2012年12月2日日曜日

昭和17年(1942)10月26日 「「ソロモン」方面陸軍戦況全く頓挫せり。然るところ海軍作戦は意想外進展しありて同慶に堪えず。」(「機密戦争日誌」)

東京 北の丸公園 2012-11-29
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昭和17年(1942)
10月26日
・情報局主催、映配・日映の中堅スタッフ中心に結成した南方文化工作挺身隊壮行激励会
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・第4艦隊司令長官井上成美中将、海軍兵学校長就任、江田島。
前任草鹿任一中将は南東方面艦隊司令長官(第11航空艦隊司令長官?、ラバウル)。後任は鮫島具重中将。井上は11月10日江田島着任。
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南太平洋海戦(サンタクルーズ諸島海戦)
キンケイド少将指揮「エンタープライズ」「ホーネット」基幹。
近藤信竹中将総指揮栗田艦隊・南雲艦隊。
米;空母「ホーネット」撃沈・「エンタープライズ」大破。
日本;「翔鶴」「瑞鳳」大破、飛行機100以上。

26日黎明より、南雲中将率いる第3艦隊は探索開始。
午前4時50分、米空母部隊を発見、
同時刻、米軍も日本の機動部隊を発見、攻撃隊発進。
日本側は、村田重治少佐率いる第1次攻撃隊(零戦21、九九艦爆21、九七艦攻20)と約1時間後、関衛少佐率いる第2次攻撃隊(零戦9、九九艦爆19、九七艦攻16)。

米軍攻撃隊は、空母「ホーネット」よりF4F戦闘機8、SBD急降下爆撃機15、TBF雷撃機6の第1次攻撃隊、空母「エンタープライズ」よりF4F戦闘機8、SBD急降下爆撃機3、TBF雷撃機8の第2次攻撃隊。

午前6時55分、第1次攻撃隊が米空母部隊を発見、「エンタープライズ」はスコールの中のため発見できず、攻撃は「ホーネット」に集中、6発の250kg爆弾と2本の魚雷が命中、炎上。
しかし日本側の損害も大きく真珠湾攻撃以来のベテラン村田重治少佐は未帰還。

「ホーネット」からの第3次攻撃隊は、日本の空母部隊を発見できず、前衛艦隊の重巡「筑摩」に攻撃を集中し中破させる。
「エンタープライズ」隊も日本の空母部隊を発見できず、前衛艦隊の重巡「筑摩」に攻撃を集中し中破させる。

「ホーネット」第1次攻撃隊は午前7時27分、日本の機動部隊を発見攻撃し、空母「翔鶴」を中破させる。
関衛少佐率いる第2次攻撃隊は、無傷の「エンタープライズ」を攻撃、3発の250kg爆弾の命中にとどまる。

第2航空戦隊角田覚治少将は、午前7時45分「隼鷹」から第1次攻撃隊(志賀淑男大尉、零戦12、九九艦爆17)を発進させ、自身は第3艦隊に合流、南雲中将指揮下に入る。
午前9時20分、「隼鷹」からの第1次攻撃隊はスコールの中の「エンタープライズ」を発見、命中弾はないが、米戦艦「サウスダコタ」「サンジュアン」に250kg爆弾夫々1発づつ命中、更に角田覚治少将は第3次攻撃隊を編成し、「ホーネット」の息の根を止める。
しかし、日本側攻撃隊の損失も大きく132機の空母機と熟練操縦士を失う
日本機動部隊が勝利をおさめた最後の海戦となる。

○詳細展開
第17軍のガダルカナル攻撃に策応すべく、海軍側は、連合艦隊主力が支援部陵となり、これを前進部隊(第2艦隊)、機動部隊(「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」3空母を中核とする第3艦隊)、前衛(第3艦隊司令長官指揮下の第1戦隊以下3個戦隊と2個の駆逐隊)に区分し、ソロモン諸島の東方海域で行動。これら日本艦隊のガダルカナル近接阻止の為、サンタグルーズ諸島方面に米機動部隊が進出し、両者の間で海戦となる。

25日午前零時20分、南下中の機動部隊は、飛行場占領の誤報に接し、午前3時、計画に基づき索敵機を発進させ、南下を続ける。
午前5時、飛行場占領は誤報と判明し、機動部隊本隊は反転北上、前衛は南下継続、本隊との距離を開く。
午前7時40分、機動部隊本隊は敵飛行艇に接触され、零戦が追撃、捕捉出来ず。それより前の午前7時8分、前衛は敵飛行艇に接触されていると報じている。
午前8時5分、機動部隊指揮官は、前衛に反転北上し索敵機収容を下令。敵情を傍受したところ、午前8時15分頃、敵飛行艇は日本海軍機動部隊の全容を発見報告した模様。

