2014年8月3日日曜日

1782年(天明2年)5月~7月 アイルランド自治成立 伏見の町民騒動、田沼派の伏見奉行小堀政方罷免・改易 三幕のジングシュピール「後宮からの逃走」完成・初演 【モーツアルト26歳】

北の丸公園 2014-07-31
*
1782年(天明2年)
5月
・アイルランド自治成立
イングランド議会、アイルランド人権利宣言承認。
以降、1800年迄「自治議会時代」又は「グラタン議会時代」という。
*
・モーツアルト、交響曲変ホ長調(K.Anh.100(383g))(未完、散失)作曲。
婚約者コンスタンツェのために、アリア「あなたに希望を託しましょう、おお、愛する夫よ」(K.440(383h))(未完)作曲。
交響曲用あるいは序曲のためのスケッチ(K.383i)、ジングシュピール「後宮からの誘拐」(K.384)、二重唱「何たる不安な戦慄」(K.389(384A))(未完)、セレナードハ短調(ナハトムジーク)(K.388(384a))、アンダンテの冒頭変ホ長調(K.384B)、行進曲変ロ長調(K384b)(断片)作曲。
*
・ゲーテ(33)、没。
ワイマルのフラウエンプラン街(今日のゲーテ・ハウス)に移り住む。大蔵長官となり実質的には宰相として政治に専心。
*
・北米、イギリス軍クリントン将軍に代わり、カールトン着任。
サヴァンナ、チャールストン、ニューヨークからの撤兵の準備。
*
5月7日
・モーツアルト、トゥーン伯爵邸で「後宮からの誘拐」第2幕を試演。
29日同邸で第3幕を試演。伯爵夫人はモーツァルトの終生変わらぬ保護者。

「明日は、ぼくは愛するコンスタンツェを連れて、トゥーン伯爵夫人のところで食事をしますが、夫人に第三幕を聴いてもらいます。あとはもういやな仕事、つまり - 訂正の仕事だけが残っています。今度の月曜日には最初の練習をします。 - 正直に申し上げて、ぼくはこのオペラにとても満足しています。」
*
5月9日
・英トマス・グレンヴィル、和平交渉のたパリ派遣。
*
5月17日
・サールバイ条約締結。第1次マラーター戦争終結。
*
5月19日
・ヨーゼフ2世の依頼による、K.384 ジングシュピール「後宮からの逃走」(序曲と3幕21曲)完成。

台本は前年7月30日に受け取り。
前年9月中旬にウィーンを訪問するロシア大公歓迎行事で演奏される予定。
ウィーン訪問が11月に延期になり、歓迎オペラにはグルックの旧作が選ばれた。
それが結果的にモーツァルトに幸いし彼は組み立てから真剣に考え直した。
台本はクリストフ・フリードリヒ・ブレツナーの喜劇「陶酔」の改作、ジングシュピールの評判が高まるとブレツナーから抗議された。
*
5月26日
・モーツアルト、フィリップ・ヤコブ・マルティンが開いた第1回ディレッタンテン・コンツェルト(愛好家演奏会、<アウガルテン演奏会>とも呼ばれる)に出演。
交響曲第34番ハ長調K.338が演奏、モーツァルトはアウエルンハンマー嬢と「2台のピアノのための協奏曲K.316a」を共演。 さらに、ヴァン・スヴィーテン男爵の作になるシンフォニーが披露。
*
6月3日
・モーツアルト、「後宮からの逃走」、最初の試演。ブルク劇場
*
6月12日
・大坂市中において、地車を引いて橋上を渡ることを禁止。
*
7月
・この月、伏見におきた町民の騒動は、やがて田沼派の伏見奉行小堀政方(まさみち)を罷免・改易に追いこむことになった。
幕初以来、特権としてみとめられてきた伏見宿入船にたいする石銭(こくせん)を小堀が横領したため、町民が激昂し、奉行所役人と乱闘して奉行の処置を改めさせたが、小堀はさらに、冥加銀上納とひきかえに、淀川筋の魚類販売権を京都の問屋商人に与えようとしたので、同地の漁民400余人が3日2晩奉行所に坐りこんで、ついにその計画を撤回させた。
しかし政方の無軌道な行為はやまなかったので、憤懣を爆発させた伏見町民は、年寄文殊九助らを代表として江戸越訴を敢行したため、天明5年(1785)12月、小堀はついに免職され、ついで改易に処せられた。
定信ら譜代層の田沼一派排撃は、このような伏見町民の闘争を直接の背景として開始された。
*
・モーツアルト、交響曲(第35番)ニ長調(ハフナー)(K.385)作曲。

