2014年9月19日金曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(103) 「第12章 資本主義への猛進-ロシア問題と粗暴なる市場の幕開け-」(その2) 「ショック療法を推し進めるために深刻な危機を作ってはどうかという案が、初めて大っぴらに話し合われた」

北の丸公園 2014-09-16
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いっさいの制約から放たれたこの自由こそが、まさにシカゴ学派経済=新自由主義=アメリカの「ネオコン」の真髄である
 「いっさいの制約から放たれたこの自由こそが、まさにシカゴ学派経済(あるいは新自由主義、アメリカでは「ネオコン」と呼ばれる)の真髄である。
それは新たに考案されたものではなく、言うなれば資本主義からケインズ主義を取り除いたものであり、独占状態にある資本主義勝手気ままなシステムである。
民衆をお客扱いする必要もなく、どんなに反社会的、反民主的で横暴な振る舞いも許される。
共産主義が脅威であった間は、ケインズ主義が生き延びるのが暗黙のルールだったが、共産主義システムが崩壊した今、ケインズ主義的な折衷政策を一掃することが可能になった。
半世紀前にフリードマンが改革の目標として掲げたことが、ついに成就できるときが到来したのだ。」

1989年、フランシス・フクヤマのシカゴ大学での宣言「歴史の終わり」の真の意味
 「フクヤマは資本主義以外の思想はこの世に存在しないと主張したわけではなく、共産主義の崩壊によって競争相手となるほど十分なパワーを持つ主義主張はなくなった、と主張したにすぎない。」

 「ソ連崩壊で独裁的支配から解放されたロシアを助けようとサックスが意気込んだのに対し、シカゴ学派の同僚たちはそこに別の意味の自由を見ていた - ケインズ主義やサックスのような慈善家ぶったおせっかい焼きを一掃できる、究極の自由が訪れた、と。その観点から見れば、サックスが激怒する関係者の傍観的態度も、「怠慢」のせいではなく、自由放任主義に基づく行動 - そのまま放置しておけ、何も手を出すな ー だったというわけである。

 ディック・チェイニー(父プッシュ政権の国防長官)から、ローレンス・サマーズ(クリントン政権の財務次官)、スタンレー・フィッシャー)IMFチーフエコノミスト)に至るまで、ロシア対策の担当者は全員、ロシアを助けるために指一本動かさなかったが、じつは何もしなかったわけではない。
彼らは純粋なシカゴ学派のイデオロギーを実践し、市場のなすがままに任せたのだ。

 かつてのチリ以上にシカゴ学派のイデオロギーが忠実に実行されたロシアでは、誰もが金儲けに血走るような社会へと突入していく。
そして一〇年後、ロシア対策に関わった彼らメンバーの多くは、イラクでも同じような暗黒世界を創り上げていくことになる。」

1993年1月13日、ワシントン、デュポン・サークルのカーネギー会議センターの10階で”新自由主義者族”を招集しての歴史的会合
 主催は、IMFと世銀の新たな役割を方向づけた大物エコノミスト、ジョン・ウィリアムソン。
招待されたのは、世界の先頭に立ってシカゴ学派の教えを広めてきた政治テクノクラートたち - スペイン、ブラジル、ポーランドの前財務相や現大臣、トルコやペルーの中央銀行総裁、メキシコの大統領首席補佐官、パナマの前大統領。
ジェフリー・サックスの旧友でポーランドのショック療法の立役者として知られるレシェク・パルツェロヴィッチや、サックスのハーバード大学の同僚ダニ・ロドリック(新自由主義に基づく再建を受け入れた国は例外なく危機に陥ったことを証明した経済学者)、のちにIMF理事に就任するアン・クルーガー。
ピノチェト政権閣僚として先頭に立って旗振り役を務めたホセ・ピニェーラは、チリの大統領選出馬のため出席できなかったが、代わりに分厚い書類を送り届ける。
会議はメディアの注目を引かないよう、「政策改革における政治経済」という無味乾燥な名称がつけられていた。

 エリツィンの経済顧問ジェフリー・サックスの講演、タイトルは「経済の緊急治療室における生活」

まず、第2次大戦後にヨーロッパと日本に投入した援助について触れ、それが「のちの日本に驚くべき成功をもたらした」と述べた。

次にフリードマン主義の牙城であるヘリテージ財団のアナリストからの手紙に言及。
その人物は「ロシアに改革が必要であることを確信していながら、国際援助はすべきでないという。これは自由市場主義者 -私もその一人ですが ー によくある考え方です」。

