2015年5月21日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(128) 「第20章 災害アパルトヘイト - グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -」(その1) : ミルトン・フリードマンが「ウォールストリート・ジャーナル」紙に書いたように、ハリケーン・カトリーナは悲劇であると同時に「チャンスでもある」とみなされた。

江戸城(皇居) 2015-05-19
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第20章 災害アパルトヘイト
- グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会 -

災害は人を差別することなく、すべての人に”民主的”に襲いかかるというのは聞えのいい作り話にすぎない。災厄が狙い撃ちするのは所有せざる者、危険区城で暮らすしかない者たちだ。エイズ禍にしても同じことだ。     
- ハイン・マレー(南アフリカの作家、二〇〇六年)

ハリケーン・カトリーナ(後の失態)は予測できなかったことではない。あれは自らの責務を放棄して民間企業に下請に出した政治構造が招いた結果だ。
ー ハリー・ベラフォンテ(アメリカのミュージシャン、人件活動家、二〇〇五年九月)

大惨事となれば、国民は一致団結し、国もフル回転で救助活動を行なうだろうとの希望が・・・
 二〇〇五年九月の第二週、私はいまだ一部が浸水しているアメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズにいた。夫のアヴィ、そしてイラクにも同行したカメラマンのアンドルーと一緒にドキュメンタリーフィルムの撮影をするためだ。

 ハリケーン・カトリーナの直撃によって、(アメリカの)両極端に分断された社会が、突如その姿を世界にさらした。
 裕福な人々は街から脱出してホテルにチェックインし、すぐに保険会社に電話をかけた。
 一方、車を持たない一二万人の市民は避難することもできず、州政府の救助をひたすら待ち続けるしかなかった。人々はSOSのサインを掲げ、冷蔵庫のドアを筏代わりにしながら待ったが、助けはついに来なかった。
 
 そうした人たちの姿が世界中に衝撃を与えたのは、医療が受けられない、設備の整った学校に通えないといった日常的な不平等には半ば諦めの気持ちを抱いていても、災害時となれば話は別だとほとんどの人が考えていたからだ。大惨事が起きれば、国家が - 少なくとも裕福な国であれば - 国民の救済に乗り出すのは当然であり、国民が一致団結し、国もフル回転で救助活動を行なう災害時には、どんなに冷酷な資本主義でも手を休めるはずだ、と。ところがニューオーリンズから流される報道映像は、そうした常識がなんの公の議論もなしに放棄されたことをまざまざと物語っていた。

ハリケーンは、新自由主義の虚偽と神話がもたらす結果を見せつけた
 「今回のハリケーンは、新自由主義の虚偽と神話がどんな結果をもたらすのかを、たったひとつの場所で余すところなく見せつけた」と、ニューオーリンズ出身の政治学者アドルフ・リード・ジュニアは書いている。

見せつけられた事実とは・・・。決壊した堤防は修復されることなく放置され、公共交通機関は財源不足のために機能せず、市の災害対策と言えば「ハリケーンが来たら街の外に避難しましょう」と説くDVDを配布するだけというお粗末さだった。

政府事業を企業に委託するというブッシュ政権の構想の実験場:連邦緊急事態管理庁(FEMA)
 カトリーナが襲来する一年以上前の二〇〇四年夏、ルイジアナ州政府は大型ハリケーンに備えた危機管理計画立案のための予算をFEMAに要求したが、FEMAはこれを拒否。災害の被害をできるだけ小さく抑えるための政府プログラム「災害緩和計画」も、ブッシュ政権によって骨抜きにされた。
 ところが同じ年の夏、FEMAは「ルイジアナ南部およびニューオーリンズ市における大型ハリケーン災害対策」を策定させるため、イノベーション・エマージェンシー・マネジメントという民間企業に五〇万ドルの契約を発注したのだ。

