昭和7年(1932)
5月
・コミンテルン執行委員クーシネン意見書。
民族主義者の役割の過小評価、階級闘争優先の極左路線。
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・与謝野鉄幹、慶大文学部教授退職。15年間。
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・林房雄、釈放、出獄。
8月、長篇「青年」(「中央公論」)。
以降、「作家のために」「作家として」「等の文学至上的随想を発表、小林多喜二・宮本顕治らコップ指導部と対立するようになる。亀井勝一郎は、限定付きでこの林の傾向を容認する気配を見せる。
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・堀辰雄(28)「馬車を待つ間」(「新潮」)。小林秀雄(30)『新潮』座談会「新しき文学の動向に就いて語る」に出席。吉行エイスケ「社会の惨劇」。平林たい子「転落」。テエヌ・瀬沼茂樹訳『文学史の方法』
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・ポルトガル、将校4千名、サラザールに忠誠誓う署名。「塔剣大十次勲章」を贈る。
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・映画「自由を我らに」封切り(フランス)。
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・ギリシャ、ヴェニゼロス首相、辞職。
「世界恐慌」による国内経済の壊滅(干し葡萄・煙草・オリーヴ油など嗜好品輸出や移民からの送金依存のギリシア経済)、共和派内部抗争・汚職による信用失墜。王党派勢力は伸張。難局を選挙規制・選挙制度改革で乗切ろうとするが、激しい反対を受ける。
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・ソ連で農産物の私販売が禁止される。
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5月1日
・西雅雄らが『歴史科学』を創刊(~1936年12月)。1937年1月『歴史』として再出発。
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5月1日
・フランス下院選挙実施。左翼が進出。急進社会党160、社会党129、共産党12(後退)。
6月4日、再び急進社会党エリオ内閣成立。
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5月2日
・ドイツのブリューニング首相、成果なくジュネーブ会議からベルリンに戻る。ドイツ・フランスの軍備均等原則を獲得出来ず。
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5月2日
・リットン調査団、新京着。9日、ハルビン着。
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5月2日
・満州行きを希望する者のための満蒙学校が開校。
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5月3日
・日本空輸、福岡−羽田間の夜間試験飛行に成功。
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5月4日
・ソ連・エストニア不可侵条約が調印。
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5月4日
・有罪判決のアル・カポネ、アトランタ刑務所に収監。
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5月5日
・上海停戦協定調印。上海からの日中両軍撤退
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5月5日
・ロンドンの繁華街ピカデリー広場に、世界初のネオンライトを使用した電光広告が出現。
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5月6日
・仏、第3共和国第13代大統領ポール・ドゥメール(75)、ロシア人ポール・ゴルグロフに銃撃。翌日死亡
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5月8日
・渋谷の蕎麦屋万盛庵、山岸宏・古賀清志・黒岩勇ら、決起計画打合せ、決行を5月15日(日曜日)とする。
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5月9日
・坂田山心中。
慶応大学生調所五郎と静岡県の資産家の娘湯山八重子、結婚に反対され大磯の通称八郎山(新聞記者が咄嗟に坂田山と呼んだと云う)で水銀剤により心中(事件)。
10日、仮埋葬の女性の死体が盗まれ話題となる。これを題材に、「天国に結ぶ恋」(監督五所平之助、主演竹内良一・川崎弘子、西条八十作詞主題歌「二人の恋は清かった・・・・」は一世を風靡、続映3週間に及ぶ)。
この年だけで同じ場所で20組の心中。映画館で主題歌を聞きながら水銀剤を飲んで自殺する事も流行し、映画は上映禁止となる。
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5月10日
・早大野球部、六大学リーグを脱退。
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5月10日
・独、国会、ゲーリング、突撃隊禁止令に抗議。国防相兼内相グレーナーは突撃隊を純然たる私兵組織と決め付ける。