昼過ぎ、B17-6機が前衛に来襲、戦艦「霧島」を爆撃、被害なし。

これより前の午前11時15分、基地航空部隊の哨戒機は、レンネル島東約30浬に、戦艦2・巡洋艦12隻から成る敵大部隊北上中を発見し報告。
11時30分、支援部隊指揮官(近藤中将)は、なし得ればこの敵を攻撃するよう機動部隊に下命、機動部隊指揮官(南雲中将)は「本日攻撃ノ見込ナシ」と回答し攻撃せず。機動部隊から敵までの距離が340浬あり、遠いこともあるが、敵空母出現必至の情況下で、空母以外の敵に対する攻撃隊発進は危険と第3艦隊司令部は判断。

25日午後4時、北上する機動部隊は再反転、南下。
午後9時半頃、敵信傍受により、敵機が月明を利用して接触しているのを感知するが、第3艦隊司令部は、本隊に接触中か、前衛に接触中かの判別が出来ない。
機動部隊は南下中、敵哨戒機の行動や、味方基地航空部隊の索敵状況等から、米機動部隊が進路の東方にいるのを懸念し、やや西寄りに航路を保つ。
機動部隊本隊と前衛の距離は50~60浬、前進部隊(第2艦隊)は機動部隊の西100~120浬付近を行動中。

26日午前零時50分、機動部隊本隊の空母「瑞鶴」が突如爆撃される。月明下、高度約1kmから投弾され、右舷約300mの海面に4発弾著。被害ない。このままの南下は危険な状況に陥る虞れありとし、26日午前1時30分、24ノットで反転北上。

機動部隊は北上しながら、黎明、二段索敵を行う。
26日午前2時15分、前衛から水偵7機、午前2時45分、本隊から艦攻13機が発進。
午前4時50分、「翔鶴」索敵機から、「敵大部隊見ユ地点八度二二分南 一六六度四二分東 空母一 他一五 空母ハサラトガ」と入電。この索敵機は、午前4時12分、これを太陽方向に発見するが、視認不良のため北方に迂回して確認後、第1報を発信。

26日午前5時25分、「翔鶴」飛行隊長村田重治少佐指揮の第1次攻撃隊が、「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」3艦からの零戦21機(「翔鶴」4、「瑞鶴」8、「瑞鳳」9)、艦爆21機(「瑞鶴」)、艦攻20機(「翔鶴」)計62機が発進。

ほぼ同じ頃、米機動部隊索敵機も日本海軍機動部隊を発見、午前5時30分~6時15分、3次に亘る攻撃隊が発進。
午前6時30分、第1次攻撃隊は敵艦爆15機とすれちがうが、指揮官はこれに気づかず行き違う(7時20分前後、「翔鶴」を襲う艦爆隊と思われる)。
第1次攻撃隊は更に午前6時40分、敵戦闘機6・艦爆8と遭遇、「瑞凰」零戦隊9機がこれを攻撃、敵全機を撃墜するが、機銃弾を射耗したので進撃を断念し母艦に帰投。この空戦で、「瑞風」零戦隊は2機自爆、2機行方不明、1機被弾大破の損害を出し、帰投後使用に耐えるのは4機のみ。
午前6時55分、攻撃隊は敵第1集団(空母「ホーネット」、重巡2、防空巡洋艦2、駆逐艦6から成る大部隊)を発見。この北西10浬に同様の輪型陣のエンタープライズ隊がいるが、午前7時頃スコールの中にあり、見えず。「ホーネット」隊は上空に戦闘機約30機を配備。
午前7時10分、攻撃隊は空母に対する急降下爆撃を開始。艦爆隊の先頭中隊は敵戦闘機との交戦で隊形が乱れ、後続の第2中隊が先に突入し、艦攻隊はその途中的空母の両側から雷撃を敢行。「ホーネット」隊の防禦砲火は熾烈、輪型陣を成す全艦が一斉に回避運動をしつつ、砲火の指向が統一指揮されているかのようである。攻撃隊は敵空母に250キロ爆弾6発以上・魚雷2発を命中させ、艦攻1機は魚雷装着のまま敵駆逐艦に突入自爆、これを撃沈、艦爆1機は損傷を受け駆逐艦に激突自爆。
午前9時40分~11時30分、攻撃隊は空母「瑞鶴」「隼鷹」に帰投。損失は零戦9・艦爆17。