この夏、ザルツブルクのハフナー家が貴族に列せられることになり、その祝祭用セレナードとして作曲。 その後、楽譜をウィーンへ送り返してもらい、1783年3月に K.385 交響曲第35番(ニ長調、通称「ハフナー」、4楽章)に改作、その形で現存。
*
・この頃、モーツアルト、K.384a (388) セレナード第12番(ハ短調、通称「ナハトムジーク」)作曲。1787年に弦楽五重奏曲K.516b (406)に編曲。
*
7月1日
・イギリス、ロッキンガム首相、没。
11日、首相にシェルバーン伯就任。ウィリアム・ピット(小)蔵相。
*
7月14日
・江戸とその周辺が大地震。小田原では城郭から民家まで大きな被害。
翌15日にも地震発生。
*
7月16日
・モーツアルト、三幕のジングシュピール<後宮からの逃走> (K384) 初演。ウィーンの宮廷劇場。モーツアルト存命中の上演回数最大。ライヴァルの妨害。ヨーゼフ2世のお声がかり。1年間に16回の上演

ウィーンで活躍している錚々たる歌手を一堂に集めた
ヒロインのコンスタンツェをカテリーナ・カブァリエーリ、侍女のブロンデをテレーゼ・タイバー、主人公ベルモンテをヨハン・ヴァーレンティーン・アーダムベルガー、ぺドリッロをヨハン・エルンスト・ダウアー、オスミ-ンにヨハン・イグナーツ・ルートヴィヒ・フィッシャー、語り役は太守ゼーリムの役でドーミニク・ヤウツ。
*
7月20日
・モーツアルト、この日付け父への手紙でオペラ上演を巡る問題について語る。

「ぼくのオペラがうまく成功したことをお知らせした前便はお受け取りになったことと存じます。 - 昨日はオペラの再演がありました。 - 昨日は初日の晩よりももっとひどい陰謀があったなんてことがご想像になれますか? - 第一幕のあいだ中、シッシッと野次り通されました。 - でもアリアのあいだはブラヴォーという声が高くなり、妨害にはなりませんでした。- そこで、ぼくは最後の三重唱を期待していました。 - でも不幸なことにフィッシャーが失敗し- そのためダウアー〔ぺドリッロ〕もやりそこない - したがってアーダムベルガーだけじゃ万事埋め合わせはできず、 - そのため三重唱全体の効果は失われ、今回はアンコールされませんでした。 - ぼくはほんとにカッとなって我を忘れてしまいましたが、これはアーダムベルガーも同様で - ぼくはすぐに - 前もってちょっとした練習(歌手たちのための) をしなければ、オペラはやらせないと言ってやりました。 - 第二幕では、初回と同様、両方の二重唱と、加えてベルモンテのロンドー『うれし涙が流れる時』がアンコールされました。 - 劇場は初回よりももっといっぱいでした。 - 前日にはもう平土間の最前列の特別席もなければ、四階の席もなく、それに桟敷席もありませんでした。オペラは二日間で千二百フロリーンにもなりました。」
*
7月20日
・モーツアルト、父から、貴族に列せられたジークムント・ハフナーの祝賀会のためのセレナードを依頼され、父からの催促に、出来る順に書き送り、8月7日までに全曲を郵送。
*
7月23日
・モーツアルト、グラーベン街からホーエン・ブリュッケの「赤剣館(ツム・ローテン・ゼーベル)」の3階に移る。
*
7月26日
・オペラ「後宮からの逃走」の3回目の上演。
*
7月27日
・アイルランド、ポイニングス法が修正。
*
7月29日
・モーツアルト、コンスタンツェ・ヴェーバーとの結婚許可願いを宮内庁に提出、受理される。
*
7月29日
・詩人ピエートロ・メタスタージョ、没。
*
*

0 件のコメント: