2015年5月18日月曜日

明治38年(1905)5月27日 日本海海戦はじまる 午後2時7分、砲撃開始 午後3時06分、「オスラビヤ」沈没。乗員900中戦死・溺死504。 午後7時、「アレクサンドル3世」沈没。全員867死亡。 午後7時23分、戦艦「ボロジノ」沈没。866中生存1人。 7時30分、「スウォーロフ」沈没。死者925人。午後10時、戦艦「ナワリン」沈没。乗員703中3のみ生存。・・・・・ 

北の丸公園 2015-05-15
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明治38年(1905)
5月27日
・日本海海戦はじまる
連合艦隊の配置。
旗艦「三笠」と特務艦隊の大部は馬山に臨む鎮海湾、第1・2艦隊はその南東の加徳水道、第3艦隊は対馬。総勢101隻(戦艦6、巡洋艦24、砲艦3、駆逐艦20、水雷艇31など)。第1艦隊第3戦隊が第4警戒線、第3艦隊第6戦隊が第4・第6警戒線間を警戒

・午前2時45分、第3艦隊第6戦隊哨戒艦「信濃丸」(成川揆大佐)、ロシア艦隊(病院船「アリョール」と艦隊右翼列)発見、午前4時45分、「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」を発信。
4時50分、「敵ノ第二艦隊見ユ」「敵ハ対馬東水道ヲ通過セントスルモノノ如シ」を打電。
5時5分、対馬尾崎湾の第3艦隊旗艦「厳島」が「信濃丸」電を転送し、連合艦隊主力にキャッチされる。
5時10分、東郷司令官は「三笠」艦長伊地知彦次郎大佐に出向命令、大本営に打電「・・・本日天気晴朗ナレドモ波高シ」(実際は霧と大波が戦場を覆う)。
6時、「三笠」・第2艦隊(上村彦之丞中将)・第3艦隊、夫々出港。
6時34分、「三笠」が加徳水道に入り、第1・2艦隊と合流。計45隻。
7時10分、加徳水道を出て韓崎沖に向う。

・午前6時45分、第6戦隊巡洋艦「和泉」(石田一郎大佐)、ロシア艦隊右翼列に接近・追尾。巡洋艦「ナヒーモフ」・旗艦「スウォーロフ」は「和泉」を視認。「和泉」は艦隊進路・陣形打電。
7時28分、「三笠」が「和泉」電を傍受。第3船隊(出羽重遠中将)は敵艦隊よりも南に位置しているため、反転。

・午前9時55分、第3艦隊(片岡七郎中将)、対馬南端・神埼沖で南方に煤煙発見、片岡中将は第5艦隊に北上を命令し、確認に向う。
10時、第3艦隊第5戦隊、バルチック艦隊発見、接触行を開始。
10時20分、第3艦隊旗艦「厳島」、バルチック艦隊との接触第1報を「三笠」に打電。

・午前10時45分、第3戦隊(出羽重遠中将)、対馬・神崎南25kmでロシア艦隊発見、同航。第3艦隊主力の後方の位置。 .

・午前10時50分、「三笠」では「和泉」情報で敵艦隊の勢力・陣形を知り、早めの昼食をとり、11時55分、全員を甲板の集合させて訓示。

・午前11時40分、戦艦「オリョール」他、第3戦隊(出羽戦隊)を砲撃。出羽戦隊、射程外へ退避。  

・午後0時34分、第3艦隊第6戦隊旗艦・巡洋艦「須磨」より敵艦隊の同行入電。第3戦隊旗艦「笠置」・第3艦隊旗艦「厳島」らの情報を総合し、東郷大将は、敵艦隊が沖之島西側を指向していると判断し、「三笠」の進路を変更。

・午後1時、バルチック艦隊は縦列隊形で北東進。日本側はこれを完全に捕捉。右前方には第3戦隊、左前方には第3艦隊主力の第5戦隊と第6戦隊が2列で航進。視野外には連合艦隊主力(第1艦隊第1戦隊・第2艦隊第2戦隊計12隻)が急行。その後方には、第2艦隊第4戦隊が続く。  

・午後1時20分、ロジェストヴェンスキー中将、単縦陣を構築する命令。

・午後1時39分、東郷司令長官指揮主力艦隊、バルチック艦隊発見。
1時40分、「三笠」は敵艦隊の風上に占位するため進路変更。
同時刻頃、バルチック艦隊はまだ戦闘陣形をとれずにいる。旗艦「スウォーロフ」参謀セミョーノフ中佐が、日本の第1艦隊第6戦隊6隻が目の前を横切るのを眺める。  

・午後1時53分、旗艦「三笠」のマストに信号旗「Z」がのぼり、下される。
1時55分、「三笠」は敵に接近するため進路を西に戻す。
1時57分、「三笠」よりバルチック艦隊を視認。距離1万m。

・午後2時2分、東郷大将は、バルチック艦隊に連合艦隊が「反航通過」すると思わせるべく、進路を「南五六度西」に変更。北東に進むバルチック艦隊の西側を逆方向に並進する形になる。