「これは一見もっともらしく見えるが間違っている。なぜならロシア市場が独力でやり抜くのは不可能であり、国際的援助が不可欠だからです」。

自由放任主義への執着のせいでロシアは今や壊滅的状態に陥りつつある。
「ロシアの改革者がいかに勇ましく、優秀で、運に恵まれていようが、大規模な国際援助なしに改革は実現しない。(中略)われわれは今、歴史上の重大なチャンスを逸しつつあるのです」と主張。

反応は冷ややかで、講演後の分科会では、サックスの提案に同調する者はなく、はっきり反対を口にする者も何人かいた。

 「私からすると、サックスはその場の聴衆を見くびっていたのでは、という思いを禁じえない。」

 「そのほとんどは経済崩壊がいかに悲惨で不安定な社会を生むか、十二分に理解していたが、ロシアに関してはサックスとは違う教訓を学びつつあった。苦痛と混乱に満ちた政治状況が続けば、エリツィンは国家財産を急いで売りに出す、と見込んでいたのだ。
それが彼らにとって歓迎すべき結果であるのは間違いない。」

会議の主催者ジョン・ウィリアムソンが発言。
 「ウィリアムソンには差し迫った議題があった。彼が言うところの「危機理論」について最終的な検証を行ないたかったのだ。」

 「ウィリアムソンは講演のなかで、危機に瀕した国を救済する緊急性についてはまったく触れず、それどころか大惨事について熱っぽく語った。
彼は聴衆に、国家は真の苦境に陥ったときにだけ自由市場という苦い薬を飲むことを受け入れる、ということを示す論争の余地のない証拠を挙げてみせた。
どの国家も、衝撃を受けたときに初めてショック療法の前にひれ伏すのだ、と。

抜本的経済改革の必要性を理解する者にとって、こうした最悪の事態はまたとないチャンスになる」と彼は述べた。」

次に
「政治的行き詰まりを解消するため、ことによったら故意に危機を起こすのも一案ではないか、という考えも当然出てくるでしょう。
たとえばブラジルでは、変革を余儀なく受け入れさせるために超インフレを起こしてはどうか、という声もしばしば聞かれました。
(中略)思うに、一九三〇年代半ばのあの当時、歴史的洞察力を持つ者が、ドイツと日本は敗北後の高成長という恩恵を得るためにあえて戦争に踏み切るべきだ、などと主張することはありえなかったでしょう。

 しかし、あれよりももっと軽い危機が生じたときに同じようなプラス成果はないでしょうか? 
戦争のような本物の危機にかかるコストなくして、擬似的な危機の発生によってドイツや日本のような建設的効果を期待できないものでしょうか?」

 「ウィリアムソンの発言は、ショック・ドクトリンへと大きく踏み出したことを示していた。
国際貿易サミットを開催するに足る各国の財務大臣や中央銀行総裁が一堂に会したこの会議の場で、ショック療法を推し進めるために深刻な危機を作ってはどうかという案が、初めて大っぴらに話し合われたのである。」

1993年2月、カナダは深刻な経済危機のまっただなかにあった
 「一九九三年二月、カナダは深刻な経済危機のまっただなかにあった - 少なくとも新聞やテレビを見る限りではそう考えざるをえなかった。カナダ最大手新聞の『グローブ・アンド・メール』紙の一面には「迫る債務危機」という見出しが大きく掲げられ、大手テレビ局の特別番組では「経済専門家たちは、ここ一、二年の間に財務次官が財政破綻を発表することになると予想している。(中略)そうなれば国民の生活は大幅に変化するだろう」と報じていた。」

「債務の壁」という言葉が急に飛び交い始めた
 「「債務の壁」という言葉が急に飛び交い始めた。
今の生活がいくら快適で平穏に見えようが、カナダは国の財力をはるかに超える出費をしており、近いうちにムーディーズやスタンダード・アンド・プアーズといったウォール街の格付け会社はカナダを最優良のAAAからずっと下のランクに格下げするにちがいない、というのだ。
もしそうなれば、グローバリゼーションと自由市場という新たなルールに則った流動的な投資家たちはカナダからいっせいにカネを引き揚げ、より安全な投資対象へと移してしまう。
となれば、失業保険や医療などの社会保障予算を大幅に削減する以外に解決策はない - というわけだった。
果たせるかな、カナダ自由党はその解決策を採用した。雇用創出を公約にして選挙に勝ったばかりにもかかわらず、である(言うなればカナダ版”ブードゥー政治”である)。」

