時代、安倍晋三首相の家庭教師をしていたという経歴かもしれない。本人によれば当時、よく首相を「定規でたたいた」とかで、「私が教えなかったら成蹊大学も受からなかった」というから、頭の出来がよほど悪かったのだろう。

首相本人は、祖父の岸信介元首相の「DNA」を口にすることがあるようだが、東大の歴史に残る秀才と呼ばれた祖父と比較するべくもないのは間違いなさそうだ。しかも後援会向けパンフレットなどに「南カリフォルニア大学(USC)政治学科2年間留学」と記していながら、同大によると在学していたのは1年だけで、学士の資格も取っていなかった。学歴詐称まがいだが、永田町界隈では「留学といいながら遊びほうけていた」というのが定説になっている。

無論、学歴や学力が即リーダーの条件ではない。だが、「頭の出来の悪さ」はその条件から真っ先に排除されるべき項目であるのも事実だ。昨年は一部週刊誌が首相の施政方針演説の原稿に、小中学生並みの漢字にわざわざ平仮名が振られた写真をスクープしたが、実際に雑誌などでの対談では勇ましい発言をする割には、首を傾げる内容も少なくない。

もう廃刊になった『諸君!』(2005年7月号)という雑誌での対談では、当時の国会での「靖国参拝は、日本が軍国主義化に向かう象徴であり、ポツダム宣言に反する」という野党議員の質問が気に入らなかったらしく、次のように述べている。

「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかり叩き付けたものです。そんなものをもちだし、あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で、日本の総理を責めあげる」

政治家なら、せめて日本の敗戦過程の初歩的知識ぐらいあってしかるべきだ。広島原爆投下は1945年の8月6日で、長崎は9日だ。ポツダム宣言が提示されたのは7月26日だから、順がまるで逆である。

それでも、この程度ならまだ「勘違い」で済まされる余地がないでもないが、こと関係が微妙となっている近隣諸国についての歴史について疎いと、事は深刻度を増す。同じ対談で、次のような発言がある。

「日本が戦った相手は現在の共産党政府ではなく、国民党政府なのですが、そうした事実を抑え込み、栄光の歴史をつくりあげる。そのうえにおいては、より日本軍が残虐であったと示すほうがいい。それが、『反日教育』につながったのではないか」

これも、日中戦争の初歩的知識が欠落しているのを示している。現在の中国人民解放軍の前身である八路軍(国民革命軍第八路軍)という名称ぐらい知らないのだろうか。防衛省防衛研究所戦史室編の『支那事変陸軍作戦』シリーズでも目を通すべきだ。北支(中国北部)で帝国陸軍が八路軍のゲリラ戦術に悩まされていた事実がよく理解できる。

従軍慰安婦は「連行」より「強制」が問題 

例の従軍「慰安婦」問題にしても、以前から「(慰安婦への)強制性、狭義の意味での強制性があったかなかったかということは重要ではないか」、「今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏付けるものは出てきていなかった」(06年10月5日の衆議院予算委員会)といった類いの発言を繰り返してきた。第一次安倍内閣時代の07年には、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という閣議決定までしている。

だが、この問題の核心は「連行」における強制の有無ではない。彼女たちの大半はウソや甘言でだまされたり、人身売買に近い状態で海外の「慰安所」に送られているが、そこで帰国はおろか外出の自由すら与えられずに、拒否したら暴力を振るわれるなど性行為を文字通り「強制」されたという事実が重要なのだ。しかも、「強制連行」を示す「資料」もある。

典型的なのは、1944年にインドネシア・ジャワのアンバラワとスマランにあった五つの収容所からオランダ人女性と混血女性約35人が慰安所に連行され、慰安婦にされた事件の公判記録(注=48年に設置されたバタビヤでの臨時軍法会議録。軍人ら13人が裁かれた)だ。これで「見当たらなかった」とは、よほど政府が怠慢であるのか。

こうした歴史の知識の欠如、あるいは無知を示す例は他にも事欠かないが、これでは隣国との関係もおかしくなろう。しかもこのような首相の資質は、昨年末の靖国神社参拝後をピークにして、過去に例がなかったような日本の首相への海外メディアの批判殺到という事態を招いたことと関連している。

「戦後レジーム」をめぐる思考破綻 

いくら安倍首相や取り巻きの言論人らが参拝を正当化しようが、現在の日本が交易を通じて享受している国際社会の秩序は旧連合軍の戦後処理が前提になっている。そうである以上、中国や韓国ならずとも、31年の満州事変以降、他国への拡張主義的行動を続け、最後は自爆的な対米英蘭豪戦争へと進んだ責任者を「英霊」とあがめる施設に首相が訪れるというのは、海外からは「自滅的な行動」(『エコノミスト』誌2014年1月18日号)と受け止められ、「欧米の同盟諸国をとことん気まずくさせる(『フィナンシャル・タイムズ』紙13年8月12日)のだ。

この秩序も気に食わないというならもはや子供じみているが、ポツダム宣言を「そんなもの」呼ばわりするのもそのためかもしれない。しかも、次のような発言もある。

「日本はサンフランシスコ講和条 約によって独立を果たしますが、その独立を国民的に祝うことをしていないのです。......戦後レジームの中で昭和20年8月15日以前の日本の歴史は様々なかたちで否定されてきました。それは日本人としてのアイデンティティーと誇りを打ち砕いています」(『正論』10年4月号)

「サンフランシスコ講和条約によって独立」できたのは、戦前の軍国主義の「歴史」に「日本人としてのアイデンティティーと誇り」を見いだすような価値観を捨てたからだ。それ以後の「戦後レジーム」とやらが嫌なら、なぜ「独立」して当の「戦後レジーム」が始まった1952年4月28日を記念し、昨年の同日に「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を挙行したのか。

思考の破綻としか形容できないが、これも「頭の出来の悪さ」ゆえなのか。しかもこれほど「歴史」を語りながら、国会では「歴史はあくまでも歴史家に任せるべき」などと発言している。一国の首相は経済政策を経済学者に「任せ」られないのと同様、歴史の認識も自身の職責に関わる。それすら分からないなら、最初から何も言わない方がいいだろう。
2014年5月13日 00:00 | 政治


こういうのは得意なんだけど・・・↓













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