2016年4月10日日曜日

應永20(1413)年 メディチ銀行(ジョヴァンニ)が教皇庁の両替業務独占 カボシュ暴動 カボッシュ党の勅令 ポントワーズの平和 アルマニャック派が政権復帰   

北の丸公園 2016-04-09
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應永20(1413)年
この年
・若狭太良荘に、34年ぶりに東寺の一円支配を確認する幕府御教書が下る。守護一色氏はこれを無視。
南北朝期に始まる半済は、室町期にも引き継がれる。
この年以降、同33年同様の御教書が下るが、一色氏はこれを押収。
ついで将軍義教の代には幕府使者が3度派遣されるが、一色氏は大和出陣などを口実に半済停止を引き延ばし、太良荘の半済は解消されず。

太良荘半済給人は概ね在京の一色重臣。給人の許にいる代官は「毎年御替り候」といわれ、応永14年南禅寺瑞雲庵、翌15年相国寺大徳院など京都の禅宗寺院が多い。現地に下り年貢収納を行なうのは「庄主」と呼ばれる請負人で、彼らもまた京都の僧侶が多い。太良荘では、半済方を支配する給人・代官・庄主のいずれもが京都に足場を置く人々。
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・フィレンツェ、メディチ銀行(ジョヴァンニ)、教皇庁の両替業務独占。
教皇ヨハネス23世と、ジョヴァンニ・デ・メディチとの人脈。
メディチ家総収益の半分近くが、ローマからあがる。
ジョヴァンニ・デ・メディチ、パンチャティキ、ストロッツィに次いで共和国第三位の多額納税者。
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・プラハ大司教イヴァン、コンスタンツ宗教会議にフスを「異端」として訴える準備 。
フスは、ボヘミア南部農民に説教。
また、この頃迄に、オックスフォード大学ロラードの1人ピータ・ペイン、チェコに渡り「フス派」に加わる。
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・イングランド、黒死病流行。
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1月
・ローマ教皇、ウィリクフの書物を「焼却」すべきと宣言。
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1月19日
・越前守護も兼ねる武衛斯波義重、敦賀郡西福寺への野坂荘櫛川郷地頭山内氏の寄進寺領を安堵。
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1月30日
・仏、ラングドイルの三部会開催。
財政悪化の為、ジャン無畏公、シャルル6世にラングドイルの三部会を召集させる。
地方代議員は少数、アルマニャック派は不参加(本質的にパリとブルゴーニュの集会)。
三部会は、パリのブルジョワジーが支配。
パリ大学とパリ市の「建言書」(糾弾)。建言書の糾弾したことに対する「調査委員会」設置。
ジャン無畏公は、改革のカラーをまといつつ対立者を決定的に排斥。
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3月6日
・由比が浜大鳥居御建立。奉行は関東管領上杉禅秀(氏憲)。
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3月20日
・イングランド王ヘンリ4世(47)、没(1366~、位1399~)。
4月9日、王ヘンリ5世(26)、即位(1387~1422、位~1422)。

イギリス国王によるフランス王位継承というプランタジネット王家依頼の主張を再燃させ、大陸での勝利が自分の王位の基盤を強固にする方策と考える。百年戦争でのイングランドの勝利者。在位の大部分が対仏侵略戦争。1415年アザンクールの戦い。1420年トロワの和約(シャルル6世、ヘンリー5世をフランス王後継者に指名)。カトリック信仰の熱心な擁護者、ロラード派を弾圧。ブルゴーニュとの同盟により商人達の支持、フランドル貿易による利益確保。
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4月
・仏、パリで暴動。北フランス三部会。
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4月3日
・パンドルフォ・マラテスタ、ヴェネツィア貴族に加入
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4月18日
・陸奥の大仏城で奥州宮方(伊達持宗・懸田定勝ら)が挙兵。
鎌倉公方足利持氏が畠山国詮に追討を命じる。12月21日鎮圧。
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4月28日
・パリ、カボシュ暴動(暴動の指導者・皮剥職人(屠殺業者)シモネ・クートリエ)。
同業組合と知識人の反乱(スポークスマン:ジャン・ド・トロワ、有名な外科医、雄弁、狡猾)。
ブルゴーニュ公ジャン無畏公は、自分が教唆した暴動により危機に陥る。ジャン無畏公のみならず王太子ルイ(シャルル6世長男)・王妃イザボーも脅かす。王太子ルイは、ジャン無畏公の権力をそぐのに利用。乱暴な行為でパリ市民を怒らせ、反乱は挫折。
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5月
・仏、英(ヘンリ5世)側とブルゴーニュ派、レスターにて交渉。
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5月26日
・仏、「カボッシュ党の勅令」。
国王シャルル6世が行政改革を約束。ブルゴーニュ派王立顧問団が作成。
ブルゴーニュ公ジャン無畏公を支持するパリのブルジョア(両替商、金融業者)、パリ大学を利する内容。
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6月4日
・仏、英(ヘンリ5世)側とブルゴーニュ派、イーブルにて2度目の交渉。
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6月7日
・ナポリ王ラティスラス・ド・デュラス、教皇ヨハネス23世を攻撃、ローマ占領。
教皇ヨハンネス23世、ボローニャに逃亡。
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7月28日
・仏、ポントワーズの平和。
ポントワーズでブルゴーニュ派とアルマニャック(オルレアン)派の和平協定成立。ジャン無畏公の完全な敗北。パリはアルマニャック派が優勢。
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8月
・イングランド、夏、ジョン・オールドカースル(36)、ロラード異端により逮捕。処刑直前に脱獄。
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8月3日
・ヴェネツィア、オーストリア公と5年間の同盟
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8月11日
・ヴェネツィア、ケファロニア島、共和国保護下に入る
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8月22日
・仏、衰勢のブルゴーニュ公ジャン無畏公、シャルル6世の誘拐失敗。
ジャン無畏公、国王を連れ北へ向うが、ベリー公兄弟、パリ奉行ジャン・ジュヴネル・デ・ジュルサンが追跡、ヴァンセンヌの森で国王を奪回。
31日、アルマニャック派、パリ入城、政権復帰。

国王派の秩序回復1415年7月迄、イングランドとフランス2派との二重交渉が継続。
世論もアルマニャック派に傾き、ブルゴーニュ派諸都市のコンビエーニュ、ソワッソン、ラン、サン・カンタン、ペロンヌ、フランス東北部アルトワ地方が脅威を受け始める。
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9月8日
・仏、カボシュ勅令、廃止。
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9月16日
・ヴェネツィア、ドージェ、コルフ島のギリシア人聖職者の特権を確認
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9月21日
・ヴェネツィア、染物ギルドが市に混乱をもたらさないような規制
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12月
・教皇ヨハネス23世、皇帝ジギスムントに説得されて、「コンスタンツ公会議」召集の布告。
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12月26日
・ヴェネツィア、ドージェ、ミケーレ・ステーノ、没。
翌1月7日トンマーゾ・モチェニーゴ、ドージェ選出
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12月29日
・ヴェネツィアにおける不動産の譲渡についての新しい規制
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