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5月11日
・東大航空研究所設置
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5月11日
・作家同盟第5回大会、即時解散。築地小劇場
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5月11日
・日活の反トーキー・スト、警視庁の調停で妥結。
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5月11日
・ドイツ、国防省官房長シュライヤー、ブリューニンク首相に対して国防相兼内相グレーナーの辞任なければ自分及び国防省首脳は即刻退陣と圧力。ブリューニンク首相はグレーナー擁護
翌12日、国防相兼内相グレーナー、国防相辞。内相専任。
同12日、ヒンデンブルク大統領、休暇のためノイデックへ出発
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5月12日
・米、自宅家に近い林の中、誘拐されたリンドバーグ長男の腐乱死体発見
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5月13日
・土浦、山水閣、決起最終打合せ。古賀清志、中村義雄、奥田秀夫ら。
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5月13日
・日本とインドシナ間の貿易規定を暫定的に決定するための日仏通商協定および署名議定書に署名。
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5月13日
・堺市、祝賀飛行の学童献納機2機が接触炎上。
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5月14日
・日魯漁業、北洋合同漁業合併、ソ連領海出漁漁業の大合同
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5月14日
・チャップリン、来日
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5月15日
・国民政府軍事委、19路軍に共産軍討伐命令
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5月15日
・5・15事件。
犬養毅首相(77)、射殺。翌8年11月9日、三上・古賀禁錮15年。昭和15年2月、恩赦釈放。被告全員。
午後4時30分、第2班(古賀清志ら5人)、泉岳寺より牧野内府邸襲撃、警視庁襲撃(2名負傷)後、憲兵隊へ自首。
午後4時30分、第3班(中村義雄ら)、新橋駅より政友会本部襲撃、警視庁襲撃後、憲兵隊に自首。
午後5時、第1班(三上卓・山岸宏両海軍中尉、黒岩勇予備少尉ら海軍・陸軍軍人計9名)、靖国神社より犬養首相官邸に向かう。
5時30分、犬養は長男健(のち法相)・同夫人・令孫(評論家道子)などと夕食中。警備の巡査1人を射殺、1人に重傷を負わせ、官邸に侵入。
犬養は、「お前たち、なにを騒ぐか」と一喝し、胸にビストルを突きつけられながらも、「話せばわかる」と言って、一同を客間に導き、「他人の家に靴ばきであがるとは何ごとだ」と叱る。三上は、「われわれが何しにきたかわかるだろう。何かいうことがあれはいえ!」と叫び、犬養が身をのりだして何か言いかけた時、山岸が、「問答無用!撃て」と言い、これに応じて三上・黒岩が続いて発砲、犬養が椅子の上に倒れるのを見て、立去る。
犬養は、家人に介抱されながら、「もう一度あれらをよんでこい。わかるように話してやる」と叫んだと云う(午後11時20分没)。
その後、一同は、警視庁・日本銀行を襲撃し、憲兵隊に自首。
午後7時30分、第4班(豊田秀夫)、三菱銀行裏門に爆弾1個なげ逃走。
夜、内務省は、新聞紙法に基づき、「犯人の氏名、経歴、その他詳細な内容」の報道を差し止める。
「五・一五事件の原因は、満州問題が中心だと思うんです。それともうひとつは、森恪と犬養首相の関係が非常に悪かった、ウン。そういうものが累積して、若い人を刺戟したんではないかな」(鈴木貞一中佐)。
「五・一五事件は、随分奇妙な事件である。あれだけの大事件でありながら、計画の大要は各方面に洩れていた。憲兵隊も、したがって陸軍省も、そして恐らくは警視庁も相当程度知っていた。行動の隠密性が悪かったためである。私も五月の始め頃から西田税に情勢を知らされた。かほど重大な陰謀が、こんなに知れ渡っていたのでは碌な結果にはなるまい。海軍将校が計画し、海軍や民間人がやるのなら別に云う所はないが、陸軍が巻き込まれることは避けたいと思った。小畑少将にお会いして見ると考えは全く私と同じであった。「陸軍が巻き込まれることは絶対におさえてもらいたい。西田君とも相談してよろしく頼む」ということだった。これまた随分おかしな話だ。小畑少将は人も知る荒木陸軍大臣のブレーンの第一人者なのだ。決行時期が五月十五日ということは五月十日頃わかった・・・」(山口一太郎、2・26事件首謀者の1人、本庄関東軍司令官の女婿)。
計画が事前に漏れても知らぬ振りをしたり、犬養の陸軍への強硬姿勢(30人粛清意見)を殊更に取上げ反犬養熱を煽り結果的に暗殺遂行を幇助したり、犬養後の政権抗争に野望を懐いた者が存在したことは確か。
大川周明の公判調書。
「昭和三・四年頃から陸軍少壮将校は、議会政治、政党政治に対する非常な反感を持つに至り、国家の改造を行はんとする思想が起った。・・・統帥権干犯問題が起ってからは一層激烈になった」。
30年(昭和5)、野党政友会総裁として犬養は統帥権干犯論で浜口雄幸内閣を攻撃し、軍部独走に道を開いたが、その犬養が海軍将校によって射殺され、政党内閣は途絶える。
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5月15日