・午後2時7分、「三笠」はじめ連合艦隊主力は敵前で左15度の一斉回頭始める。「丁字戦法」。
2時8分、単縦陣形(未完成)のバルチック艦隊の戦艦「スウォーロフ」が「三笠」に砲撃開始。各艦も続く(第1戦隊は「三笠」に照準を合わせるが、第2戦隊は勝手に砲撃)。
この頃、東郷大将は、戦場の北部を東進中の第3艦隊司令長官片岡中将に第5・6戦隊に敵の後部に対する攻撃を命令。

・午後2時10分、「三笠」に6インチ砲弾命中、無線電信垂直線を切断。距離6,400m。
連合艦隊、一斉砲撃開始。「三笠」は「スウォーロフ」を、2番艦「敷島」は「オスラビヤ」を砲撃。3本煙突の「オスラビア」に砲撃集中。
2時11分、回頭を終えた3番館「富士」が距離6,200で「オスラビア」を砲撃。
2時12分、4番艦「朝日」が距離7000mで「スウォーロフ」砲撃。5番艦「春日」が距離5,800mで「オスラビヤ」砲撃。回頭していない「磐手」(第2戦隊最後尾)も距離8,500で「オスラビア」砲撃。
2時15分、6番艦「日進」(第1戦隊最後尾)が距離5800で「オスラビア」砲撃。「出雲」(第2戦隊1番艦)も距離8000メートルで「オスラビヤ」砲撃。2番艦「吾妻」は「スウォーロフ」砲撃。
2時17分、3番艦「常盤」は距離5500で「オスラビヤ」砲撃。
2時20分、4番艦「八雲」・5番艦「浅間」は「オスラビヤ」砲撃。最後尾「磐手」は敵第3戦隊先頭「ニコライ1世」砲撃に変更。
以上のように、連合艦隊主力12隻が2時7分~20分の13分間に敵前で回頭し、斜め右後方のバルチック艦隊を砲撃。日本の砲撃は「オスラビヤ」に集中。「三笠」は12発被弾。その他の日本艦船は被弾なし。

・午後2時20分、旗艦「スウォーロフ」のマストは折れ煙突は砕かれ火につつまれる。「オスラビヤ」は蜂の巣の状況、左舷12度に傾く。「アレクサンドル3世」「ボロジノ」「アリョール」も火煙に包まれる。
2時24分、「スウォーロフ」司令塔塔蓋下に1弾命中。司令長官ロジェストヴェンスキー中将・参謀長クロング大佐ら負傷。甲板は火に覆われ羅針盤破壊・舵機損傷し戦闘行動の自由を奪われる。時刻は2時26分(戦闘開始後18分)。  

・午後2時30頃の状況。
バルチック艦隊は9ノットで北東の航進。その前方を連合艦隊主力12隻が単縦形で西から東に進む。速度15ノットの優足を利用して、敵と丁字型をつくりその頭を押えるのが連合艦隊の戦術。
連合艦隊は、「三笠」が22弾被弾・戦死傷100人、「富士」「朝日」は無傷。他艦は1発ずつ被弾。第2戦隊5番艦「浅間」のみ被害甚大(艦長寝室に被弾、前艦橋の舵輪動かず。列外に出るが、他艦を見失い孤立して集中弾を浴びる)。

・午後2時40分頃、命中弾の爆煙が戦場を覆い視界不良となり一時砲撃中止。
2時43分、第1戦隊は東南東に、47分、南東二分の一東に変針、略丁字形をとり攻撃。

・午後2時45分、第1艦隊第3戦隊・第2艦隊第4戦隊がバルチック艦隊の背後を攻撃。旗艦「スウォーロフ」が右旋回し脱落、「アレクサンドル3世」が先頭にたつことになり集中砲撃受け、火災、列外にでる。次に「ボロジノ」が先頭にたつ。

・午後3時頃、片岡艦隊、病院船「オリョール」「カストロマー」連行。  

・午後3時06分、「オスラビヤ」沈没。乗員900中戦死・溺死504。

・午後3時20分、消火した「アレクサンドル3三世」、ロシア艦隊を霧の中に誘導。第1次戦闘終了。
・午後3時23分、「三笠」は「スウォーロフ」横を通過し猛射を浴びせる。
3時34分、第2戦隊が「スウォーロフ」に接近。砲撃するが、上部構造が一掃されている被害状況をみて、第2艦隊司令長官上村中将は、砲撃中止を命令。この間、後方では第3・4戦隊がバルチック艦隊を攻撃。第4戦隊2番艦「高千穂」は舵故障で脱落、第3戦隊「笠置」は浸水激しい状況。また、第5・6戦隊が後方攻撃に加わり、連合艦隊全艦が戦線参加となる。