 FEMAに委託されたイノベーション社は極めて妥当な「ルイジアナ南部およびニューオーリンズ市における大型ハリケーン災害対策」を策定したが、FEMAにはそれを実行する資金がなかった
イノベーション社は金に糸目をつけなかった。一〇〇人以上の専門家を雇い入れ、資金が底を突けばまたFEMAに要求するということをくり返した結果、費用は当初の倍の一〇〇万ドルに膨れ上がった。こうしてでき上がった計画は集団避難を想定したうえで、水の供給方法から被災者用のトレーラーハウスを収容できる空き地の選定までを網羅した、内容的にはきわめて妥当なものだった。

 ところがまさに想定されていた大型ハリケーンが襲ったとき、策定された対策は何ひとつ実施されなかった。

 理由のひとつは、この計画が提出されてからハリケーンが襲うまでの八カ月間、FEMAが何も行動を起こさなかったことにある。当時のマイケル・ブラウンFEMA長官は「実行に移すだけの資金がなかった」と弁明している。

 これこそがブッシュ政権が作り上げたアンバランスな構造の典型である。公共部門は弱体化し、財源不足で機能不全に陥る一方、民間部門には潤沢な資金が回される。民間企業への支払い金額は天井知らずだが、国家の基本機能を支える財源は空っぽなのだ。

新自由主義者でさえ「大きな政府」の出動を訴えるほどのアメリカ政府の空洞化
 ニューオーリンズのスーパードームには、二万三〇〇〇人の被災者が食料や水もなく取り残され、世界中のメディアが何日問も取材していたというのにFEMAはその場所がわからなかったのか、救援に駆けつけることはついぞなかった。

 『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニスト、ポール・クルーグマンをして「何もできない政府」と言わせたこの光景は、一部の自由市場経済主義者にも危機感を抱かせた。

 自由市場を深く信奉していたマーティン・ケリーは、多くの読者を持つあるブログ上で、「ニューオーリンズの堤防の決壊は、ベルリンの壁の崩壊がソ連共産主義にもたらしたのと同じ、深遠かつ長期的な影響を新保守主義にもたらすだろう」と無念そうに書く。「私自身を含め、この思想を奨励してきたすべての人々は、自らの過ちをじっくり時間をかけて反省しなければならない」。

 筋金入りのネオコン、ジョナ・ゴールドバーグでさえ、次のように「大きな政府」の出動を訴えた。「街が水没し暴動が激しさを増している今、政府は救済に乗り出すべきであろう」

ミルトン・フリードマンは、カトリーナは「チャンスでもある」と言い、ヘリテージ財団は32の政策提言を行なう
 忠実なるフリードマン信奉者を常時何人か抱えるヘリテージ財団からは、こうした反省の弁は何ひとつ聞こえてこなかった。

 ミルトン・フリードマンが「ウォールストリート・ジャーナル」紙に書いたように、ハリケーン・カトリーナは悲劇であると同時に「チャンスでもある」とみなされた。

 ニューオーリンズの堤防決壊から二週間後の二〇〇五年九月一三日、同財団は思想を同じくするイデオローグたちや共和党議員を集めて会議を開き、「ハリケーン・カトリーナとガソリン価格高騰に対処するための自由市場に基づく提言」なるものを作成する。

 ここには「ハリケーン救済」と謳われた三二の政策提言がリストアップされているが、その内容はすべてシカゴ学派のルールブックそのものだ。

 たとえば最初の三つの提言の第一は、「被災地域ではデーヴィス・ベーコン法を自動的に一時停止すること」。デーヴィス・ベーコン法とは、連邦政府の受注工事で労働者に一定の生活水準を維持できる賃金を支払うことを義務づけた法律のことだ。

 第二は、「災害の影響を受けたすべての地域を一律課税の自由企業ゾーンにすること」。

 そして第三は、「全地域を経済競争ゾーンとすること(包括的な税別優遇措置と規制の撤廃を実施する)」である。

 このほか、学童のいる家庭にチャーター・スクールで使える利用券を配布するというものもある。
ブッシュ大統領はこれらすべてをその週のうちに実行に移すと発表した。その後、労働基準については元に戻すことを余儀なくされたが、契約企業はそのほとんどを無視した。
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