・婦人矯風会などの反対を押切り婦人用たばこ「麗(URARA)」発売
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5月16日
・高橋臨時総理代理、辞表を纏めて提出(内閣総辞職)
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5月16日
・5・15事件により株式取引所立会が休止(18日再開)。米穀・生糸・3品取引所等、1部を除く立会が休止。円が暴落。
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5月16日
・大塚金之助・野呂栄太郎・平野義太郎・山田盛太郎編「日本資本主義発達史講座」、刊行開始(~1933.8.26 全7巻、岩波書店)。
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5月16日
・熊岡美彦、斎藤与里、高間惣七、橋本八百二、堀田清治、東光会を結成。
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5月17日
・陸軍次官小磯国昭・参謀本部第二部長永田鉄山ら陸軍首脳、陸相荒木貞夫・近衛文麿らに政党内閣絶対反対申入れ
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5月17日
・『福岡日々新聞』の主筆菊竹淳(六鼓)が社説で5.15事件を批判。久留米師団・在郷軍人会から威嚇される。
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5月17日
・インドのボンベイ、ヒンズー教徒とイスラム教徒が衝突、多くの死者。
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5月17日
・西園寺公望、原田熊雄・近衛文麿を連れて上京。
鈴木侍従長が、天皇の「後継内閣についての御注文」を西園寺に伝える。
「首相は人格の立派なる者・・・ファッショに近き者は絶対に不可・・・軍紀を振粛・・・外交は国際平和を基礎とし・・・」。
翌日、牧野内大臣が西園寺を訪問。後継首班に斉藤実を推挙することで一致。
但し、世論工作の為、重臣1人づつから意見を聞くことにする。政友会は鈴木喜三郎を総裁にして、閣僚の詮衝に着手している状況。若槻・清浦・高橋是清・山本権兵衛・東郷平八郎・上原・荒木・大角から意見を聞く。
若槻でさえ「軍の希望を負う者」と政党内閣を否定、高橋是清臨時総理も「単独内閣反対」を進言。
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5月18日
・スペインで国家・教会分離法成立:教会資産は国有財産となる。
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5月20日
・鈴木喜三郎、政友会総裁就任。
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5月20日
・オーストリアでエンゲルベルト・ドルフース(キリスト教社会党)、首相兼外相となる。
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5月21日
・リットン調査団、奉天着。
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5月21日
・蒋介石、豫鄂皖掃匪総司令兼任 (豫=河南省/鄂=湖北省/皖=安徽省)
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5月21日
・馬占山鎮圧軍、2個師団動員。
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5月21日
・江戸三座の一つ、市村座が焼失
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5月21日
・第1回音楽コンクール本選会(~5.22 日比谷公会堂)。大賞はピアノの甲斐美和子(第1位はバイオリンの鷲見四郎、声楽澄川久、作曲益子九郎)。
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5月22日
・三浦環、満州の奉天で慰問独唱会。
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5月22日
・西園寺公望、参内に後継首班に斉藤実を奉答。
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5月22日
・大関和(74、ちか)、没。看護婦の草分け、大日本看護婦人矯風会創立、看護婦の社会的地位向上と後進指導に尽くす。
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5月23日
・蒋介石、河南・湖北・安徽三省剿匪総司令就任。司令部漢口。
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5月23日
・軍事委員会、19路軍に福建の共産軍討伐を命令
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5月23日
・高野山一乗院で火災。本堂など13棟焼失。
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5月24日
・東京市の銭湯値下げ計画に対して組合側が反対。
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5月25日
・拓大生600人、理事の辞任を求めて学内に篭城。