敵母艦からの攻撃は、午前4時52分頃、機動部隊本隊の視界に敵艦上機群が入るが、雲間に出没し捕捉困難。
午前5時45分、艦爆2機が「瑞鳳」に急降下、1弾が後部を直撃、発着甲板に直径15mの穴があき、火災となるが間もなく鎮火。「瑞鳳」は着発艦不能となり、戦場離脱してトラックへ北上退避。
第2次攻撃隊は、「翔鶴」隊(零戦5、艦爆19)が午前6時10分、「瑞鶴」隊(零戦4、艦攻16が6時45分発進。
第2次攻撃隊は第1次が攻撃した空母の北方約20浬にいた別の空母と戦艦(サウスダコタ型)を攻撃。空母に魚雷2発以上、戦艦に2発以上を命中させ、空母は大破して速力が落ち、戦艦は間もなく沈没、重巡も大破、と報じう。第2次攻撃隊の損害は、自爆・不時着を含めて、戦闘機2、艦爆12、艦攻10。

機動部隊本隊とは別に、前進部隊本隊に配属の2航戦「隼鷹」からも、午前7時過ぎの第1次から日没までに3回の攻撃隊が発進。

空母「翔鶴」は、午前6時40分、レーダーで来攻する敵機群を探知。
7時18分、レーダーの指示方向に敵艦爆15機が直掩戦闘機と交戦しつつ接近。直掩戦闘機は、「翔鶴」10、「瑞鶴」5、計15機。敵機群は積乱雲を巧みに利用して突入態勢に入る。
午前7時27分、急降下。直掩機1機が敵機に激突。残りの艦爆14機が「翔鶴」を爆撃。回避運動と対空砲火で、初めは命中弾がないが、敵艦爆が高度200~300mで艦首方向から侵入投弾するようになり、避けきれなくなる。4発が中部発着甲板と高角砲台に命中、艦は飛行機着発不能に陥り、火災(12時30分頃ようやく鎮火)。先に被爆した「瑞鳳」は最大速力を出し得る状態にあり、「翔鶴」も31ノットの高速を出し得たので、直衛艦を伴い北西方に避退し、攻撃圏外へ出る。

戦果ではやや優勢だが、「翔鶴」飛行隊長村田重治少佐(艦攻)、同飛行隊長関衛少佐(艦爆)、「瑞鶴」飛行隊長今宿滋一郎大尉(艦攻)など艦攻艦爆の主要幹部を失う
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・ガダルカナル、戦闘司令所命令により、東海林支隊、コリ岬へ出発。
11月3日コリ着。5日コリ支隊と合流。
11日夜、903高地に呼び戻される。
24日、903高地に戻る。出発時3千の兵が700~800名に減少。

26日(攻撃中止の発令日)、東海林支隊はコリ押へ転進を命ぜられ、傷病兵後送と配属部隊(歩124第3大隊、独立速射砲中隊、迫撃第3大隊第3中隊他)を第2師団展開線方向へ後退させ、第230連隊主力をもって密林内をコリ岬へ出発。
24、25日の総攻撃に引続き、絶食と密林突破の困難を冒し、敵機の攻撃を受けつつ、11月3日コリ南東飛行場適地に達す。
コリ岬付近には一木・川口支隊の一部が残存(大半は病人)しており、東海林支隊はその131名を収容すると同時に、その残存部隊の手持ちの糧食によって、辛うじて飢えを凌ぐ。2日夜にコリに上陸したコリ支隊と、5日に合流。新上陸部隊が揚陸した糧株は、全員に1人当米7合2勺に過ぎない。
11日、東海林支隊は903高地方面に呼戻される。
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第2師団によるガダルカナル第2次攻撃は失敗するものの、南太平洋海戦の大戦果発表あり
この日の「機密戦争日誌」。
「十月二十六日 「ソロモン」方面陸軍戦況全く頓挫せり。然るところ海軍作戦は意想外進展しありて同慶に堪えず。第一部長、開戦以来未だ曾てなき屈辱を感ずと述懐せられる。総長の陛下に対し奉る心中をお察しし陸軍統帥部の苦衷言わん方なし」
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