 「債務危機騒ぎから二年後、調査報道ジャーナリストのリンダ・マクウェイグがその真相を暴いてみせた。
あの危機はカナダの大銀行や大手企業が資金援助しているシンクタンク数社によって巧みに操作され引き起こされたのだ、と。
その中心的役割を果たしたのがC・D・ハウ研究所とフレイザー研究所だった(後者はミルトン・フリードマンが設立当初から強力な肩入れをしていた)。
カナダが財政危機に直面していたのは事実だが、それは失業保険をはじめとする社会保障支出のせいではなかった
カナダ調査統計局の報告によれば、財政危機の原因は高金利政策にあり、大幅な金利引き上げによって起きたヴォルカー・ショックが八〇年代に発展途上国の債務を膨らませたのと同様、カナダの債務もそれによって急激に増大したのだという。

マクウェイグがウォール街のムーディーズ本社で、カナダの信用格付けを担当する上級アナリスト、ヴィンセント・トルグリアに取材したところ、彼は驚くべき事実を語った。
カナダの国家財政を悪く言う報告を出すよう、カナダ企業や銀行の上層部からひっきりなしに圧力を受けていたというのだ。
カナダは投資先として安定して優れた国だと信じていたトルグリアはそれを拒否した。
「ある国の人間が自国の評価をもっと下げてほしいと言うなんて、ほかでは見たことがない。彼らはカナダの格付けは高すぎる、と言っていたんです」。

カナダ金融界にとっては「債務危機」が政治論争上の強力な武器となる
 「カナダ金融界にとっては「債務危機」が政治論争上の強力な武器となる・・・。
・・・、カナダでは医療や教育などの社会支出費を削って減税するべきだと政府に迫る一大キャンペーンが展開していた。
大多数のカナダ国民はこうした社会保障システムを支持しており、その大幅な削減が必要だと説得するには国家財政の破綻を言い訳に持ち出し、国家存亡の危機だと煽るしかなかったのだ。
ところが、ムーディーズはカナダに対して「A++」に相当するもっとも高い国債格付けを与え続けていたため、国民の危機感を煽るのは至難のわざだった。」

 「他方、世の投資家たちはこうしたカナダに対する評価の食い違いに戸惑い始めていた。ムーディーズの格付けは高いのに、カナダのマスコミは国家財政の危機を盛んに叫んでいたからだ。
カナダで発表される統計に政治的意図がからんでいることに辟易したトルグリアは、カナダの財政問題を自ら調査する必要性を痛感した。こうして彼は「特別報告書」を発行するという非常手段に出る。
そのなかで彼は、カナダの政府支出は「手に負えない状況ではない」と明言し、右派シンクタンクの出している怪しげな数字統計もやんわりと批判した。

 「最近発行された報告書のいくつかは、カナダの債務状況をきわめて大げさに書き立てている。なかには数字を倍に計算している箇所もあれば、およそ適切とは言いがたい国際比較も見受けられる。(中略)こうした不正確な数字が、カナダの債務間超を必要以上に誇張する結果を招いたと思われる」。

 このムーディーズの特別報告書は「債務の壁」などはないと断言していたが、カナダの産業界は不快感をあらわにした
トルグリアが言うには、報告書が出るや、「カナダの大手金融機関の人間が電話をかけてきて、私に向かって怒鳴ったんです。文字どおり怒鳴り散らしていた。あんなことは後にも先にも一度きりでしたよ」*

*トルグリアがウォール街では例外的人物であることは言っておく必要があろう。債券や信用の格付けは往々にして政治的圧力がかかり、「市場改革」を進めるための具として使われる。

 「しかし、「債務の壁」が企業のひも付きシンクタンクの演出だったとカナダ国民が知る頃には、すでに予算削減が断行され、後戻りできない状況になっていった。
こうして失業者向けの社会保障制度は大幅に後退し、その後、黒字予算が続いたにもかかわらず、復活することはなかった。

当時はこうした危機戦略が幾度となく採用された。
一九九五年九月には、あるビデオテープがマスコミにリークされて問題となった。
それはオンタリオ州の教育長官ジョン・スノベレンが内輪の秘密会議の席で、教育費の削減や住民に不人気なその他の改革案を公表する前に、「口にするのはいささかはばかる」ほどの悲観的な情報を流してパニック状況を作り上げる必要がある、と語っている映像だった。スノベレンはそれを「有用な危機の創出」と表現していた。」
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