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5月26日
・リットン調査団、大連着。
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5月26日
・斎藤実(74)挙国一致内閣成立。
陸相荒木貞夫・蔵相高橋是清留任。政友会4・民政党3人入閣。政党・官僚・軍部3者均衡内閣。事実上の政党内閣時代終る。
首相齋藤實(海軍大臣、元朝鮮総督・枢密顧問)、外相齋藤實(兼務、7月6日内田康哉)、内相山本達雄(民政党)、蔵相高橋是清、陸相荒木貞夫、海相岡田啓介、法相小山松吉、文相鳩山一郎(政友会)、農林相後藤文夫、商工相中島久萬吉、逓信相南弘、鉄相三土忠造(政友会)、拓務相永井柳太郎(民政党)。
斎藤内閣は、政党政治を終らせ、内務官僚と関係が深く、初めて軍部・官僚政党の連立形態が出現した内閣。組閣を援けた伊沢多幸男・湯浅倉平(8年2月官内大臣就任)・山本内相の相談役である後藤文夫農相・柴田書記官長・堀切法制局長官など、いずれも内務官僚出身。政友会がこの内閣を倒そうと臨み解散したら、内務官僚を敵に回すことになり、総選挙で惨敗する懸念がある。しかも、元政友会総裁高橋蔵相は、政友会に同情的でない。
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5月26日
・コミンテルン、「32年テーゼ」を発表。7月10日「赤旗」に発表。
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5月27日
・資源局設置
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5月27日
・北海道余市町で大火。300戸焼失。
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5月28日
・本間雅晴、参謀本部付を命じられる。ジュネーブより帰国、8月8日付けで陸軍兵器本廠新聞班長に補される。リットン調査団対策。
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5月28日
・右派無産党の社会ファシスト化。
赤松克麿ら、日本国家社会党を結成。同日、新日本国民同盟、結成。
4月、社民党から赤松克麿一派が分れ、国家社会主義新党準備会を結成。
この月、全国労農大衆党から今村等らが分れこれに合流し、国家社会党を結成。参加したのは、赤松・平野力三・今村等・馬島僴(産児制限運動の医者)・石川準十郎(かつてのマルクス学者)ら。
同じ日、同じような綱儀を掲げた新日本国民同盟もできる。平凡社社長下中弥三郎が中心で、一時赤松らとの合同を策すが、成功せず別組練を作る。ここには、労農大衆党から分れた坂本孝三郎、社民党から分れた鳥中雄三が加わり、他に右貫のボス天野辰夫や満州亀太郎らも役員になっていた。
両者はいずれも、「一君万民の国民精神にもとづき、搾取なき新日本の建設を期す」とのスローガンを掲げ、国家社会党の結成大会は、「労働者・農民・市民・軍人の結合」というスローガンも掲げられる。
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5月28日
・窪川鶴次郎、起訴され豊多摩刑務所に送られる。
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5月28日
・ドイツ、国防省官房長シュライヒャー、ヒトラーと会見。大統領府も出席。ブリューニング内閣倒閣で一致。
同日、国防省官房長シュライヤー、フランツ・フォン・パーペン(中央党右派プロイセン州議会議員、プロイセン州社会民主党支配打倒呼掛ける)と会見。ブリューニンクの後継内閣組閣要請
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5月29日
・米、ボーナス・マーチ。退役軍人1万5千人と妻子がワシントンへ行進、特別手当ての即時支払いを要求。
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5月29日
・独、ノイデックで休養中のヒンデンブルク大統領、国防軍シュライヤーの申入れ同意、東部植民法案説明のブリューニング首相に内閣総辞職申渡し
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5月30日
・リットン調査団、奉天着。
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5月30日
・独、ブリューニング内閣総辞職
12:00、首相、東部救済問題で、ヒンデンブルク大統領の信任を失い内閣総辞職申出る。
フランツ・フォン・パーペン内閣成立。ナチスを除外した「男爵内閣」。
ナチス、突撃隊禁止令撤回条件に内閣許諾約束。
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5月30日
・英によるイラク委任統治終結宣言。10月3日、イラク王国独立。
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5月30日
・ドイツ、「クール・ヴァンペ」封切り。
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5月31日
・日本の上海派遣軍が2,500の駐屯海軍部隊を除いて引き上げを完了。
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5月31日
・独、パーペン、中央党党首カースとシュラーヤー構想受入で衝突。パーペン脱党。
中央党はブリューニング支持となる
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