・午後5時28分、第1戦隊、仮装巡洋艦「ウラール」発見、撃沈。

・午後5時55分、ロジェストヴェンスキー司令長官、駆逐艦「ブイヌイ」に移乗。
6時、旗艦「ニコライ1世」坐乗第3艦隊司令長官ネボガトフ少将に指揮権委任、ウラジオストックに向う。第3次戦闘開始。

・午後6時6分、第3戦隊(出羽中将)旗艦「笠置」浸水。将旗を「千歳」に移し、午後9時30分、戦列復帰。

・午後6時33分、第1戦隊は「ボロジノ」攻撃に集中。
6時42分、第4・5・6戦隊は「スウォーロフ」と工作船「カムチャッカ」に攻撃集中。
午後7時、「カムチャッカ」沈没(一部乗組員はボートで脱出、山口県貝島に56人・同越ヶ浜に8人が漂着)。第4・6戦隊は北方の主戦場に向う。第5戦隊直率の第3艦隊司令長官片岡七郎中将は随伴する第11艇隊に「止メ」を刺すよう指示。
同時刻7時、「アレクサンドル3世」沈没。全員867死亡(第2戦隊が救助活動中の巡洋艦「イズムルード」を砲撃、駆逐)。

・午後7時23分、戦艦「ボロジノ」沈没。866中生存1人。
7時30分、「スウォーロフ」沈没。死者925人。

・午後7時28分、日没。東郷司令長官、駆逐艦縦隊以外の戦闘中止命令。

・午後7時30分、対馬三浦湾に退避中の駆逐艦隊・水雷隊に出撃命令。

・午後8時~10時過ぎ、駆逐隊・水雷隊によるロシア艦船夜襲攻撃。
8時10分~17分、第1駆逐隊、敵の最後尾の巡洋艦「ナヒーモフ」他に魚雷攻撃。1番艦「朧」・2番艦「雷」は被弾。続いて北方で第1駆逐隊、東方で第5駆逐隊が攻撃。
8時30分、第5駆逐隊各艦が攻撃。8時40分、第5駆逐隊の「夕霧」と「春雨」がこの夜最初の衝突事故。

・午後9時頃、東方の第3駆逐隊、北方の第9艇隊、南方の第1・10・15・17・18艇隊の計20隻が戦闘加入。
午後9時7分、第1駆逐隊「暁」と第1艇隊先頭第69艇がこの夜第2の衝突事故。
9時10分、第9・17艇隊、第3駆逐隊が一斉攻撃。第10・17艇隊が左右から敵艦隊攻撃。
9時40分、第10艇隊1番艇第43号艇が第15艇隊4番艇「鷺」に衝突。
救助活動。第17艇隊第34号艇、沈没、乗員残員18救助。第18艇隊第35号艇残員20救助。
午後10時45分頃、第1艇隊第69号、沈没。乗組員26中24救出・行方不明2。

・午後10時、戦艦「ナワリン」沈没。乗員703中3のみ生存。他に「シソイ・ウェリーキー」大破、ウラジオ行き断念。巡洋艦「ナヒーモフ」「モノマーフ」も脱落、ウラジオ行き断念。
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5月27日
・「砲声聞ゆ」と新聞報道。正午過ぎ、二葉亭四迷、内田魯庵を訪れ日本海海戦の勝利の模様を話す。
 海戦が対馬水道で始まったのどうかや敵味方の形勢などは不明で日本国中が息を殺していたこの日の正午を少し過ぎた頃、市谷砂土原町の内田魯庵の家を二葉亭四迷が突然訪ねる。
二葉亭は玄関の格子戸を開けるなり、「とうとうやったよ」と叫ぶ。出てきた魯庵が「やったか」というと、二葉亭は「うん、やった」と答え、「結果はまだ十分わからんが、勝利は確実だ」とつづけた。
二葉亭には煩悶の人の面影はなく、まるで大本営か海軍省の幕僚でもあるかのような得意の表情だ、と魯庵は思った。
二葉亭は言う。
「ゆうべはまんじりともしなかった。けさも早くから飛び出して、いままで社に詰めていた。電報が来るたびに勝利の獲物がふえるから愉快でたまらん。社では小使給仕までが有項天だ。号外はとうに刷れてるんだが、海軍省が沈黙しているから出すことができんでじりじりしている。近所まで用足しにきたから内々に洩らしにきた」
いつもは落着いている二葉亭が、このときは満面笑み崩れたままだった。
「何十年席の溜飲が一時にさがった」
というと、彼はお茶も飲まずに、社に戻ると立ち上がった。そして格子戸を開けかけた手をとめ、魯庵に向かって駄目を押すように大声でいった。
「大勝利だ。今度こそロスの息の根をとめた。下戸もシャンパンを祝うべしだね」
おもてには人力車が待たせてあった。近所まで用足しにきたついで、というのは口実で、あふれる喜びをもてあましてわざわざ魯庵宅までやってきたのは明らかだった。二葉亭とは長い交遊の魯庵だが、こんなあわただしい面会も、こんなに上機嫌の二葉亭もはじめてで、また二度と見ることはなかった。
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