2016-03-08 路傍にて
なかった 茨木のり子
武士道は なかった
敗軍の将は城を枕に討死とばかり思っていたのに
武士道は なかった
上層部の逃げ足の迅さ 残留孤児は老い去りて
武士道は なかった
神州清潔の民は もっとも不潔なことをした近隣諸国に
武士道は なかった
鴎外が外国でがんばったにもかかわらず
武士道は なかった
在ると信じて散った若者の哀しさ
武士道は なかった
かつて在りれんめんと続いたものならばなぜ急に消え失せた
武士道とは 古来
やくざの掟のごときものに外ならず
ところどころに消しがたく光る 金箔のかけらは
ふつうの人の ただふつうのやさしさや 行為の跡
騎士道も なかったわね
だからドン・キホーテが躍り出たのだ
第七詩集『食卓に珈琲の匂い流れ』（1992年12月 花神社刊）
0 件のコメント:
コメントを投稿